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第九章
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◇◆◇◆
エメレンスはリューディアとの秘密の関係を公にするために、コンラット公爵家に使いを出した。それから、もちろん自分の両親にも。兄の立太子の儀に合わせて一度彼女を連れて帰るから、そのときにいろいろと手続きをすませたい、という意思表示をしっかりと匂わせて。
また、採掘現場には、現場を離れていた魔導士たちも戻ってきた。だからこそ、エメレンスたちも現場を離れやすくなった。もちろん、責任者であるヘイデンはぎりぎりまでここに残っていると言う。
「ディア、緊張してる?」
「え、ええ。眼鏡が無くて……」
「大丈夫。君は魅力的な女性だから。自信を持って。そう、シャルコの現場で働いているときのように」
「レン……」
リューディアは久しぶりにモーゼフと会うことに緊張していた。あの日、彼に呼び出され婚約解消を口にされてからは会っていない。座っていたリューディアはぎゅっとドレスの裾を握りしめる。エメレンスはもちろん、それに気付いた。
通された応接室は、あの日、エメレンスに励まされた場所。そこに、これからモーゼフがやってくる手筈になっているのだが。コチコチという規則正しい時計の針の音だけが、異様に大きく聞こえた。
扉が叩かれ、開かれる。
「兄上」
エメレンスが立ち上がったため、リューディアも同じように立ち上がる。扉の向こうから現れたのはリューディアにとっては半年ぶりに会う元婚約者。
「エメレンス。久しぶりだな、どうかしたのか?」
「……っ」
リューディアは息を飲んだ。しばらく会わないうちに、大分やつれてしまったように見えるモーゼフ。そして、精気の宿っていないようなその目。なぜ誰もこの状態をおかしいと思わないのか。そういえば、この王城に足を踏み入れた時から、ここを纏っている空気が重いことに気付いた。それが、奥に進めば進むほど重くなる。そして、最も重さを感じるのが、モーゼフの部屋付近。
「今日は、兄上に報告したいことがあって参りました」
「そうか。君たち、本当にいいところに来てくれた」
「兄上、ボクがいない間に、一体何が起こったのです?」
それは、モーゼフの姿を捉えたエメレンスから零れた言葉。エメレンスでさえおかしいと思う。この兄の姿。
何も無かったとは誤魔化せないような状況であることに、モーゼフは気付いているのだろうか。
モーゼフは苦しそうに顔を歪めた。
「エメレンス。私の意識が飲み込まれる前に、術を……。頼む……」
「兄上、どういうことですか」
「レン。モーゼフ殿下は何やら強い力によって操られています。……恐らく、禁忌魔法」
「ディア。わかるのか?」
「はい」
その瞳に力強い光を灯したリューディアは大きく頷く。
「この王城に来たときから、ここは変な感じがしました。国王陛下や王妃様も心配です」
「ディア。その、兄上にかけられているという術を解くことはできる?」
「わかりませんが……。やってみます」
リューディアは苦しそうに顔をしかめているモーゼフにゆっくりと近づいていく。そこにはもう、他人の視線を気にして怯えている彼女はいない。心の中に確固たる意志を持ち、何かをやり遂げようとする前向きな姿。
「モーゼフ様。リューディアです。お手に触れますね」
そう言葉をかける彼女の声色は優しい。それはモーゼフが好きな声。
リューディアがモーゼフの両手を取った時、その手は氷のように冷たかった。その手を温めるかのようにリューディアは両手で包み込む。
そして、思い出した。モーゼフと共に過ごしたささやかな時間を。彼女を「ブス」と言って、わざと距離をとっていた彼だが、たまに見せる淋しそうな眼差し。何か言いたそうに口を開くけれど、言葉にならなかったそれ。今になって思う。ブスと言われようが毅然とした態度をとればよかったのだ。もっとモーゼフと話し合うべきだった。それができなかったのは、何故だろう。自分に自信がなかったから? モーゼフに好かれたかったから? 違う、自分が弱い人間だったのだ。他人の目に怯え、自分の意思を伝えることができなかった。
もう少し、踏み込む勇気があればよかった。だが、今になって後悔しても遅い。そしてこれからのことを後悔しないように、一歩、踏み込む。
「モーゼフ様と共に過ごした時間。わたくしにとってはかけがえのない時間でした」
リューディアの目からポロリと大粒の涙が溢れ、繋がれた手の上に落ちた。すると、そこからまばゆい光が生まれ、二人を包み込む。
エメレンスはリューディアとの秘密の関係を公にするために、コンラット公爵家に使いを出した。それから、もちろん自分の両親にも。兄の立太子の儀に合わせて一度彼女を連れて帰るから、そのときにいろいろと手続きをすませたい、という意思表示をしっかりと匂わせて。
また、採掘現場には、現場を離れていた魔導士たちも戻ってきた。だからこそ、エメレンスたちも現場を離れやすくなった。もちろん、責任者であるヘイデンはぎりぎりまでここに残っていると言う。
「ディア、緊張してる?」
「え、ええ。眼鏡が無くて……」
「大丈夫。君は魅力的な女性だから。自信を持って。そう、シャルコの現場で働いているときのように」
「レン……」
リューディアは久しぶりにモーゼフと会うことに緊張していた。あの日、彼に呼び出され婚約解消を口にされてからは会っていない。座っていたリューディアはぎゅっとドレスの裾を握りしめる。エメレンスはもちろん、それに気付いた。
通された応接室は、あの日、エメレンスに励まされた場所。そこに、これからモーゼフがやってくる手筈になっているのだが。コチコチという規則正しい時計の針の音だけが、異様に大きく聞こえた。
扉が叩かれ、開かれる。
「兄上」
エメレンスが立ち上がったため、リューディアも同じように立ち上がる。扉の向こうから現れたのはリューディアにとっては半年ぶりに会う元婚約者。
「エメレンス。久しぶりだな、どうかしたのか?」
「……っ」
リューディアは息を飲んだ。しばらく会わないうちに、大分やつれてしまったように見えるモーゼフ。そして、精気の宿っていないようなその目。なぜ誰もこの状態をおかしいと思わないのか。そういえば、この王城に足を踏み入れた時から、ここを纏っている空気が重いことに気付いた。それが、奥に進めば進むほど重くなる。そして、最も重さを感じるのが、モーゼフの部屋付近。
「今日は、兄上に報告したいことがあって参りました」
「そうか。君たち、本当にいいところに来てくれた」
「兄上、ボクがいない間に、一体何が起こったのです?」
それは、モーゼフの姿を捉えたエメレンスから零れた言葉。エメレンスでさえおかしいと思う。この兄の姿。
何も無かったとは誤魔化せないような状況であることに、モーゼフは気付いているのだろうか。
モーゼフは苦しそうに顔を歪めた。
「エメレンス。私の意識が飲み込まれる前に、術を……。頼む……」
「兄上、どういうことですか」
「レン。モーゼフ殿下は何やら強い力によって操られています。……恐らく、禁忌魔法」
「ディア。わかるのか?」
「はい」
その瞳に力強い光を灯したリューディアは大きく頷く。
「この王城に来たときから、ここは変な感じがしました。国王陛下や王妃様も心配です」
「ディア。その、兄上にかけられているという術を解くことはできる?」
「わかりませんが……。やってみます」
リューディアは苦しそうに顔をしかめているモーゼフにゆっくりと近づいていく。そこにはもう、他人の視線を気にして怯えている彼女はいない。心の中に確固たる意志を持ち、何かをやり遂げようとする前向きな姿。
「モーゼフ様。リューディアです。お手に触れますね」
そう言葉をかける彼女の声色は優しい。それはモーゼフが好きな声。
リューディアがモーゼフの両手を取った時、その手は氷のように冷たかった。その手を温めるかのようにリューディアは両手で包み込む。
そして、思い出した。モーゼフと共に過ごしたささやかな時間を。彼女を「ブス」と言って、わざと距離をとっていた彼だが、たまに見せる淋しそうな眼差し。何か言いたそうに口を開くけれど、言葉にならなかったそれ。今になって思う。ブスと言われようが毅然とした態度をとればよかったのだ。もっとモーゼフと話し合うべきだった。それができなかったのは、何故だろう。自分に自信がなかったから? モーゼフに好かれたかったから? 違う、自分が弱い人間だったのだ。他人の目に怯え、自分の意思を伝えることができなかった。
もう少し、踏み込む勇気があればよかった。だが、今になって後悔しても遅い。そしてこれからのことを後悔しないように、一歩、踏み込む。
「モーゼフ様と共に過ごした時間。わたくしにとってはかけがえのない時間でした」
リューディアの目からポロリと大粒の涙が溢れ、繋がれた手の上に落ちた。すると、そこからまばゆい光が生まれ、二人を包み込む。
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