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夢破れて、夢叶う
しおりを挟む「おーい、いい加減起きて来いよ。さっさと昼飯にしようぜ」
聞き覚えのある声に、俺は驚愕しながら振り向く。
一つに束ねられた癖のある金髪、夕焼け色の瞳。昨日、再会する未来を想像しながら挨拶を交わした男がそこにいた。
「ブライアン!? ……さま、が、どうしてここに!?」
驚きのあまりうっかり呼び捨てにしてしまったことを慌てて取り繕うが、相手は特に気にした様子もなく、閉めた扉にもたれ掛かりながらひらひらと手を振ってくる。俺は寝巻姿に上掛けという身内以外には見せることのない格好であることを思い出し、慌てて布団を手繰り寄せた。
というか、ノックもなしに完全プライベート空間である寝室の扉を開けるだけには留まらず、部屋にまで入り込むという無作法は一体どういうことだ。いくらベリルと同じ王国騎士団員とはいえ明らかに副団長より地位は下だろうし、そもそも本当に何故ここにブライアンがいるのか全く理解ができない。
混乱する俺を余所に、ベリルは棘のある声をブライアンに投げた。
「これからはモーリスもいるんだ、今後は必ずノックをしろ」
「りょーかい。そうだな、さすがに気をつける」
かなり気安い間柄であることがわかる会話をする二人に、俺は目を丸くする。王弟であり王国騎士団副団長でもあるベリルと対等に会話できる存在など、ひどく限られているはずなのだ。しかも、初夜を終えたばかりの夫夫の寝室に入室しても、ノックをしなかったことを咎められるだけ。そんな立場の者など、俺には全く見当がつかない。
「えっと、え、どういうご関係で……?」
呆然としながら問いかけた俺に、ベリルはさらりと言葉を返してきた。
「ブライアンは、私の側近だ」
「側近!?」
「実際は護衛を兼ねた側仕えってのが正しいがな。こいつ、側仕えを増やそうとしねぇから俺が身の回りの世話役も兼ねてるんだよ」
昨日の騎士然とした態度ではなく、フレイザー家に遊びに来ていたときのような砕けた口調でブライアンが補足してくる。彼の表情は、秘密を明かすことを心待ちにしていた子供のようにひたすらに楽しそうだった。
「俺の母親が、ベリルの乳母兼家庭教師でな。ちょっと事情があってベリルと兄弟同然のように育てられたんだ。今は護衛を兼ねた側近として仕えてる。あ、王国騎士団に所属してるのは本当だぞ? パーティーにも騎士として参加してたしな」
さらりともたらされる新情報に、俺は目を丸くする。
要するに、二人は乳兄弟で、ベリルにとってブライアンは大抵のことを任せられる右腕的な存在なのだろう。しかも、護衛を兼ねていて、なおかつ側仕えのように世話も焼いているということであれば、この館にブライアンも住んでいるということだ。であれば、俺とも、俺の従者として昨日からこの屋敷に住み込みとなったティムとも毎日顔を合わせる相手ということで。
「それ、昨日教えてくれても良かっただろ!?」
「いやいや、警備の仕事中でしたから」
祝宴でのやり取りを思い出して声を荒げれば、ブライアンは愉快そうに目を細める。確信犯であることは明確で、俺はわなわなと唇を震わせた。
「俺のあの気遣いは何だったんだ……っ」
「あんたの密やかな応援と優しさはありがたく受け取ったよ」
