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1 砂漠で水を売る仕事
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気品の溢れる宮殿の一室は、煌びやかな調度品で飾り立てられていた。
そんな室内に負けず劣らずの絢爛な衣服を身に纏いながら、額に醜悪な脂汗を浮かべているヒト族の貴族が、今回の取引相手である。
「ホーリー金貨5000枚だと。いくらなんでも高すぎる!」
交渉テーブルの対面で激高した貴族が、そう言って私を睨みつける。圧をかけているつもりなのかもしれないが、いくら怒鳴ったところで、この商談における彼我の優劣が揺らぐことはない。
「こちらとしては、この商談が破談となってもかまいません。まあ、そうなった場合、こちらがお渡しする予定だった商品は、そのまま反乱勢力の方々に売ることになるでしょうが」
貴族の護衛である二人の男の表情に力が入るのが見て取れる。どうやら、国内の反乱勢力は思っていた以上に大規模らしい。
ここ、フラローシュ王国では、長年の圧政に耐えかねた国民の間に、現在の絶対王政を打倒すべく立ち上がろうという機運が高まっている。部外者である私の耳にも噂が流れてくるということは、今月中にも各地で国民による暴動が発生するかもしれない。
「奴らとて、そんな金額を払えるわけがない」
私の露骨な脅し文句を聴き、少しは冷静さを取り戻したらしい貴族は、
「ホーリー金貨3000枚でどうだろう? その金額なら、すぐに現金で用意できる」
と言って、穏やかな笑みを浮かべた。
彼の提案した金額でも、相場の二倍以上の値段である。一刻も早くこの交渉を終わらせて、商品――この国の近衛兵に装備させる分の銃と弾丸、火薬――を持ってきてほしいのだろう。
この国では、兵士が自分の装備を売って日銭を稼ぐ行為が常態化しているため、兵士の数に対して武器が足りていない。
原因は単純、財政難だ。
満足に給料を支払えないから、兵士が自力で金を工面する必要が出てくる。国家間取引くらいにしか使えない高額なホーリー金貨は余っていても、日常生活での取引に必要なホーリー銀貨やグロリア銀貨の備蓄はほとんどないのだろう。
「では、ホーリー金貨3500枚にしましょう。ホーリー金貨で足りない分は、他の金貨で支払っていただいても構いません」
今後の取引への期待も込めて、今回は、貴族が最終的な落としどころとしたいであろう金額を先にこちらから提示することにする。
「それで頼む」
私は、あらかじめ商品内容を書き留めておいた契約書に、支払いに使用する金貨の種類と枚数を記入し、自分のサインを書いた後、それを貴族の方へ渡す。
「ものはいつまでに用意できるのかね?」
「こちらとしては、今すぐにでも用意可能です。量が量ですので、宮殿の中庭で交換をしましょう。そちらの金貨の準備は大丈夫でしょうか?」
「今から用意させる」
貴族は自分の部下に金貨を持ってくるよう、顎で指示を出す。
「では、こちらも商品を持ってこさせますので」
そう言って、私は商談のテーブルから立ち上り、
「エトワードル様も来てください。商品はすぐに来ますので」
と、貴族にも同行をお願いする。
お前の所属する西ディアナ商会からここに商品を持ってくるまでに、少なく見積もっても半日はかかるだろう、という言葉を呑み込んだ貴族は、
「……わかった」
私と私の護衛二人の後に続き、宮殿の中庭まで出てきた。
大理石が敷き詰められた豪奢なデザインだが、この国のボロボロな経済状況を思うと滑稽にすら見える。
「エトワードル様、上から何か来ます!」
貴族の護衛の一人が叫び、皆が一斉に空を仰ぎ見た。
太陽の光を遮る一点の影が、だんだんとその大きさを増していき、巨大な姿がはっきりと見えてくる。
「ド、ドラゴン……」
そう、ドラゴンである。
巨大なトカゲに翼が生えたような姿をしており、口から吐くブレスは一国を灰燼と化すほどの威力を誇るとされる、伝説上の怪物。
それが、現実の空を飛んでいる。
「ヨルム、荷物どこに降ろせばいい?」
