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不穏の経済特区

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 商品サンプルが入った木箱などをアイリスに持ってもらい、ローランたちの拠点であるトリグラフ死火山から飛行すること三日。魔族の国であるヘルダイムやアステリア王国と隣接する形で位置する経済特区ノルドは、エルフや獣人、ドワーフに人間と様々な種族が行き交う活気ある都市だ。

「すげぇ人の数だな……祭りでもあるのか?」
「ここは市場だからね。売り出しに行くなら、ここじゃなくて区役所に行かないと」

 完全にお上りさんなセリフを吐くローラン。魔物の侵入を拒む壁の中に入れば、底は元は広場だったのだろうが、今では隙間なく並べられた出店で長く続く道を形成しており、出店と出店の間に出来た通り道は避けて通るのも困難なほどの人で埋め尽くされている。
 そんな祭りと勘違いしてもおかしくない光景が、ノルドの日常だ。新鮮な果物や野菜を片手に元気な声で客を呼び込む中年女性に、芳しい香りを放つ串焼き屋台。様々な方法で客を誘う食事関連とは真逆に、ただ商品を並べて黙して客を待つ魔道具屋台なんてものもある。

「始めて来たけど完全に祭り騒ぎだな」
「これが日常だからね。前に来た時と、様子は変わり映えしてない」
「アイリスは来たことあるのか? お前一応魔族だろ?」
「ん。何度か正体隠してね」

 基本的に、魔族は他種族と交易を持たない閉鎖的な種族だ。現状では人間……もっと言えば、隣国であるアステリア王国以外とは敵対していないのだが、それでも彼らが人間と敵対関係にあったというのは長い歴史が証明している。
 そんな彼らが人の市場に興味を示すとは考えていなかったのだが、どうやらアイリスは例外らしい。人が濁流のように行き交う道も、戸惑いの無い足取りで掻き分け、進んでいく。

「立地に大きな変化が無いなら、区役所は出店通りを抜けた中心部にある」
「おぉ! 今日のアイリスは何時になく頼もし……って!?」
「おっと、すみません」
「いや、こちらこそ」

 無表情ながらもどこかキリッとした目つきで、中心部まで誘導するアイリスに必死に付いて行くローランだったが、反対方向へ向かう男とぶつかってしまう。会釈しながら軽く謝罪し、そのまま通り過ぎようとした両者だが、突然アイリスが男の上着を掴んで、服全体を岩のように凍りつかせた。
 生身は傷付けず、服のみ凝固させる繊細な魔術にも、突然の暴行にも驚いていると、アイリスは平坦な声に冷たさを交えて男に警告する。

「ローランの財布返して」
「……え? 俺の財布? …………あーっ!? 無い!?」

 懐に手を伸ばしたが、そこに大事にしまってあった金貨入りの布袋が無い事に気付く、服を固められて動けなくなった男は、舌打ちと共に手に持っていたローランの財布を手首のスナップで投げ返し、それを確認したアイリスが氷を融かすと、男は一目散に逃げだした。

「割と治安悪いから気を付けてね。さっきみたいに他所から来たって感じで回りをキョロキョロ見てると、スリに遭いやすくなるから」
「マジかよ……! 都会って怖い……!」
「ノルドがちょっと特殊なだけだと思うけど」

 よくよく見ると、いかにも強面な男が多いように見える。なるほど、確かにこれは治安がやや荒れていそうだ。

「とりあえず、財布とかは両腕で抱えてがっちりガードした方が良いか?」
「ん。そういうところが田舎者みたいで、絡まれやすくなるんだと思うけど」

 

 アイリスの誘導によって無事にノルドの中心部へ辿り着いたローラン。出店はすっかり見えなくなり、事務員用の建物や、少し高級な店が建ち並ぶ風景は、まさに王都にも劣らない都会と言っても過言ではないだろう。
 そんな中心部でも目立つ位置に大きな看板付きで建てられた区役所に入ったローランたち。さっそくノルドでの商品販売の許可を貰おうとしたのだが、職員からの返答は予想外のものだった。

「申し訳ございません。現在、販売許可書は発行していないんです」
「はぁ? いやいや、そんな訳ないでしょ。だってここって、駆け出しの商人とか職人でも簡単に物が売れるので有名なところじゃないですか」

