43 / 76
妻が気になる夫と娘が気になる妻(9)
しおりを挟む
◇◆◇◆ ◇◆◇◆
年甲斐もなく、彼女に反応してしまったことを恥じていた。
目の前で食事の準備をしている彼女を意識しないように、気持ちを鎮める。
だが、じっと彼女を見つめ過ぎたようだ。
イグナーツの視線に気づいたオネルヴァは首を傾げてニッコリと笑う。
「どうかされましたか? まだ気分がすぐれませんか?」
「いや……」
そう答えてみるが、腹の奥底には怒りの火種がくすぶっていた。あれだけイグナーツをたぎらせておきながら、その原因を作った彼女は、何事もなかったかのような表情をしている。
「旦那様、食事の準備が整いましたので。わたくしは先に休ませていただきますね」
その場を立ち去ろうとする彼女の手首を、がしっと掴む。
「今日は、その……君と共に寝たいのだが?」
そう言葉をかけたときの、彼女の反応が見たかった。少しは意識してくれるのだろうかという淡い期待を抱きながらも、やはりそのような感情が生まれている事実が腹立たしくも感じる。
自分で自分の気持ちがわからず、うまく制御ができない。
「承知しました。旦那様のお部屋にいけばよろしいですか?」
「いや……二人の部屋で……」
口の中がからからに渇いていた。
「はい。旦那様の魔力が、まだ安定していないのですね」
違う、と言いたかったが、その言葉を吞み込んだ。彼女に振り回されているのが悔しい。
「今も、お側にいたほうがよろしいでしょうか?」
即答できなかった。
いて欲しいし、いて欲しくない。
「いや……先にいって休んでいなさい……。今日はこのような時間にまで付き合ってくれて、ありがとう……」
彼女の手首を解放した。
オネルヴァは蕩けるような笑みを浮かべて、頭を下げた。
部屋を出ていくまでの一連の動作を、目で追ってしまう。
扉がしっかりと閉じられてから、イグナーツは深く息を吐いた。
なぜに、二人で寝たいなどと口走ってしまったのか。
心のどこかに罪悪感すら芽生えている。
イグナーツがこの時間に食べるのは、野菜や肉を柔らかく煮込んだスープである。時間も遅く、年も年であるため、食べ物によっては次の日に影響も出る。だからといって食べないでいると、寝台に潜り込んで休もうとすると、一気に空腹を感じる。
そのような中でちょうどよく食べられるのが、このスープなのだ。
薄い味付けは素材の味を生かすためと、イグナーツの身体を考えてのことだろう。
だが今は、何も味を感じなかった。ただ紙を食べているような感覚にとらわれる。
それでも義務的に手を動かし、スープを腹の中へとおさめていった。
食べ終えた食器をワゴンへと戻す。呼び鈴を鳴らせば、この時間であってもパトリックが取りにくるだろう。だが、時間も時間なだけに気が引けた。
部屋の外に置いておけば、気がついた誰かが片づけてくれる。
そろりと立ち上がったイグナーツは、執務席に深く座る。急ぎの書類に目を通し、必要なものには押印する。
いや、むしろ急ぎの案件などない。イグナーツが不在であってもパトリックをはじめとした使用人たちがなんとかしていたのだ。
最後の一枚の押印を終え、背中を椅子に預けた。ギシリと音が響く。
少し頭が痛いような気がした。手の甲を額に押し付け、目を閉じる。
間違いなくイグナーツはオネルヴァを意識している。彼女がここに来ることでそうなることは最初からわかっていた。きっと、彼女に惹かれるだろうと。イグナーツの本能がそうさせるだろうと。
だから最初にわざと牽制した。彼女に求めるのはエルシーとしての母親であって、イグナーツの妻ではないと。
だが、オネルヴァはイグナーツを家族だといい、救ってくれた。突き放したつもりだったのに、いつの間にか彼女に引き寄せられていた。
それが『無力』の力なのだ。イグナーツはいずれオネルヴァを求めるようになる。それがわかっていたからこそ、この結婚を引き受けたくなかった。
それでもエルシーを盾にされてしまっては引き受けるしかなかった。
そう思い返しながらも、本当にそうなのかと自問する。
エルシーを言い訳にしているだけではないのだろうか。
椅子を軋ませながら立ち上がり、部屋を出た。
年甲斐もなく、彼女に反応してしまったことを恥じていた。
目の前で食事の準備をしている彼女を意識しないように、気持ちを鎮める。
だが、じっと彼女を見つめ過ぎたようだ。
イグナーツの視線に気づいたオネルヴァは首を傾げてニッコリと笑う。
「どうかされましたか? まだ気分がすぐれませんか?」
「いや……」
そう答えてみるが、腹の奥底には怒りの火種がくすぶっていた。あれだけイグナーツをたぎらせておきながら、その原因を作った彼女は、何事もなかったかのような表情をしている。
「旦那様、食事の準備が整いましたので。わたくしは先に休ませていただきますね」
その場を立ち去ろうとする彼女の手首を、がしっと掴む。
「今日は、その……君と共に寝たいのだが?」
そう言葉をかけたときの、彼女の反応が見たかった。少しは意識してくれるのだろうかという淡い期待を抱きながらも、やはりそのような感情が生まれている事実が腹立たしくも感じる。
