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次にリアムが目を覚ましたのはもう夕方だった。赤みがかった金色の日が窓から差し込んでいる。
「……体が軽い」
吐き気も頭痛も嘘のように消えていた。
「あれ? イサイアスは?」
ベッドの脇にいたはずのイサイアスがいない。
荷物はそのまま置いてあるから、遠出はしていないようだ。
「それにしても不用心だな。僕、今一文無しだぞ」
リアムが荷物を盗んでとんずらしたらどうするんだろうと思う。自分たちはほとんど初対面じゃないか、と。
「ああ起きていたのか」
そんなことを考えていたらイサイアスが外から帰ってきた。
「ん、随分顔色が良くなった」
「どこに行っていたの」
そう問いかけて、リアムはイサイアスの帰りを待っていたことを知る。
「これを」
イサイアスは脇に抱えていたものをリアムに差し出した。
「村で古着をゆずってもらった」
イサイアスの服は大きすぎるので、ぴったりなサイズを用意してくれたようだ。
「ありがとう……本当に何から何まで」
優しさが身に染みて、リアムは目頭が熱くなった。
イサイアスが拾ってくれなかったら、もし森を抜けられたとしても行き倒れていたかもしれない。
「どうだ? 伴侶になる気になったか?」
「え……ええと」
「冗談だ。リアムが戸惑うのも分かる。まずは知ろうじゃないかお互いを」
「……うん」
イサイアスはいたずらっぽく笑うと、リアムの頭をくしゃくしゃと撫でた。
***
変なことになってしまった、と思う。正直頭が追いつかない。
アンリに婚約を破棄されてこの世の終わりみたいに思ったのに、そこからさらに追放されたのに、まだリアムは生きている。
きっと明日には朝が来る。リアムの時間はまだ流れている。
「どうしていいかわかんないよ……」
リアムは膝の間に顔を埋めた。
アンリはどうしているだろう。自分が死んだと思って少しは悲しんだりしているのだろうか。それとも新しい神子――ユージーンに夢中なのだろうか。
「大丈夫か」
気がつくと、イサイアスが部屋に戻ってきていた。
「食事貰って来たけど、食べられそうか」
「……うん平気。でも下の食堂で食べなくていいの」
「夜は酔っ払いも多いから」
イサイアスはテーブルの上に羊肉のグリルを切り分けて、食べやすいようにそれをパンに挟むとリアムに渡した。
「ありがとう」
リアムはそれをもそもそ食べながら、チラチラとイサイアスを見る。
豪快にパンにかぶりつくその姿は男っぽかったが、同時にどこか育ちの良さを感じさせる。着ているものも持ち物も質のいいものだったし、イサイアスはどこか裕福な家の出なのかもしれない。
リアムはそんなことを思いながら食事を終えた。
「リアム、でちょっといいかな」
「何?」
「食堂で鋏を借りてきた。その……襟足を整えてもいいか」
「あ……」
リアムはハッとして髪を押さえた。
死の森で切ってしまってからそのままだったことを思い出す。
「うん……お願いします」
「じゃあ、ここにおいで」
イサイアスは椅子をベッドの前に持ってくると、そこにリアムを座らせ、自分はベッドの端に座ってリアムの髪を切り始めた。
「髪……長かったのか」
「うん。でも切ったんだ。もういらないから」
「綺麗な髪なのに」
「アンリも……そう言ってた。だから伸ばしてたんだけどさ、新しい神子がくるから……僕はいらないって。僕……馬鹿みたいだって思って。乾かすのも手入れもほんと面倒くさいのにさ……」
惨めったらしく泣くのは嫌なのに、悲しみが溢れて止まらない。リアムの目からは大粒の涙が流れていた。
「さ……できたぞリアム。短いのも似合う。この方が小さな顔が映えるよ」
イサイアスは慰めるように、リアムの頭を撫でている。
「ごめん……」
「悲しい時には沢山泣いたほうがいい。気が済むまで話してくれ」
お前のことがもっと知りたいのだ、とイサイアスはリアムの額にキスをした。
「なにか訳ありなのもわかっている」
「……」
「話したくない、か?」
「あの、あの実は……」
リアムはイサイアスになら話してもいいような気がしていままでのいきさつを話すことにした。
「ここ、座って」
リアムは椅子を引いてイサイアスにすすめると、自分はベッドの端に座った。
「ちゃんと事情を話すけど、これは秘密にして欲しい」
「うん」
もう何かを察しているらしいイサイアスは素直に頷いた。
「『神子』ってわかる?」
「ああ、人間の神に仕えるものの中で、強い力を持つ者……かな」
「そう、神の恩恵を受け奇跡の力を持つ者のことを言うの。それが僕……だった」
「リアムが『神子』?」
「元『神子』だよ」
リアムはそこまで言って、唇を噛んだ。イサイアスはじっとその様子を見守っている。
「僕は神子として迷宮討伐に出ていたの。任命されてから三年、ずっと」
そうしてリアムは、『真の神子』が現われたこと。それから自分を殺そうと濡れ衣を着せられて『死の森』に追放されたことをイサイアスに話した。
「……という訳です。そんなんだから、厄介だと思ったら言って。僕は一人でもなんとかなるから」
「リアム」
イサイアスな静かな口調だったが、その瞳は怒りに赤々と燃えていた。
「馬鹿だよね。こんなことされても……僕は元いたところに戻りたいんだ」
リアムは話しているうちに涙が止らなくなる。これまでの生きるよりどころだった神子という存在。戦場の仲間たち。婚約者のアンリ。失ったそれらにリアムは断ち切れない未練を覚えている。そんなもの捨てれば良いのにと頭では分かっていても、そう割り切れるものではなかった。
自分が情けなくて、惨めで、リアムは顔を伏せる。そんなリアムの肩をイサイアスは抱き寄せ、強く抱きしめた。
「居場所を失って死にたいとあんなに思ったのに、僕は生きてる……」
そう呟いたリアムの肩にイサイアスは手を置いた。
「それは生きるべきと神が決めたからだ」
「……そうだろうか」
「ああ。お前を必要とする者の為に生きるべきなんだ」
「僕を……」
その言葉にリアムの冷え切った心に小さく炎が点る。イサイアスの温かい言葉に、もし家族が居たとしたらこんな感じなのだろうか、とリアムは少し思った。
「だと……いいね」
「……体が軽い」
吐き気も頭痛も嘘のように消えていた。
「あれ? イサイアスは?」
ベッドの脇にいたはずのイサイアスがいない。
荷物はそのまま置いてあるから、遠出はしていないようだ。
「それにしても不用心だな。僕、今一文無しだぞ」
リアムが荷物を盗んでとんずらしたらどうするんだろうと思う。自分たちはほとんど初対面じゃないか、と。
「ああ起きていたのか」
そんなことを考えていたらイサイアスが外から帰ってきた。
「ん、随分顔色が良くなった」
「どこに行っていたの」
そう問いかけて、リアムはイサイアスの帰りを待っていたことを知る。
「これを」
イサイアスは脇に抱えていたものをリアムに差し出した。
「村で古着をゆずってもらった」
イサイアスの服は大きすぎるので、ぴったりなサイズを用意してくれたようだ。
「ありがとう……本当に何から何まで」
優しさが身に染みて、リアムは目頭が熱くなった。
イサイアスが拾ってくれなかったら、もし森を抜けられたとしても行き倒れていたかもしれない。
「どうだ? 伴侶になる気になったか?」
「え……ええと」
「冗談だ。リアムが戸惑うのも分かる。まずは知ろうじゃないかお互いを」
「……うん」
イサイアスはいたずらっぽく笑うと、リアムの頭をくしゃくしゃと撫でた。
***
変なことになってしまった、と思う。正直頭が追いつかない。
アンリに婚約を破棄されてこの世の終わりみたいに思ったのに、そこからさらに追放されたのに、まだリアムは生きている。
きっと明日には朝が来る。リアムの時間はまだ流れている。
「どうしていいかわかんないよ……」
リアムは膝の間に顔を埋めた。
アンリはどうしているだろう。自分が死んだと思って少しは悲しんだりしているのだろうか。それとも新しい神子――ユージーンに夢中なのだろうか。
「大丈夫か」
気がつくと、イサイアスが部屋に戻ってきていた。
「食事貰って来たけど、食べられそうか」
「……うん平気。でも下の食堂で食べなくていいの」
「夜は酔っ払いも多いから」
イサイアスはテーブルの上に羊肉のグリルを切り分けて、食べやすいようにそれをパンに挟むとリアムに渡した。
「ありがとう」
リアムはそれをもそもそ食べながら、チラチラとイサイアスを見る。
豪快にパンにかぶりつくその姿は男っぽかったが、同時にどこか育ちの良さを感じさせる。着ているものも持ち物も質のいいものだったし、イサイアスはどこか裕福な家の出なのかもしれない。
リアムはそんなことを思いながら食事を終えた。
「リアム、でちょっといいかな」
「何?」
「食堂で鋏を借りてきた。その……襟足を整えてもいいか」
「あ……」
リアムはハッとして髪を押さえた。
死の森で切ってしまってからそのままだったことを思い出す。
「うん……お願いします」
「じゃあ、ここにおいで」
イサイアスは椅子をベッドの前に持ってくると、そこにリアムを座らせ、自分はベッドの端に座ってリアムの髪を切り始めた。
「髪……長かったのか」
「うん。でも切ったんだ。もういらないから」
「綺麗な髪なのに」
「アンリも……そう言ってた。だから伸ばしてたんだけどさ、新しい神子がくるから……僕はいらないって。僕……馬鹿みたいだって思って。乾かすのも手入れもほんと面倒くさいのにさ……」
惨めったらしく泣くのは嫌なのに、悲しみが溢れて止まらない。リアムの目からは大粒の涙が流れていた。
「さ……できたぞリアム。短いのも似合う。この方が小さな顔が映えるよ」
イサイアスは慰めるように、リアムの頭を撫でている。
「ごめん……」
「悲しい時には沢山泣いたほうがいい。気が済むまで話してくれ」
お前のことがもっと知りたいのだ、とイサイアスはリアムの額にキスをした。
「なにか訳ありなのもわかっている」
「……」
「話したくない、か?」
「あの、あの実は……」
リアムはイサイアスになら話してもいいような気がしていままでのいきさつを話すことにした。
「ここ、座って」
リアムは椅子を引いてイサイアスにすすめると、自分はベッドの端に座った。
「ちゃんと事情を話すけど、これは秘密にして欲しい」
「うん」
もう何かを察しているらしいイサイアスは素直に頷いた。
「『神子』ってわかる?」
「ああ、人間の神に仕えるものの中で、強い力を持つ者……かな」
「そう、神の恩恵を受け奇跡の力を持つ者のことを言うの。それが僕……だった」
「リアムが『神子』?」
「元『神子』だよ」
リアムはそこまで言って、唇を噛んだ。イサイアスはじっとその様子を見守っている。
「僕は神子として迷宮討伐に出ていたの。任命されてから三年、ずっと」
そうしてリアムは、『真の神子』が現われたこと。それから自分を殺そうと濡れ衣を着せられて『死の森』に追放されたことをイサイアスに話した。
「……という訳です。そんなんだから、厄介だと思ったら言って。僕は一人でもなんとかなるから」
「リアム」
イサイアスな静かな口調だったが、その瞳は怒りに赤々と燃えていた。
「馬鹿だよね。こんなことされても……僕は元いたところに戻りたいんだ」
リアムは話しているうちに涙が止らなくなる。これまでの生きるよりどころだった神子という存在。戦場の仲間たち。婚約者のアンリ。失ったそれらにリアムは断ち切れない未練を覚えている。そんなもの捨てれば良いのにと頭では分かっていても、そう割り切れるものではなかった。
自分が情けなくて、惨めで、リアムは顔を伏せる。そんなリアムの肩をイサイアスは抱き寄せ、強く抱きしめた。
「居場所を失って死にたいとあんなに思ったのに、僕は生きてる……」
そう呟いたリアムの肩にイサイアスは手を置いた。
「それは生きるべきと神が決めたからだ」
「……そうだろうか」
「ああ。お前を必要とする者の為に生きるべきなんだ」
「僕を……」
その言葉にリアムの冷え切った心に小さく炎が点る。イサイアスの温かい言葉に、もし家族が居たとしたらこんな感じなのだろうか、とリアムは少し思った。
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