 区役所で申請すれば簡単に発行できる販売許可書があれば、自由に物を販売できるというのは調べがついている。なのにそれが出来ないというのはどういう事だと、何度聞いても「申し訳ありません」の一点張り。理由も分からない
 あまり騒ぎを起こすのはローランとしても本意ではない。とりあえず一旦引き下がることにして、アイリスと共に市役所を出る、そしてその日の夜、泊まっている宿屋の一階酒場で作戦タイムに突入することにした。

「とりあえず、今まで働いてもらった分の給料替わりだ。好きなだけ飲み食いしてくれ」
「ん。じゃあ遠慮なく。三種のチーズとウォッカを」
「しかし、どうなってるんだ? 販売許可書を発行できないなんて。ここは駆け出し商人と職人の街じゃなかったのかよ」
「その割には出店で賑わっていたのもおかしい。極端な話、物を売るだけなら場所を取る必要もないのに……少なくとも、出店で溢れかえってるから、区役所で処理し切れないとかそういう理由でもなさそう。あ、店員さん。ベーコンとウイスキーを」
「だよなぁ……仮にそういう事情だとしても、説明無しはいくらなんでもおかしいし」

 しかしこれは困ったことになったと、ローランは頭を悩ませる。金を得るという目的は同じだが、販売と他店への買い取ってもらうのとでは訳が違う。
 販売ならば自分の利益の為に、法外でない限りは値段を自由に付けることが出来、なおかつシャルバーツ道具店の存在をアピールすることも出来る。それに対し、買い取りは買い取ってもらう店に足元を見られた値段を付けられる上に、ローランという人物を宣伝することも出来ない。それは道具屋として成り上がるには致命的過ぎるのだ。

「じゃあどうするの? いっその事、店のアピールとか関係なく個人で取引する? ……ブランデーと干し肉」
「……いや、物を売るにはちゃんと許可書が無いと違法になる。これは後でバレたらまずい」
「むぅ……あっちもダメ、こっちもダメ、まるで商売をさせる気が無い。いったいノルドで何が……あ、ピーナッツとラム酒ちょうだい」
「…………わからん。でも何か面倒事なら、他の場所で売った方が良いかもしれない」
「ん。きな臭いのは避けるのが鉄則。多少やりにくくても、他の場所の方がチャンスがあるなら切り替えるべき。追加でスピリ――――」
「ていうかお前さっきから飲み過ぎじゃね!?」

 もう我慢できないとばかりに、ローランはついにアイリスの異常な注文の数々に鋭いツッコミを入れた。

「好きなだけ注文して良いって言った」
「確かに言ったよ!? 金の心配とかしなくていいよ!? でもだからって、こんな水みたいにパッカパッカ飲むとは思わんかったわ!」

 しかも度数の強い蒸留酒ばかり。それをまるで水か何かのように次々と杯をしても、まるで酔っている気配がみられない。食事や酒も口に運ぶ所作は非常に女らしく上品なものだが、そのペースも異常に速い。

「ちょっとしたヤケ酒。気にしなくても、この程度で二日酔いになったりしない」
「一応成人してるみたいだし、ダメとは言わんが……お前の肝臓はザルか何かなのか?」

 思い返せばこの女、封印される前も大酒飲んで記憶がぶっつりと途絶えていると言っていた。恐らく……というか、見ての通り酒好きなのだろう。それも想像を遥かに超えるレベルの。

「俺、女って甘いもの好きだから、こういう時はスイーツとか頼むものかと思ってた……」

 甘いものは別腹だという言葉もある。このパッと見では成人に至っていなさそうな顔立ちの女が、大の男でも二杯も飲めば酔いが回るであろう強烈な蒸留酒をジュース感覚で飲むなど誰が思うだろうか。

「失敬な……まるでわたしが女の子らしくないみたいな言い方。わたしだって好んで糖分を欲するタイプ」
「ほう? つまりお前にも乙女の別腹とやらがあると?」
「ん。……お酒には、大量の糖分が含まれてるし」
「別腹まで酒浸しじゃねぇか!」