自分で自分の気持ちがわからず、うまく制御ができない。
「承知しました。旦那様のお部屋にいけばよろしいですか?」
「いや……二人の部屋で……」
口の中がからからに渇いていた。
「はい。旦那様の魔力が、まだ安定していないのですね」
違う、と言いたかったが、その言葉を吞み込んだ。彼女に振り回されているのが悔しい。
「今も、お側にいたほうがよろしいでしょうか?」
即答できなかった。
いて欲しいし、いて欲しくない。
「いや……先にいって休んでいなさい……。今日はこのような時間にまで付き合ってくれて、ありがとう……」
彼女の手首を解放した。
オネルヴァは蕩けるような笑みを浮かべて、頭を下げた。
部屋を出ていくまでの一連の動作を、目で追ってしまう。
扉がしっかりと閉じられてから、イグナーツは深く息を吐いた。
なぜに、二人で寝たいなどと口走ってしまったのか。
心のどこかに罪悪感すら芽生えている。
イグナーツがこの時間に食べるのは、野菜や肉を柔らかく煮込んだスープである。時間も遅く、年も年であるため、食べ物によっては次の日に影響も出る。だからといって食べないでいると、寝台に潜り込んで休もうとすると、一気に空腹を感じる。
そのような中でちょうどよく食べられるのが、このスープなのだ。
薄い味付けは素材の味を生かすためと、イグナーツの身体を考えてのことだろう。
だが今は、何も味を感じなかった。ただ紙を食べているような感覚にとらわれる。
それでも義務的に手を動かし、スープを腹の中へとおさめていった。
食べ終えた食器をワゴンへと戻す。呼び鈴を鳴らせば、この時間であってもパトリックが取りにくるだろう。だが、時間も時間なだけに気が引けた。
部屋の外に置いておけば、気がついた誰かが片づけてくれる。
そろりと立ち上がったイグナーツは、執務席に深く座る。急ぎの書類に目を通し、必要なものには押印する。
いや、むしろ急ぎの案件などない。イグナーツが不在であってもパトリックをはじめとした使用人たちがなんとかしていたのだ。
最後の一枚の押印を終え、背中を椅子に預けた。ギシリと音が響く。
少し頭が痛いような気がした。手の甲を額に押し付け、目を閉じる。
間違いなくイグナーツはオネルヴァを意識している。彼女がここに来ることでそうなることは最初からわかっていた。きっと、彼女に惹かれるだろうと。イグナーツの本能がそうさせるだろうと。
だから最初にわざと牽制した。彼女に求めるのはエルシーとしての母親であって、イグナーツの妻ではないと。
だが、オネルヴァはイグナーツを家族だといい、救ってくれた。突き放したつもりだったのに、いつの間にか彼女に引き寄せられていた。
それが『無力』の力なのだ。イグナーツはいずれオネルヴァを求めるようになる。それがわかっていたからこそ、この結婚を引き受けたくなかった。
それでもエルシーを盾にされてしまっては引き受けるしかなかった。
そう思い返しながらも、本当にそうなのかと自問する。
エルシーを言い訳にしているだけではないのだろうか。
椅子を軋ませながら立ち上がり、部屋を出た。
43
お気に入りに追加
1,288
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
結婚しましたが、愛されていません
うみか
恋愛
愛する人との結婚は最悪な結末を迎えた。
彼は私を毎日のように侮辱し、挙句の果てには不倫をして離婚を叫ぶ。
為す術なく離婚に応じた私だが、その後国王に呼び出され……
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
【完】あなたから、目が離せない。
ツチノカヲリ
恋愛
入社して3年目、デザイン設計会社で膨大な仕事に追われる金目杏里(かなめあんり)は今日も徹夜で図面を引いていた。共に徹夜で仕事をしていた現場監理の松山一成(まつやまひとなり)は、12歳年上の頼れる男性。直属の上司ではないが金目の入社当時からとても世話になっている。お互い「人として」の好感は持っているものの、あくまで普通の会社の仲間、という間柄だった。ところがある夏、金目の30歳の誕生日をきっかけに、だんだんと二人の距離が縮まってきて、、、。
・全18話、エピソードによってヒーローとヒロインの視点で書かれています。
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした
楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。
仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。
◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪
◇全三話予約投稿済みです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる