それでも世界は美しいってほんと?

輪廻巡

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今日の考えごと

時間というものの重み。

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これを読んでくれているあなた。あなたは時間にはどれくらいの重さがあると思う?羽のように軽く吹き飛ぶもの?それとも胸の中に居座ってずっしりと重くなっていく?
どちらも正解だと僕は思う。
というのも、我々人間の体感する時間の長さは時と場合によって変わるものだからだ。楽しいことをたくさんしていると感じる時、時間は飛ぶように過ぎ去り、逆にやりたくもないことをやらされていたりする時はいつまでもその時間が続くように思えてしまう。
今日はそんな、人によって気持ちによって形を変える『時間』について書いてみたいと思う。


僕の人生の時間は、大きく分けると『19年』と『3年』に分かれる。僕は今22歳なので、合計すると22年。
19年は、母親と共に生きていた時間。
そして3年は、母親が死んでからの時間だ。
母親との19年間は、ひとことで表すなら暗黒時代、である。いいことなど全くなかった。常に母親の顔色を伺い、急に怒鳴られたり泣かれたりするたびビクビクして、どんなに良い成績を取っても一切褒められることはなく、すぐにモノを取り上げられる恐怖に怯え…とりあえずここには書ききれないくらいのいろいろなことがあった。
母親のことについてはいつか別にまとめて書きたいと思うのだが、まあ、一言で表すなら、クズ親だった。これに尽きる。高圧的で支配的、異様なまで潔癖で厳格な完璧主義者。これが僕にとっての母親のイメージ。
幼い頃は自分の家庭のおかしさに気づかなかった。小児が周りの子供と交換できる情報なんてたかが知れているし、そもそも他の子供との交流自体ほとんど親から認められておらず、他の子の家に遊びに行ったり公園に行ったりなどしたことはほとんどなかったし。
というわけで小児時代までは、周りの家庭と自分の家庭の環境が違うことにはほぼ気づいていなかった。ここまでで『4年』…僕は4歳になる。

はじめにおかしさに気づいたのは4歳ごろのことだった。当時引っ越しをしたばかりで新居はあまり片付いていなかったのだが、それがずっと片付かなかったのだ。普通なら引っ越した後荷解きをするのではないだろうか?我が家ではそれがなかった、持ってきたまま運ばれてきたまま家のあちらこちらに段ボールが積まれていた。そして母親は常に、何をするわけでもなくぼーっと椅子やコタツに座り込んでテレビを見ている。話しかけようものなら不機嫌そうな声で後にしてくれる?と言われ、抱きつこうとしたらわりと強めに手を振り払われる。
この頃はとにかく放置放置放置、そしてたまに怒鳴られたりするくらいだった。その後僕は新しい幼稚園に入園し、少しだけだが友達ができたり、遊ぶことを覚えたりした。
家の状況は相変わらずで、迎えに来る母親は常に不機嫌そうで話しかけると怒るし、そろそろ母親に話しかけなくなってきていたような記憶がある。
それはそこから、僕が幼稚園を卒園するまで続いた。卒園式の日ですらも、母親はものすごく機嫌が悪くて怖かった。幼稚園で『3年』、僕は早生まれのため6歳で卒園だった。

そして小学校時代、これは地獄の始まりだった。家の中では毎晩母親の怒鳴り声が聞こえて、そこに怒られた僕の大泣きする声や、母親に言い返す父親の怒鳴り声が混ざったりした。母親と父親が家庭内別居をしていて、寝室が別だったのをよく覚えている。この6年間であったことは多すぎるので別の文章でまとめて書きたいのだが、とにかく酷かったことは間違いない。母親はさらに高圧的支配的になり、僕にはなんの自由もなかった。着るもの、食べるもの、飲むもの、文房具の色や形、爪の長さや髪型などから、そのほか付き合う友達、一緒にバスに乗っていい子供、行っていい場所、見ていい番組、聞いていい音楽など、1から100まで母親の決めたことに従う生活。改めて思い出すたび、いやあの人狂ってね???異常だよこれは…と毎回ドン引きしている。
そうして『6年』過ぎた。僕は12歳で中学生になる。

