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愛しているとは言ってくれないのか?(1)
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◆◆◆◆
ランスロットは職場に戻ることはしなかった。
屋敷の執務室で、ハーデン家の当主として目を通さねばならない書類に視線を落としていた。だが、本当に視線を落としていただけで、文字が目の前を滑っていく。
頭に入ってこないのだ。
「はぁ……」
大きく息を吐くと、目の前の書類がふわっと浮いて、机の向こう側に落ちそうになったため、慌てて両手で書類を押さえた。
「旦那様……」
少し離れたところにセバスがいる。
「お茶でも淹れますか? 奥様に振られた者同士、慰め合いますか?」
セバスの言葉に、ランスロットは眉間に深く皺を刻んだ。
振られた――。
そういうことになるのだろうか。
「俺は……、振られていない」
言葉にしながら、頭を両手で抱え込む。
(振られた? 俺は振られたのか? てことは、離縁するのか?)
「離縁はなさらなくても、よいかと思います。奥様の記憶が戻られるのを、待ちましょう」
コトっと机の上に何かを置く音で顔をあげると、セバスがにこやかに微笑んでお茶の入ったカップを置いたところであった。
「お前は……。俺の心が読めるのか?」
「旦那様とは長年の付き合いでございますから、お考えになるようなことはわかります」
それでも「離縁しなくてもいい」という言葉が、ランスロットの心を救っていた。
カップに手を伸ばしお茶を一口飲むと、身体の中から温かくなり、次第に荒れた心も落ち着いていく。
「シャーリーの記憶は、戻るのだろうか……」
その問いにセバスは答えない。そもそもその問いに正確な答えはないからだ。
「医師が言うには、奥様はここ二年ほどの記憶を失っているとのことです」
「二年か……」
二年前といえば、ランスロットがシャーリーを知ったちょうどその頃だ。となれば、彼女はまだ男性に対して、畏怖を抱いていた頃。
「だから、俺も六歩か……」
事務官として優秀な彼女であるが、男性と触れることができないのが欠点であった。そのため、彼女はずっと地下にある事務所内にこもっていた。
誰かが持ってきた書類を黙々とこなすことが彼女の仕事だった。他の事務官は、書類の持ち運びや、王城で働く各人たちに頼まれた雑用などもこなしていたようだが、彼女だけはあの事務室から出てくることはなかった。
だから、こそっとつけられたあだ名は「モグラの女」である。
そしてランスロットは知っている。他の事務官からも、書類仕事を押し付けられていて、誰よりも数をこなしていたことを。それに文句一つ言わず、粛々とやり遂げていたことを。
そんなランスロットが彼女を知ったきっかけは、いつもの予算案が丁寧に修正されていたことだ。
「旦那様、過去に浸るのはまだ早いですよ」
セバスに声をかけられ、はっと現実に引き戻される。
「今日は、騎士団のお仕事もお休みになったようですから。できればこちらの書類を片付けていただけると、非常に助かります」
丁寧で遠回しな言い方であるが、ようするに「仕事しろ」とのことである。
湯気が立ち昇るカップを恨めしそうに見つめてから「わかった」とだけ答える。
「ただ、この書類は……。シャーリーにも手伝ってもらいたいのだが。彼女は、今、こういったことがわかるのだろうか」
そう言って、セバスの目の前に差し出したのは、やはり金勘定に関わる書類。
「そうですね。これは旦那様が苦手なものですね。イルメラに頼んで、奥様にこちらの書類を確認してもらうことにしましょう。記憶は失っていても、日常生活に支障はないようですので」
セバスの言葉を聞いたランスロットは、ほっと胸を撫でおろす。
この書類は、急ぎのようなのだが、どうしても計算が合わない箇所が一か所だけあった。
「悪いが、それは急ぎ確認して欲しいと、伝えてもらえるか?」
「承知しました」
セバスが部屋を出ていく様子を目で追っていたランスロットであるが、カップの湯気の勢いがなくなっているのを確認すると、仕方なく書類に視線を戻した。
ランスロットは職場に戻ることはしなかった。
屋敷の執務室で、ハーデン家の当主として目を通さねばならない書類に視線を落としていた。だが、本当に視線を落としていただけで、文字が目の前を滑っていく。
頭に入ってこないのだ。
「はぁ……」
大きく息を吐くと、目の前の書類がふわっと浮いて、机の向こう側に落ちそうになったため、慌てて両手で書類を押さえた。
「旦那様……」
少し離れたところにセバスがいる。
「お茶でも淹れますか? 奥様に振られた者同士、慰め合いますか?」
セバスの言葉に、ランスロットは眉間に深く皺を刻んだ。
振られた――。
そういうことになるのだろうか。
「俺は……、振られていない」
言葉にしながら、頭を両手で抱え込む。
(振られた? 俺は振られたのか? てことは、離縁するのか?)
