22 / 76
妻子が可愛い夫と夫がよくわからない妻(8)
しおりを挟む
「君がそんなに不安になるのであれば、こちらも本音を口にしよう」
ぴくっとオネルヴァの身体が震えた。
「君が『無力』でありながら君を迎えたのはエルシーのためだ」
「エルシーのため、ですか?」
ああ、と彼は大きく頷く。
「俺に妻は必要ない。だが、エルシーに母親は必要だ。君に求めるのは、エルシーの母親役。母親としての役割を果たしてくれれば、俺は何も言わない。例え君が『無力』であったとしても」
オネルヴァは、膝の上においていた両手で、思わずドレスをぎゅっと握りしめた。
「それが、わたくしがここに存在する理由ですか?」
「そうだ。幸いなことに、エルシーも君になついている。それに、君がここに来てから、エルシーも明るくなったし、勉強にも前向きに取り組んでいる」
エルシーはオネルヴァのことを「お母さま、お母さま」と慕ってくれている。
「はい」
そうやって理由を与えられたほうが、『無力』であっても、気兼ねなくここにいられる。
「ありがとうございます」
オネルヴァの言葉にイグナーツは何も返さない。ただ、黙々とケーキを食べていた。
オネルヴァも自ら取り分けたケーキを一口食べた。彼女が取り分けたケーキは、イグナーツの半分にも満たない量だった。
「オネルヴァ」
「は、はい」
突然名を呼ばれ、身を強張らせる。
「前にも言ったが。君は食が細すぎる。エルシーよりも食べていないだろう?」
「エルシーは育ち盛りですから」
「それでも、君だって立派な成人した大人の女性だ。俺が知っている女性よりも、明らかに食べる量は少ない。ヘニーからも、君の食事量を心配する声があがってきている」
「申し訳、ありません……」
「いや、謝罪することではない。君が向こうでどのような暮らしをしていたかはわからないが……。ここではきちっと食べて、エルシーの見本になってもらうような女性でいてもらいたい。そのような女性が貧相であっては困るからな」
まるで今のオネルヴァが貧相に見えるかのような発言である。驚いて、目を真ん丸に見開いた。
「いや、そういう意味ではなく……。まあ、例えだ、例え」
イグナーツが慌てているため、オネルヴァはくすりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
慌てる彼が、なぜか可愛らしいと思えてしまった。
二人は黙々とケーキを食べた。
オネルヴァが一国の王女であったにもかかわらず、こうやって料理ができるのも、あそこでの幽閉生活が長かったせいだ。勉強する時間だけはたくさんあった。
「旦那様。エルシーが手紙を読んで、すぐにお返事が欲しいと言っておりました」
二人だけの静かなティータイムを終えようとしたときに、オネルヴァはいつまでたっても手紙を読まないイグナーツに向かってそう言った。
「すぐに? 何か、大事なことが書かれているのか?」
あとでこっそりと読もうとしていたにちがいない。エルシーからの手紙を手にしたイグナーツは立ち上がり、執務席の引き出しからペーパーナイフを取り出すと、丁寧に閉じられていた封筒をピリピリと開ける。
中から出てきたのは便箋一枚。それでも幼いエルシーが書いたと考えれば、立派なものだ。
手紙に目を走らせているイグナーツの眉間に、次第に深く皺が刻まれていく。
「どうか、されましたか?」
ドレスを握りしめながら、オネルヴァは尋ねた。
「いや……。エルシーが人参を食べられるようになったら、なんでも言うことをきくと言っていたからな。その件だ」
「夜、一緒に寝たいと、エルシーは言っておりましたね」
「ああ……。それはいつだ、と書かれている」
「まぁ」
エルシーの手紙の愛らしさに、オネルヴァは目尻を下げた。だが、イグナーツは困惑しているようにも見える。
「早いほうがよいかと思います。まして、約束事ですから」
オネルヴァが声をかけると、イグナーツが手紙から顔をあげた。
「そうか。そうだな。今夜……か……」
ぽろっと彼がこぼした言葉を、オネルヴァは拾い取った。
「そのようにエルシーにお伝えしてもよろしいですか?」
「いや、あ。そうだな。だが、どこで寝る? 三人でとなれば、それなりに広い寝台が必要だろう?」
だが一人は子どもだ。大人二人眠れる場所であれば、充分でもある。
「でしたら、あの寝室ですか?」
オネルヴァが小首を傾げて尋ねると、イグナーツは首を横に振る。
「駄目だ。あの部屋は、まだ使っていない。使っていないのをエルシーに知られたら、俺たちが不仲であると不安になるだろう」
「でしたら、エルシーのお部屋がいいですね。エルシーの寝台でも、充分に広いですから」
オネルヴァが言った通り、エルシーが使っている寝台も大人二人が眠れるような広さの寝台である。そこにエルシーが一人で眠っているのだから、寂しくも感じるのだろう。
「そうだな。そうするか……」
渋々と口にしたような彼であるが、その口元は盛大ににやけていた。
