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五章
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緩やかに時間だけが過ぎていく。その緩やかさは。僕達の心をいつだって置き去りにして。待ってくれなくて。泥だらけになりながらも必死でしがみつくのに、それでも追いつけやしない。いったい、どれだけ頑張ったら。一人前になれるのだろうか。
あれから。くっついたり、離れたり。急接近したり、手が届かないぐらい離れてしまったり。僕と、ガルシェは。そうやって距離感を探っては。お互いを傷つけあって。おっきくて、凄いなって。感じていた、いつだって勇気をくれた。立ち止まっている男の背を追い越し。そうして、手を引いて。僕に何ができるのかなって考え。
ただこの街は、僕をどうしても放っておかなくて。夕食の材料を買った帰り道。人通りも多いからと、あまり警戒していなかったわけではないけれど。他人から見た場合、格好の獲物にでも見えたのか。今は道の端に追いつめられて、見知らぬ男達に囲まれていた。どの人も、上背はあるけれど。痩せこけていたから、特に身分証とかはないが。フォード出身者なんだろうなって、かってに思った。その、僕を見つめる差別意識を隠しもしない。人を人として見ていない。気持ち悪い視線が共通していたから。フォードの人って言っても、子供とか若い子は僕を見てもそうでもないのだけれど。一対一でも逃げ切れる自信はあまりなく、それも複数人に詰め寄られたとなると。僕が何かして、彼らを怒らせて状況を悪化させるのだけは避けたいのだけれど。初対面から下劣な表情でこうも見下ろされているのだから。それも難しそうだった。ユートピアと呼ばれるこの街の住民は、わりと紳士的であったのだなと感じる。市長さんがそれだけ、優秀なのだろうか。教育の賜物か。人と交友関係を再び結ぼうとしているのだから。大事な事ではあるのだけれど。政治とか、内政的な部分は全くわからないが。意識改革はかなり大変だと思う。僕もつい最近、友達から頭が固いって言われたばかりであったのだし。
ここは穏便に、相手の目的を探る事から始めようか。こんな状況のくせに、わりと落ち着いているのは。それだけ嫌な事もそれなりに経験したからだろうか。友好的な人が多いこの街の人達でも、全員がそうであったわけではないのだから。
「何か、僕に用でしょうか?」
小馬鹿にしたようにならないよう、ちょっとわざと怯えた雰囲気を出すのは忘れない。正直に言うと、僕一人にこんなにも複数人で取り囲んで。暇なんだなって感想しかなかったし。こんな事してないで、働けばいいのにって。そう思っていた。痩せて、服装も汚らしいから。その伝手もない人達であるのだろうけれど。残念ながら同情心はなかった。
彼らが見つめる先。僕が抱えた食べ物が入った袋。それだけなら物取りなんだって、最悪これを取られて終わりかなって思えたのだけれど。少ないながらも、ちょっとねっとりとした不快な視線が混ざっていて。自身の股間を揉むようにして、興奮に息を荒らげている人が居たから。全員の思惑は一致していないようで。食欲と憂さ晴らしと、性欲といったところか。食べ物を買うお金も、自分で外へ取りに行く実力もないのだから。当然、裏通りで溜まった熱を晴らす事だってできやしないであろう。お金があったとしても、こうも薄汚い恰好の人を受け入れるお店があるのかは知った事ではないが。
僕が声を発すると、引き笑いのようなそれが薄ら薄ら聞こえて来て。僕は表面上はしなかったけれど、相手は露骨に小馬鹿にした態度で。ご丁寧に復唱してくれる。ちゃんと聞こえる耳はついているんだなって。そんな確認にはなったけれど、知能は低そうだ。この街では見なかった人種だった。人が増える程、それだけ多様性も広がるのだけれど。僕的にはいらなかったな。
この身には、過保護な銀狼が施したマーキングが今日も色濃く残っているのだけれど。それを意に介さないぐらい、相手も切羽詰まってるのか。その様子は腹を空かせた獣と、さして変わらなかった。交渉や取引に応じてくれるなら、人間の僕でも彼らに対してやりようはあったけれど。こういう場合、必要なのは最終的に抑止力。言ってしまえば暴力であろうか。それを振るう事も振るわれる事にも嫌悪し、そもそも持ち合わせていないのでは。助けがくるまで取り返しがつかない事にならないように、事態の引き延ばしに持ち込むしかなかった。
わりと、ガルシェやガカイドに対して暴力を振るってるって言われそうな気がしたが。あれはカウントしない。だいたいそういう時って彼らが悪いし。僕は悪くないと思う。
この集団のリーダーなのか、ボス的な役割をしてるのか。一人の一番体格の良いレプリカントの男が進み出てくる。その分ちょっと包囲網も狭まって、隙間が埋められた。足の間とかから抜け出す事も無理そうだ。
「人間のくせに、いいご身分だな。えぇ? 俺達がこんなにもお腹空かせてるってのによぉ」
どうやら、ガルシェがくれたマーキングというお守りも。相手に一定以上の教養がないと意味がないらしい。それか、自分達から漂う悪臭でご自慢の鼻が馬鹿になっているのに気づいていないかだ。ただこんな状況でも、少し感動していた。絵本とか、物語の中だけであって。こんな見本のような台詞を吐いてくれるものだなと。
彼らの中では、既に僕がどういった末路を辿るか。想像力だけは豊かなのか、舌なめずりしていた。獲物の前で舌なめずりは三流のやる事だって言ったのは誰であったか。ガルシェも、僕とえっちな事する時。わりとしていたなと思ったけれど、あれは動物的な癖みたいなものだろうか。この人達がするのと、彼がするのとでは抱く印象は全く違うから同列に語っていいものではないが。
そうやって、ボスが僕へと手を伸ばそうとした段階であっても。落ちついて壁を背にしてじっとしていた。彼らは気づいていないらしいが、バタバタと足音がしていて。そしてまだ距離があると思っていたけれど、無音で近づいている人が居たらしい。黒い影が一つ。集団を飛び越えて。空中で身体を捻りながら向きを変えると、そのまま重力落下で付属する速度と。自身の体重を使って、ボスの背中に降り立った。
「この街でかってな事は許さんぞっ」
影自身がまるで、ボスの足元から浮き出て押えつけたように彼らには見えたかもしれない。だって、その人は艶やかな黒い毛で覆われていて。うつ伏せで倒れた男の腕をそのまま、背に持っていき関節をきめて押えつけてしまっているのだから。イデデデなんて、情けない声が包囲の中央でして。彼らがたじろいだ一瞬の隙を使って、先行していた黒豹に追いついたであろう警備隊の人達が背後から一斉に掴みかかっていた。鎮圧される様子を暫く眺めていると、部下らしき人に彼らのリーダー各も引き渡すと。黒豹であり、知り合いである。レリーベさんが僕の方へ近寄って来る。さっと、屈んでくれて。その淀みない仕草に。ずっと先程まで悪漢を見上げてて首が痛かったので助かった。
「怪我はないか?」
「はい、レリーベさんがすぐに駆けつけてくれたので。特には」
話していると、黒豹の息が少しだけ上がっていて。それだけ急いで走って来てくれたのかなって。それでも足音がしないのはさすがだなって思って、彼の足を見てみると素足だった。そこにタイミングよく、別の人が拾って来たのか黒豹に靴を渡していた。なるほど、元々あまり足音を立てない人であったけれど。走るとなるとどうしても足音はその分大きくなるのに、こうして靴を脱いでしまえばその問題も解決するのか。素直に関心して呆けていると。僕の様子にレリーベさんは訝しんでいるようであった。
「襲われそうになったのに、わりと落ち着いているな」
「まあ、初めてではないので」
苦笑いしながら、そう答えると。相手は押し黙ってしまって、ちょっと気まずい。お礼だけ、助かりましたと先に言うと。それに対して黒豹はすまないと、そう返して来るのだから。別にレリーベさんのせいではなくて、逆に助けに来てくれた人なのになって。たぶん、責任感の強い人であるから。この街が大好きで、大切で、そこから来る罪悪感だろうか。僕からしたら、まだフォードの人は余所者で、この街の住人って感覚はなかったから。皆がより良くしようと、努力している姿を知っていて。その人達から何かされたようには感じていないのだけれど。どうやら黒豹目線でだと違ったらしい。人間からしたら、レプリカントなどどれも同じに見えてしまっても。しかたないと、そう思われているのかもしれなかったが。
謝罪を口にする彼に対して、これには大丈夫ですと。笑いかけるのだった。こうして、僕を大切に扱ってくれる人が居るのだから。だから、大丈夫だった。ちょっと今更、恐怖心が遅れてやってきても。そう言えたのだった。
家まで送ろうかと申し出てくれたけれど。彼らを連行しないといけないみたいだし、それは丁重に断った。あまり一緒に居るとにおいが移りそうだし、ガルシェに気取られてまた心配させてしまうって懸念があった。今の彼に、心の余裕はないであろうし。なるべく心配を掛けたくない。実際に何もなかったのだから。それでいい。
ただこうして、街の中を歩いているだけで。襲われるぐらい治安が悪くなってるのだなって。身をもって知った。きな臭くなっている。住民達の不満も、限界が近いのかもしれない。そういう別のタイムリミットも、迫っているのかもしれなかった。
銀狼の気持ちを待つだけすら、させてもらえないのかなって。ちょっと前まで。引っ越し先を探そうかななんて考えていたのに、もうこの街自体に人間が暮らすには。厳しくなっていくのかもって。そんな予感がしていた。たぶん、当たってる。自分達でいっぱいいっぱいなのだから、異種族なんて余計に目障りであろうし。本当に、ままならないな。
状況ばかり目まぐるしく変わって、着いて行くのにもやっとだった。情勢の変化は、不変ではないけれど。それにしても早すぎる。
周囲の状況を見ながら。このまま、どうするのかなって。ガルシェのお父さん。市長さんの顔を思い浮かべていた。何もしていないわけではないのを知っているけれど、取れる手が限られているのだなって。そもそも食料が手に入らないのだから、どうしようもない。そこに息子の件も重なって頭を悩ませているのだから。そこは、僕も一枚噛んでいるので申し訳ないのだけれど。そうやって、気苦労を増やす一員になってるのだから。仕事を手伝って助かってるとは言ってくれるけれど、実際のところ。市長さんもきっと、僕が来てからめんどくさい、余計な手間は増えているのだろうな。居るだけで迷惑になる事だってある。僕にそんな気はなくてもだ。
難しいな、いろいろと。思わず抱きかかえた袋に力が入れば、中の物が音を立てて。いけない、中身が潰れちゃう。ちょっと見た目が悪いぐらいで、あの銀狼は気にしないだろうけれど。一度、僕もまた喧嘩するような事があれば。野菜を生でお皿に乗せただけの夕食を出してみようか。わりと面白そう。そんな機会、二度と訪れない方が可能性は高いのだけれど。そんな他愛もない妄想ぐらい、いいよね。
雪とか見るのは楽しみなのに、その生き物にとって苦難の季節が。待ち遠しいのに、来るなって思う。都市部近くの森へ食べ物を取りに行くって言っても、冬になれば森であろうと取れる物なんて殆どないであろうし。白菜や大根といった野菜は、わりと冬が旬らしいけれど。玉葱は、ガルシェ毒になるそうだから食べられないし。ジャガイモとか、市場に並ぶ食材も季節毎に移ろって行く。わりと安定供給されているのは、例の六本足の蜥蜴モドキの肉だけれど。繁殖力が高く、飼育しやすいらしいし。だから彼らの主食に食い込んでいるんだなって、淡泊だけれど少々癖のある風味を思い出していた。実際に、袋の中にはその肉の切り身が入っている。ただ胴体部分のではなく、安い足の部分だけれど。元々物価は高かったのに、どんどん値が上がっていて。鶏肉や豚肉といった、他の肉類はおいそれとさらに手が出せない値段になりつつあった。訪れる行商人も減っているのだから。当然か。買い置きしておいたベーコンでも使おうかな。野菜ばかりだと、ガルシェ。食べた気がしないであろうし。しょんぼりと、お皿を見つめたままな姿は見ている分には可愛らしいのだけれど。台所を預かる身としてはあまりさせたくなかった。
後、並ぶ商品が変わったといえば。唐辛子が良く見かけるようになった。香辛料がわりと高めなのは以前からだけれど、それでも多く出回っているのか。これだけは買えそうで。元々この時期に需要が増えるから、行商人の人も多めに持ってきてるらしい。どこからか買い物する僕の姿を見ていたのか。商魂逞しく、たとえ僕が人間であろうと臆する事なく積極的に話しかけてくる。今日の夕食にどうだいって懐から小分けしたそれらを見せてくるのだから。ありがたいと他の人も一緒に買って行く姿はそれだけ、この地域は冬場冷える事を意味していたけれど。食文化は、その人々の生活がよく出ているとも言えた。暖房器具も、オイル缶の中に木屑やいらない紙を入れたのから。簡易的な暖炉まで、それぞれだ。僕が暮らしているプレハブ小屋は残念ながら換気とかそういう面で、キッチンスペースに換気扇が一個だけで。後は窓を全開にするしかないのだけれど。生きた毛皮の塊が毎回一緒に寝たがるので、寒さに震える事はなかった。夏場だと暑苦しそう。
食べ物を抱えたまま、家が見えてくればそれで人心地が付く。零れる部屋の灯りが既に家の主が帰宅している事を告げていて。珍しいなって。大概彼は僕よりも遅く帰宅するのだから、狼二人と一緒に仕事帰りにご飯を食べたりして遅くなる日以外は。基本は僕が先に帰っているのにだ。ガルシェの仕事は朝から晩まで、日が暮れてから帰って来るから。それだけ日帰りといえど、街の外をそれなりに遠くまで足を運んでは。今日の獲物を獲る人達の護衛をしているからで。チームで動いてるのだから、遅くなるのは常だった。その分外の仕事はリスクと比例して稼ぎは良いのだろうけれど。ただ僕は晩ご飯の支度をしながら心配して待つだけなのに。最近では仕事という名目で市長さんであり、親でもあるあの灰狼から言われるがまま婚約者と度々会っていたのだから。本当は、また今日もそれだったのだろうか。二人目の顔合わせに。また銀狼がお見合いする姿を思うと、苦しくなって。それで抱えた袋を潰しそうになる愚行は繰り返しはしなかったが。
扉を開けようとするよりも前、どうやら上り下りする際に音をよく立てる錆びた階段のせいか。それとも部屋の中からでも僕のにおいを嗅ぎ分けたのか。頭に浮かべていた銀狼の顔が、勢いよく中から出て来て。人を出迎える。どうしても何か伝えたい事でもあったのか、鬼気迫るものがあった。だからいつもみたいにソファーに座って待つでもなく、玄関までわざわざ立ち上がって扉を開けてくれたのだろうかと。落ちつきのない男の顔を見上げて。
「新しいお見合い、断ってきた」
