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妻子が可愛い夫と夫がよくわからない妻(6)

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 ぱぁっと、エルシーの顔が輝いた。オネルヴァは絶えず笑みを浮かべていて、エルシーを優しく見守っている。

「エルシーは、お父さまとお母さまと、一緒に寝たいです」

 イグナーツは、動かしていた手をおもわず止めた。だが、すぐに肉を切り、口の中へ放り込む。ナプキンで口元を拭い、エルシーを見る。

「エルシー?」
「エルシーは、いつも一人で寝ています。だけど、寂しいので、お父さまとお母さまが一緒に寝ているのなら、エルシーも混ぜて欲しいです」

 イグナーツは困惑した。そもそもオネルヴァとは一緒に寝ていない。夫婦の寝室はあるが、あそこは、イグナーツの部屋からは開かずの間と化している。

「エルシーは、寂しかったのですね?」

 オネルヴァの瞳は慈愛に満ちている。エルシーは、ゆっくりと頷いた。

「寂しいと口にすることは、恥ずかしいことではないですよ? エルシーがよければ、わたくしと一緒に寝ますか?」
「本当ですか?」
「ええ」
「お父さまも一緒に?」
「それは……。旦那様に聞かなければわかりませんが」

 オネルヴァと目が合った。彼女の目尻が、和らぐ。

「俺だけ、仲間外れ……」

 つい、心の声が漏れ出た。

 先ほどもオネルヴァの人参ケーキを食べられなかったため、心の中で悔しい思いをしたばかりだ。
 妻と娘が仲良くする姿は、見ていて微笑ましい。だが、そこに夫であり父親である自分が混ざれないのは、仲間外れにされている気分にすらなってしまう。

 だが、イグナーツはオネルヴァと共寝していない。

「エルシーとの約束だからな。人参を食べられるようになったら、エルシーの言うことをきくと。みんなで一緒に寝るのも、たまにはいいだろう」

 エルシーが間にいれば、オネルヴァに触れなくて済む。そんな考えも、イグナーツにはあった。
 それに、露骨にオネルヴァのことを避けるべきではないだろう。エルシーは母親として彼女を認めている。ここで冷めた夫婦仲を娘に見せるのは気が引けるし、イグナーツ自身も、彼女とはうまくやっていきたいと思い始めている。

「よかったですね、エルシー。でしたら、シチューの人参も食べてみましょう」

 オネルヴァは、シチューに残されていた人参に気がついたようだ。エルシーは罰の悪そうな顔をしている。

「人参だけでなく、こちらのお野菜と一緒に食べるといいですよ」

 むっとしたエルシーは、頑なに口を結んでいる。それは、食べるもんかという意思の表れでもある。
 オネルヴァはエルシーのスプーンに手を伸ばすと、シチューをすくう。そこには、一つだけ、小さな人参の塊が見えた。

「エルシー」

 オネルヴァが優しく微笑めば、エルシーも観念したのか口を開ける。オネルヴァはゆっくりとスプーンをエルシーの口元にまで運び、口の中へと入れた。

 ぱくっと小さな口が閉じる。
 その様子から、イグナーツも目が離せなかった。

「美味しいです。シチューの味がします」

 エルシーの言葉に、オネルヴァも満面の笑みを浮かべた。

「お母さま、お母さまもお肉を食べましょう」
「え、えと……」

 形勢逆転。エルシーが言う通り、オネルヴァの皿には、まだ半分ほどの肉の塊が残っている。

「エルシーがお母さまに食べさせてあげます」
「あ、あの……」
「ね、お母さま」
「エルシー」

 イグナーツは、少しだけ声を荒げた。というのも、オネルヴァは明らかに困っているし、その様子がおかしいからだ。

「お父さま。エルシーは頑張って人参を食べました。お母さまはお肉を残しています。お母さまはお肉が嫌いなのでしょう?」
「え、えと……」

 オネルヴァは食が細い。それは、イグナーツも気になっていたことだ。

「エルシー。無理強いはやめなさい。オネルヴァは嫌いで残しているわけではないよ。お腹がいっぱいなんだ」

 オネルヴァの顔がかぁっと真っ赤に染め上がった。

「お母さまはお腹がいっぱいなんですか?」

 エルシーがきょとんとして尋ねると、オネルヴァは恥ずかしそうに俯いて頷く。

「オネルヴァ、無理して食べる必要はないが。君は食が細すぎる。少しずつ食べる量を増やしなさい」
「エルシーも嫌いな人参を頑張って食べます。お母さまは、たくさんご飯食べるのを、頑張ってください」

 エルシーの言葉で顔をあげたオネルヴァは「そうですね」と小さく呟いた。

「お母さまがたくさんご飯を食べられたら、エルシーがお母さまの言うことをきいてあげます」

 あまりにも真剣な顔でそう口にしたため、オネルヴァとイグナーツは顔を見合わせ、笑みをこぼし合った。





*~*~苺の月三日~*~*

『きょうは おかあさまが にんじんのケーキをつくってくれました
 エルシーは にんじんがきらいです
 だけど おかあさまのにんじんのケーキは だいすきです

 にんじんをたべたら おとうさまがエルシーのいうことをきいてくれます
 だからエルシーはがんばってにんじんをたべました

 エルシーはおかあさまとおとうさまと いっしょにねたいです
 たのしみです』
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