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 一国の王太子の婚約者であったのに、浮気相手が子供を授かったから捨てられた女だ。そのような自分がベロテニアの王族の相手として相応しいとも思えない。
 ゆっくりと口を開いたのは国王だった。
「ファンヌ嬢。先ほども言ったが、我々の相手は何よりも『番』であることが優先される。君にどのような過去があろうと、エルランドが認めたのであれば、気にする必要はない。むしろ、エルランドはこんな性格だからね。君のような女性がエルランドの手綱を握ってくれると、こちらとしても非常に助かる」
 国王の言葉は穏やかでありながら、重みがある。そして、優しさも滲み出てきた。リヴァス国王と同じ国王とは思えないほどに。
 王妃もにっこりと微笑んだ。
「それにね。エルランドはローランドの臣下として、この王宮で王宮薬師として働くことが決まっているのよ。もしよかったら、あなたも王宮調茶師としてここで働いてみたらどうかしら」
 さすがエルランドの母親なだけのことはある。王妃はファンヌが興味を持ちそうな言葉を並べ立ててくる。もちろんそれは、ファンヌにとって魅力的なお誘いであった。もちろん、彼女が出した答えは。
「はい。やりま……」
 とファンヌが言いかけた時、エルランドにその口を手でふさがれ、続きの言葉は彼の手の中に消え去った。
「母上。適当なことをファンヌに吹き込まないでください」
「あら、適当なことではないでしょう? ローランやルフィが言った通り、どうせ『研究』を餌にして、彼女を連れてきたのでしょう? だから私は、それを叶えさせてあげようとしただけよ」
「ですが。王宮で働かせるのは反対です」
 エルランドが、銀ぶち眼鏡の下で目を吊り上げる。
「どうして?」
 息子とは正反対に、王妃の目尻は下がっていた。
「不特定多数の人間が出入りする……」
 呟くようにエルランドは言葉を吐き出した。
「だったら、あなたのところで働かせればいいじゃないの」
「うっ……」
「まさか。連れてきたのはいいけれど、その後のことは何も考えていませんでした。って、そういう顔をしているけれど?」
「うぅ……」
 二人の話を黙ってきいていたファンヌは、エルランドの腕を手でとんとんと叩いた。先ほどから口元を塞がれているため、少し息苦しいのだ。
「はぁ……。先生、苦しかったです」
「す、すまない……」
 またエルランドは身体を小さくする。
「で、先生。私はこちらで先生のお手伝いをすればよろしいですか? よろしいですよね」
 ファンヌにそこまで言われてしまったら、エルランドも拒否することができない。
「そ、そうだな……。頼む……」
 もちろん彼はファンヌに弱い。それは彼女が彼の下で研究を始めた当初からである。
 理由は明確である。それにファンヌも気付いた。
 彼女がエルランドの『番』だからだ。彼女に嫌われたくないという気持ちが、彼をそうさせているのだろう。
 だけど、ファンヌはエルランドのその気持ちを利用するつもりは無かった。今までと同じように接しているつもりだし、これからもそうするつもりであった。
「まぁ。仲が良いみたいで、嬉しいわ」
 目の前の王妃が、ころころと陽だまりのように笑っていた。

 王宮からの帰り道。ファンヌはエルランドと肩を並べて歩いていた。エルランドがファンヌの歩調に合わせているのだ。太陽は西に傾いていて、二人の影を長く作り出していた。思っていたよりあそこに長居してしまった。
「その……。すまなかった。黙っていて」
 エルランドが口にした謝罪は、『番』のことだろう。
「誰だって言いにくいことはありますから」
 それはファンヌが身をもって知ったこと。クラウスと婚約が決まり、言いたい言葉を何度飲み込んだことか。
「ですが。もしかしたら、私は先生の気持ちに答えることができないかもしれません。今はまだ……」
「ああ」
「やっとあの人との婚約が解消できたことが嬉しくて。今は愛だの恋だの、そういったことから離れたいのです」
「ああ。君の気持ちは尊重するし、オレとしては君には『研究』を続けてもらいたいと思っている」
「ありがとうございます。私、先生のそういうところは好きです」
 好きと言われ、にやける口元を押さえるエルランド。
「ああ、そうだ。忘れていた」
 そしてそれを誤魔化すかのように言葉を続ける。
「君をオレの師匠に会わせようと思っていたんだ。オレがリヴァス王国に行くきっかけを与えてくれた師だ」
「つまり、先生の先生ですね」
「そういうことだ。あとで紹介しよう」
「はい、ありがとうございます。……、あ……」
 そこでファンヌは何か大事なことを思い出したように立ち止まった。
「どうした?」
 エルランドも立ち止まり、ファンヌを見下ろす。
「薬草園を案内してくださる約束も忘れないでくださいね」
「もちろんだ」
 そう言って笑みを浮かべているエルランドは、太陽の光を浴びて眩しく見えた。
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