返事のように、胸元の袋が音をさせる。ちょっとだけ、中身の形が悪くなってしまった。ああ、どうしよう。そうやって別の事に逃避したいのに、家の中へと招く彼の手に急かされて。僕の予想は半分は当たっていて、そして半分は間違っていたのだった。今日もお父さんに呼び出されたらしい彼は、どうやら二度目のお見合い相手。その人との日取りを決める前に、その段取りをする灰狼に面と向かって断ったらしい。市長さんの部屋で仕事をしている僕だけれど、その市長さんは別の場所によく出かけていて。どうやら二人が会って話をしている場所も学校の敷地内だとしても、違う部屋だったらしい。僕とガルシェを一緒の部屋でそのような話を聞かせたくないという、彼なりの配慮か。それとも、只単に僕に介入されたくないだけか。別に、目の前で親と子が未来のお嫁さんについて相談していても。口出しする気は一切ないのだが。でも確かに、何も言わなくても僕は悲しくなってしまうのだろうな。だからこうして、何もかも起こった後で知るのだけれど。
「それで、良かったの?」
僕から袋を受け取った銀狼は、代わりに冷蔵庫へと中身を入れてくれていて。屈んで手を動かし続けるその背に、立ち尽くしていた僕は。遅れて靴を脱ぎながらたまらず問いかけていた。彼の事が好きな僕としては、お見合いなんてして欲しくはないが。現実的に考えて、僕と居るよりももっと素敵な人が居るだろうとも考えてしまうし。お父さんの考えも聞いた上で、それで彼が本当に良かったのか。ただ気になった。
「もう少し待って欲しいって。ちゃんと親父に言って来た。今の俺じゃ、選べないって。また怒られたけど。親父、最後にはわかったって、言ってくれた」
胸の内から、じわじわと溢れ出す高揚感。それは、これまで停滞を望んで。自分の意思をちゃんと伝えようとしなかった。ガルシェの。小さな一歩だった。彼がお父さんから言われるがまま、幸せになれと。その示された道を嫌がりながらも、進んで来たのを知っている。でもそれ以外の道を選ぶのも、知るのも怖がって。資格を得たいと言いながら、あまり意欲的でなかったのも。でも僕が来た事で、彼は別にそういう意図でお仕事を頑張っていたわけじゃないのだろうけれど。遣り甲斐とか、そういったものを見つけて。それで、評価されて。やっと、資格を得られると知ったら。いざ、狼の雌と。妻を貰えるとわかったら。それが、僕との別れを意味していると悟って。立ち往生してしまったのだから。
だからこそ、きっと。他人からしたらそれだけかと言われるかもしれないけれど。これまで、ずっと彼の動向も、言動も見て来た僕だから。それがとても、彼の中で大きな一歩だとわかっているから。だから、どこか照れくさそうに。久しぶりに僕を見て、ニシシと笑う。大きな身体をしているくせに、彼のどこか子供っぽい笑顔を見て。こんなにも、喜んでいるのだから。ずっと、親子だというのにこれまで一度も。話し合いというものをしなかったのだから。そういった意味でも、これまで凍っていた関係が。溶けだしたように感じた。一歩前進かもしれない。
この街を覆う暗雲が。僕が暮らせるタイムリミットをひしひしと感じながら。僕が、それまでにどれだけ。彼らに。彼に、できるのかはわからないけれど。
「今日は、お酒飲んで良いよ」
ぴょこんと、狼の尾がご機嫌に跳ねる。巨体を冷蔵庫から退いてもらい、冷蔵庫の奥にあった中身がまだある酒瓶を手に取りそう言えば。本当かと、嬉しそうに喜ぶ大男。ただし飲み過ぎは厳禁だけれど、そういえば彼があまり最近飲んでいる姿を見ていないなって気もして。家主は彼であるのだから、冷蔵庫の中身も好きにしてもいい権利は当然持っているのに。台所を預かる僕の意思を尊重してか、かってに中を漁るような真似はしなかった。だから、僕からこうして許可を出すと嬉しそうに受け取った酒瓶に頬擦りするのだから。
ただ、どうして急に。そのような許可を出すのか、それは当然の疑問を抱いたらしい。銀狼は酒瓶から手を離す気はないのだろうか、僕から奪われるのを危惧してちょっと胸に隠しながら。理由を聞いて来る。別に取り上げやしないのに。それは、ただ。僕がお祝いにって、そんな事を言えば。余計に、狼の顔が不思議そうにしてしまうのだけれど。お祝いって、めでたい事でもあったかと。最近の事を振り返りながら。銀狼が唸る。僕としては、ガルシェがそうやって。一歩踏み出してくれたのが嬉しくて、それで祝いたくなっただけであるのだけれど。それを面と向かって言うのは恥ずかしいので。秘密ってそう言い切ると。それでもしつこく聞いて来る男の背を押しながら、晩ご飯の支度をするから向こう行ってよと。ソファーの方へ追い払う。巨体が傍に居ると料理の邪魔でもあったし。赤面しだした顔を見られたくないというのもあった。押すなよって、言う銀狼の声も。待ってる間におつまみを出すのもやぶさかではないと言えば、黙って飲む準備をするのだから。現金なものである。干し肉って酒のあてに良さそうだし。それでいいかなって。ルルシャも飲むかって、大事な酒をわけようとする提案は断った。僕、飲めないし。飲んだこともないけれど。予想だがあまり強くない気がする。
ただ一つ。気になる問題が残っていて。それは、彼のお父さんの方であったのだけれど。僕の職場は今ではそこで、毎日顔を見る事になるのだから。市長さん。怒っているだろうか。ガルシェが、そういう結論に至ったのに。応援するようにお願いされたけれど、僕はどちらかというと邪魔してるようで。
翌日。今日は外へ護衛の仕事だと言って出かけた銀狼を見送って、僕も学校へと出社した。時間は決められてるけれどタイムカードとかないし、数分遅刻しようがちゃんと理由を説明すれば怒られないわりとアバウトな職場である。僕だけじゃなく皆がそうで、種族柄というか土地柄そんな感じであった。だからと、遅れたりはせず。言われている出社時間よりも早く、学校へと僕は毎日行っているのだけれど。それでも、自分の部屋だからというのも関係があるのだろうが。毎朝きっちりとネクタイを締めて、スーツを着ている灰狼がおはようございますと出迎えてくれる。朝食を取っている時もあれば、早々仕事をしている時もあって。どうやら今日はそのどちらでもなく、ただ紅茶を飲んでいるだけで。
そういえば、虎の先生に呼び止められて。感謝までされる一場面もあって。市長さんが最近、前よりもちゃんとご飯を食べるようになったと。睡眠時間も改善されて、痩せる一方だった体重も。戻りつつあると。別に僕は灰狼に対して何かしたという事はなく、全部市長さんが自ら改善したに過ぎないので。お礼を言われてもあまりピンとこなかった。
だから、人から言われたからというのもあったから。改めて市長さんの身体を見れば、前よりも頬とか痩せこけていたのがふっくらしている気がした。ただ冬毛に変わってるだけかななんて。そう思っていたから、言われるまで気づかなかった変化だった。ガルシェも、もふもふ度合いが上がっているし。毎日見ているのに、わからないものだなと。灰狼を見つめいてると、紅茶を飲んでいたその人が。ちょいちょいと、人を手招きする。名前でも呼ぶなり、それか要件があるならそのまま言えばいいのに。なんであろうか。少々警戒しながらも、近づくと。紅茶が入ったティーカップを元あったであろうソーサーの上に置くと。手が届く距離になって、灰狼が。そのまま指先を頬へ。親指も触れて、そうして、人差し指とで摘まんだ。痛いです。
「私は、ガルシェの、婚姻を。応援しろとっ。そう、言った、筈っ。です、よね。どうして、息子が、自ら私に、断りにくるんですか!」
一字一句、区切り。ぐりぐりと頬を引っ張られながら、市長さんがそう言うのだけれど。いくら彼が鍛えていないとしても、人外の膂力というのはそれだけで脅威であって。ひらいれす。本当は痛いですって、言いたいのに。唇が上手く動かせない僕は、情けないそんな言葉を漏らしていた。ただ、僕に対して怒っているふうであったけれど。実際に頬だって引っ張られているし。だというのに、灰狼の口角はちょっと持ち上がっているのが不可解だった。
目尻に生理的な涙まで出て来たぐらい、持ち上げられた頬で自身の体重全てを受け持つというそんな瀬戸際。つま先立ちになった僕の身体は、突如放された手のせいで。その場に膝をついて、ジンジンする場所を両手で押さえ。それをした人を恨めしそうに見上げる。そうすれば、頬杖ついた狼の顔が見下ろしていて。この程度で溜飲が下がったというのか、やはりどこか楽しそうであった。
「初めてだったんですよ」
一呼吸置いて、灰狼がそう告げる。未だに引かぬ痛みに呻いてる人など、もう知らんぷりして。だから、僕の何がですかって。返答が、つっけんどんになってしまうのもしかたがないもので。僕の表情を見ていない狼の視線は、窓の外を見ているようであった。きっとそこには、訓練に勤しむ軍服を着た人達が居るのであろうが。その窓は透明度が低く、見通せないのに。
「息子が、私に面と向かって。何かを嫌だって言うのは。嫌そうな顔は散々されましたけれど。そもそも、実際に断られた事はないんですよ。ただそうしろと強く言えば、はいと返事するように。私がそう、しましたから」
あの子が、ねぇ。僕を再び見た灰狼の表情は、親のそれであった。普段は相手を皮肉った表情が多いのに。珍しい事もあるものだ。それだけ、ガルシェがした事が。彼にとっても例のない事であったのだろう。序列を重んじる彼らだからこそ、余計にその問題は際立っているのかもしれなかった。だとしたら、普通の人よりも。親で、この街の市長で、そして狼の本能で。ガルシェがこの人に逆らうのって、とっても勇気がいる行動だったんじゃないかなって。改めて思う。まったく、これまでの段取りが全部ぱーです。そう頭を振る灰狼。どうしてくれるんですかって、形だけ睨まれてしまう。
「ガルシェに、好きって。ちゃんと伝えました」
だから僕も。事後報告になってしまったが、親である彼にそう言っていた。そうすれば、睨むようだった目が。大きく開かれて、次いで自身の太腿をぱしんと叩くと。高笑いする市長さん。腹まで抱えだした。激怒するかと思われたけれど。この反応はいったい。こちらとしては結構大事な問題で、それなりに本人に言うのはかなり躊躇したし。銀狼の結婚を応援して欲しいとまで頼まれたこの人に、それを告げるのは。怖かったのだけれど。何も笑わなくてもいいのに。実際、実の親にこんな事を言うのはとても恥ずかしいのに。羞恥心が怒りへと変化していく。
「ぬけぬけと何を言いだすかと思えば。ハハッ、アハハッ。私を笑い殺す気ですか、貴方、ハ。ひひっ」
笑わないでくださいよって、肩を揺さぶるが。まるで取り合ってくれない。どうやらこの人のよくわからないツボに、またもや入ってしまったらしい。僕ってユーモアの天才であろうか。そんな事はない。ガカイドのように尻尾を引っ張って黙らせる手もあるが、さすがに上司相手には憚られるというものであろう。それでも、殴りたい気持ちが湧くのだから。それぐらい、いっそ清々しい程笑ってくれる。
「番にも聞かせてやりたかった。ああ、笑い過ぎてお腹が痛い。それを言って、私に殺されるとか思わないんですか。貴方は、まったく。時折正気を疑いたくなる。蛮勇なのもいいですが、もう少し考えて発言しないといつか痛い目を見ますよ」
それは、そうであろう。というより、もう見た。わりと。ただ黙っていられないのが性分なので、それはこれからも確約できない気がする。余計な事を言ってしまうし、それで自分すら傷ついてしまうどうしようもないのが。僕だった。昨日フォード出身者に囲まれた時、言葉を選んで刺激しないようにしたのも。頑張った方だった。心の中ではかなり馬鹿にしていたけれど。思った事をそのまま言っていたらレリーベさんが駆けつける前に、きっと袋叩きであったであろうな。巡回する人が増員されているのを知っているからこその、時間稼ぎだったのだが。自分では絶対に事態を収拾させられないし。他力本願という一番情けない手段だが、それ以外どうしようもなかったし。僕もガルシェみたいな身体だったなら、難癖付けてくる奴らをコテンパンにして。返り討ちにできたのだろうが。そんな身体つきの人間だったら、保護されるよりも留置所ルートだったろうか。ガルシェと出会った時に縄で拘束されて。
「それでも、怒らないんですね」
「怒っていますよ。貴方にも、そしてガルシェにも。せっかく中立派の人のご令嬢と番にさせて、私の派遣に取りこめたのに。それに、その子自身も器量がよく息子を任せても問題ない性格であると判断したのに。想い人が既に居るなら、最初からそう言ってください的なのをそれとなく言われましたし。最悪政敵になりうる口実を与えてしまった。これを怒らずして、どうするというのですか」
そう言うけれど、灰狼はお笑い番組でも見た時のように。また笑うのだった。僕の正気を疑う時があるっていうけれど、この人もわりとその正気は誰が保証するのだろうか。そんないらぬ心配をするぐらい。笑ってくれるのだった。怒られないのだから、僕としては良い事である筈なのだが。笑われている対象が僕も含まれていなければ。素直に思えるというのに。笑って済ませてくれているのだから、感謝するべきだろうか。
「今まであの子を見ても、こんな気持ちにはならなかった。ちゃんと私にどうしてか、理由を言えたのだから、成長を喜ぶべきか。それとも、逆らった事に叱るべきか。私のこれまでは、息子という存在から逃げ続けて来ましたけれど。ガルシェも、また、私から逃げていたのでしょうか」
物思いに耽る灰狼を置いて、僕はもう今日の仕事に取り掛かろうと。書類を広げたりして準備しては、自分専用になりつつあるパイプ椅子に座っていた。報告書をざっと目を通し、市長さんに優先して渡すべきものを仕分けしてる最中。昨日の一件が目に留まり、レリーベさんが書いたであろうそれを優先順位の低い方へと置く。僕が逡巡したのはほんの一瞬であった筈で。だというのに、目敏い市長さんは誤魔化せなかったのか。いつの間にこちらを見ていたのか、隣に立っていたその人が。ひょいと、一枚の紙を掴む。僕が、襲われた報告書を。
胸元のポッケに引っかけていたらしい、愛用の眼鏡を掛けて。ふむ。片手で顎を擦りながら読み進められてしまう。結局は遅いか早いかの違いでしかないのだが。今すぐ読まれて欲しくはなくて、せっかく分けたのに。
「……怪我は?」
「書いてある通り、彼らに大きな怪我はありません。取り押さえられた時に擦り剥いたりはしたかもしれませんが」
「私が聞いてるのは、貴方の方です」
キツい口調で言われてしまい、市長さんの方ではなく書類を見ていた僕は驚く。市民の起こした問題に関して聞かれているものと思っていたから、仕事モードに入っていた僕は。淡々と受け答えしてしまっていたのだけれど、どうやら灰狼はそうではなかったらしい。振り返った狼のマズルには皴が刻まれており、怒りを露わにしていて。これには、笑わないんだってそう思った。当事者であるのだけれど、まるで他人事のように。僕の反応があまりにも薄くて、やがて寄っていた皴も解けるけれど。見え辛いわけでもないのに、眉のそれだけはそのままであったのだった。市民権を持っていなくて、実際にこの街の住人だと胸を張って言えないのだから。僕の立場の危うさを自覚しているのだけれど。
「貴重な私の人材に手を出したこの者達は、今は留置所ですか。見せしめに首を吊るして表に飾ってしまおうか。在庫の縄は人数分あっただろうか」
ただ聞こえて来た不穏な言葉に、思わず僕は。その思考が描かれたまま現実になりうる前にと止めに入る。それをしてしまえる権力がある相手なのだと、思い出して焦ったのもあった。僕が慌てて立ち上がったさいに、床を擦った椅子がうるさい音をさせたから。市長さんは嫌そうにこちら側の耳を押さえていたけれど。
襲われたのは僕だけれど、彼らの存命を乞う。そこまでする必要はないと、実際に何もされていないし。ちょっと不快な気分にはなったが、それだけであった。あまりに、決断が早すぎる。
