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秘密を知られた夫と秘密を知った妻(4)
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食事の時間は、エルシーに食事のマナーを教える時間でもある。エルシーの所作も、落ち着いてきたようだ。
たまに彼女の手元に視線を向けるが、すぐにエルシーに気づかれてしまう。そうすると彼女は、にかっと笑うのだ。そのときに別なところから視線を感じ、その視線の主を探るとイグナーツである。
彼は何も言わないが、こうやってときどきオネルヴァとエルシーをじっと見つめている。
エルシーと外で散歩をしているときもそうだ。屋敷の中からじっと見つめている。それだけエルシーのことを気にかけているのだろう。もしくは、オネルヴァを信用していないのか。
「オネルヴァ」
「はい」
「新婚旅行にも連れて行けずに、悪かったな」
突然、何を思って彼がそう言ったのか、オネルヴァには理解できなかった。
「お母さま」
いつも不穏な空気を和らげるのは、エルシーの役目だ。
「お母さまはお父さまと結婚式がしたいですか? エルシーはしたほうがいいと思うのです。お母さまがドレスを着たところを、エルシーは見たいのです」
「え?」
あまりにもの純真無垢な質問に、オネルヴァは答えるのを躊躇ってしまった。
「お父さまは若くないからって、結婚式をしたくないそうです」
エルシーの言葉がさも事実であるかのように、イグナーツの顔が徐々に赤くなっていく。
「エルシー。それは俺とオネルヴァの問題だ。子どもは黙っていなさい」
その言葉に、控えていたパトリックが反応した。だが、何かを言い返すわけではない。ただ冷たい視線でじっとりとイグナーツを見ているのだ。
「政略結婚とはいえ、結婚は結婚だからな。どこかでけじめをつけるべきだと思っただけだ」
それが新婚旅行に繋がったのだろうか。
「はい。旦那様のそのお気持ちだけで充分でございます」
オネルヴァのその言葉も社交辞令ではない。そうやって思ってくれるだけで、胸の奥が熱くなる。
「パトリック。俺がいない間、オネルヴァにはこの屋敷のことをいろいろと教えてやってくれ。女主人として、軍人の妻として何をすべきか」
パトリックは黙って頭を下げる。
本来であればもう少し早い時期からそういった内容を引き継ぐべきだったのだろう。今までのんびりとした時間を与えてもらっていたことに感謝をしつつも、イグナーツがよくわからなかった。
エルシーが勉強の時間は、オネルヴァは刺繍をして過ごす。イグナーツは執務室で仕事をこなしている。パトリックがそちらにつきっきりであるため、オネルヴァはヘニーから刺繍を勧められたのだ。
こういった細かい作業も嫌いではない。黙々と手を動かしながら、今後のことを考える。
女主人として求められるもの。まずは後継者を産むこと。だが、イグナーツにはすでにエルシーという娘がいる。本来であれば男子のほうが望ましいのかもしれないが、婿養子を迎えればいいので、後継者について大きな問題はないだろう。
となれば、あとはイグナーツが不在の間、この屋敷を取りまとめることを必要とされているのだろうか。
今までのんびりとさせてもらったのも、慣れない場所で暮らすオネルヴァを想ってのことだとヘニーが言っていた。
この屋敷の女主人であること。
エルシーの母親であること。
これがオネルヴァに求められるもの。
扉を叩かれ、動かしていた手を留める。
「エルシーお嬢様がお呼びなのですが」
ヘニーが遠慮がちに声をかけてきた。
「では、サロンに向かいます。エルシーにもそう伝えてください」
エルシーの勉強の時間が終わったのだ。勉強を終えた彼女はへろへろに疲れ切って、甘いお菓子を欲しがる。それに付き合うのがオネルヴァの役目でもあるのだが。
だが今日は、イグナーツにも声をかけてみようと思った。そのほうが、エルシーも喜ぶだろう。
刺繍道具をしまい、ヘニーに言付けると、イグナーツの執務室へと向かった。
*~*~苺の月九日~*~*
『いつも うさちゃんといっしょにねています
きのうは おとうさまと おかあさまとねました
おかあさまのてはやわらかくて いいにおいがします
おとうさまのては ごつごつしていて かたいです
おとうさまは あしたからおしごとです
でも おかあさまがいるから さびしくありません
あかちゃんがいたら もっとさびしくないです
エルシーは はやくおねえさまになりたいです』
たまに彼女の手元に視線を向けるが、すぐにエルシーに気づかれてしまう。そうすると彼女は、にかっと笑うのだ。そのときに別なところから視線を感じ、その視線の主を探るとイグナーツである。
彼は何も言わないが、こうやってときどきオネルヴァとエルシーをじっと見つめている。
エルシーと外で散歩をしているときもそうだ。屋敷の中からじっと見つめている。それだけエルシーのことを気にかけているのだろう。もしくは、オネルヴァを信用していないのか。
「オネルヴァ」
「はい」
「新婚旅行にも連れて行けずに、悪かったな」
突然、何を思って彼がそう言ったのか、オネルヴァには理解できなかった。
「お母さま」
いつも不穏な空気を和らげるのは、エルシーの役目だ。
「お母さまはお父さまと結婚式がしたいですか? エルシーはしたほうがいいと思うのです。お母さまがドレスを着たところを、エルシーは見たいのです」
「え?」
あまりにもの純真無垢な質問に、オネルヴァは答えるのを躊躇ってしまった。
「お父さまは若くないからって、結婚式をしたくないそうです」
エルシーの言葉がさも事実であるかのように、イグナーツの顔が徐々に赤くなっていく。
「エルシー。それは俺とオネルヴァの問題だ。子どもは黙っていなさい」
その言葉に、控えていたパトリックが反応した。だが、何かを言い返すわけではない。ただ冷たい視線でじっとりとイグナーツを見ているのだ。
「政略結婚とはいえ、結婚は結婚だからな。どこかでけじめをつけるべきだと思っただけだ」
それが新婚旅行に繋がったのだろうか。
「はい。旦那様のそのお気持ちだけで充分でございます」
オネルヴァのその言葉も社交辞令ではない。そうやって思ってくれるだけで、胸の奥が熱くなる。
「パトリック。俺がいない間、オネルヴァにはこの屋敷のことをいろいろと教えてやってくれ。女主人として、軍人の妻として何をすべきか」
パトリックは黙って頭を下げる。
本来であればもう少し早い時期からそういった内容を引き継ぐべきだったのだろう。今までのんびりとした時間を与えてもらっていたことに感謝をしつつも、イグナーツがよくわからなかった。
エルシーが勉強の時間は、オネルヴァは刺繍をして過ごす。イグナーツは執務室で仕事をこなしている。パトリックがそちらにつきっきりであるため、オネルヴァはヘニーから刺繍を勧められたのだ。
こういった細かい作業も嫌いではない。黙々と手を動かしながら、今後のことを考える。
女主人として求められるもの。まずは後継者を産むこと。だが、イグナーツにはすでにエルシーという娘がいる。本来であれば男子のほうが望ましいのかもしれないが、婿養子を迎えればいいので、後継者について大きな問題はないだろう。
となれば、あとはイグナーツが不在の間、この屋敷を取りまとめることを必要とされているのだろうか。
今までのんびりとさせてもらったのも、慣れない場所で暮らすオネルヴァを想ってのことだとヘニーが言っていた。
この屋敷の女主人であること。
エルシーの母親であること。
これがオネルヴァに求められるもの。
扉を叩かれ、動かしていた手を留める。
「エルシーお嬢様がお呼びなのですが」
ヘニーが遠慮がちに声をかけてきた。
「では、サロンに向かいます。エルシーにもそう伝えてください」
エルシーの勉強の時間が終わったのだ。勉強を終えた彼女はへろへろに疲れ切って、甘いお菓子を欲しがる。それに付き合うのがオネルヴァの役目でもあるのだが。
だが今日は、イグナーツにも声をかけてみようと思った。そのほうが、エルシーも喜ぶだろう。
刺繍道具をしまい、ヘニーに言付けると、イグナーツの執務室へと向かった。
*~*~苺の月九日~*~*
『いつも うさちゃんといっしょにねています
きのうは おとうさまと おかあさまとねました
おかあさまのてはやわらかくて いいにおいがします
おとうさまのては ごつごつしていて かたいです
おとうさまは あしたからおしごとです
でも おかあさまがいるから さびしくありません
あかちゃんがいたら もっとさびしくないです
エルシーは はやくおねえさまになりたいです』
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