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オリベルが静かに眠る様子を、ラウニはほっとした気持ちで見つめていた。
数時間前の苦しそうな表情は嘘のように穏やかなものにかわっている。それでもまだ熱は高いのだろう。
額にのせた濡れた手巾は、すっかり生ぬるくなっていた。それを冷たい水につけて、きつくしぼり、もう一度彼の額にあてる。
気持ちがよいのか、目尻がふとゆるんだように見えた。
オリベルはきっと覚えていないだろう。初めて二人が出会った日のことを。
それはまだラウニがただの商人の娘だった頃――。
父親に連れられてニッカネ商会を訪れた。
そこにオリベルがいたのだ。養子であり商会長と血の繋がりはないと聞いてはいたけれど、彼は義両親の仕事の手伝いを黙々とこなしていた。
そしてそんな彼を優しい眼差しで見つめる商会長夫妻。
血の繋がりとは異なる繋がりが、この家族にあるんだろうなと、ラウニは感じた。
奥の部屋から赤ん坊の泣き声が聞こえ出すと、すぐさまオリベルが生まれたばかりの赤ん坊を抱っこして連れてきた。
『かわいい』
ラウニが呟くとオリベルは嬉しそうに笑った。
『そうだろう? オレの自慢の弟だ』
不思議なことにオリベルに抱っこされた赤ん坊は、すやすやと寝息を立てていた。そして血の繋がりのない兄弟を見守っていたのも会長夫妻だった。
ラウニの父親も会長夫妻を気に入ったようで、ニッカネ商会に商品を卸すようになったのはこれがきっかけだった。
さらにラウニがオリベルを意識するようになったのも、このときからだ。
彼が騎士団に入団したと聞いたとき、事務官となれば側にいられるのでは? と思った。
だけどまだ、この気持ちをオリベルに伝えることができない。
拒まれるのが怖いから。
だからまだ、このままの関係を続けていきたい。
**~*~*~*
燃えるように熱くて痛かった身体が、今はすっかりともとに戻っている。
どこにいるのかと思って頭を振れば、額からはらりと濡れた手巾が落ちた。
(ラウニ……)
オリベルのベッドに顔を伏せて、眠っている彼女の姿が見えた。
(夢ではなかったのか……)
昼前、女性の叫び声が聞こえ、すぐさまそこへと駆けつけてみたところ、身体中、毛に覆われた大きな魔獣が、女性二人に襲い掛かろうとしていた。
洗濯物を手にしている彼女たちは、洗濯メイドの一人と、ラウニだった。ラウニは着替えの補充のために、そこへ足を運んでいたのだろう。
オリベルは迷うことなく、魔獣へ向かって走り出し、剣を向けた。魔獣の牙がラウニを狙った瞬間、その間に身体を滑り込ませた。
『……うっ』
魔獣の牙はオリベルの肩をかすめた。だが、これで魔獣の動きは封じられた。右手に持っていた剣で魔獣の首を狙う。
視界に入ったガイルに、彼女たちを安全な場所へと連れていくよう、視線で訴える。頷いたガイルにすべてをまかせ、オリベルは目の前の魔獣を倒すことに専念する。
他の騎士たちも駆けつけ、なんとか魔獣を倒すことができたのだが、魔獣をここまで侵入させてしまった事実に胸が痛まないわけがない。
すぐに対策会議が始まり、取り急ぎは見回りの強化となった。将来的には、外壁をもう少し高くするか、その外壁の上に割れたガラスや釘などを敷いて、よじ登れないようにする案も出された。これは予算と工数の兼ね合いから、もう少し検討する必要がある。
その会議を終え、執務室に戻ってきたところで、身体に異変を感じた。
ドクンと心臓が強く震え、熱い血液を流し始める。そうなれば、身体中が熱くて痛くて、寝台に辿り着くだけで精いっぱいだった。
そこで痛みを逃すように、耐えていた。
『……オリベル団長!』
都合のよい夢だと思っていた。
想いを寄せているラウニが、看病に来てくれるだなんて。
着替えさせられ、身体を拭いてもらい、薬も飲ませてもらって、眠りにつく。
今までの妄想が爆発したものだと思っていたのだ。
ラウニと出会ったのは、今から十二年前――。
ニッカネ商会にラウニの父親がやって来たのがきっかけだ。
ラウニの父親は商才に長けており、一代で財を築き上げ、ただの商売人から今では男爵位を受けている。
彼の扱う鉱石類は、この国では珍しいものが多かった。彼自身に隣国との伝手があり、共同出資してそこの鉱山のオーナーになったとか。珍しい鉱石というのは、それだけで価値がある。
当時、ラウニの父親は、販路拡大のためにニッカネ商会に足を運んだのだ。扱うものが希少で高価なものであれば、やはり信頼できるところと取引がしたい、というのが彼の考えだった。
何がきっかけとなったのかはわからないが、ニッカネ商会はラウニの父親との契約にこぎつけることができた。
そしてオリベルは、なぜかそのときからラウニが気になって仕方なかった。
もしかして、生まれたばかりの弟を「かわいい」と言ってくれたのが引き金となったのかもしれない。その一言が、オリベルにとって誇らしかったのだ。