「私の街に、秩序を脅かす輩はいりません。保護してやった恩を仇で返すのなら、なおさら」
狼の手が。持っていた一枚の紙を、机にぶつけるようにして置く。ぱしっ、そんな軽く乾いた音がして。びくりと身を震わせる僕を見て、灰狼はとても冷たい瞳をしていた。このまま見過ごせば、本当にそんな血生臭い事が現実になりそうで。尚も食い下がる。それぐらい、僕は平和呆けしているとも言えた。この世界が、生易しく終わるようにできていない事を。罪を犯した者がどういった処罰を受けるか。てっきり、ただ檻の中で数日過ごすぐらいと。ただかってに思っていたのだから。自分の命ばかり、軽いと思っていたけれど。それは、彼らも。この人の前では同様で。僕がただ難癖付けられただけで、それで。ちょっかいをかけた人が死ぬなんて。僕が耐えられなかった。まるで僕のせいに感じてしまって。きっと、市長さんとしては自分の街で起こった事であるのだから。裏通りではなく表通りで起きた事件であるから、余計に重く受け止めているのもあったかもしれない。本当に、それだけ今まで治安が良かったから。スリとか、喧嘩とか、そんなもの見かけた事がなかった。それだけ、裏通りに汚い物を押し込めて必要悪として存在を許しているとも言えたが。
もしもここで僕が引いたら、あの取り囲んでいた人々全員が。とても重い罰を受けるのだと思うと、余計に身体を動かした。そんな簡単に誰かが死んで欲しくはなくて。それがたとえ、悪人であってもだ。今しかなかった。市長さんと直接話せて、そして襲われた当事者でもある僕が揃っている今しか。だから、冷ややかに見下ろす相手だろうと。これまでの親としての顔でも、上司としての顔でもなく、統治者としての顔をした相手に。それだけはやめてくださいと、そう乞うていた。きっと彼らも反省しているだろうって、空腹でイライラしているから。弱そうな人間である僕で憂さ晴らししたくなっただけだと。僕がレプリカントであったなら、あんな事件起きなかったであろうし。どうしてもこの街では異物であるから、目立ってしまう僕にも責任があるのであった。
「ああもう。わかりました、わかりましたから。その朝からうるさい口を閉じてください。まったく、どうして見ず知らずの相手にそうも必死になれるのですか。それも、貴方を襲おうとした相手を。被害者が加害者の減刑を望むなんて、聞いた事もありません」
ハエでも追い払うように、市長さんの手が振られる。僕から逃げるようにして、耳を押さえて自分の机へと向かう男に。本当かと、尚も言えば。いい加減にしろと怒鳴られてしまった。どうやら、市長さんの中で彼らが縛り首ルートは回避されたらしい。そう思うと、やっと安堵できた。というか、表に吊るすなんて。あまりにも殺伐としていないだろうか。街の人々は人間である僕を遠巻きにしながらもある程度受け入れていて。温和な人が多いと感じていたのに、罪人には途端に冷酷になれるのだな。とても末恐ろしいものだった。だとしたら、所長に連行されていた場合。僕も生きていなかったのだろうか。拷問が上手いと言っていたけれど。殺されていたかもしれない。それもうっかりの範疇でだ。あの時ガルシェがタイミングよく帰って来てくれて本当に良かった。
「やっぱり。街の人の鬱憤が溜まっているんでしょうか」
冷えてしまった残りの紅茶を啜る。市長さんに、それとなく街の現状について聞いてみる。食糧難に陥っているこの街で。どのような打開策が講じられるのか純粋な興味と、心配する気持ちと。人間である僕にわざわざ教える必要はないのだが。瞳を細めて、人に話すべきか、そうせざるべきか一考しているふうであった。ただ報告書には同じだけ目を通してしまっているのだから、だいたいの事は知っているのだけれど。この部屋以外での出来事。会議とかでされたそういった内容は知らないけれど。
「それも一つ、いえ、おおまかな要因であるとは言えますが。新しく入って来た連中が、街に馴染めないというのもあるのでしょうね。フォード以上に、ここは法律が厳しく。人間社会を踏襲していますから。その分、他の街よりも発展している自負はありますが。住む場所を移してすぐに、以前住んでいた暮らしを全部捨て去れる人はそれほど多くはありません。それは、立場もそうで。ここでは全てが最初からですから。彼らも、その括りの内の人達だったというだけですよ。貴方が気に病む必要もありません」
「……それでも。僕にも何か、できないでしょうか」
気に病むなと言われても、それではいそうですかとなれないのが僕だった。だから思わず出た言葉。お人好しで、お節介な性格がこんな所でも出てしまっていた。だというのに、市長さんは僕を見て鼻で笑ったのだった。
「貴方に? ここで働く以外に何ができると言うのですか、それをわざわざ私が言わないといけないほど。貴方は愚かであったのか、買い被りすぎましたかね」
ズキリと、胸が痛んだ。人情味に欠けたあんまりな言い方であったが、それでも。この人らしいといえば、らしかった。どこまでも正しく、公平に人間である僕を評価しているのであった。僕は、銀狼のように外で戦ったりも自分にとって一番怖い人にも立ち向かえたりもできやしない。サモエドの店長のように、自分から誰かを率いて人助けする行動力もない。どれだけ辛い事があっても挫けない裏通りで頑張り続ける、赤茶狼のようにも。自らの性別を憂いて何もしないだけで終わらない、そんな自分が嫌で飛び出した白狼のようにも。どこまでも中途半端で、無力で、それなのに誰かを心配する気持ちだけいっちょうまえな事を言う。灰狼が愚かと称するぐらいには。それが僕だったのだと、突きつけられる。何も解決していないのに、その場限りに。柴犬の子に無責任な事を言って、狐のおじさんに感謝される資格なんてない。黒豹にも、そして今、目の前にいる灰狼にも。迷惑をかけてばかりいるのに。それで、誰を助けられるというのだろうか。身に過ぎた気持ちばかり抱いては。ただ自滅するというのに。
「探索範囲を広げてはいますが、機械達が騒いだせいか。動物達が怯えて、例年よりも隠れるのが早い。それでも皆、努力しているんです。家族を食わせる為に。呑気に息子と痴話喧嘩している、貴方以上に」
「……もし、もしも。僕が都市部でまだ手を付けられていない物資とか持って帰れたら」
「どうやって行くのですか。道中で命を落とすのが関の山でしょうに。運よく辿り着けたとして、どうせ例の場所を想像しているのでしょうけれど。その場所に入れる保証すらない。入れたとして、食べ物がある確証もない。持ち帰る手立てもない。貴方には、動かせる人員も、道具も。そして自力もない。そんな事を考えている暇があるのなら、さっさとそこの席に戻り、せめて与えられた仕事を全うしなさい」
あまりにも取り付く島がない。そう感じるぐらいには、僕の幼い考えなんて真っ向から否定されて。ただただ、正論でもって。叩きのめされてしまっていた。僕とガルシェの事を痴話喧嘩と揶揄して、言われてしまって。皆が大変な時に何をやっているんだとも、そう聞こえた。実際に、自分達ばかりしか見えていないのだから。そう言われてしまうと、そうであると思って言い返せなくなってしまう。今までの僕であるのなら。それで挫けて、膝を折っていただろうか。そうですねと、俯いて。言い負かされて終わっていただろう。僕は誰にもなれない。ガルシェにも、ルオネにも、ガカイドにも。この街で出会った誰にも、なれやしない。どこまで行っても、僕は僕でしかなかった。だからこそ、僕にしかできない事があるとそう信じて。
これは交渉なんだと。まだ終わっていない。そう挫けかけた自分自身を奮い立たせる。大人数で取り囲まれた時、取引や交渉ではまだやりようがあると。そう自惚れた事を思ったのだから。何も力がなくても。それでも。そう言い続けたかった。立ち止まってしまっても、蹲りはしなかった。ガルシェの手を引いたのは、僕なのだから。僕が立ち止まっては、いけなかった。
「人員は、僕が、確保します」
「誰を? ガルシェは当然だめですよ。彼は私の息子以前に、貴重な戦力です。危険地域に送り出して、失うには、惜しい。貴方単身、それでも行くというのなら止めはしませんが。厄介払いにもなって丁度いい」
落ち着け。そう心の中で自分に必死に言い聞かせる。思考を止めては駄目だった。これまで得た情報を、知識を。総動員して、今持っているカードを。適切に切らないと、交渉にすらならない。余裕たっぷりに、こちらを見下ろして。椅子に座ったまま組んだ足を、組み替えてみせるこの街の市長さん相手に。僕程度の頭脳がどこまで通用するか。結局は馬鹿にされて終わるとしても。試さない理由がなかった。たった一つのジョーカーを、持っているのだから。それは、まだ誰の陣営にも所属していない、所属できなかった者で。限りなく、僕の手助けになってくれるかもしれない。そんな曖昧なものであったけれど。そして、この灰狼もまた、気にかけている相手で。
「ガカイドを、僕の護衛に雇います」
一度は考えた、護衛を雇って都市部へと向かう選択肢。ただそれは、誰を雇うか、そして金銭的な面でも実現不可能であった。だけれど、今の僕なら一人ぐらい雇う貯金があった。この学校で働いた、それが。引っ越し資金でもあった筈なのに。僕の提案に正気ですかと、市長さんが訝しんでいた。それは、そうであろう。人選としてはとても選ぶとは思わなかったであろうから、僕もできる事ならガルシェを頼りたかったけれど。それはできないのだった。彼はこの街に必要であり、そして期待された未来ある若者だ。こんなハイリスクな僕のわがままに付き合わす必要はなく。逆にガカイドは、失ってもいいのかとそう聞かれてしまうと悲しいけれど。それが街の下した評価であった。だけれど、その戦力は元エリートとして裏通りで眠ったままであり。表に出れないからこそ、もう忘れさられたかもしれないが。彼もまた、訓練兵の時にガルシェと肩を並べていた一人であるのだから。そして、この市長さんは。彼だけを生贄のように、息子を庇うようにして引き合いにだした事を憂いていたのだから。それを知っているのはこの街で、それぞれの視点で話を聞いた。僕という、人間。ただ一人であった。
「扉は、開く筈です。きっと機械達に僕は、大きく関わっているのでしょうから。それは、市長さんもよくご存じでしょう」
「何も覚えていないと、あえてあの時は見逃したのに。自分から言いますか」
「失っても惜しくはない人員。そして僕という存在。この二つがあれば、賭けてみる価値があるのではないでしょうか。どうせこのままでは、食糧難で立ちいかなくなる。せっかく受け入れた難民を追い出す前に、試してみるのはどうでしょうか。この冬を乗り越える事ができれば、難民もまた、来年の春から立ち上がる心の余力も湧くのでは。現状では、それも難しいと僕にも思えます」
「ガルシェには、相談したり。誰かに助言を貰ったのですか」
「いえ、ガルシェに言ったらまず間違いなく止めるでしょうから。言ってません」
ああもう。どうしてこうも厄介事ばかり持って来るのだと、市長さんが額に手を当てた。ただそこで書類と向き合っているままであれば、保護してやったのにと。それ以上の価値を、私に見せるのだと。この人にわざわざ言わなかったが、僕よりも賢い人であったから。既に考えているとも言えた。僕がこのまま、以前と同じように街で暮らし続けるのも限界であるのだと。フォードの街の人、全てを追い出すのは現実的ではない。どうにかして、皆が生き延びる道を探るだろう。一度受け入れた手前というのもあったが、この人がそう易々と誰かを見捨てるとも思えなかった。だからこそ、僕がこの街に居る内に。居られる内に、何かをしておきたかった。友達を助けたい。そして、ガルシェの居場所を。この街を守りたいと。
「……高い確率で、死にますよ。貴方。その者は、敵前逃亡しなかったといえど。何もできなかった、臆病者です」
「でも、もしも。成功したら。ガカイドの、あの烙印を帳消しとまでにはいかなくても。皆と同じ、スタートラインに。立つ機会を与える事にもなりませんか。市長さんは、そこを気にしてもいましたよね」
「愚かな人間のくせに、痛い所を突きますね」
鬱陶しいとばかりに、額に手を当てた指の隙間から。狼の鋭い視線がこちらに突き刺さる。それに怖気づく事もなく、一歩も引かずに。ただ惜しいのが、僕の手札はこれで全部で。その出した手札も、ガカイド本人にまるで相談もしていないのであったのだから。損失しても問題ない人員を送り、あわよくばを期待する。そんな部分に、この人の最終的には心に訴えかけるしかないのだから。交渉としてはあまりにお粗末であっただろうか。はったりと勢いと、最後は。だから、結論は当然。
「たりませんね。それで彼が貴方を連れて行く事はできるかもしれません。ただ持ち帰る手段がレプリカント一人と、ひ弱な人間が背負うだけで、この街の人達をどれだけ救えるというのか。たりません、あまりに浅はかで、お話しにもならない」
ああ、やっぱり。それはある意味、当然であったのだけれど。落胆に肩を落とす。僕程度の考えでどうにかなる程、事態は甘くなかったのだった。無能な働き者がどれだけ頑張っても、ただ場を引っ掻き回すだけで。言われた事すら満足にできないのに。他人を救おうなどと片腹痛いと。馬鹿にされて終わらなかっただけ、最後まで話を聞いてくれてただけ。マシと言えたけれど。僕が何かしたからと、大きく事態が変わるようなものでもなくて。どこまでも、ただ大きな流れに添って身を押し流されるがままで。そうあるべきで、あるしかないのだと思い知らされる。だから、ただし。そう続ける市長さんの言葉を聞き洩らしそうになっていた。自身の額を手で覆うのを止め、その手が机の上に置かれて。僕を真っすぐ見つめるのも。
「今のままでは貴方の考えなど到底、実現不可能でしょう。だから、私からもう一人。レリーベを出しましょう。そして、移動と運搬手段も。徒歩で運べる量などたかがしれいてるのだから」
自分で提案しておきながら、前向きに検討されて。打開案まで示され、そして市長さん自ら手配してくれるなど夢にも思わなかったのだから。だから、何を呆けているのですかと。また頬を摘ままれてしまっても、夢ではないのかと思った。そうではないと、痛みが否定していたけれど。それすら現実か、疑ってしまう。
ましてやレリーベさんなんて、市長さんにとってきっと失ってよい手駒ではなくて。この博打に動員されるには、当てはまらないというのに。
「痕跡を見つけたのはレリーベです。隠密偵察、威力偵察任務どちらにも長けており、そしてあそこの地理にも明るい。辿り着く確率はぐっと上がる。貴方たちが死ぬ事態に陥ろうとも。見捨てて一人で帰ってこられるだけの判断も下せる。それだけです」
「市長さん!」
感激して、頬を抓られながら。そう呼ぶと、嫌そうにそっぽを向かれてしまう。あまり近づくな、ガルシェ臭いと。そこまで言われてしまえば、浮ついてしまった心も少し落ち着いたけれど。それでも、まさか。僕の言葉でここまで動いてくれるなんて思ってもみなかったから。二人して荷馬車でも押して往復して。一回目で二人して死ぬか、数回目で死ぬか。それとも辿り着く前に、それとも辿り着いても何もなくて。
「その前に、肝心なガカイドの説得という課題が残っていますよ。いつ扉を開けてあの腰抜けが登場するのか、少々期待していたのに。それがないとなると。どうせ貴方の事ですから、本人にもまだ。話を通していないのでしょう。まったく、普通は事前に根回しをしておくものです。こういうのは。それが果たされない限り、このお話しもした意味すらない。わかっています? そこのところ」
ガカイドに言っていないのも、やっぱりお見通しであった。それでも、それでもだ。ありがとうと、頬を抓るのを止めた市長さんの手を握る。これで僕が命を落とす可能性があったとしても。もしも、本当にもしも、それだけこの人の信頼を勝ち得たのだとしたら。これまでした事が無駄ではなかったと、そう思えるのなら。この街に漸く、僕が役に立てるのなら。そう思うと、どうしても抑えきれなかった。
僕にとってはハイリスクハイリターン。市長さんにとってはノーリスクハイリターンな話であって欲しかったのに。そこまでされて何もありませんでしたならまだいい方で、レリーベさんも用意されるであろう運搬手段すら失ってしまっては。もしかしなくても、彼の立場が危ぶまれてしまいかねないのではって。そんな懸念もあったのに。
「子供は子供らしく、愚かなまま勘ぐらず大人の好意に素直に喜んでいなさい。本当に、手のかかる。まったく、本当に……。もしも全てが成功すれば、烙印は消せるでしょうね。番を得る権利は、また別ですが。それは保証します」
そこまで子供ではないのだけれど。自分の実年齢も覚えていないし、彼らからしたら小さい背丈の人間など。そう見えてもしかたがないのかもしれなかったが。額を軽く人差し指で押されながら、ちょっと爪が当たって痛いけれど。その見せた優しさに、甘えていいんだと。そう言われているようで。実際にそう言っているのであろうし。
赤茶狼の事を。腰抜けとそう言う市長さんを見返してたやりたいと、僕はそう思った。だって本当に腰抜けなら、あの時。僕を庇って先に逃したりしない。尾が内股に隠れようとしていても、虚勢を張りファイティングポーズなど取りはしないであろう。ガルシェが。信頼してそれで死んだら。自分の見る目がなかったと、そう思うさって。僕に、言ったのだから。信じてくれて、今があるのなら。誰かの次に繋がるのなら、今度は僕が信じるばんだった。賭け金は自分の命一つ。オッズとしては安いかもしれないけれど。それでガカイドが賭けに乗るかもまだわからない。ただ、テーブルに市長さんを着かせる事には成功したのだから。
仕事をつつがなく終えて、帰り道をそのまま裏通りへと足を向ける。こうして、ちゃんと訪れるのは随分と昔に感じられて。二度だけ、この薄暗い路地を通ったのだった。そうして、ちょっと開けた道に出れば。ピンク色とか目にきついと感じるネオンサインの灯りが、切れかかっているのか明滅していて。以前の記憶と照らし合わせると、とても寂れていた。人通りが多いところではないが、それでもそれなりにガラの悪い人が歩いてたり、たむろしていたのに。道の端で身体を捨て値で売る人も見かけなかった。どこへ行ったのだろうか。皆引きこもってしまったのだろうか。
それでも、その手のお店の幾つかからは、苦しそうなうめき声や艷やかな喘ぎ声がそれとなく響いてくるのだから。思わず耳を塞ぎたくなる。このような場所で、そんな事をすれば逆に目立ってしまうのだろうが。だから聞こえてくるそんなのが、全ての店が閉まっているわけではないと伝えていた。客引きだろうか、一人だけ露出の多い服を着た動物の顔をした。男性、であろうか。胸が平たいし、声を聞かなければ細身の身体は人間からするとちょっと見分けがつかない。ああ、でも。やけにぴっちりしたズボンのせいで、何かを押し込んだかのように膨らんでいる股間部分を見れば。一目瞭然か。わざわざそこを見ないとわからないというのが、悪い気もしたが。ペットの片足を持ち上げたり、後ろから尻尾を持ち上げるような事は決して試みないので許してもらいたい。
娼婦よりも、男娼の方が妊娠の心配もなく価格も手頃で一般的らしいから。そうやって実際に立っている人が居て、目が合うとちょっと気まずい。日当たりも悪く湿気が多いからか、カビ臭いし。あまり嗅いでいたいとは思わないのも。いろいろと混ざるこちら側に長居はしたくないものだった。でも、用がある相手はこの区に住んでるのだから。行かないと何も始まらないから、しょうがないといえるのだけれど。じっとこちらを見てくる相手の前を素通りしようとする。目立たないように気をつけても、容姿が人間であるのだから異種族というだけで。必要以上に目立つのだが。
僕になんて声を掛ける物好きなんていやしない、だから大丈夫。そんな根拠のない気持ちで、もう一度目が合うのは避けたくて。わざとお店の方とは逆側を意味もなく見つめていたのに。
「ねぇ、お兄さんっ」
声の高い、少年っぽさを残した。まだ声変わりの途中だろうか、そんな印象を受けるもの。やっぱり男の人だったんだって、先程の自分の考察が間違いでなかったと安堵しながらも、声を掛けられて振り返りたくない僕は。いそいそと早足になろうとする。ただその相手が見逃してくれるかは別で。再度呼びかけられても無視しようとしたのに、こちらを追い抜いて。目の前を通せんぼするかのように立ち塞がる相手。こうして、すぐ近くでよくよく見て取れた容姿は。灰色の毛に、虎柄とはちょっと違う黒い縞模様がある。顔つきは猫科のそれで、アメリカンショートヘアー呼ばれるものに酷似していた。目に入る顔つきの幼さと、それなのにどこか色っぽい仕草がアンバランスに感じてしまって。背丈があまり変わらないのは最後に気づいた。どこかで会った気がするけれど、思い出せない。住宅区の、広場に居た子の中に。居た気がするけれど。柴犬のシュリくん以外、あまり印象に残っておらず。皆動物の顔をしているなぐらいで。
「ね、こんなところうろついてるんならさ。俺達のソウイウ事に興味あるんだろ。お兄さん見るからに初めてっぽいし。良かったらうちの店で童貞でも、処女でも、それとも両方かな。俺で捨ててかない? 両方なら別料金だけど。初めてだからサービスするよ」
こちらの返答なんて待つ必要もないとばかりに、僕が勢いに押されてるのを悟ると。動物の顔をした男が、矢継ぎ早にそう捲し立ててくる。
ずいって遠慮なく、相手の鼻先が首筋に埋まり。深呼吸しては。こちらをその気にさせようとしているのか、いつの間にか僕のお尻に這わされる手付きは。どこか、いやらしい。
「お兄さん、とっても強い雄のマーキングされてるけど。その感じだと、実は満足できてないか、あまりに奥手で手を出されなくて欲求不満なんだろ? じゃなきゃこんなところ今時来ないよね。ね、良いでしょ。来るお客さん減ってて。俺、ノルマ達成できてないからまた飯抜かれちまう。助けると思ってさ」
本職の人って。においでそこまでわかるのって、あからさまに狼狽えてしまう。ただ僕の反応を見ては、誘導尋問のように仕草とかで正解かどうか探っては。どっちとも取れる事を言っているだけなのだと。冷静になりつつある頭が、そう状況を俯瞰して。明るく振る舞っているけれどしたたかな、その瞳は。声の幼さに反して、とても大人びていた。冷静にそう気づけたのも、遠慮なく這い回るこの子の手が。情欲を煽られるでもなく、正直気持ち悪いなって感じていたからだ。僕、別に男なら誰でも良いわけではないし。現状友達以上恋人未満のガルシェ相手に。男の僕が使い方があってるのかは定かではないけれど、操を立てているつもりもないのだが。それでも、彼以外と。この子が言う、ソウイウ事をする気にはならなかった。ファーストキス、銀狼ではなく黒豹に奪われたし。薬を飲ます為の人口呼吸とかの括りだからノーカウントにしてもいい気はしたのだが。後、勢いでそのまま連れ込むつもりだったのか。手を引いても、僕が歩きだそうとしないし。特にこれといって反応がなくなったからか。どうやら自分の色仕掛も、話術も、効いていないと感じたらしく。ここで、大人びて見えた顔に焦りの色が浮かんだ。実際はただガルシェの事を、考えていただけなのだけれど。
ご飯もまともに食べられていないらしいし、僕はちょろそうな金蔓にでも見えていたのだろうな。彼からすると、見た目的に歳が近いから簡単に丸め込めるとも思っていたのかもしれない。
「大丈夫だよ、緊張するのは誰だって最初だけさ。それに、俺、まだ背は小さいけどコレはそれなりにデカい自信があるし。絶対お兄さんがまた来たくなるような、蕩けるほどの甘い一夜提供するからさ。なんなら番のフリだって――ッ」
なんだか急に、しまったって顔して。どこか怯えた雰囲気を目の前の子はさせていた。なぜだろうか。別に僕、何も言ってないのに。コレって言いながら自身の股間を揉んで、視線を誘導したり。甘い一夜って単語の時、抱きつくようにして。耳元で囁くように誘うのも、なんだか必死だなって。僕が絶対この子の手を取るわけもないから。ちょっと同情心と、呆れが半々になったぐらいで。そうだ。恋人のフリって、この子がそう口にした瞬間。ちょっとイラッとしたのだった。ガルシェに、お見合い相手がいる状態でそんな真似をさせられたのを。もう別に怒ってはいないけれど、根には持っているのだから。それを突如として思い出させられた。それでか。そう納得する。
だから、相手が鼻をしきりに動かして。無表情な僕の体臭を嗅ぐ仕草をする度に、怯えが増しているのが。でも、その様子は年相応に思えて。この時に初めて、目の前の子が可愛いかもって感情が少しだけ湧いた。性的には当然見られないけれど。
動物は第六感が優れていて、それは危険を感じていち早く逃げる為であるのだけれど。どうやら目の前の子もまた、意図せず僕の地雷を踏み抜いたのを勘づいたらしい。ただ、それで引き下がる気はないのか。まだ手を離そうとはしておらず、お店へとどうにか誘導しようとしているみたいであった。ベッドに入ってしまえばこっちのものってやつだろうか。嫌な相手でも対応するようで、プロ意識が高い。
行きたくないので、断るのだけれど。僕自身が彼にとってのお給料みたいなものであろうから。逃がす気はないらしい。腰が引けているのに。レプリカントの人に怖がられた事ってあんまりないから、ちょっとだけ面白いけれど。こうやって遊んでもいられない。本来の目的を忘れてはいないのだから。二人して、道のど真ん中で押し問答していると。足音が近づいていて。ついに増援かなと。お店のオーナーか彼の同僚の登場で、形勢は向こうに傾くのかなって警戒した。後ろから肩を叩かれる。視界の端に大きくて無骨な男性の手。赤茶色の毛を纏っていて、爪が削れて少しギザギザしていた。
「悪いな、こいつは俺様と待ち合わせしてんだ。お前はお呼びじゃねーよ」
「なっ、お前! ガカイドっ。営業妨害だぞ」
「さんを付けろ、さんを。年上を少しは敬え」
僕を挟んで、目の前の男の子と。後ろに居る男性が言い合いを始めてしまって。できれば、それをするのならどうぞ僕が退いた後でして欲しいのだけれど。会話の内容から、どうやら援軍の正体は僕側であったらしい。喉を逸らして、空を見るように見上げると。後頭部に男の胸板が当たって。意地悪に笑う、狼の顔が目に入った。家に行くつもりだったのに。向こうが先に僕を見つけたらしい。仕事帰りなのであろう。今日は、上衣と下衣が一体型の作業着。所謂ツナギと呼ばれる服を着ていた。僅かに、汗臭い。汗を掻かないレプリカントなのにこれであるのだから、今日は重労働だったのであろうか。
「あんまりうるさいと、俺様がお前を買ってやろうか? そのご自慢のテクとやら、是非教えてくれよ」
「い、いやだ! 皆、お前とヤると滅茶苦茶ねちっこくて腹上死するとか、ガカイド菌が移るとか言うんだぞ。俺はまだ死にたくないっ」
「おい、なんだその噂。さすがに俺様も怒るぞ。後言ってた奴の名前、全員教えろ」
あんなにしつこかった客引きの男の子が散々に喚いて、赤茶狼の怒りゲージを上昇させるだけさせたら。それで店の中に逃げていった。背後で、あんにゃろぉって。ドスの利いた声がする。裏通りを歩くのに、この男は虫除けとして丁度いいかもしれないなって。そんな失礼な事を思った。
背後から、肩を掴まれたままであったから。振り向く事ができない。いい加減離してくれないものだろうか。助けてくれたのだろうけれど。それにしてはいやにタイミングが良いなって。後、まるで一部始終聞いていたかのようなその語り口調に違和感があった。
「助けてくれたのはお礼を言うべきなんだろうけれど。……いつから見てたの」
「お、さすがルルシャさん。初めてだからサービスするよってところからかな」
ほぼほぼ全部じゃないか。どうやら、仕事の帰り道。声が聞こえて。娯楽に飢えた狼は野次馬根性で聞き耳を立てていたようであったのだった。それで両方とも聞き覚えのある声で、それも。片方はこの場所に来るような用事もない奴だったから。面白いものが見れると。物陰からずっと覗いていたらしい。ただ、僕が怒ったにおいを漂わせた段階で。慌てて出て来たとか。
悪人ではないが、すぐ面白さを優先する悪癖があるのが玉に瑕であろうか。思わず溜息を吐いてしまう。真面目な心持で、ここへとやって来たのに。なんだか馬鹿らしくなってしまった。それで余分な肩の力が抜けたとも、前向きに捉えられたが。
「んで、俺様に何か用か? 本当に、欲を発散しに来たんじゃないんだろ。ルルシャ」
「うん。ガカイドに相談と、お願いがあって」
「あー、ガルシェの事か。またあいつなんかお前にやらかしたのか? もういい加減見捨てて、俺様で妥協しない? ちょうどそこに素材の良いベッドが置いてある店あるし」
なんかかってに話しが飛躍し始めた。肩に置かれた手が、ぐにぐにと揉むように動く。別に肩こりが酷いわけではなかったけれど、事務仕事と家事をこなすこの身は。思った以上にそのマッサージにうっとりとしてしまう。あ、気持ちいい。こんどガルシェにも頼もうかな。頼られると嬉しそうにするし。手加減しているであろうガカイドでちょっと、まだ力が強いなって思うぐらいだから。彼にはもっと手加減してもらう必要があったが。鎖骨がなくなってしまいかねない。
身体を解されながら、気づいたらそういう事をする専用みたいな。俗に言うラブホテルっぽい入口まで運ばれていて、急いで足を踏ん張りブレーキを掛ける。危ない。大人のマッサージはいらない。抵抗を始めた人間に対し、少し残念そうな顔をするも。次の瞬間には冗談だと。ガカイドがケラケラと笑う。あまり、ふざけられると疲れるから止めて欲しいのだが。そんな事をしに来たわけじゃないのに。
改めて向き合った彼に、銀狼は関係ないよ。そう伝えた途端。揶揄うようであった雰囲気が四散して、ガカイドが真面目な顔に変わる。
「ガルシェじゃないとしたら。本当に、俺様が目的か」
飄々としているけれど、やはり頭の回転は速いらしい。僕がこんなところまで来て、ガルシェの事ではないとしたら。つまるところ、それ以外にないとも言えたが。立ち話もなんだしと、そのまま着いて来いよって。肩から手が離れて、道を先導するガカイド。そう歩かなくても見えて来たのは物置小屋みたいな、一件の小さな家。割れた窓をガムテープで補強していた。とてもくたびれた印象を与える。隙間風が酷そうな、そんな彼の家。家、と言っていいのか。本当に住むのに必要最低限のそれだった。何もないけど上がれよって、家主に促されて。靴を脱いで、床を踏みしめると。ギィって軋んだ。その内、床が抜けそうだった。家自体は三坪ぐらいしかないのかな。ちょっと長方形で。玄関から入ったらそれで終わり。奥に敷布団が敷かれていて、部屋の隅にタライとか食器とかが邪魔にならないように重ねて置かれていた。天井を見上げれば、両壁からロープを幾つも垂らし。肉や仕事着を干している。派手な柄のパンツも。生地はどうやら乾いているみたい。畳むと場所を取るので干したままらしい。