ぴくっとオネルヴァの身体が震えた。
「君が『無力』でありながら君を迎えたのはエルシーのためだ」
「エルシーのため、ですか?」
ああ、と彼は大きく頷く。
「俺に妻は必要ない。だが、エルシーに母親は必要だ。君に求めるのは、エルシーの母親役。母親としての役割を果たしてくれれば、俺は何も言わない。例え君が『無力』であったとしても」
オネルヴァは、膝の上においていた両手で、思わずドレスをぎゅっと握りしめた。
「それが、わたくしがここに存在する理由ですか?」
「そうだ。幸いなことに、エルシーも君になついている。それに、君がここに来てから、エルシーも明るくなったし、勉強にも前向きに取り組んでいる」
エルシーはオネルヴァのことを「お母さま、お母さま」と慕ってくれている。
「はい」
そうやって理由を与えられたほうが、『無力』であっても、気兼ねなくここにいられる。
「ありがとうございます」
オネルヴァの言葉にイグナーツは何も返さない。ただ、黙々とケーキを食べていた。
オネルヴァも自ら取り分けたケーキを一口食べた。彼女が取り分けたケーキは、イグナーツの半分にも満たない量だった。
「オネルヴァ」
「は、はい」
突然名を呼ばれ、身を強張らせる。
「前にも言ったが。君は食が細すぎる。エルシーよりも食べていないだろう?」
「エルシーは育ち盛りですから」
「それでも、君だって立派な成人した大人の女性だ。俺が知っている女性よりも、明らかに食べる量は少ない。ヘニーからも、君の食事量を心配する声があがってきている」
「申し訳、ありません……」
「いや、謝罪することではない。君が向こうでどのような暮らしをしていたかはわからないが……。ここではきちっと食べて、エルシーの見本になってもらうような女性でいてもらいたい。そのような女性が貧相であっては困るからな」
まるで今のオネルヴァが貧相に見えるかのような発言である。驚いて、目を真ん丸に見開いた。
「いや、そういう意味ではなく……。まあ、例えだ、例え」
イグナーツが慌てているため、オネルヴァはくすりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
慌てる彼が、なぜか可愛らしいと思えてしまった。
二人は黙々とケーキを食べた。
オネルヴァが一国の王女であったにもかかわらず、こうやって料理ができるのも、あそこでの幽閉生活が長かったせいだ。勉強する時間だけはたくさんあった。
「旦那様。エルシーが手紙を読んで、すぐにお返事が欲しいと言っておりました」
二人だけの静かなティータイムを終えようとしたときに、オネルヴァはいつまでたっても手紙を読まないイグナーツに向かってそう言った。
「すぐに? 何か、大事なことが書かれているのか?」
あとでこっそりと読もうとしていたにちがいない。エルシーからの手紙を手にしたイグナーツは立ち上がり、執務席の引き出しからペーパーナイフを取り出すと、丁寧に閉じられていた封筒をピリピリと開ける。
中から出てきたのは便箋一枚。それでも幼いエルシーが書いたと考えれば、立派なものだ。
手紙に目を走らせているイグナーツの眉間に、次第に深く皺が刻まれていく。
「どうか、されましたか?」
ドレスを握りしめながら、オネルヴァは尋ねた。
「いや……。エルシーが人参を食べられるようになったら、なんでも言うことをきくと言っていたからな。その件だ」
「夜、一緒に寝たいと、エルシーは言っておりましたね」
「ああ……。それはいつだ、と書かれている」
「まぁ」
エルシーの手紙の愛らしさに、オネルヴァは目尻を下げた。だが、イグナーツは困惑しているようにも見える。
「早いほうがよいかと思います。まして、約束事ですから」
オネルヴァが声をかけると、イグナーツが手紙から顔をあげた。
「そうか。そうだな。今夜……か……」
ぽろっと彼がこぼした言葉を、オネルヴァは拾い取った。
「そのようにエルシーにお伝えしてもよろしいですか?」
「いや、あ。そうだな。だが、どこで寝る? 三人でとなれば、それなりに広い寝台が必要だろう?」
だが一人は子どもだ。大人二人眠れる場所であれば、充分でもある。
「でしたら、あの寝室ですか?」
オネルヴァが小首を傾げて尋ねると、イグナーツは首を横に振る。
「駄目だ。あの部屋は、まだ使っていない。使っていないのをエルシーに知られたら、俺たちが不仲であると不安になるだろう」
「でしたら、エルシーのお部屋がいいですね。エルシーの寝台でも、充分に広いですから」
オネルヴァが言った通り、エルシーが使っている寝台も大人二人が眠れるような広さの寝台である。そこにエルシーが一人で眠っているのだから、寂しくも感じるのだろう。
「そうだな。そうするか……」
渋々と口にしたような彼であるが、その口元は盛大ににやけていた。
40
お気に入りに追加
1,279
あなたにおすすめの小説
溺愛の始まりは魔眼でした。騎士団事務員の貧乏令嬢、片想いの騎士団長と婚約?!
