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レプリカント After Story

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 案の定というか。やっぱりというか。君でもそうなるんだって。そんな気持ちで、寝床に横たわったままの夫を見下ろしていた。掛け布団をしっかり肩まで掛けて。布団を握りしめた手だけが、顔と一緒に出ている。そんな狼の頭は。うんうん唸りながら、じゅるって。鼻を啜り。そうして、目を瞑ったまま。ルルシャー、ルルシャーって。隣に居るのに僕を呼んでいた。普段は鼻を僕達が目で見るよりも、状況を知るのにその感覚器官に頼っている彼だからこそ。その卓越した嗅覚が封じられた今。不安になっているらしい。誰がどう見ても。医者でもない僕からでも。ガルシェという銀狼は風邪をひいていた。夜寝る前に、ぶるぶる震える男に抱きしめられて。そのまま朝起きて、僕がベッドから抜け出そうとしても。掴んで来る腕がなかったから。それで異変に気づいたのだった。男の状態を改めて観察して、診断というにはそこまで大袈裟ではなかったが。どう考えても、やはり、風邪だった。原因は十中八九。お風呂場で濡れたまま長い時間居たからだった。のぼせたりとかは無縁だが、やはりお湯が出ないのは考えものだ。
「ルルシャ、どこだぁ」
「はいはい。呼ばなくてもここに居るよガルシェ」
 ベッドの縁に座り、狼の頭を撫でると。それでピスピスと、というよりズビズビと鼻を鳴らし。いつも通り空気中のにおいを嗅ごうとして、わからないのか。せつなそうにしていた。免疫力がかなり高いと思っていたけれど、ひく時は誰しもひくのだなと。なった後でも意外だなって気持ちが胸の内にあった。僕なんて環境が変わっただけでひいたけれど。熱は高いのかな。額を触っても被毛に覆われたそこからは、どうなのかとてもわかり辛い。口の端から舌を出して、はぁはぁ息をしているから。体温調節に必死なのだろうけれど。男の手を片方取り、手のひらを触ってみると。じっとりとそこだけ汗も搔いているから。暑いらしい。だというのに、寒そうにぶるぶる震えているのだから。やはり、典型的な風邪の症状だ。
「口開けて、ガルシェ」
 意識レベルはしっかりしていると思うけれど、ちょっとぼんやりしてるのか。言葉がどこかたどたどしい。そんな状態でも、僕の言う事を素直に聞き入れてくれる銀狼。ぱかっと開く、狼の大きな口。特徴的な犬歯が四本。内一つは根本近くで折れている。奥歯もそうだが、人の平べったい歯と比べると。どの歯も程度の差はあれ尖っていて、肉食動物のそれだった。そこに、何の躊躇もなく。人差し指を突っ込むと。次に、口閉じて良いよって言えば。薄目を開けた銀狼が困惑しながらも、指示に従い。あむって、人の指を口に含む。一緒にしまわれた舌が、口の中で這わされ。味を確かめているのを指先から感じたが。何も言わず、ただ男の体温を測る事に努めた。体温計とか、この家にはないし。まかり間違っても咬み千切られる心配はしていない。
 幼い頃、風邪をひいたりしていたらどうしていたのだろうか。やっぱり独りぼっちだったのかな。幼い内だけ、お父さんは家に帰って来ていたらしいし。実際は、看病とかしていたのだろうか。聞いてみたいが。無理に喋らせるのも身体に障るし。こんどでいいやと、思考の片隅に追いやり。指先から伝わる温もりに、脳が茹る危険域ではないと判断した。普段から人間より二度程体温が高く、三十八度とかあるから。僕みたいに三十六度弱ぐらいが平熱なのもあって。触れ合うと、温かいと感じるのだが。毛がある動物って、耳の中とか。お尻の穴に突っ込んで測ったりするのだろうか。ガルシェ達レプリカントの人が、普段どうやって体温を測っているのか気にはなっても。物がないのでわからなかった。
