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夫42歳、妻23歳、娘7歳(9)

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「それは困るな」

 男性の低い声が響いた。

 声は、この牢の入り口に繋がる階段の上から聞こえてきた。顔をあげると、入口の扉は開いていて、幾人かの人影が見える。だが、逆光になっているためその姿は影となり、誰であるかをはっきりと目にすることはできない。

 それでも、この声はよく知っている。

「お前たち。あいつらを捕らえろ」

 複数の足音が、中へと入ってくる。だが、オネルヴァはその手を緩めない。
 先ほどから悶え続けている男は、軍服姿の男たちに身体を拘束される。その周囲にいた取り巻きたちの男も同様に。

「オネルヴァ。離れなさい」

 カツンカツンとブーツ音を響かせながら、ゆっくりと近づいてくる男はイグナーツだ。見間違えるはずもない。

「あとは俺たちにまかせなさい」

 その声に、オネルヴァは首を横に振る。

「この人を生かしておけば、また同じようなことを繰り返します。わたくしも、この女も、生きていてはならないのです」

 もう母親とは呼ばない。この人を生かしておけば、誰かに寄生して、こうやってオネルヴァを狙ってくる。そのたびに、周囲の者を巻き込むのであれば。

「オネルヴァ……。それでも俺は、君に生きてほしい」

 イグナーツがゆっくりと近づいてくる。一歩、また一歩。

 オネルヴァは、ナイフを握りしめている右手にきゅっと力を込めた。刃先が皮膚に食い込む。
 彼はすべてを許すかのようなあたたかな眼差しで近づいてくる。そんな彼から目が離せない。

 だから気がついた。イグナーツたちの拘束から逃れたシステラ族が一人、物影に隠れていたのだ。
 両手で剣を握り、イグナーツめがけて走ってくる。

「閣下」

 イグナーツが剣を抜くより先に動いたのはミラーンである。

「イグナーツ殿」

 タタッと勢いよく階段を駆け下りてくる男もいる。

「アルヴィド、兄さま……?」

 イグナーツに剣を向けている男は、まずミラーンによって足をかけられ倒れそうになった。すかさずアルヴィドが手刀で男と剣を引き離す。

 そんなやり取りをぽかんと見つめていたオネルヴァの目の前には、いつの間にかイグナーツが立っていて、オネルヴァの手首を優しく捕らえた。

「君に、このようなものは似合わない」

 その隙を見てカトリオーナは身をかがめ、オネルヴァの腕の中から逃げ出す。だが、逃げ出した途端、その場から動けないようだ。

「悪いが、あなたを拘束させてもらった」

 イグナーツが魔法によって拘束したのだ。だが、拘束魔法はその魔法を使っている者が側にいなければ、持続しない。となれば、最終的には拘束具で拘束する必要がある。

 カトリオーナに拘束具をつけたのはアルヴィドであった。

「情をかけて修道院へと送りましたが、あなたにはいらぬものでしたね」
「オネルヴァ……。何もかも、あんたのせいよ……」

 カトリオーナの眼は血走っており、きつくオネルヴァを睨みつけてくる。

「なぜ『無力』が蔑みの対象となっているかわかる? 国を傾けるからよ。『無力』がいると国が亡びるの。だから、あなたの父親も兄もみんな死んでしまったでしょう? あなたのせいよ」

 石造りの牢内に、女の金切り声が響いた。

「違うな」

 オネルヴァの腕を掴んでいるイグナーツが、静かに言い放つ。

「キシュアスの前王が討たれたのは、オネルヴァが『無力』だからではない。民のことを顧みず、己の欲にまみれたのが原因だ」
「違う。この子のせいよ。この子が『無力』だから。この子のせいで、あの人は……。私は……。お前なんて、産まれてこなければよかったのに!」

 オネルヴァだってわかっていた。そうでなければ、二十年以上もあんな場所に閉じ込められていない。生きているのに、いないような存在とされていたのだ。

 だが、これでわかった。『無力』であるのが罪な理由。それは国を亡ぼす。だからオネルヴァの父であった前王は討たれた。
 目の前の女は、そう思っているのだ。

「イグナーツ殿。これはこちらの責任だから、俺たちが連れていく。イグナーツ殿はオネルヴァを頼む」
「ああ。後は任せた」
「閣下。北軍の指揮は私が執りますので、奥様をお願いします」

 ミラーンはぴしっと頭を下げてから、階段を駆け上がっていく。

 薄暗い牢内に、オネルヴァはイグナーツと共に取り残された。

 イグナーツは上着を脱ぐと、オネルヴァの肩にそっとかける。
 あの男に引き裂かれた萌黄色のワンピースは、みすぼらしいことになっているし、下着すら見えていた。
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