頭上で羽ばたくドラゴンから、少女の声が聞こえてくる。貴族たちには、ドラゴン自身が喋っているように見えるかもしれない。
「ああ、適当に平らなところに降ろしてくれ」
ドラゴンは前足で掴んでいる鉄製の箱を、大理石が傷付かないよう丁寧に地面へ降ろした後、箱の前方にある扉を前足で器用に開く。
「こちらが商品となります。箱の方は非売品ですので、商品のみを運び出していただいてもよろしいでしょうか」
そう問いかけると、茫然とドラゴンの顔を眺めていた貴族が、我に返ったように私の顔を見た。
「あ、ああ。わかった」
貴族は部下に命じ、数名の部下がドラゴンの間近にある箱に入り、商品の運び出しを始めた。
そうしているうちに、金貨の入った袋を持った部下が戻ってきた。
「ホーリー金貨3500枚だ。確認してくれ」
その部下は袋を私の護衛の一人、ヴァヴィリアに渡す。
私はヴァヴィリアから渡された袋を開け、袋の中身がホーリー金貨だけであることを確認し、両手で袋を持って重さを確かめた。商売柄、金貨の重さは十枚単位で把握できる。
「確かに、ホーリー金貨3500枚ですね」
私が金貨の確認を終えてすぐに、貴族のほうも商品の運び出しが完了したようだった。
「こちらも商品を確認できた」
「それでは、交渉成立ですね。今後とも、西ディアナ商会をご贔屓にしてくださるよう、お願い申し上げます」
取引成立の握手をした際、貴族の手は小さく震えていた。よほどドラゴンが怖いと見える。
かわいそうなので、早く帰ろう。
「おーい、アリシア。梯子を垂らしてくれ」
呼びかけると、ドラゴンの上から梯子が垂れてくる。
ヴィヴァリア、私、もう一人の護衛の順にドラゴンの背へと昇っていくと、美しい碧色の瞳をした少女が、真っ白な髪を風になびかせていた。
「今日は早かったね」
「今回はたまたま、砂漠にいる水不足の旅人を見つけられただけだよ。命がかかっているときに、金に糸目をつける人はいない。財布の中身をすべて差し出してでも、自分の命を優先するだろう」
「へー」
私のご高説を軽く聞き流し、全員が落下防止の命綱を装着したのを確認したアリシアは、ドラゴンの背に両手で触れる。
「さ、帰ろう」
アリシアの言葉に呼応して、巨大な翼が力強く羽ばたいた。
そんな室内に負けず劣らずの絢爛な衣服を身に纏いながら、額に醜悪な脂汗を浮かべているヒト族の貴族が、今回の取引相手である。
「ホーリー金貨5000枚だと。いくらなんでも高すぎる!」
交渉テーブルの対面で激高した貴族が、そう言って私を睨みつける。圧をかけているつもりなのかもしれないが、いくら怒鳴ったところで、この商談における彼我の優劣が揺らぐことはない。
「こちらとしては、この商談が破談となってもかまいません。まあ、そうなった場合、こちらがお渡しする予定だった商品は、そのまま反乱勢力の方々に売ることになるでしょうが」
貴族の護衛である二人の男の表情に力が入るのが見て取れる。どうやら、国内の反乱勢力は思っていた以上に大規模らしい。
ここ、フラローシュ王国では、長年の圧政に耐えかねた国民の間に、現在の絶対王政を打倒すべく立ち上がろうという機運が高まっている。部外者である私の耳にも噂が流れてくるということは、今月中にも各地で国民による暴動が発生するかもしれない。
「奴らとて、そんな金額を払えるわけがない」
私の露骨な脅し文句を聴き、少しは冷静さを取り戻したらしい貴族は、
「ホーリー金貨3000枚でどうだろう? その金額なら、すぐに現金で用意できる」
と言って、穏やかな笑みを浮かべた。
彼の提案した金額でも、相場の二倍以上の値段である。一刻も早くこの交渉を終わらせて、商品――この国の近衛兵に装備させる分の銃と弾丸、火薬――を持ってきてほしいのだろう。
この国では、兵士が自分の装備を売って日銭を稼ぐ行為が常態化しているため、兵士の数に対して武器が足りていない。
原因は単純、財政難だ。
満足に給料を支払えないから、兵士が自力で金を工面する必要が出てくる。国家間取引くらいにしか使えない高額なホーリー金貨は余っていても、日常生活での取引に必要なホーリー銀貨やグロリア銀貨の備蓄はほとんどないのだろう。
