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第七章
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「え?」
エメレンスは素っ頓狂な声をあげてしまった。まだ事務所内には他にも人が残っている。リューディアは囁くように呟いたため、それは他の人たちには聞こえないと思っているが、エメレンスのその声は他の人たちからも注目を浴びてしまうほどの声だった。
リューディアは、続けて囁く。他の人たちの耳には届かないように、と。
「いえ、その、お兄さまに頼まれて。クズ石置き場に監視魔法をかけました。そこに人が来れば、わかるようになっているのです。私がそれを感知するので」
リューディア本人はさらっと口にしているが、監視魔法をかけてそれを感知するというのも、高等魔術の一つだ。転移魔法と同じくらいに。さすが魔法公爵家の秘蔵っ子だけのことはある。そして、その凄さにこの本人は気付いていない。
「ちなみに。その監視魔法というのは、どこにいても感知できるのかい?」
エメレンスはリューディアの耳元で小さく尋ねた。それがくすぐったいのか、彼女は首元をもぞもぞと動かす。その仕草すら、エメレンスにとっては毒だった。リューディアはそれに気付いているのかどうかわからないが、「はい」と小さく答える。
「ディア。早く残りの仕事を終わらせて、さっさと帰ろう」
今までの話を誤魔化すかのようにしてエメレンスはわざとらしく言った。
リューディアが残業してまでまとめていた資料は、例のクズ石に関することだった。実際、あのクズ石が盗まれて違法に魔導具に転用されているとしたら、きちんとした管理下において、利用する方法を考えた方がいいと思っていた。クズ石の利用方法としては、一度熔解させて再構築すること。これは天然の魔宝石とは異なるがやってみる価値はあると思っている。つまり、人工の魔宝石だ。
さらに、使用済魔宝石の再利用。魔宝石は、このボワヴァン山脈に流れている水脈の水が長い年月をかけて岩石に沁みていき、それが魔法石になったと言われている。どうやらこの水脈の水が聖なる水と呼ばれる魔力を備えている水ではないのか、とも考えられている。つまり、使用済魔宝石をこの水脈の水に浸すことによって、失われた魔力が戻るのではないか、とリューディアは考えていた。となれば整備する必要があるのは、その水脈までの通路だろう。
「ディア、そろそろ帰ろうか。あまり遅くなってもイルメリさんが心配するだろ?」
気が付けば、事務所に残っていたのはリューディアとエメレンス、そしてヘイデンの三人のみとなっていた。
「あ、はい。わたくしもちょうどキリの良いところまで資料がまとまりましたので」
リューディアは書き上げた資料をとんとんと机の上で揃えてから、引き出しにしまった。先日の事務所荒らしの件もあるため、引き出しにはしっかりと鍵をかける。
「お兄さま。わたくしたちは先に帰りますね」
「ああ、気をつけて帰れよ」
書きかけの書類から視線をあげるようなことはせずに、ヘイデンは二人に手を振った。
「あ、ディア。今日は遅くなること、イルメリには伝えておいてくれ」
「わかりました。お兄さまもあまりご無理をなさらずに」
リューディアはエメレンスと並んで帰路についた。採掘現場の周辺はとても静かだった。昼間は採掘師たちの怒号や採掘する音が響くこの周辺、今は作業が行われていないから、たまに吹き付ける風の音しか聞こえてこない。
「すっかり暗くなっちゃったね。危ないから、家の前まで送るよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
空には星が輝いていて、星明りでいくらかは明るいものの、この暗さを一人で歩いて帰るにはいささか不安があったリューディアにとって、それは有難い申し出だった。
「ボクがシャルコに来て驚いたのは、この空だ」
唐突にエメレンスが空を見上げた。
「今にも星が落ちてきそうなくらい、星がたくさん見える」
「はい。わたくしも、この空が好きです。そしてこの街も。だからこそ、この街の生活の要である魔宝石を、あのように不正に利用して、傷つける人が許せません」
そこにはもう「ブス」と言われて、隠れるような少女の姿はなかった。
誰にも気付かれないようにと、エメレンスは彼女に眼鏡を贈ってまでその姿を隠させてきたのに、彼女は今、自分の手の中から飛び立とうとしているようにさえ思えた。それは嬉しい反面、少し悔しくもある。
モーゼフの婚約者という手の届かない立場にあった彼女。そこから退いた彼女は、ようやく自分の隣に並んでくれたと思ったのに、彼女はまた手の届かない場所に旅立ってしまうのだろうか。
「うん、そうだね」
複雑な気持ちを抱えたエメレンスは、そう答えるのが精いっぱいだった。今は、あのエリックが羨ましいとさえも思う。自分にも、彼のように一歩を踏み出せる気持ちがあれば。
エメレンスは素っ頓狂な声をあげてしまった。まだ事務所内には他にも人が残っている。リューディアは囁くように呟いたため、それは他の人たちには聞こえないと思っているが、エメレンスのその声は他の人たちからも注目を浴びてしまうほどの声だった。
リューディアは、続けて囁く。他の人たちの耳には届かないように、と。
「いえ、その、お兄さまに頼まれて。クズ石置き場に監視魔法をかけました。そこに人が来れば、わかるようになっているのです。私がそれを感知するので」
リューディア本人はさらっと口にしているが、監視魔法をかけてそれを感知するというのも、高等魔術の一つだ。転移魔法と同じくらいに。さすが魔法公爵家の秘蔵っ子だけのことはある。そして、その凄さにこの本人は気付いていない。
「ちなみに。その監視魔法というのは、どこにいても感知できるのかい?」
エメレンスはリューディアの耳元で小さく尋ねた。それがくすぐったいのか、彼女は首元をもぞもぞと動かす。その仕草すら、エメレンスにとっては毒だった。リューディアはそれに気付いているのかどうかわからないが、「はい」と小さく答える。
「ディア。早く残りの仕事を終わらせて、さっさと帰ろう」
今までの話を誤魔化すかのようにしてエメレンスはわざとらしく言った。
リューディアが残業してまでまとめていた資料は、例のクズ石に関することだった。実際、あのクズ石が盗まれて違法に魔導具に転用されているとしたら、きちんとした管理下において、利用する方法を考えた方がいいと思っていた。クズ石の利用方法としては、一度熔解させて再構築すること。これは天然の魔宝石とは異なるがやってみる価値はあると思っている。つまり、人工の魔宝石だ。
さらに、使用済魔宝石の再利用。魔宝石は、このボワヴァン山脈に流れている水脈の水が長い年月をかけて岩石に沁みていき、それが魔法石になったと言われている。どうやらこの水脈の水が聖なる水と呼ばれる魔力を備えている水ではないのか、とも考えられている。つまり、使用済魔宝石をこの水脈の水に浸すことによって、失われた魔力が戻るのではないか、とリューディアは考えていた。となれば整備する必要があるのは、その水脈までの通路だろう。
「ディア、そろそろ帰ろうか。あまり遅くなってもイルメリさんが心配するだろ?」
気が付けば、事務所に残っていたのはリューディアとエメレンス、そしてヘイデンの三人のみとなっていた。
「あ、はい。わたくしもちょうどキリの良いところまで資料がまとまりましたので」
リューディアは書き上げた資料をとんとんと机の上で揃えてから、引き出しにしまった。先日の事務所荒らしの件もあるため、引き出しにはしっかりと鍵をかける。
「お兄さま。わたくしたちは先に帰りますね」
「ああ、気をつけて帰れよ」
書きかけの書類から視線をあげるようなことはせずに、ヘイデンは二人に手を振った。
「あ、ディア。今日は遅くなること、イルメリには伝えておいてくれ」
「わかりました。お兄さまもあまりご無理をなさらずに」
リューディアはエメレンスと並んで帰路についた。採掘現場の周辺はとても静かだった。昼間は採掘師たちの怒号や採掘する音が響くこの周辺、今は作業が行われていないから、たまに吹き付ける風の音しか聞こえてこない。
「すっかり暗くなっちゃったね。危ないから、家の前まで送るよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
空には星が輝いていて、星明りでいくらかは明るいものの、この暗さを一人で歩いて帰るにはいささか不安があったリューディアにとって、それは有難い申し出だった。
「ボクがシャルコに来て驚いたのは、この空だ」
唐突にエメレンスが空を見上げた。
「今にも星が落ちてきそうなくらい、星がたくさん見える」
「はい。わたくしも、この空が好きです。そしてこの街も。だからこそ、この街の生活の要である魔宝石を、あのように不正に利用して、傷つける人が許せません」
そこにはもう「ブス」と言われて、隠れるような少女の姿はなかった。
誰にも気付かれないようにと、エメレンスは彼女に眼鏡を贈ってまでその姿を隠させてきたのに、彼女は今、自分の手の中から飛び立とうとしているようにさえ思えた。それは嬉しい反面、少し悔しくもある。
モーゼフの婚約者という手の届かない立場にあった彼女。そこから退いた彼女は、ようやく自分の隣に並んでくれたと思ったのに、彼女はまた手の届かない場所に旅立ってしまうのだろうか。
「うん、そうだね」
複雑な気持ちを抱えたエメレンスは、そう答えるのが精いっぱいだった。今は、あのエリックが羨ましいとさえも思う。自分にも、彼のように一歩を踏み出せる気持ちがあれば。
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