ウィンクしながら笑われ、このやるせなさをどこにぶつければいいのかわからずとりあえずベリルを睨めば、相手は小さく首を傾げるだけだった。いや、確かにベリルは俺たちの会話を聞いてはいないが、ブライアンとの関係を秘密にしていたという点では共犯者なのだから、一人とぼけられても困る。
「しっかし、ほんとに素はこんななんだなぁ。ベリルが言ってたとおりだ。俺と会うときはあんなにお淑やかで愛らしい天使のツラしてたのに」
剥がれた外面を指摘されるが、もうそれどころではない。俺は軽く唸りながら、これまでのブライアンについて思考を巡らせる。
そもそも、彼はいつから俺のことを聞いていたんだろうか。これまでの経緯を考えれば、冬祭りに俺たちに接触してきたことすら偶然とは思えない。命と貞操の恩人が偶然ベリルの乳兄弟である確率など、高いわけがないのだから。
段々と険しくなる俺の視線にさすがに不味いと思ったのか、ベリルがようやくフォローを入れてきた。
「ブライアンがモーリスを助けたのは偶然だ」
「ただ、俺たちがフレイザー家領内の冬祭りに参加してたのは、偶然じゃねぇけどな。あんたの兄貴に誘われたんだよ」
ベリルの足りない言葉を、すかさずブライアンが補完してくる。どうやら、兄さんが気を利かして俺とベリルの接点を作ろうとアドバイスしていたらしい。冬祭りで偶然を装って弟に声をかけたらどうか、と。
もしや、襲撃自体も仕組まれたものだったのではないか、と懐疑的になっていたのだが、さすがにそれはなかったようでほっと息を吐く。後々、兄さんにも裏を取ろうとは思うものの、俺は一旦納得して進む話に大人しく耳を傾けた。
「いつ、どう声をかけるかこいつが悩んでる間にあんたらは帰路についちまってなぁ。とりあえず見送りだけでもって去り行く馬車を眺めてたらあの襲撃に出くわしたってわけだ」
「私が助けに行きたかったが、王族が関わればあとが面倒になると思ってな。仕方なくブライアンに任せたんだ」
「そんで、図らずも恩人になっちまった俺は、あんたの様子をベリルに報告するためにフレイザー家に遊びに行ってた、と。まぁ、俺は俺でティムに稽古をつけるために通ってたんだけどな」
先程のベリルからの説明にもあった通り、あの不意の襲撃があったからこそ、俺の成人までは下手にアピールせずに見守る方向で舵を切り直したらしい。兄さんやブライアンからの定期的な報告で俺の現状を認識しながら、ベリル自身は周囲の動向に目を配り摘める種は摘んでいたということか。
「見守りながら逃げ出せぬよう相手を囲い込む捕り物は得意なんだ」
急に王国騎士団副団長らしい物騒な例えを口にするベリルに、いや俺は敵かよ、と溜息を吐く。まぁ、見事に捕まってしまったので反論はできないのだが。
「あれ? そういえばティムは?」
話題にも出た俺の従者の姿が見えないことに今更気づき、俺は扉の向こう側を意識する。朝になれば、俺の世話をしに来るはずのティムの気配を感じない。勝手知ったるブライアンとは違い、呼ばれるまでは待機しているのが常なのだが。
俺の当然の疑問に応えたのはブライアンだった。
「あー、悪い。あいつは仕事したがってたんだけどな。俺が昨夜、無理させちまったから休ませてる」
意味深に口角を上げる彼に、俺はぱちぱちと瞬きを繰り返す。──なんだって?
「…………え、何、……まさか」
「安心しろ、ちゃんと合意だ。いやー、加減するつもりだったんだが、どうにも可愛くてなぁ。欲しがられると俺もつい歯止めが利かなくなっちまって。今日のあいつの仕事は俺が全部請け負うから、勘弁してくれ」
そもそも、どうせあんた、今日は動けないだろう?
