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造り酒屋の三男坊
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コートラルと呼ばれる世界の片隅に在って、群島で形成されるヤスナの国は、豊かな海に抱かれた海洋国家。
そんなヤスナの首都キナの一角では、今日も今日とて、平和ボケしたお馴染みのやり取りが繰り広げられていた。
「おいシグレ、お前また娼館に行くのか」
「だったらなんだよ。やることはやってんだろ。仕事に差し支えなきゃ、文句ねえっつったのは兄貴じゃないか」
「お前ねえ」
「うっせえな。てめえの稼ぎ、どう使おうが俺の勝手だろうが」
「だからってお前、もういい年頃だろう。〈 龍海 酒造〉の看板に泥を塗るような派手な遊びは、そろそろ卒業したらどうなんだ」
「泥だ? 上等だ」
「あ、おいっ、待たないかシグレ!」
呼び止める兄、マツノの声を振り払うように、シグレは往来に飛び出した。
シグレはヤスナの国でも三本の指に入る老舗の造り酒屋〈龍海酒造〉の三男坊で、金銭感覚が緩く、酒と喧嘩、そして何より玄人遊びの色事が大好きな典型的な坊々だ。
見た目は誰もが振り返りたくなるような色男で、一八〇センチほどの細身の長身に、膝丈まで端折った灰色の着物を着込み、下はタイトな黒いカーゴパンツとブーツの組み合わせ。
最近流行りの帝国風と着物合わせる装いも、ヤスナではよく見かけるようになったが、それでも背の高いシグレがそれを着こなすと、粋で洒落た雰囲気は隠しようがなく様になっている。
「ったく。兄貴はホントに口煩くて敵わないよな」
仕事のために結んでいた髪をほどいて、藍色の組紐を手首に巻き付けると、手櫛で乱暴にほぐした肩先まで伸びた黒髪から、洗髪料の爽やかな香りがふわりと香る。
「さあさ、寄っていきな、見ていきな。帝国の香辛料だよ」
「こっちは北の大陸から入ってきた珍しい代物だよ」
「西の大陸の果物で作ったジャムはいかがですか」
一度街中を歩けば、あちこちから手を叩く音と、賑やかな呼び込みの声が聞こえてくる。
ヤスナの首都であるキナは交易が盛んな街で、人の往来も多く多種多様な民族が行き交っていて、珍しい品物を扱う店先からは独特の香りが漂い、いつも通り活気に溢れていた。
シグレは馴染みの露店で桃を一つ買うと、無造作にそれをかじりながら大通りを歩き、悠然と商業区画の更に奥に広がる花街へと足を進める。
「ようシグレ。お前またこんな時間から娼館か」
背後から現れるなりシグレの肩を抱き、ご機嫌な様子で桃を奪うと、男はそれをひとかじりしてから、熟れ過ぎだなと顔を歪める。
「そういうお前もだろ。キノエ」
「野暮なこと言うもんじゃないよ」
桃をシグレの手に戻すと、キノエは取り出したハンカチで濡れてベタつく手を拭った。
キノエはシグレの昔馴染みで、材木問屋の四男坊であり、小麦色に焼けた健康的な肌の色と逞しい体躯の持ち主で、シグレと同じく娼館通いを楽しむ遊び人だ。
帝国風の服装の上からジャケット代わりにヤスナの着物を羽織っているが、着崩して胸元まではだけだシャツから逞しい胸板が覗いていて、それが往来を行き来する女性たちの視線を集めている。
「それより聞いたか、〈マグノリア〉に現れた 一目 千両の話」
「ヒトメ? なんだそれ」
シグレは聞き覚えのない単語に眉を寄せると、再び手元に戻った桃をかじり、この柔らかさが良いんだろと、熟した桃の汁を啜る。
それに娼館の中でも〈マグノリア〉といえば、富裕層からの人気が高い高級娼館だ。シグレが通う店とは敷居の高さが違う。
「なんだ。早耳のお前がまだ知らないとはな」
「もったいぶってないで教えろよ」
シグレは残り少なくなった桃をかじると、大粒の種を懐紙に吐き出して、懐にしまい入れた。
「本当に知らないのか。まあ、このところ仕事が忙しそうだったからな」
「腰を痛めてた親父が仕事に復帰したからな。そんなことより、そのヒトメセンリョウってなんのことなんだよ」
「なんでも〈マグノリア〉に突如現れた娼婦の通り名で、客を取るどころか、その姿を見るだけで大金が必要って話だ。それを昔話になぞらえて一目千両って呼ばれてるらしい」
そんなヤスナの首都キナの一角では、今日も今日とて、平和ボケしたお馴染みのやり取りが繰り広げられていた。
「おいシグレ、お前また娼館に行くのか」
「だったらなんだよ。やることはやってんだろ。仕事に差し支えなきゃ、文句ねえっつったのは兄貴じゃないか」
「お前ねえ」
「うっせえな。てめえの稼ぎ、どう使おうが俺の勝手だろうが」
「だからってお前、もういい年頃だろう。〈 龍海 酒造〉の看板に泥を塗るような派手な遊びは、そろそろ卒業したらどうなんだ」
「泥だ? 上等だ」
「あ、おいっ、待たないかシグレ!」
呼び止める兄、マツノの声を振り払うように、シグレは往来に飛び出した。
シグレはヤスナの国でも三本の指に入る老舗の造り酒屋〈龍海酒造〉の三男坊で、金銭感覚が緩く、酒と喧嘩、そして何より玄人遊びの色事が大好きな典型的な坊々だ。
見た目は誰もが振り返りたくなるような色男で、一八〇センチほどの細身の長身に、膝丈まで端折った灰色の着物を着込み、下はタイトな黒いカーゴパンツとブーツの組み合わせ。
最近流行りの帝国風と着物合わせる装いも、ヤスナではよく見かけるようになったが、それでも背の高いシグレがそれを着こなすと、粋で洒落た雰囲気は隠しようがなく様になっている。
「ったく。兄貴はホントに口煩くて敵わないよな」
仕事のために結んでいた髪をほどいて、藍色の組紐を手首に巻き付けると、手櫛で乱暴にほぐした肩先まで伸びた黒髪から、洗髪料の爽やかな香りがふわりと香る。
「さあさ、寄っていきな、見ていきな。帝国の香辛料だよ」
「こっちは北の大陸から入ってきた珍しい代物だよ」
「西の大陸の果物で作ったジャムはいかがですか」
一度街中を歩けば、あちこちから手を叩く音と、賑やかな呼び込みの声が聞こえてくる。
ヤスナの首都であるキナは交易が盛んな街で、人の往来も多く多種多様な民族が行き交っていて、珍しい品物を扱う店先からは独特の香りが漂い、いつも通り活気に溢れていた。
シグレは馴染みの露店で桃を一つ買うと、無造作にそれをかじりながら大通りを歩き、悠然と商業区画の更に奥に広がる花街へと足を進める。
「ようシグレ。お前またこんな時間から娼館か」
背後から現れるなりシグレの肩を抱き、ご機嫌な様子で桃を奪うと、男はそれをひとかじりしてから、熟れ過ぎだなと顔を歪める。
「そういうお前もだろ。キノエ」
「野暮なこと言うもんじゃないよ」
桃をシグレの手に戻すと、キノエは取り出したハンカチで濡れてベタつく手を拭った。
キノエはシグレの昔馴染みで、材木問屋の四男坊であり、小麦色に焼けた健康的な肌の色と逞しい体躯の持ち主で、シグレと同じく娼館通いを楽しむ遊び人だ。
帝国風の服装の上からジャケット代わりにヤスナの着物を羽織っているが、着崩して胸元まではだけだシャツから逞しい胸板が覗いていて、それが往来を行き来する女性たちの視線を集めている。
「それより聞いたか、〈マグノリア〉に現れた 一目 千両の話」
「ヒトメ? なんだそれ」
シグレは聞き覚えのない単語に眉を寄せると、再び手元に戻った桃をかじり、この柔らかさが良いんだろと、熟した桃の汁を啜る。
それに娼館の中でも〈マグノリア〉といえば、富裕層からの人気が高い高級娼館だ。シグレが通う店とは敷居の高さが違う。
「なんだ。早耳のお前がまだ知らないとはな」
「もったいぶってないで教えろよ」
シグレは残り少なくなった桃をかじると、大粒の種を懐紙に吐き出して、懐にしまい入れた。
「本当に知らないのか。まあ、このところ仕事が忙しそうだったからな」
「腰を痛めてた親父が仕事に復帰したからな。そんなことより、そのヒトメセンリョウってなんのことなんだよ」
「なんでも〈マグノリア〉に突如現れた娼婦の通り名で、客を取るどころか、その姿を見るだけで大金が必要って話だ。それを昔話になぞらえて一目千両って呼ばれてるらしい」
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