レプリカント 退廃した世界で君と

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六章

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 裏通りへと続く学校の裏門からガカイドを連れて、敷地内へと足を踏み入れる。僕が先導して、護衛として雇った彼はただ後ろをついて来るだけなのだが。歩きながら、運動場を見回してるのか。その瞳に宿してるのは、懐かしさであろうか。彼もガルシェとルオネと一緒にここで訓練に励んでいる時があって、思わず立ち止まってしまうぐらいには。感情が引きずられてしまう程、僕の知らない過去が存在しているのであろう。立場も、暮らす環境もまるで違うのに。今でも三人が仲良く顔を合わせているのだから、本当に。気の置けない友人であるのだろう。
 よくガルシェに突っかかっていたらしいし。何事も面白さを優先して、揶揄う態度を崩さないけれど。平日の昼間であるのだから、僕達が見つめる先には。訓練生達が教官の指示通りに訓練をこなしているのであろう。グラウンドを走る者。腕立てをする者。ペアで組み手をする者。それぞれ様子は違っていたが、誰かがこちらに気づいたのか。一人、また一人と手を、はたまた足を止める。ガルシェは光の下だと反射するようにして輝くその毛並み故に、とても目立ってしまうのだけれど。僕の隣に立つ彼もまた、あまり見ない毛色をしており。遠くからでも誰か、わかってしまうのであろうか。ユートピアと呼ばれるこの鉄の壁で囲まれた街は、どうしても暮らせる人口に限界があり。誰しもが、長く暮らしていると自ずと知り合いになっていく。だから目立つ見た目は、それだけで誰かの印象に残りやすく。過去の出来事が、それを増長させてもいた。
 同期達の返り血で、染め上げたような。時間が経過した、薄暗い血のような色合いに。首元など毛が多い部分はより濃く、黒っぽくなるからよけいに。一人が遠くで口を動かしながらこちらへと指を指そうとして、それを見咎めた教官が罵声を浴びせながら怒鳴りあげる。距離があるのに、そこ声はとてもよく響いたのだった。
 表情が削げ落ちてしまったように感じる。明るい普段の振る舞いが、全部嘘っぱちで。今の彼が、今見せている彼の表情が。ガカイドの素であるのだと。そう思えた。だから意識をこちらに向ける意味も込めて。
「ガカイド」
 狼の耳に向かって、呼びかける。何の感情を宿さぬ瞳が、こちらに向いて。でもどこか、その奥底に。仄暗い何かを感じ。つい最近、これと同じ目を見た事があった。フォードの難民。そして、僕が出て行こうと知って。ペットだと、心にもない言葉を口にした。ガルシェもまた、同じような目をしていた。
 自分よりも身長の高い相手を見上げながら、手を差し出す。それはいつも、ガルシェが僕にしてくれていた。まさか誰かに、僕がする時が来るなんて。自分でしながら、感慨深くなる。こういうのは順番なんだ。優しさも。助けたいと、力になりたいと、誰かを思う心も。
「行こう」
 言いながら見つめ返す。小さく彼の靴が後退し、砂が音を立てていた。その顔の下で、きっと。恐怖が渦巻いているのだろうか。彼は、別に表通りに来る事を禁じられてはいない。裏通りに住んでいるのは収入故に、物価が安い土地があそこしかないからで。脇腹にある烙印は、落ちこぼれの。番を得る資格を剥奪された者の証で。裏通りに押し込んでいる鎖ではない。要因は別にあって。恐らくだが、死んだ同期達。その親御さん達と出会うのを避けているのであろう。会えるわけもない、会うわけもいかない。許しを乞いながら、一番自分が許せないのが。ガカイドという男であった。機械達が襲撃して来た時、確かに何もできなかったのであろう。指揮していたのは彼で、責任もまた、彼にあるのであろう。でも。誰も。しかたないよって、言ってあげられる人はいなかったのであろうか。そう言えるのも、そう思えるのも。当事者でもない。この街の人でもない。獣の顔をしておらず、人間である。言ってしまえば関係のない、無責任で、人間である僕だからこそ。そんな事を言えるのであろうが。
 ガルシェがその時、同じチームでなければ。市長さんも守ろうと動いてくれたのだろうか。あれは事故であると。過ぎ去ってしまった、過去はもう変えられもしないけれど。赤茶狼が人の手のひらを見つめていた。きっと彼らにとって、とても小さくて、頼りのない手であっただろう。保護してくれる毛皮も、鋭い爪もありもしない。本気で握手されたら粉々に砕かれそうだ。
 だからだろうか。僕の手を見ながら、不意にガカイドが嗤う。
「へいへい、雇い主様の言う通りにってな」
 差し出された手を取りもせず、僕を通り過ぎて。そして振り返りながらそう言う。その表情は笑ってるのに、影を帯びていた。自分のエゴで、そんな彼の命すら使い潰そうとしているのだから。断れないように外堀を埋めて。そう感じられてしまっていても、不思議じゃなかった。だから、僕の手など取りたくはなかっただろうか。こんな頼りない、人の手など。掴む相手がいないのだか、自然と空を掴む。強く握りしめても、手入れされた僕の爪は肌を傷つけはしないけれど。追い越して先を歩く男を、置いてかれそうで慌てて追った。
 校内に入り、廊下を少し歩けば。目的の部屋の前へとやってくるのはすぐで。市長さんの自室と元校長室は、一階にあるのだから。それは当然であったろうか。いつも僕が書類仕事を手伝いに、お邪魔している市長さんの自室――といってもベッドがあるだけで、殆ど仕事で使ってるので仮眠室と言った方が表現は近いが――ではなく。この街に初めて訪れて、ガルシェが僕を抱えたままやってきた。校長室の扉前で、二人して立ち止まる。あからさまに、深呼吸して。心の準備をしている隣の男。を、無視して。ノックをして。入りなさいと声が聞こえたら。おはようございますと、言いながら扉を開ける。隣で慌てて僕の行動を止めようとしたような挙動を、男はさせたように見えたが。きっと気のせいであろう。
「おや、おはようございます。ルルシャ君。時間通りですね。それと……」
 机の上にある書類を見ていたのであろう、既にメガネを掛けた顔を上げて。僕の顔へとマズルが向いたら、温和に挨拶を返してくれる灰狼。続いて、隣に立っている人に気づいたのか。レンズ越しに見えた目つきが鋭く変化する。市長さんの視点からでは見えはしなかったであろうが、隣に立っている僕には。ガカイドの尻尾が綿毛のようにぶわりと膨らんだのが見えてしまい、笑いを堪えるのに苦労した。
 別に、そんなに怖がらなくてもいいのになって。そう思ってはみても。それは、僕の立場だからこそ言えるのであって。わりと市長さんは僕に対して気軽に接してくれるけれど、時折見せる厳しさは上に立つ者のそれで。線引きはしっかりしていた。そう感じるのは、市長さんが僕を甘やかしているとも言えてしまえて。実際にこの作戦が許可された際に、大人の好意は素直に疑わず受け取れとそんな感じで言われてしまったのだから。あながち間違いではないであろう。何かする度に、手のかかる息子がもう一人できたようだと愚痴を零していたのだし。
 実際の所、市長さんの素顔とは。どこにあるのでろうか。先程ガカイドのそれらしきものを見てしまい、ふと気になった。精神的に摩耗したあの時であろうか。息子の誰かと幸せになる道を応援して欲しいと僕へと頼んだあの時であろうか。あまり僕には見せはしないけれど、厳格に部下へと対応する顔であろうか。息子であるのに、冷たく接するあんなものであろうか。
 どれも、これも、彼であり。彼ではないように感じる。ただ、あの疲弊した。いつ過労で倒れてしまうともしれない。危うさを秘めた姿だけは、嘘偽りのない灰狼であると思いたい。僕がそう思いたい。いっそ忙しさを理由に、自滅へと突き進んでいるような。そんな危うさだった。
 だからほっとけなかったのだ。ガルシェの親だからというのも少なからずあったが。一緒の部屋で暮らして。今ではもう僕の専属の上司になってしまって。銀狼の次に、顔を合わす回数が多くなってしまったのだから。そういえば、市長さんも、ガルシェも。お互いが会って話をする姿を。僕に見せるのを避けているようなのを最近気づいた。話があるのなら、部屋に来ればいいのに。必ず、市長さんが用事があると出かけて。そしてその日の夜、ガルシェから今日は親父と会ったって。事後報告をされるのだから。
 ガルシェがお父さんの事を悪く言う姿と、市長さんが息子に対して冷たく接する姿。その両方を、僕が見るのを嫌がっているのだから。気を遣わせてしまっているのかもしれない。市長さんの部屋で僕は仕事をしているのだから。見せないようにするにはそうするしかないのだった。
 ガカイドが、隣で頭を下げながらおはようございますと。遅れて挨拶していた。僕に対しては笑っていた口元も、今では固く引き結ばれており。灰狼はそれに対して、入室し椅子にかけなさいとそう言ったのだった。見るからに高そうなソファーに、遠慮なく座る僕と。緊張にかガチガチになってしまった赤茶狼。座る際に自分の尻尾を敷いてしまったのか、痛そうな顔を一瞬させていた。
「さて、そこの彼から先んじて聞いている通り。貴方には都市部への護衛をしてもらうわけですが」
「待ってください、市長さん」
 メガネの位置を直しながら、別の書類を手に取って。話し始めた灰狼の言葉を遮ったのは、雰囲気に気圧されていた筈の赤茶狼だった。
「俺様、いや、私。の、どうして作戦が許可されたのでしょうか。この人間が説得したにしても、あまりにも……その」
 ガカイドが隣に座る僕を一瞬見て、あまりにも。そう口にしたから。作戦と言っても、かなり行き当たりばったりで。博打要素が強く。やるだけ貴重な物資の無駄であると、そう考えているのかもしれない。というより、表情がそう物語っていた。微妙なニュアンスをさせた動物の顔も、何となく読み取れるようになったものだ。ある意味、狼限定かもしれなかったが。
 ただここまで来て、それを指摘するのがガカイドであるのが問題であった。せっかく来ると、言って。実際に市長さんの前まで打ち合わせに来たのにだ。僕だって、ご厚意で。どこか裏があると感じていながらも。それに乗っかった身だ。許可が撤回されるのだけは避けたかった。対する市長さんは、暫しこちらを見返した後。机の引き出しから煙草を取り出して、おもむろに火を付けた。息と一緒に、紫煙を吸い込み。そうして、見上げるようにして天井へと吐き出して。
「そこに居る人間のおかげでその時が来た。それだけですよ。貴方なら、それで意味はわかりますよね?」
 次に返答に時間を要したのは赤茶狼の方であった。ただ、息を呑む音を微かに拾って。市長さんが言うように、それで理解してしまえたのであろう。この作戦を提案したのは僕なのに、依頼者は僕なのに。僕だけが、置いてけぼりな状況にさせられていた。
 だからだろうか。意味のわからぬ人が。理由を問おうと。
「それは、どういう」
「――実際に。食糧難な今の状況を打開するのに、願ってもない提案でもあります。最悪損失を考えた場合、烙印を押された者と、人間の子一人など。さしたる痛手にはならない。提供する移動手段。車も、レリーベが無事に持ち帰るでしょう。貴方達を、見捨てて、でもです。当たれば食糧庫が潤う、外せば私の懐は痛まない。運に任せた賭け事は嫌いですが、これは特例としましょう。難民問題も、いい加減どうにかしないといけない」
 運搬手段をどうするのだろうか。そう疑問はあったが。あるのか。この街に。使える車が。元々あった技術を復元し使用しているとは知っていたが。まさかそこまで。だとしたら、それはかなり貴重なのではないのであろうか。いくら見捨てる腹積もりでも、車自体が襲われた際には。いくら僕達を見捨てる前提であれど限界がある。殆どの部品が製造できなくて。それはきっと燃料もだ。そんな当たり前の事に思い至らないような人は、この場には居なかった。だというのに、反論はそれ以上する気はないのか。ソファーの背に深く身を預けて。ただわかりましたと大人しくなったガカイド。そして。他に聞きたい事はありますか。そう言うのに、息が苦しいと感じる。市長さんの視線。明確に、僕に対してこれ以上聞くなと圧が向けられていた。
「では、もう少しだけ話を詰めましょうか」
 物事はちゃんと進んでいるのに。どうにも居心地が悪く、気持ち悪さが纏わりつく。嫌な予感がする。危険地帯に行くのだからそれはそうなのだが。どこか、人の意識が。悪意が隠されているように感じて。こういう場面では、彼らのように感情を嗅いで知るという事ができないから。本当に上辺だけしかわからない。意図して隠そうとされたら、僕程度は簡単に騙せてしまえるのだと。
 トントン拍子で進む段取り。日取りを決めて、集合場所も教えてもらったら。もう話す事はないと校長室を後にする頃。ガカイドに、ずっと気になっていた市長さんが言っていた事を聞いても。何でもないと突き放すばかりで。教えてはくれなかった。友達だと思っていた相手にそうされると、そうではなかったと。それはこちら側だけが思っていただけで、勘違いであったと思わずにはいられない。それぐらい、目を合わせず。じゃあなと、裏通りへと帰っていく後ろ姿。また彼の背をこうして見送るしかできない。物資を持ち帰られたら、都市部へ行けたら何かが変わるのだろうか。
 街の人達を少しでも助けられて、無事に冬を越せたら。そうしたらその頃には、ガルシェが素敵なお嫁さんを迎えて。春を二人して過ごしているのだろうか。たぶん、その時に僕はこの街にはいられない。市長さんにも迷惑をかけているのは自覚している。こうしてわがままに付き合ってもらって。
 銀狼がどうするか、誰を選ぶか。大事だけれど、共に暮らしている人間は友達よりももう少し進んだ関係。でもそこから先はないと、そんな答えにたどり着いたら。街の人達どうこう、フォードの難民どうこう以前に、彼とはもう。隣にはいられない。ずっとお父さんに番を持てと、言われて育った彼なのだ。いくら男同士で性処理をする人達が居ても、ガルシェはずっと。それをするのは番とだけしたいって、そう言っていたのに。先に発情して持て余した彼の身体に手を出したのは僕の方であって。
 誰からの誘いも断り続けたのに。そう考えると、あの銀狼はわりとロマンチストなのかもしれなかった。それを壊したのは。僕だ。今彼が不必要に人をどうするかで、どうしたいかで悩んでしまっているのも。僕のせいだ。先にガルシェの事を、居場所をくれた彼を、好きになって。好意を、優しさを利用して。特別扱いされていると、それが当たり前であると。自惚れて。僕を選ぶ、選ばないなんて考え。そもそもそれは、こちら側のかってな基準だ。
 僕だって、男が好きとか男性の身体にどうこうというの。初めはなかったのだから。動物の、狼の顔をした。金の瞳と、身に纏う綺羅びやかな銀の毛皮。とても大きく、逞しい体躯。感情が素直な尻尾と耳。家の中ではだらしなく、家事がぜんぜんできない。放っておけばゴミ屋敷にする。近すぎたからこそ、見えすぎていた。少し離れてやっと見えた部分だってあって。彼のおかれた立場。市長の息子という責務。そのどれも、これまでの僕は邪魔をしてきたのだろうか。彼の助けになりたいと思いながら。助けられているのはいつだって僕で、それなのに。一緒に寝て、においを嗅がれて、安心しきった狼の顔を独り占めできる。そんな特別感を、本当は失いたくない。誰にも譲りたくなどなかった。抱きしめてくれるのは僕だけであって欲しいのに。一度だけ見た、お見合い相手とガルシェが食事をする光景。それに嫉妬心が膨れ上がるのを止められなくて。そんな感情を認めたくなくて。だって、お似合いすぎて、悔しいとすら思えなかったのだから。種族すら違うのに、性別も違う僕は。彼の何になれると言うのだろうか。と自問し続ける日々。
 考えてもわからないのなら。銀狼がこれからを悩んでいるように。僕も答えを欲していた。
 別に話し合って決めたわけではないけれど、あれから一日交替で朝ご飯と夜ご飯を作る担当を変えていた。やる気がないだけで、わりと彼は実際にやればある程度は人並みに家事もできるのだから。回数を重ねたら、そう失敗も減っていった。そんな彼の調理の腕を見つつ、惜しむべきは材料がないのが残念だった。以前のようにいろいろ買って来て、試せたら。もっと腕も上がろうというものだろうに。間が悪い。僕も自分の布団に寝て、彼は自分のベッドで寝て。特に仲が悪くなったわけでもないけれど。お互いに、これまで依存していた部分を順調に切り離していく過程を丁寧にこなしていく。そうする度に、ガルシェが。無事に番を得られた際の不安も取り除かれて。元々稼ぎもあり、仕事では頼られる男であるのだから。後はプライベートな時間、家での事ができるようになれば。欠点という欠点はなくなりつつある。既に調理が済まされた物ばかり買って食べたり、外食で済ませて。家の中はゴミが散乱していたのだから。
 考えを口にはしないけれど、銀狼の中で。本格的に番を得る準備をし始めたのだろうか。なんども彼の元から出て行く事をほのめかしていたのだし。今回の作戦の一件もあり、僕の考えを尊重して。彼も決心したのか。終わりの日が近づいていると感じる。楽しかった彼との日々。二人で暮らしたこのプレハブ小屋。一年も居たわけではないし、これといって劇的な日常だったわけではない。人間ではなく、狼の顔をした相手と暮らしているだけで十二分に刺激的な日々だとも言えるのだが。夢はいずれ、覚めるものだ。それはいい夢であればある程、起きたくないと願う程。そうやって一度目覚めてしまえば、二度と同じ夢は見れないのと同じで。独り立ちできないのではとかってに思っていた相手は、いざそうしたら驚くぐらいちゃんとでき始めて。そう思っていた人間の方が、もの悲しくなり。その影を追い、転がってしまうのだった。自立は大事だと考えていた僕が一番、それができていない。居候という身でしかないのだから。ずっとそんな立場だったのだから。
 作戦決行当日。ガルシェはいつも通り、朝早くから仕事に出掛けるのを見送った後。指定された場所はこの街の正面ゲートではなく、学校を挟んでそれよりも真逆の位置。裏通りだった。数回訪れただけの、治安のよくない暗がりの道。早朝でも怪しくネオンが光る、いかがわしいお店が多いそこを。さらに奥へと、深淵に誘われるようにして。小さなメモに描かれた手書きの地図を頼りに。そうしていると、見るからに柄の悪そうな。武装した動物の顔をし人達が警護する。フェンスで覆われた一角。この街をぐるりと囲む壁にほど近い、大きな倉庫。ここが指定された場所だった。訪れた人に対して、誰か殺していそうな目つきばかりの人がこちらを無言で睨む。思わず、今日は持って来た鞄を思わず不安にかられて抱きしめる。叶うなら回れ右をして帰りたいぐらいなのだが。せっかく予定をちゃんと決めて、こうして当日までやってきてしまったのだから。それを自ら棒に振るわけにもいくまいと。気圧されるな。そう自分に言い聞かせながら。警護している人達に近付いていくと、特に何も言われず。検問を通してくれて、拍子抜けを食らう。
 実際のところ、顔パスとまではいかないが。僕はユートピアの人達にとっては有名人であって。それは何か凄い事をしただとか、そんなわけではなく。人間が僕一人しかいないからだ。だからこそ、相手からすると身分証を顔に張り付けて歩いているに近いのかもしれない。こういう物語でよくある、誰だお前と銃を向けられる場面に遭遇しなくて。いらぬ騒動が起きなくて、良い事ではあるのだが。重要な物が管理されているのか、巡回している警備の人が全員。銃をホルスターなどに仕舞わず。いつでも発砲できるようにしていた。トリガーにだけ指が掛かっていない、その程度だ。とんでもないところに来てしまった。建物は大きな倉庫一つしかないのだから、誰かに案内されなくても。シャッターのすぐ傍にある、人が出入りする専用のドアの前まで来る事ができた。ドアノブを捻り、扉を動かせば。錆びているのかギィと、かなり大きな音を立てる。呼び鈴とかなくても、誰かが入って来たと。これなら簡単にわかってしまうだろうな。
 途端に鼻に入って来る、オイルの臭い。後、錆びや。何かが焦げた臭い。工場独特の、あまり嗅いでいると健康に悪そうなものだった。既に倉庫内は電球が灯っており、歩くのに不自由する事もなく。目に入って来た光景に圧倒される。整備途中の重機らしきもの。そして一層目を引いたのは。中央に鎮座する大きな車だった。軍用のトラックだろうか。前輪のタイヤが二本、後輪にはタイヤが八本もある。荷台は骨組みとシート状の屋根が形成されており、雨風が凌げる仕様みたいだった。塗装は至るところ剥げてしまっているけれど、元々は緑色だったらしい。回り込んで、荷台の中を覗き込んでみると。特に荷物はなく、両端に小さな椅子があるぐらいだった。本当ならここに兵士が複数人座って、戦場へと運ばれたりしていたのだろうか。車が進む方向ではなく、お互いを向き合う横向きに座るから慣れないと酔いそうだった。荷物がないのは、これから都市に行き物資を回収する為に開けているのだから当然だ。改めて見ると、装着されているタイヤは径は同じだが。メーカーが違うのか滑り止め用の溝の形が不揃いであった。バンッ。僕が下を覗き込んでいると、誰かが今見ているトラックのボディを叩いのか。派手な音がする。
「すげぇーだろ。今日はこれで依頼主であるお前をお届けするぜ」
 相手は驚かそうとしたのか、悪びれもせず。そう言いながら近寄って来る。それをした期待通りの反応をせず、ただ落ち着いて顔を上げて。誰か確認している僕を見て、つまんねーのと。そんなふうに腕を組むガカイド。普段着ている服装ではなく、今日だけはどうやら違うらしい。そうとわかったのは、学校のグラウンドで訓練している人達と同じ。軍服を着ていたからだ。腰には拳銃が納められた拳銃だってある。だから、そんな恰好をしている彼の姿が物珍しくて。つい、何も言わずにしげしげと眺めてしまうから。
「あー、これな。懐かしいな。俺様も仕舞いこんでたのを引っ張り出して。かなり久しぶりに着たけどよ、筋肉が少し衰えたから肩とかぶかいな」
 赤茶狼が、自身の服を摘まみながら。そんな感想を言う。自嘲するように、一人笑うガカイド。どうしてそうなったかを考えると、自然と同情心が湧き上がるが。そうしたところで、彼が喜ぶ筈もないと。脅かさないでよ。そう感情の乗らない声で言う。緊張を和らげてやろうという、俺様なりの気遣いだとのたまう。話題を逸らそうとしても、つい暗い顔をしていたのだろうか。
「心配しなくても、依頼を受けた以上は死んでもやり遂げてやるよ。こんどこそ、な」
 強く、自身の手を握りしめて拳を作りながら。こちらを睨むように、過去の自分を睨むようにして。そう言い返されてしまう。自分のわがままに彼を利用してしまった事を。いまさらながらに後悔した。死んで欲しくないのだから、軽々しくそんな不吉な事。言わないで欲しいのに。物事をいつだって軽く考えているのは、平和ボケした僕の方であって。
「失敗する前提は。依頼者である彼を不安にさせますよ」
 ネガティブな思考に逃げようとした僕達へと。もう一人が存在を主張する。声を掛けられるまで、そこに誰か居るなんて気づかなかった。倉庫は灯りがあっても薄暗く、大きな木箱やドラム缶等もあるのだから。物陰は多かったが。影がぬるりと這い寄るように。そうして、重そうな縦長のバッグを背負ったレリーベさんが。時間きっかりに。予定されていた人がこれで全員、揃った事になる。僕が挨拶する傍ら、隣に立つガカイドは。黒豹に対して目を合わせようともしない。それどころか、もう一度点検してくると小声で言い。その場を離れるしまつだった。
 それがどこか、逃げるように感じて。目で追っていると、気配がすぐ傍に屈む。翡翠色の瞳が、こちらを見ていた。片膝をついて。
