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突然の不幸と降って湧いた遺産②
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「兄貴たちには今日話をして、支度が整い次第、俺は家を出る。金も要らねえと言ってやりたいが、無一文で家を出て兄貴たちを喜ばせるのも癪に障るからな」
「シグレ」
立ち上がった際に 袂を掴むシグレの母と目が合うと、シグレは分かってると短く答える。
「人間は弱いもんだ。そんな大金が転がり込んでくれば、判断も鈍るし狂う。兄貴たちが憎くて家を出るわけじゃない」
「自由に生きて欲しいのは本当のことです。だけどお前の家はここなのです。こんな母でも居る限りは、どうかそれを忘れないでくださいね」
「……分かってるよ」
それはこの家に残される、母の悲鳴のようだとシグレは思った。
老舗の造り酒屋として〈龍海酒造〉を切り盛りするために、母はまだ身をやつして犠牲にならなければならない。
今までなら兄たちが居るからと、のんびり構えていたが、降って湧いた遺産を前に 諍い始めるような兄弟が、どうやって協力して店を盛り立てていけるのだろうか。
本来ならば、こんな時だからこそシグレは店に残り、情けない兄たちの尻を叩くべきなのかも知れない。
だが遺産が絡んでいるこの状況で、シグレが今更店のことに口を出せば、遺言通り遺産を全額寄越せという腹積りだと捉えられかねない。
それはシグレの望むところではなく、むしろそんなことで、兄弟と揉めるつもりはないのだから。
「飯美味かったよ。お袋も、ちゃんと食えよ」
静かに啜り泣くシグレの母の肩に手を添えると、しっかりしてくれよと今生の別れではないことを口にして、自分自身への言い訳みたいだなとシグレは苦笑する。
そのまま母屋の北側に位置するマツノが所帯を構える区画に移動すると、相手はサトイだろうか、怒鳴り合って揉める声が聞こえてシグレはうんざりする。
「取り込み中悪いけど、ちょっと良いか」
シグレが部屋に入ると、マツノとサトイは居住まいを正して小さく咳払いをする。
「お袋、飯も喉を通らないみたいだけど、兄貴たちはそんなことにも気を遣ってやらないのか」
「随分と偉そうな言い方だな」
「ジジイだけじゃねえ。親父も死んだんだ。あるはずがなかったものに浮かれる気持ちは分かるけどさ、兄貴たちは世帯持ってんだろ。お袋の悲しみは理解出来るはずだろ」
「シグレ……」
警戒心を剥き出しにしていたマツノとサトイだったが、シグレの一言に対してバツが悪そうに顔を逸らす。
「堪らずお袋が俺に話したくらいだ。〈龍海酒造〉を潰す気がないなら、もう金のことで諍うな」
「それは遺言通り、お前が全部遺産を受け取りたいって話かい」
「どうせお前のことだ。知ったら知ったで、そんなことを言い出しかねないよな」
マツノに続いてサトイまでもが、開き直ったように遺産の話をし始めた。
「そんなもん、遺言状があるんだから、出るとこ出りゃ俺の総取りに決まってんだろ」
「やっぱりな、お前はそういうやつだよ」
「そうだ。俺たちは店に貢献してるってのに」
「馬鹿野郎共が!」
シグレが叫んで壁を殴ると、マツノとサトイは再びバツの悪そうな顔をして、言い訳を探すように互いの出方を見ている。
同じ兄弟でありながら、こんなことでいがみ合うこと自体が情けなく、ひどく哀しいことではあるが、嫌でもこれが現実なのだと、目の前で狼狽する兄たちをシグレは睨む。
「あんたらが勝手に取り決めた通り、俺は二割の一億ゼラ貰えばそれで良い。それにこの家からは出ていく。醜い争いをしている自覚があるなら、冷静になってくれ」
「そうは言うがシグレ、五億ゼラだぞ」
