3 / 14
執着心と独占欲
しおりを挟む高校生になってから初の夏休み。
連日の猛暑のせいで外出する気力をなくしていた翼と翠は、冷房の効いたリビングで揃ってだらけていた。
流行りのテレビゲームを翠がプレイし、翼がその画面を眺めながら茶々を入れる。そんないつもの日常を過ごす中、隣から噎せ返るような匂いが漂ってきたのは本当に突然だった。
「……翠?」
「っ、こんな、急にくるんだ……っ」
手にしていたコントローラーを落としながら、翠が荒い息を吐く。衝動に耐えるため体を丸める兄を横目に、翼は迷うことなくソファから立ち上がり足早にその場を離れた。キッチンにある発情用の抑制剤を用意するためだ。
翠がΩであることを、家族は全員知っている。同様に、翼がαであることも。
番っていないαがヒート中のΩと同じ空間にいれば、身内であろうと関係なく、発情を誘発されてΩを襲ってしまう可能性が高くなる。そのため、いつかくる発情期に備え、抑制剤の置き場はあらかじめ家族全員に周知されていた。
(間違いで噛むわけにはいかねぇ)
それは、翠にΩであることを告げられてから抱え続けている思いだ。
この国では、第二の性の確認検査を必ず小学校卒業までに行うことが義務付けられており、結果は本人に直接通達される仕組みだ。
また、成人するまでは、己のバース性を告げないことで生活に支障が出る相手──要するに家族などの同居人──以外には公表しないよう国から推奨されており、翼たちもそのように教育されていた。
だから、友人同士であろうと互いのバース性は把握していない。知っているのは家族だけだ。
そもそも、効果が高く副作用の少ない抑制剤が安価で出回っている昨今、プライバシーの極みである自分のバース性を意味もなく声高に触れ回る者はほとんどいなかった。薬のおかげで、社会に迷惑をかけずβと同じように暮らしていけるのだ。わざわざ不特定多数に明かす意味がない。
けれど、αやΩであるという自分ではどうしようもない生まれを、隠さなければならないものとして扱うように指導されているわけでもなかった。バース性の違いにより差別が起こらないよう、法整備も進んでいる。
一番わかりやすい例は、Ωに対するヒート休暇だ。Ωであることを会社や学校に申告しておけば、ヒート期間の欠勤欠席は特別休暇扱いとなる。また、番った相手がいる場合はパートナーのαにも適用されるため、あらかじめ登録しておく番たちも多かった。
だが、隠したい人のために、申告をしない自由も与えられている。様々な事情により、自分が特殊な体であることを秘匿したい人間も少なくはないのだ。
このように、第二の性の公表については完全に自己判断に委ねられており、制度を使ってより良いサービスを受けるも良し、秘めたままβのような日常を送るも良し、というスタンスで社会全体が落ち着いていた。
昔は不当に虐げられていたΩもいたようなので、母親や翠が生きづらい価値観が残っていない世の中で本当に良かった、としみじみ思う。真堂の一族が代々開発してきた薬の影響も大きいらしく、今もバース性による不便を減らそうと日夜仕事に励んでいる両親は、翼の自慢の家族だった。
しかし、世の中が良い方向に向かっていようと、多感で不安定な時期に第二の性を他者に知られることで起こる問題は昔から後を立たない。ならば、せめて本人の意向が固まる成人までは身内のみで留めておくほうが安全だという保護の観点から、今のように未成年は己のバース性を他人にみだりに教えない、という風潮になったらしい。
(自分たちだけの秘密だって、昔はわくわくしてたな。運命の番にも夢見てたし)
確認検査を受けるよりずっと前。小学校に上がるくらいの幼い自分を思い出し、翼はひっそりと苦笑を浮かべる。
運命としか呼べないほど強い魂の結びつきを感じるαとΩ──いわゆる運命の番として出会い結婚した両親の話を、お伽噺の読み聞かせのように毎日語られていた幼少期だった。幼心への影響は大きく、その希少な間柄に憧れを抱いていた時期もあったのだ。
物心ついた頃から、ずっと翠が好きだった。
きっかけは『自分の片割れで、けれど自分ではないもの』として兄を認識したことだ。
似ていない自分たちを見て、双子なのに、と不思議そうに首を傾げる大人が昔から多かった。もちろん、悪気があってのことではない。けれど、どこか残念がられていることは幼心にも察していた。
大多数の人間が思い浮かべる双子は、鏡で写したかのようにそっくりであるらしい。似ていない、と言われる度に両親が一卵性と二卵性の違いを説明していたから、なぜ自分と翠が同じ顔をしていないのかは理解していたが、他人がそれを惜しがる気持ちがわからなかった。
生まれる前から寄り添い、生まれた時から一緒にいる自分の片割れ。
違う顔、違う性格というだけで、彼は間違いなく翼の半身だった。この世で最も近しく、それでいて自分ではないとはっきりわかるからこそ、一番大切に思える存在。
お日様みたいに笑う翠は、翼には持ちえないものを沢山持っている。母親似の可愛らしい顔、朗らかで優しい性格、自分のほうがお兄ちゃんだからしっかりしないと、と何に対しても努力する姿勢。それら全てを一番近くで見て、感じて、いざとなればすぐに守ることができる双子という立場に、翼は心の底から喜んでいた。
多分これは、同じ繭の中で育ちながら、二卵性双生児として異なる遺伝子情報を持って生まれたがゆえの感情だ。
だから、もし自分と翠がαとΩで、父と母のように運命の番だったなら。似ていない双子であることこそが、唯一無二の絆で結ばれている証左になるのだとしたら。
第二の性の存在を知った翼がそう考えてしまったのは、仕方のないことだと思う。
しかも、成人するまでは自分たちだけの秘め事なのだ。もし、仮定が真実だったなら、これ以上に心躍る秘密はない。
けれど、幼い翼を興奮させたその夢想は、大きくなるにつれ不満に変わっていった。たとえ、本当に運命の番だったとしても、運命だから翠のことを好きになったとは思われたくなかったのだ。
『運命じゃなかったら、翼はおれのそばからいなくなる?』
いつだったか、翠がぽつりと零した言葉だ。これが決定打だった。
自分たちが運命の番だったら、両親のようにずっと一緒にいられる。絵本替わりの寝物語として語られる親たちの幸福な話を聞いて、幼い翼は単純にそう考えていた。
でも、自分たちは運命の番などではなく、それどころかαとΩでもなかったら?
『そんなわけない! なんであろうと、おれは翠の隣にいる。絶対に離れない!』
愚問だった。自分が何であろうと、翠が何であろうと、この片割れの手を離すつもりは一切ない。
即答した翼に対し、翠が嬉しそうにふにゃり、と頬をゆるませたのを覚えている。その、花がほころぶような笑顔を見た瞬間、自覚したのだ。
自分だけのものにしたい。
誰にも渡したくない。
そんな、家族愛とは到底呼べない独占欲を。
この贅沢な場所を誰にも譲りたくない。翠の隣は自分だけのものだ。そう強く願ったことが、今に至る執着の始まり。
血の繋がった兄弟とは結婚できないことを知った後も、近親相姦という単語を覚えた後も、この気持ちを消すことなどできなかった。色欲を自覚した時ですら、揺らぐことはなく。ああそうか、と納得すらしたのだ。
家族愛や兄弟愛と一緒に、恋心も育まれていただけだ。愛と名のつく感情全てに独占欲と執着心が付随し、恋心があるゆえに性欲もついてきた。
あらゆる感情が全て翠に注がれているだけのこと。全てを注ぐ存在が、自分の片割れだっただけのことだ。
だが、この言い分では納得してくれない者が大多数であることも知っている。
自分たちが世間から跡継ぎを求められている立場であること、同性であることは特に大きな問題ではない。そんなもの、どうとでもなる。
一番の問題は、血の繋がった兄弟であることだ。
近親相姦は罪ではないが、禁忌だ。あってはならないものとして扱われている。世間に知られればバッシングは避けられず、本来ならば忌避する類のものの一つ。
(だからなんだ、って思う俺のほうが狂ってるんだよな)
一応、これでも悩みはしたのだ。翼としては問題がなくとも世界にとってはそうではないという事実を、受け止めて噛み砕こうとした。無駄に終わったが。
何をしても絶対に消えない想いと世間の目を天秤にかけたら、迷う余地もなく前者のほうに傾いた。間違っていると断じられようと、心に確かに存在するものをどうやって、どこに捨てろというのか。
すでに、翼という人間を形成する芯のひとつとなっている想いだ。消すことなどできるはずがない。
そうやって、長年に亘り煮詰め続けた執着だ。今更、運命などという言葉で簡単に片付けられたくはなかった。だからこそ、運命の番に対する憧れはとうの昔に捨てている。
考えるべきは、これから直面する現実についてだ。
(俺はさして葛藤がなかったし、これは諦められないものだって割り切れたからまだいい)
きっと、しんどいのは翠のほうだ。
2
お気に入りに追加
103
あなたにおすすめの小説
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)
ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので、最近の作品と書き方やテーマが違うと思いますが、楽しんでいただければ嬉しいです。
にいちゃんでごめんな
やなぎ怜
BL
Ωの繭希(まゆき)は家出した夜に偶然にも両親の離婚で離れ離れになって以来の幼馴染で兄貴分だったαの八雲(やくも)と再会する。食事の代金を払ってもらう代わりに体を要求された繭希は、そのまま八雲の家で肉体関係を持つ。しかし初めての発情期が訪れ、ふたりはそのままつがいに。八雲に引き留められ、ずるずると滞在を続け彼に抱かれる日々を送る繭希だったが、あるとき「運命のつがい」である蝶子(ちょうこ)と出会ってしまう。
※性的表現あり。オメガバース。受けの頭が弱い&女性キャラ(蝶子)が攻めの手引きでひどい目に遭わされる(直接描写なし)&メリバっぽいので注意。他、攻めの語尾にハートマークが現れることがあります。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
お世話したいαしか勝たん!
沙耶
BL
神崎斗真はオメガである。総合病院でオメガ科の医師として働くうちに、ヒートが悪化。次のヒートは抑制剤無しで迎えなさいと言われてしまった。
悩んでいるときに相談に乗ってくれたα、立花優翔が、「俺と一緒にヒートを過ごさない?」と言ってくれた…?
優しい彼に乗せられて一緒に過ごすことになったけど、彼はΩをお世話したい系αだった?!
※完結設定にしていますが、番外編を突如として投稿することがございます。ご了承ください。
有能社長秘書のマンションでテレワークすることになった平社員の俺
高菜あやめ
BL
【マイペース美形社長秘書×平凡新人営業マン】会社の方針で社員全員リモートワークを義務付けられたが、中途入社二年目の営業・野宮は困っていた。なぜならアパートのインターネットは遅すぎて仕事にならないから。なんとか出社を許可して欲しいと上司に直談判したら、社長の呼び出しをくらってしまい、なりゆきで社長秘書・入江のマンションに居候することに。少し冷たそうでマイペースな入江と、ちょっとビビりな野宮はうまく同居できるだろうか? のんびりほのぼのテレワークしてるリーマンのラブコメディです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる