氷龍の贄姫

澤谷弥(さわたに わたる)

文字の大きさ
上 下
2 / 9

第一話:出会

しおりを挟む
 ウラグス大陸の北に位置するアイスエーグル国は、一年の三分の一が雪で覆われる国である。冬に十分な雪が降らなければ、春から夏にかけて周囲が水不足に陥ってしまうため、アイスエーグル国は水瓶の国とも呼ばれていた。

 昔から、北にあるコミル山に三度雪が降れば、平地にも雪が下りてくると伝えられている。こういった言い伝えとは、不思議と当たるもの。
 さらに雪が降ると、王城の空を何体もの氷龍が嬉しそうに飛び回る。氷龍はアイスエーグル国の象徴とも言われている存在であり、氷龍の力のおかげで、寒さが厳しいこの地方でも生活は豊かであった。

 氷龍はその名の通り氷の龍である。身体の色は氷のように透明で、飛翔する姿も天気によっては見えたり見えなかったりする。

 人々は氷龍を心から敬愛しており、氷龍の像を各地に建てて奉っている。年明けには、氷龍とともに新しい年の門出を祝うお祭りも開かれていた。

 ウラグス大陸には、氷龍のアイスエーグル国のほか、火龍のフレイムシアン国、風龍のウィンドセリー国、土龍のソイルバエ国の四つの国があり、それぞれの国が象徴とする龍の加護を受けている。




 今日は、朝から静かに雪が降っていた。
 先ほどより、子どもたちの賑やかな声が外から聞こえてくる。声の主は、きっと使用人の子どもたちにちがいない。

 雪が降って喜ぶのは、子どもと犬くらいなのだ。大人と猫は、あたたかな室内でのんびり過ごしたいと考えている。

 だが、この国の第二王女であるラクシュリーナは、そのどちらにも分類されないような微妙な年頃である。雪が降ったから外で遊びたいわけでもないし、暖炉の前でぬくぬくとしていたいわけでもない。

 ただ、雪で遊んでいる子どもたちの様子が気になって、ぼんやりと外を眺めていた。アイスエーグルの王城は『工』の形をしており、奥が使用人やその家族の居住棟となっている。子どもたちも仕事を与えられ働いているときもあれば、勉強をするときもあり、そしてこのように遊んでいるときもある。

 特にラクシュリーナが与えられた部屋からは、外で遊ぶ子どもたちの様子がよく見えた。

 年頃の女性が好みそうな、薄い黄色を基調とした明るい部屋である。壁には花が咲いたような刺繍が施され、カーテンも絨毯も、春の訪れを感じさせるような淡い色。

「サライアス。外に出たいのだけれど、よろしいかしら?」

 控えの間にいる近衛騎士、サライアス・オルコットに声をかけた。彼はラクシュリーナから見たら、父親に近い年代である。赤茶の髪を短く刈り、茶色の瞳も力強い。身体も大きく、ラクシュリーナは彼と話すために見上げる必要がある。近衛騎士としてこれほど心強い者もいないだろう。

 そんな彼が未だに独身であるのは、十年前に婚約者を失ったからだと聞いている。十年前、アイスエーグル国には質の悪い流行病が蔓延したのだ。彼は、十年経った今でもその婚約者を忘れられずにいるらしい。一途といえば聞こえはいいが、未練がましい、女々しいという声も聞こえてくる。

 そういった理由もあって、彼はラクシュリーナの近衛騎士隊長を命じられた。彼はすぐにラクシュリーナの側へとやってきた。

「はい。ですが、外は雪が降っておりますので、あたたかな格好でお願いします」
「もう。わたくし、子どもじゃないのよ」

 二人のやりとりを、やわらかな眼差しで見守っているのが、侍女のカーラである。彼女はラクシュリーナの母親よりもずっと上の年代で、サライアスすら子どものように扱ってしまう。何事もおおらかに包み込むような、おっとりとした女性だ。彼女もまた、十年前の流行病で娘夫婦を失っている。

 カーラはラクシュリーナに兎の毛皮のコートを羽織らせた。この兎はアイスエーグル国で皮用に養殖されているものである。寒さが厳しい国ならではの産業ともいえよう。

 ラクシュリーナは、白藍の髪を結わえずにおろすようにと、カーラに命じた。寒い日は髪をおろすと、首元があたたかい。

 カーラとサライアスを従え、外に出る。雪の降り始めの季節だからか、それほど寒くはなかった。
 一面の月白色の世界に、ラクシュリーナは紫紺の目を細くする。太陽は出ていないが、雪の色はまぶしい。さくりさくりと雪を踏みしめ、子どもたちの側に近づく。

