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秘密を知られた夫と秘密を知った妻(8)

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 ここは一体、なんの部屋だろうか。

 だがそれよりも、部屋の真ん中には苦しそうに胸元を押さえながらうずくまっているイグナーツがいる。

「旦那様。大丈夫ですか?」

 彼女は思わず駆け出し、イグナーツに触れた。
 ひくっと彼の身体は震え、オネルヴァを見上げてきた。

「……?!」

 イグナーツの目は血走っている。肩を上下させながら、苦しそうに呼吸をしている。どこからどう見ても具合が悪そうだ。

「旦那様、どうされたのですか?」

 この部屋の異様な光景も気になっていたが、苦しんでいるイグナーツのほうがもっと気になる。

「オネルヴァ……か?」

 そう呼ぶ声も途切れ途切れで、額にも玉のような汗をびっしりと浮かべている。

「はい。具合が悪いのですか?」

 オネルヴァは彼の茶色の瞳を覗き込んだ。吸い込まれそうなほど深いその瞳は、じっとオネルヴァを見つめている。

「あっ……」

 いつの間にか彼の腕の中にいた。少しだけバランスを崩し、膝を突いた。だが、彼から力強く抱きしめられているせいか、なんとか転ばずに済んだ。
 顔を上げると、目の前にはイグナーツの顔がある。

「す、すまない……。嫌なら、拒んでくれ……」

 そう声を絞り出すことすら、彼にとっては辛そうに見えた。

「嫌ではありませんが、どうされたのですか?」

 この結婚は形だけの結婚であったはず。なによりもオネルヴァはイグナーツの妻ではなく、エルシーの母親役としてここにいるのだ。

 なのになぜ、このように抱きしめられるといった行為をされたのだろうか。

「旦那様?」

 イグナーツの身体ですっぽりと覆われてしまったオネルヴァの心臓は、バクバクと高鳴っている。

 そもそもオネルヴァは人と触れ合ったことがない。やっとエルシーが与えてくれる温もりに慣れたところで、夫とはいえこのような大人の男性に抱き締められると、身体は強張ってしまう。

 エルシーとは違う体温に緊張するものの嫌悪感はなかった。こうすることで彼が苦しみから解放されるのであれば、このままこうしていてもいい。
 オネルヴァも、そろそろと彼の背に両腕を回す。きっと、このほうがいいはずだ。

「オネルヴァ……」

 熱い吐息と共に名を呼ばれ、ふるりと身体が震えた。

「すまない。もう少し、このままで……」
「はい……」

 顔を伏せた。きっとオネルヴァの頬には熱がこもっているだろう。このような顔を彼に曝け出すのが恥ずかしいと思えた。

 しばらくの間そうしていたが、抱きしめられた腕の力が弱くなっていく。

「すまなかった。助かった……」

 それでもオネルヴァはまだ顔をあげることができなかった。ただ静かに「はい」と返事をする。
 イグナーツの熱からは解放された。だが、彼も気まずいのか、オネルヴァのほうを見ようとはしない。

 オネルヴァは意を決し、顔をあげる。

「旦那様……」

 じっと彼を見つめると、耳の下まで赤くなっている。

「あの。このお部屋について、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 オネルヴァが気になっていたのは、この室内だった。至る所にうさぎのぬいぐるみが並べられている。しかもこのぬいぐるみに見覚えはあった。

「あ、あぁ……」

 イグナーツの歯切れが悪い。彼の顔も赤く染められたままである。

「こちらのぬいぐるみは、エルシーの部屋にあったものと同じぬいぐるみですね」
「そ、そうだな……」

 イグナーツは、まだオネルヴァと視線を合わせようとはしない。

「しかも、こんなにたくさん」

 オネルヴァが「たくさん」と口にしてしまったが、ざっと見積もってもうさぎのぬいぐるみは二十個ほど並んである。

 もしかして、エルシーが二十歳になるまでの分のぬいぐるみが並んでいるのだろうか。エルシーは誕生日のたびにこのぬいぐるみをプレゼントしてもらっていると言っていたからだ。
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