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22話 蛙の子①
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「それにしてもヒドいです。あれからなんの音沙汰もないので白玉は忘れられたかと思いました」
ぷうと白玉が頬を膨らませる。鍋島はそんな白玉の機嫌を取るように、脂汗をかきながら弁明する。
「いや、白玉の母様にああ啖呵を切った以上はケジメを付けないといかんと思ってだな」
「別に会っちゃいかんなんぞ一言も言っとらんぞ」
葉月は鍋島に冷たく言い放った。それを聞いた鍋島は、そんなぁと声を漏らす。
「それじゃあ、これからはバンバン会いに行きますよ!」
鍋島はへこたれずにそう宣言した。鍋島は苦労しそうである。
――さて、この下町深川にも本格的な夏がやってきた。今日は夏日で朝食を作るだけで汗をかくほどである。
「ほら、水着の袋忘れてるぞ」
「あー、いけない」
瑞葉の小学校は今日はプール授業である。ばたばたと瑞葉はプールの仕度をして学校へ向かった。
「まったく……前の日に用意しとけって言ってるのに」
衛はそう愚痴っているが、衛も小学校の頃はそう母親に言われていたのである。所詮、蛙の子は蛙なのである。
「それじゃあ……俺も一汗かくか」
衛は『たつ屋』の厨房に立つと、コロッケを揚げはじめた。熱い日が続いているので、いかにヒマな『たつ屋』といえど、揚げ物がいつもより売れているのだ。
「かーっ、こりゃ家で揚げ物なんかしたくないよな」
ふうふう言いながら、とんかつや唐揚げも揚げていく。
「さーって、開店……と。藍―っ、ごめんちょっと店見てて」
「はい、分かりました」
衛は藍に店番を任せると、シャワーを浴びた。
「くーっ」
冷たい冷水を浴びていると、熱でゆだった頭が冴えてくる。風呂場から揚がると、藍と翡翠が店先に水を巻いている。
「人間は大変ですねー」
「僕はひやっとしているよ、姉様」
「ふふふ」
付喪神達は呑気にそんな事を言っている。ここ数日、雨の振っていないアスファルトの地面は水をすぐに吸い込んだ。
「ああ、打ち水か」
「そうです。昔の知恵ですね」
店先に吊した風鈴が風でチリンとなる。夏まっさかりだ、と衛はうんと体を伸ばした。
「ねぇ、パパ大変!」
白玉とともにそう言いながら店頭に転がり込んで来たのは学校から帰宅した瑞葉だ。
「こら、ただいまは?」
「ただいま! ねぇ、大変なんだってば」
「なんなんだ、一体」
衛がようやく瑞葉の話に耳を傾けると、瑞葉はこそこそと衛に耳打ちをする。
「あのね、河童が出たんだって」
「……は?」
「信じてないんだ、パパ」
いや、いくらなんでもこの都会の真ん中で河童はないだろうと衛は思った。
「座敷童や猫又もいるんだよ、河童だって居るに決まってんじゃん」
「それで、見たのか河童」
「ううん。でもね、蓮君が池で足を引っ張られたんだって」
蓮君とは今の所瑞葉が結婚したい男子ナンバーワンの男の子である。
「池ってどこの」
「ほら、翡翠君が埋まってた地面のそばにあったでしょ」
瑞葉にそう言われて思い返すと、確かにそんなものがあった気がする。緑に囲まれて鬱蒼とした池であった。
「お前達、あんなところで遊んじゃだめだろ」
「うっ、とにかくね。その河童を退治しないと」
「退治って……。そんな所に近づかなければいいだろ。河童には河童の都合があるんだろうし」
「でも……瑞葉が退治するって言っちゃったんだもん」
瑞葉はそう言って親指を噛んだ。蓮君の前でつい気が大きくなってしまったのだろう。
「衛の言う事はもっともだけど、様子を見に行った方がいいかもしれないね」
「ミユキさん」
「河童がいつもと違う事をするってのは何か訳があるのかもしれない」
ミユキはそう言って、いつかの龍神のお守りを衛と瑞葉に手渡した。
「なにもないならそれでいいからさ」
こうして瑞葉と衛は八幡様の裏手の池――通称弁天池に向かった。
「あっ、蓮君。待った?」
「ううん」
そこには河童に足を引っ張られたという、蓮が待っていた。きりっとした眉毛の元気そうな男の子である。
「これ、瑞葉のパパ」
「これとはなんだ、これとは」
「こんにちは、皆本蓮といいます!」
蓮は気持ちの良い挨拶をした。衛は少々複雑な気持ちでどうも、と返した。
「それで? 河童が出たっていうのはどの辺かい」
「このあたりです」
蓮は弁天池にかかる小さな橋を指さした。
「かくれんぼでこの辺に居たらぐっと足を掴まれて……」
「そうか、じゃあ見てみよう」
衛は蓮の指し示したあたりを身を乗り出して水面を見た。濁った水面は僅かに鯉の魚影を見せるだけである。衛は持って来た龍神のお守りをそっと水面につけた。
「うわっ」
衛はその水面を見た瞬間、尻餅をついた。
「……蓮君、確かにいるぞ」
「本当ですか?」
厳かな声を出す衛に釣られて蓮は池に駆け寄ろうとした。
「ああ、近づくな。あとな、危ないからもう家に帰りなさい」
「えっ」
衛は唐突に蓮にそう言った。
「これから退治するけど、こっから先は企業秘密だから。な、瑞葉」
「えっ」
「本当? 氷川さん」
「えーと、えーと、うん……」
いきなり話を振られた瑞葉がとりあえず頷く。
「と、いう訳だ」
「分かりました。あとでどうなったか教えて氷川さん」
「うん」
蓮は素直に衛の言う事を聞いて、家に帰って行った。
「……お父さん、本当に河童いたの?」
「……いいや。なんで分かった」
「演技がへたすぎるんだもん」
衛は瑞葉のじとーっとした視線を受けて、ポリポリと頬を掻いた。
ぷうと白玉が頬を膨らませる。鍋島はそんな白玉の機嫌を取るように、脂汗をかきながら弁明する。
「いや、白玉の母様にああ啖呵を切った以上はケジメを付けないといかんと思ってだな」
「別に会っちゃいかんなんぞ一言も言っとらんぞ」
葉月は鍋島に冷たく言い放った。それを聞いた鍋島は、そんなぁと声を漏らす。
「それじゃあ、これからはバンバン会いに行きますよ!」
鍋島はへこたれずにそう宣言した。鍋島は苦労しそうである。
――さて、この下町深川にも本格的な夏がやってきた。今日は夏日で朝食を作るだけで汗をかくほどである。
「ほら、水着の袋忘れてるぞ」
「あー、いけない」
瑞葉の小学校は今日はプール授業である。ばたばたと瑞葉はプールの仕度をして学校へ向かった。
「まったく……前の日に用意しとけって言ってるのに」
衛はそう愚痴っているが、衛も小学校の頃はそう母親に言われていたのである。所詮、蛙の子は蛙なのである。
「それじゃあ……俺も一汗かくか」
衛は『たつ屋』の厨房に立つと、コロッケを揚げはじめた。熱い日が続いているので、いかにヒマな『たつ屋』といえど、揚げ物がいつもより売れているのだ。
「かーっ、こりゃ家で揚げ物なんかしたくないよな」
ふうふう言いながら、とんかつや唐揚げも揚げていく。
「さーって、開店……と。藍―っ、ごめんちょっと店見てて」
「はい、分かりました」
衛は藍に店番を任せると、シャワーを浴びた。
「くーっ」
冷たい冷水を浴びていると、熱でゆだった頭が冴えてくる。風呂場から揚がると、藍と翡翠が店先に水を巻いている。
「人間は大変ですねー」
