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◇◆◇◆
とにかく身体も熱くて目の前は真っ暗であった。同時に痛み出す身体の節々。
熱くて暗くて痛む世界。
この世界から助けて欲しくて、ファンヌは助けを呼ぶ。すると、優しい手がファンヌの頭を優しく撫でてくれる。さらに、冷たいものを額に当てて、熱を取り去ろうとしているようにも感じた。
そこからは日なたと葉っぱの匂いが交じり合った、独特の香りがした。それは、毎日のように薬草に触れている彼の匂いによく似ていた。
(先生……。エル……)
エルランドなら熱くて暗くて痛む世界から救ってくれるかもしれない、とファンヌは思い、彼に助けを求める。
その助けが彼に届いているのかどうかもわからない。声が出ているのかさえもわからない。
暗くて何も聞こえない世界。
不安は募るばかりで、目尻からは少しだけ涙が溢れてくる。胸にはチクッとした痛みが走る。
口の中にじんわりと苦みが広がった。
必死に彼の名を呼び続ける――。
ファンヌが目を覚ますと、すぐさまエルランドの顔が視界に飛び込んできた。どうやら椅子に座っていた彼は、ずっとファンヌの顔を覗き込んでいたようだ。
寝台の横にわざわざどこからか椅子を引っ張りだしてきて、そこに座ってじっと彼女の様子をみていたのだろう。
「あ、おはようございます……」
長い間夢の世界にいた感じがするファンヌは、今が朝か昼か夜さえもわからなかった。ただ、レースのカーテンの向こう側が明るいことから、日が出ている時間帯であることはわかった。雨戸も開け放たれていて、もう雨の音は聞こえない。
「おはよう。熱は……、下がったみたいだな」
口元に笑みを浮かべたエルランドの手が、ファンヌのおでこに触れた。ひんやりとした彼の手は心地よい。
「お腹。空いていないか? 君は熱を出して、ずっと寝ていたんだ」
「ずっと? ずっとってどれくらいですか?」
「丸一日。正確には一日半か」
つまり、昨日という日が、すっぽりとファンヌから消え去ってしまったことになる。
雨の中、エルランドと帰宅したことは覚えている。その後、お風呂も入り食事もして、夜になって普通に寝台に潜り込んだのだ。そこから、ただ長い夢を見ていたような気がするのだが。そして、その夢がとても嫌な感じがする夢であったことも、なんとなく覚えている。
「ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」
「いや。あの雨の中、連れ出したオレが悪かった。君の体調も悪かったのに。何か、食べるか? それとも喉は乾いていないか?」
甲斐甲斐しく世話を焼こうとするエルランドが、可愛く見えてきた。
「では、ベロテニアの白茶を」
「わかった。準備ができるまでまだ寝ていろ」
すっとエルランドが立ち上がると、ファンヌは彼の姿を目で追った。寝ていろと言われても、充分過ぎるくらい寝てしまったため、そろそろ起き上がりたい。
ファンヌは視線を天井に戻した。
エルランドの姿を見ると、胸が痛くなるからだ。
そそうやって感じる胸の痛みを、オスモは病気ではないと言っていた。
それとなくサシャに尋ねると、彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
(やはり……。サシャが言っていた通りなのかしら)
だからあの研究室で、エルランドが隣に座っただけでバクバクと心臓が音を立てたのだろうか。
(わからない……。だからって、本人に言っていいのかどうかも、わからない)
「ファンヌ。お茶が入ったぞ」
エルランドの声で、ファンヌはもう一度視線を彼に向けた。エルランドは満面の笑みでファンヌを見つめている。
ファンヌが身体を起こそうとすると、彼はすかさず手を背中に回してくる。
「起き上がれるか?」
「はい、大丈夫です」
エルランドに手を引かれるようにして、ソファまでゆっくりと歩き、彼と並んで座る。
「また、熱がぶり返すといけないから、これを羽織っていなさい」
彼から手渡されたのは、厚手の上着。部屋は充分に暖められているが、温かい毛布から抜け出してきたため、少し肌寒いと感じていた。
「ほら。君が飲みたがっていた白茶だ」
「ありがとうございます」
エルランドから渡されたカップを両手で包む。白茶独特の香りが湯気と共にファンヌの顔を包んだ。波打つカップの表面を見ると、情けない自分の顔が映っていた。カップを傾けて一口飲むと、温かさがじんわりと身体を満たしていく。
一息ついて、カップをテーブルの上に戻した。
「みっともない恰好をお見せして、申し訳ありません。今も、見苦しいですよね……」
寝間着用の薄いワンピースの上に厚手の上着。人前に出られるような恰好ではない。そもそも、このような寝間着姿をエルランドに見せたことなど一度も無い。
「いや、オレとしては役得、ではなく。寒くはないか?」
「はい」
「よかった。君が熱を出したと聞いて、気が気でなかった。本当に、気が付かなくて悪かった。薬は、オレが『調薬』した」
「だから、すぐに熱が下がったんですね」
夢の中で、何やら苦い物を飲んだ記憶はある。解熱剤の欠点は苦いことだ。
使用する薬草の特徴から、どうしても苦い薬が出来上がってしまう。特に、その苦みを子供たちは嫌がる。これを如何にして飲みやすくするか、というのもエルランドとファンヌの共通研究の一つでもあった。茶葉の力を借りて液体にするなど、それなりに研究は進んでいるのだ。
「何か、食べ物をもらってこようか? スープとか」
立ち上がろうとするエルランドの服の裾を、ファンヌは思わず掴んでいた。
とにかく身体も熱くて目の前は真っ暗であった。同時に痛み出す身体の節々。
熱くて暗くて痛む世界。
この世界から助けて欲しくて、ファンヌは助けを呼ぶ。すると、優しい手がファンヌの頭を優しく撫でてくれる。さらに、冷たいものを額に当てて、熱を取り去ろうとしているようにも感じた。
そこからは日なたと葉っぱの匂いが交じり合った、独特の香りがした。それは、毎日のように薬草に触れている彼の匂いによく似ていた。
(先生……。エル……)
エルランドなら熱くて暗くて痛む世界から救ってくれるかもしれない、とファンヌは思い、彼に助けを求める。
その助けが彼に届いているのかどうかもわからない。声が出ているのかさえもわからない。
暗くて何も聞こえない世界。
不安は募るばかりで、目尻からは少しだけ涙が溢れてくる。胸にはチクッとした痛みが走る。
口の中にじんわりと苦みが広がった。
必死に彼の名を呼び続ける――。
ファンヌが目を覚ますと、すぐさまエルランドの顔が視界に飛び込んできた。どうやら椅子に座っていた彼は、ずっとファンヌの顔を覗き込んでいたようだ。
寝台の横にわざわざどこからか椅子を引っ張りだしてきて、そこに座ってじっと彼女の様子をみていたのだろう。
「あ、おはようございます……」
長い間夢の世界にいた感じがするファンヌは、今が朝か昼か夜さえもわからなかった。ただ、レースのカーテンの向こう側が明るいことから、日が出ている時間帯であることはわかった。雨戸も開け放たれていて、もう雨の音は聞こえない。
「おはよう。熱は……、下がったみたいだな」
口元に笑みを浮かべたエルランドの手が、ファンヌのおでこに触れた。ひんやりとした彼の手は心地よい。
「お腹。空いていないか? 君は熱を出して、ずっと寝ていたんだ」
「ずっと? ずっとってどれくらいですか?」
「丸一日。正確には一日半か」
つまり、昨日という日が、すっぽりとファンヌから消え去ってしまったことになる。
雨の中、エルランドと帰宅したことは覚えている。その後、お風呂も入り食事もして、夜になって普通に寝台に潜り込んだのだ。そこから、ただ長い夢を見ていたような気がするのだが。そして、その夢がとても嫌な感じがする夢であったことも、なんとなく覚えている。
「ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」
「いや。あの雨の中、連れ出したオレが悪かった。君の体調も悪かったのに。何か、食べるか? それとも喉は乾いていないか?」
甲斐甲斐しく世話を焼こうとするエルランドが、可愛く見えてきた。
「では、ベロテニアの白茶を」
「わかった。準備ができるまでまだ寝ていろ」
すっとエルランドが立ち上がると、ファンヌは彼の姿を目で追った。寝ていろと言われても、充分過ぎるくらい寝てしまったため、そろそろ起き上がりたい。
ファンヌは視線を天井に戻した。
エルランドの姿を見ると、胸が痛くなるからだ。
そそうやって感じる胸の痛みを、オスモは病気ではないと言っていた。
それとなくサシャに尋ねると、彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
(やはり……。サシャが言っていた通りなのかしら)
だからあの研究室で、エルランドが隣に座っただけでバクバクと心臓が音を立てたのだろうか。
(わからない……。だからって、本人に言っていいのかどうかも、わからない)
「ファンヌ。お茶が入ったぞ」
エルランドの声で、ファンヌはもう一度視線を彼に向けた。エルランドは満面の笑みでファンヌを見つめている。
ファンヌが身体を起こそうとすると、彼はすかさず手を背中に回してくる。
「起き上がれるか?」
「はい、大丈夫です」
エルランドに手を引かれるようにして、ソファまでゆっくりと歩き、彼と並んで座る。
「また、熱がぶり返すといけないから、これを羽織っていなさい」
彼から手渡されたのは、厚手の上着。部屋は充分に暖められているが、温かい毛布から抜け出してきたため、少し肌寒いと感じていた。
「ほら。君が飲みたがっていた白茶だ」
「ありがとうございます」
エルランドから渡されたカップを両手で包む。白茶独特の香りが湯気と共にファンヌの顔を包んだ。波打つカップの表面を見ると、情けない自分の顔が映っていた。カップを傾けて一口飲むと、温かさがじんわりと身体を満たしていく。
一息ついて、カップをテーブルの上に戻した。
「みっともない恰好をお見せして、申し訳ありません。今も、見苦しいですよね……」
寝間着用の薄いワンピースの上に厚手の上着。人前に出られるような恰好ではない。そもそも、このような寝間着姿をエルランドに見せたことなど一度も無い。
「いや、オレとしては役得、ではなく。寒くはないか?」
「はい」
「よかった。君が熱を出したと聞いて、気が気でなかった。本当に、気が付かなくて悪かった。薬は、オレが『調薬』した」
「だから、すぐに熱が下がったんですね」
夢の中で、何やら苦い物を飲んだ記憶はある。解熱剤の欠点は苦いことだ。
使用する薬草の特徴から、どうしても苦い薬が出来上がってしまう。特に、その苦みを子供たちは嫌がる。これを如何にして飲みやすくするか、というのもエルランドとファンヌの共通研究の一つでもあった。茶葉の力を借りて液体にするなど、それなりに研究は進んでいるのだ。
「何か、食べ物をもらってこようか? スープとか」
立ち上がろうとするエルランドの服の裾を、ファンヌは思わず掴んでいた。
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