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第三話:告白
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エセルバードはいつの間にかサライアスの猶子となっていた。これは、ラクシュリーナも知らなかった。
彼が正式に騎士となったら、サライアスの猶子から養子へ変更するとのこと。どちらにしろ、エセルバードはサライアスと父子の関係になっていたのだ。
その関係を結んでから三年。
アイスエーグル国にはまた雪の降る季節がやってこようとしていた。
空気が冷え込み、太陽の光を反射させた粒子がきらめく中、複数の氷龍が連なって空へと飛び立った。
ラクシュリーナはその様子を部屋の窓から眺めていた。
――エセルバードと出会った日も、こんな日だった。
なぜかしみじみと感じてしまう。
外は雪が降っていて寒いのに、壁一枚隔てたこの室内は、春のようなあたたかさに包まれていた。
冬の長いアイスエーグル国にとって、火龍の龍魔石は必要不可欠なものである。湯をあたためるのはもちろん、火種にもなる。こうやって部屋をあたたかくしてくれるのも、火龍の龍魔石の力のおかげだ。火の龍魔石のおかげで、火種は容易に手に入る。
それでも今年は、龍魔石不足が起こるかもしれないとささやかれていた。
というのも、各国の龍魔石は条例に基づいた物々交換のようなもの。アイスエーグル国の龍魔石の採取量が減少しているのだ。
それに危機感を募らせているのは、もちろん国の重鎮たち。国内の各地にいる有識者を集め、氷龍の様子をみては対策を考える。だが、氷龍の様子は今までと特に変化はない。
雪が降れば空を飛翔し、一日に数回、鱗を龍魔石へと変える。だけど、最近、その量が少ない。
そういった話は、離塔で暮らしているラクシュリーナの耳にも届く。
そして、もう一つ。寝耳に水のような話が飛び込んできた。
「お姉様がフレイムシアン国に?」
その話を聞いたのは、雪が降り積もった日の朝。外一面が銀世界で、太陽がきらきらと雪の粒を光らせていた日のこと。
「はい。ですから、本日の午後、オーレリア様がお会いしたいとのことです」
ラクシュリーナは顔をしかめた。
姉のオーレリアも二十歳になった。どこかに嫁いだっておかしくはない年頃だ。
各国と腹の探り合いをしながら、オーレリアとラクシュリーナをどこに嫁がせるかは、重鎮たちの頭を悩ませる話でもあったのだ。その話の一つがまとまっただけ。
「なぜフレイムシアン国?」
「あちらの王太子が二十三歳ですから。単純に、年が釣り合うということではないでしょうか」
そう言ったサライアスの右目がひくひくと動いた。これは彼が嘘をついているとき、ラクシュリーナに心配をかけたくないときに見られる特徴でもある。
だがサライアスは、自身のその癖に気づいていないし、ラクシュリーナも彼に指摘しようとは思ってもいない。
「わかりました。お姉様にはお会いすると伝えてください」
そこへ、エセルバードが銀トレイにお茶をのせて持ってきた。最近の彼は、こういった従僕のような仕事も行っている。何事も経験でありそれが成長の糧となる、というのがサライアスの考えであった。
「ありがとう、エセル。あなたもお茶を淹れるのが上手になったわね」
「お褒めの言葉をいただき、光栄です」
ここへ来たときはおどおどとしたしゃべり方をしていたエセルバードも、今では幼さを残しつつも大人びた会話をするようになっていた。
「ねぇ、サライアス? もしかして、お姉様の縁談は龍魔石と関係していない?」
またサライアスの右目がひくっと動いた。
「私の仕事は姫様の護衛ですので。そういった話は何も聞いておりません」
そう言いながらも、彼は近衛騎士隊長なのだ。正確には第五近衛騎士隊長。それでも隊長という肩書きは、組織をとりまとめる必要もある。だから時折、彼が騎士の間に呼ばれ、何やら会議に参加しているのも知っている。サライアスが不在だと、担当の騎士が「隊長は会議ですので」と口にするからだ。
「そう……」
サライアスが教えてくれないのなら、オーレリア本人に問いただせばよい。むしろ、オーレリアのほうから、何かしら教えてくれるかもしれない。