「今日はよろしくお願いします」
「任務ですので」
 返答自体は冷たくも思えるし、仕事モードの彼はやはり敬語を使うのだなと。それでも、口元は柔らかく笑みを作っているから。壁を感じるような感覚はなかった。
「ありがとう、ルルシャ」
 そんな事を考えていた矢先。突然。黒豹が人間に対して礼を言う。先ず真っ先に思ったのは、何に対してかだった。特に心当たりがなくて。
「市長を、あの御方が守るこの街を思って。提案して、くれたのだろう。だから感謝を。俺にこのような機会を与えてくれて。感謝の念が尽きない。物資が、あるといいな」
「え、ええ。そうですね。僕も、レリーベさんみたいな人が手伝ってくれて心強いです。人数が多い方が安全で、成功率も高まると思いますし。正直、僕は戦いとかそういった事は役に立たないどころか。足手まといであると思うので」
 喋りながら。レリーベさんが市長さんに対する忠誠心の高さが窺えた。危険地帯に偵察しにいったり、わりとあの灰狼の右腕的な存在だったりするのだろうか。そんな人に、子守りではないにしろ。近いか。僕の世話を一時的とはいえ任せてしまっていたのだなと。絶対に成功させようと、二人で固く誓っていると。点検をやり終えたのか、ガカイドが後ろに立った。いつでも出発できると。
 そういえば、運転って。どちらがするだろう。というより、運転免許とかあるのだろうか。教習所なんて吹き飛んで、取り締まる法も、機関もなくなった今。そのような素朴な疑問も、赤茶狼が口にした。免許、なんだそれ。って言葉で、だいたい察したのだった。そういえば、ナンバープレートとかも取り除かれているし。このトラック。もしもあったら車検とか、通らないのだろうな。事故らないか、そんな不安が湧いてきた。無事に着けるだろうか。僕。
 前と後ろ、黒豹と赤茶狼に挟まれながらそんな事を思う。立ち上がったレリーベさんは、後ろに居るガカイドを見ていたが。僕だけに見せた、親族に接するような柔らかい笑みは消し、彫刻のようにとても無表情に戻っていた。黒豹のそれは、普段通りといえばそうなのだが。漂う雰囲気がどこか、変であった。言葉にしようとするとどこがどうというわけではないのだが。後ろを振り返ると、視線を彷徨わせていたガカイド。それが僕と目が合うと、少しだけ安心したようにして。曖昧に笑う。作り笑いだとすぐに気づいた。そういえば、彼が表で暮らす人と。こうしてちゃんと顔を合わせるのを見るのはこれが初めてで。もしかしてとても気まずいのかなって。何か言おうと思った。落ちつけるように。何か言葉を。でもそれをする前に、耳障りな金属が擦れ合う音がして。それは僕が先程入って来た扉がさせたものと酷似していた。誰か来た。そう摩耗した蝶番と、建付けの悪い扉のフレームが伝えていた。
「あー、やっぱ来たか」
 困ったようなそんな態度を滲ませて。赤茶狼が扉の方を見ては、そんなめんどくさそうに呟く。黒豹はただ無言であった。どうやら態度から察するに。誰かが来るのを予期していたようだ。それが誰かも。日が昇って、少しした時間帯は。蛍光灯でも心持たないぐらいの薄暗さが混在する倉庫の中。よっぽど外の方が明るくて。扉を開けた人物を逆光で照らし、そしてその輪郭が光り輝いていた。肩を怒らせて、ずんずん歩いて来る巨体。よう、そう片手を上げて相手に挨拶するガカイド。レリーベさんには、挨拶しなかったくせに。三人も居るのに、中央に居る
一番背が低い僕しか見ていないのか。訪れた相手の歩みは真っすぐで。逆光が手伝いシルエットだけだった存在は、トラックと僕達を照らす倉庫の中央部にまで来ると。全体を露わにした。薄々ガカイドの反応からそれが誰であるか。そして、もしかしたらこうなるのだろうなって。頭の片隅で考えてもいた。だから、銀狼が。怒った顔して僕を見下ろすのを、ただ唖然と僕は見返していて。背の高いレプリカントの成人男性が三人も集まり、囲まれた事で。そして黒豹も銀狼もかなり鍛えている部類であったから。赤茶狼は昔鍛えていたけれど栄養不足もあり少々見劣りする。けれど空間の筋肉密度が一気に上昇し。むさ苦しいとも思えるが、毛皮で覆われた彼らは。その圧迫感を緩和しているようにも思えた。レリーベさんの軍服や、ガルシェの着ている白いTシャツやジーンズはふっくらした毛並みを寝かせ、内側から押し上げてパツパツになっているから。あまり効果はないようにも感じるが。
「ガルシェ、どうして……」
 何で来ちゃうの。頭のどこかで、何となく来る気がしていても。そんな疑問。事前に市長さんが、息子は参加させないとも取れる会話をしていたのだからなおさら。耳に聞こえてきたのは誰かの溜息。発信源を探せば、赤茶狼がやれやれと。首を振っていた。
「こいつが、大人しくお前を見送るわけないだろ」
 こいつ。そう示された相手は、狼の顔をムスッとさせていて。腕組をし、僕を見下ろして来るのだから。元々鋭い目つきが今は据わっており、とても怖い。反対は最初だけで、いやに大人しいなって。この数日。疑問を抱きはしても、理解を示しているとして放置していたのだけれど。お互いにこの作戦については、必要以上に話題に出さなかったというのもあったが。
 それでもやはり、市長さんが認めると思えなくて。また命令違反をさせてしまうのだろうか。僕のせいで。
「俺が同行するのは。親父、市長の依頼だ。もともと、許可されなくても後から徒歩で追いかけるつもりだったんだが。どうせそうするのでしょうと、朝早くから呼び出されてならばと。正式に市長命令として、な」
 ガルシェの同行に対して、失うには惜しいと言っていた灰狼がどうして。そのような心変わりを。朝早くから呼びつけて、息子を学校に押しとどめて。釘を改めて刺すように言いつければ、それでいいのではと思いはしても。内心彼が来てくれる事に喜んでいるのを感じてもいて。でもそれを表に出しては駄目だと。暗い顔をする。こんな僕のわがままに多くの人を巻き込むべきではないのに。であれば、市長さんもレリーベさんも、ガカイドは巻き込んでもいいのか。そんな冷静な部分で、罵倒してくる自分の良心。
 僕達の任務は都市部の資源調査。ガルシェが言い渡されたのは、あくまでも都市部付近の環境調査。上辺だけならそうで、ただ指定された時間も。そして待ち合わせの場所も、同じであり。それがどういう意味を持つか、わからぬ銀狼ではなかった。
 運転席に座るのは黒豹。隣には誰が乗るのだろうと思っていると、赤茶狼は俺は嫌だぞと早々辞退しており。なら僕が乗ろうかなと一歩踏み出そうとすると、肩を強い力で掴まれた。見慣れた銀の手。身体が大きく、元々人用に作られたトラックの運転席は。レリーベさんも窮屈そうに座っていたけれど。ずるずると引きずられるようにして、空っぽの荷台の方へ。そんな事をしている内に、助手席にはレリーベさんが背負っていた縦長のバッグが占領していた。肩から掛けていた銃を背に回し、先に乗り込んだガルシェが。僕へと手を差し出す。その横でガカイドが邪魔しないように乗り、自分の荷物を奥へと押しやっていた。別に、自分一人で登れない高さではないのだが。その手を取らない理由もないと、握り返せば。簡単に持ち上がる自分の身体。そうして、勢いのまま。ガルシェが座ったスペース。足の間にできた空間へと、僕が納まる形で。一人で座ろうとすると、素早く覆うようにして腕が囲う。対面に座ったガカイドが、僕達を見て苦笑いしながら。運転席側に設けられた小窓へ向かって語り掛けながら、軽く二度車体を叩く。そうすると、きゅるきゅるきゅる。そんなちょっと可愛らしい音を何回か繰り返した後、眠っていたのに急に起こされたエンジンは唸り声と、排気ガスを噴出しながら。大きな鉄の塊が振動し始める。小窓から見える、レリーベさんが外の誰かに合図をすると。倉庫の僕達が入って来た側ではない。もう一つあったらしい鉄製でできた両開きの扉が開閉していく。僕達が入って来た扉よりもずっと、巨大故に大きな摩擦音もさせながら。トラックが出入りできるだけの空間ができあがり、進路には外である。荒野が曝け出されていた。砂塵が少し、風と共に倉庫内の埃と油の臭いを押しのけるようにして入って来る。