 まぁ、確かにモフモフとした可愛らしいものが好きという部分は女らしいと思うので、それで帳尻は合うかもしれないが。聞いた話だと魔国は寒冷地らしいし、体を温めるために酒が生活に浸透しているのかもしれない。

「ねぇ、君たち。ちょっといいかい?」
「?」

 気さくであり、それでいて馴れ馴れしさを感じさせない男の声に振り替えると、そこには一目で品の良いとわかる服に身を包んだ、金髪で小太りの男が佇んでいた。

「アンタは……?」
「僕はジークフリート……は、長いので普段はジークという名前で通っている駆け出し商人さ」

 名前も貴族風。そんな男がどんな要件だと警戒を露にするが、ジークフリート……もとい、ジークは少し苦笑を浮かべただけで大して気にした様子もなく、ローランたちも軽く自己紹介すると同じテーブルに座る。

「実はさっきの話が聞こえていたんだけど……」
アイリスこいつの別腹が酒浸しってこと?」
「いや、そっちじゃなくて……販売許可書が発行されない下りについてだよ」
「何か知ってるの?」

 ジークはやや勿体ぶった笑みと動作で、懐から一枚の丸められた羊皮紙を取り出す。おそらく契約書類ギアスロールの類だろう。

「実は今、ノルド全体にはゴルドー商会というの息がかかってるんだよ。ノルド区長と裏金関連で結託して、販売権と営業権を一手に掌握することで、この街の富を全て独占しようとしている」

 詳しく話を聞くと、ディレード商業連邦からノルドに進出してきたゴルドー商会会長、デモルトはノルド区長と結託し、この街を訪れる実績も力もない商人や職人を食い物にしているらしい。
 簡単に言えば、販売許可書の発行まで制限させて、駆け出しの商人や職人を自分の商会の傘下に加えているか、商品を安く買い取らせ、それを売り捌いているとのこと。なら別の所で販売許可書を得れば良いのではと考えても、現実はそう簡単ではない。
 成功の保証もない辺鄙な田舎町ならいざ知らず、簡単に販売許可が下りるのはノルドくらいしか存在せず、ウォルテシア大陸の商人や職人たちは、ここでの実績を元に他の地域で大きな商売が出来るからだ。そこまでは知らなかったローランが目から鱗が落ちたような気分になる。

「俺の実家って、かなり運が良かった方なんだな……」
「ノルドに居る商人は殆どが出店を出すくらいの規模しかないしね。ゴルドー商会はディレードでも歴史の長い大きな組織だし、言い方は悪いけど木っ端商人たちが不正と不条理をいくら吠えても握り潰せるだけの財力と権力があるし、なにより実績の無い者の言葉をそう簡単には信じないのさ」
「その上、ゴロツキまで雇って情報まで遮断してれば悪事は安泰って事か。痛い目見るくらいなら、多少の不利益覚悟で他の場所に行くか、大人しく傘下に加わって足元見られながらでも最低限の稼ぎを得るか……ん、普通の選択だと思う」

 アイリスは憂うように息を吐いた。見るからに柄の悪い無頼を被害を雇っておくことで、受けた者が下手な事をすれば、どんな報復が待っているか分からないと無言で脅しをかけているのだ。

「しかも、元々販売権を持っている者にも、ゴロツキで物理的に、財力で経済的に圧力をかけて傘下に加えてるだから、たまったものじゃないよ」
「事情は分かった。……で? なんでそんな話を俺たちに持ってくる?」
「単刀直入に言わせてもらうと、今僕が持っているこれが狙われているから、協力して欲しいんだよね」

 そう言って広げた羊皮紙に綴られた文字を見て、ローランは瞠目する。

「これって販売許可書じゃねぇか!?」
「そう。ゴルドー商会がノルドに進出してくる前に手に入れた、ノルドでの販売許可書。間違いなく本物だよ。これがあればゴルドー商会とは関係なく商品を売ることが出来る。でも仮にこれを相手に強奪されたとしても、こっちはどこの馬の骨かも分からない駆け出し。相手は大手の商会。真っ向から訴えても揉みつぶされる可能性が高い」
「じゃあどうするの?」
「実績も利益も感じられないからゴルドー商会から守らないというのなら、実績と利益を有力者たちに証明すればいい。この街で年に三回行われる、ノルド品評会にね」

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