73 / 79
11-(2)
しおりを挟む
「クラウス様……」
「ああ、やっぱりファンヌだった。ただでさえ女性は少ないし、君の髪の色は目立つからね」
ファンヌは深々と頭を下げた。これ以上、関わりたくないという意味を込めて。
「なんだって、他人行儀だな。僕と君は婚約していた仲じゃないか」
「それは、過去の話です。クラウス様にはアデラ様がいらっしゃいますよね」
クラウスは鼻で笑った。
「アデラ? あの女は僕の婚約者の器じゃなかったんだ。だから、別れた」
「え?」
確かアデラはクラウスとの子を宿していたはずだが。その考えがファンヌの頭をよぎっていく。
「それに彼女は、教育も受けようとはしないし、政務も手伝おうとはしない。教養も足りない。僕の正妃に相応しくない、という話になったんだ」
「では、アデラ様は?」
そう尋ねたファンヌであるが、アデラよりも二人の子の方が気になっていた。
「アデラはもうここにはいないよ。正確にいうと、この国にはいない」
クラウスは口元に笑みを浮かべていた。
「だからね、ファンヌ。もう僕たちの二人の仲を引き裂くような人間はいなくなったわけだ」
引き裂くも何も、クラウスがファンヌよりもアデラを選んだだけの話だ。
「やはり僕の伴侶として相応しい女性は、君しかいないんだ」
クラウスがファンヌの手を取り、その甲に唇を寄せる。
ファンヌは思わず手を引いた。
「クラウス様。私も他の方と婚約をしたのです。ですから、クラウス様と一緒になることはあり得ません」
ギロリとクラウスが睨みつけてきた。また、何かされるのかと思いきや彼は「誰だ」と静かに尋ねた。
ファンヌには、彼が口にした「誰だ」の意味がわからなかった。だから答えられずにいた。
「君は誰と婚約をしたんだ? 婚約の相手は誰だ」
クラウスは鋭い声でそう尋ねた。ファンヌは、ゴクリと喉を鳴らしてから答える。
「エルさ……。エルランド・キュロ教授です」
「ちっ」
クラウスが忌々しく舌打ちをしたのを、ファンヌは聞き逃さなかった。
「やっぱり、あのベロテニア人か」
そう彼が呟いたことも、しっかりとファンヌの耳には届いていた。
「だがファンヌ。君はすぐにわかるはずだ。君の相手に相応しいのは、あのベロテニア人ではなく、僕であることがね」
チリリンと鐘が鳴った。研究発表がそろそろ始まるという予鈴である。
「それに。今日の研究発表には、僕も出るんだ。あのベロテニア人と同じ『調薬』の分野でね。『調薬』は『調茶』の基礎だろう? 『調茶師』である君に相応しくありたいために、僕も『調薬』を研究したんだ。あの学校で」
ふるっとファンヌの背筋に悪寒が走る。
「じゃ、僕は中に行くよ。君はどうするのかな?」
クラウスと共に中に入ることは癪であったが、時間になってしまったため、ファンヌも慌てて会場内に入った。
中に入ると、クラウスは迷わずに前の方に向かって歩いていく。研究発表をすると言った彼の言葉は本当なのだろう。ファンヌは会場を大きく見回して、エルランドを探した。彼は、後方の窓際に座っていた。ファンヌは慌てて彼の隣の席に座った。
「遅かったな」
「ごめんなさい。クラウス様に捕まってしまいました」
先ほどの件をエルランドに隠すつもりはない。
「そうか……。悪かったな」
側にいなくて悪かった。エルランドはきっとそう言いたかったのだろう。
エルランドがファンヌの前に何かを差し出した。どうやら今日の研究発表のプログラムと論文誌のようだ。
チリチリンと鐘が鳴った。最初の研究発表が始まる。
ファンヌは今日のプログラムにざっと目を通した。最後にマルクスの名があったが、クラウスの名も併記されていた。
(もしかして。マルクス先生の共同研究者がクラウス様?)