「ゲートは一つだけだと思ってた」
「ああ、一般には解放されてないけど。緊急用にある内の一つだな。街の中で何か起きた時、出口が一つだと全滅するだろ」
 ガルシェに捕らわれて、ぎゅうぎゅうと締め付けるようにしてくる腕の中から。上半身を出しながら言えば。対面のガカイドがそう疑問を解消してくれる。緩やかに発進しだしたトラック。加速に伴い、僕達が同じ方向に一瞬揺れる。シートベルトとか、ないのかなって思うけれど。その代役は銀狼が担う気なのか。拘束はがっちりとしていた。
 思った以上に、サスペンションがちゃんと機能しているのか。荷台といえど、乗り心地はそう悪くはなかった。見える景色は、小窓から運転席のレリーベさんの後頭部と。後部は開きっぱなしだから。遠ざかる街、を覆う壁だった。それもやがて見えなくなると、崩れた建物と割れたアスファルト。それに覆いかぶさる土砂といった。景色を楽しむには、これっぽっちも面白くないそのようなもので。遊びに行くわけではないのだから、別にそれで良いのに。初めて街の外に出られて、自然と高揚していた心は。沈静化する。予定としては都市部とユートピアの間には森があり、それを迂回する形で進むので。実のところ徒歩で歩くよりも距離があるのだが、元々あった車道は荒れ放題で森を直進する事は叶わず。早朝から出発して、森の中から一日歩き続けて夕刻には街に着いたのだから。距離的にはそう遠くはないのであろうが。それでも、エンジンで動く車の方がずっと移動速度に優でてあろうとも。迂回し続けては、着くのは昼過ぎらしい。景色が多少は変わる中、見えた人工物。太い柱に支えられた、未だ崩れていないのか高速道路の面影を残していた。ただその近くを通るだけで、機能していないインターチェンジは使わないらしい。チラリと見えた登り口は、破棄されて放置されたままの。主を失った車達がごった返していて。とても乗れるようにはなっていなかったが。皆、何かから逃げようとして渋滞にでもなったのかな。そう過去にあった面影を感じられた。不意に大きく車体が揺れて、頭が傾き。それをガルシェの厚い胸が受け止める。どうやら道路にできてしまった、陥没した部分を通ったらしい。正面のガカイドが頭を打ったのか。後頭部を痛そうに押さえていた。幸いガルシェは、僕を抱きしめる為に前屈み気味だったのでそうはならなかったようであったが。なるほど、意外と安全かもしれない。この拘束のきついシートベルト付きの毛深い椅子は。
 今日の日程としては移動に半日掛かるので、着いて先ずは安全の確認と。野営できそうな場所の確保。次の日に、僕が目覚めた廃墟周辺に向かい。物があれば積んで、なければ素早く撤収する。一泊二日の任務だった。街の至るところに機械達が蔓延っているわけではなく、徘徊しているルートや場所はある程度法則性があるらしい。それは何かが指示を出しているのか、元々そうプログラムされているのか。定かではないのだが、危険地帯といえど一部は安全な場所があるという情報は、少しだけ心の不安を取り除くには最適だ。
 運転免許など所持していない、黒豹のハンドルさばきは元来の性格が作用して。不必要には揺れないし急ブレーキもしない。通る道路だけが悪路な為にたまに溝のせいでガタンと、車体を上下に揺らす程度だ。そんな中、流れて行く景色を楽しむ余裕もなく。かといって、別に何かできるというわけでもなく。ただガルシェが首筋にマズルを突っ込んでくる以外は退屈と言ってしまえる。荷台に居るのだから、僕達は荷物も同然なありさまであった。ただじっとしているのは性分ではないし、日程を聞いていた為に。持って来た鞄の中を苦労しながら漁る。この時ばかりは銀狼の人間用シートベルトと化している腕が邪魔に感じた。目当ての感触を指先に感じ、取り出したのは油紙に包まれた物体。それと人数分の水筒。武器なんて扱えないし、僕に持ってこれる物なんてこの程度が限界だ。だから、油紙で包んだ物を広げて。中からサンドイッチを取り出す。材料はパンとアーサーが産んでくれる卵と、ベーコン。それと少量の野菜。チーズとかあったら良かったんだけれど贅沢は言ってられない。僕が取り出した物を見て、ガカイドは呆れていた。雰囲気がどこか、まるで遊園地にでも行くみたいであったからか。お前なって。それでも、黒豹と赤茶狼の分にと多めに作って来たので。差し出すと素直に受け取るので、既に数時間経過した今。お腹は皆空いているらしい。レリーベさんの分も渡して、スライド式の小窓からガカイドの手を経由して渡してもらう。僕が直接渡したかったが、このシートベルトはこちらの意思で外せないのでしかたがない。
 先ず僕が食べ始めると、首筋に埋めていたマズルがそのまま人の頬辺りまで移動して。すんすんと食べ物の匂いを嗅いでいたので。半分まで齧ったサンドイッチを、銀狼に差し出すとぱくりと食べられてしまう。ガルシェの分は作ってないので僕のを分け与えるしかない。
「なんかお前ら、前よりも距離感近くねーか?」
 彼らにとっては少々物足りない大きさのサンドイッチでは、あまり胃を満たすには心持たないのであろう。ガカイドが自身の指を舐めながらそう言われるが。そうなのかなと、あまり気にしてはいなかったが。傍から見るとそうなのであろうか。向かう場所が場所であるのだから、きっとガルシェも不安で。僕から離れようとしないのであろうなって。抱きしめている人間が、大事にしている玩具が。無くなりそうで。彼の心の中を見透かしている僕は、だから好きにさせていたのだけれど。指摘された銀狼は首を傾げていたし。
「もう本当、二人して街から出て行くのが一番手っ取り早いんじゃねぇの。俺様、そう思うぞ」
「それは駄目だよ」
 僕はそれで良い、というより。そうなると思い、そうなる前に行動に移して今トラックの荷台で荷物になっているのだから。ガルシェは、駄目だ。それだけは。彼にはあの街で幸せに暮らしてもらう、そうした方が良い。ずっと。僕なんかにいつまでも構ってるのは良くない。そんなの、正しくない。誰も望んでいない。
 首筋を銀狼の指が触れる。傷口は塞がっているけれど、まだ残ってしまっている咬み跡を。
「この傷。お前だろ、ガカイド」
 街を出発してからというもの、一言も発しなかったガルシェが。怒気を含んだ声音で、幼馴染に確認を取る。どこか確信を得たものであった。体臭は隠蔽した筈で、彼の名前は一言も出していない。それに、あの時銀狼は街の人にされたと勘違いしてくれていると思ったのに。どこから漏れたのだろうか。
「夜中に、こっそりルルシャの脱いだ服を嗅いでたら血の臭いと、お前の臭いがした」
 何してるの。思わず、怒りに鼻筋に皴が寄った彼のマズルを掴み。左右に揺する。ぐるぐると唸っているけれど、怖くもなんともない。この男、時折変な事をするので。油断も隙もあったものではない。夜中にトイレに起きたのかなって、微睡の中で気づいてはいても。まさかそんな事をしているなんて。狼の顔をしてなければ変態だ。いや、人であるのだから。十分変態か。でもどうやら、それが証拠になったらしい。警察犬みたいに、犯人を特定しうる物的証拠を残してしまったと。反省する。服にもにおいが付着しているとそこまで思い至らなかった。だいぶ、あの時はいつ帰って来るかもしれないと。焦っていたのもあったのだが。
 警告を発する相手を煽ったのは僕で、悪いのは咬まれたこちら側であると思っているのだから。剣呑な場の雰囲気を阻害したくて、ガルシェのマズルを掴んだというのもあった。牙を剥き出しにしているのだから。人の手でその鋭い牙を隠すように。そうすれば、あまり掴まれていい気分はしないであろう。銀狼の睨む先が胸元から見上げている僕へと移るわけで。
「ルルシャに謝っても、お前に謝る筋合いはねぇよ」
「何?」
 だというのに、全く悪びれるどころか。ガカイドは挑発するようにガルシェを焚きつける。物を多く積む為の広々としたトラックの荷台とはいえ、暴れたら大変な事になるし。逃げ場もない。銀狼の毛並みが彼の感情のボルテージを表すようにして、逆立っていく。何も言うなと、僕がガカイドにアイコンタクトを送ろうと。不敵に嗤う。
「お前、狼の。人の大事な物に傷をつけておいて。お前だって狼だから意味はわかるだろ」
 首を振り、ガルシェが僕の手を払いのけながら。低い声を、さらに低く。今にも殴り掛かりそうな雰囲気でもって。ただ抱かれているから機敏に彼の心情を読み取る。一瞬僅かにだが銀狼が身体を震わせたのだ。まさか、赤茶狼が。自分に歯向かってくるとは思いもよらなかったのだろうか。怯んだのを怒りで隠すようにして。その中に含まれる言葉。人の大事な物。そう言われて、ちょっとだけ満更でもないのだけれど。このままではいけないと、喧嘩に発展する前にと。僕が言葉でも止めようかと思ったのだが。対面に座る狼はふてぶてしい態度を貫き、鼻で笑い飛ばすようにして。
「わかるね。わかるけど。番でも明確に付き合ってるわけでもない。そんな奴がとやかく言うんじゃねぇよ」
 こんどはガカイドが唸る方に立場を変えたのだった。対して、ガルシェは。零れ落ちそうな程目を見開き、逆立てていた毛をしゅんと萎えさせていく。それはそのまま、発露していた怒りという感情も。どこかへと消えていくようで。その分、僕のお腹に回されている彼の腕が。さらに人を引き寄せるように動きで現れていた。その動作が縋るように感じてしまうのはしかたなかった。
 それにしても幼馴染の。ガルシェとは喧嘩するのは嫌だって、そう言っていたのに。どうして。
「……そうだな。お前の言う通りだ。ガカイド、そうだ。その通りだ」
 力を失ったように、声からも活力がなくなり。ぼそぼそと喋る銀狼。それ以上言い合いに発展するわけでもなく、戦う前に土俵から降りてしまったのは。ガルシェの方だった。ケッ、そう面白くないとばかりに。ガカイドがそっぽを向いて。自身の膝を使って頬杖をつく。とりあえず、擦り寄って来る銀狼の頭を撫でながら。どうしてガカイドがそのような台詞を吐いたのか。そうして、意図を探り考えながら。一つの仮設を立てて。赤茶狼に礼を言う。別に無視してくれても良かった。こちらを見もせずにそんなんじゃねぇよって。ぶっきら棒に否定してはいたが。それで十分だった。なんだか心の中がちょっとだけ温かくなる。
 水筒の蓋をコップの代わりにして、水を飲み。もう一度中身を注ぐと、そのまま意気消沈した銀狼へと差し出せば。少し逡巡した後手を使えば、僕を離してしまうとでも思ったのか。お行儀悪く舌でぴちゃぴちゃと少量ずつ飲んでいた。これにはさすがの僕ですら、ちょっと呆れてしまう。なぁ。出し入れされる舌の動きを目で追っていると。そう声が掛けられて。呼び掛けられたのはどうやら僕らしい。
「もしかしてなんだけどよ、家だとガルシェってだいたいこんな感じか?」
 言われ、暫く考え、過去を振り返り。そうやって頷く。彼の想像が、僕が思ってるのとそう差異がなければ。狼だから表現は適切ではないにしろ。感覚的には身体が大きな甘えん坊な犬に近い。外ではカッコつけているけれど。顔を顰めた赤茶狼は。羨ましいような、歯痒いようなと言った後。僕を見て、甘やかしすぎだろって。そうこれまでの行動を含め、咎めるように言った。そうかな。そうなのだろうか。そうか。そこまで甘やかしている自覚はなかったけれど、確かにガルシェって思わず世話を焼きたくなるとは思う。だらしないし。それでも最初の方から比べるとかなり改善されているのだが。それは言っても伝わらないだろうな。
 だから。だいたいこんな感じです。そう頷いてしまうのだった。言っても無駄だと思ったのか、盛大に、これ見よがしにと溜息を吐いたガカイド。トイレ兼ねて、数分の休憩を取りながら。時に道なき道を通り、以前には通れたらしい橋が崩れ落ちていたらしい部分も、さらに迂回路を探し。そうして辿り着いた始まりの場所。元は人口密集地だったであろうに、今では人っ子一人いない。住むには適さない。機械達が我が物顔で徘徊する廃墟。高層ビルが今でも崩れず聳え立っているのだから、建築技術はたいしたものであろうか。全ての窓ガラスが割れ、吹き込む風で容赦なく風化してしまっている事を除けば。目につく飲食店らしき建物は、全部野生動物が過去に漁り尽くしたのか。ただ包装パッケージなどだけが散乱し、中身は腐ったか食べ尽くされてしまっている。試しに拾い上げてみると、時は残酷なもので。雨風に晒され劣化したプラスチック容器は簡単に、まるでクッキーのように持った場所から砕けてしまう。まだ都市部の末端、中心部には程遠い。僕が目覚めた場所も森に近かった事を思うと、別に中心部に行く必要はなかったが。迂回してきた為に、かなり離れてしまった。どうしてもトラックでの移動は目立つ。それにこのまま進んで、日が暮れてくると僕達にとっては不利だ。機械の彼らは昼間も夜も関係なく、疲れ知らずで、暗視機能を使い。襲い掛かってくるというのだから。ここからは徒歩で先行し、安全を確かめつつ。トラックのエンジン音で奴らが寄ってこないように注意しながら進むしかない。運転手はレリーベさんなのは変わらず。だから先行して安全を確かめるのは自ずと狼二人に役割分担された。残された僕は、邪魔にならないようにトラックの傍で待機だ。別に荷台に乗ってても良かったのだが、気分的にそれはしなかった。役に立たないとしても。ガルシェに、普段は足首に隠している拳銃を手渡されかけたが。それはガカイドが止めた。素人が扱えばかえって危険だと。実際に僕としても、それを持ったからと安心できるとは思えない。誤射してしまいそうで恐ろしいというのもあった。
 先行する二人を見つめながら歩く僕の速度とそう変わらず、トラックがのろのろと走る。そうしていると、手で待ての合図をこちらに送るガカイド。いつでも撃てるように、一メートルはある自動小銃を両手で保持しながら。ガルシェが身を低くし。廃車や、倒れている瓦礫を利用して身を隠しながら。周辺を伺い。ガカイドがすぐ傍でトラップがないか、機械達がすぐ近くに居る痕跡がないかと。ガルシェとは形の違う銃を肩から掛けており――銃身が短く切り詰められており、携帯性と動きやすさを重視していた――それを背負い直してから地面に伏せて、においを嗅いだりしていた。そうやって、十字路まで来て。安全であると判断すると、手を大きくこちらに振り。声は出さずに合図して。それを確認した僕とレリーベさんはまたちょっとずつ進む。とても静かな廃墟となってしまった。都市部を進んでいるのだから、静まり返った街並みはトラックのエンジンの作動音はわりと大きく聞こえるように感じる。静音性の高いハイブリット車とは違うのだから、エンジン音は大きな部類に入る。だからそう感じるのは至極当然であるのだが。
 この状況に限っては、いつ遠くから機械達が確かめに姿を現さないか。気が気ではない。別に何もしてないのに、不安に肩から下げている鞄の紐を握りしめ。そこに汗がじっとりと溜まり不快だった。焦るのは僕だけで、真剣な顔をした獣三人は。落ち着いているのだから。場慣れしているのだなって。ずっと街の中で平和をどれだけ浸っていたのかを思い知らされる。そんな自分を責める人なんていないが。誰も、戦えない者を悪くは言わない。役割分担だ。得意不得意も当然あって、そんな中で皆が精いっぱい生きている。でもいざこんな場所まで来て、自分は何をしているだと。そんな気持ちに駆られるのも、しかたなかった。そうしていると、ちょいちょいと。ガカイドが手で僕を呼ぶ。どうやら何かを見つけたらしい。片手には双眼鏡があり、僕を呼んだ後も。遠くをそれを使って覗いていた。大丈夫かなって疑うわけではないが、ガルシェがあまりいい顔をしないので。少し迷うけれど、好奇心には負けてしまったので。足音をなるべく立てないように、それでも早足で近づく。