「あー、しまった。何も出せる物がないな。わりぃ。ちゃんとした来客なんて初めてだから。お前が来るとわかってたら茶請けぐらい買ったんだが。後、座布団とかそういうのもないぞ。床冷たいし、布団か。それとも俺様の膝上に座るか?」
ガカイドなりに持て成そうとしてくれてるらしい。僕が座る場所を息を吹きかけて埃を飛ばしたり、何かないかと小さな棚を漁ったり。改めて僕が家にやってきたと思うと、なんか意識しているのか。鼻の頭を指先で掻いたり。目を合わせたと思ったらすぐ逸らされて落ち着きがない。自分も座って。床の冷たさにびっくりしたらしい。布団か、赤茶狼の膝という二択を迫られたけれど。普通にガカイドの対面に座る。ぽんぽんと、期待に満ちた目をして膝を叩いていたけれど。絶対に座らない。変色した、元は白かったと思われる黄ばんだ万年床らしきそれも。汗臭い男の生温かい膝も。
「……その、お構いなく」
そう言うのでせいいっぱいだった。時折見せる、この男の僕に対する露骨に示される好意に心当たりがなさ過ぎて。ちょっと戸惑う。それに、気を許すとすぐ悪戯してくるし。いろいろと助けられたのは僕の方であったから、僕が彼の事を友達として好いているのは事実であるが。いつも言っている事が冗談なのか本気なのか、掴みどころがないのもあって。胡散臭いというのが僕の彼に対する印象だった。お互いに正座して、向き合うと。足をもじもじとさせて。尻尾が緊張にか床の上を擦り、せっかく飛ばした埃をくっつけていた。僕はただ、落ち着いてどう本題を切り出したものかと。男の様子を見ながら、タイミングを計っているだけなのだが。プレイボーイを装っているわりに、僕と二人っきりになった途端。どうしてそんな初心な反応をするのだろうか。
「ガカイド」
「お、おうっ! 家事は全部やるぞ!」
名を呼べば、急にそう叫ばれた。話の繋がりがなく驚いた顔をすれば。己が思わず口走った内容を顧みて、あわあわと手を右往左往させる変な男の姿。首を傾げて、僕が彼を訪ねた理由。それをもしかして勘違いされているのではと。そういえば、事ある毎に。一緒に住むどうこう言っていた気がする。全部冗談だと聞き流していたけれど。ガルシェの家を追い出されて、頼るところがなければそれも手かな。なんて、考えもしたが。その時に自分が、その選択を選ぶとは思えなくて。あまり迷惑をかけたくないというのもあったし。
どうやら、僕がこの家に居候させて欲しいと。頼みに来たと思っているらしい。それなら、この男の反応も合点がいく。頼み事はそうなのだが。そんなに軽くないし、もっと彼が考えている以上に重要なのだが。
「違うよ」
タイミングを見たかったが、このままでは埒が明かないので。いきなり本題に入らしてもらう。相手がちゃんと聞いているのか、聞いていないのかは置いておいてだ。だから。僕が都市部へと行きたい事。そしてその護衛にガカイドを指名したい事。今日はそのお願いにやって来たと、そう告げる。僕が言葉を紡げば紡ぐほど。先程までの浮足立つ狼は消えて。それはだんだんと、表情を険しく。人を歓迎していた赤茶狼の態度は、みるみる変わって。
「出てけっ!」
空気を震わせるようにして、怒鳴られてしまった。興奮に息を荒げ、正座していたのに。片膝をついて、姿勢を低くしたそれは。今にもこちらに飛び掛かる前段階にも思えた。
「ガカイド、話しを」
話を聞いて欲しくて、こちらは努めて冷静に。彼の名をもう一度呼ぶ。それに対しては狼の唸り声を返されてしまったけれど。鋭い牙を剥き出しにして。裏通りで林檎を差し出した、彼の神経を逆撫でてしまったあの時でも。ここまでの怒りを発露しなかったのに。
「てめぇ、ふっざけんなよっ! もう一度言ってみろよ。その瞬間、咬み殺すぞ」
まるで四つ足の獣のように、狭い室内で。僕の前を右へ、左へ、低い姿勢のまま移動しては。こちらの喉仏を見つめてくる。刺すような殺気に、つい首筋を触りたくなったが。微動だにしない。今動いたら、たぶん刺激して。本当に咬み殺される恐れがあった。それぐらい、今の彼の瞳は。血走っていて。とても恐ろしかった。腰の上でゆらりと揺らぐ、赤茶色をした尾が。まるで彼の激情を表すようで。埃で所々汚れ、どす黒い炎のように錯覚する。ここまで彼が激昂するのは想定外だった。僕の見通しが甘いとも言えたが。まだ、僕の言葉なら聞いてくれると。どこかで自惚れていたのだろうか。相手の好意を過信した結果か。それで、今。死にそうな場面に直面しているのだから。とんだお笑い種だ。もし本当に咬み殺されたらそのまま灰狼は嘲ってくれるだろうか。銀狼はただ悲しむのだろうか。ここで終わる気は毛頭ないが。それも目と鼻の先に。僕の死が顕現しているのだから。笑い話にもならない。いつ、その牙が突き立てられて。頸動脈を裂かれるか。それは次の瞬間か。まだ数秒猶予があるのか。過呼吸みたいに、ひゅー、ひゅーって。ガカイドが口呼吸する。口の端から涎が垂れて、床をぽたぽたと唾液で汚していた。頭に血が上り過ぎて、意識が酩酊しているのか。身体がふらついていた。視界が狭まり。恐らく、もう僕の喉しか見えていないのかもしれない。獲物の、喉しか。これと比べてしまうと。市長さんの交渉はとても、生易しかったのだなと思う。あの人は厳しいけれど。感情のまま、何かをする前に。一歩冷静に立ち返る人であるからというのもあるのであろうが。わりと怒らせる事を言った自覚もあるが。だが、彼は違う。ガカイドは。今。僕に触れられたくない心の部分に。土足で踏み入られて、怒っているのだから。
彼が一番気にしている部分。触れられたくない部分。俺様と、自分でそう言って。強くあろうとするが故に。過去を掘り返されるのを嫌う。一番弱かった自分の、その時を。
「わかっているのかよ。俺様は、何もできなかったんだ。何もっ! 仲間が、友が、目の前で殺されてるのに。銃の引き金すら引けなかったんだ。そんな腰抜けに、何を依頼するって。もう一度言ってみろよ、なぁ、ルルシャ!」
「君は、腰抜けなんかじゃないよ」
「まだ言うかっ――」
急にガカイドの顔が近いなって感じて、そして上下に綺麗に並んだ歯と。その間にある舌と。真ん中にある暗く食道へと続く穴。それを見届けたら。間延びした意識の中。ああ、大口を開けて飛び掛かってるんだと遅れて気づいたのだった。天井が見えた。続いて後頭部と背中に痛み。そして胸の上の重さ。狼の頭が僕の首にあって。牙が食い込んでいた。それを確認できるのだから、まだ生きてるんだって。安堵した。それでもゴリって、牙が強く当たり。首の筋や血管の近くを圧迫する。少し力を入れて、そのまま彼が後ろに頭を引けば。剃刀のように、牙が僕の頸動脈を切断するのだろうか。相手に命を握られた状況に思わず悲鳴上げそうであった。危険な状況に陥ろうともだいたいは誰かが助けてくれる事が多かったのに。今の僕には時間稼ぎもする意味はなく、誰も助けに都合よく現れたりしないであろう。この時間、ガルシェはまだ街の外だ。ここに来る事も言っていない。保険に銀狼を連れてくれば良かったと遅まきながら思う。ただ一対一でないと、話が拗れる可能性があり。避けたいのも事実だった。僕が街の外に出るの、ガルシェは絶対怒るだろうし。孤立無援なのだから、自分でどうにかして打開するしかない。のだが。そも、首が圧迫されていて声も出ないのだから。どうしよう。後は彼の意思一つで、終わる。終わってしまう。始まろうとしたものが、始まる前に。
食い込む歯が薄い柔肌を貫通し始めたのを感じる。ぷつりと、とても呆気なく。それで唸り続けていた、怒りに染まっていた筈の一匹の狼が、ハッとしたように。目を見開くのがよく見えた。食い込んでいた牙が外されると、唾液に血液が混じった糸が繋がっていたけれど。長い舌が自身の汚れた唇と一緒に綺麗に舐めとり、ガカイドの瞳孔が大きくなる。
「……ハハッ、マジで美味えじゃん」
僅かに血に染まった相手の口元。陥没した穴から滲み出るように垂れているのか、出血量はそこまででもないが。じくじくと傷んだ。そのまだ凝固していない真紅の色を舐め取り、味の感想を信じられないとばかりに零しているガカイド。そうして僕も、そんな彼を見上げながら内心動揺して。そして、自分の心のつっかえが一つ。消えて楽になるように感じた。
良かった、まだ。生きてた。自分の生を。生物として皆。赤い血が流れているのだから、傷つけばそれが漏れ出すのは当然で。当然だからこそ。
「何、笑ってるんだよ。気持ちわりぃ……。状況わかってんのかよ」
嗚呼、そうか。僕は今笑ってるのか。死にかけてとても怖い思いをしたのに。それでも、咄嗟のところで踏みとどまってくれた相手の言葉で。自分の事なのに気づかないなんて。こうやって押し倒すようにして、彼が伸し掛かってくるのは三度目であった。一度目も二度目も、ただのおふざけの範疇であった違いはあれど。最初にされたのは咬む真似であって、今されたのは本当に喰い殺す意思が牙に宿っていたのにだ。生きている。
「市長さんに、成功したら烙印を消してくれるようにお願いしたよ」
「嘘だっ、そう簡単に消えるもんじゃねぇ。だってこれは、俺様の……」
喋る度に痛みが追従するが、構わず告げると。罪の証であると。眼前の男が悲痛に叫ぶ。ずっとここに縛り付けられた、裏通りでしか生きられなかった。生きる事を許されなかった相手の。これまでが、否定していた。僕の言葉を。だから狼の鼻がひくりと動くのを見て。心を落ち着けながら服をたくし上げて地肌を無防備に晒す。彼らにはこれが一番伝わるだろうから。それが肉食動物が、まず食べ始める柔らかいお腹だとわかっていながら。
「嘘、ついてるにおい。する?」
ぴとりと、湿った鼻が吸い付くようで。続いて空気が流れる動きで擽ったさを感じた。脇腹や、臍、胸。そうやって嘘だ、嘘だと言いながら。なんども嗅がれる。
「お、俺様は。臆病者って呼ばれて、馬鹿にされてるんだぞ」
「それは過去の話で、聞いただけでしか知らないけれど。僕が実際に見てきたのは。怖い相手にも助けようと庇ってくれた君だよ」
嗅ぐのを終ぞ止めてしまった相手は。僕のたくし上げた服を握りしめて。顔をお腹に埋める。そうされると表情が見えないし、彼が喋ると口元の毛が擽ってきてつい身を捩るが。自分よりも体格がいい相手が乗っかってるのだから、あまり意味はなかった。手をそのまま、ガカイドの頭部に持っていけば。毛質の硬い感触が受け止める。指を通そうとすると、ひっかかって。撫でづらい。
意識して、語り掛ける口調を穏やかにしながら。相手の不安を解いていく。暴漢から逃がす為に、勇気ある行動をした。この街でガルシェに次ぐ、僕の中のもう一人のヒーローに。だからずっと、僕も彼を助けたかった。助けたいのに、その手段も、力もなかった。
「俺様が指揮してたチーム、壊滅したんだぞ。そんな相手に命、預けんのかよ。今まさに、殺されかけて」
「僕の命で何かが良くなるのなら、安いもんだよ」
これは本当に、心からの本音。自分の命を軽んじるわけではないが。それで、誰かが助かるのなら。ガルシェの居場所を守れるのなら。僕に迷いはなかった。それでガカイドもこの薄暗い場所から救い出せるのなら。この街を。そうやって、たいそうな事を思っても、結局僕って。自分一人じゃなにもできないのだけれど。
僕のお腹の上で乾いた笑い声をさせ。頭、マジでどっかネジ。外れてるんじゃねーのって。赤茶狼が嗤う。とても獣臭く、汗臭い、男の後頭部を撫でながら。これ、帰ったらガルシェに怒られるなって。手を洗っても落ちなさそう。
だから、そうだな。僕は改めて自分を俯瞰して。言う言葉を、言うべき言葉を考えて。そうやって。
「だから、ガカイド。僕って一人じゃ何もできないからさ。だからさ。どうか僕を。助けてよ。あの場所まで、連れて行って」
力を、貸して。
顔を隠した男に。また嗤われてしまう。握られた服がさらに皺を大きくする。ガカイドが一つ深呼吸して。僕の上で四つん這いになって、お腹に顔を埋めているのだから。彼の垂れ下がった尾が、ゆらりと揺れたのが見えた。何かを振り払うように。正直、これで駄目なら諦めるしかなく。せっかく取りつけた約束もご破産になるのだけれど。
「プランは。あんだろ、聞かせろよ」
未だ、面を上げない男の声は。先程よりもしっかりしたものだった。
「もう一人、市長さんがレリーベさんを同行させてくれるって。移動と運搬手段も、手配してくれる。鍵は僕。行く場所の扉が開く保証はないけれど、僕はあの都市部から来たから。そこから出てこられたのなら、入る事もできるかもしれないって。そんな計画。プランなんてだいそれたものでもないよ」
僕の話を聞いて。また、深く息を吸うものだから。呼吸が擽ってくる。
「なんであいつが。出てくんだよ。意味わかってんのかよ……」
「行く場所の地理に明るくて、補助してくれるって。いくらなんでも僕とガカイド二人じゃ無理だろうって言われた」
成功率が上がるのなら、こちらとしては願ってもなかった。本当に行ったところで、使える物資があるのかもわからないのに。出たとこ勝負なのが申し訳なかった。
「なんで、市長が。そこまで動くんだよ」
「僕が可愛いから、とか」
ちょっとふざけて言ってみるけれど、これにはガカイドは無言を貫いていて。言われた内容を熟考しているようであった。僕としては面白いと思って、場を和まそうとしたのに。無視しないで欲しい。
でも本当に。こんな不確かなものをよく許してくれたものだった。あの灰狼が何を考えて。実際のところ、僕の説得でしょうがないなってそのまま許してくれたとは思えなくて。上辺だけのことをそのまま真に受けるべきではない。優しい人ではあるけれど、僕に腹の内を全部見せる気もないだろうし。頼れる人ではあるが、信頼はできない。僕を排除してしまいたい可能性だって、まだ残っているのだから。
お腹の上で身動ぎした後、漸く男が顔を上げた。眉を下げてこちらを見つめる瞳は揺れていて。どこか悲しそうな。
「……俺様の、ためか」
「というより、街のため、かな。食糧難を改善しない限り皆、お腹がぺこぺこで冬が越せないし」
動物とか、飢えると共食いとかするって聞くけれど。まさかレプリカントの人もしない、よね。中身は人間と変わらぬのだからないと思いたいけれど、食人という前例があるから。否定しきれない。だから、そんな悲しい事が起こる前に。何とかしたかった。ガルシェがどうしたいか悩んでいる際中なのに。街に混乱が起これば一気に瓦解して、せっかく得られる筈の資格すら有耶無耶になる恐れだってあった。邪魔したい奴らが居るらしいし、何もかも上手く行くと楽観視はできない。市民の不満がいつ爆発するとも限らないのに、できる事があるのなら。それが僕に良くしてくれた人達への恩返しに、ガルシェの為になるなら。だからガカイドの為とは言えなかった。君を利用しているとすら思っているのだから。
「市長の許可。同行にレリーベさん。成功すれば俺様の烙印を消してくれるとまできた。ここまでお膳立てされて。こんなの、断る選択肢。最初から用意されてないじゃんか。何がお願いだ、何が助けてだよ。ほんっと、俺様。やっぱりお前嫌いだわ……」
追加で馬鹿じゃねーのって、言われてしまうけれど。嫌いとか。そこまで言われるとちょっとムッとする。かといって、今ならその突き出てる両耳を引っ張ったりできるけれど。それをする気は不思議と起きなくて。
