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1話 唐突な巣立ち
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――ここは街から離れためったに人など訪ねてこないランブレイユの森の奥。そこに住むのは年齢不詳の魔術師アシュレイ。彼はきょろきょろと森の様子を見渡していた。
「何か変な気配がすると思ったら……子供か……」
そこにいたのは迷子のくたびれたなりの少女だった。
急に目の前に現れた三十前後に見える男にマイアは驚いて固まった。
「おじさん……誰?」
「俺はおじさんではない、天才魔術師のアシュレイだ。こんな夜中に森にいたら狼に食われてしまう。さ、こっちにおいで」
そう言って半泣きのマイアの茶色い髪を撫でてくれたアシュレイの手と優しい青灰の瞳を、彼女はきっとずっと忘れないだろう。
十三歳で父と母を流行り病で亡くし、引き取る者もなくあてどなく街を目指して森の中を彷徨っていたマイア。そんな彼女に手を伸ばしてくれたのはランブレイユの森の魔術師アシュレイ、ただ一人だった。
***
それから三年……マイアはいつもの様に朝食をとって、いつもの様にお皿を洗う。そして今日もいつものように洗濯をしに行こう……、そう思った矢先の事だった。
「マイア。ちょっと話があるからこっち来て座れ」
「……はい? なんですかアシュレイさん。今ちょっと忙しいんですが」
「いいから座れ」
マイアの師匠にあたるアシュレイは片眼鏡を外してコツコツ、とテーブルを指先で叩きながら繰り返した。ああ、これは不機嫌になりかけている。と感じたマイアはさっと言う通りにテーブルについた。アシュレイは銀色の髪を後ろに撫でつけながら、マイアにまるでお使いでも言いつけるように言った。
「マイア……。今日でお前は十六になる。お前を拾ったのが十三、すでに三年が過ぎた……お前はこの天才魔術師である俺の魔法の教練を受けてきた」
「はいっ」
師の言葉を聞きながら、私の誕生日覚えててくれたんだ、とマイアが呑気に考えているとおもむろにアシュレイが口を開いた。
「十六という事は世間では独り立ちをしていい歳だ。マイア、お前には魔法の基礎はすべて教えた」
「……はぁ」
「つまり、あとは自分で生きていけ。という事だ」
「……はぁ!?」
マイアはその常緑樹のような緑色の目を見開き、耳を疑った。マイアにとってアシュレイの言葉は唐突すぎた。
「なんでそんな事言うのですかっ!?」
「なんでもなにも、お前を拾った時にそう約束したではないか」
「え……」
「独り立ち出来るまでは面倒を見ると。そして今がその時だ」
アシュレイの口調はよどみなく、そして迷いがなかった。マイアは動揺した。だったらそうと日々言い聞かせてくれればよかったのに。それなら覚悟もできたというものだ。マイアはさっきまで明日の献立を考えていたのが馬鹿らしくなった。
「でも、どうやったら独り立ちなんです?」
マイアがそうアシュレイに問いかけると、アシュレイはうーんとこめかみに指を当てて考え出した。
「そうだな、食い扶持をひとりで稼げばいいんじゃないか」
「……どうやって?」
「ほら、街に住めば魔法が必要な仕事なんていくらもあるだろう」
ほとんどの人は魔法を使えない。一握りの魔力を持った人間が魔術体系を学び、研鑽する事で初めて使えるのだ。マイアにはたまたま魔力があった。アシュレイが今まで養育してくれたのもそれがきっかけだ。確かにアシュレイの言う通り、街に出れば食う事に困る事はないだろう。だけどマイアは納得がいかなかった。
「嫌です! この家を出て行くなんて」
「嫌ですって……お前……いくら家が居心地がいいからと言って」
「それもあります! が!」
マイアはアシュレイの言葉を遮った。そしてぐるりと家の中を見渡した。
「この家の炊事洗濯は誰がやるんですか!! あと片付け!」
「それは……心配するな。ゴーレムがやるさ」
「ふーん……ゴーレムにアシュレイさんの書き付けが、必要なものかゴミなのか判別つきますか? ゴーレムがアシュレイさんのその辺にほっぽり出した本やら魔道具やらを探し出せますか?」
「そ、それは……」
アシュレイは瞳を泳がせた。
「お、俺がちゃんとしまえば問題無い……」
「出来たんですか? それ、出来てました!?」
マイアはアシュレイに詰め寄った。マイアも必死である。よりにもよって誕生日にこのまま身の回りのものを纏めて、はい街へどうぞ、なんて事はごめんだからだ。
「う……」
「アシュレイさん、さっき自分で言ってましたよね? 自分の食い扶持をひとりで稼げばいいって」
「ああ……確かに言った」
「じゃあ私、この家で自分の食い扶持を稼ぐことにします!」
マイアは腰に手をあてて高らかに宣言した。そんなマイアをアシュレイはため息を吐きながら見つめる。
「……どうするつもりだ」
「これから考えます! だから時間を下さい」
「……分かった。でも手立てが見つからなければ家をでるんだぞ。約束できるか」
「……はい」
マイアが頷くのを見てアシュレイは立ち上がった。
「そうか、ならやってみろ。話は以上だ」
そうしてアシュレイは自室兼研究所に引っ込んで行った。その後ろ姿を見送って、マイアはふにゃりと椅子の背に身を預けた。
「ふう……」
そのまましばらくマイアはぼんやりと食卓の上の花を眺めていたが、ふっと呟く。
「どうして……いきなりそんな事言うのよ……」
マイアの目にうっすらと涙がにじんだ。さっきまでの気丈な様子は薄れ、思わず泣きそうになるのをじっと堪えている。
「パパも……ママも……急に居なくなったのに……また急にどっかに行くの……」
アシュレイに大見得を切ったものの、特にマイアに名案があった訳では無い。ああ言うしかなかったのだ。また、ひとりぼっちにならない為に。
「何か変な気配がすると思ったら……子供か……」
そこにいたのは迷子のくたびれたなりの少女だった。
急に目の前に現れた三十前後に見える男にマイアは驚いて固まった。
「おじさん……誰?」
「俺はおじさんではない、天才魔術師のアシュレイだ。こんな夜中に森にいたら狼に食われてしまう。さ、こっちにおいで」
そう言って半泣きのマイアの茶色い髪を撫でてくれたアシュレイの手と優しい青灰の瞳を、彼女はきっとずっと忘れないだろう。
十三歳で父と母を流行り病で亡くし、引き取る者もなくあてどなく街を目指して森の中を彷徨っていたマイア。そんな彼女に手を伸ばしてくれたのはランブレイユの森の魔術師アシュレイ、ただ一人だった。
***
それから三年……マイアはいつもの様に朝食をとって、いつもの様にお皿を洗う。そして今日もいつものように洗濯をしに行こう……、そう思った矢先の事だった。
「マイア。ちょっと話があるからこっち来て座れ」
「……はい? なんですかアシュレイさん。今ちょっと忙しいんですが」
「いいから座れ」
マイアの師匠にあたるアシュレイは片眼鏡を外してコツコツ、とテーブルを指先で叩きながら繰り返した。ああ、これは不機嫌になりかけている。と感じたマイアはさっと言う通りにテーブルについた。アシュレイは銀色の髪を後ろに撫でつけながら、マイアにまるでお使いでも言いつけるように言った。
「マイア……。今日でお前は十六になる。お前を拾ったのが十三、すでに三年が過ぎた……お前はこの天才魔術師である俺の魔法の教練を受けてきた」
「はいっ」
師の言葉を聞きながら、私の誕生日覚えててくれたんだ、とマイアが呑気に考えているとおもむろにアシュレイが口を開いた。