悪びれずに満面の笑顔を向けてくるブライアンに、俺は開いた口を閉じることができなかった。
だって、それは。ええと。
「うっそだろ!?」
要するに、主従揃ってぺろり、といただかれてしまったわけだ。昨夜。
「だ、騙された……っ」
ついつい漏れ出た嘆きに、俺の従者をさくっと自分のものにした男が不満そうに口を尖らせてくる。
「人聞き悪ぃな。嘘はついてねぇぞ、俺は。ただ、全部を話してなかっただけで」
「私も、モーリスに嘘はついていないぞ」
まるで私は嘘つきみたいじゃないか、とすかさず訂正してくるベリルのことは放っておいて、俺はブライアンに視線を向ける。こちらの意図を汲んだ彼は、笑みを引っ込めて真剣な表情で口を開いた。
「昨日あんたに告げたことにも何ひとつ嘘はないし、ティムのことは本気で幸せにすると誓っている」
「……何に誓ったんだ?」
「彼と、俺の剣に」
騎士が己の剣に誓いを立てる行為は、決して破ることのない約束と同義だ。真っ直ぐに見つめてくるブライアンの瞳に翳りはなく、俺は肩から力を抜いた。
「……ティムを泣かせたら許さない」
大事な従者で、俺にとっては唯一の友達だ。三年の間、安易に手を出さずに剣の稽古のみに徹してくれたブライアンならちゃんと大切にしてくれると頭では理解していても、無粋な念押しはしておきたかった。
「勿論だ。……あ、でも、夜は許してくれよ?」
真面目な頷きから一転、にやりとした笑みを浮かべたブライアンが横にいたベリルを肘で突っつく。こいつと一緒で、俺も相手をぐずぐすのとろとろにしたいほうなんだ、と付け加えられ、やっぱり認めるのやめておこうかな、と拳を握ってしまった俺は悪くないと思う。
「そうだな。モーリスのどんな表情も愛しているが、私も泣かせるのは夜だけにしておこう」
話を振られたベリルも同調するものだから、身体が動ける状態だったら本気で今すぐ暴れていた。こちらは真顔で口にするから、冗談なのか本気なのかの判別がつきづらいのが難点なのだが。
主従揃って、という何とも複雑な気持ちでブライアンとベリルを睨むも、俺の伴侶はどこか嬉しそうに瞳を輝かせるだけだった。毒気を抜かれた俺は、話題を変えるために気になっていたことを質問する。
「そいや、ティムはブライアンの立場をどこまで知ってたんだ?」
「あいつも、昨夜まで何も知らなかった。知ってたのは、あんたの一番上の兄貴くらいだ」
よかった。俺だけなにも知らされないままだったわけではなくて。これでティムまで俺に黙っていたんだとしたら、さすがにちょっと耐えられないところだった。兄さんには聞きたいことも言いたいことも山ほどできたが、それは後日の話だ。
「で? もうこれ以上、俺に隠してることはない?」
ブライアンに向けていた視線をベリルに移し、俺は少しだけ腹に力を入れて問いかける。雰囲気の変化を察したのか、ブライアンが一歩下がったのが視界の端に映った。
「ああ、ないはずだ」
「わかった。……ベリルは今後、俺とどうありたい?」
「私と共にいてくれればそれでいい」
迷いなく言葉を返してきたベリルが、少しだけ慌てた様子で俺の返事を待たずに言葉を付け足してくる。
その望みが。
「モーリスが己を偽らず、素直に感情を出せるようになれば良い」
……参った。そう思った。
昨夜、絆され受け入れてしまった時点で、答えはきまっていたようなものなのだけれど。俺が俺であることを望んでくれる相手に、俺もちゃんと礼を尽くしたい。
「白い結婚は諦める。俺は、ベリルと一緒に幸せになりたい」
生涯をともにする──その誓いをやり直したくて、俺はベリルの薬指に嵌っている指輪と、同じく自分の指にある銀色にくちづける。指輪に埋め込まれている表情よりも雄弁な彼の瞳の色が、まるで喜んでいるかのようにきらりと輝いた。
「どうか、末永くよろしくお願いいたします」
「……ああ。こちらこそ、よろしく頼む」
結婚式で交わした言葉を、もう一度、ちゃんとベリルに届くように。
真っ直ぐに伝えた俺の芽生え始めたばかりの愛情を、ベリルは柔らかな笑みで包み込んでくれた。
夢だった白い結婚は遥か彼方に消え失せてしまったが、愛のある家庭、という諦めていた幸せは掴めたわけで。俺の夢のような新婚生活は、まだ始まったばかりだ。
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