上 下
52 / 57
第九章

しおりを挟む
◇◆◇◆

 エメレンスはリューディアとの秘密の関係を公にするために、コンラット公爵家に使いを出した。それから、もちろん自分の両親にも。兄の立太子の儀に合わせて一度彼女を連れて帰るから、そのときにいろいろと手続きをすませたい、という意思表示をしっかりと匂わせて。

 また、採掘現場には、現場を離れていた魔導士たちも戻ってきた。だからこそ、エメレンスたちも現場を離れやすくなった。もちろん、責任者であるヘイデンはぎりぎりまでここに残っていると言う。

「ディア、緊張してる?」

「え、ええ。眼鏡が無くて……」

「大丈夫。君は魅力的な女性だから。自信を持って。そう、シャルコの現場で働いているときのように」

「レン……」

 リューディアは久しぶりにモーゼフと会うことに緊張していた。あの日、彼に呼び出され婚約解消を口にされてからは会っていない。座っていたリューディアはぎゅっとドレスの裾を握りしめる。エメレンスはもちろん、それに気付いた。
 通された応接室は、あの日、エメレンスに励まされた場所。そこに、これからモーゼフがやってくる手筈になっているのだが。コチコチという規則正しい時計の針の音だけが、異様に大きく聞こえた。
 扉が叩かれ、開かれる。

「兄上」
 エメレンスが立ち上がったため、リューディアも同じように立ち上がる。扉の向こうから現れたのはリューディアにとっては半年ぶりに会う元婚約者。

「エメレンス。久しぶりだな、どうかしたのか?」

「……っ」
 リューディアは息を飲んだ。しばらく会わないうちに、大分やつれてしまったように見えるモーゼフ。そして、精気の宿っていないようなその目。なぜ誰もこの状態をおかしいと思わないのか。そういえば、この王城に足を踏み入れた時から、ここを纏っている空気が重いことに気付いた。それが、奥に進めば進むほど重くなる。そして、最も重さを感じるのが、モーゼフの部屋付近。

「今日は、兄上に報告したいことがあって参りました」

「そうか。君たち、本当にに来てくれた」

「兄上、ボクがいない間に、一体何が起こったのです?」
 それは、モーゼフの姿を捉えたエメレンスから零れた言葉。エメレンスでさえおかしいと思う。この兄の姿。
 何も無かったとは誤魔化せないような状況であることに、モーゼフは気付いているのだろうか。
 モーゼフは苦しそうに顔を歪めた。
「エメレンス。私の意識が飲み込まれる前に、術を……。頼む……」

「兄上、どういうことですか」

「レン。モーゼフ殿下は何やら強い力によって操られています。……恐らく、禁忌魔法」

「ディア。わかるのか?」

「はい」
 その瞳に力強い光を灯したリューディアは大きく頷く。
「この王城に来たときから、ここは変な感じがしました。国王陛下や王妃様も心配です」

「ディア。その、兄上にかけられているという術を解くことはできる?」

「わかりませんが……。やってみます」
 リューディアは苦しそうに顔をしかめているモーゼフにゆっくりと近づいていく。そこにはもう、他人の視線を気にして怯えている彼女はいない。心の中に確固たる意志を持ち、何かをやり遂げようとする前向きな姿。
「モーゼフ様。リューディアです。お手に触れますね」
 そう言葉をかける彼女の声色は優しい。それはモーゼフが好きな声。

 リューディアがモーゼフの両手を取った時、その手は氷のように冷たかった。その手を温めるかのようにリューディアは両手で包み込む。
 そして、思い出した。モーゼフと共に過ごしたささやかな時間を。彼女を「ブス」と言って、わざと距離をとっていた彼だが、たまに見せる淋しそうな眼差し。何か言いたそうに口を開くけれど、言葉にならなかったそれ。今になって思う。ブスと言われようが毅然とした態度をとればよかったのだ。もっとモーゼフと話し合うべきだった。それができなかったのは、何故だろう。自分に自信がなかったから? モーゼフに好かれたかったから? 違う、自分が弱い人間だったのだ。他人の目に怯え、自分の意思を伝えることができなかった。
 もう少し、踏み込む勇気があればよかった。だが、今になって後悔しても遅い。そしてこれからのことを後悔しないように、一歩、踏み込む。

「モーゼフ様と共に過ごした時間。わたくしにとってはかけがえのない時間でした」
 リューディアの目からポロリと大粒の涙が溢れ、繋がれた手の上に落ちた。すると、そこからまばゆい光が生まれ、二人を包み込む。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

完結 偽りの言葉はもう要りません

音爽(ネソウ)
恋愛
「敵地へ出兵が決まったから別れて欲しい」 彼なりの優しさだと泣く泣く承諾したのにそれは真っ赤な嘘だった。 愛した人は浮気相手と結ばれるために他国へ逃げた。

ループした悪役令嬢は王子からの溺愛に気付かない

咲桜りおな
恋愛
 愛する夫(王太子)から愛される事もなく結婚間もなく悲運の死を迎える元公爵令嬢のモデリーン。 自分が何度も同じ人生をやり直している事に気付くも、やり直す度に上手くいかない人生にうんざりしてしまう。 どうせなら王太子と出会わない人生を送りたい……そう願って眠りに就くと、王太子との婚約前に時は巻き戻った。 それと同時にこの世界が乙女ゲームの中で、自分が悪役令嬢へ転生していた事も知る。 嫌われる運命なら王太子と婚約せず、ヒロインである自分の妹が結婚して幸せになればいい。 悪役令嬢として生きるなんてまっぴら。自分は自分の道を行く!  そう決めて五度目の人生をやり直し始めるモデリーンの物語。

大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです

古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。 皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。 他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。 救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。 セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。 だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。 「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」 今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。

あなたへの想いを終わりにします

四折 柊
恋愛
 シエナは王太子アドリアンの婚約者として体の弱い彼を支えてきた。だがある日彼は視察先で倒れそこで男爵令嬢に看病される。彼女の献身的な看病で医者に見放されていた病が治りアドリアンは健康を手に入れた。男爵令嬢は殿下を治癒した聖女と呼ばれ王城に招かれることになった。いつしかアドリアンは男爵令嬢に夢中になり彼女を正妃に迎えたいと言い出す。男爵令嬢では妃としての能力に問題がある。だからシエナには側室として彼女を支えてほしいと言われた。シエナは今までの献身と恋心を踏み躙られた絶望で彼らの目の前で自身の胸を短剣で刺した…………。(全13話)

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

新婚なのに旦那様と会えません〜公爵夫人は宮廷魔術師〜

秋月乃衣
恋愛
ルクセイア公爵家の美形当主アレクセルの元に、嫁ぐこととなった宮廷魔術師シルヴィア。 宮廷魔術師を辞めたくないシルヴィアにとって、仕事は続けたままで良いとの好条件。 だけど新婚なのに旦那様に中々会えず、すれ違い結婚生活。旦那様には愛人がいるという噂も!? ※魔法のある特殊な世界なので公爵夫人がお仕事しています。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

処理中です...