雪の日に離塔と本城を行き来するだけでも、身体に力が入ってしまう。その道はきれいに雪かきがされており、こういった雪かきも使用人や子どもたちの仕事である。
「姫様、転ばないように気をつけてください」
サライアスの言葉に「だから、子どもじゃないの」とラクシュリーナはぷっと頬を膨らませる。
彼らは毎日のように本城と離塔を行き来しているから、雪道を歩くのも慣れている。だが、ラクシュリーナは慣れていなかった。夜になれば、身体のどこかが痛むかもしれない。
本城のエントランスは、以前訪れたときと変わりはなかった。エントランスから真っ直ぐ進めば、大広間へとつながる。だが今日は、その脇にある階段をあがり、ギャラリーを抜けて、王族のプライベートゾーンへと入った。入り口には見張りの騎士もいるが、ラクシュリーナとサライアスの顔を確認すると、すんなりと通す。だがサライアスの後ろを歩いている、エセルバードだけには怪訝そうな視線を向けた。
コツ、コツ、コツ、コツ――。
ラクシュリーナは白い扉の前に立つ。繊細な装飾は、何かの植物の蔦のように見える。だが、これが何を表しているのか、正確なものはわからない。
「ラクシュリーナです」
「どうぞ」
オーレリアの明るい声が中から聞こえてきた。ラクシュリーナはサライアスとエセルバードに目配せをして、部屋へと入る。彼らは部屋の外で待つ。
「いらっしゃい、ラクシュリーナ。顔を見せてちょうだい」
ラクシュリーナを迎え入れたオーレリアは、ぎゅっと抱きついてきた。オーレリアのほうがほんの少し背が高い。彼女は父親である国王似であると、昔から言われていた。飴色の髪も、黒檀の瞳も。それでもやはり姉妹なのだろう。髪の色も瞳の色も異なっていたとしても、そこに漂う雰囲気が似ている。立ち居振る舞いとか、横顔とか、そういった些細なもの。
「元気そうで安心したわ」
「ええ、お姉様。わたくしは元気ですよ。離塔での暮らしもこちらでの暮らしと変わりはありませんもの」
「そうね」
オーレリアは、長椅子に座るようにとラクシュリーナをうながした。オーレリアが目配せをすると、侍女が黙ってお茶の準備を始める。その彼女がすべての用意を終え、下がったところでオーレリアが口を開いた。
彼女はラクシュリーナの隣に座った。込み入った話をするときは、このほうが都合はよい。
「ラクシュリーナ。氷龍の話は聞いているかしら?」
「えぇ、少しですが。氷龍の龍魔石が減ってきているというのは、知っています」
「その通りよ」
オーレリアは頷いた。
「今、歴史学者や生物学者など、国内の有識者たちがこの王城に集められているの。採取できる龍魔石の量がこのまま減り続けると、私たちの生活は立ちいかなくなる」
「龍魔石が減っているのは、氷龍だけなのですか? それとも他の国も同じように?」
「今のところ、氷龍だけみたい。他国からはそのような話は聞こえてこないと」
龍魔石は龍の鱗が形を変えたものだ。
氷龍は、王城の『工』の形をした『I』の最上階にある龍の間にいる。そこで身体を横たえ休み、気が向けば回廊から外へ飛び立ち、空を飛翔する。氷龍の食事は清んだ空気である。特に冬の日の冷えた空気はご馳走のようで、冬になると氷龍たちが生き生きとし始めた。
氷龍が飛び立ったあとの飛龍の間には、龍魔石がぼろぼろと転がっている。その龍魔石を回収するのも、龍魔石回収人と呼ばれる使用人たちの仕事である。そうしないと、氷龍が戻ってきたときに、自身の龍魔石で怪我をするときもあるのだ。
ラクシュリーナは白磁のカップに手を伸ばす。この国の紅茶は、身体があたたまるようにと香辛料の強いものが多い。カップを唇に近づけると、香辛料の独特のにおいがした。一口飲むと、ひりっとした刺激が喉元を通り過ぎていく。
「……ケホッ」
あまりにもの刺激の強さにむせてしまった。
「あら、ラクシュリーナ、大丈夫? そんなに強くはないものだと思っていたのだけれど」
「え、えぇ……」
ラクシュリーナには飲み慣れていないだけ。離塔で飲む紅茶は、香辛料を控えてある。
オーレリアにけして悪気があったわけではない。彼女は心配そうにラクシュリーナの背をさする。