発表が始まっていたが、ファンヌは論文誌をペラペラとめくっていた。目的はマルクスとクラウスの論文の中身だ。
論文誌をめくる手がなぜか震えていた。理由はわからない。論文のテーマもプログラムで確認したはずなのに、なぜかファンヌの心臓がバクバクと音を立てている。
だが、論文の中身はテーマ通りのものであった。マルクスがずっと研究を続けていた『頭髪を豊かにする薬』についての効能と、それの応用方法だった。この応用方法というのが興味深く、同じ『薬草』であっても、保管方法や温度によって効能が変化すること。『頭髪を豊かにする薬』と同じ配合で『調薬』しても、『調薬』した環境によっては、違う効能を示す薬ができあがることが、式や表を用いて記されていた。かなりの数の実験も行われたようで、それを示す数値も記されている。
(すごい……)
これをあのマルクスとクラウスがやり遂げたというのが、ファンヌには信じられなかった。
(クラウス様……。努力なされたのね……)
ズキンとファンヌの胸が痛んだ。
「ああ、やっぱりファンヌだった。ただでさえ女性は少ないし、君の髪の色は目立つからね」
ファンヌは深々と頭を下げた。これ以上、関わりたくないという意味を込めて。
「なんだって、他人行儀だな。僕と君は婚約していた仲じゃないか」
「それは、過去の話です。クラウス様にはアデラ様がいらっしゃいますよね」
クラウスは鼻で笑った。
「アデラ? あの女は僕の婚約者の器じゃなかったんだ。だから、別れた」
「え?」
確かアデラはクラウスとの子を宿していたはずだが。その考えがファンヌの頭をよぎっていく。
「それに彼女は、教育も受けようとはしないし、政務も手伝おうとはしない。教養も足りない。僕の正妃に相応しくない、という話になったんだ」
「では、アデラ様は?」
そう尋ねたファンヌであるが、アデラよりも二人の子の方が気になっていた。
「アデラはもうここにはいないよ。正確にいうと、この国にはいない」
クラウスは口元に笑みを浮かべていた。
「だからね、ファンヌ。もう僕たちの二人の仲を引き裂くような人間はいなくなったわけだ」
引き裂くも何も、クラウスがファンヌよりもアデラを選んだだけの話だ。
「やはり僕の伴侶として相応しい女性は、君しかいないんだ」
クラウスがファンヌの手を取り、その甲に唇を寄せる。
ファンヌは思わず手を引いた。
「クラウス様。私も他の方と婚約をしたのです。ですから、クラウス様と一緒になることはあり得ません」
ギロリとクラウスが睨みつけてきた。また、何かされるのかと思いきや彼は「誰だ」と静かに尋ねた。
ファンヌには、彼が口にした「誰だ」の意味がわからなかった。だから答えられずにいた。
「君は誰と婚約をしたんだ? 婚約の相手は誰だ」
クラウスは鋭い声でそう尋ねた。ファンヌは、ゴクリと喉を鳴らしてから答える。
「エルさ……。エルランド・キュロ教授です」
「ちっ」
クラウスが忌々しく舌打ちをしたのを、ファンヌは聞き逃さなかった。
「やっぱり、あのベロテニア人か」
そう彼が呟いたことも、しっかりとファンヌの耳には届いていた。
「だがファンヌ。君はすぐにわかるはずだ。君の相手に相応しいのは、あのベロテニア人ではなく、僕であることがね」
チリリンと鐘が鳴った。研究発表がそろそろ始まるという予鈴である。
「それに。今日の研究発表には、僕も出るんだ。あのベロテニア人と同じ『調薬』の分野でね。『調薬』は『調茶』の基礎だろう? 『調茶師』である君に相応しくありたいために、僕も『調薬』を研究したんだ。あの学校で」
ふるっとファンヌの背筋に悪寒が走る。
「じゃ、僕は中に行くよ。君はどうするのかな?」
クラウスと共に中に入ることは癪であったが、時間になってしまったため、ファンヌも慌てて会場内に入った。
中に入ると、クラウスは迷わずに前の方に向かって歩いていく。研究発表をすると言った彼の言葉は本当なのだろう。ファンヌは会場を大きく見回して、エルランドを探した。彼は、後方の窓際に座っていた。ファンヌは慌てて彼の隣の席に座った。
「遅かったな」
「ごめんなさい。クラウス様に捕まってしまいました」
先ほどの件をエルランドに隠すつもりはない。
「そうか……。悪かったな」
側にいなくて悪かった。エルランドはきっとそう言いたかったのだろう。
エルランドがファンヌの前に何かを差し出した。どうやら今日の研究発表のプログラムと論文誌のようだ。
チリチリンと鐘が鳴った。最初の研究発表が始まる。
ファンヌは今日のプログラムにざっと目を通した。最後にマルクスの名があったが、クラウスの名も併記されていた。
(もしかして。マルクス先生の共同研究者がクラウス様?)