オリベルだって健全な成人男性であり、そこそこ結婚願望はある。
数時間前の苦しそうな表情は嘘のように穏やかなものにかわっている。それでもまだ熱は高いのだろう。
額にのせた濡れた手巾は、すっかり生ぬるくなっていた。それを冷たい水につけて、きつくしぼり、もう一度彼の額にあてる。
気持ちがよいのか、目尻がふとゆるんだように見えた。
オリベルはきっと覚えていないだろう。初めて二人が出会った日のことを。
それはまだラウニがただの商人の娘だった頃――。
父親に連れられてニッカネ商会を訪れた。
そこにオリベルがいたのだ。養子であり商会長と血の繋がりはないと聞いてはいたけれど、彼は義両親の仕事の手伝いを黙々とこなしていた。
そしてそんな彼を優しい眼差しで見つめる商会長夫妻。
血の繋がりとは異なる繋がりが、この家族にあるんだろうなと、ラウニは感じた。
奥の部屋から赤ん坊の泣き声が聞こえ出すと、すぐさまオリベルが生まれたばかりの赤ん坊を抱っこして連れてきた。
『かわいい』
ラウニが呟くとオリベルは嬉しそうに笑った。
『そうだろう? オレの自慢の弟だ』
不思議なことにオリベルに抱っこされた赤ん坊は、すやすやと寝息を立てていた。そして血の繋がりのない兄弟を見守っていたのも会長夫妻だった。
ラウニの父親も会長夫妻を気に入ったようで、ニッカネ商会に商品を卸すようになったのはこれがきっかけだった。
さらにラウニがオリベルを意識するようになったのも、このときからだ。
彼が騎士団に入団したと聞いたとき、事務官となれば側にいられるのでは? と思った。
だけどまだ、この気持ちをオリベルに伝えることができない。
拒まれるのが怖いから。
だからまだ、このままの関係を続けていきたい。
**~*~*~*
燃えるように熱くて痛かった身体が、今はすっかりともとに戻っている。
どこにいるのかと思って頭を振れば、額からはらりと濡れた手巾が落ちた。
(ラウニ……)
オリベルのベッドに顔を伏せて、眠っている彼女の姿が見えた。
(夢ではなかったのか……)
昼前、女性の叫び声が聞こえ、すぐさまそこへと駆けつけてみたところ、身体中、毛に覆われた大きな魔獣が、女性二人に襲い掛かろうとしていた。
洗濯物を手にしている彼女たちは、洗濯メイドの一人と、ラウニだった。ラウニは着替えの補充のために、そこへ足を運んでいたのだろう。
オリベルは迷うことなく、魔獣へ向かって走り出し、剣を向けた。魔獣の牙がラウニを狙った瞬間、その間に身体を滑り込ませた。
『……うっ』
魔獣の牙はオリベルの肩をかすめた。だが、これで魔獣の動きは封じられた。右手に持っていた剣で魔獣の首を狙う。
視界に入ったガイルに、彼女たちを安全な場所へと連れていくよう、視線で訴える。頷いたガイルにすべてをまかせ、オリベルは目の前の魔獣を倒すことに専念する。
他の騎士たちも駆けつけ、なんとか魔獣を倒すことができたのだが、魔獣をここまで侵入させてしまった事実に胸が痛まないわけがない。
すぐに対策会議が始まり、取り急ぎは見回りの強化となった。将来的には、外壁をもう少し高くするか、その外壁の上に割れたガラスや釘などを敷いて、よじ登れないようにする案も出された。これは予算と工数の兼ね合いから、もう少し検討する必要がある。
その会議を終え、執務室に戻ってきたところで、身体に異変を感じた。
ドクンと心臓が強く震え、熱い血液を流し始める。そうなれば、身体中が熱くて痛くて、寝台に辿り着くだけで精いっぱいだった。
そこで痛みを逃すように、耐えていた。
『……オリベル団長!』
都合のよい夢だと思っていた。
想いを寄せているラウニが、看病に来てくれるだなんて。
着替えさせられ、身体を拭いてもらい、薬も飲ませてもらって、眠りにつく。
今までの妄想が爆発したものだと思っていたのだ。
ラウニと出会ったのは、今から十二年前――。
ニッカネ商会にラウニの父親がやって来たのがきっかけだ。
ラウニの父親は商才に長けており、一代で財を築き上げ、ただの商売人から今では男爵位を受けている。
彼の扱う鉱石類は、この国では珍しいものが多かった。彼自身に隣国との伝手があり、共同出資してそこの鉱山のオーナーになったとか。珍しい鉱石というのは、それだけで価値がある。
当時、ラウニの父親は、販路拡大のためにニッカネ商会に足を運んだのだ。扱うものが希少で高価なものであれば、やはり信頼できるところと取引がしたい、というのが彼の考えだった。
何がきっかけとなったのかはわからないが、ニッカネ商会はラウニの父親との契約にこぎつけることができた。
そしてオリベルは、なぜかそのときからラウニが気になって仕方なかった。
もしかして、生まれたばかりの弟を「かわいい」と言ってくれたのが引き金となったのかもしれない。その一言が、オリベルにとって誇らしかったのだ。
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