「それで、お姉様……。今日は、どういった話を? 龍魔石についてが本題ではありませんよね?」
涙目でラクシュリーナが尋ねると、オーレリアはぱちぱちと素早く瞬きをした。
「そうね」
オーレリアもカップに手を伸ばし、お茶を飲む。その一連の動作を思わず目で追ってしまった。上下する喉元をじっと見つめる。何か言いにくいことを言いたそうな、やはり言いにくそうな、そんな雰囲気である。
彼女は何事もなくカップを戻した。
「私に縁談がきたの。フレイムシアン国の王太子。どう思う?」
どう思うと問われても、ラクシュリーナはその王太子をよくわからない。いや、外交パーティーの場で顔を合わせたことくらいはあったかもしれない。だが、どういう顔で容姿だったかは、まったく思い出せない。
「もしかしてお姉様。その縁談が嫌なのですか?」
それでラクシュリーナに代わりに嫁げと言い出すのだろうか。
「そうではないのだけれど……。やはり、フレイムシアンに嫁ぐというのが少しだけ不安で」
「お父様やお兄様たちは、どのようにおっしゃっているのですか? わたくしは、フレイムシアンの王太子殿下がどのような方か詳しく存じ上げないので」
「……そうよね。お父様もお兄様も、フレイムシアンの王太子殿下――ブラッドフォーム殿下は縁談の相手としてはこのうえない相手だと……誠実な方、と言われたわ」
また無難な言葉だ。
「私たちが好きな方と結ばれることはないのだろうけれども……」
それではまるで、オーレリアに想い人がいるかのような言い方である。
「そうですね。わたくしたちの結婚は外交や政治の一つ。お姉様の次はわたくしですね。ですが、お姉様がこの縁談に不満であるならば、わたくしが代わってもよろしいですよ?」
オーレリアを安心させるかのように、ラクシュリーナは微笑んだ。するとオーレリアも微笑み返す。だが、その笑みはどこか苦しそうにも見える。
「いいえ……それは、大丈夫よ。私がフレイムシアンに嫁ぐから。だけど、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。お父様やお兄様には、このようなことを言えないでしょう?」
「お姉様には、好きな方がいらっしゃるのですか?」
その問いにオーレリアは「内緒」と答えた。その言葉で確信した。彼女には間違いなく想い人がいる。その気持ちを心の奥底にしまい込んで、フレイムシアンに嫁ぐのだ。
まだ、想い人のいないラクシュリーナのほうが、その役はいいのかもしれない。
それでもオーレリアは決意している。その気持ちを無駄にはしたくない。
それが王族に課せられた使命なのだ。
姉の話を聞いて、ラクシュリーナはふと考える。
ラクシュリーナを憎むくらい王妃を愛していた国王は、幸せな結婚生活を送っていたのだろうか。二人はお互いに愛し合っていたのだろうか。
両親だって決められた結婚であったと聞いている。何がきっかけとなって、互いを互いに好きになったのだろう。
「ところで、お姉様がフレイムシアンに嫁ぐことと、龍魔石には何か関係があるのですか?」
オーレリアは、最初に龍魔石について口にした。彼女は、関係のない話をとりとめもなく口にするような女性ではない。
「そうね……」
そこでオーレリアは喉を潤す。
「結局、私がフレイムシアンに嫁ぐのは、フレイムシアンの龍魔石を融通させてもらうためのようなものよ。こちらの龍魔石の採取量が減っているわけでしょう? となれば、向こうに渡せる氷龍の龍魔石も減る。そうなれば向こうからもらえる火の龍魔石も減る。寒さの厳しいこの国にとって、火の龍魔石は必要不可欠なものでしょう? そこを今までと同じように融通してもらうために……」
やはり龍魔石が原因だった。
オーレリアの縁談は、アイスエーグル国に火の龍魔石を絶やさぬようにするために必要なものなのだ。
「そうなのですね。お姉様がフレイムシアンに行かれてしまうと、寂しくなりますね」
「……そうね。あなたは私の妹ですもの。こんな話は、お父様やお兄様にはできない」
「お姉様はこの縁談を受け入れるつもりなのですね?」
オーレリアはにっこりと微笑んだ。気高い笑みである。