「見てみろよ、あの遠くの方に看板があるだろ。その下に逆さまになっている車の傍だ」
 面白い物が見れるぞとばかりに、持っていた双眼鏡を渡される。不謹慎だが、赤茶狼の態度につられて。ちょっとわくわくする心持で、覗き込む。言われた看板を先ず探し、そして続いて裏返っているであろう車はと。そう遠くの光景を見ていると。僕達以外誰も居ない筈のそこに、動く物があった。ただ裏返しの車とそう変わらぬ大きさで、シルエットが人の形に近い。ずんぐりむっくりしていて、レンズ越しであっても。その表面が金属でできており。とても硬い印象を与えた。そうして、ガルシェの持っている自動小銃を二回りも大きくしたような。専用の銃を携帯している。頭部らしき部分、カメラアイが不意にこちらを向いて。ドキリとする。
「軍用のアームスーツだな。無人だが、ああして中心部に行く程奴らが徘徊している。正面から襲われたら俺達の持ってる火器程度じゃどうしようもない。探知範囲は短いから、こうして距離を取ってる限りは襲われはしないが。避けるに越したことはないな」
 ガルシェが、隣で声を潜めながらアレが何か。そう説明してくれる。機械の化け物って言っても、一度見ただけで。ドラム缶に足が生えたようなのに追いかけられた記憶しかないから、あんなものまであるなんて想像もしていなかった。目が合ったと思ったけれど、それは勘違いであったようで。双眼鏡の中に居たアームスーツは、そのまま歩いて。物陰に隠れて見えなくなってしまう。あんなに大きな銃を持っているのだ、撃たれたら使用する弾丸の口径から。穴が開くどころかバラバラになりそうだった。
「昔、先生が一部機能が故障していて。銃をどこかに落としたのか持っていないとはいえ。アレに殴り勝ったらしいんだからすげぇよな」
 先生と言われて、僕の頭の中で該当するのが。二メートル半は身長がある、医者にしては無駄に体格のいい虎の温和な表情だった。ガカイドが笑いながら言うけれど、僕は半信半疑であり。まさかと、疑いの眼差しをするのだけれど。隣に居るガルシェはその事について反論をしないのだから、信じられないが事実なのであろう。おどけて力こぶを作ってくれた虎の先生。ただその一件で大怪我をしてまともに戦えなくなり。前線を離れ、ああして軍医として学校で。保健室で医者紛いの事をしているらしいが。それでも、凄い。勝てるんだ。アレに。それでも、手がないわけでもないと。不意にガルシェが後方を振り返る。その先には、トラックを運転する黒豹がおり。窓を全開にし、扉に片腕を乗せて。窓から顔を出しこちらの様子を窺っていた。運転中に窓から身を乗り出すのは危険行為だけれど、それを咎める法も、警察も。もうありはしないのだった。
 閉鎖された区画。機能していない設備。重たい扉を開けようにも、爆弾なり乱暴をしようものなら大きな音を立てた瞬間機械達がやってくる。であるなら。なぜか電気が生きているらしい、扉に活路を見出すしかなく。そして僕が鍵になりえるのか。その場所へ近づく程、不安だけが募る。ここまで危険を冒してまで皆が動いてくれたのに。そして、灰狼の思惑を。
「暗くなる前に、どこか安全な場所で今日は休もう」
 作戦を指揮するガカイドが時間を確かめながら、僕らにそう言う。進み自体は遅々としていたものの。掛けた時間だけ、目的地には近づいていた。無人のガソリンスタンド。正面から内側へと窓ガラスが割れ、警棒や機動隊が使いそうな盾が散乱する警察署。消防車が出払ったまま帰って来るのをいつまでも待っている、開かれたままの消防署のシャッター。休めそうな場所、トラックが入れそうな空間がある建物を見ながら。とあるビルの地下駐車場へとやって来ていた。先に生身である狼二人が地下に入り、中の様子を確認しだい。関係者以外の車を阻むゲート。遮断する役目の筈であるポールがへし折れた入口を続いてトラックが徐行しながら通過する。通ったのを確認すると、戻ってきたガカイドが自分の荷物から小さな箱を二個取り出した。それを入口の両端に取り付けるとスイッチらしきボタンに触る。僕が取り付ける様子を見ていたからか、手元にはピカピカ光っている端末があり。それを僕の見やすいように少し差し出して来る。緑色のライトが点滅していた。そして、僕がその端末を見ているのを確認すると。先程取り付けた機械の間に手のひらを差し込んで。まるで何かを遮るようにすると。ガカイドの手の中にある端末がぶるぶると震えながら、ライトの点滅が赤へと変わる。
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 へーって、彼の話に関心を示していると。ふふんと、得意げにしている赤茶狼はもう一つの出入り口へ向けて駆けて行った。銃だけではなく、こうした道具がいろいろあるんだなって。そういえば、ガルシェも最初。不思議な電磁グレネードって言うのかな。そんな物を使っていたっけ。その高価な道具を弁償しろと、言われていたのに。もう有耶無耶になってしまって。銀狼も、もうそんな建前覚えていないであろうか。白線で区切られた枠組みに、黒豹の運転技術により綺麗にバック駐車を終えたトラックは再び眠りについたのか、エンジン音が聞こえなくなっていた。銃を持ったままのガルシェがガカイドを目で追っていた。その眼差しが昔を懐かしむようであって、声を掛け辛かったのだけど。傍に寄ると、足音に敏感に反応した耳がぴくりとこちらへと向く。見下ろして来る銀狼。結局彼まで巻き込んでしまったと、浮かない顔をしている人間を、その瞳は映しているいるのであろうな。
「ルルシャ、俺は……」
 バタン。運転席から出てきたレリーベさんがドアを閉める音がした。それで、銀狼の開かれた口が。ゆっくりと閉じられて。
「何? ガルシェ」
「いや、俺達も野営の準備をしよう。荷台にあるガカイドが持って来た荷物の中にいろいろ入っているはずだ」
 また別の方向を警戒しだした彼に従い。言われた通りにトラックの後ろに回り込んで、また荷台に登る。ずっと荷台で揺られていたから硬い床のせいでお尻が痛い。備え付けの椅子は使わせて貰えなかったし。それをすると一緒に座れない為に、ガルシェが離さなかったというのもある。だから多少なりとも、トラックの傍で歩いた事で痛みは取れてはいたが。今日はここで眠ると思うと全身が痛くなりそうだった。
 僕が持って来た鞄と違い、赤茶狼が積んでいたボストンバッグらしき物はそこそこ重量があり。持ち上げるのに苦労するぐらいであった。上のファスナーをジジジと取っ手を掴み、開いていくと缶詰やロープといった品が目に入る。それと予備の弾薬らしきもの。その中から缶詰やその下にあった水筒を手に取る。準備、と言ってもテントを張ったりだとか。そういう本格的なものではなかった。僕だけそうやって荷台の中に居る状況で、どうやら少しでも安全な場所に居させたいというガルシェの口実だったらしいと。ボストンバッグのファスナーを閉じながら思う。だって、缶詰を持ったまま荷台から降りようとすると。銀狼が怖い顔して立ちはだかったのだから。ここに居ろと、そういう事らしい。
 夜は交替で誰かを見張りに立てながら眠りにつくのか。その順番を三つの獣の頭は碌に話し合うまでもなくさっさと決めてしまう。その中に僕は含まれておらず、慌てて自分もやると言ったのだが。見張りのやり方なんて訓練すら受けてないだろってガカイドに馬鹿にされた。依頼主様は大人しく護衛されていろと、トラックの荷台から出て来るなとばかりに虫でも掃うように手でしっしってされる。ここでも仲間外れ感を僅かに感じたが、どうしても役立たずな僕は。大人しく指示に従う方が彼らの負担が減るのはわかっていた。太陽がだんだんと隠れる度に、僅かに射し込んでいた光もなくなり。地下駐車場が薄暗くなる。灯りを付けるのは光源が見つかるリスクがあるからか、だれもそうしなかった。森でガルシェが篝火を焚いていたのは獣除けの意味合いもあったとか。森の中は機械達もあまり積極的ではない。だがここは違う。
