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第二話:交渉
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ラクシュリーナの部屋は『工』の王城とは離れた位置にあった。だから子どもたちが雪遊びをしていたことに気づいたのだ。
エセルバードはいつもと違う建物へと足を向けていることに、不安を感じているようだった。
「わたくしのお部屋はこちらにあるの。わたくしのための、特別な建物なのよ」
そこは、離塔とも呼ばれている。
「寂しくは、ないのですか?」
エセルバードの問いに、ラクシュリーナは首を傾げた。
「寂しい? どうして?」
「だって、あちらにはたくさんの人がいますが、こちらには……」
「こちらには、カーラとサライアスがいるもの。他にも人がいるから、後で紹介してもらってね。あ、今日からはエセルバードも一緒ね」
「姫様……エセルバードは私と同室にさせますので、基本的には王城の住居棟が住まいとなります。私も姫様の護衛がないときは、あちらにいるでしょう?」
サライアスの答えが不満だったのか、ラクシュリーナはぷっと頬を膨らませた。
「サライアスがこちらにいるときはエセルバードもこちらにいるのでしょう?」
「姫様。エセルバードは私が弟子にすると言いました。鍛錬をつみ、身体を鍛えてもらう予定です。それから、勉強もしてもらわなければなりませんね。まだ、学校に通う年齢ではないので、自主的に学んでもらおうと思っています」
「だったら、決まりね! わたくしがエセルバードに勉強を教えればいいのだわ」
「姫様、その話はおいおいと考えましょう。さて、私は浴室の準備をして参ります」
離塔に足を踏み入れたとたん、カーラは浴室へと向かった。この離塔は、十年前の流行病のときに、ラクシュリーナの母親が使用していた建物である。病に冒された者を隔離するための場所なのだ。
今では病に冒されてはいないラクシュリーナが、ここで生活をしている。
皆と離れて生活をしているだけで、なんら不便もない。食事に必要な物は運ばれてくるし、身を守ってくれる近衛騎士も、身の回りの世話をしてくれる侍女もいる。
「浴室の準備が整うまで、暖炉の前にいなさい。あとで、サライアスにこの塔を案内してもらってね。ここは談話室。誰でも自由に使える部屋よ」
サライアスが暖炉に薪をくべ、火を強くした。そこに、浴室の用意をしたカーラが、乾いた大きなタオルを手にして現れた。
「とりあえずは、こちらでも羽織っていてくださいな。すぐに、湯はたまりますからね」
アイスエーグル国は、大陸を縦に走っているクスク川の上流の水を、龍魔石を用いて浄化して使っている。龍魔石とは、龍の鱗が作り出す石のことで、おとぎ話に出てくる魔法のような不思議な力があることから、龍魔石と呼ばれていた。
この龍魔石を管理するのも、王族の務めでもある。氷龍の龍魔石は水に関する能力を持ち、水を浄化したり水を冷やしたりすることができる。
そして、風呂の水をあたためるのは、火龍の龍魔石の能力である。
こういった龍魔石は、国と国で条約を決めてやりとりがされていた。お互いにお互いの龍魔石が必要であるため、年間の使用量と使用可能量を算出して、外交の場での議題としている。今のところ、どこかの国が龍魔石を独占するといった動きは見られていない。
エセルバードが風呂に入っている間、ラクシュリーナはぬくぬくと茶を飲み始める。
サライアスは使用人のマルクを呼び出した。
マルクもゼクスも龍魔石に関する特殊な仕事を与えられていた。使用人であるが、彼らはそれだけ特別な人間でもあるのだ。血筋と人柄と、そういったことを総合的に判断して仕事を決めていく。
マルクにエセルバードの件を伝えると、問題ないとのことだった。マルクが養子として引き取ったわけでもなく、仕事を与え、衣食住が手に入るように手助けしただけ。エセルバードが騎士を目指すのであれば、それはそれでよいのでは、というのがマルクの考えでもある。
マルクも人のよさから、本当に身寄りを亡くした子の世話を焼いていただけにすぎないのだ。