「あなたたち、楽しそうね。いったい、何をしているのかしら?
「げ、姫様」
「人の顔を見て、げって、失礼じゃないの」
「え? いや、あっ。ははっ、わ~、逃げろ~」

 今まで雪遊びをしていた子どもたちは、蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。残ったのは、踏み荒らされた雪と一人の男の子。

「見かけない子ね」

 ラクシュリーナは雪の上にうずくまる男の子を見下ろした。

「ああ、この子はゼクスのところにいた子ですね。ゼクスが亡くなったあと、こちらで仕事を与えた聞きました。今は、マルクが世話を焼いています」

 ゼクスとは数年前まで王城で使用人として働いていた男だ。年齢を理由に辞め、家族のもとに戻ったと聞いていたが。

「え? ゼクス、亡くなったの? この子はゼクスの孫ってこと?」

 カーラから聞いた話は、ラクシュリーナにとっては初耳だった。
 かつての使用人がどうなったかだなんて、いちいち情報は入ってこない。カーラもわざとそういった情報を聞かせようとはしなかったのだろう。ラクシュリーナの立場を考えれば、仕方のないことかもしれない。

「まあ、いいわ。それよりもあなた。立ちなさい、立てるでしょう」

 その声に、男の子はピクッと反応した。

「立ちなさい、これは命令よ」

 観念したかのように、彼はすっと立ち上がる。力強い天鷲絨《びろうど》の瞳は、ラクシュリーナをじっと見上げている。

「わたくしはラクシュリーナ、十六歳よ。あなた、お名前と年齢は?」

 天鷲絨の瞳がやわらかく揺れた。

「エセルバード、六歳」
「まあ、お利口ね。だけど、あなたの素敵な髪が濡れているわ。珍しい色ね。春に咲き誇るたんぽぽみたいな色。春の色だわ」

 ラクシュリーナはサライアスの髪に触れる。

「あ、濡れているのは髪だけじゃないわね。全身、びしょ濡れよ。カーラ、この子を浴室に案内して」
「姫様。使用人の子を勝手にそのようにしては……」
「大丈夫よ。ね、サライアス」

 ラクシュリーナがサライアスを見上げると、彼は少しだけ身体を引いた。

「サライアスは結婚する気がないのでしょう? だから、この子を弟子にしたらどうかしら?」
「姫様の話が飛躍しすぎていて、私には理解できません」
「この子、あれだけ集中的に雪玉を投げつけられていたのに、ひるむことなく相手に対抗していたの。それに雪玉をよける動きも機敏でよかったわ。今からあなたが育てれば、十年後にはこの国一の騎士になる。だから弟子にしなさい。そして、サライアスの弟子なら、風邪をひかないように、浴室で身体を温める必要があると思うの。ね、これですべての問題は解決よ」

 カーラとサライアスは困ったように顔を見合わせた。

「……姫様のご推薦であれば、鍛えがいがあるということでしょう」

 身体を震わせていたエセルバードは、クシュンとくしゃみをした。ラクシュリーナは慌てて自分の首元をあたためていた若草色のマフラーで、彼を包み込む。

「昔から、首のつくところをあたためなさいと言うの。首と手首と足首ね。とりあえず今はこれで首だけでもあたためて」

 驚いたように目を見開いた彼は、マフラーをきゅっと握りしめた。

「エセルバード、君はどうする? 私の弟子になってこのまま浴室に向かうか、そのマフラーをおいてこの場を去るか」

 冷ややかな言い方をしたサライアスだが、いじわるをしているわけではない。エセルバードの心構えを確認しているのだ。

 エセルバードはサライアスを見上げる。言葉を紡ぎ出そうとする小さな唇が震えている。

「ぼ、ボク……。騎士になりたいです。立派な騎士になって、姫様を守りたいです。ボクでも騎士になれますか?」

 エセルバードの言葉に、サライアスはゆっくりと微笑む。

「ああ。私の鍛錬についてこられるなら、姫様を守れるだけの立派な騎士になれるだろう。決まりだな」

 そう言ったサライアスは、少しだけ口元をほころばせた。

「サライアス、何を考えているの? あなたがそういう顔をしているときは、何かを企んでいるときなのよ」

 サライアスの微妙な笑顔を見つめたラクシュリーナは、眉間にしわを寄せて睨みつける。

「いえ、何も企んでおりませんよ?」

 ラクシュリーナにとっては信じられないような言葉だ。
 そう、このときのサライアスはエセルバードを養子にしようと考えていた。結婚する気のないサライアスに子を望むのは難しい。となれば養子をとる必要がある。だが、その話もこじれていて面倒くさくなっていた。何しろサライアスはオルコット侯爵家の当主でもある。やはり十年前の流行病で両親を失い、当主を引き継いだ。それが面倒くさい立場の理由である。

