白い結婚を夢見る伯爵令息の、眠れない初夜

西沢きさと

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天使などいない

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 とにかく、白い結婚がしたかった。
 自分に興味のない伴侶。義務と義理で成り立つ関係。それでいて、伴侶以外と関係を持つことは許されない縛られた立場。相手の家と体面を守る仕事さえしていれば、毎日安心して衣食住にありつける生活。控えめに言って、どれもこれも最高だと思う。
 だからこそ、そんな理想の結婚話が転がり込んできたとき、俺は諸手を挙げて喜んだ。この人生最大の機会を逃してはいけない、と即座にお受けする旨を手紙にしたためた。
 そして今、夢が叶う瞬間が訪れようとしている。

「どうか、末永くよろしくお願いいたします」
「ああ。こちらこそ、よろしく頼む」

 結婚式当日だというのに、こちらに向けられた熱のない、まるで氷のような瞳に拍手喝采を送りたくなった。俺のことなどどうでも良さそうな人間のそばで吸う空気は、そうでない人間相手の数倍美味しい気がする。
 これから、夢のような新婚生活が始まるのだ。
 結婚相手の王弟殿下にそっと微笑みながら、心の中の俺は天に向かって高々と拳を振り上げていた。





 俺──モーリス・フレイザーは美しい。自分でも驚くほど、見目麗しく可憐な男だ。
 エメラルドのような輝きを放つ瞳に、天に向かって綺麗な曲線を描いている長い睫毛。すっと通った鼻筋の下には、ほんのりと赤みを帯びた小ぶりの唇が絶妙なバランスで配置されている。透明感のあるきめ細やかな白い肌と華奢な体躯、柔らかく艶やかな金髪も相まり、まるで人形のように整った美貌だと老若男女に褒め称えられていた。
 フレイザー伯爵家の可愛い末っ子は清楚で愛らしく、まさしくこの世の天使! であるらしい。
 だが、本人の俺からすれば完全に集団幻覚だ。天使のような人間は、少なくとも伸びてきた髪が邪魔だからとその辺にあった鋏で切ったりはしないだろう。母に泣かれてしまったのでもう二度とするつもりはないが、そういう衝動的で深く物事を考えない雑な性格なのだ、俺は。
 しかし、俺本来のがさつさなど存在しないかのように、勝手な幻想ばかりが広まっていく。この国では十五歳が社交界デビューの年なのだが、あの日の話題の掻っ攫い具合は本当に凄かった、と次兄が苦笑していたくらいだ。
 いっそパーティー会場で暴飲暴食する姿でも見せてやろうか、と思うこともあるが、フレイザーの名を背負う手前、みっともない行いをするわけにもいかない。
 それに、幼い頃から父に懇願されているのだ。

「家の外では大人しく、話す時も上品な言葉遣いをするんだよ。なるべく見た目に沿う姿を演じておいておくれ」

 一度、どうしてそこまで俺の中身を隠そうとするのか、と父に聞いたことがある。
 なにやら記憶にないほど幼い頃、あまりにも俺の外見と中身が異なることにショックを受けた者たちが熱で寝込んでしまったことがあったらしく、その再発防止のため、ということだった。
 高位貴族の子供たちを集めたちょっとした交流の場で、一番年下の可愛らしい天使──俺のことだ──が大口を開けて手掴みでご飯を食べようとしたり、洋服が汚れるのも構わず走り回って転んで怪我をしたり、けらけらと大笑いしては気に入らないことがあると泣き喚いたりと大暴れだったため、他の子たちが夢を壊された! と泣き崩れてしまった、と。
 知るか。馬鹿じゃないのか。三歳児なんて概ねそんなものだろう。そうは思ったものの、俺としてもそこまでの大暴れキャラで他人に記憶され続けるのはちょっとつらいものがある。なので、家の外では父の願いどおり大人しく振る舞うことにしたのだ。
 美しい所作、品の良い微笑み方、穏やかで丁寧な喋り方。一人称は俺ではなく私。
 頑張って習得した甲斐があり、三歳の俺の所業がトラウマになっていた者たちも、次に顔を合わせた時には皆うっとりしていたと父が教えてくれた。無事に記憶の上塗りができたのだろう。
 こうして、愛らしくも麗しい美少年モーリス・フレイザーが出来上がった。ちょっと頑張りすぎたせいで、天使の集団幻覚を発生させてしまったが。
 本当は木登りや森の探索、川遊びなどもしてみたかったし、何なら騎士にもなりたかった。その美しいかんばせに傷がついたらどうする、そもそもあらゆる意味で身の危険が、などと大反対されて諦めてしまったけれど。
 まぁ、家族を含め周囲が満足そうなのでこれで良かったのだろう、となんとか自分を納得させていた。

 だが、猫を被り続けている弊害もある。
 この国では、地位のある家の跡取り及び補佐役の次男以外の男は同性婚をするという暗黙の了解が存在している。貴族たちのどろどろお家騒動で国が傾きかけたことが過去にあったらしく、無闇に子孫を増やさないための措置らしい。
 そういうわけで、三男の俺には男からの婚約希望が複数寄せられていた。
 元々、同性との結婚に忌避感はなかった。俺の性的指向は両性愛だし、世の中的にも異性夫婦と同性パートナーの割合がおおよそ半々の国だ。暗黙の了解が貴族としての義務に等しいのであれば、伯爵家の息子としてはそれに従うまで。相手を選べるだけマシだな、と最初はすんなり受け入れていた。
 ところが、蓋を開けてみれば選べる相手がいなかったのだ。
 とにかく、変態が寄ってくる。
 美しさを踏みにじって悦楽に浸りたい嗜虐趣味やら、美しい者にいたぶられたい被虐趣味やら、言葉に出すのもおぞましい趣味の持ち主だと噂される者たちからの求婚が後を絶たなかった。高嶺の花を手に入れたいというコレクション気質の者であれば、まだマシなほうだ。嫌だが。
 ちなみに、婚約の申し入れは相手が十五歳になってから、というのが貴族間のルールとなっている。なので、俺のところにも社交界デビューをしてから届き始めたわけだが、十五歳の少年には些か濃すぎる面々ではなかろうか、と渋い顔をしてしまうくらい年上からの申し出が多かった。
 取捨選択できる身分で本当によかった、としみじみ思う。下級貴族なら、ゴリ押しで金持ちジジイの後妻とかにされていただろう。考えるだけでも鳥肌が立つ。

「うーん、これは……。我らが可愛い末弟は、予想以上に変態を呼び寄せる蜜になっちゃってるみたいだね」

 一番上の兄が、書類を眺めながら困ったように眉を下げていた。見目が良く話術にも長けた長兄は、貴族たちの情報を社交場で拾ってくることがとてもうまい。だからこそ、俺に届く婚約の申し入れの審査係として選ばれたのだが、そんな兄が難色を示す相手ばかりでさすがの俺も少し不安になっていた。

「まともな奴がいないってこと?」
「なぜか似た年頃の子がほぼいないんだよねぇ。だから余計に、訳ありの年上ばかりになっているというか。これはさすがに……、うーん?」
「兄さん?」
「うーーーん。うん。まぁ、成人するまでは急ぐ必要もないし、気長にゆっくり探そうか。来年、王立学校に入学したら、何か良い出会いがあるかもしれないし」

 何種類もの『うーん』を連発していた兄は、引っかかることがある、という顔のまま、慰めるように俺の肩に手を置いてきた。しっかり者の兄のことだし、気になっていることはきちんと調べてくれるだろう、とその時は気楽に考えていたのだが。

 その前に、ひとつの事件が起きた。

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