「えぇ。王族の義務として、この婚姻を受け入れます」
そう答えたオーレリアは、今までになく美しかった。
彼が正式に騎士となったら、サライアスの猶子から養子へ変更するとのこと。どちらにしろ、エセルバードはサライアスと父子の関係になっていたのだ。
その関係を結んでから三年。
アイスエーグル国にはまた雪の降る季節がやってこようとしていた。
空気が冷え込み、太陽の光を反射させた粒子がきらめく中、複数の氷龍が連なって空へと飛び立った。
ラクシュリーナはその様子を部屋の窓から眺めていた。
――エセルバードと出会った日も、こんな日だった。
なぜかしみじみと感じてしまう。
外は雪が降っていて寒いのに、壁一枚隔てたこの室内は、春のようなあたたかさに包まれていた。
冬の長いアイスエーグル国にとって、火龍の龍魔石は必要不可欠なものである。湯をあたためるのはもちろん、火種にもなる。こうやって部屋をあたたかくしてくれるのも、火龍の龍魔石の力のおかげだ。火の龍魔石のおかげで、火種は容易に手に入る。
それでも今年は、龍魔石不足が起こるかもしれないとささやかれていた。
というのも、各国の龍魔石は条例に基づいた物々交換のようなもの。アイスエーグル国の龍魔石の採取量が減少しているのだ。
それに危機感を募らせているのは、もちろん国の重鎮たち。国内の各地にいる有識者を集め、氷龍の様子をみては対策を考える。だが、氷龍の様子は今までと特に変化はない。
雪が降れば空を飛翔し、一日に数回、鱗を龍魔石へと変える。だけど、最近、その量が少ない。
そういった話は、離塔で暮らしているラクシュリーナの耳にも届く。
そして、もう一つ。寝耳に水のような話が飛び込んできた。
「お姉様がフレイムシアン国に?」
その話を聞いたのは、雪が降り積もった日の朝。外一面が銀世界で、太陽がきらきらと雪の粒を光らせていた日のこと。
「はい。ですから、本日の午後、オーレリア様がお会いしたいとのことです」
ラクシュリーナは顔をしかめた。
姉のオーレリアも二十歳になった。どこかに嫁いだっておかしくはない年頃だ。
各国と腹の探り合いをしながら、オーレリアとラクシュリーナをどこに嫁がせるかは、重鎮たちの頭を悩ませる話でもあったのだ。その話の一つがまとまっただけ。
「なぜフレイムシアン国?」
「あちらの王太子が二十三歳ですから。単純に、年が釣り合うということではないでしょうか」
そう言ったサライアスの右目がひくひくと動いた。これは彼が嘘をついているとき、ラクシュリーナに心配をかけたくないときに見られる特徴でもある。
だがサライアスは、自身のその癖に気づいていないし、ラクシュリーナも彼に指摘しようとは思ってもいない。
「わかりました。お姉様にはお会いすると伝えてください」
そこへ、エセルバードが銀トレイにお茶をのせて持ってきた。最近の彼は、こういった従僕のような仕事も行っている。何事も経験でありそれが成長の糧となる、というのがサライアスの考えであった。
「ありがとう、エセル。あなたもお茶を淹れるのが上手になったわね」
「お褒めの言葉をいただき、光栄です」
ここへ来たときはおどおどとしたしゃべり方をしていたエセルバードも、今では幼さを残しつつも大人びた会話をするようになっていた。
「ねぇ、サライアス? もしかして、お姉様の縁談は龍魔石と関係していない?」
またサライアスの右目がひくっと動いた。
「私の仕事は姫様の護衛ですので。そういった話は何も聞いておりません」
そう言いながらも、彼は近衛騎士隊長なのだ。正確には第五近衛騎士隊長。それでも隊長という肩書きは、組織をとりまとめる必要もある。だから時折、彼が騎士の間に呼ばれ、何やら会議に参加しているのも知っている。サライアスが不在だと、担当の騎士が「隊長は会議ですので」と口にするからだ。
「そう……」
サライアスが教えてくれないのなら、オーレリア本人に問いただせばよい。むしろ、オーレリアのほうから、何かしら教えてくれるかもしれない。
雪の日に離塔と本城を行き来するだけでも、身体に力が入ってしまう。その道はきれいに雪かきがされており、こういった雪かきも使用人や子どもたちの仕事である。
