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ドラマチックにはならない
しおりを挟む翠が目覚めた気配を感じ、翼は手にしていた雑誌から視線を上げる。いつもは寝起きが良い兄の珍しくぼんやりした様子に、無理もないか、と肩を竦めた。
初めての発情期に、初めての行為。疲れていて当然だ。
「起きたか?」
意識の覚醒具合を確認するため声をかければ、翠は瞬きを繰り返しながらゆっくりと上体を起こした。
「おはよう、で合ってる?」
「時間的には、おやすみ、だな」
窓の外は真っ暗、壁時計の針もあと数分で日付が変わる時間であることを指し示している。翼の視線を追ってそれらを視認した翠は、次も状況確認のための質問を口にした。
「日数的には?」
「一日半ってとこ」
「じゃあ、母さんが言ってたとおり、日数の短縮にはちゃんと効いてるんだな。抑制剤」
一度ヒートがくれば、抑制剤を服薬しない限り三日から五日ほどは症状が治まらないというのが一般的なΩの生態だ。それが一日半で終わったのだから、発情期間については抑制剤の効果がきちんと出ているということだろう。
数時間前まではどろどろに溶けていた理性が、翠の瞳に戻ってきている。彼は、翼がサイドテーブルに置いておいたペットボトルの水を数口飲んでから、再びこちらに向き直った。
「後始末、全部任せちゃってごめんな」
「別に、できるほうがやればいいだけの話だろ。んなことより、身体は大丈夫か?」
無理をさせた自覚はある。気怠げに息を吐く姿を見かねて気遣う言葉を投げれば、翠は少しだけ恥ずかしそうに唇を尖らせた。
「倦怠感と、あと……違和感は、ある。けど、痛みとかはないよ」
発情期のΩの身体は、なによりも快楽を優先させる。そのため、本来ならば傷つきやすいはずの場所も、行為の最中は痛みをあまり感じないと聞いていた。どうやら、終わった後にもあまり影響を残さないようになっているらしい。身体を動かしたことによる単純な疲労は感じている様子だが、ひとまず翠に傷や痛みがないことにほっと安堵する。
そして、話の流れのまま、翼は本題に入ることにした。
「首も、痛みはないんだな?」
「……ないよ」
一瞬、翠は息を呑み、それから真顔で頷きを返してきた。今、自分の首が──うなじがどうなっているのか、彼はまだその目で確認できていない。それでも、翼が質問を投げた理由には見当がついているだろう。
翠のうなじには、翼が噛んだ痕が残っている。
自分たちが、番った証だ。
「念のため、傷口の消毒はしておいた。痕は残っちまうけどな」
「あー、うん。ありがとう」
礼を述べながらうなじをさする翠の、手の隙間から鬱血した噛み痕が見え隠れしている。どうにも複雑な気持ちになり、翼はそっと視線を外した。
発情期のαが同じく発情期のΩのうなじを噛むことで、番関係が成立する。通常、人間が人間に噛まれた場合は傷口から感染症を起こす可能性が高いのだが、このαとΩが番うための行為に関してだけはなぜかそういった危険性は排除されていた。しかも、不思議なことに、この噛み痕は生涯消えることがない。
(まるで、取れない首輪だ)
正気に戻った際に目にした翠のうなじに対して、まず感じたのは痛々しさだった。血が滲んでいるただの傷だとしか思えず、大丈夫だと頭では理解していても慌てて消毒用品を探してしまったほどだ。
意中のΩが己の所有物になったようで喜ぶαが多いと聞くが、翼の心にはそういった嬉しさは浮かばなかった。どちらかというと、一生消えない傷を相手につけてしまったといういたたまれなさが勝っている。
(Ω側からも、αにそういう痕をつけられたらまた違ったんだろうけど)
こんな一方的な噛み跡より、番った途端、お互いにしか感知できないものに変化するフェロモンのほうがよっぽど嬉しかった。翼は翠に、翠は翼に。二人だけが互いに特別であり、揃って対等であると感じられる要素のほうが、自分にとっては魅力的なのだろう。
傷口をぼんやりと眺めていた翼に対し、翠が一度ひたりと視線を定めてきた。透明感のある自分より大きな瞳が、何かを確かめるようにこちらを覗き込んでくる。それから、ゆっくりと逸らされた。
「まさか、俺らが運命だったなんてなぁ……」
掌の中に見えない糸でも存在しているかのようにそっと拳を握りしめながら、翠は苦笑を浮かべた。
「だから俺、何度諦めようとしても、この感情を捨てきれなかったのかな」
「んなわけねぇだろ」
困ったように眉尻を下げる翠に、翼は強い口調で否定を返す。
運命の番は出会った瞬間にわかるというが、自分たちの初対面はこの世に生を受けた時だ。自我も確立されていない生まれたばかりの赤子同士が運命などという何かを感じたところで、記憶になど残っているわけがない。
自分たちのこの執着を、愛情を、それにともなう懊悩を。
(運命なんて一言で片付けられてたまるか)
「物心もつかねぇ頃に衝撃の出会いをしてたところで、何の影響もないだろ。感情育って、情緒覚えて、そこで初めてお前のこと好きだと思ったんだ。たとえ、わけわからん内にめちゃくちゃプラスになってたとしても、俺からしたらゼロから育った情でしかねぇよ。しかも、そこからあほみたいに煮詰めた執着だ」
「……早口オタクみたいになってるぞ、翼」
翼の怒涛の勢いに呆れを見せながらも、翠はどこか嬉しそうにはにかむ。
「まぁでも、そうなんだよな。母さんが言ってた『目が合った瞬間にピシャーンガラガラドーン! って全身を突き抜ける衝撃と、もう絶対この人をなんとしてでも捕まえなきゃ恥じらいなにそれ美味しいの? みたいな欲求』をお前に感じたことないし」
「俺だって、『出会った瞬間、花は咲き誇り天からは祝福の喇叭が鳴り響き、今すぐ家に連れ帰ってこの美しい瞳に自分以外を映さないよう閉じ込めてしまわないといけないと思ったんだが、まずは絶対に素晴らしいはずの名前を伺って』みたいな親父の話には頷けねぇよ」
寝る前の読み聞かせどころか日常的に語られてきた両親の出会いを互いに諳んじ、二人して軽く吹き出す。
ドラマチックな物語にはなりそうもない自分たちの『運命』は、『抗えないほど強烈な発情期』という、現実的に考えるとただただ傍迷惑な、人生の添え物のひとつでしかなかった。
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