参
恋愛
男爵令嬢ミナは実家が貧乏で騎士団の事務員と騎士団寮の炊事洗濯を掛け持ちして働いていた。ミナは騎士団長オレンに片想いしている。バレないようにしつつ長年真面目に働きオレンの信頼も得、休憩のお茶まで一緒にするようになった。
ある日、謎の香料を口にしてミナは魔法が宿る眼、魔眼に目覚める。魔眼のスキルは、筋肉のステータスが見え、良い筋肉が目の前にあると相手の服が破けてしまうものだった。ミナは無類の筋肉好きで、筋肉が近くで見られる騎士団は彼女にとっては天職だ。魔眼のせいでクビにされるわけにはいかない。なのにオレンの服をびりびりに破いてしまい魔眼のスキルを話さなければいけない状況になった。
全てを話すと、オレンはミナと協力して魔眼を治そうと提案する。対処法で筋肉を見たり触ったりすることから始まった。ミナが長い間封印していた絵描きの趣味も魔眼対策で復活し、よりオレンとの時間が増えていく。片想いがバレないようにするも何故か魔眼がバレてからオレンが好意的で距離も近くなり甘やかされてばかりでミナは戸惑う。別の日には我慢しすぎて自分の服を魔眼で破り真っ裸になった所をオレンに見られ彼は責任を取るとまで言いだして?!
※結構ふざけたラブコメです。
恋愛が苦手な女性シリーズ、前作と同じ世界線で描かれた2作品目です(続きものではなく単品で読めます)。今回は無自覚系恋愛苦手女性。
ヒロインによる一人称視点。全56話、一話あたり概ね1000~2000字程度で公開。
前々作「訳あり女装夫は契約結婚した副業男装妻の推し」前作「身体強化魔法で拳交える外交令嬢の拗らせ恋愛~隣国の悪役令嬢を妻にと連れてきた王子に本来の婚約者がいないとでも?~」と同じ時代・世界です。
※小説家になろう、ノベルアップ+にも投稿しています。※R15は保険です。
転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!
桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。
「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。
異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。
初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!
【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!
雨宮羽那
恋愛
いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。
◇◇◇◇
私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。
元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!
気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?
元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!
だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。
◇◇◇◇
※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。
※アルファポリス先行公開。
※表紙はAIにより作成したものです。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
【完結】生贄として育てられた少女は、魔術師団長に溺愛される
未知香
恋愛
【完結まで毎日1話~数話投稿します・最初はおおめ】
ミシェラは生贄として育てられている。
彼女が生まれた時から白い髪をしているという理由だけで。
生贄であるミシェラは、同じ人間として扱われず虐げ続けられてきた。
繰り返される苦痛の生活の中でミシェラは、次第に生贄になる時を心待ちにするようになった。
そんな時ミシェラが出会ったのは、村では竜神様と呼ばれるドラゴンの調査に来た魔術師団長だった。
生贄として育てられたミシェラが、魔術師団長に愛され、自分の生い立ちと決別するお話。
ハッピーエンドです!
※※※
他サイト様にものせてます
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる