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 病み上がりにも関わらず、ファンヌは出された食事を全て食べてしまった。食欲が戻ったということは、体調もよくなってきたということ。それでも今日は、大事をとって部屋でゆっくりと休むようにと、カーラから言われた。
 ファンヌ自身も身体が重い感じはしていたので、自室のソファで足を投げ出すようにして座りながら、薬草事典をペラペラとめくって眺めていた。
 ベロテニアに来てから、このように一人でのんびりと過ごすことはあまりなかった。常にエルランドが側にいたのだ。エルランドがいないときは、オスモやエリッサや彼に関係する人が一緒にいてくれた。
 だから今、こうやって一人でいることが寂しいと思えてしまう。
 むしろ、自分の気持ちを自覚したからこそ、エルランドのいない状況が寂しいのだ。不安ではない。ただ、寂しいだけ。
(そうか……。私、やっぱり先生のこと……)
 パタンと薬草事典を閉じ、お茶を飲むためにソファから立ち上がったとき――。
「ファンヌ。これにサインを頼む」
 ノックもせずにエルランドが勢いよく部屋に入ってきた。少し遅れてから、息を荒げたショーンもやってきた。間違いなく彼はエルランドを追いかけてきた。
「ぼぼぼぼぼ、坊ちゃん……。……、もう、少し……、段取りと、いうものが……」
 肩で息を大きくつきながら、必死でエルランドの行動を止めようとしているショーンの頭髪も少々乱れている。
「順番。その順番のためにこれにファンヌのサインが必要なのだろう?」
 何か間違えているのか、と言わんばかりに、エルランドはショーンを見ていた。だが、息があがっているショーンは、それ以上言葉を続けることができない。となれば、エルランドを止めるものは誰もいない。
「エルさん。それは何ですか?」
 扉の前に立っているエルランドの方に、ファンヌはゆっくりと近づいた。
「婚約誓約書というもののようだ。父上に報告にいったら、いくら相手が『番』であっても、すぐに結婚は無理だと言われた。婚約期間を経てからの方がいいらしい。だから、ファンヌ。オレと婚約してくれ」
 ここまで早口に喋っているエルランドは珍しい。長い前髪の下に隠れている碧眼も、らんらんと輝いている。
 だが、少し眼鏡の位置が下がっているようにも見える。急いで走ってきたから、眼鏡がずれてしまったのだろう。
(ちょっと待って。婚約してくれって。これって、求婚プロポーズ?)
 ショーンは何か言いたそうにエルランドを見ているが、太腿に両手をつき、腰を折り曲げながら息を整えている彼は、まだ何も言葉にすることができないようだ。
「エルさん。婚約、結婚となると、私も両親に伝える必要がありますので」
 ファンヌがそう口にすると、ショーンは「よくぞ言ってくれました」と言わんばかりに顔を輝かせていた。
「その辺も心配する必要は無い。君の両親からも許可はもらっている」
「え?」
 ファンヌが驚くと、ショーンも同じように驚いていた。
 エルランドは右手の親指と中指で眼鏡を挟むようにして押し上げた。
「先ほど、転移魔法でヘンリッキさんたちに手紙を送った。そうしたら、すぐに返事がきた」
 エルランドだけでなく、両親の行動の早さにもファンヌは目を白黒させてしまう。
「これだ」
 エルランドが一通の封書を渡してきた。封が開けられているのは、エルランドが中身を確認したからだろう。ファンヌは恐る恐る封の中から、便箋を取り出した。
「何ですか? これ」
 便箋に大きく書かれていたのは『レ』のみ。その下に両親の署名。ぱっと見たら、両親の名前しか書かれていない手紙にも見える。
「つまり、許可をするという意味だろう。君の両親も急いでいたのだろうな。すぐさま確認をして、署名をいれてくれた。まあ、オレが急ぎで返事が欲しいと書いたからだと思うが」
 一体彼がどのような内容の手紙を両親に送ったのか、内容が気になるところであったが、たった一筆の内容を返事として送ってきた両親の方が気になって仕方ない。
(これは、間違いなくお母様の仕業よ)
 ファンヌにはこの返事を書いたのは、ヒルマであると確信していた。ヘンリッキであるなら、きちんと文章を綴ってくるはず。
「ところで、エルさん。なんでこれだけで私の両親が婚約を許可するとわかるのですか?」
 ヒルマとエルランドが秘密の暗号でやり取りをしているような気もして、ファンヌの心の奥にはもやもやとしたどす黒い気持ちも生まれていた。
「この印は、テストで正解のときにつける印だろう? 間違っているときはバツ印だ」
「そう言われると、そうですが……」
「オレがファンヌと婚約させて欲しいというお願いをした。それの答えに正解の印で返事がきたのだから、問題ないということだ」
 これはもう目を白黒させるどころの話ではない。口も重力に負けて、ポカンと開いてしまう。
「ファンヌはオレと婚約をするのが嫌なのか?」
「嫌ではありません……。ただ、あまりにも物事が急に進み過ぎてしまって。頭がついていかないのです」
 そこに両親から届いた暗号のような手紙。さらにファンヌの頭を混乱させる。
「坊ちゃま。ファンヌ様のおっしゃる通りです。まずは、そちらにお座りください」
 やっと息を整えたショーンが、助けに入ってくれた。
「そうですね。エルさんも王宮からお戻りになられたばかりですし、お疲れですよね。一緒にお茶でもいかがですか?」
 ファンヌがショーンの言葉に続けてそう言えば、ショーンの顔にも「さすがです」と笑みが浮かんでいる。
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