 もういいよって、口の中から指を抜き取ると。ぬとーって唾液が糸を引いて、思わず顔を顰める。そうしたのは僕であるし、必要以上に舌を這わして来たのはガルシェであるが。病人相手に怒るわけにもいかず。無言で、自分の服のお腹部分で指を拭いた。これで赤子のように吸っていたら、思わずその頬を叩いていたところだが。この銀狼は、僕が怒りだす匙加減をしっかりと理解しているのだから。しんどいくせして、ちょっと満足そうな顔をしているのが腹が立つ。起きてすぐ、身体を擦りつけて日課のマーキングが僕に対してできていないので欲求不満なのであろうけれど。
「風邪、移るぞ」
 ぼんやりした目で、こちらを見上げながら。そう銀狼は言うのだけれど、それではいそうですかと寝室からリビングへ行くと。すぐ人の名を呼ぶのはどこの誰なのでしょうね。寂しがり屋な狼が。鼻が使えない今。余計に心細くてそうしてしまうのだろうなって。頭を撫でながら。別にレプリカントの人がなった病気であっても、人間の僕に移る可能性は限りなく低いのもあって。可能な限りは傍に居てあげるようにしていた。水を含ませ、絞った布を額に乗せると。気持ちよさそうにするし。毛皮があってもちょっとは熱冷ましにはなるらしい。
 でも僕が出かける時間が迫っているのもあって。結局は病気の夫を置いていかないといけないのだけれど。今日は銀狼が頼まれている仕事が、というより暫くはお休みするって漁村の人に伝えにいかないといけないのもあって。こんな状態で、外に狩りとか廃墟に探索とかさせるわけにはいかない。命が常に損なわれる可能性と隣り合わせにあるのだから。ちょっとでも体調が悪いと僕が感じたら、いくら銀狼自身が大丈夫だって言っても。無理やりにでも休みにさせていたのだから。そんな僕がガルシェを、みるからに風邪をひいた相手を。布団から出させるわけがなかったというのもあった。心配そうにすると、嬉しそうに素直に従うので。手間がかからなくていいのだが。その顔はふくふくとしていて、見ていてやっぱり腹が立つ。
「気をつけて行ってくるんだぞ。村の連中に何か言われても、家の中についって行っちゃダメだからな」
「わかってるよ」
 心細さが爆発しているガルシェは、そんな気持ちをぐっと堪えながら。僕が用意をしだすと、ベッドの中から普段よりも弱った声音でそう言ってくるのだった。本当はずっと傍に居て欲しいのだろう。正直、僕もそうしてあげたいのだが。稼ぎの殆どを彼に依存している今。少しでも稼がないといけないのもあって。僕が休むという選択肢は排除されていた。それで稼げる額もたかが知れているのだが。銃が扱えたりしたら、その日食べられる獲物を探して。森の中に踏み込んだりもするべきなのだろうが。素人が一人では絶対するなと、これはガルシェにきつく言われているので。試すつもりもなかった。
「俺以外の雄と喋ったりするのもダメだぞ。ルルシャは結婚してからというもの。なんか煽情的だから、俺じゃなければすぐ襲われるぞ」
 寝巻から外出用の服に腕を通しながら。男の助言をそんなわけないと聞き逃そうとして。布団から顔だけ出している狼の表情が。風邪をひいているというのに、どこか雄のそれであったから。驚いた。なら。そう思っていたのに、一度も手を出そうとしないのだから。ちょっと説得力に欠けるのではないかって。言い返そうとして。でも有無を言わせぬ雰囲気があったから。おずおずと頷いて見せると、満足そうに銀狼は息を吐き出していた。誘惑してるつもりなんて、そんなにないのにな。ガルシェに襲われる分には。別にそのままされても、いいやって部分はありはしても。漁村の男共に対して、特別何か思うような事はなかった。そこまで男が好きってわけでもないし。ただ、ガルシェが好きだったから。その人がたまたま、雄の、狼であっただけで。