ラクシュリーナは、少し離れた長椅子で、サライアスとマルクの話を聞いていた。
彼らが談話室で話をしていると、ちょうどエセルバードが風呂を終えて姿を現した。身体もあたたまったのだろう。色の悪かった唇に血色も戻り、ほくほくと湯気が出ているようにも見える。
「あ、マ、マルクさん……」
「エセル。話はサライアス様から聞いた。お前が決めたのなら、それでいいんじゃないのか?」
「あ、ありがとうございます」
「ゼクスじいさんの頼みだったからな。まぁ、お前さんが俺んとこにいるよりも、サライアス様のところにいたほうが、じいさんも天国で安心できるだろうな」
「そんなことは……」
その言葉にエセルバードがしどろもどろし始めると「冗談だ」と言って、マルクは立ち上がる。
「では、失礼します」
余計な言葉は口をせずに、マルクは深く腰を折って部屋を出て行った。
「マルクも公認ね。これで、好きなだけここにいれるわね」
ラクシュリーナの言葉に、サライアスは目を糸のようにする。
「姫様。先ほども言いましたし、何度も言いますが。エセルバードは騎士として私が鍛えます。けして、姫様と遊ばせるためにマルクから引き取ったわけではありませんので」
「失礼ね、サライアス。何度も言っているでしょう? わたくしは子どもではありません。だけど、エセルバードに勉強を教えるのはいいでしょう?」
とにかく何かと口実をつけて、彼女はエセルバードと時間を一緒に過ごしたいらしい。
それもラクシュリーナの境遇を考えると、仕方のないことなのかもしれない。
サライアスは深く長く息を吐いた。
「人に教えることは自身の勉強にもなりますからね。教師がよいと言えばいいのでは?」
「それってサライアスの経験みたいで、説得力があるわね。あなたもよく人に教えているものね」
それは彼の立場上、必要なものであるからだ。
だが、サライアスもなんだかんだでラクシュリーナには甘い。そのため、強くは言えない。
「あ、エセルバード。エセルバードは呼びにくいわね。わたくしもエセルと呼んでいいかしら?」
「は、はいっ……」
「では、エセル。喉は渇いていないかしら? お風呂に入って、水分を奪われたでしょう? ハーブティーは苦手? 普通の紅茶のほうがいい?」
「姫様、あとは私がやりますから。姫様は、一度お部屋にお戻りください。そろそろ勉強の時間では? それとも、その勉強をエセルを利用してさぼろうと思っているわけではないですよね?」
サライアスがそう言えば、ラクシュリーナは不満だとでも言うかのように、唇をとがらせた。
「そのような顔をされても無駄です。カーラ、姫様をお願いします」
「はいはい、姫様。エセル様はサライアス様にお任せして、姫様はお部屋に戻りましょう」
ラクシュリーナは、唇をとがらせたまま談話室を後にした。
塔の上にある自室を目指す。くるくると螺旋になっている階段を上っていく。
ラクシュリーナは、けしてここに幽閉されているわけではない。塔の外には自由に出られるし、公務があれば向こうに足を運ぶときだってある。
ラクシュリーナが離塔で暮らしているのは、国王でもある父親から嫌われているからだ。
十年前の流行病で王妃が命を失ったのは、ラクシュリーナが彼女にその病をうつしたためだった。幼いラクシュリーナを、母親である王妃は、根をつめて看病した。ラクシュリーナは子どもで体力もあり、母親の看病のおかげで回復した。
しかし、病をうつされた王妃は違った。たくさんの人々の命の灯火が消えていく中、王妃の命も尽きた。あの病から回復した者は、百人に一人いるかいないかと言われているくらいだ。特効薬もなく、かかったら最後。待っているのは死のみ。
国王は、王妃を愛していた。その命を奪ったのはラクシュリーナだと思っている。
王妃の葬儀が終わったあと、国王はラクシュリーナに言ったのだ。
――当分、お前の顔は見たくない。
幼いラクシュリーナも、父親から嫌われたのを瞬時に悟った。
ラクシュリーナには兄が二人と姉が一人いて、末の妹に向かってそのような言葉を吐いた父親を、一番上の兄が咎めた。それでもラクシュリーナは、これ以上、父親から嫌われたくなかった。
だから離塔で暮らす話を受け入れた。
