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突然の不幸と降って湧いた遺産①
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一目千両の噂を聞いてから、かれこれひと月。
日々遊んでばかりのシグレだったが、〈龍海酒造〉の十三代目を務めた祖父と当代であった父が、商談を取りまとめに向かった帰り道、事故に巻き込まれて急逝したことで日常が一変した。
「こんな時だからこそ、お前は自由にしてて良いのですよ。シグレ」
食事のために母屋に顔を出すと、消沈した様子のシグレを見かねてシグレの母が声を掛けてきた。
そんな母こそやつれたように思うシグレだが、上手い言葉は見つからない。
「それより腹減ったわ。なんかねえの」
「残り物で良ければ用意します」
喪中のため、酒蔵の杜氏以外の職人や使用人のほとんどは 暇を出されていて、広い家はまるでがらんどうのようだ。
先代を務めた祖父は、シグレに似た色男で性格も豪快、政略結婚した祖母を大切にはしたが、 他所に数えきれないほどの愛妾を囲い、それを隠しもしなかった。
面立ちが似たシグレを可愛がり、子供相手に色事遊びを教え込んだのも、この祖父だ。
打って変わって父は、不器用ではあるが母一人を真摯に愛し、三人授かった息子には分け隔てなく深い愛情を注いだ。
シグレが道楽半分で家業を手伝って好き勝手出来たのも、この父の存在が大きかった。
「お祖父様はお前と同じで、自由でしたからね」
シグレの母は言葉を選ばず、本当に豪胆な人だったわと笑いながら、今握ったばかりのおむすび二つと、甘辛いタレの絡んだ小魚の干物、野菜がたっぷり入ったスープをテーブルに置いた。
「耄碌したジジイはともかく親父まで失って、さすがに喪中の 最中に、そこまで気楽に遊べねえよ」
「お前も大人になったんですね」
おむすびにかぶりつくシグレを見て複雑そうに笑ってから、シグレの母は遺産の話は聞いてるかと難しい顔をした。
「マツノ兄貴が家業とその資産、サトイ兄貴は店を含めた不動産の権利。葬儀の後で話してただろ」
「ええ。ならお前にも、遺されたものがある可能性を考えないのですか」
「いやいや、俺みたいな道楽者に遺産なんかねえだろ」
「いいえ。あの場では話せない事情がありました。お祖父様とお父様は、お前のために巨額の遺産を遺されたんですよ」
「なんだよそれ」
「マツノもサトイも、お前以上に店のことに尽力してくれています。だからこそ、お父様まで亡くなった今、お祖父様の遺言通り店や不動産の権利をあの子たちに譲渡するのは妥当です」
「じゃあ、ジジイたちが俺に遺したのっては、なんなんだ」
「個人資産の五億ゼラです」
「はあ?」
あまりに桁違いの金額が出てギョッとすると、シグレの母は頭を抱えて小さな溜め息をこぼす。
「投資で儲けが出ていたそうです。しかも本来ならば、その全額をお前に遺すとの話でした。所詮は 泡銭ですからね」
「だからって、投資なんだから労せず手にした訳でもないだろ」
「マツノやサトイが、そう思える子たちなら良かったのですけれどね」
「まさか」
「あの子たちのことを考えれば、お前には資産の一部を渡すのが妥当だろうと、私が決めるしかなかったの」
シグレの母は俯いたまま、情けないと呟いて涙を一つこぼした。
「兄貴たちが争わないように、俺に黙ってれば良かったじゃないか」
「結局は放蕩息子のお前が、一番人の心を持っていて、血が通ってるだなんてね」
金は人を簡単に狂わせると呟いて、母は義父や夫の死を悼む 暇さえ許されないと目頭を押さえる。
「もしかして、自分たちの取り分を確保するために、遺言状をどうにかして、口止め料に俺に一部だけでも渡さざるを得ないって話か」
「情けないことですが、そういうことです。ですからお前の手に渡るのは、亡くなった二人がお前のためにと遺した五億ゼラのうちの、僅か二割です」
それでも一億ゼラなのだから、莫大な金額だ。
シグレはそこまで聞いてようやく、祖父だけでなく父さえ亡くしたにも拘らず、彼らが残した遺産をめぐって兄弟が我欲を満たすために 諍いを起こしていることを悟った。
だからこそ情けなさから歯を食いしばり、怒りを堪えるために握り締めた拳に力が入ってしまう。
「クソだな。反吐が出る」
「だからお前は自由にすれば良いのです、シグレ。今のお金に取り憑かれたあの子たちを見ていると、〈龍海酒造〉すらも、この先どうなるか分からないのだから」
「なあ、お袋」
「なんです」
「俺と一緒に家を出るか」
「お前のお父様のためにも、それは出来ません。私はこれでもあの子たちの母親ですから、代々受け継がれてきた〈龍海酒造〉を守らなければなりません」
「親父か。そうだよな、息子は揃いも揃って阿呆ばかりじゃ、お袋も苦労が絶えないよな」
「本当ならお前が……いえ、なんでもありません」
母は言い淀み、結局口を閉ざした。
シグレにも母の言わんとしてることは予測出来たが、あえてそれには触れない。
そもそもシグレは母が口にしたように、協調性や責任感とは掛け離れた自由奔放な生き方が楽で気に入っている。
それよりも、法外な遺産のせいで兄弟同士が金に目が 眩んだ現状では、自分や母の身の危険すら危ういのではと勘繰ってしまう。
「でも、そんな状態で大丈夫なのかよ」
「お前はそもそも自由な子です。この家に生まれたからと言って、型にはめられた生き方をしなくても良いのです」
「お袋……」
「とにかく、マツノもサトイも了承しています。もっとも、自分たちにはさらに多額の遺産が入るわけですから、文句のつけようもないのでしょうね」
「 蔑ろにされるようなことがあったら、必ず俺を頼ってくれ」
「シグレ」
日々遊んでばかりのシグレだったが、〈龍海酒造〉の十三代目を務めた祖父と当代であった父が、商談を取りまとめに向かった帰り道、事故に巻き込まれて急逝したことで日常が一変した。
「こんな時だからこそ、お前は自由にしてて良いのですよ。シグレ」
食事のために母屋に顔を出すと、消沈した様子のシグレを見かねてシグレの母が声を掛けてきた。
そんな母こそやつれたように思うシグレだが、上手い言葉は見つからない。
「それより腹減ったわ。なんかねえの」
「残り物で良ければ用意します」
喪中のため、酒蔵の杜氏以外の職人や使用人のほとんどは 暇を出されていて、広い家はまるでがらんどうのようだ。
先代を務めた祖父は、シグレに似た色男で性格も豪快、政略結婚した祖母を大切にはしたが、 他所に数えきれないほどの愛妾を囲い、それを隠しもしなかった。
面立ちが似たシグレを可愛がり、子供相手に色事遊びを教え込んだのも、この祖父だ。
打って変わって父は、不器用ではあるが母一人を真摯に愛し、三人授かった息子には分け隔てなく深い愛情を注いだ。
シグレが道楽半分で家業を手伝って好き勝手出来たのも、この父の存在が大きかった。
「お祖父様はお前と同じで、自由でしたからね」
シグレの母は言葉を選ばず、本当に豪胆な人だったわと笑いながら、今握ったばかりのおむすび二つと、甘辛いタレの絡んだ小魚の干物、野菜がたっぷり入ったスープをテーブルに置いた。
「耄碌したジジイはともかく親父まで失って、さすがに喪中の 最中に、そこまで気楽に遊べねえよ」
「お前も大人になったんですね」
おむすびにかぶりつくシグレを見て複雑そうに笑ってから、シグレの母は遺産の話は聞いてるかと難しい顔をした。