「本来ならその全てが俺の手に渡るはずだった。でも、そのあまりにもデカすぎる金額に目が眩んで、あんたらは支え合うべきなのに、泡銭を如何に手に入れるかの算段ばかりだ」
「綺麗事を言うな」
「じゃあ、遺言通り全部俺に寄越せるか」
「やっぱりな。はなからそういう魂胆だったんだろ」
サトイが獣のような目つきでシグレを睨む。
「あのな兄貴、さっきも言ったろ。兄貴たちは店も、この家も土地も! 思い出が詰まった全てを手に入れたのに、まだ足りないのかよ。そうやって言い争って、お袋まで殺す気かよ」
「なんてこと言うんだ、シグレ」
「そうだぞシグレ」
「だったらなんであそこまでやつれて、誰にも聞かれないように声殺して泣いてんだよ。死を悼む暇もねえって、心痛めてるお袋のことを考えてやれよ!」
決して仲の悪い兄弟ではなかったはずなのに、目の眩むような巨額の遺産がここまで人を狂わせる。
情けなさも、やるせなさも、シグレはどこにぶつけたら良いのか分からない。
これ以上揉め事を起こさないためには、シグレが財産を放棄すれば良いのかも知れないが、この二人の好きにさせるのが癪に障るのも事実だ。
「とにかく、俺はもうこの家から出ていく。元々性に合わねえんだよ、それは分かるだろ」
「シグレ」
「お袋を捨てる訳じゃない。だけど、こんなことがあっちゃ、家族を信用も出来ねえのは分かるだろ。それに俺は責任のある仕事をしてた訳でもないからな」
「家を出てどうする」
長男であるマツノは少し冷静になったのか、シグレを見つめて物憂げな顔をする。
「いきなり違う仕事も出来ねえし、 請 酒屋か酒場でも始めるかな。お袋のことは気掛かりだし、これ以上心配掛けたくない」
「結局、シグレが一番の孝行者だとはな」
肩を落として苦笑するサトイに、シグレは短く吐き捨てる。
「好色家で遊んでばかりの俺が親孝行なもんかよ。ま、とりあえず算段がつくまでは厄介になるけど、兄貴たちも、そろそろ馬鹿げたやり取りはやめて、お袋に心を向けてやってくれ」
「シグレ」
立ち上がった際に 袂を掴むシグレの母と目が合うと、シグレは分かってると短く答える。
「人間は弱いもんだ。そんな大金が転がり込んでくれば、判断も鈍るし狂う。兄貴たちが憎くて家を出るわけじゃない」
「自由に生きて欲しいのは本当のことです。だけどお前の家はここなのです。こんな母でも居る限りは、どうかそれを忘れないでくださいね」
「……分かってるよ」
それはこの家に残される、母の悲鳴のようだとシグレは思った。
老舗の造り酒屋として〈龍海酒造〉を切り盛りするために、母はまだ身をやつして犠牲にならなければならない。
今までなら兄たちが居るからと、のんびり構えていたが、降って湧いた遺産を前に 諍い始めるような兄弟が、どうやって協力して店を盛り立てていけるのだろうか。
本来ならば、こんな時だからこそシグレは店に残り、情けない兄たちの尻を叩くべきなのかも知れない。
だが遺産が絡んでいるこの状況で、シグレが今更店のことに口を出せば、遺言通り遺産を全額寄越せという腹積りだと捉えられかねない。
それはシグレの望むところではなく、むしろそんなことで、兄弟と揉めるつもりはないのだから。
「飯美味かったよ。お袋も、ちゃんと食えよ」
静かに啜り泣くシグレの母の肩に手を添えると、しっかりしてくれよと今生の別れではないことを口にして、自分自身への言い訳みたいだなとシグレは苦笑する。
そのまま母屋の北側に位置するマツノが所帯を構える区画に移動すると、相手はサトイだろうか、怒鳴り合って揉める声が聞こえてシグレはうんざりする。
「取り込み中悪いけど、ちょっと良いか」
シグレが部屋に入ると、マツノとサトイは居住まいを正して小さく咳払いをする。
