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お題『停電』
しおりを挟む「いやぁ、参ったね」
うなじを擦りながら、ワタリは真っ暗な部屋を見回す。
暴風警報が出ていることは知っていたが、外でゴゥゴゥ音を立てている風がまさか停電まで引き起こすとは思っていなかった。念のためにパソコンのバックアップを取っていて本当によかったと胸を撫で下ろす。
クラウドなどには決して上げられない危うくだからこそ貴重な情報をわんさか持っている身としては、データの消失が一番恐ろしい。そんな愚行を起こすつもりはないが、用心するに越したことはない。
「もう今夜はお仕事おーわり。アオくん、おにーさんといちゃいちゃしよー」
仕事部屋から寝室までスマホの明かりを頼りに進み、ようやくたどり着いたベッドに体を横たえる。先に寝転がっていた相棒のアオを抱き寄せようとしたワタリの腕は、結構な強さで跳ね除けられた。
「暑い、引っつくな」
本気でイライラしている声に、おやおや、と苦笑する。
停電のせいで冷房が止まったからか、暑さに弱いアオはぐったりとシーツに突っ伏している。これは、部屋が涼しさを取り戻すまでは触れさせてももらえないなぁ、とワタリはこっそり落胆した。
部屋は真っ暗。他にできることもないし、本気でアオに構ってもらうつもりでいたのだが。
(組み敷くのは容易いけど、ここで機嫌を損ねるのは得策じゃないしねぇ)
それに、万が一、アオが熱中症にでもなったら大変だ。無理をさせてまで自分の欲を優先したいわけでもないため、今夜は大人しく我慢することに決めた。
「……スマホ、電池減るから無駄に使うな」
もうこのまま寝ちゃうかー、と目を閉じたワタリの耳に、アオの小さな文句が届く。瞼を開けば、うつ伏せのまま顔だけこちらを向けているアオが眉間にシワを寄せていた。
「おにーさん、アオくんほど夜目が利かないから。スマホの光でもないと、部屋移動はできなかったんだよ」
「ふぅん。……今も?」
気怠そうに腕を持ち上げたアオが、ワタリの頬に軽く指先を押し当ててくる。
「この距離ならさすがに見えるよ。まぁ、アオくんのほうがはっきり見えてるかもしんないけどね」
「なんだ」
アオはつまらなさそうに唇を尖らせ、頬に触れていた指でこちらの鼻を摘んできた。腕を戻される前に、ワタリはいたずらしてくる手首を捕まえながら口角を上げる。
「見えてなかったら、なにするつもりだったの?」
少しだけ色を含ませた声で問いかければ、近くにある小ぶりな唇がぎゅ、と固く結ばれた。ワタリは肩を竦め、掴んだ手首を自分の方に引き寄せる。
「ね、アオくん。おにーさんに悪戯を仕掛けて、どうしてほしかったの? 教えて?」
耳元で囁いてやれば、ふるり、と相手の肩が揺れた。アオは、耳が弱い。それを知っていて、わざと息を吹きかけてやる。
「っ、離せ」
「おにーさん、ちゃんと我慢するつもりだったんだけどなぁ」
手首を拘束したまま、逆の腕で彼の腰を抱き寄せる。密着した肌は、少し汗ばんでいた。
見えていない相手なら、優位に立てるとでも考えたのだろうか。その少しの悪戯心がワタリの欲望に火をつけるとは考えずに。
「ほんと、可愛いよねアオくんは」
「……あつい、ってば」
焦って離れようともがくアオを抱き締めながら、ワタリはくつくつ、と喉を鳴らす。この暑さだ。本気で行為に進むつもりはないけれど、もう少しだけからかいたい。
(さて、どうしようかな)
深めのキスくらいならアオの暑さに弱い体も耐えてくれるだろうか、と思考を巡らせたところで、急に周囲が明るさを取り戻した。止まっていたクーラーが、ぶぉん、と音を立てて冷風を吐き出し始める。
「……直ったみたいだねぇ」
「……そうだな」
停電は一時的なものだったらしい。暗闇に慣れ始めていた目を瞬きさせながら、ワタリはアオの腰に回している腕の力を少しだけ強めた。
涼しくなるのならば、遠慮する理由はない。もう、今日の仕事は終わりにしたのだから。
「じゃあ、遠慮なくいちゃいちゃしようか。アオくん」
電気会社で働く人たちへ感謝の念を送りながら、ワタリはアオが返事をするより先にその唇に噛みついた。
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