 ぷしゅん。ぷしゅん。立て続けに二回。銀狼がくしゃみをする。大きな体格と顔に似合わないそれは、小動物みたいで可愛らしいもので。きっと僕のくしゃみよりも音が小さい。なんでだ。世界の理不尽な場面を目の当たりにしていた。少し大袈裟な表現かもしれなかったが。それぐらい。異種族と暮らしていると、毎日がカルチャーチョックだ。飽きさせてくれない。飽きる気もないが。ベッドの上でもぞもぞと掛け布団と一緒に動くから、芋虫みたいになった銀狼。そんな毒でもありそうな、毛玉だらけの芋虫は。顔だげベッドの縁から飛び出して、そのまま転げ落ちそうになっているから。慌てて駆け寄ると、何してるのと。その肩を押しながら元居た位置に戻し。乱れた布団も直す。
「やっぱり心配だ。ついていく」
「バカ言ってないでちゃんと寝ててよ」
「いいや、なんだか嫌な予感がする。ルルぷしゅんっ! シャに何かあったら」
 狼の顔がこっちを向いてくしゃみするものだから、また唾液なのか鼻水かわからない飛沫が飛んでくる。ガルシェじゃなければ、風邪でなければ、本当にひっぱたいてるところだ。こんこんと、相手に向かってくしゃみなどしてはいけないと叱りたい。もしもそうしたら、この頭が湧いている銀狼は。怒られている事よりも。僕が隣に居てくれるのに喜んで。うんうん、ごめんなって。尾を振りながら、ニコニコしていそうなので。タイミングというものがあった。心の底から。本気で怒らないとどうしてか喜ぶのだから。やっぱり変態に覚醒してしまったのだろうか。どこで夫の教育を間違えたのだろうか。彼の妻として、まだまだ未熟な部分は多いと感じてはいるが。これからはもっと気を引き締めないといけないなって思った。
 一人、ぐっと握り拳を作って。決意を新たにしていると。ぼんやりとした目を向けながら、僕の名を呼び。不思議そうにしている銀狼。人の感情がある程度わかるくせして。こういう時、ぽんこつになるのはなんでなのだろうか。風邪で思考力が落ちているだけではないと思いたい。命の取り合い。誰かを守る時、彼は物凄い力を発揮するけれど。気を抜いている時は、身体がデカイだけの飼い犬みたいなのはただの同居人だった頃と変わらない。狼だから、それを言うとぷりぷりと怒るのだけど。犬扱いされるのは嫌いらしい。お父さんの背中だけを見て育ったからか、意外にも感じられるが。ガルシェにもちゃんと狼としての誇りが存在していた。純血主義という思想も、だから性的対象は狼の女性だけで。犬の女性を見てもあまりぴんとこないらしい。僕からすると似たようなものな気がするが。それは違うって力説された。
 なら僕を番に選んだのなら、そこに人間も加わったのかと思ったりもしたが。そういう彼の性的趣向を深掘りしてみると。頭を悩ませながら、人間はべつにそんなに好きじゃない、ルルシャだけ特別って。銀狼は言葉を選びながらそう言うのだった。逆にお父さんを悪く言う人達は内心嫌っていたから、どちらかというと人間も嫌いだったと知った時は衝撃だった。人とかかわらないまま、人間に対する偏見とかそういったものも植え付けられず育ったから。そんな生い立ちの上で僕なんかを拾って、一緒に暮らしたものと思っていたから。
 彼の性的対象は今でも、狼の女性であり。同性同士での、性処理は嫌悪感があるらしく。僕を番に選んだ今でも、他のレプリカントの男性とどうこうしたいとは思わないらしい。後、胸は大きい方が実は好きとか。瞳をキラキラさせながら語る姿は、なんだか健全な男子をしてるなって感じるけれど、その妻は人間の男なのだから。胸だってぺったんこ。鍛えてるガルシェの方がどちらかというと胸があるのだった。
 唯一の例外、ルルシャには興奮できるって言いきられると。あまりに表現が直球過ぎて、身構えてしまうが。だからと押し倒してきたり、夜寝る時性的に触ってくるような事はない。嬉しそうに抱き締められて、抱き枕にされるのだが。同意を得ない限り、ガルシェは結婚する時の約束を守っていた。そういう雄の部分を見せないように努めていた。
 異性愛者であるのに同性の僕で興奮できるようになったその最たる原因は、発情期になってしまったガルシェに対して。僕が責任を感じて欲を発散するお手伝い、治療をしたせいであろうか。つまるところ、ざっくりと言ってしまえば。そんな健全な男子であった彼の性的趣向を歪めてしまったのだと思う。発情期になって、一度人の手で発散した翌日。本能が僕を生殖相手に勘違いをしているって、そう言っていたから。俺は別に男のお前を抱きたいわけじゃないって。ちゃんとガルシェは言っていたのだから。今では違うようだが。
 そういう部分で言うと、ちょっとだけ共感できるものがあった。僕も男性なら誰彼構わず、性的に見たりはできず。ただガルシェだけ、そういう事をしたのもあって。つい、性的に意識してしまうのだから。それでも踏み切れないで。
 僕に限って言えば、女性を見ても特に何も感じないので。かなりそういった部分は淡白であり。性欲の強いガルシェを、何でそんなに何日も抜かずに我慢できるんだって困惑させるのだろうけれど。後、同じ屋根の下で自慰行為をした場合。嗅覚の鋭い同居人に秒でバレるというのもあって、自分でするとかはあまり。何か言われるわけではないが、しきりに空気中のにおいを嗅いで。僕の方を見てくるし、ちゃんとルルシャでもするんだって顔をして仲間意識を芽生えさして。くっついてくるのはウザいというのもあった。レプリカントの人はデリカシーがない。
 僕達には、僕達だけの関係性が。愛の形があるから。無理にホモセクショアルとか、バイセクショアル等に括ってしまう必要はないのかもしれない。お互い、好きになった相手が。たまたま同性で、異種族だった、それだけだった。
 ただ番の扱い、僕に対しての接し方がどこか。時折雌の狼を扱うふうに感じてしまうのは気のせいではないと思う。女性扱いされているというか。彼自身が、どう男性である僕を番として扱って良いか手探りなのであろうか。僕が、狼である彼の妻として。どう振る舞えば正解なのか、悩んでいるように。実際に。露骨に女性のように扱われると、あまり良くは思わなかった。言葉にはしなくても、ガルシェは鼻で感情の揺らぎを察してしまうので。嫌がってる僕に対して。間違ってしまったなと、落ち込んでしまうのだが。
 同性で結婚して。狼の番になって。夫婦としての距離感って、本当に難しい。ユートピアで二人で同棲していた時と同じであって。ちょっと違う。意識の差が、とても大きな差になるのだから。ただ僕でも持てる物を危ないって言って持とうとしたり。甘やかしてるとも取れるが。度が過ぎるとやっぱり嫌に感じる。本当に何もできなくなる。ただでさえ、できる事が彼よりも少ないのに。やれる事は、したい。でなければ、僕はいらなくなってしまう。気持ち的な問題が大部分を占めていて。彼が良くても、僕は良くない。頼りきりは、したくない。
 それにしても。元々嫌っていた人間という種族だったのに、よく保護しようなんて思えたものだった。僕が同じ立場だったならきっと躊躇してしまう。でも、その人が困っていたのなら。躊躇しても、最終的には手を差し伸べてしまうだろうか。そんな場面では僕が迷ってる間に、銀狼は飛び出して行ってしまうのだが。
 僕が彼らにとって見た目が幼く見えるというのもあって、あんな場所で放っておけず気まぐれに保護したのがきっかけだが。それは間違いではなかったって、自信を持って銀狼は言うのだから。好奇心で質問していた僕は、それでちょっと彼の顔をまともに見られなくて。
