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38 平穏から騒乱へ
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船内に駆け込んできた船乗りたちは、皆緊迫した表情で、居住部の更に下の商品を積載している場所へと向かっていた。
船乗りたちの中にいたエルドワードが、私を見つけて全速力で近づいてくる。
「レキムさん、海賊が現れました。甲板に来てくだせえ。後、すみませんが、商品の武器を貸していただきます」
海賊……、海賊!?
「わかりました」
六十年前ならいざ知らず、今の時代に海賊なんぞ流行らないだろう。ただでさえ、科学技術の発達に伴う航海ルートの多様化により、船を待ち伏せするのが難しくなっている上、諸国間の戦争の終結により、各国の海軍が余った人員で海賊の取り締まりを強化したことで、海賊行為はリスクが高くなりすぎた。
今でも海賊をやっているのは、小さな船に狙いを絞って海軍が出動するほどでない小遣い稼ぎをするセコい連中か、海軍を出し抜けるほどの操船技術と戦闘技術を兼ね備えた本物の連中のどちらかだ。私たちの乗っているような大型船を襲うってことは、まず間違いなく後者だろう。
私は速足で甲板に向かうと、甲板上では一人の船乗りが望遠鏡をのぞいていた。望遠鏡の向いている先には、小型の帆船が二隻、中型の帆船が一隻見える。あれが海賊か。まだ海賊旗は掲げられていないが、確かに私たちの船に近づいてきている。この調子だと、後十分ほどでこちらの船の真横まで到達しそうだ……と考えていると、船が旗を掲げ出した。黒旗に白の骸骨模様、海賊旗である。
「うーわ、本当に海賊だよ」
ヴァヴィリアが、私の隣で面倒くさそうに呟く。
大きさの関係で向こうの船のほうが高速であるため、振り切るのは無理だ。こちらの船は海賊からの襲撃など想定していないので、大砲の用意もない。このままでは、海賊船に追い付かれ、砲撃でマストを破壊されてしまう。
甲板に乗りこんでくるであろう海賊船員との戦闘は、ヴァヴィリアとザリアードがいるので負けないと思うけれど、こちらの船乗りに死傷者が出る可能性は高い。船の損傷の修復費用と死傷者への手当が発生すると、今回の貿易の収支がマイナスになる可能性が出てくる。
「あの、アリシアさん。ちょっとご相談があるのですが」
私が小声でアリシアに話しかけると、
「海賊って、要するに海にいる盗賊ってことなんですよね。今、追いかけてきてる船が海賊で、それに追い付かれると困る。それで、ドラゴンであの船を追い払えないか、っていう話ですか?」
と、私の相談内容を先回りしてきた。
「そうです。この船の上にドラゴンを呼んで、あの海賊船を威嚇してほしいんです。あの船を破壊したりする必要はありません。ただ、こちらの船への襲撃を諦めてほしいだけです。あの船に襲撃されると、私や君を含め、こちらの船にいる人たちに怪我人や死人が出るかもしれないので」
利益のみを考えた際の最善手は、ドラゴンによって海賊船三隻すべてを破壊し、海賊船員全員を消すことだ。海賊を殺しても罪には問われないし、ドラゴンの目撃者は少ないほうがいい。
しかし、これは私の理屈だ。この理屈をアリシアに理解してもらいたくはない。それは単に、アリシアの精神衛生上良くないというだけでなく、この理屈を敷衍すると、ここでアリシアが私たち全員を殺して財産を強奪するのは合理的だ、という思考になるかもしれないからだ。
強大な力には、その強大さに見合うだけの倫理観を備えてもらわなければ困る。命は大切に、だ。
「ドラゴンがこの船の上であっちの船に睨みを利かせるってだけですよね」
「はい、その通りです」
「……わかりました」
商品の銃や剣で武装した船乗りたちが甲板に出てくる。が、たった今、彼らの武装の意味はなくなった。
分厚い灰色の雲を切り裂いて、超常の存在――ドラゴンが降臨したからだ。
雲間から差し込む光によってドラゴンの表皮が照らされ、神話上に書き記されるような神秘的光景だった。
ドラゴンは私たちの船の直上、前足が帆柱の先に触れるギリギリのところで滞空し、首を捻って海賊船のほうに顔を向けた。
ただ、顔を向けただけだった。
咆哮したわけでも、火を噴いたわけでもない。
それでも、海賊船は一八〇度回頭し、私たちの船から一目散に離れていった。
「おお、ありがとうございます」
離れていく海賊船を見て一安心したらしいエルドワードが、私に感謝してきた。彼からすれば、自分たちが戦わずに済んだのだから、安心するのはわかる。だが、あらゆる争いをドラゴンで解決できると思われても困る。
私はエルドワードの肩に手を置き、他の船乗りたちに聞こえないように、
「いつもこのようにドラゴンの力を借りることができるとは思わないでくださいね。今回は脅しただけで相手が逃げましたが、戦闘においてドラゴンが力を貸すことはありません。ドラゴンがその力を振るえば、敵味方関係なく周辺は消し炭になってしまいますから」
と言う。
エルドワードは視線だけを動かして未だ船の上に影を落とすドラゴンを見、すぐに私のほうに視線を戻した。
「も、もちろん、理解しております」
「それはなによりです」
海賊船が点すら見えないほど遠くに消え去ると、ドラゴンは上空へ戻っていった。
暗雲から雨が降り出した。
船乗りたちの中にいたエルドワードが、私を見つけて全速力で近づいてくる。
「レキムさん、海賊が現れました。甲板に来てくだせえ。後、すみませんが、商品の武器を貸していただきます」
海賊……、海賊!?
「わかりました」
六十年前ならいざ知らず、今の時代に海賊なんぞ流行らないだろう。ただでさえ、科学技術の発達に伴う航海ルートの多様化により、船を待ち伏せするのが難しくなっている上、諸国間の戦争の終結により、各国の海軍が余った人員で海賊の取り締まりを強化したことで、海賊行為はリスクが高くなりすぎた。
今でも海賊をやっているのは、小さな船に狙いを絞って海軍が出動するほどでない小遣い稼ぎをするセコい連中か、海軍を出し抜けるほどの操船技術と戦闘技術を兼ね備えた本物の連中のどちらかだ。私たちの乗っているような大型船を襲うってことは、まず間違いなく後者だろう。
私は速足で甲板に向かうと、甲板上では一人の船乗りが望遠鏡をのぞいていた。望遠鏡の向いている先には、小型の帆船が二隻、中型の帆船が一隻見える。あれが海賊か。まだ海賊旗は掲げられていないが、確かに私たちの船に近づいてきている。この調子だと、後十分ほどでこちらの船の真横まで到達しそうだ……と考えていると、船が旗を掲げ出した。黒旗に白の骸骨模様、海賊旗である。
「うーわ、本当に海賊だよ」
ヴァヴィリアが、私の隣で面倒くさそうに呟く。
大きさの関係で向こうの船のほうが高速であるため、振り切るのは無理だ。こちらの船は海賊からの襲撃など想定していないので、大砲の用意もない。このままでは、海賊船に追い付かれ、砲撃でマストを破壊されてしまう。
甲板に乗りこんでくるであろう海賊船員との戦闘は、ヴァヴィリアとザリアードがいるので負けないと思うけれど、こちらの船乗りに死傷者が出る可能性は高い。船の損傷の修復費用と死傷者への手当が発生すると、今回の貿易の収支がマイナスになる可能性が出てくる。
「あの、アリシアさん。ちょっとご相談があるのですが」
私が小声でアリシアに話しかけると、
「海賊って、要するに海にいる盗賊ってことなんですよね。今、追いかけてきてる船が海賊で、それに追い付かれると困る。それで、ドラゴンであの船を追い払えないか、っていう話ですか?」
と、私の相談内容を先回りしてきた。
「そうです。この船の上にドラゴンを呼んで、あの海賊船を威嚇してほしいんです。あの船を破壊したりする必要はありません。ただ、こちらの船への襲撃を諦めてほしいだけです。あの船に襲撃されると、私や君を含め、こちらの船にいる人たちに怪我人や死人が出るかもしれないので」
利益のみを考えた際の最善手は、ドラゴンによって海賊船三隻すべてを破壊し、海賊船員全員を消すことだ。海賊を殺しても罪には問われないし、ドラゴンの目撃者は少ないほうがいい。
しかし、これは私の理屈だ。この理屈をアリシアに理解してもらいたくはない。それは単に、アリシアの精神衛生上良くないというだけでなく、この理屈を敷衍すると、ここでアリシアが私たち全員を殺して財産を強奪するのは合理的だ、という思考になるかもしれないからだ。
強大な力には、その強大さに見合うだけの倫理観を備えてもらわなければ困る。命は大切に、だ。
「ドラゴンがこの船の上であっちの船に睨みを利かせるってだけですよね」
「はい、その通りです」
「……わかりました」
商品の銃や剣で武装した船乗りたちが甲板に出てくる。が、たった今、彼らの武装の意味はなくなった。
分厚い灰色の雲を切り裂いて、超常の存在――ドラゴンが降臨したからだ。
雲間から差し込む光によってドラゴンの表皮が照らされ、神話上に書き記されるような神秘的光景だった。
ドラゴンは私たちの船の直上、前足が帆柱の先に触れるギリギリのところで滞空し、首を捻って海賊船のほうに顔を向けた。
ただ、顔を向けただけだった。
咆哮したわけでも、火を噴いたわけでもない。
それでも、海賊船は一八〇度回頭し、私たちの船から一目散に離れていった。
「おお、ありがとうございます」
離れていく海賊船を見て一安心したらしいエルドワードが、私に感謝してきた。彼からすれば、自分たちが戦わずに済んだのだから、安心するのはわかる。だが、あらゆる争いをドラゴンで解決できると思われても困る。
私はエルドワードの肩に手を置き、他の船乗りたちに聞こえないように、
「いつもこのようにドラゴンの力を借りることができるとは思わないでくださいね。今回は脅しただけで相手が逃げましたが、戦闘においてドラゴンが力を貸すことはありません。ドラゴンがその力を振るえば、敵味方関係なく周辺は消し炭になってしまいますから」
と言う。
エルドワードは視線だけを動かして未だ船の上に影を落とすドラゴンを見、すぐに私のほうに視線を戻した。
「も、もちろん、理解しております」
「それはなによりです」
海賊船が点すら見えないほど遠くに消え去ると、ドラゴンは上空へ戻っていった。
暗雲から雨が降り出した。
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