まあ、結論から言うと、その後もなんら状況は変わらなかった。常に母親に従い、意味のわからないことで泣かれ、毎日激しい言葉で貶められ罵られ、といった感じだ。そんなわけで中学校を卒業する頃、僕のメンタルはすっかりぐちゃぐちゃになっていた。超絶最悪ネガティブビューマン誕生である。
一言他人に何かを言われるたびに嫌われているのではないかと怯え、どうせ私なんか…私ごときが…が口癖になった。毎日どころか毎時間毎分毎秒常に消えてなくなりたかった。
15歳で高校1年生になっても、18歳で大学生になっても、状況は何も改善せず。酷すぎた人生だったよなあと思う。
そしてそのまま19歳になり、はーあどうせこんな人生がこれからも続くんだろうなーあ!なんて思っていた矢先に転機があった。
母親に難病が発覚して、入院が決まったのだ!!!!これは僕にとってある意味最高である意味最悪な転機だった。母親はそのすぐあと、夏前くらいに入院した。僕は嬉しくて、これでしばらくは苦しい思いをしないで生活できる!も思った。歓喜していた。

そして母親は、
二度と、帰ってこなかった。


想定外の事態だった。
治らない病気とは言われていたが、投薬治療が効果を発揮して症状はマシになっていると聞いていた。実際に母親の1年ほどの入院期間のあいだ、数回ではあるけど会いに行った。投薬治療をおこなっていた頃は会話もできたし、長期療養型の病院への転院も決まっていた。
にもかかわらず、母親はアッサリと死んだ。
僕と父親が病院からまずい状態だから早く来てくれと言われて慌てて向かって、着いて、母親の病室に入った時。その時にはもうすでに息をしていなかった。ピ─────という音だけが病室に鳴り響いていたのをよーく覚えている。
あの時感じた虚しさと怒りも、よーく覚えている。


そんなこんなで、母親は僕が20歳になってすぐくらいの頃に死んだ。そして今、2022年になって僕は22歳になった。2年くらい経っている。
それでも僕の中では、いまだに母親が死んだ日から時間が止まったままだ。

僕が母親のことを忘れられなくてつらい、と言うと大体の人は勘違いする。辛いけど前を向きなよ…ね?というふうに。
違うそうじゃない!!!思い出が忘れられなくて辛いのではなく地獄のような日々が忘れられないから辛いんだよ!!と言いたい。いやもうすでに口に出して言ってるけど。
さらに、僕と母親との日々がどんなものだったか知っている人ですらこう言う。
『お母様はもう亡くなっているんだから、許してあげたら?』『亡くなった人のことは忘れるしかないのよ』
うるっせえわ!!!!余計なお世話ですわ!
何言ってんの?アナタ、19年間一日一発殴られ続けながら生活して殴ってきた奴が一度も謝らないまま死んだら、すぐ殴られてきたこと忘れてそいつのこと許せるの???ムリだろ??
それができるのは聖人君主だけだから!知らんけど!!

まあつまり。
母親は今までの生活について僕に『ごめんね』の一言すら言わずに、死んだ。それが僕は許せていないし、まだ自分の中で消化できていない。それなのに忘れなよとか許してあげなよとか言われたってムリに決まっているのである。
ムーリー春雨である。

ところで、この文章のタイトルを不思議に思った人も多いのではないだろうか?
時間というものの、重み。
言い換える。
母親と共に苦痛の生活を送ってきた19年間の重みと、母親が死んでからの2年間の重み、
だ。これを読んでくれている人は、どちらが重いと思うだろうか?辛い過去の時間の方が重い、という人もいれば、ようやく解放されて自由に生きている2年間の方が重い、という人もいるだろう。
ただ、僕は前者なのだ。それだけである。

時間にはたしかな重みがある。
手放せないほどしあわせな時間を過ごせたら、その時間こそが全てと言い切れるほどの重さを持つだろう。
その一方で、耐え難いほどの苦しみが続く時間があれば、その時間も忘れ難い辛さとなってずしりと重さを持つだろう。
どちらも人生においてはよくある話だ。
幸せの記憶、苦痛の記憶。どちらにも同じように重さがある。

誰にでも、人生の中ですごく重い時間というものはあると思う。
あなたにとって『重い』時間はどんなものだろうか?
忘れなよ、とか、許してあげなよ、なんて言葉をその口から吐く前に。
時間というものの重みについて、一度考えてみてもいいのではないだろうか?


忘れられないことだってあっていいよね?
みんな生きているんだから。
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