「僕はひやっとしているよ、姉様」
「ふふふ」
付喪神達は呑気にそんな事を言っている。ここ数日、雨の振っていないアスファルトの地面は水をすぐに吸い込んだ。
「ああ、打ち水か」
「そうです。昔の知恵ですね」
店先に吊した風鈴が風でチリンとなる。夏まっさかりだ、と衛はうんと体を伸ばした。
「ねぇ、パパ大変!」
白玉とともにそう言いながら店頭に転がり込んで来たのは学校から帰宅した瑞葉だ。
「こら、ただいまは?」
「ただいま! ねぇ、大変なんだってば」
「なんなんだ、一体」
衛がようやく瑞葉の話に耳を傾けると、瑞葉はこそこそと衛に耳打ちをする。
「あのね、河童が出たんだって」
「……は?」
「信じてないんだ、パパ」
いや、いくらなんでもこの都会の真ん中で河童はないだろうと衛は思った。
「座敷童や猫又もいるんだよ、河童だって居るに決まってんじゃん」
「それで、見たのか河童」
「ううん。でもね、蓮君が池で足を引っ張られたんだって」
蓮君とは今の所瑞葉が結婚したい男子ナンバーワンの男の子である。
「池ってどこの」
「ほら、翡翠君が埋まってた地面のそばにあったでしょ」
瑞葉にそう言われて思い返すと、確かにそんなものがあった気がする。緑に囲まれて鬱蒼とした池であった。
「お前達、あんなところで遊んじゃだめだろ」
「うっ、とにかくね。その河童を退治しないと」
「退治って……。そんな所に近づかなければいいだろ。河童には河童の都合があるんだろうし」
「でも……瑞葉が退治するって言っちゃったんだもん」
瑞葉はそう言って親指を噛んだ。蓮君の前でつい気が大きくなってしまったのだろう。
「衛の言う事はもっともだけど、様子を見に行った方がいいかもしれないね」
「ミユキさん」
「河童がいつもと違う事をするってのは何か訳があるのかもしれない」
ミユキはそう言って、いつかの龍神のお守りを衛と瑞葉に手渡した。
「なにもないならそれでいいからさ」
こうして瑞葉と衛は八幡様の裏手の池――通称弁天池に向かった。
「あっ、蓮君。待った?」
「ううん」
そこには河童に足を引っ張られたという、蓮が待っていた。きりっとした眉毛の元気そうな男の子である。
「これ、瑞葉のパパ」
「これとはなんだ、これとは」
「こんにちは、皆本蓮といいます!」
蓮は気持ちの良い挨拶をした。衛は少々複雑な気持ちでどうも、と返した。
「それで? 河童が出たっていうのはどの辺かい」
「このあたりです」
蓮は弁天池にかかる小さな橋を指さした。
「かくれんぼでこの辺に居たらぐっと足を掴まれて……」
「そうか、じゃあ見てみよう」
衛は蓮の指し示したあたりを身を乗り出して水面を見た。濁った水面は僅かに鯉の魚影を見せるだけである。衛は持って来た龍神のお守りをそっと水面につけた。
「うわっ」
衛はその水面を見た瞬間、尻餅をついた。
「……蓮君、確かにいるぞ」
「本当ですか?」
厳かな声を出す衛に釣られて蓮は池に駆け寄ろうとした。
「ああ、近づくな。あとな、危ないからもう家に帰りなさい」
「えっ」
衛は唐突に蓮にそう言った。
「これから退治するけど、こっから先は企業秘密だから。な、瑞葉」
「えっ」
「本当? 氷川さん」
「えーと、えーと、うん……」
いきなり話を振られた瑞葉がとりあえず頷く。
「と、いう訳だ」
「分かりました。あとでどうなったか教えて氷川さん」
「うん」
蓮は素直に衛の言う事を聞いて、家に帰って行った。
「……お父さん、本当に河童いたの?」
「……いいや。なんで分かった」
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