 口煩いお父さんを黙らせる、資格を獲得するポイント稼ぎでもあったのは本当だったが。始まりはどうあれ、そのおかげで今があるのだ。
 小さい頃は、自分も市長の後を継いで。スーツを着る姿を夢見たりしたのだろうか。戦う為の肉体作りをしてきた彼が、スーツなんて着たらパツパツでボタンが弾け飛びそうだが。そんなかもしれない未来も奪ったのだなと考えると、チクりと胸に何かが刺さる感じがした。
「昨日はたまたまだよ。商人の人もあれでこりたと思うし。今日は報告して、栄養がつきそうなもの買ったらすぐ帰ってくるから」
 そうなんども。悪い事が降りかかってたまるものか。僕は静かに、平穏に。ただこの人と、暮らしていたいだけなのに。二人だけではいろいろ生活に支障をきたすので、漁村の人達に頼らざるをえない場面というのは出てくるが。そこは、持ちつ持たれつだ。海の者である彼らではできない。陸の者である、僕らだからこそできる事で。返していければいい。近すぎず、遠すぎず。適度な距離感でご近所付き合いを続けたいのだから。最初も。今も、それは変わらない。庭というか、土地は余っているから。倒壊した隣の家とか。そのまま畑に、お庭を使わせていただいて。いずれはある程度自給自足できるようにしたい。野菜等は頑張れば僕だって育てられそうだから。耕したり、力仕事は。パワフルな人外である。今はベッドの中でわめいてるこの狼の手を煩わせる事になるのだろうが。もう少し鍛えて、鍬ぐらいは使いこなしたい。銃は、教えられてもきっと無理そうだ。だから、もっと家でできる事を増やしていきたかった。
 ユートピアからの輸入品で、本とか買えないだろうか。植物の、そういった栽培方法とか。素人の知識では、耕して、水をやって。ただ日光を当てるぐらいしか思いつかない。肥料は、灰とか撒くといいんだっけ。海がとても近いから。もしもせっかく作った畑に海水が流入すると、作物が育たないといったリスクも懸念するが。立地的に、崖上にこの家はあるから。ちょっとやそっとじゃ、たとえ台風が来ても。満潮時に津波で入って来る心配もない。常に潮風があるぐらいだ。洗濯物を外に干す時は、注意しないと飛んで行ってしまう。実際にガルシェのパンツを一枚。物干し竿に、洗濯バサミで固定しようとして。風に煽られてしまい、するりと手の中から抜け出た尻尾穴があるトランクスは海の彼方に消えて行った。ゴムが伸びきっていたし、新しいのに変えても良い頃合いで。持ち主も、一枚や二枚下着がなくなった程度で気にするような人ではない。靴下だって、僕が捨てない限り。穴が開こうが未だに履き続けるし。足の爪も丸く整えているけれど、僕が来る前は鋭いままで。きっと穴が開く速度はかなり早かったのだろうな。今は肉球と擦れる部分が、どうしても毎日歩き回るから。摩耗して、開いてしまうのだけれど。それはしかたない。ほつれぐらいは直そうと、練習中ではあるが裁縫技術はそこまで上達していない。だから衣服も全部商人から買うしかなかった。立ち寄った時に品物のラインナップに見当たらなかった場合は依頼して、次にこっちに来てくれる時になる。それも、一週間とか。それ以上かかるのがザラであるのだから。不便な生活だと思う。ユートピアという、レプリカントの街で暮らしていた時は。お古とか、彼らが作った服を。お金があればその日の内に手に入れる事ができたのに。
 いつか。戻れる日が来るのだろうか。二人一緒に。それとも、いつか。独りぼっちになったら。この家で、一人では持て余す広さのここで。寂しさを抱えながら暮らすのかなって。俺以外の男に目移りしないように、一番僕を愛したのは俺だって。そう思わせるように。するって。言ってくれたのだから、この鼻水をずびずび言わせている銀狼は。有言実行してくれてると僕は思う。幸せにする自信はないけれどって、言っていたけれど。僕だって、君と居られて。幸せなんだよって。どうやったら伝わるのかな。大好きとか、愛してる、そんなありきたりな言葉では足りない。とても足りない。僕を拾ってくれて、支えてくれて。選んでくれて。ずっと傍に居ると誓ってくれて。
 だというのに、愛される程に。不安になってしまうのだから。考え過ぎる僕の性格は、あまり良い方向に作用する場面が少ない。ネガティブな部分も多いから。表面上はあっけらかんと、そうかなって。振る舞うけれど。でも、見かけによらず図太いと評価されたりもして。皆から可愛くないって言われて。僕だって男なのだから。可愛いより、カッコいいって言われたいのだから。可愛くないと言われて不満はない。でも、だからとカッコいいってそう言われた事もなかったのだった。きっと、そう言われる日は来ない気がする。悲しいけれど。僕の分まで、夫がカッコよくなってくれれば。それでいいやって、二人の生活が当たり前になって。少しでも支えられたらそれでいいのに。自分は彼の役に立てていると、胸を張れないのだから。
 何を気にしているのかわからないって。銀狼は言う。それはそうだろう。狼の考え方として、一緒に狩りをして、そして巣で共に寝て。それが普通で。でも男の僕は、狩りなんてできなくて。いつもガルシェの帰りを待つばかり。僕と一緒じゃないと満足に寝られない状態になっている相手に、それで必要とされていると感じて。仄暗い感情を抱いてしまうのは。しかたないのかな。でも。もっと良い方法が。あったのではないだろうか。烙印を刻んでしまったのだから。後戻りなんてできないし。銀狼が、もし不満を抱いていても。途中で関係を放棄するような。責任感のない人でも、薄情な人でもなかった。めんどくさがりではあるが。とても人情味のある、優しい人だ。
 たとえ後悔していたとしても。違える事はない。そんな彼に対する信用。最初は、彼だけだったから。異種族の僕相手に。ずっと対等に接してくれていたのは。腹の内は、寂しさを埋める都合の良い存在だったとしてもだ。一緒に暮らしながら、自分でも明確にできない。僕に対する好きの気持ちを、形を変えながら。
 やっぱりだめだな。彼の好きを信じているのに。信じたいのに。いつ飽きられるか、見放されるか。そんな不安がついてまわるのだから。それもこれも。鏡を見つめながら、考え事をして。烙印が押された、火傷の痕を触る夫の姿を見てしまったのが原因なのだろうけれど。ねぇ、ガルシェ。今でも、後悔、してない? 僕と、居られて。お父さんに、皆に、会いたいんじゃないの。会いたくないわけがない。こんなにも寂しがり屋な人が。親しい人を全て捨てて。たった一人を追いかけて。そんなの、聞くまでもない。愚問というやつであろうか。
「ルルシャ、また悲しそうなにおいさせてるだろ」
 ほら、僕はもう行くからって。頭を撫でながら。銀狼を寝かしつけるつもりで、そういろいろ考えながら。撫でていたのに。不意に発せられた言葉に。どうしてそう思ったのか。平静を装いながら不思議だった。
「今、鼻利かないのに?」
 当てずっぽうに、言ったのかなって思ったが。自信に満ちている彼の瞳に、怯んだ。
「俺はルルシャの番だからな! なんとなくは表情でもわかるぞ。なんだ、欲しい物でも思いついたのか? 元気になったら、また探して来るから。それとも、また不安になったのか? 俺はちゃんとルルシャを愛してるぞ」
「……なんでもないよ」
 本当になんでもなかった。こんな、自覚した劣等感とか、どうしようもない不安感を。相談する程でもない。僕の悪い癖だった。なかなか直らないものだなと、自分自身に呆れる。いくら言っても。銀狼が未だに直らない部分だってあるのだから。僕だって、彼からすると直して欲しいところがあるだろうに。そう考えてみると、そういえば。ガルシェから、ここは嫌だ、こういうところは直せって。言われた事がなかった。いつもルルシャの言う事は正論で、正しいって。やる事なす事、良い方向に解釈して全肯定してくれるので。そんなふうに、してくれているから。どうしよう。無自覚にどれだけ、この人に甘えているのだろうか。ああ、そんな。気をつけないと。知らないのは一生の恥じで、気づけたのは。まだ幸いと言えたのだが。
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「早く元気にならないと、ルルシャを守れないからな。全力で休むぞ」
「ふふ、なにそれ」
 面白い表現だった。そこまで気負ったら。逆に全く休まらないだろうに。どこまでも沈んでいく心に。そうやって意図せず面白い事を言って、浮上させてくれる。無自覚な彼の救い方。全てが僕に対する気遣いであって。本当に素敵な男性だった。番ってから、結婚してから。どんどん魅力的に。男として。成長している。レプリカントの人は、成長速度がずっと。人間より早いとしてもだ。これは、ガルシェの頑張りだ。隣で見続けている僕だからこそ、手放しで褒め称えられる部分だった。ぷしゅん。またくしゃみを、こんどは僕と反対方向の壁に向かって。そうした後、セーフって。にっこり笑う狼の顔。ああ、愛しい。本当に、愛しい。愛くるしい人だなって。どんどん大人びていく。お父さんに似て行くけれど。いつまでも子供っぽい仕草を残した彼は、眩しいとすら感じる。
「いってくるね、おやすみガルシェ」
「いってらっしゃい。俺の番」
 侵食してくるどす黒い感情を、彼の温かさで押し流してくれる。一緒に居ると辛くなるけれど、その分。救われるのだった。部屋のカーテンで、陽光を遮り。部屋を暗くする。そして戸締りを確認して。外へ。アーサーに、ちゃんと留守の間。銀狼の事をお願いすれば。任せなさいと。胸を叩く翼。子育てを経て、成長したお嬢様はとても頼もしかった。
 何も起きないのだから。さっさと体調を崩した夫が仕事に出れない旨を伝えて。今日は精のつく食べ物を買って帰ろう。長居はしない。そう予定を立てながら、愛用の自転車に跨り。ペダルに足をかけた。
 銀狼に仕事を斡旋してくれている、海洋型レプリカントの男性に。ぺこぺこ頭を下げて、暫く出られません。ご迷惑をおかけしますって言うが。そういう時はお互い様だって、もし薬とか入用なら言いなさいって。手持ちを融通してくれる申し出までしてくださって。より、すみませんと。頭を下げる。正直、あまり親切にされて。それをそのまま受けてしまうと、関係が密になり。距離感が近すぎてしまいかねないので。そういった部分も考慮すると、頼り過ぎるのはよくないのだが。背に腹は代えられない。もし悪化しても、医者なんてこの漁村には居ないし。最新鋭の医学も失われたのだから。解熱剤すら、家には常備されていない。熱が上がったら自転車をかっ飛ばして、訪ねて来ますとだけ告げるだけに留めた。
 もし余裕があれば、もう少しそういった日持ちする薬も置いておくべきだった。あれもこれも、足りない物が多い。僕という存在が、不安要素がなければ。この漁村で暮らすか。あの街で再び暮らしたいぐらいなのに。どっかのまだ生き残っている施設で、身体をスキャンできないだろうか。脳に小さいチップとか埋め込まれていたとしたら、外科手術で取り出せないかもしれないが。実際に、悪意ある相手に情報を送る端末としての役割ではない可能性だってあるのだけれど。最悪を考えて。人々から極力離れた生活が望ましい。
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 銀狼の過保護な言い付けは、あながち間違いではなかったのかもしれないと思った。
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