この世界には縁がない

病好蛾蝶

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第三章:世界の裏側には縁がない

虚像

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 あれは、空を飛べるようになって間もない頃、黙って飛行の練習をしていたとき。アドレナリンと慢心に囚われ、私が一千メートル以上の高さを誇る議事堂よりも高く飛んだ日。

突如吹き荒れた摩擦力のない突風と、経験不足から身体のコントロールが効かなくなり頭からフルスピードで落ちていく。

身体が熱くなったり冷たくなったり、頭が縛られるように痛くなったり、空気の音が鼓膜の中で爆発したり。
幼いころに一度だけ、死んでしまうんじゃないかと思った日。さっき、私は近いモノを体験していた。

光が届かず上も下も分からない、音もない世界を落ちていた。突然現れた光に包まれ、頭を固い何かにぶつけてしまう。

 天地がひっくり返ったように視界があやふやになり、頭がボーーッとする。何も考えられない、目の前にあるものすべてを『そのまま』捉えてしまうくらい。

「——、——!!!」

「――! ——!」

 二つの聴き取れないされど激しい音を聞いたとき、私は正気を取り戻し、同時にそれまで故障していた視覚を取り戻した。

 目の前に広がっているのは真っ白な天井。光で覆われて白光している。どこからか漂う様々な臭い。血や植物、水中生物の臭いも。

「あれは言葉の綾です。そう言っているじゃないですか!」

「うるせぇタコ! 殺すぞタコ‼」

 ……何度も聞いたことのあるこの声は、モーリスとゴッホ。
 上半身を起こすと、それまで鈍っていた痛覚が息を吹き返した。

「アァァァ‼」

 情けない声が搾り出てしまった。汚く欲が消えていきそうな破滅的な呻き。

 愛する帝の悲鳴を聞いて、花嫁候補が放っておくわけがない。

「旦那様! おおぉぉ痛ましや……哀れな姿に」

「え、そんな大変なことになってる? まさか折れてるとか……」

「御心配にはおよびません。ただ少し、お洋服が破れてしまっただけです」
 何事もない……と思いたい。ただ身体こそズキズキと痛むが、動かすのが億劫になるほどの感覚は無い。

「うぅぅぅ――旦那様、おいたわしや。クソバカ女に酷い目に遭わされて、それも二回も」

「うん、あの、モーリス――」

 傷口が痛むからそこを撫でるのは止めて欲しい――という言葉は出なかった。
 徐々に痛みが引いていき、傷口が治っていく。魔法をかけてくれていた。

「さて、感動の再会はここまでにして、話の本題に入ってもいいですか?」

 部屋に高らかと響き渡るゴッホの声。寝起きだからか頭にズキズキと不愉快に殴られた刺激が走る。

「まずは、ようこそいらっしゃいました。ここは私が公的に所有している研究所でございます。入れる人は私が許可したものだけですし、ここにはカメラもありません」

 そこはとても足が宙に浮いているような居心地の悪い空間で、呼吸するたびに肺が詰まりそうな場所だった。

 四方を囲んでいる壁はとても無機質で人間味を感じさせないほど白い。壁際に置かれている棚や机などの家具も白色で統一されているが、側面だけは黒色。

 実験器具は散らばっていた。散らばった資料と試験官を立てかけている机の上、大きなかごの中では器具が幾つも浸っていた。棚には色取り取りの液体が入った容器だらけ。

 一番のメインはゴッホが座っている場所だ。三面に渡る巨大モニターが飢えに設置されていて、それを操るためであろう大小形変わる幾つものコントローラーがちょうど真下にある。

 白衣を着こなしているゴッホは大臣のよう。「これを見てください」と私たちの視線を画面の方に注目を向かせた。

「……え~と、ボコッ、ガガッ、サアッ」

――マジかモーリス

「分かりやすく要約いたしますと。オルフェ先輩統治時代と今を比較したものです」
 画面中央には棒・千・円など数々のグラフ、左右に同じ場所で撮ったであろう似たような構図の写真。
 私に関係するものは全て左側。見たところ写真はそれほど変化もないし、グラフに関しては右肩上がりなものが多い。

「今の方が良くなっている印象があるよ、私の頃より……」

「オルフェ先輩、棒グラフの方を良くご覧ください」

「」
 ——気づいた。

 右肩上がりに上がっている、上がりすぎている。滑らかな成長曲線を描くはずの棒グラフが、誰かが不正したとしか思えない伸び方をしている。

 よく見ると、目安の数字が異なっている。私の頃は千や万で比べているものが、左ではより細かな数字で刻まれている。

「ウソつきによる数字のマジックですよ、調べてみたらあまり変わっていません。それでも、国民には良いモノとして受け取られていますよ『あぁ、やはりオルフェ皇帝を失脚させて正解だった、民主主義万歳』と」

「こんなの、許したらいけないでしょ」

「だって昔と変わらなかったら革命起こした意味無いでしょ。マスカの春を正当化するのに必死なんですよ」

 マスカの春とは、サロジュリア内で勃発した民主化を目的とする、軍人・民間人が結託して行った反政府デモの総称。これにより帝国主義及び約六世紀に渡るモンテスキュー一族による国家統治は終わり、私が処刑される理由ともなった事件。

 世界ではマスカの春として『英雄的出来事』と評価を受けているが、地理も国民性も環境も違う世界で、なぜ画一的価値観で判断されないといけないのか私には分からない。

 物憂い。
 ふけているとモーリスが「あれ?」と大きな声をあげた。

「どうしたの?」

「写真がなんか……変というか、気持ちが悪いというか……」

 もう一度画面に目をやるが、どちらも同じように見える。同じ構図、同じもの、同じ風景……私の頃とあまり変わっていないが、成長が鈍化しているのであれば仕方はない。

「モーリス、どう気持ちが悪いの?」
 何が気持ち悪いと思ったのか。もっと奥深く聞いてみたい。

「いや、ホントになんとなくなんですけど……ウソ感があって」

「ウソ?」

 写真に目をやる。気づいた。モーリスの言いたいことが。

 どちらも写真に変化がない、構図、背景、町の様子。人の数から影の角度、ポスターのたれ具合まで。

 マスカの春には武力行使や犯罪率の上昇を招いてしまった負の側面もある。特にマスカは深刻なダメージを受けた。最後に見た光景は闇夜に包まれ荒廃した町で、戦地に行った両親を思いながら泣き叫ぶ少女。

 あの光景を見た私ならハッキリといえる。そんなわけがないと。

「フェイク」

「え?」

「これは嘘だよ。本当の町を映した姿じゃない。どんやったかわからないけど、これは偽物だ」
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