発表が始まっていたが、ファンヌは論文誌をペラペラとめくっていた。目的はマルクスとクラウスの論文の中身だ。
論文誌をめくる手がなぜか震えていた。理由はわからない。論文のテーマもプログラムで確認したはずなのに、なぜかファンヌの心臓がバクバクと音を立てている。
だが、論文の中身はテーマ通りのものであった。マルクスがずっと研究を続けていた『頭髪を豊かにする薬』についての効能と、それの応用方法だった。この応用方法というのが興味深く、同じ『薬草』であっても、保管方法や温度によって効能が変化すること。『頭髪を豊かにする薬』と同じ配合で『調薬』しても、『調薬』した環境によっては、違う効能を示す薬ができあがることが、式や表を用いて記されていた。かなりの数の実験も行われたようで、それを示す数値も記されている。
(すごい……)
これをあのマルクスとクラウスがやり遂げたというのが、ファンヌには信じられなかった。
(クラウス様……。努力なされたのね……)
ズキンとファンヌの胸が痛んだ。
37
お気に入りに追加
3,503
あなたにおすすめの小説
妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます
冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。
そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。
しかも相手は妹のレナ。
最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。
夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。
最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。
それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。
「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」
確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。
言われるがままに、隣国へ向かった私。
その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。
ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。
※ざまぁパートは第16話〜です
【完結】王女と駆け落ちした元旦那が二年後に帰ってきた〜謝罪すると思いきや、聖女になったお前と僕らの赤ん坊を育てたい?こんなに馬鹿だったかしら
冬月光輝
恋愛
侯爵家の令嬢、エリスの夫であるロバートは伯爵家の長男にして、デルバニア王国の第二王女アイリーンの幼馴染だった。
アイリーンは隣国の王子であるアルフォンスと婚約しているが、婚姻の儀式の当日にロバートと共に行方を眩ませてしまう。
国際規模の婚約破棄事件の裏で失意に沈むエリスだったが、同じ境遇のアルフォンスとお互いに励まし合い、元々魔法の素養があったので環境を変えようと修行をして聖女となり、王国でも重宝される存在となった。
ロバートたちが蒸発して二年後のある日、突然エリスの前に元夫が現れる。
エリスは激怒して謝罪を求めたが、彼は「アイリーンと自分の赤子を三人で育てよう」と斜め上のことを言い出した。
そういうとこだぞ
あとさん♪
恋愛
「そういえば、なぜオフィーリアが出迎えない? オフィーリアはどうした?」
ウィリアムが宮廷で宰相たちと激論を交わし、心身ともに疲れ果ててシャーウッド公爵家に帰ったとき。
いつもなら出迎えるはずの妻がいない。
「公爵閣下。奥さまはご不在です。ここ一週間ほど」
「――は?」
ウィリアムは元老院議員だ。彼が王宮で忙しく働いている間、公爵家を守るのは公爵夫人たるオフィーリアの役目である。主人のウィリアムに断りもなく出かけるとはいかがなものか。それも、息子を連れてなど……。
これは、どこにでもいる普通の貴族夫婦のお話。
彼らの選んだ未来。
※設定はゆるんゆるん。
※作者独自のなんちゃってご都合主義異世界だとご了承ください。
※この話は小説家になろうにも掲載しています。
ずっと好きだった獣人のあなたに別れを告げて
木佐木りの
恋愛
女性騎士イヴリンは、騎士団団長で黒豹の獣人アーサーに密かに想いを寄せてきた。しかし獣人には番という運命の相手がいることを知る彼女は想いを伝えることなく、自身の除隊と実家から届いた縁談の話をきっかけに、アーサーとの別れを決意する。
前半は回想多めです。恋愛っぽい話が出てくるのは後半の方です。よくある話&書きたいことだけ詰まっているので設定も話もゆるゆるです(-人-)
さよなら、皆さん。今宵、私はここを出ていきます
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【復讐の為、今夜私は偽の家族と婚約者に別れを告げる―】
私は伯爵令嬢フィーネ・アドラー。優しい両親と18歳になったら結婚する予定の婚約者がいた。しかし、幸せな生活は両親の突然の死により、もろくも崩れ去る。私の後見人になると言って城に上がり込んできた叔父夫婦とその娘。私は彼らによって全てを奪われてしまった。愛する婚約者までも。
もうこれ以上は限界だった。復讐する為、私は今夜皆に別れを告げる決意をした―。
※マークは残酷シーン有り
※(他サイトでも投稿中)
【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません
ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。
そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。
婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。
どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。
実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。
それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。
これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。
☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆
皇子の婚約者になりたくないので天の声に従いました
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
幼い頃から天の声が聞こえるシラク公爵の娘であるミレーヌ。
この天の声にはいろいろと助けられていた。父親の命を救ってくれたのもこの天の声。
そして、進学に向けて騎士科か魔導科を選択しなければならなくなったとき、助言をしてくれたのも天の声。
ミレーヌはこの天の声に従い、騎士科を選ぶことにした。
なぜなら、魔導科を選ぶと、皇子の婚約者という立派な役割がもれなくついてきてしまうからだ。
※完結しました。新年早々、クスっとしていただけたら幸いです。軽くお読みください。
全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。
彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる