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三章 魔法学園 一年生
✿ 第15話:陽の光
しおりを挟む今日は、5月中旬の金曜日。
現在私は地面にひざまずき、ゼーハーと息を切らしていた。
「はぁ……ぅ゛……し、しぬ……」
「咲来、大丈夫?」
「これはダメそうだねっ!」
先日あの脳筋聖女様に「体育祭は大丈夫なのか?」と尋ねられたとき、私は無言を貫いた。表面上は平静を装ったものの、内心はまったく大丈夫ではなかったのだ。
むしろ最悪、ダメダメだ。
……だというのに、明日は遂に体育祭。
クラスメイトたちは、まるで最後の追い込みをかけるかのように練習を繰り返していて、私はそのペースに付いていくのがやっとだった。
全員リレーの校庭一周を、一体何回繰り返すつもりなのか。私の全身には足が取れそうになるほどの疲労感が広がっているのだ。息が上がり、筋肉も「助けて」と悲鳴を上げている。
他の競技も同じだ。明日が体育祭本番だというのに、どうしてここまでやるのか。彼らは加減と言う物を知らないのだろうか。
まあそれは私のクラスだけではないのだけれど。特に♡クラス……あそこは異常だ。
火の魔法使いは暑苦しいとか、熱血とか、そういう人が多い傾向がある。だからあのクラスの熱意や雰囲気に、みんな当てられてしまったんだろう。
今は午後であの脳筋聖女様も実家。
だからか、余計に「聖女様の分まで頑張るぞー!」みたいな謎の気合いが入っている。
帰るのは知ってたけど、いっそ分身して今すぐ帰ってきて欲しい。それか双子になって片方がここに来て欲しい。
……いや、その場合は彼女が率先して熱血軍団を束ねてしまうに違いない。脳筋は当てにならないからこの場合全く頼りにならない。アウトだ。
しかも、体育祭と名乗っているものの、実際のところは小学校で行っていた〝運動会〟と大差ない。クラス対抗競技がメインのはずなのに、ダンスやら何やら全く関係のない競技が多くて、正直困惑する。
だってダンスなんて勝負競技じゃないのに、こんなに練習で体を無駄に動かしていたら、それだけで疲労困憊度が上がってしまうじゃないか。
競技の練習をする為にここに居るのに、こんなのは無駄すぎるだろう。
もう普通に、ダンスの競技を消す代わりに開催時間を短くして欲しい、本当に、切実に。
「りんと鈴音は元気だな……」
私は、彼女たちの元気な姿を見て、少し羨ましく思った。
「咲来が元気無さすぎなのっ!」
「私はちょっと疲れてるよ~」
「そうなの?すずも疲れてるんだ?」
鈴音は自分の疲れを訴えているけれど、その様子を見ていると、私の疲労感はより一層際立つ。
確かに、鈴音よりはりんの方がフィジカルがあるが、それでも二人とも一般的な小学四年生の体力に過ぎない。
それ比べたら私の体力は所詮米粒程度。二人どころか、クラスの中でもビリだと思う……いや、学年でビリかも……それは違うと願いたいけれど。
しかも、せっかく風魔法を扱えるというのに、体育祭の日は魔法を行使することが禁止されているのだ。
だから、私の足を早くしよう!とか、体を軽くしよう!といったズルは許されない。そんなことをしたら減点だ。
風魔法なんかまさに体育祭にうってつけなのに、行使出来ないのは非常に辛い。
と言うか、そもそも体育祭の存在意義が分からない。体育が苦手な人たちにとっては、まさに地獄のような行事じゃないか。しかも、クラスメイトはみんな……
「明日は絶対優勝するぞー!」
「「オォーッッ!!!!」」
……この盛り上がりよう。クラスの団結力が高まるのは良いことだし、入学直後に開催されるのも悪くはないと思う。しかし、それにしても、私にとっては不要な行事だ。
「あ゛ーーーー、ほんと、疲れる…………」
魔法の才能以外はすべて完璧でありたいのに、こればかりは一生克服出来ないのかもしれない。
そんな思いを抱えながら、私は深く息をした。明日が来るのが、少しだけ……いや、大分憂鬱だった。
*
「さあ!本日は、待ちに待った体育祭!小学生の皆さんは、教室の椅子を外に運んで、自分のクラスの所へ行ってくださーい!」
5月とは思えないほどの暑い快晴の中、朝っぱらから元気いっぱいの放送委員の声が校舎に響き渡る。
体育祭の当日がついにやってきた。今日は小学生のための特別な一日だ。
この日、中高生は普段通りの休みを楽しむのだが、見に来る人々は意外と多い。土曜日ということもあって、保護者たちも足を運ぶ。普通の人間が家族の魔法使いは、前日から実家に帰り、家族を連れてこちらへとやって来るのだ。
つまりこの学園は、珍しく学生以外の人間が沢山いる事になる。
その様子が、体育祭の楽しさを一層引き立てるのだろう。周囲には、期待に胸を膨らませた子どもたちの笑い声や、友達同士での賑やかな声が溢れている。まさに、子どもたちの一大イベントが始まろうとしている訳だ。
私は、そんな活気に包まれた校庭を見渡しながら、心の中でこの日が持つ特別な意味を噛み締めて__居なかった。
このジリジリと照りつける太陽の下で、一日中涼しい風魔法すら使えずに過ごすというのは、まさに拷問だ。こんなの、私たちが魔法使いである意味がまるでないじゃないか……なんて、私は心の中で愚痴をこぼす。
私の学年はまだ授業で魔法を習ってはいないけど、私は入学前から色々やりまくっている。それに魔法使いのいる家系なら、家庭で触る程度はしている子が多い。
だから、絶対、確実に、皆同じことを思っているはずだ。
そんなくだらない事を考えていると、ぽーんと放送委員の明るい声が響いてきた。
「今年からは水と風の魔法で作られた冷風を校庭に張り巡らせていまーす!なので以前よりは暑さも感じないことでしょうー!」
前言撤回、魔法は本当に素晴らしい。
あぁ、校庭に入った瞬間に、冷たく心地よい風が私の肌を撫で、暑さを忘れさせてくれる。
この瞬間、私は魔法の存在意義を再確認していた。魔法があるからこそ、こんな過酷な状況でも少しは快適に過ごせるのだと、心から感謝する気持ちが湧き上がる。
手に持った鉄部分の暑くなった椅子も適温に戻り、火照った体も熱が冷めていくようだった。
風と水の魔法でここまで涼しさを感じられるんだな……なんて呑気なことを考えていたその瞬間、私の身体に突然衝撃が走る。
「さーくーらーっ!」
「おねーえちゃーーんっ!」
「うわぁっ……ちょっと蒼空、優梨に急に抱きつくのは危ないよって教える立場でしょ?」
「おぉ……兄に対して冷たいぞ?妹よ……」
兄の花柳蒼空は、小学6年生。
普段はおちゃらけているけれど、根は真面目。しかし凄まじいブラコンだ。学園内でも「学園一弟妹を愛しすぎている長男」として有名な程に。
正直、物凄く恥ずかしいから早急にやめてほしい。
そしてもう一人居る女の子は、2歳年下の妹、花柳優梨。
彼女は今、私が通っていた小学校に通学しながら、親と一緒に実家で過ごしている。だからまだ、学園に通う年齢には満たない。
「お姉ちゃん、久しぶり~!」
「優梨……久しぶり。元気そうだね」
優梨は本当に可愛い妹だ。彼女は自然に人に甘え、その愛らしい様子は見る者の心を癒してくれる。
私が闇魔法師であることを知っている上で、周囲の態度に押し潰されることなく、自分の考えをしっかり持っているのだ。
幼いながらも、私よりずっと強い子だと感じる。
「うん!今は火の魔法をいっぱい勉強してるんだ!」
「偉いね優梨、凄いよ」
私に抱きつく彼女の頭を、よしよしと優しく撫でる。すると、彼女はふにゃ~っととても嬉しそうな表情を浮かべた。
その笑顔が、私にとって何よりの癒しだ。
そのまま撫で続けていると、むくれた蒼空が少し不満そうに口を開いた。
「お、俺の事も撫でてくれ咲来!」
「え……何で?」
「そんな『心底意味がわからない』みたいな顔しなくても」
流石に兄の頭を理由もなく撫でる妹はそう居ないでしょ……なんて考えていると、横から笑顔の小悪魔が腹を黒くしてやって来た。
「咲来は撫でたいんじゃなくて、蒼空に頭を撫でて欲しいんだよ~。ねっ咲来?」
「……そんな事ないし、あっついから引っ付かないでくれますかねお兄様」
「あらら~妹くん、今日はクラス対抗だからって、そんなに俺に敵意むき出しでいいの~?」
「敵意とかじゃなくて、輝まで来たらほんとに暑いの!火の魔法使いの体温に囲まれる私の気にもなって!」
火の魔法使いは、その魔力の影響からか暑さにも耐えられる上体温が高い人が多い。
うちの家族は皆火の魔力が強いから、囲まれる私はジリジリと暑さに耐えられなくなって来ていた。本当に、魔法で涼しくなっている意味が無くなってきている。
「もう……私はクラスのところに行くから、優梨はお母さんとお父さんの所に行ってね」
「分かった!お兄ちゃんお姉ちゃん、みんな応援してるね!」
「うっうぅぅ……ありがとうな優梨ぃいい!!!」
「優梨ありがとう~、俺ともハグしよう~」
「俺もだ!俺も!!輝もしような!」
「わぁーい!みんなでしよ~う!」
相変わらず、兄妹は仲がいい。他の家庭のことは知らないけれど、この場にいるどんな兄妹よりも、彼らの絆は特別なものに思えてしまう。
だからこそ、余計に考えてしまうのだ。
私が火の魔法使いでなければ……せめて水の魔法使いであったなら、家族に何一つ負担をかけずに済むのに、って。
今この瞬間も、私は迷惑をかけているに等しい。
今ここに花柳兄妹が全員集まり、遠くから両親が見守る姿は、周囲の注目を集めている。しかし、その視線の半分は、私への非難と家族への疑問に満ちていることを、私は感じていた。
由緒正しい光の家門でありながら、闇の魔法を使役する私に、以前と変わらず接している家族の姿。それが一部の他家門に問題視されていることは分かっていた。
そしてこれは、私たち子ども世代よりも、親以上の世代の方がより顕著だ。なぜなら彼らは〝先代聖女様〟が亡くなった当時を生きている世代で、その恐怖の感覚を良く知っているから。
そんな彼らの視線の中にある疑念や不安が、私の心に重くのしかかってくるのだ。
黒くて、重くて、大きくて……簡単に押し潰されそうになる。
そんな思いが胸を締め付けるたびに、私は自分の存在について考えざるを得ない。
果たして、この家族の中で、私はどのような役割を果たしているのだろうか。世間の期待に応えられているのか、自分の選んだ道が正しいのか……なんて、頭の中で不安が渦巻いている。
こんなに明るい空の広がる世界が、私はいつだって真っ暗闇の中に居るみたいだ。
「おまたせ咲来っ!」
「りん……鈴音はどうしたの?」
「すずは今お花摘み中~!先に行っててだって!」
「分かった」
私は、りんの言葉に静かに頷いた。
その瞬間、私の思考を一瞬にして飛び消すように、校庭の中を淡々と歩み始める。
自分の心の奥深くに隠された影は振り払い、周りの視線なんて全く気にしていないような顔をして。
周囲の笑い声や楽しげな会話が耳に入ってきても、私には別世界の出来事のように感じられる。私の内側には暗闇が広がり、どんなに明るい光が降り注いでも、心の中の影を消すことはできない。
そんな思いが、私をより一層孤独にさせるのだ。
*
「それではっ、準備体操を終えたところで……いよいよ、第1001期魔法学園体育祭・小学生の部 開始~っ!」
周囲の盛り上がりに、私は控えめにぱちぱちと拍手を送る。
いえーい!という歓声が響く中、私は照りつける日差しで肌がヒリヒリとして来ていたのだ。この瞬間、今すぐにココへ日傘を設置したいという衝動に駆られてしまった。
「まずは各学年の100メートル走でーす!最初に走るのは1年生っ!この前入学したばかりのピチピチの小4たちで~す♪」
というか、何だこのおちゃらけたナレーションは。
一体誰がこんなことを……あれは、蒼空と同じ学年の先輩だ。流石に何も文句は言えないか……。
私は走る競技にはもちろん参加しないため、最初のうちはただの見物人だ。競技中にクラスメイトたちの声に合わせて「フレフレ風組~」と応援する事しか、やる事がない。
うちのクラスにも早い子が集まっている。しかし、2クラスも離れているのに、「火組~!」「聖女様~!!」という黄色い歓声が耳に飛び込んでくる。あの子も、100メートル走に参加するらしい。
『花柳は敵だけど、走らないのならその時くらいは私のことを応援してもいいんだよ?ほら、私の相棒頑張れ~っ!てさ』
『私は私のクラスを応援しますし、応援なら私の双子に頼んでよ』
『君、結構何でも輝に押し付けようとするよね……』
そんな会話をしていたのが懐かしい。
準備場所から皆に手を振る彼女は、相変わらず仮面を貼り付けたような表情を浮かべている。
他人に対してそうなることは、今も変わっていないようだ。
多分、それはもう彼女の癖なんだろう。自分を守るための防御壁のようなもの。だからすぐに治すのと言うのは、きっと難しいことなんだと思う。
それでも、彼女は出会った頃と違って、すぐに流されたりすることは無くなった。親しい関係の人たちには、少しずつ自然な表情を見せるようになっているみたいだし……それは彼女にとって、とてもいいことなんだと思う。
彼女が「なんで助けてくれるの?」と尋ねた時、私は「相棒だから」というありきたりな返事しかできなかった。その言葉が、どれほど空虚なものだったかは、今になって思い返すと痛感する。
私だって、どうしてこんな……校則違反をしてまで彼女を助けるような、〝自分らしくないこと〟をしているのか、よく分からなかった。
ただ、何となく……今考えると、彼女には私と同じ気持ちになって欲しくなかったのだと思う。
悲しい思いを、彼女にはして欲しくなかったのだ。
あの無邪気な笑顔を浮かべる彼女が、辛い思いを抱えることなく、笑顔でいられるようにと……心のどこかで願っていたのだ。
そんな気持ちが、私の行動を突き動かしていたんだと思う。彼女のために、少しでも明るい未来を与えたいと強く思う自分が居たという事だ。
春風菜乃花は、本当に眩しい。
眩しくて、眩しくて……目を直接向けることができない存在のように思えて仕方ない。
彼女の姿を見れば見るほど、自分が真っ暗で、全てが空っぽであることを痛感させられる。まるで私は、心の無い人形だ。
彼女は未来を見据えている。自分がどんな存在であるかを探求し、疑問が生まれればそれをすぐに突き止め、自由に、楽しそうに生きている。
その姿は、私にはキラキラと輝く太陽のようだ。どこまでも光を届けてしまう、圧倒的な善性。
彼女が自分に善性がないと言い張るのを耳にするたびに、私は心の中で反論したくなる。貴女は誰よりも善だ、と。
たとえ誰かが……本人さえもが、自分を悪だと称していても、私から見れば彼女は確かに善なのだ。
だからこそ、私は彼女に輝いた未来を思い描いて欲しい。
彼女には、私のように心の傷を抱えて欲しくない。彼女の未来は、希望に満ちたものであって欲しいと……そんなお節介を抱えているのだ。
彼女がその光を失うことなく、いつまでも輝いていてくれることが、みんなの……私の、望み。
そんなことを願う事ですら、おこがましいと言うのに。
だって、私は彼女の未来を暗闇に突き落とす〝闇魔法師〟で、彼女の光を奪い去ることができる、恐ろしい存在なのだから。
私は彼女の幸せを願う一方で、同時に自分が彼女に与える影響を考えると、身震いがする。
彼女の輝かしい未来を思い描くたびに、胸の奥が締め付けられる。
あの無垢な笑顔が、私の手によって消えてしまうかもしれないという恐怖が、心を支配するのだ。
「ゴール!!火組の春風さんが一位でゴールしました!!続いて土組、風組、水組と全員がゴール!!」
そんなことを考えているうちに、彼女は一位でゴールを果たしていた。
周囲のクラスメイトたちが悔しがりつつも風組を称えている。そんな声が上がる中、私はその光景に目を奪われていた。彼女の姿は、まるで一筋の光が差し込むように、他の誰よりも輝いて見える。
私はあの輝きを、いつか潰してしまうのだろうか。
彼女の笑顔が、いつか私の手によって失われてしまうのだろうか。
そんな光景は……夢の中の映像だけで充分だ。
*
「なー、母さんたちってどこにいるんだ?」
「そもそもここ、どこだろうねぇ~」
「確か、皆がいるのって大きな木のところじゃなかった?」
「それって、私たちが迷子ってことっ!?」
「みんな、落ち着いて……」
お昼休み、私は幼馴染に引っ張られて、五人とその家族でお昼ご飯を食べる約束をしていた……ハズだったんだけど、気がつけば私たちは学園内で迷子になってしまっていた。
私は場所を把握していた。でも、皆が無理やり私を引っ張るから、先導することが出来なかったのだ。
そうして学園内の構造を把握しきれていない彼らとともに、私はすっかり迷子になっていた。
「私が場所分かるからついて来て。はぐれないでね?」
「流石だな咲来!助かったぞ~!」
そんなこんなで、私たちは木々の間を進んでいた。しかし、その途中で次第に聞き覚えのある声が響き渡ってきたのだ。
徐々にその声が鮮明になるにつれ、私の顔は青ざめていく。そう、その声の主はあの聖女様・春風菜乃花と彼女の友達・四葉千鶴だったのだ。
最悪だ。
いつも避けている昼間に、ばったり出くわすなんて。しかも、人通りがほとんどない過疎地で、周囲には私と彼女の秘密を知る者しかいない。
この狭い空間で、彼女たちと目が合ってしまったら、どんな会話が交わされるのか想像するだけで、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
「あっ、春ちゃんだー!」
「ホントだ~、春風さ~ん」
「あぁ……」
予想通りだった……。
まあ周囲には誰もいないし、気配も感じられない。それなら、彼女たちが声をかけるのも無理はないだろう。
私の幼馴染たちはそういう子だし……しかも、その半分はクラスメイト。まあ仕方がない事だ。
「みんな!ヤッホー!花柳も……あ、えっと~ぉお~~ォ」
「……ここ誰もいないし、いいですよ、別に普通に話して」
「あれ、そうなの?」
私が彼女にそう言うと、露骨にホっとしてから何故かドヤ顔になる。
どう考えても良からぬ事を考えているようにしか見えないけど……。
「じゃあ花柳、私の100メートル走は見てたかっ!」
「見てました見てました、よくも私のクラスメイトを抜かしましたね。今ここで仇でも取っておきましょうか?」
「競技中に私に勝てないからって、ここで勝とうとするの辞めてくれる!?」
……じゃない、まずい。
こんなに普通に彼女と会話している様子を、幼馴染はともかく、四葉さんは見た事が無いはずだ。
彼女は私が敵のような存在として認識している盲信者なのだから、目の前で聖女様と会話をしているのは、あまり宜しくない状況なはず。
これは四葉さんの精神衛生上も良くない事だ。
もし私がこのまま彼女たちと話し続けたら、四葉さんはどう思うだろう?
闇魔法師が聖女様と親しげに会話している姿なんて、彼女の心にどれだけの混乱を引き起こす事にになるか分からない。
そんなことを考えている時、私はその違和感に気がついた。
「菜乃花、千鶴は居ないのか?」
「さっきまで千鶴の声も聞こえてたよね」
「だよな?」
そう、四葉さんの姿が見えないのだ。どこを見ても、どこにもいない。電話にしては声が鮮明で大きかったし、そんなにすぐに離れることもないだろう。
「も、もしかして幽霊っ!?」
「ちょっと、りん、やめてよ。幽霊なんている訳ないでしょ……」
「え~、分かんないよ~?」
「鈴音までやめて」
二人の冗談を軽く流していると、彼女がおずおずと口を開いた。
「そ、それがぁ……」
そう言うと、彼女は上に向かって指を指した。みんなで「上?」と言いながらその指差す方向を見ると、なんとそこには黒猫を抱えて硬直する四葉さんの姿があったのだ。
その様子から、黒猫を助けてそのまま動けなくなったのだろう。
「え、えっ、な、ち、ちちち、ち、ちち」
「落ち着いて、陽太ーっ!」
「ダメだよすずっ!陽太、焦りすぎてロボットみたいになってる!」
「これは、大変だね……」
「輝は逆に手がわなわなって変な動きしてるよっ!!」
その瞬間、周囲は混乱に包まれた。幼馴染が焦り、本人も焦り、彼女も焦っている。冷静な人が誰もいない状況に、焦燥感が募る。
まるで、目の前で起こっている出来事が、現実から切り離された夢の中にいるかのように感じられた。
しかしこれは現実だ。このままでは、彼女が猫と一緒に落ちてしまうかもしれない。四葉さんの目は恐怖に満ち、黒猫も不安げに四葉さんの腕の中で身を縮めている。
先生や大人を呼ぶにも、ここだと往復してるうちに四葉さんが落ちてしまうかもしれない。既に暫くここに居た様子だし、いつ落ちてしまうか本当に分からない。
どうにかして、彼女と黒猫を助けなければならないだろう。立ち尽くしている場合ではない。でも、どうやって……。
私はその瞬間、はっと閃いた。
今は昼休み。カバンの中にはお弁当と一緒に、魔法用の杖が隠れている。周囲は草木に囲まれた静かな場所で、人の気配は全く感じられない。この空間には、私と彼女の関係を知る者しかいない。
それなら、私が魔法を使えばいいじゃないか。
「四葉さん!」
「ハッ、ハイ!」
「私が風魔法を使うから、私が魔法をかけたら降りてきて。春風は下で四葉さんを受け止めて!」
「え、私!?」
「いつも筋肉自慢してるでしょ!とにかく春風が一番適任なの、ほら早く下に行く!」
「イ、イエッサー!」
私がそう言い放つと、彼女はすぐに四葉さんの下へと走り出した。その間に、私は急いでリュックから杖を取り出し、「〝風よ、彼女を包み込め〟」と唱える。
言葉が空気に乗ると、瞬間的に四葉さんと黒猫が、柔らかな風にふわふわと包み込まれる。
「四葉さん、今!安心して、春風のところに降りてきて!」
「う、うん……」
不安を抱えた表情のまま、四葉さんは目をぎゅっと瞑り、「えいっ!」と木の枝から降りた。
ふよふよとゆっくり落ちていく彼女は、まるでお姫様のように、春風さんの腕の中に優しく受け止められた。
抱きしめられている黒猫も、無事そうな様子で安心だ。
「はぁ、良かった……」
その言葉が口をついて出た瞬間、幼馴染たちは彼女たちの元に集まり、「大丈夫そうだね~」「咲来杖持ってるなんて天才だよっ!」「猫ちゃんも無事だ!」「よかったぁあ!」と、それぞれの思いを口にしている。
彼らの笑顔が、緊張感をほぐし、場の雰囲気を明るくして行った。ほっとした安堵感が私の心に広がり、周囲の笑い声が小鳥のさえずりのように響く。
「大丈夫そうで良かったです。」
「は、花柳さん……ありがとう……」
四葉さんが感謝の言葉を口にして、春風さんの腕からすっと降り立った。黒猫も小さくぴょんっと飛び、スタスタと歩いて行ってしまった。
見送る私の心に、ホッとした安堵が広がる。しかし、その瞬間、四葉さんが申し訳なさそうに私をじっと見つめているのが目に入った。
「……ねぇ、私、貴女に今まであんまり良くない態度だったのに……どうして助けてくれたの?」
その言葉は、どこか懐かしい響きを持っていた。以前、似たような問いを耳にしたことがある。私は彼女の顔をじっと見つめ返しながら、友達同士なら言うことも似通ってくるのだろうか……何て呑気に考えていた。
「貴女の私への感情は当たり前ですよ……助けたのは深い理由は無くて、ただ困っていたから助けただけです」
「私のこと怒ってないの?」
「全く怒ってはないですよ。申し訳ないとは思いますけど……これからも春風とは関わる予定なので、それは理解して貰えるとありがたいんですが……」
私の言葉が静寂の中に響くと、四葉さんの表情がふっと柔らかくなるのを感じた。
「花柳さん、本当にごめんなさい!」
「え、えっ?ちょ、あの、顔あげてください、何してるんですか……」
「だって……」
「謝らないで下さいよ。貴女は悪くないです……無計画に木に登ったのは危ない事ですが、こうして黒猫も貴女のおかげで救われているし……」
「そ、そうじゃなくて!今だけじゃなくて、今までの態度全部がごめんなさいなの!」
そう言うと四葉さんは、下げた頭をバッと持ち上げて、私の顔をまじまじと見つめた。切羽詰まったような表情に、私は何も言えなくなってしまう。
彼女の言葉を静かに待つと、やがて彼女はゆっくりと口を開いた。
「私、闇魔法師っていう存在は怖い。でも、花柳さんのことは怖くもないし嫌いじゃないの……だから、良かったら、私も普通に貴女に接したい……」
その瞬間、彼女の心の内を垣間見ることができた。