身を起こした彼。同じように僕も押し倒されていた身体を直して。座る。咬まれた首筋を手で触れば、首は依然と痛むのだから。小さく陥没した場所を指先で探ると、凝固しだしてヘドロのようになった血が指先に付着した。
僕がそうやって触っていると、申し訳なさそうにしている男が。じっと、自分が咬んだ部位を瞳が確かめるようにしていて。特に気にしていないふうな僕に、戸惑いすら見せていた。
「その、悪かった。お前を本気で殺しかけた」
「生きてるから、いいよ」
わりと、ガルシェによく甘噛みとして歯型を付けられ。興奮に力加減を誤り、血が出た事も少なくなかったから。慣れが生じていた。痕が残らなければ別にそう騒ぎ立てる必要もないと、達観していた。治るし。多少は痛いのを我慢する日々が続くが、それだけだ。怒る相手を更に煽った代償。ようは自業自得ともいえた。だからこそ、ガカイドを責める気になれなかったのだ。ただそれは、僕の視点であって。加害者になってしまった方は、罪の意識に駆られるのであろう。己の指先、というより爪を触っている仕草に。もしかしたら、最初に僕の頬を爪で裂いたあの時の事を思い出してるやもしれない。それこそ、痕になってないから蒸し返す気もないのだが。出血量だけで言えば、確かにガルシェにされたそれらより、ガカイドにされたこの計二回分が多いといえたが。
指先に付着した血糊を親指と人差し指を擦り合わせて遊ぶ。自分の血で遊ぶのもどうかと思うが。自分の体内に流れてるものが、こうして流れ出て。一定以上出てしまえば、死に至るそれが。物珍しいというのもあった。しげしげと自分の血を眺める僕が、奇妙に映るのか。眼前の赤茶狼は顔を顰めていた。
「なんだよ、やっぱり気持ち悪いな。お前」
「ああ、ごめん。血って赤いんだなって。そう思って」
自分でも色白だと感じる肌から、こんなにも赤々とした液体が出てくるのだなと。改めて、ちょっと面白いなと。好奇心が強いのは前からだけれど。今はそれが、自分自身に向いていた。記憶喪失な人間に。確かに。僕もガカイドが自分の血で遊んでいたら、気持ち悪いと思うし。客観視して、この行動はよくないと。止めたが。
「そりゃ、生き物の血って。俺も含め皆赤いんだろ。海には青い血をした、変なのもいるって聞くけどよ。ああ、そういえば。機械がレプリカントの姿に擬態した奴らは白い血なんだっけか」
彼の言葉を聞きながら。物思いに耽る。青い血って、カブトガニっていうカニみたいな甲殻を持った生き物だったけ。地表はこうも様変わりしてしまったけれど、海はあまり変化していないのだろうか。いつか見てみたい気もした。学校にあった地図も、あまりに遠くの方は記されていなかったし。白い血。この街に初めて来た当初。ゲート前で検知器に引っ掛かり、正体を暴かれ。即射殺。というか破壊された、外見だけ彼らと同じ姿をしたロボットが一体。僕はその一部始終を見ていた。街に紛れ込もうと、たまに居るって。
どうして、機械は彼らを襲うのだろうか。今考えるべきはそこではないけれど。本当に不思議だった。この前この街まで来たらしい、僕は会ってはいないけれど。人間の使節団は襲われないって、噂話で知っているし。どうして、彼らだけ。執拗に。
仕切り直しとばかりに、お互いが座り直して。ガカイドが僕の名を呼ぶ。
「その依頼。俺様。受ける事にした」
「いいの?」
死ぬかもしれない。成功するかも定かではない。そんな依頼に。彼を加担させようとしているのに、自分から話を持ち掛けておいて。そう聞き返していた。そうすれば、いまさら僕がそう聞くものだから。ぷっ、そう軽く吹き出すように笑われてしまった。
僕に対して怒り狂い、殺害しようとまでした。狼の恐ろしい顔は消えて、今は晴れやかに笑う狼の表情。どこか、決意を固めた。男のそれだった。
「ところで、過保護なあいつにはちゃんと許可は取ってるんだろうな」
僕に対して過保護な相手なんて、この街では一人しかいなくて。脳裏に銀狼の顔が過り。言葉を濁す。そんな人間の態度に、困ったふうに。というより呆れられた。
「しらねーぞ、俺様あいつとだけは喧嘩したくないし。ちゃんと二人で話し合えよ」
「内緒にして、こっそり街を出るのは……」
「隠し事にだけは昔から鋭いからな、あいつ。無理だろ」
ですよね。わかりきった事を改めて言われるけれど。やはり、ガルシェに隠し通せるとは僕も思ってはいなかった。絶対反対されるとわかりきってるからなおさら。でも避けては通れない。こうして、ガカイドが行くと言ってくれたのだから。次に説得するのは決まっていて。今、目の前に居る相手は。一緒に説得してくれる気はないみたいだし。正直一番気が重い。彼が僕の身を案じて止めようと、そうするのが予想できるから。それと、首のこの傷をどう隠そうか。僕は自業自得と納得しているけれど。自身の所有物を傷つけられたと判断した銀狼が、どう感じるかは別だった。今この身には、それをした相手のにおいが色濃く残っているのだろうし。一目で、というより一嗅ぎでバレてしまう。しらねーしらねーと、他人事のようにしているガカイドは。もう俺は関係ないという体で居るけれど。そこまで怒らないと思いたい。帰ったら証拠隠滅にと、晩ご飯の支度の前にお風呂に入ろう。入念に石鹸で洗えば犯人のにおいは消せるだろうか。
帰りが僕よりも遅いガルシェにバレないように、できるだけ策を講じよう。怒られるのは僕だけで十分だ。髪を切ってしまったのを少し後悔する。伸ばしっぱなしなら、多少は隠れて見えにくいのに。こうなるとわかりようがないから、しかたないけれど。においは消せても、傷跡はどうしようもない。困ったな本当に。
こうして、ガカイドの家で考え続けても。時間だけが経過して、いくら僕よりも帰りが遅いといってもそれは夜中ではないのだから。うかうかしていると、お風呂に先に入る時間すらなくなってしまうと。僕は慌ただしく、物置小屋みたいな彼の家から退散する事にした。入口に、説得頑張れよって。半笑いしながら、手を振る赤茶狼を残して。
裏通りから住宅区へと向かい、入り組んだ路地を。家までの道のりを走って踏破し、着替えを用意しては。急いで服を脱ぎ。洗濯籠に入れ、そのままお風呂場に直行する。冷水を出して、手早く小さい布に石鹸で泡立てると。普段よりも入念に、自身の身体をそれで擦った。首筋の固まった血だけは剥がさないように慎重に。毎回、全身に浴びるのは躊躇して。決心がいるのだけれど、今はそうも言ってられないと。迷いを捨てて、カランを捻れば。冷たい水が頭の上からシャワーノズルによって細かい粒子となり、降り注いでくる。ちょっと悲鳴を思わず上げるけれど。耐える。軽く泡を流したら、念の為にもう一度。同じ工程を繰り返して。僕は彼ら程嗅覚が鋭くないから、やりすぎ。という事はない筈だ。
そうして、お風呂場から脱衣所に出てくる頃には。疲弊してげっそりした人間がびしょ濡れな為に、余計みすぼらしい姿をしていただろうか。こうして、改めて見ると。自分の鍛えられていない身体は貧相で。見栄えしないなって。水気を大きな布で拭き取りながら。そんな感想を。服に腕を通し、脱衣所から部屋へと続く扉を開いて。まだこの家の主は帰宅していないか様子を窺う。ベッドもキッチンも一緒くたの間取りは。簡単に見渡せ。隠れようがないあの大きな身体をした狼がいないと、一瞬で判断して。そういえば、こうして扉から顔だけ出してると。以前ガルシェが拭く物を取ってくれと、台所に立つ僕に申し訳なさそうにしていた姿を思い出して。頬に熱が溜まる前に、同じ姿勢を止めた。
あのお風呂場での一件いらい。彼とはそういった、性的な接触はなかった。ペット扱いしている時は、そう命令する事も。そして、恋人ごっこをする時も。別に求めてはこなかった。一人でお風呂に入る時、えらく長く入ってるから。恐らく、自身の身体を洗う前にシているのは簡単に想像できたが。
もしかしたら、徐々にではあるが。ガルシェもまた、そうやって。僕に頼るのを止めたのかもしれなかった。発情期ではないのだから。僕をそういう対象と本能が勘違いしていると言っていたし。本番だけはお互い口にはしないし、させないけれど。手淫とかそういう事しかしていない、いまさら求められるのもおかしな話で。だけど、心のどこかでちょっとだけ寂しい気もした。性的に頼られるのも、変だが。これも独り立ちと言えるのかな。最初がきっと、僕達、近すぎたんだ。本当の意味で、恋人になれもしないのに。男の僕が。
徐々に、一人の男として。正常に戻りつつあるのかもしれなかった。彼なりに、前に進みだしたとしたら。良い兆候だ。良い、筈だ。後は、一緒に暮らしている僕が消えれば完璧だろうけれど。まだそれはしない。僕は待つと決めたから。ガルシェは、僕が出て行くのは嫌って。そう意思表示してくれているのだから。ギリギリまでは、彼の隣で見届けたいと思っていた。この街、フォードの難民が僕がこのまま平穏に暮らすのを許さないとしても。ガルシェが、狼の女性と結婚する道を選ぶその時まで。お父さんに、もう少し待って欲しいと。お見合いは断ったのだから。断ってくれたからこそ、彼がデートなんてしたりする姿を見て。僕が精神的に圧迫されないから、待てるとも言えた。もう一度、お互い。自分達を見つめ合う必要があるのかもしれなかった。なんど考えても、ガルシェの事が好きなのは変わりないけれど。ガルシェは、どうなのだろう。僕の事が大事で、傍に居て欲しいと。そう好意を示して、でもそれは恋愛の好きとはちょっと違っていて。僕の好きと、彼の好きは違うと悟ったから。
軽率に出て行こうとしたのに、結局こうして傍に居る。それも、ギリギリまで待つと言いながら。命をこの街に、彼の居場所を守る為に使おうとしているのだから。僕の行動は突飛で、ちぐはぐで。でもいつだって、彼の為にどうにかしたいと。そういったもので。市長さんに愚か者と言われるのも納得だ。好きな相手にはどこまでも愚かになれるのが、人だった。人間は愚かな生き物なのだから。平和を望みながら争いを捨て去れないのも、また。人間だった。
僕が何もしないという選択肢だってあった。でもそれで、食料不足が慢性化してしまい。この街の様子がこれ以上崩れてしまうのが恐ろしい。僕程度が何かしたからと、何も変わらないかもしれないけれど。失う方がずっと。せっかく市長さんが僕の提案を、突っぱねる事なく。背中を押してくれたのだから。ガカイドも、ついて来てくれると言ってくれたのだから。助けになりたいと思いながら、また誰かに頼る自分が情けないと。そう、いつも自分を悲観する考えもまたあったのだった。
これまでの事を反芻していた僕は。前に進む。そうしたかった。不変なんて己がそうであって欲しいと信じたいだけで、そうはならないのが現実だ。ならば悩み、苦しみながらもがむしゃらに進むしかない。僕が晩ご飯の支度をする前に、玄関の扉が開かれて。ただいまと、そう言う銀狼。ああ、もう彼が帰宅するそんな時間だったのか。本当は料理と一緒にいつも通り出迎えたかったけれど。お風呂にも入っていたし、しょうがない。ちょうど、ガルシェと話し合いたかったのだと。隠し事はなしだもんね、僕達。これからする事を。だから。僕のいつもと違う雰囲気を敏感に感じ取ったらしい。ブーツを脱ぎ、着ていた革ジャンをハンガーラックに掛けながら、どうしたと。訝しみながら、肩幅の広い男が近寄って来る。
あのね。ゆっくりと、打ち明ける。僕がこれからどうしたいかを。どうするかを。だから銀狼が。
「ダメだ」
怒気を含んで見下ろして来るのも、織り込み済みで。市長さんに既に許可は貰っており、そして同行する相手。ガカイドを選んだのも。ガルシェは連れて行けない。ついて来て欲しいけれど、それは僕のわがままだ。
「ルルシャがそんな事をする必要はないだろう。そんな、成功する保証もないのに。どうして親父がそれを許すんだ。くそっ」
後頭部を掻き毟りながら、狼の口から舌打ちが聞こえた。あまりに乱暴なその手付きに、銀色の毛が舞う。このまま、何もせずに居られたらそれが一番だけれど。それも。情勢が厳しく、難しい問題であった。この街に一人しかいない、人間の僕は。どうしても悪目立ちしてしまう。差別意識の強いフォードの難民を、刺激してしまう。火種が歩いているとも言えた。
市長として、レプリカントの人達を纏め上げる者だとしても。どちらを優先するか、しなきゃいけないかは。市長さんは、まず間違いなくそうするであろう。厄介払いになると、あれは皮肉で出たわけではなく。本心であると思う。僕という厄介事を、いっそなくせたら。ここまで協力的なのだけは、不信感を煽るが。僕にとって願ってもないのだから。
「……難民に何かされたのか」
ちらりと、狼の目が僕の首筋を見て。その目つきが鋭さを増す。それで、ガカイドのにおいは誤魔化せたんだなと。顔には出さないようにしたが、内心安堵した。ガルシェは、僕が言いだしたら聞かないとこれまでの付き合いからわかっているのか。激高するでもなく、静かに。でも怒りは隠さず、聞いてくれていた。その見上げる程の体躯が、ゆっくりと視線の高さを下げてくれる。片膝をついて、そして。大きな手が僕の二の腕を掴んだ。目線を合わせるようにして。
「俺が、守るから。それじゃ、だめなのか。どうして、この街にそこまでするんだ。ルルシャにとって、辛い事の方が多かっただろう。街での出来事は」
それは、君の為だよ。こうして顔を突き合わせて、言うのは気恥ずかしいし。僕のかってな思い上がりめいたものであるのだから。それに、僕自身が行ってみたいという気持ちが確かにあって。そこに真実があると、信じて。自身の出生も。知ったからと、これからどうするというわけでもないし。もう知る必要もあまりないのだけれど。
それに彼には受け持った仕事があるのだから、それをほっぽりだして四六時中。僕に付きっきりとはいかないであろう。それに、良い事ばかりではなかったけれど。それだけではないよ。優しい人はちゃんと居たから、今までここに居られたのだから。ガルシェが、この居場所をくれたんだよ。してくれた側であるガルシェにはぴんとこない話しかもしれなかった。それがどれだけ嬉しかったか。僕がそれでどれだけ救われていたか。人間が一人、獣の顔をした者達に囲まれながらでも、頑張ってこれたのに。
確かに恩返ししたいという気持ちもあったけれど、僕って。結局は、自分の為に、ガルシェの為にしたいだけだから。そんな高潔な考えとは言えないのだった。エゴイストと揶揄されてもおかしくはなく。正直に話す僕に対して、ちゃんと耳を傾けてくれる銀狼。もっと、強く。反対されると思っていたのに。そこだけ意外だった。
ただ、また苦しそうに。顔を歪めるのだけは。予想通りで。内心、とても葛藤しているのだろう。それはそうだ。手放したくないと言ってくれたのだから。死ぬかもしれない場所に送り出すなんて、それも自分は一緒に行けないとしたら。よけいにだろうか。掴んでいる二の腕の力が徐々に増している。それが、彼の内心を物語っているようであった。
「ダメだ、ダメだそんなの。許せる筈がないだろう。死ぬかもしれない場所に。そんな……。俺が、ルルシャを見送って。そんな馬鹿な話があるかよ」
せっかく目線を合わせてくれたのに、そうしてくれた彼の方が。俯く事で、その琥珀のような瞳が見えなくなる。二の腕を掴まれているから、あまり大きくは動けないけれど。手を持ち上げて。その下がった頭に触れる。先程掻き毟ったから、後ろの毛が跳ねて大変な事になっていた。逆立ったそれらを、撫でて整えていくのだけれど。