「お袋、飯も喉を通らないみたいだけど、兄貴たちはそんなことにも気を遣ってやらないのか」
「随分と偉そうな言い方だな」
「ジジイだけじゃねえ。親父も死んだんだ。あるはずがなかったものに浮かれる気持ちは分かるけどさ、兄貴たちは世帯持ってんだろ。お袋の悲しみは理解出来るはずだろ」
「シグレ……」
警戒心を剥き出しにしていたマツノとサトイだったが、シグレの一言に対してバツが悪そうに顔を逸らす。
「堪らずお袋が俺に話したくらいだ。〈龍海酒造〉を潰す気がないなら、もう金のことで諍うな」
「それは遺言通り、お前が全部遺産を受け取りたいって話かい」
「どうせお前のことだ。知ったら知ったで、そんなことを言い出しかねないよな」
マツノに続いてサトイまでもが、開き直ったように遺産の話をし始めた。
「そんなもん、遺言状があるんだから、出るとこ出りゃ俺の総取りに決まってんだろ」
「やっぱりな、お前はそういうやつだよ」
「そうだ。俺たちは店に貢献してるってのに」
「馬鹿野郎共が!」
シグレが叫んで壁を殴ると、マツノとサトイは再びバツの悪そうな顔をして、言い訳を探すように互いの出方を見ている。
同じ兄弟でありながら、こんなことでいがみ合うこと自体が情けなく、ひどく哀しいことではあるが、嫌でもこれが現実なのだと、目の前で狼狽する兄たちをシグレは睨む。
「あんたらが勝手に取り決めた通り、俺は二割の一億ゼラ貰えばそれで良い。それにこの家からは出ていく。醜い争いをしている自覚があるなら、冷静になってくれ」
「そうは言うがシグレ、五億ゼラだぞ」
「本来ならその全てが俺の手に渡るはずだった。でも、そのあまりにもデカすぎる金額に目が眩んで、あんたらは支え合うべきなのに、泡銭を如何に手に入れるかの算段ばかりだ」
「綺麗事を言うな」
「じゃあ、遺言通り全部俺に寄越せるか」
「やっぱりな。はなからそういう魂胆だったんだろ」
サトイが獣のような目つきでシグレを睨む。
「あのな兄貴、さっきも言ったろ。兄貴たちは店も、この家も土地も! 思い出が詰まった全てを手に入れたのに、まだ足りないのかよ。そうやって言い争って、お袋まで殺す気かよ」
「なんてこと言うんだ、シグレ」
「そうだぞシグレ」
「だったらなんであそこまでやつれて、誰にも聞かれないように声殺して泣いてんだよ。死を悼む暇もねえって、心痛めてるお袋のことを考えてやれよ!」
決して仲の悪い兄弟ではなかったはずなのに、目の眩むような巨額の遺産がここまで人を狂わせる。
情けなさも、やるせなさも、シグレはどこにぶつけたら良いのか分からない。
これ以上揉め事を起こさないためには、シグレが財産を放棄すれば良いのかも知れないが、この二人の好きにさせるのが癪に障るのも事実だ。
「とにかく、俺はもうこの家から出ていく。元々性に合わねえんだよ、それは分かるだろ」
「シグレ」
「お袋を捨てる訳じゃない。だけど、こんなことがあっちゃ、家族を信用も出来ねえのは分かるだろ。それに俺は責任のある仕事をしてた訳でもないからな」
「家を出てどうする」
長男であるマツノは少し冷静になったのか、シグレを見つめて物憂げな顔をする。
「いきなり違う仕事も出来ねえし、 請 酒屋か酒場でも始めるかな。お袋のことは気掛かりだし、これ以上心配掛けたくない」
「結局、シグレが一番の孝行者だとはな」
肩を落として苦笑するサトイに、シグレは短く吐き捨てる。
「好色家で遊んでばかりの俺が親孝行なもんかよ。ま、とりあえず算段がつくまでは厄介になるけど、兄貴たちも、そろそろ馬鹿げたやり取りはやめて、お袋に心を向けてやってくれ」
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