この子は優しい子だ。自分の中に抱える恐れを私に打ち明けながらも、その上で私そのものを認めてくれている。私と関わりたいと……そう言っているのだ。
「貴女は相棒の友達でルームメイトですから、貴女さえ良ければ……よろしくお願いします、四葉さん」
「は、花柳さん~……あ!もちろん外では今まで通りにするから!こういう時だけだね」
「そうですね」
四葉さんの声は真っ直ぐで、その目は非常に真剣だった。彼女の心からの願いが、私に確かに伝わってくる。
拒むことは簡単だ。彼女の家族は被害者で、私の立場は加害者と同じ。不用意に関わった所で、きっとこの先いい事は無いだろう。そんなの、誰にだってわかる。
だから彼女を遠ざけるべきだと頭の中では理解している。
それなのに、私は目の前にいるこんなにも真っ直ぐな彼女の決意を蔑ろにすることができないのだ。
私はいつも意志が弱くて、この聖女様よりも……きっと私の方が、雨のように簡単に流されてしまう存在なのだ。ただ、それをなんでもないことのように取り繕い、覆い隠して、他者の目には見えないようにしているだけ。
私の心の内側には不安や脆さが潜んでいるのに、その存在を他人には気取られないよう、必死に振る舞っているだけなのだ。
その時、幼馴染の声が左右からポンポンと飛んで来た。
「んもぉ~っ、咲来ちゃんは素直じゃな~いなっ!」
「そうだよ照れちゃって~」
「嘘つかなくていいんだぞ、咲来!」
「うんうん、バレバレだよ俺たちには~」
「うるさい輝」
「なんで俺だけ?」
その会話を聞いていると目の前の2人は、耐えきれない様子で笑い始めた。
その笑い声は、まるで優しい風のように空間を満たしていく。幼馴染たちもその様子に釣られて、自然と笑顔を浮かべていた。
こんなにも幸せで満ち溢れた空間にいることが、本当に許されて良いのだろうか。そう思えば思うほど、私の心の中にあるギャップが、胸をぎゅーっと締め付けてくる。
彼らの笑顔が眩しすぎて、同時に私の心の奥に潜む不安の影が、より一層色濃く浮かび上がってくる。
夢の中の光景が、鮮明になって来るのだ。
ずっとこんな日々が続いていればいいのに……と願う気持ちが、私の心の中に渦巻く。ほんの少しでも、この瞬間が永遠に続けばいい……なんて、本当に都合の良すぎる願い事だ。
皆が笑顔になっているのを眺めていると、やがて私の目の前に、まるでブルーアワーのように深い色合いを持つあの瞳が大きく映った。
私は思わず目をぱちぱちさせながら、その瞳を見つめ返すと、彼女は目を細めて私を見ていた。
「…………何、なんでそんな睨んできてるの?」
「違うよぉ~、これは微笑んでるのっ♪」
「え、なんで?」
「だってぇ、花柳がやっと私に対して呼び捨てタメ口にしてくれたからさぁ~♪」
「……あ」
本当に、すごく最悪だ。
これ以上親しくならないようにしようと思っていたのに、焦っていたからか完全に無意識に、すごく自然に普通の口調になってしまっていた。しかも、今まで全く気づいていなかったなんて。
心の中で今すぐ否定して訂正したいという衝動が駆け巡る。
しかし、何を言おうにも、目の前で嬉しそうな顔をする彼女を見つめていると、私はどんな言葉も口にすることができなかった。
私はただ、その笑顔を静かに眺めていることしかできず、自分の葛藤はこの輝きに簡単に飲み込まれてしまう。
彼女の笑顔が私を捕えて、ずっと離してくれないのだ。
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だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
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※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
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