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妻が気になる夫と娘が気になる妻(10)

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 すべてを整えて、隣の部屋へ行こうと扉を開けた瞬間、すぐさま這うようにして一筋の光が伸びていく。その光が辿り着いた先には寝台がある。

 物音を立てぬように静かに扉を閉めれば、闇に包まれる。目が慣れるまでその場に立ち尽くし、周囲がほのかに認識できるようになったところで、そろりそろりと寝台へと向かう。

 規則正しい寝息が聞こえる。

 掛布は胸元までにしかかかっておらず、胸が静かに上下している。日に日に暖かさが増す季節であっても、夜はぐんと気温が下がる。
 掛布に手を伸ばしたイグナーツは、それを彼女の肩が隠れるくらいの位置にかけ直した。

「んっ……」

 規則性が途切れた。慌てて彼女から手を引く。起こしてしまっただろうか。

 彼女に触れたいと思いながらも、触れるのが怖い。この情欲に気づかれるのが恐ろしい。

 すぅすぅと、再び規則的な寝息が聞こえてきた。

 共に寝たいと口にしたイグナーツであるが、それは彼女が戸惑う様子をみたいという意地悪な気持ちも働いた。
 それも彼女はなんの疑いもなくその言葉を受け入れた。

 彼女がイグナーツを想う気持ちと、イグナーツが彼女を想う気持ちは異なるものだろう。

 オネルヴァはイグナーツを「家族」と呼ぶ。すなわち、見返りを求めない無償の愛というものだろう。だが、イグナーツはオネルヴァに触れたい。彼女を感じて、交わりたいと思っている。そういった邪な感情があるのだ。

 寝台に腰をおろし、彼女の顔を見下ろす。あどけない寝顔は、実年齢よりも幼く見える。子どもほど年の離れている彼女に、この気持ちを知られたくない。

 静かに頭に触れ、優しく撫でる。手触りのよい絹糸のような藍白の髪は、いつまでも触れていたいとさえ思う。

「んっ……」

 彼女の身体が震えたため、イグナーツは慌てて手を引いた。

 寝台を軋ませながら、ゆっくりと立ち上がる。
 このままここにいては危険だ。

 彼女の肩までしっかりと掛布がかかっているのを確認してから、音を立てぬように静かにその場を去った。
 後ろ髪を引かれる思いで部屋を出る。扉をなかなか閉められない。できることなら、彼女の側にいたい。
 だけど、いたくない。

 静かに扉を閉めた。



 次の日の朝――。
 なぜかオネルヴァの顔をまともに見ることができなかった。一緒に寝たいと口にしたのに、彼女から逃げ出したのだ。

「旦那様、どうかされましたか?」

 先ほどからチラチラと彼女を見ては視線を逸らし、また彼女を見ていた。その仕草に気づかれたのだろう。

「いや……」

 オネルヴァの隣にはエルシーもいる。迂闊なことは言えない。

「お父さま。お仕事のしすぎです。だから、疲れているのだと思います」

 エルシーが真顔で訴えてくる。

「そうですね。今朝も早く起きたのですよね。もう少し、ゆっくりしてはどうですか? それともやはり、いろいろとお忙しいのでしょうか」

 オネルヴァの言葉で、イグナーツはなんとなく彼女が思っていることを察した。
 一緒に寝たが、イグナーツが先に起きたと思っているのだ。

「あ、ああ。休み明けというのもあったからな。少々仕事がたまっていた」

 この言葉に偽りはない。毎日、目を通さなければならない書類はある。イグナーツ以外の者が確認すればいいものはそちらに回すが、どうしてもイグナーツの決裁が必要なものだってある。そういったものは、いつまでも机の上の場所をとっていた。

「まだ、お仕事は忙しいのですか?」

 そうエルシーに聞かれてしまっては、「もう、大丈夫だ」としか答えられない。

「今日は、早く帰ってきますか?」

 エルシーの目がきらきらと輝いている。こうやって帰りを待っていてくれるのは、嬉しい。そして、そのような表情を見せるエルシーが可愛い。

「ああ。できるだけ早く帰ってくるよ」
「今日は、お母さまと一緒に、ラベンダースティックを作るのです。お父さまの分も作りますね」
「ラベンダースティック?」

 イグナーツには聞き慣れない言葉だ。

「はい。本当はエルシーと匂い袋を作ろうと思っていたのですが、この時期はラベンダーが綺麗ですので。ラベンダーの香りを楽しめるように、スティックにしようと思っています」
「どういうものだ?」

 イグナーツはラベンダースティックなるものがわからない。目にしたことがあるかもしれないが、そのものがわからないのだから、わからない。

「それは……」

 どう表現したらいいのかと、オネルヴァも悩んでいる様子だった。

「できてからの、お楽しみです」

 そう答えたのはエルシーだった。




*~*~苺の月二十二日~*~*
『きょうは おかあさまとラベンダースティックをつくりました
 ラベンダーを リボンでくるくるとまいていきます

 おかあさまのつくったものは とてもきれいでした
 エルシーのは ちょっとだけ がたがたになりました

 おとうさまにあげたら とてもよろこんでくれました
 おかあさまにあげたら おどろいていました

 つぎはもっときれいにつくりたいです
 ラベンダーは とてもいいにおいがします』
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