「だいぶ禿げちゃったね、ここ。あまり強く掻いたらよくないよ」
撫でながら、くすくすと控えめに。暗い雰囲気を払拭しようと穏やかに笑うけれど、銀狼が乗ってくる事はなかった。ガルシェの円形脱毛症を覆い隠し。ふと思う。もしも僕が死んだら、もっとひどくなってくれるのだろうか。これは。そうだとしたらちょっとだけ嬉しく思う僕は、やはり悪い人間だ。ストレスにそうなってしまったのだから。お父さんに逆らうのも、きっとしんどかったに違いない。僕の知らない所で、派閥の違う人から。嫌味だって言われたりしてるのだろうか。仕事してる姿はあまり見た事ないし、これだけ一緒に居るのに。彼の知らない部分はまだまだ多い。一気にいろいろ降りかかっているのだろうか。僕がこの街に、この家に来た事で。彼が抱える物が増えてしまって。負担だっていろいろあっただろう。僕の知らない所で、そして見える所で。彼は僕の事を庇ってくれたりもしていて。それは、時として立場とか自分を顧みなかったり。十分守ってくれていた。この街で辛い事が多かっただろうと言ったけれど。ガルシェだって僕のせいで、辛い場面は多かっただろうに。自分だけが悲劇のヒロインにはなれもしない。誰だって何かを背負って、抱えてる。そんな中であってもずっと大事にしてくれて、本当に嬉しかったのだ。
情勢が動いて、街の雰囲気が変わり。ここが分岐点になるのだと思う。そう感じていた。傍観者だけで居られるのならそうしたい。けれど、ある程度この街に貢献すれば。市民権を得られる可能性も考えてはいた。そういう打算だって当然あるのだった。それは二の次で、ガルシェの番を得られる資格。そのチャンスが脅かされないのが一番であったのだけれど。何事もなく、この街が平和であれば。それはきっと叶う。でも、街自体がなくならないとしても、騒動が起きれば。危惧して、その不安が実際に形になる兆しが。人間に対して、現れているのだから。溜まる不満。
こうやって、撫でながら。俯いた狼の頭を眺めて。結局、ガルシェが頷いてくれる事も。肯定に返事してくれる事もしてくれなかった。でも、それ以上ダメだと言うのもしなかったのだった。何か言いたそうにしながらも、堪えてくれていた。優柔不断に感じる時もあるけれど、やっぱり優しいよね。彼は。内心では嫌がりながらも、僕の意思を尊重してくれるんだなって。
本当は、自分の布団もあるから。極力一人寝をして、僕のにおいがないと寝られないと言う彼から。僕という存在から卒業させてあげたいのだけれど、リハビリとも言える。これでは、もしもガルシェが狼の女の人と一緒になる道を選んだ時。弊害が残ったまま別れる事になるのだから。だからこそ、徐々に別々で寝たいのに。
食事の用意をしようとすると。珍しく彼が僕を手で制した。別に僕は疲れてるわけでもなく、そのような素振りはしてないのにだ。だから、困惑する。無言で台所に立った男の広い背に。疑問の籠った目線を注いでも、淡々と始まる。殆ど僕専用と化していたキッチンスペース。いつまでもその姿を眺めているわけにもいかないから、大人しく待つ以外にないのだが。
ガルシェがどうしてそうしたのかなって、意図を考えている間にできあがった料理。何の変哲もない、ジャガイモを蒸してただ塩を振りかけた物と。六本足トカゲモドキの肉の切り身。それと触感がぼそぼそするパン。市場が品薄になり、需要と供給の割合が崩れた今。稼ぎが他と比例して多い部類であるガルシェと、そして僕も市長さんからそれなりな額を貰っていて。二人合わせた食費を持ってしても、以前よりも食卓の質が向上するどころか。維持するのがやっとだった。いくらお金があっても買う物がない。元々安価で供給や備蓄が安定している食べ物がメインになるのは当然と言えた。これぐらいなら自分でできると、そう判断したのだろうか。二人して、無言のまま同じ食事を囲み。食器が触れあう音と、僅かな咀嚼音。特に美味しいとか、そういった感想を考えるのも億劫だった。正直に言えば。だってこれ、昨日と全く同じメニューだったのだから。
「……まずいな」
大好きな肉を噛み砕いて、そう呟く銀狼。独特の臭みが僅かにあるこの肉は、考え事をしながらガルシェが焼いたからか表面が焦げていて。舌の上に乗せると、炭化した部分が苦みとして味蕾を刺激し。そこに普段はあまり気にならない臭みが追加で押し寄せる。というか、気候が寒くなりつつあるのと並行して。このお肉の臭みが強くなっているような。旬が過ぎたのだろうか。焦がしただけではなく、肉自体も柔らかさを損ねている気がする。
無言で食事を続けている僕に、狼の視線が一瞬向いたのを感じた。たぶん、味を気にしているのだろう。珍しく作ってくれたのに失敗したから。メインの肉がこれでは、ガルシェにとってジャガイモもパンも。食い応えがなく、パサついてあまり好きではないだろうなって。そんな事を考えていたから。あまり味自体は何も気にしていなかった。栄養補給だと割り切れば、同じメニューでも食べれてしまうものだ。僕達ではどうしようもない要因でこうなってしまってるのだから、文句を言うつもりもなく。機械的に顎を動かしていたのだった。作ってくれたのに失礼な気もしたが、許可を貰った作戦の事と。ガルシェの事ばかりを考えてしまうのだから。そんな余裕もないと言えた。
重苦しい雰囲気の食事を終えると。今日は僕から一緒に寝ようよって、そう言った。自分の布団がやっと手に入って浮かれてる姿を見ていた銀狼からすると。突然そんな事を言う人間に対して。きっと思う所はあるのだろう。彼から一緒に寝たいと言われる事はあっても。僕からはこれが初めてだった。
家事全般は僕が受け持っており、突然奪われてしまって。なんだか寂しくなってしまったというのが本音なのもある。まるでもう僕は必要ないと。別にガルシェはそう思ってはないとしても。そうかってに被害妄想を抱いてしまって。僕がある程度どうしたいか、どうしようとしているか。銀狼は薄々気づいているようだから。僕のにおいがないとよく眠れないといったり、そういった部分を改善したいと。だから家事を僕に依存している今、少しでも自立しようと。そう彼なりに考えて行動に移したのかもしれなかった。いざそんな姿を見ると、褒めて然るべきであるのに。そう仕向けたのに。それを望んだ僕が、寂しくて。彼の温もりを求めてしまうのだから。
僕からそう言ったのに、嬉しそうにしない銀狼。それでも自分のベッドの隣を開けてくれて。後生の別れとなるとか、今から考えてもしかたがないのに。この街から一歩出たら、わりと本当に簡単に人が死ぬ世界なのだから。きっと、僕よりもずっとたくさん外を見て来た彼であるからこそ。誰かの死を目の当たりにしてきたからこそ。僕があの廃墟となった都市に行く事に、難色を示すのだろう。楽観できないのは頭では理解しているのだけれど。
気軽に大丈夫とも言えない。気休めにもなりはしない。ただ、彼の毛皮を撫でる事しかできなかった。二人して同じ布団に入って。おやすみって言っても。いつもすぐ寝てしまう、寝つきの良い銀狼は。今日だけは、僕が眠るその瞬間まで。暗がりでも光をよく反射するそれが。二つ。ずっとこちらを見ていたのは気づいていた。
市長さんに説得ができたと報告したら。用意ができしだい。出発するのだから。数日は猶予があったとしても。態度が、どこまでも。ガルシェは居候である人間を引き留めたいと伝わって来ていた。それがよけいに、僕が頑張ろうって気持ちに熱がくべられる。この人の役に立ちたいって。僕だってガルシェを守りたい。またごめんねって、言う事になるのだろうか。いつも彼に対して何かする度に、謝ってばかりで。全部上手くいくといいな。ガカイドも。僕も。死んでしまったらそれすら言えないんだなって。彼と一緒の布団に寝転びながら。思った。
あれから。くっついたり、離れたり。急接近したり、手が届かないぐらい離れてしまったり。僕と、ガルシェは。そうやって距離感を探っては。お互いを傷つけあって。おっきくて、凄いなって。感じていた、いつだって勇気をくれた。立ち止まっている男の背を追い越し。そうして、手を引いて。僕に何ができるのかなって考え。
ただこの街は、僕をどうしても放っておかなくて。夕食の材料を買った帰り道。人通りも多いからと、あまり警戒していなかったわけではないけれど。他人から見た場合、格好の獲物にでも見えたのか。今は道の端に追いつめられて、見知らぬ男達に囲まれていた。どの人も、上背はあるけれど。痩せこけていたから、特に身分証とかはないが。フォード出身者なんだろうなって、かってに思った。その、僕を見つめる差別意識を隠しもしない。人を人として見ていない。気持ち悪い視線が共通していたから。フォードの人って言っても、子供とか若い子は僕を見てもそうでもないのだけれど。一対一でも逃げ切れる自信はあまりなく、それも複数人に詰め寄られたとなると。僕が何かして、彼らを怒らせて状況を悪化させるのだけは避けたいのだけれど。初対面から下劣な表情でこうも見下ろされているのだから。それも難しそうだった。ユートピアと呼ばれるこの街の住民は、わりと紳士的であったのだなと感じる。市長さんがそれだけ、優秀なのだろうか。教育の賜物か。人と交友関係を再び結ぼうとしているのだから。大事な事ではあるのだけれど。政治とか、内政的な部分は全くわからないが。意識改革はかなり大変だと思う。僕もつい最近、友達から頭が固いって言われたばかりであったのだし。
ここは穏便に、相手の目的を探る事から始めようか。こんな状況のくせに、わりと落ち着いているのは。それだけ嫌な事もそれなりに経験したからだろうか。友好的な人が多いこの街の人達でも、全員がそうであったわけではないのだから。
「何か、僕に用でしょうか?」
小馬鹿にしたようにならないよう、ちょっとわざと怯えた雰囲気を出すのは忘れない。正直に言うと、僕一人にこんなにも複数人で取り囲んで。暇なんだなって感想しかなかったし。こんな事してないで、働けばいいのにって。そう思っていた。痩せて、服装も汚らしいから。その伝手もない人達であるのだろうけれど。残念ながら同情心はなかった。
彼らが見つめる先。僕が抱えた食べ物が入った袋。それだけなら物取りなんだって、最悪これを取られて終わりかなって思えたのだけれど。少ないながらも、ちょっとねっとりとした不快な視線が混ざっていて。自身の股間を揉むようにして、興奮に息を荒らげている人が居たから。全員の思惑は一致していないようで。食欲と憂さ晴らしと、性欲といったところか。食べ物を買うお金も、自分で外へ取りに行く実力もないのだから。当然、裏通りで溜まった熱を晴らす事だってできやしないであろう。お金があったとしても、こうも薄汚い恰好の人を受け入れるお店があるのかは知った事ではないが。
僕が声を発すると、引き笑いのようなそれが薄ら薄ら聞こえて来て。僕は表面上はしなかったけれど、相手は露骨に小馬鹿にした態度で。ご丁寧に復唱してくれる。ちゃんと聞こえる耳はついているんだなって。そんな確認にはなったけれど、知能は低そうだ。この街では見なかった人種だった。人が増える程、それだけ多様性も広がるのだけれど。僕的にはいらなかったな。
この身には、過保護な銀狼が施したマーキングが今日も色濃く残っているのだけれど。それを意に介さないぐらい、相手も切羽詰まってるのか。その様子は腹を空かせた獣と、さして変わらなかった。交渉や取引に応じてくれるなら、人間の僕でも彼らに対してやりようはあったけれど。こういう場合、必要なのは最終的に抑止力。言ってしまえば暴力であろうか。それを振るう事も振るわれる事にも嫌悪し、そもそも持ち合わせていないのでは。助けがくるまで取り返しがつかない事にならないように、事態の引き延ばしに持ち込むしかなかった。
わりと、ガルシェやガカイドに対して暴力を振るってるって言われそうな気がしたが。あれはカウントしない。だいたいそういう時って彼らが悪いし。僕は悪くないと思う。
この集団のリーダーなのか、ボス的な役割をしてるのか。一人の一番体格の良いレプリカントの男が進み出てくる。その分ちょっと包囲網も狭まって、隙間が埋められた。足の間とかから抜け出す事も無理そうだ。
「人間のくせに、いいご身分だな。えぇ? 俺達がこんなにもお腹空かせてるってのによぉ」
どうやら、ガルシェがくれたマーキングというお守りも。相手に一定以上の教養がないと意味がないらしい。それか、自分達から漂う悪臭でご自慢の鼻が馬鹿になっているのに気づいていないかだ。ただこんな状況でも、少し感動していた。絵本とか、物語の中だけであって。こんな見本のような台詞を吐いてくれるものだなと。
彼らの中では、既に僕がどういった末路を辿るか。想像力だけは豊かなのか、舌なめずりしていた。獲物の前で舌なめずりは三流のやる事だって言ったのは誰であったか。ガルシェも、僕とえっちな事する時。わりとしていたなと思ったけれど、あれは動物的な癖みたいなものだろうか。この人達がするのと、彼がするのとでは抱く印象は全く違うから同列に語っていいものではないが。
そうやって、ボスが僕へと手を伸ばそうとした段階であっても。落ちついて壁を背にしてじっとしていた。彼らは気づいていないらしいが、バタバタと足音がしていて。そしてまだ距離があると思っていたけれど、無音で近づいている人が居たらしい。黒い影が一つ。集団を飛び越えて。空中で身体を捻りながら向きを変えると、そのまま重力落下で付属する速度と。自身の体重を使って、ボスの背中に降り立った。
「この街でかってな事は許さんぞっ」
影自身がまるで、ボスの足元から浮き出て押えつけたように彼らには見えたかもしれない。だって、その人は艶やかな黒い毛で覆われていて。うつ伏せで倒れた男の腕をそのまま、背に持っていき関節をきめて押えつけてしまっているのだから。イデデデなんて、情けない声が包囲の中央でして。彼らがたじろいだ一瞬の隙を使って、先行していた黒豹に追いついたであろう警備隊の人達が背後から一斉に掴みかかっていた。鎮圧される様子を暫く眺めていると、部下らしき人に彼らのリーダー各も引き渡すと。黒豹であり、知り合いである。レリーベさんが僕の方へ近寄って来る。さっと、屈んでくれて。その淀みない仕草に。ずっと先程まで悪漢を見上げてて首が痛かったので助かった。
「怪我はないか?」
「はい、レリーベさんがすぐに駆けつけてくれたので。特には」
話していると、黒豹の息が少しだけ上がっていて。それだけ急いで走って来てくれたのかなって。それでも足音がしないのはさすがだなって思って、彼の足を見てみると素足だった。そこにタイミングよく、別の人が拾って来たのか黒豹に靴を渡していた。なるほど、元々あまり足音を立てない人であったけれど。走るとなるとどうしても足音はその分大きくなるのに、こうして靴を脱いでしまえばその問題も解決するのか。素直に関心して呆けていると。僕の様子にレリーベさんは訝しんでいるようであった。
「襲われそうになったのに、わりと落ち着いているな」
「まあ、初めてではないので」
