夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません

澤谷弥(さわたに わたる)

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愛しているとは言ってくれないのか?(6)

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◇◇◇◇

 シャーリーは、斜め前に座って食事をする男に視線を向けた。

 彼の名はランスロット・ハーデン。このオラザバル王国の王国騎士団の団長を務める男である。
 なぜそのような人物と一緒に食事をしているのか。
 それは、結婚をしたからだ。

 いや、シャーリー自身はその記憶が全くない。だけど、シャーリーがランスロットと結婚をしたという証明書がある限り、間違いではない。

「どうかしたのか?」

 じっと彼を見つめ過ぎてしまったようだ。だから彼も気づいたのだろう。

「いえ……」

 このような広い食堂で、彼と二人で食事をしているのが変な気分だった。
 だが目の前に彼がいるのではなく、少し離れた斜め前にいてくれるおかげで、なんとかシャーリーも食事をすることができる。

 シャーリーは自他共に認める、男性恐怖症である。男性に触れることができない。以前は、話すこともできなかったが、友人のアンナのおかげもあって、適切な距離を保てば会話は可能となった。その適切な距離が、六歩程離れることである。

 シャーリーの五歩圏内に入り、会話をすることができる男性は、家族であるコルビー家の者たちだけ。つまり、父と弟たち。

「そうだ、シャーリー」

 ランスロットは、何かを思い出したかのように彼女の名を呼んだ。

「先ほどは助かった。ありがとう。また、ああいったお願いをしてもいいだろうか?」

 先ほどと言われて、シャーリーは小首を傾げる。何をしたのか、思い出せなかった。

「あの、書類だ」

 ランスロットがそこまで口にしたところで、彼女ははっと思い出した。

 急ぎ確認してもらいたいものがあると、イルメラから手渡された書類。
 数値が羅列してあったため、何かの会計報告書であると思った。だが、計算がところどころ間違えている。桁がずれていて、零が足りていないところもあった。

「はい。お役に立てて何よりです。それが、私の仕事ですから」

 シャーリーは事務官だ。騎士や魔導士や薬師の誰かの専属事務官ではなく、いろんな部署の少し足りないところを手伝うような、何でも屋のような存在の事務官である。
 特に、こういった計算を必要とする予算案や決算書の最終確認をするのがシャーリーの役目である。彼女の確認を受けた書類が、その後、監査室に提出される。

「それから……。あのメッセージも嬉しかった」

 メッセージ。それは、シャーリーが修正案の下の方に少しだけ書いた文章のことだろう。
 あまりにも計算の間違いが多かったため、彼が疲れているのではないかと思ったのだ。だから、疲れを取るために甘いものを食べて、すっきりしたところでもう一度書類と向き合って欲しかった。ただそれだけのこと。

「そうですか。それは、良かったです。ですが、ハーデン団長は、計算の間違いが多いようです」

 シャーリーがはっきりと口にすると、ランスロットは「うぐっ」と言葉を詰まらせた。
 もしかして、パンでも喉に詰まらせたのかと思って焦ってしまったが、気まずそうに水で喉を潤しているところを見る限り、そうではなかったようだ。

「シャーリー」

 落ち着いたところで、彼はもう一度シャーリーの名を呼ぶ。

「はい」

 男性が苦手であるが、話しかけられた以上、無視をしようという気にはならない。必要最小限の会話はこなす。それが、自他ともに認める男性不信のシャーリーが努力しようとしているところでもあった。

「俺のことは、どうかランスと。そう、呼んでもらえないだろうか……」

 彼から紡ぎ出された言葉に、シャーリーは目を丸くする。

 なぜ、シャーリーが彼の名を愛称で呼ばなければならないのか。
 ランスロットに言わせれば「結婚をしたから」なのだろうが、残念ながらシャーリーにはその記憶がない。結婚誓約書も偽物だとか、サインも偽造されたものとか、そう思ってしまうくらいに、記憶がない。

 ただ、あの証明書には教皇のサインがあったこと、が入っていたこと等から、本物であると判断した。
 それでも信じられないくらいだというのに。

「無理です。残念ながら、私には結婚した記憶がございませんので。心も伴わない言葉を口にされても、嬉しくはないでしょう?」
「愛しているとは、言ってくれないのか?」

 ランスロットのその言葉に、シャーリーは顔を動かさず、視線だけで彼を見た。

(ハーデン団長は、何をおっしゃっているの?)

 心臓がトクトクとなぜか高鳴っている。だから今すぐに口を開けば、動揺していることが相手に知られてしまう。
 ゆっくりと瞬きをして、気持ちを落ち着ける。

「何度も同じことを言わせないでください。今、私がハーデン団長と一緒にいるのは、結婚誓約書があるからです。ですが、私にはその記憶がございません。できることならば、誓約書を無効にしていただきたいくらいなのですが。離縁でもかまいません」
「それは……。駄目だ。君は、記憶を失っているだけだから。記憶が戻った時に困るのは、君だ」
「でしたら。あまり変なことを口にしないでいただけますか?」

 シャーリーはランスロットから視線を逸らすと、目の前の肉をナイフで切り始めた。

 その様子を見ていたセバスがランスロットにそっと近寄り、肩をポンと叩く。
 情けない表情でセバスを見上げるランスロットに、セバスはゆっくりと首を横に振っていた。

 肉を口元へ運びながら、シャーリーは横目でその様子を見ていた。
 だけど、なぜか胸が苦しかった。
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