「姫様、転ばないように気をつけてください」
サライアスの言葉に「だから、子どもじゃないの」とラクシュリーナはぷっと頬を膨らませる。
彼らは毎日のように本城と離塔を行き来しているから、雪道を歩くのも慣れている。だが、ラクシュリーナは慣れていなかった。夜になれば、身体のどこかが痛むかもしれない。
本城のエントランスは、以前訪れたときと変わりはなかった。エントランスから真っ直ぐ進めば、大広間へとつながる。だが今日は、その脇にある階段をあがり、ギャラリーを抜けて、王族のプライベートゾーンへと入った。入り口には見張りの騎士もいるが、ラクシュリーナとサライアスの顔を確認すると、すんなりと通す。だがサライアスの後ろを歩いている、エセルバードだけには怪訝そうな視線を向けた。
コツ、コツ、コツ、コツ――。
ラクシュリーナは白い扉の前に立つ。繊細な装飾は、何かの植物の蔦のように見える。だが、これが何を表しているのか、正確なものはわからない。
「ラクシュリーナです」
「どうぞ」
オーレリアの明るい声が中から聞こえてきた。ラクシュリーナはサライアスとエセルバードに目配せをして、部屋へと入る。彼らは部屋の外で待つ。
「いらっしゃい、ラクシュリーナ。顔を見せてちょうだい」
ラクシュリーナを迎え入れたオーレリアは、ぎゅっと抱きついてきた。オーレリアのほうがほんの少し背が高い。彼女は父親である国王似であると、昔から言われていた。飴色の髪も、黒檀の瞳も。それでもやはり姉妹なのだろう。髪の色も瞳の色も異なっていたとしても、そこに漂う雰囲気が似ている。立ち居振る舞いとか、横顔とか、そういった些細なもの。
「元気そうで安心したわ」
「ええ、お姉様。わたくしは元気ですよ。離塔での暮らしもこちらでの暮らしと変わりはありませんもの」
「そうね」
オーレリアは、長椅子に座るようにとラクシュリーナをうながした。オーレリアが目配せをすると、侍女が黙ってお茶の準備を始める。その彼女がすべての用意を終え、下がったところでオーレリアが口を開いた。
彼女はラクシュリーナの隣に座った。込み入った話をするときは、このほうが都合はよい。
「ラクシュリーナ。氷龍の話は聞いているかしら?」
「えぇ、少しですが。氷龍の龍魔石が減ってきているというのは、知っています」
「その通りよ」
オーレリアは頷いた。
「今、歴史学者や生物学者など、国内の有識者たちがこの王城に集められているの。採取できる龍魔石の量がこのまま減り続けると、私たちの生活は立ちいかなくなる」
「龍魔石が減っているのは、氷龍だけなのですか? それとも他の国も同じように?」
「今のところ、氷龍だけみたい。他国からはそのような話は聞こえてこないと」
龍魔石は龍の鱗が形を変えたものだ。
氷龍は、王城の『工』の形をした『I』の最上階にある龍の間にいる。そこで身体を横たえ休み、気が向けば回廊から外へ飛び立ち、空を飛翔する。氷龍の食事は清んだ空気である。特に冬の日の冷えた空気はご馳走のようで、冬になると氷龍たちが生き生きとし始めた。
氷龍が飛び立ったあとの飛龍の間には、龍魔石がぼろぼろと転がっている。その龍魔石を回収するのも、龍魔石回収人と呼ばれる使用人たちの仕事である。そうしないと、氷龍が戻ってきたときに、自身の龍魔石で怪我をするときもあるのだ。
ラクシュリーナは白磁のカップに手を伸ばす。この国の紅茶は、身体があたたまるようにと香辛料の強いものが多い。カップを唇に近づけると、香辛料の独特のにおいがした。一口飲むと、ひりっとした刺激が喉元を通り過ぎていく。
「……ケホッ」
あまりにもの刺激の強さにむせてしまった。
「あら、ラクシュリーナ、大丈夫? そんなに強くはないものだと思っていたのだけれど」
「え、えぇ……」
ラクシュリーナには飲み慣れていないだけ。離塔で飲む紅茶は、香辛料を控えてある。
オーレリアにけして悪気があったわけではない。彼女は心配そうにラクシュリーナの背をさする。
「それで、お姉様……。今日は、どういった話を? 龍魔石についてが本題ではありませんよね?」
涙目でラクシュリーナが尋ねると、オーレリアはぱちぱちと素早く瞬きをした。
「そうね」