 エセルバードであれば、かつての使用人であったマルクの孫だ。マルクだって男爵位の男だった。となれば、それなりの血筋でもある。そんなことを、サライアスは密かに考えていた。

 もちろん、ラクシュリーナには当分、言うつもりはない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

聖女は聞いてしまった

夕景あき
ファンタジー
「道具に心は不要だ」 父である国王に、そう言われて育った聖女。 彼女の周囲には、彼女を心を持つ人間として扱う人は、ほとんどいなくなっていた。 聖女自身も、自分の心の動きを無視して、聖女という治癒道具になりきり何も考えず、言われた事をただやり、ただ生きているだけの日々を過ごしていた。 そんな日々が10年過ぎた後、勇者と賢者と魔法使いと共に聖女は魔王討伐の旅に出ることになる。 旅の中で心をとり戻し、勇者に恋をする聖女。 しかし、勇者の本音を聞いてしまった聖女は絶望するのだった·····。 ネガティブ思考系聖女の恋愛ストーリー! ※ハッピーエンドなので、安心してお読みください!

純白の牢獄

ゆる
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

王宮侍女は穴に落ちる

斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された アニエスは王宮で運良く職を得る。 呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き の侍女として。 忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。 ところが、ある日ちょっとした諍いから 突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。 ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな 俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され るお話です。

ツケが回ってきただけのお話

下菊みこと
恋愛
子供っぽいどころか幼児返りした王妃様のお話。 なんでこうなった感すごい。 側妃可哀想。子供達可哀想。特別言及してないけど常にハラハラしっぱなしの使用人たちと側近たち可哀想。 小説家になろう様でも投稿しています。

呪われた生贄王女は人質として隣国に追放されて、はじめての幸せを知る~男になりすましていたのに、隣国王子からの愛が止まらない?〜

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
ファンタジー
アウローラ国の王女・ベッティーナは約十年間、小さな屋敷に閉じ込められていた。 呪われていると噂される彼女。実際、白魔法という精霊・天使を従えることのできる血が流れているはずが、彼女は黒魔法使いであり、悪霊・悪魔を従えていた。 そんな彼女に転機が訪れる。隣国・シルヴェリに生贄の人質として渡ることになったのだ。弟の身代わりであり男子になりすますよう命じられる、ベッティーナはこれを受ける。 作家になる夢があり、勉強の機会が増えると考えたためだ。 そして彼女は隣国の王子・リナルドの屋敷にて生活することとなる。彼は執事のフラヴィオと懇意にしており、男色疑惑があった。 やたらと好意的に接してくるリナルド王子。 彼に自分が女であることがばれないよう敬遠していた矢先、敷地内の書庫で悪霊による霊障沙汰が起こる。 精霊と違い、悪霊は人間から姿も見えない。そのため、霊障が起きた際は浄化魔法が施され問答無用で消されることが一般的だ。 しかし彼らが見えるベッティーナは、それを放っておけない。 霊障の解決を行おうと、使い魔・プルソンとともに乗り出す。 そんななかで、リナルド王子が協力を持ちかけてきて―― その後はやたらと好意的に接してくる。 はじめは疎ましいとしか思っていなかったベッティーナ。 しかし、やがて彼との関係が壮絶な過去により凍り付いたベッティーナの心を溶かしていく。 隣国の男色(?)王子と、呪われ王女が紡ぐロマンスファンタジー。

【完結】拾ったおじさんが何やら普通ではありませんでした…

三園 七詩
ファンタジー
カノンは祖母と食堂を切り盛りする普通の女の子…そんなカノンがいつものように店を閉めようとすると…物音が…そこには倒れている人が…拾った人はおじさんだった…それもかなりのイケおじだった! 次の話(グレイ視点)にて完結になります。 お読みいただきありがとうございました。

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

処理中です...