「では、ホーリー金貨3500枚にしましょう。ホーリー金貨で足りない分は、他の金貨で支払っていただいても構いません」
今後の取引への期待も込めて、今回は、貴族が最終的な落としどころとしたいであろう金額を先にこちらから提示することにする。
「それで頼む」
私は、あらかじめ商品内容を書き留めておいた契約書に、支払いに使用する金貨の種類と枚数を記入し、自分のサインを書いた後、それを貴族の方へ渡す。
「ものはいつまでに用意できるのかね?」
「こちらとしては、今すぐにでも用意可能です。量が量ですので、宮殿の中庭で交換をしましょう。そちらの金貨の準備は大丈夫でしょうか?」
「今から用意させる」
貴族は自分の部下に金貨を持ってくるよう、顎で指示を出す。
「では、こちらも商品を持ってこさせますので」
そう言って、私は商談のテーブルから立ち上り、
「エトワードル様も来てください。商品はすぐに来ますので」
と、貴族にも同行をお願いする。
お前の所属する西ディアナ商会からここに商品を持ってくるまでに、少なく見積もっても半日はかかるだろう、という言葉を呑み込んだ貴族は、
「……わかった」
私と私の護衛二人の後に続き、宮殿の中庭まで出てきた。
大理石が敷き詰められた豪奢なデザインだが、この国のボロボロな経済状況を思うと滑稽にすら見える。
「エトワードル様、上から何か来ます!」
貴族の護衛の一人が叫び、皆が一斉に空を仰ぎ見た。
太陽の光を遮る一点の影が、だんだんとその大きさを増していき、巨大な姿がはっきりと見えてくる。
「ド、ドラゴン……」
そう、ドラゴンである。
巨大なトカゲに翼が生えたような姿をしており、口から吐くブレスは一国を灰燼と化すほどの威力を誇るとされる、伝説上の怪物。
それが、現実の空を飛んでいる。
「ヨルム、荷物どこに降ろせばいい?」
頭上で羽ばたくドラゴンから、少女の声が聞こえてくる。貴族たちには、ドラゴン自身が喋っているように見えるかもしれない。
「ああ、適当に平らなところに降ろしてくれ」
ドラゴンは前足で掴んでいる鉄製の箱を、大理石が傷付かないよう丁寧に地面へ降ろした後、箱の前方にある扉を前足で器用に開く。
「こちらが商品となります。箱の方は非売品ですので、商品のみを運び出していただいてもよろしいでしょうか」
そう問いかけると、茫然とドラゴンの顔を眺めていた貴族が、我に返ったように私の顔を見た。
「あ、ああ。わかった」
貴族は部下に命じ、数名の部下がドラゴンの間近にある箱に入り、商品の運び出しを始めた。
そうしているうちに、金貨の入った袋を持った部下が戻ってきた。
「ホーリー金貨3500枚だ。確認してくれ」
その部下は袋を私の護衛の一人、ヴァヴィリアに渡す。
私はヴァヴィリアから渡された袋を開け、袋の中身がホーリー金貨だけであることを確認し、両手で袋を持って重さを確かめた。商売柄、金貨の重さは十枚単位で把握できる。
「確かに、ホーリー金貨3500枚ですね」
私が金貨の確認を終えてすぐに、貴族のほうも商品の運び出しが完了したようだった。
「こちらも商品を確認できた」
「それでは、交渉成立ですね。今後とも、西ディアナ商会をご贔屓にしてくださるよう、お願い申し上げます」
取引成立の握手をした際、貴族の手は小さく震えていた。よほどドラゴンが怖いと見える。
かわいそうなので、早く帰ろう。
「おーい、アリシア。梯子を垂らしてくれ」
呼びかけると、ドラゴンの上から梯子が垂れてくる。
ヴィヴァリア、私、もう一人の護衛の順にドラゴンの背へと昇っていくと、美しい碧色の瞳をした少女が、真っ白な髪を風になびかせていた。
「今日は早かったね」
「今回はたまたま、砂漠にいる水不足の旅人を見つけられただけだよ。命がかかっているときに、金に糸目をつける人はいない。財布の中身をすべて差し出してでも、自分の命を優先するだろう」
「へー」
私のご高説を軽く聞き流し、全員が落下防止の命綱を装着したのを確認したアリシアは、ドラゴンの背に両手で触れる。
「さ、帰ろう」
アリシアの言葉に呼応して、巨大な翼が力強く羽ばたいた。
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