追放されて捨てられた紅蓮の神子は気高い竜の最愛となりました。

高井うしお

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「瘴気が濃い……」

 測定士でないリアムにもはっきりわかるほど、『死の森』の瘴気は濃かった。重苦しい、毒の空気。生きるものを毒や魔物に変える忌まわしき瘴気がそこに満ちていた。

「ハァ……ハァ……」

 光魔法で周囲の瘴気を払っているにも関わらず、息が異常に切れる。濃い瘴気のためだろう、口の中や鼻の穴がピリピリを痛む。降り積もった瘴気の結晶にズブズブと足を取られ、体力が削られていく。黙々と歩いていたリアムは何かに躓き、地面に倒れた。

「もう……疲れた……」

 俯くと、長い髪が顔にかかる。アンリが好きだと言ってくれた髪。嬉しくて切るのが勿体なくて腰まで伸ばした髪。
 ユージーンが現れなければ、リアムは未来を夢見ていられたのに。
 妙に重たい右手。手の中の短剣をじっと見る。

「馬鹿みたいだ……! くそ! ああああ!」

 リアムは衝動的に髪を掴んだ。
 ぶつり、と短剣がそれを切り裂く。赤い髪がバラバラと血のように地面に散った。

「……紅蓮の神子は死んだんだ」

 リアムはそう呟いて、前のめりに倒れたまま目を瞑った。度重なる裏切りにリアムは心身からボロボロだった。泥のような疲れが彼を襲い、そのままリアムは気を失った。

──ゴオオオオオオ……。

 リアムは朧気な意識の中で音を捉えていた。死んだ木々の隙間を、まるで悲鳴のように風が通る音だろうか。
 いや……それにしては近い。
 リアムはそっと目を開いた。

「……!」

 そこには、黒い影があった。地面から吹き出した黒い靄がぼんやりとした形を作り、リアムを取り囲むようにしていた。

(弱るのを待っているのか……?)

 黒い怪物からは強い瘴気が発せられている。瘴気が山の動物を魔物に変えるように、これらもまた森が変異した怪物なのだろう。

「冗談じゃないぞ」

 その姿を見た時、リアムに湧き上がったのは……怒りだった。
 さっきまであんなに死んでしまいたいくらい悲しかったのに、いざとなるとリアムの心を焼き尽くしたのは怒りだ。
 自分は己の職務に忠実であったのに。沢山の人々を救ってきたのに。あのような謂れのない罪でどうしてこのような死に方をしなければならないのか。

「愛して……いたのに」

 アンリは守ってくれなかった。それどころか殺そうとした。
 あなたの為に僕は尽くして来たというのに!

「アアアアアアッ」

 リアムの体から白い光が放たれた。力まかせの光魔法。リアムの光魔法は強力だ。教会でコントロールの術を学んで以来に、リアムは全力で光の玉を周囲の怪物めがけて放つ。

──ゴオオ……。

 リアムの攻撃で何体かが消滅した。だが、地面からは後から後から怪物が湧き出して来る。

「くっ……キリがない!」

 リアムは黒い怪物を倒すのを諦め、この場から逃げることにした。
 こちらには『飛靴』フライングブーツがある。おそらく死の森と呼ばれる所以であるこの怪物は、森の死んだ木に溜まった瘴気の結晶が正体だ。このまま森を抜けてしまえば逃げ切れる。
 そう踏んだリアムは一気に駆け出した。『飛靴』フライングブーツが黒い砂塵を巻き上げながら地を蹴る。常人の何倍ものスピードで、リアムは走った。森の切れ目まで、早く早く。
 いける。この分ならば逃げ切れる、とリアムが確信した時だった。

──ガクン。

 突然両足が動かなくなった。

「な……」

 リアムは息を飲んだ。撒いたはずだったのに。後少しだったのに。
 リアムの足には太い縄の様に密集した黒い靄が絡みついていた。

「くそっ! 離せ!!」

 リアムはそれを振り払おうと暴れた。だが身動きすればするほど、黒い靄は絡みついてくる。

「……ぐっ」

 怪物の触手がリアムのふくらはぎから太ももに、ズルズルと這い上がってくる。その感触が気色悪くてリアムの肌は粟だった。

「ひっ……痛……」

 その触れたところからじゅくじゅくと肌が焼き爛れていく。

(落ち着け……落ち着け……)

 リアムは唇を噛みしめながら自身に治癒魔法をかけた。
 だが、身動きの出来ないリアムの体は触手に追い尽くされていく。

「ああっ……」

 治癒が追いつかない程に、リアムの体は瘴気に包まれる。
 それだけではない。削がれた皮膚から黒い霧が浸透し、リアムの白い肌を染め上げていく。
 このまま瘴気の毒が回って死ぬのだろうか、それともこのまま魔物に変えられてしまうのだろうか。遠のきそうになる意識をなんとか繋ぎ止めながら、リアムは自分にこれから何が起こるのかと怯えた。

――オオオオオオ……。

 そんなリアムの不安をまるで嗅ぎつけたかのように黒い怪物が蠢く。

「ぐ……?」

 大きく膨らんだ靄がリアムを飲み込むように動いた。さらに皮膚は爛れ、白い法衣に血が滲む。そしてその法衣も引き裂いていく。

「ぐああ……! ああ!」

 毛穴から、眼球から、鼻の穴、耳の穴に至るまで、穴という穴を黒い瘴気が侵す。

「うぶっ……がっ……」

 黒い塊がリアムの口を塞ぐ。喉に容赦なく入り込むそれに嘔吐感がせり上がってくる。

(絶対に……絶対に気を失ってはダメだ……!)

 リアムは必死に己に治癒魔法をかけ続けた。
 何かこの窮地から脱する方法を探さなければ……。リアムは怪物の手から逃れようと、光魔法を放つ。その衝撃に怪物たちは一瞬霧散するものの、すぐにまた復活してしまう。
 リアムの魔力はもはや底を突きそうになっていた。

「う……ううっ……」

 口から注がれた瘴気が内臓を焼く。リアムは口から大量の吐血をした。

(本当に死ぬかもな)

 口中に広がる鉄臭い味を感じながら、リアムは霞む頭で考えた。

――アアアアア……。

 弱り切り、もうリアムは力を籠めることが出来なくなっていた。
 怪物たちはリアムを取り囲み、わずかに残った下履きを剥ぎ取った。

「嫌だ……死にたくない……」

 哀れな獲物を食いつくそうと、怪物はザワザワとまるで笑っているかのように見えた――。

――ザン!

 その時だった何かが黒い怪物たちを切り裂いた。瘴気の気配が一瞬緩んで、リアムはかすかに目を開ける。

「だ……れ……」

 月明かりが黒いローブの男の姿を映す。
 男は何も言わずにリアムの額に手をやった。大きく、乾いた、温かな手の平の感触にリアムは安堵感を覚え、そのまま気を失った。
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