ラクシュリーナは亡き王妃にうり二つである。髪の色も、瞳の色も。そして顔の造形も。
国王は今でも、ラクシュリーナの顔を見ると、憎悪を含んだ瞳で見つめてくる。
エセルバードはいつもと違う建物へと足を向けていることに、不安を感じているようだった。
「わたくしのお部屋はこちらにあるの。わたくしのための、特別な建物なのよ」
そこは、離塔とも呼ばれている。
「寂しくは、ないのですか?」
エセルバードの問いに、ラクシュリーナは首を傾げた。
「寂しい? どうして?」
「だって、あちらにはたくさんの人がいますが、こちらには……」
「こちらには、カーラとサライアスがいるもの。他にも人がいるから、後で紹介してもらってね。あ、今日からはエセルバードも一緒ね」
「姫様……エセルバードは私と同室にさせますので、基本的には王城の住居棟が住まいとなります。私も姫様の護衛がないときは、あちらにいるでしょう?」
サライアスの答えが不満だったのか、ラクシュリーナはぷっと頬を膨らませた。
「サライアスがこちらにいるときはエセルバードもこちらにいるのでしょう?」
「姫様。エセルバードは私が弟子にすると言いました。鍛錬をつみ、身体を鍛えてもらう予定です。それから、勉強もしてもらわなければなりませんね。まだ、学校に通う年齢ではないので、自主的に学んでもらおうと思っています」
「だったら、決まりね! わたくしがエセルバードに勉強を教えればいいのだわ」
「姫様、その話はおいおいと考えましょう。さて、私は浴室の準備をして参ります」
離塔に足を踏み入れたとたん、カーラは浴室へと向かった。この離塔は、十年前の流行病のときに、ラクシュリーナの母親が使用していた建物である。病に冒された者を隔離するための場所なのだ。
今では病に冒されてはいないラクシュリーナが、ここで生活をしている。
皆と離れて生活をしているだけで、なんら不便もない。食事に必要な物は運ばれてくるし、身を守ってくれる近衛騎士も、身の回りの世話をしてくれる侍女もいる。
「浴室の準備が整うまで、暖炉の前にいなさい。あとで、サライアスにこの塔を案内してもらってね。ここは談話室。誰でも自由に使える部屋よ」
サライアスが暖炉に薪をくべ、火を強くした。そこに、浴室の用意をしたカーラが、乾いた大きなタオルを手にして現れた。
「とりあえずは、こちらでも羽織っていてくださいな。すぐに、湯はたまりますからね」
アイスエーグル国は、大陸を縦に走っているクスク川の上流の水を、龍魔石を用いて浄化して使っている。龍魔石とは、龍の鱗が作り出す石のことで、おとぎ話に出てくる魔法のような不思議な力があることから、龍魔石と呼ばれていた。
この龍魔石を管理するのも、王族の務めでもある。氷龍の龍魔石は水に関する能力を持ち、水を浄化したり水を冷やしたりすることができる。
そして、風呂の水をあたためるのは、火龍の龍魔石の能力である。
こういった龍魔石は、国と国で条約を決めてやりとりがされていた。お互いにお互いの龍魔石が必要であるため、年間の使用量と使用可能量を算出して、外交の場での議題としている。今のところ、どこかの国が龍魔石を独占するといった動きは見られていない。
エセルバードが風呂に入っている間、ラクシュリーナはぬくぬくと茶を飲み始める。
サライアスは使用人のマルクを呼び出した。
マルクもゼクスも龍魔石に関する特殊な仕事を与えられていた。使用人であるが、彼らはそれだけ特別な人間でもあるのだ。血筋と人柄と、そういったことを総合的に判断して仕事を決めていく。
マルクにエセルバードの件を伝えると、問題ないとのことだった。マルクが養子として引き取ったわけでもなく、仕事を与え、衣食住が手に入るように手助けしただけ。エセルバードが騎士を目指すのであれば、それはそれでよいのでは、というのがマルクの考えでもある。
マルクも人のよさから、本当に身寄りを亡くした子の世話を焼いていただけにすぎないのだ。
ラクシュリーナは、少し離れた長椅子で、サライアスとマルクの話を聞いていた。
彼らが談話室で話をしていると、ちょうどエセルバードが風呂を終えて姿を現した。身体もあたたまったのだろう。色の悪かった唇に血色も戻り、ほくほくと湯気が出ているようにも見える。