「離縁はなさらなくても、よいかと思います。奥様の記憶が戻られるのを、待ちましょう」
コトっと机の上に何かを置く音で顔をあげると、セバスがにこやかに微笑んでお茶の入ったカップを置いたところであった。
「お前は……。俺の心が読めるのか?」
「旦那様とは長年の付き合いでございますから、お考えになるようなことはわかります」
それでも「離縁しなくてもいい」という言葉が、ランスロットの心を救っていた。
カップに手を伸ばしお茶を一口飲むと、身体の中から温かくなり、次第に荒れた心も落ち着いていく。
「シャーリーの記憶は、戻るのだろうか……」
その問いにセバスは答えない。そもそもその問いに正確な答えはないからだ。
「医師が言うには、奥様はここ二年ほどの記憶を失っているとのことです」
「二年か……」
二年前といえば、ランスロットがシャーリーを知ったちょうどその頃だ。となれば、彼女はまだ男性に対して、畏怖を抱いていた頃。
「だから、俺も六歩か……」
事務官として優秀な彼女であるが、男性と触れることができないのが欠点であった。そのため、彼女はずっと地下にある事務所内にこもっていた。
誰かが持ってきた書類を黙々とこなすことが彼女の仕事だった。他の事務官は、書類の持ち運びや、王城で働く各人たちに頼まれた雑用などもこなしていたようだが、彼女だけはあの事務室から出てくることはなかった。
だから、こそっとつけられたあだ名は「モグラの女」である。
そしてランスロットは知っている。他の事務官からも、書類仕事を押し付けられていて、誰よりも数をこなしていたことを。それに文句一つ言わず、粛々とやり遂げていたことを。
そんなランスロットが彼女を知ったきっかけは、いつもの予算案が丁寧に修正されていたことだ。
「旦那様、過去に浸るのはまだ早いですよ」
セバスに声をかけられ、はっと現実に引き戻される。
「今日は、騎士団のお仕事もお休みになったようですから。できればこちらの書類を片付けていただけると、非常に助かります」
丁寧で遠回しな言い方であるが、ようするに「仕事しろ」とのことである。
湯気が立ち昇るカップを恨めしそうに見つめてから「わかった」とだけ答える。
「ただ、この書類は……。シャーリーにも手伝ってもらいたいのだが。彼女は、今、こういったことがわかるのだろうか」
そう言って、セバスの目の前に差し出したのは、やはり金勘定に関わる書類。
「そうですね。これは旦那様が苦手なものですね。イルメラに頼んで、奥様にこちらの書類を確認してもらうことにしましょう。記憶は失っていても、日常生活に支障はないようですので」
セバスの言葉を聞いたランスロットは、ほっと胸を撫でおろす。
この書類は、急ぎのようなのだが、どうしても計算が合わない箇所が一か所だけあった。
「悪いが、それは急ぎ確認して欲しいと、伝えてもらえるか?」
「承知しました」
セバスが部屋を出ていく様子を目で追っていたランスロットであるが、カップの湯気の勢いがなくなっているのを確認すると、仕方なく書類に視線を戻した。
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