オーレリアもカップに手を伸ばし、お茶を飲む。その一連の動作を思わず目で追ってしまった。上下する喉元をじっと見つめる。何か言いにくいことを言いたそうな、やはり言いにくそうな、そんな雰囲気である。
彼女は何事もなくカップを戻した。
「私に縁談がきたの。フレイムシアン国の王太子。どう思う?」
どう思うと問われても、ラクシュリーナはその王太子をよくわからない。いや、外交パーティーの場で顔を合わせたことくらいはあったかもしれない。だが、どういう顔で容姿だったかは、まったく思い出せない。
「もしかしてお姉様。その縁談が嫌なのですか?」
それでラクシュリーナに代わりに嫁げと言い出すのだろうか。
「そうではないのだけれど……。やはり、フレイムシアンに嫁ぐというのが少しだけ不安で」
「お父様やお兄様たちは、どのようにおっしゃっているのですか? わたくしは、フレイムシアンの王太子殿下がどのような方か詳しく存じ上げないので」
「……そうよね。お父様もお兄様も、フレイムシアンの王太子殿下――ブラッドフォーム殿下は縁談の相手としてはこのうえない相手だと……誠実な方、と言われたわ」
また無難な言葉だ。
「私たちが好きな方と結ばれることはないのだろうけれども……」
それではまるで、オーレリアに想い人がいるかのような言い方である。
「そうですね。わたくしたちの結婚は外交や政治の一つ。お姉様の次はわたくしですね。ですが、お姉様がこの縁談に不満であるならば、わたくしが代わってもよろしいですよ?」
オーレリアを安心させるかのように、ラクシュリーナは微笑んだ。するとオーレリアも微笑み返す。だが、その笑みはどこか苦しそうにも見える。
「いいえ……それは、大丈夫よ。私がフレイムシアンに嫁ぐから。だけど、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。お父様やお兄様には、このようなことを言えないでしょう?」
「お姉様には、好きな方がいらっしゃるのですか?」
その問いにオーレリアは「内緒」と答えた。その言葉で確信した。彼女には間違いなく想い人がいる。その気持ちを心の奥底にしまい込んで、フレイムシアンに嫁ぐのだ。
まだ、想い人のいないラクシュリーナのほうが、その役はいいのかもしれない。
それでもオーレリアは決意している。その気持ちを無駄にはしたくない。
それが王族に課せられた使命なのだ。
姉の話を聞いて、ラクシュリーナはふと考える。
ラクシュリーナを憎むくらい王妃を愛していた国王は、幸せな結婚生活を送っていたのだろうか。二人はお互いに愛し合っていたのだろうか。
両親だって決められた結婚であったと聞いている。何がきっかけとなって、互いを互いに好きになったのだろう。
「ところで、お姉様がフレイムシアンに嫁ぐことと、龍魔石には何か関係があるのですか?」
オーレリアは、最初に龍魔石について口にした。彼女は、関係のない話をとりとめもなく口にするような女性ではない。
「そうね……」
そこでオーレリアは喉を潤す。
「結局、私がフレイムシアンに嫁ぐのは、フレイムシアンの龍魔石を融通させてもらうためのようなものよ。こちらの龍魔石の採取量が減っているわけでしょう? となれば、向こうに渡せる氷龍の龍魔石も減る。そうなれば向こうからもらえる火の龍魔石も減る。寒さの厳しいこの国にとって、火の龍魔石は必要不可欠なものでしょう? そこを今までと同じように融通してもらうために……」
やはり龍魔石が原因だった。
オーレリアの縁談は、アイスエーグル国に火の龍魔石を絶やさぬようにするために必要なものなのだ。
「そうなのですね。お姉様がフレイムシアンに行かれてしまうと、寂しくなりますね」
「……そうね。あなたは私の妹ですもの。こんな話は、お父様やお兄様にはできない」
「お姉様はこの縁談を受け入れるつもりなのですね?」
オーレリアはにっこりと微笑んだ。気高い笑みである。
「えぇ。王族の義務として、この婚姻を受け入れます」
そう答えたオーレリアは、今までになく美しかった。
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