「あ、マ、マルクさん……」
「エセル。話はサライアス様から聞いた。お前が決めたのなら、それでいいんじゃないのか?」
「あ、ありがとうございます」
「ゼクスじいさんの頼みだったからな。まぁ、お前さんが俺んとこにいるよりも、サライアス様のところにいたほうが、じいさんも天国で安心できるだろうな」
「そんなことは……」
その言葉にエセルバードがしどろもどろし始めると「冗談だ」と言って、マルクは立ち上がる。
「では、失礼します」
余計な言葉は口をせずに、マルクは深く腰を折って部屋を出て行った。
「マルクも公認ね。これで、好きなだけここにいれるわね」
ラクシュリーナの言葉に、サライアスは目を糸のようにする。
「姫様。先ほども言いましたし、何度も言いますが。エセルバードは騎士として私が鍛えます。けして、姫様と遊ばせるためにマルクから引き取ったわけではありませんので」
「失礼ね、サライアス。何度も言っているでしょう? わたくしは子どもではありません。だけど、エセルバードに勉強を教えるのはいいでしょう?」
とにかく何かと口実をつけて、彼女はエセルバードと時間を一緒に過ごしたいらしい。
それもラクシュリーナの境遇を考えると、仕方のないことなのかもしれない。
サライアスは深く長く息を吐いた。
「人に教えることは自身の勉強にもなりますからね。教師がよいと言えばいいのでは?」
「それってサライアスの経験みたいで、説得力があるわね。あなたもよく人に教えているものね」
それは彼の立場上、必要なものであるからだ。
だが、サライアスもなんだかんだでラクシュリーナには甘い。そのため、強くは言えない。
「あ、エセルバード。エセルバードは呼びにくいわね。わたくしもエセルと呼んでいいかしら?」
「は、はいっ……」
「では、エセル。喉は渇いていないかしら? お風呂に入って、水分を奪われたでしょう? ハーブティーは苦手? 普通の紅茶のほうがいい?」
「姫様、あとは私がやりますから。姫様は、一度お部屋にお戻りください。そろそろ勉強の時間では? それとも、その勉強をエセルを利用してさぼろうと思っているわけではないですよね?」
サライアスがそう言えば、ラクシュリーナは不満だとでも言うかのように、唇をとがらせた。
「そのような顔をされても無駄です。カーラ、姫様をお願いします」
「はいはい、姫様。エセル様はサライアス様にお任せして、姫様はお部屋に戻りましょう」
ラクシュリーナは、唇をとがらせたまま談話室を後にした。
塔の上にある自室を目指す。くるくると螺旋になっている階段を上っていく。
ラクシュリーナは、けしてここに幽閉されているわけではない。塔の外には自由に出られるし、公務があれば向こうに足を運ぶときだってある。
ラクシュリーナが離塔で暮らしているのは、国王でもある父親から嫌われているからだ。
十年前の流行病で王妃が命を失ったのは、ラクシュリーナが彼女にその病をうつしたためだった。幼いラクシュリーナを、母親である王妃は、根をつめて看病した。ラクシュリーナは子どもで体力もあり、母親の看病のおかげで回復した。
しかし、病をうつされた王妃は違った。たくさんの人々の命の灯火が消えていく中、王妃の命も尽きた。あの病から回復した者は、百人に一人いるかいないかと言われているくらいだ。特効薬もなく、かかったら最後。待っているのは死のみ。
国王は、王妃を愛していた。その命を奪ったのはラクシュリーナだと思っている。
王妃の葬儀が終わったあと、国王はラクシュリーナに言ったのだ。
――当分、お前の顔は見たくない。
幼いラクシュリーナも、父親から嫌われたのを瞬時に悟った。
ラクシュリーナには兄が二人と姉が一人いて、末の妹に向かってそのような言葉を吐いた父親を、一番上の兄が咎めた。それでもラクシュリーナは、これ以上、父親から嫌われたくなかった。
だから離塔で暮らす話を受け入れた。
ラクシュリーナは亡き王妃にうり二つである。髪の色も、瞳の色も。そして顔の造形も。
国王は今でも、ラクシュリーナの顔を見ると、憎悪を含んだ瞳で見つめてくる。
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