 明日はレリーベさんもトラックを降りて、一緒に目的の地点を調べるらしい。道案内も兼ねているとあっても、実際にここには許可なく訪れていたガルシェも居る。同行してくれている理由から考えると、運転するのも別の人がいい筈だと。安全が確保されたと判断して、こうして皆で休んでいると。やっと考える余裕が生まれてきたのか。不思議な点が浮上していく。皆が、思惑は違えどこうして一緒に同じ目的地に向かっているとはいえ。赤茶狼も、黒豹も、灰狼も。誰も本音で話していないのはわかりきっていた。この作戦が僕が提案して、そのままそっくり通ったわけではなく。もっと別の目的があるように思えてしかたがない。上手く、行きすぎている。隣に、銀狼が座る。銃を抱えたままで、そして。こちらの様子を窺っているのもわかっていた。彼が居るのも、本来はありえない。息子をなぜ、危険に晒すのか。
「ルルシャ」
 声を掛けられ、不信感を募らせる僕は顔を上げる。彼らには昼間と変わらず見えているのだろうが、僕にはとても暗いこの環境において。荷台全体も見渡せない。うっすらと輪郭がわかる程度だった。そうして何か差し出されていると、遅れて気づいて。受け取るとそれは缶詰だった。円筒状の硬質な感触。さっき僕が取り出して置いておいた奴だ。どうやら皆で食事にするらしい。ただ開ける事すら今の僕では難しいと思う。缶切りを使おうとすれば自分の手を怪我しそうだった。だから一度返して、ガルシェに開けてもらう。パキュ。耳に入って来る、鋭い刃が蓋を引き裂きながら解放する音。そうすれば中身の臭気も漂って来て。嗅いだことがあるそれに、思わず眉間に皴が寄る。これ、アレだ。
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「なんか、懐かしいね」
 半分程食べ進むと、思わずそう呟いていた。水で舌の上に残っている後味を洗い流す気分で、ごくごくと飲んで。そっと隣に座っている銀狼に、食べかけの缶詰を渡す。昼間もシェアしたのだから、不自然ではないと思う。対面に赤茶狼と黒豹がこちらを見ている気がするけれど。空っぽの缶詰を傍に置くと、ガルシェは僕の差し出した残りを何も言わずに食べだした。家でも日頃から、食べきれない分は食べて貰っていたから。いつもの行動と思ったのか、銀狼は素直だった。また甘やかしてるって、ガカイドの声が暗闇の中からしていたから。僕の思惑は悟られなかったらしい。
「ああ、そうだな」
 綺麗に完食した銀狼が、遅れて僕の呟いた言葉に返事する。状況も、場所も違っていたけれど。それは、ガルシェも感じていたのか。同意しながら、身じろぎする音がして。僕の腕に彼の身体が触れる。どうやら身を寄せたらしい。先に見張りに立つのはガカイド、食事を終えると荷台から出て行ってしまった。次にガルシェ、そして最後がレリーベさん。夜行性である豹の血が入っているからか、夜から朝方の方が楽らしい。まだ時刻は午後六時頃。眠りには早い。だが日が落ちるのが早くなった為に、もう外は暗い。そんな時間帯。寒さに身体を震わせると、より密着を増してくるガルシェ。移動中の時と違い、休みながら彼も警戒し。銃から手を離すわけにはいかないのか、だからこそ僕を抱きしめようとはしないらしい。それでも、触れ合ってる部分だけは温かいが。それだけだ。震えの治まらない人間に見かねたのか。また身じろぎする音がしたら、肩に重みが掛かる。ガルシェが覆いかぶさったわけではなかった。既視感のある肌触りに、彼が来ていたレザージャケットだと気づく。森の中でも、そういえばされたなと。懐かしいと口にした為に、銀狼もまた。こうする事を思いついたのか。人肌が残るそれをより手探り寄せると、彼の体臭である僅かな獣臭さと煙草の臭いがした。時間だけが経過する中で、僕達にそれ以上会話はなく。やがて、隣に居た熱も離れていく。代わりにやってきたのは、見張りを終えたガカイドで。僕の傍に許可なく座り、ガルシェがそうしていたように。身を寄せてきたから、体育座りして顔を膝に埋めていた僕は思わず顔を上げて。
「ちょっと」
「まぁまぁ。狼の群れは身を寄せて皆で眠るもんだ。それに、寒そうだから温めてやれって。わざわざ頼んで来たのはあいつの方だぜ」
「ガルシェが?」
 意外だった。彼が自分以外の雄が触れる事を許可するのを。これは自惚れでもなんでもなく、過保護とはいえ。自分の所有物に他人のにおいが付くのを極度に嫌うのに。大義名分を得たとばかりに、しれっと肩に腕を回そうとしてきたそれをぺしりと弾く。でも、人間よりも高い体温を有する毛皮を纏った彼らがくっついてくれると。凍えずに済むのも事実であり。手は弾いても、完全に離れるのは躊躇した。そんな僕の葛藤など見抜いているガカイドが、見えないけれど意地悪な顔しているのもわかりきっていた。
「いざという時はお前を連れて離脱しろって言ったらさ。当たり前だってそう言っていたけどよ。そういうのはちゃんとはっきり言えるんだな、あいつ。結局、お前らどうしたいわけ?」
 また、僕の知らないところでかってに。そう感情を込めて隣を睨むと、笑い声がした。トラックから離れて会話していたらしい狼二人。どこまで進んだと聞かれても、どうだろうか。自分でもよくわからなかった。それについて、悩んでいるのは人も銀狼も同じで。そして、好きと伝えてしまったのだけれど。変わる事を恐れている彼が、どうしたいのか。ただ出て行って欲しくないと。そう言うのだから。ただ、この作戦が終われば。僕は。先の事を考えて。ぎゅうって、僕に掛けられた彼の匂いがするジャケットを握る。離れたくないのは両者共に同じで。ただ好きの形が違っていて、それだけなのに。それだけの違いが、こうも。灰狼の頼みを蔑ろにもしたくなくて。
「ルオネだったら、あんた達めんどくさいってキレてそうだな」
「そういえば、ルオネはこの事」
「言えるわけないだろ。絶対に私もついて来るって言うぜ、あいつ。時期的に外出を控えていたから、噂話を聞く事もあまりなかったろうが。出発しちまった今は、気づいてる頃か。安全な街の中で怒り心頭かもな」
 そうか、幼馴染二人を巻き込んでしまった僕は。彼女にとってどう映るか。これがただの遠足なら。行く場所が危険地域である都市部でなければ、良かったのに。ただ、獲物を狩りに出ただけなら。機械達に狩られかねないのは、今の僕達であるのだから。ならば怒られるのは僕であろうか。無事に帰ってそうされる責任があった。無事に帰る理由がまた一つ、できたのだった。
 場所が場所だからか、あまり寝つけず。それでも眠気だけは僅かにあるから、うつらうつらとしながら。身体が傾きそうになり、赤茶狼にもたれかかりそうになるとハッとして。起きるを繰り返していた。隣では腕を組みながら座り静かに寝息を立てている男。そしてずっと気配を消している。対面に居る筈の黒豹と。
 足音がした。トラックに誰かが近づいて来る。荷台に重量のある何かが乗った事で、軋む。それと同時に、小さな声で交代だと声が掛かり。入って来た気配とは別に、ずっと息を殺していた者が出て行った。金属質な物を荷台に寝かせたのか、ごとりと置く音。銃、かな。僕とガカイドの傍に近付いた大きな気配は、数秒立ち止まっていたかと思いきや。肩を掴まれたと感じたら、とても温かいものが僕を包んだ。続いて声を潜めて笑いを堪えたような気配と、獣のような唸り声が僕の頭上からした。レザージャケットのような代用品ではない、本物。
 それを知覚して、途端に増加する睡魔。彼が戻って来たということは、もう深夜であるのか。普段なら夢の中だ。彼が僕のにおいで安心して寝られるように。僕も身体をつつむ、このにおいが安心感を与えるのだから。緊張していた神経が緩む感覚と共に。意識が深く沈んでいった。
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