「十六という事は世間では独り立ちをしていい歳だ。マイア、お前には魔法の基礎はすべて教えた」
「……はぁ」
「つまり、あとは自分で生きていけ。という事だ」
「……はぁ!?」
マイアはその常緑樹のような緑色の目を見開き、耳を疑った。マイアにとってアシュレイの言葉は唐突すぎた。
「なんでそんな事言うのですかっ!?」
「なんでもなにも、お前を拾った時にそう約束したではないか」
「え……」
「独り立ち出来るまでは面倒を見ると。そして今がその時だ」
アシュレイの口調はよどみなく、そして迷いがなかった。マイアは動揺した。だったらそうと日々言い聞かせてくれればよかったのに。それなら覚悟もできたというものだ。マイアはさっきまで明日の献立を考えていたのが馬鹿らしくなった。
「でも、どうやったら独り立ちなんです?」
マイアがそうアシュレイに問いかけると、アシュレイはうーんとこめかみに指を当てて考え出した。
「そうだな、食い扶持をひとりで稼げばいいんじゃないか」
「……どうやって?」
「ほら、街に住めば魔法が必要な仕事なんていくらもあるだろう」
ほとんどの人は魔法を使えない。一握りの魔力を持った人間が魔術体系を学び、研鑽する事で初めて使えるのだ。マイアにはたまたま魔力があった。アシュレイが今まで養育してくれたのもそれがきっかけだ。確かにアシュレイの言う通り、街に出れば食う事に困る事はないだろう。だけどマイアは納得がいかなかった。
「嫌です! この家を出て行くなんて」
「嫌ですって……お前……いくら家が居心地がいいからと言って」
「それもあります! が!」
マイアはアシュレイの言葉を遮った。そしてぐるりと家の中を見渡した。
「この家の炊事洗濯は誰がやるんですか!! あと片付け!」
「それは……心配するな。ゴーレムがやるさ」
「ふーん……ゴーレムにアシュレイさんの書き付けが、必要なものかゴミなのか判別つきますか? ゴーレムがアシュレイさんのその辺にほっぽり出した本やら魔道具やらを探し出せますか?」
「そ、それは……」
アシュレイは瞳を泳がせた。
「お、俺がちゃんとしまえば問題無い……」
「出来たんですか? それ、出来てました!?」
マイアはアシュレイに詰め寄った。マイアも必死である。よりにもよって誕生日にこのまま身の回りのものを纏めて、はい街へどうぞ、なんて事はごめんだからだ。
「う……」
「アシュレイさん、さっき自分で言ってましたよね? 自分の食い扶持をひとりで稼げばいいって」
「ああ……確かに言った」
「じゃあ私、この家で自分の食い扶持を稼ぐことにします!」
マイアは腰に手をあてて高らかに宣言した。そんなマイアをアシュレイはため息を吐きながら見つめる。
「……どうするつもりだ」
「これから考えます! だから時間を下さい」
「……分かった。でも手立てが見つからなければ家をでるんだぞ。約束できるか」
「……はい」
マイアが頷くのを見てアシュレイは立ち上がった。
「そうか、ならやってみろ。話は以上だ」
そうしてアシュレイは自室兼研究所に引っ込んで行った。その後ろ姿を見送って、マイアはふにゃりと椅子の背に身を預けた。
「ふう……」
そのまましばらくマイアはぼんやりと食卓の上の花を眺めていたが、ふっと呟く。
「どうして……いきなりそんな事言うのよ……」
マイアの目にうっすらと涙がにじんだ。さっきまでの気丈な様子は薄れ、思わず泣きそうになるのをじっと堪えている。
「パパも……ママも……急に居なくなったのに……また急にどっかに行くの……」
アシュレイに大見得を切ったものの、特にマイアに名案があった訳では無い。ああ言うしかなかったのだ。また、ひとりぼっちにならない為に。
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