「マツノ兄貴が家業とその資産、サトイ兄貴は店を含めた不動産の権利。葬儀の後で話してただろ」
「ええ。ならお前にも、遺されたものがある可能性を考えないのですか」
「いやいや、俺みたいな道楽者に遺産なんかねえだろ」
「いいえ。あの場では話せない事情がありました。お祖父様とお父様は、お前のために巨額の遺産を遺されたんですよ」
「なんだよそれ」
「マツノもサトイも、お前以上に店のことに尽力してくれています。だからこそ、お父様まで亡くなった今、お祖父様の遺言通り店や不動産の権利をあの子たちに譲渡するのは妥当です」
「じゃあ、ジジイたちが俺に遺したのっては、なんなんだ」
「個人資産の五億ゼラです」
「はあ?」
あまりに桁違いの金額が出てギョッとすると、シグレの母は頭を抱えて小さな溜め息をこぼす。
「投資で儲けが出ていたそうです。しかも本来ならば、その全額をお前に遺すとの話でした。所詮は 泡銭ですからね」
「だからって、投資なんだから労せず手にした訳でもないだろ」
「マツノやサトイが、そう思える子たちなら良かったのですけれどね」
「まさか」
「あの子たちのことを考えれば、お前には資産の一部を渡すのが妥当だろうと、私が決めるしかなかったの」
シグレの母は俯いたまま、情けないと呟いて涙を一つこぼした。
「兄貴たちが争わないように、俺に黙ってれば良かったじゃないか」
「結局は放蕩息子のお前が、一番人の心を持っていて、血が通ってるだなんてね」
金は人を簡単に狂わせると呟いて、母は義父や夫の死を悼む 暇さえ許されないと目頭を押さえる。
「もしかして、自分たちの取り分を確保するために、遺言状をどうにかして、口止め料に俺に一部だけでも渡さざるを得ないって話か」
「情けないことですが、そういうことです。ですからお前の手に渡るのは、亡くなった二人がお前のためにと遺した五億ゼラのうちの、僅か二割です」
それでも一億ゼラなのだから、莫大な金額だ。
シグレはそこまで聞いてようやく、祖父だけでなく父さえ亡くしたにも拘らず、彼らが残した遺産をめぐって兄弟が我欲を満たすために 諍いを起こしていることを悟った。
だからこそ情けなさから歯を食いしばり、怒りを堪えるために握り締めた拳に力が入ってしまう。
「クソだな。反吐が出る」
「だからお前は自由にすれば良いのです、シグレ。今のお金に取り憑かれたあの子たちを見ていると、〈龍海酒造〉すらも、この先どうなるか分からないのだから」
「なあ、お袋」
「なんです」
「俺と一緒に家を出るか」
「お前のお父様のためにも、それは出来ません。私はこれでもあの子たちの母親ですから、代々受け継がれてきた〈龍海酒造〉を守らなければなりません」
「親父か。そうだよな、息子は揃いも揃って阿呆ばかりじゃ、お袋も苦労が絶えないよな」
「本当ならお前が……いえ、なんでもありません」
母は言い淀み、結局口を閉ざした。
シグレにも母の言わんとしてることは予測出来たが、あえてそれには触れない。
そもそもシグレは母が口にしたように、協調性や責任感とは掛け離れた自由奔放な生き方が楽で気に入っている。
それよりも、法外な遺産のせいで兄弟同士が金に目が 眩んだ現状では、自分や母の身の危険すら危ういのではと勘繰ってしまう。
「でも、そんな状態で大丈夫なのかよ」
「お前はそもそも自由な子です。この家に生まれたからと言って、型にはめられた生き方をしなくても良いのです」
「お袋……」
「とにかく、マツノもサトイも了承しています。もっとも、自分たちにはさらに多額の遺産が入るわけですから、文句のつけようもないのでしょうね」
「 蔑ろにされるようなことがあったら、必ず俺を頼ってくれ」
「シグレ」
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