苦笑いしながら、そう答えると。相手は押し黙ってしまって、ちょっと気まずい。お礼だけ、助かりましたと先に言うと。それに対して黒豹はすまないと、そう返して来るのだから。別にレリーベさんのせいではなくて、逆に助けに来てくれた人なのになって。たぶん、責任感の強い人であるから。この街が大好きで、大切で、そこから来る罪悪感だろうか。僕からしたら、まだフォードの人は余所者で、この街の住人って感覚はなかったから。皆がより良くしようと、努力している姿を知っていて。その人達から何かされたようには感じていないのだけれど。どうやら黒豹目線でだと違ったらしい。人間からしたら、レプリカントなどどれも同じに見えてしまっても。しかたないと、そう思われているのかもしれなかったが。
謝罪を口にする彼に対して、これには大丈夫ですと。笑いかけるのだった。こうして、僕を大切に扱ってくれる人が居るのだから。だから、大丈夫だった。ちょっと今更、恐怖心が遅れてやってきても。そう言えたのだった。
家まで送ろうかと申し出てくれたけれど。彼らを連行しないといけないみたいだし、それは丁重に断った。あまり一緒に居るとにおいが移りそうだし、ガルシェに気取られてまた心配させてしまうって懸念があった。今の彼に、心の余裕はないであろうし。なるべく心配を掛けたくない。実際に何もなかったのだから。それでいい。
ただこうして、街の中を歩いているだけで。襲われるぐらい治安が悪くなってるのだなって。身をもって知った。きな臭くなっている。住民達の不満も、限界が近いのかもしれない。そういう別のタイムリミットも、迫っているのかもしれなかった。
銀狼の気持ちを待つだけすら、させてもらえないのかなって。ちょっと前まで。引っ越し先を探そうかななんて考えていたのに、もうこの街自体に人間が暮らすには。厳しくなっていくのかもって。そんな予感がしていた。たぶん、当たってる。自分達でいっぱいいっぱいなのだから、異種族なんて余計に目障りであろうし。本当に、ままならないな。
状況ばかり目まぐるしく変わって、着いて行くのにもやっとだった。情勢の変化は、不変ではないけれど。それにしても早すぎる。
周囲の状況を見ながら。このまま、どうするのかなって。ガルシェのお父さん。市長さんの顔を思い浮かべていた。何もしていないわけではないのを知っているけれど、取れる手が限られているのだなって。そもそも食料が手に入らないのだから、どうしようもない。そこに息子の件も重なって頭を悩ませているのだから。そこは、僕も一枚噛んでいるので申し訳ないのだけれど。そうやって、気苦労を増やす一員になってるのだから。仕事を手伝って助かってるとは言ってくれるけれど、実際のところ。市長さんもきっと、僕が来てからめんどくさい、余計な手間は増えているのだろうな。居るだけで迷惑になる事だってある。僕にそんな気はなくてもだ。
難しいな、いろいろと。思わず抱きかかえた袋に力が入れば、中の物が音を立てて。いけない、中身が潰れちゃう。ちょっと見た目が悪いぐらいで、あの銀狼は気にしないだろうけれど。一度、僕もまた喧嘩するような事があれば。野菜を生でお皿に乗せただけの夕食を出してみようか。わりと面白そう。そんな機会、二度と訪れない方が可能性は高いのだけれど。そんな他愛もない妄想ぐらい、いいよね。
雪とか見るのは楽しみなのに、その生き物にとって苦難の季節が。待ち遠しいのに、来るなって思う。都市部近くの森へ食べ物を取りに行くって言っても、冬になれば森であろうと取れる物なんて殆どないであろうし。白菜や大根といった野菜は、わりと冬が旬らしいけれど。玉葱は、ガルシェ毒になるそうだから食べられないし。ジャガイモとか、市場に並ぶ食材も季節毎に移ろって行く。わりと安定供給されているのは、例の六本足の蜥蜴モドキの肉だけれど。繁殖力が高く、飼育しやすいらしいし。だから彼らの主食に食い込んでいるんだなって、淡泊だけれど少々癖のある風味を思い出していた。実際に、袋の中にはその肉の切り身が入っている。ただ胴体部分のではなく、安い足の部分だけれど。元々物価は高かったのに、どんどん値が上がっていて。鶏肉や豚肉といった、他の肉類はおいそれとさらに手が出せない値段になりつつあった。訪れる行商人も減っているのだから。当然か。買い置きしておいたベーコンでも使おうかな。野菜ばかりだと、ガルシェ。食べた気がしないであろうし。しょんぼりと、お皿を見つめたままな姿は見ている分には可愛らしいのだけれど。台所を預かる身としてはあまりさせたくなかった。
後、並ぶ商品が変わったといえば。唐辛子が良く見かけるようになった。香辛料がわりと高めなのは以前からだけれど、それでも多く出回っているのか。これだけは買えそうで。元々この時期に需要が増えるから、行商人の人も多めに持ってきてるらしい。どこからか買い物する僕の姿を見ていたのか。商魂逞しく、たとえ僕が人間であろうと臆する事なく積極的に話しかけてくる。今日の夕食にどうだいって懐から小分けしたそれらを見せてくるのだから。ありがたいと他の人も一緒に買って行く姿はそれだけ、この地域は冬場冷える事を意味していたけれど。食文化は、その人々の生活がよく出ているとも言えた。暖房器具も、オイル缶の中に木屑やいらない紙を入れたのから。簡易的な暖炉まで、それぞれだ。僕が暮らしているプレハブ小屋は残念ながら換気とかそういう面で、キッチンスペースに換気扇が一個だけで。後は窓を全開にするしかないのだけれど。生きた毛皮の塊が毎回一緒に寝たがるので、寒さに震える事はなかった。夏場だと暑苦しそう。
食べ物を抱えたまま、家が見えてくればそれで人心地が付く。零れる部屋の灯りが既に家の主が帰宅している事を告げていて。珍しいなって。大概彼は僕よりも遅く帰宅するのだから、狼二人と一緒に仕事帰りにご飯を食べたりして遅くなる日以外は。基本は僕が先に帰っているのにだ。ガルシェの仕事は朝から晩まで、日が暮れてから帰って来るから。それだけ日帰りといえど、街の外をそれなりに遠くまで足を運んでは。今日の獲物を獲る人達の護衛をしているからで。チームで動いてるのだから、遅くなるのは常だった。その分外の仕事はリスクと比例して稼ぎは良いのだろうけれど。ただ僕は晩ご飯の支度をしながら心配して待つだけなのに。最近では仕事という名目で市長さんであり、親でもあるあの灰狼から言われるがまま婚約者と度々会っていたのだから。本当は、また今日もそれだったのだろうか。二人目の顔合わせに。また銀狼がお見合いする姿を思うと、苦しくなって。それで抱えた袋を潰しそうになる愚行は繰り返しはしなかったが。
扉を開けようとするよりも前、どうやら上り下りする際に音をよく立てる錆びた階段のせいか。それとも部屋の中からでも僕のにおいを嗅ぎ分けたのか。頭に浮かべていた銀狼の顔が、勢いよく中から出て来て。人を出迎える。どうしても何か伝えたい事でもあったのか、鬼気迫るものがあった。だからいつもみたいにソファーに座って待つでもなく、玄関までわざわざ立ち上がって扉を開けてくれたのだろうかと。落ちつきのない男の顔を見上げて。
「新しいお見合い、断ってきた」
返事のように、胸元の袋が音をさせる。ちょっとだけ、中身の形が悪くなってしまった。ああ、どうしよう。そうやって別の事に逃避したいのに、家の中へと招く彼の手に急かされて。僕の予想は半分は当たっていて、そして半分は間違っていたのだった。今日もお父さんに呼び出されたらしい彼は、どうやら二度目のお見合い相手。その人との日取りを決める前に、その段取りをする灰狼に面と向かって断ったらしい。市長さんの部屋で仕事をしている僕だけれど、その市長さんは別の場所によく出かけていて。どうやら二人が会って話をしている場所も学校の敷地内だとしても、違う部屋だったらしい。僕とガルシェを一緒の部屋でそのような話を聞かせたくないという、彼なりの配慮か。それとも、只単に僕に介入されたくないだけか。別に、目の前で親と子が未来のお嫁さんについて相談していても。口出しする気は一切ないのだが。でも確かに、何も言わなくても僕は悲しくなってしまうのだろうな。だからこうして、何もかも起こった後で知るのだけれど。
「それで、良かったの?」
僕から袋を受け取った銀狼は、代わりに冷蔵庫へと中身を入れてくれていて。屈んで手を動かし続けるその背に、立ち尽くしていた僕は。遅れて靴を脱ぎながらたまらず問いかけていた。彼の事が好きな僕としては、お見合いなんてして欲しくはないが。現実的に考えて、僕と居るよりももっと素敵な人が居るだろうとも考えてしまうし。お父さんの考えも聞いた上で、それで彼が本当に良かったのか。ただ気になった。
「もう少し待って欲しいって。ちゃんと親父に言って来た。今の俺じゃ、選べないって。また怒られたけど。親父、最後にはわかったって、言ってくれた」
胸の内から、じわじわと溢れ出す高揚感。それは、これまで停滞を望んで。自分の意思をちゃんと伝えようとしなかった。ガルシェの。小さな一歩だった。彼がお父さんから言われるがまま、幸せになれと。その示された道を嫌がりながらも、進んで来たのを知っている。でもそれ以外の道を選ぶのも、知るのも怖がって。資格を得たいと言いながら、あまり意欲的でなかったのも。でも僕が来た事で、彼は別にそういう意図でお仕事を頑張っていたわけじゃないのだろうけれど。遣り甲斐とか、そういったものを見つけて。それで、評価されて。やっと、資格を得られると知ったら。いざ、狼の雌と。妻を貰えるとわかったら。それが、僕との別れを意味していると悟って。立ち往生してしまったのだから。
だからこそ、きっと。他人からしたらそれだけかと言われるかもしれないけれど。これまで、ずっと彼の動向も、言動も見て来た僕だから。それがとても、彼の中で大きな一歩だとわかっているから。だから、どこか照れくさそうに。久しぶりに僕を見て、ニシシと笑う。大きな身体をしているくせに、彼のどこか子供っぽい笑顔を見て。こんなにも、喜んでいるのだから。ずっと、親子だというのにこれまで一度も。話し合いというものをしなかったのだから。そういった意味でも、これまで凍っていた関係が。溶けだしたように感じた。一歩前進かもしれない。
この街を覆う暗雲が。僕が暮らせるタイムリミットをひしひしと感じながら。僕が、それまでにどれだけ。彼らに。彼に、できるのかはわからないけれど。
「今日は、お酒飲んで良いよ」
ぴょこんと、狼の尾がご機嫌に跳ねる。巨体を冷蔵庫から退いてもらい、冷蔵庫の奥にあった中身がまだある酒瓶を手に取りそう言えば。本当かと、嬉しそうに喜ぶ大男。ただし飲み過ぎは厳禁だけれど、そういえば彼があまり最近飲んでいる姿を見ていないなって気もして。家主は彼であるのだから、冷蔵庫の中身も好きにしてもいい権利は当然持っているのに。台所を預かる僕の意思を尊重してか、かってに中を漁るような真似はしなかった。だから、僕からこうして許可を出すと嬉しそうに受け取った酒瓶に頬擦りするのだから。
ただ、どうして急に。そのような許可を出すのか、それは当然の疑問を抱いたらしい。銀狼は酒瓶から手を離す気はないのだろうか、僕から奪われるのを危惧してちょっと胸に隠しながら。理由を聞いて来る。別に取り上げやしないのに。それは、ただ。僕がお祝いにって、そんな事を言えば。余計に、狼の顔が不思議そうにしてしまうのだけれど。お祝いって、めでたい事でもあったかと。最近の事を振り返りながら。銀狼が唸る。僕としては、ガルシェがそうやって。一歩踏み出してくれたのが嬉しくて、それで祝いたくなっただけであるのだけれど。それを面と向かって言うのは恥ずかしいので。秘密ってそう言い切ると。それでもしつこく聞いて来る男の背を押しながら、晩ご飯の支度をするから向こう行ってよと。ソファーの方へ追い払う。巨体が傍に居ると料理の邪魔でもあったし。赤面しだした顔を見られたくないというのもあった。押すなよって、言う銀狼の声も。待ってる間におつまみを出すのもやぶさかではないと言えば、黙って飲む準備をするのだから。現金なものである。干し肉って酒のあてに良さそうだし。それでいいかなって。ルルシャも飲むかって、大事な酒をわけようとする提案は断った。僕、飲めないし。飲んだこともないけれど。予想だがあまり強くない気がする。
ただ一つ。気になる問題が残っていて。それは、彼のお父さんの方であったのだけれど。僕の職場は今ではそこで、毎日顔を見る事になるのだから。市長さん。怒っているだろうか。ガルシェが、そういう結論に至ったのに。応援するようにお願いされたけれど、僕はどちらかというと邪魔してるようで。
翌日。今日は外へ護衛の仕事だと言って出かけた銀狼を見送って、僕も学校へと出社した。時間は決められてるけれどタイムカードとかないし、数分遅刻しようがちゃんと理由を説明すれば怒られないわりとアバウトな職場である。僕だけじゃなく皆がそうで、種族柄というか土地柄そんな感じであった。だからと、遅れたりはせず。言われている出社時間よりも早く、学校へと僕は毎日行っているのだけれど。それでも、自分の部屋だからというのも関係があるのだろうが。毎朝きっちりとネクタイを締めて、スーツを着ている灰狼がおはようございますと出迎えてくれる。朝食を取っている時もあれば、早々仕事をしている時もあって。どうやら今日はそのどちらでもなく、ただ紅茶を飲んでいるだけで。
そういえば、虎の先生に呼び止められて。感謝までされる一場面もあって。市長さんが最近、前よりもちゃんとご飯を食べるようになったと。睡眠時間も改善されて、痩せる一方だった体重も。戻りつつあると。別に僕は灰狼に対して何かしたという事はなく、全部市長さんが自ら改善したに過ぎないので。お礼を言われてもあまりピンとこなかった。
だから、人から言われたからというのもあったから。改めて市長さんの身体を見れば、前よりも頬とか痩せこけていたのがふっくらしている気がした。ただ冬毛に変わってるだけかななんて。そう思っていたから、言われるまで気づかなかった変化だった。ガルシェも、もふもふ度合いが上がっているし。毎日見ているのに、わからないものだなと。灰狼を見つめいてると、紅茶を飲んでいたその人が。ちょいちょいと、人を手招きする。名前でも呼ぶなり、それか要件があるならそのまま言えばいいのに。なんであろうか。少々警戒しながらも、近づくと。紅茶が入ったティーカップを元あったであろうソーサーの上に置くと。手が届く距離になって、灰狼が。そのまま指先を頬へ。親指も触れて、そうして、人差し指とで摘まんだ。痛いです。
「私は、ガルシェの、婚姻を。応援しろとっ。そう、言った、筈っ。です、よね。どうして、息子が、自ら私に、断りにくるんですか!」
一字一句、区切り。ぐりぐりと頬を引っ張られながら、市長さんがそう言うのだけれど。いくら彼が鍛えていないとしても、人外の膂力というのはそれだけで脅威であって。ひらいれす。本当は痛いですって、言いたいのに。唇が上手く動かせない僕は、情けないそんな言葉を漏らしていた。ただ、僕に対して怒っているふうであったけれど。実際に頬だって引っ張られているし。だというのに、灰狼の口角はちょっと持ち上がっているのが不可解だった。
目尻に生理的な涙まで出て来たぐらい、持ち上げられた頬で自身の体重全てを受け持つというそんな瀬戸際。つま先立ちになった僕の身体は、突如放された手のせいで。その場に膝をついて、ジンジンする場所を両手で押さえ。それをした人を恨めしそうに見上げる。そうすれば、頬杖ついた狼の顔が見下ろしていて。この程度で溜飲が下がったというのか、やはりどこか楽しそうであった。
「初めてだったんですよ」
一呼吸置いて、灰狼がそう告げる。未だに引かぬ痛みに呻いてる人など、もう知らんぷりして。だから、僕の何がですかって。返答が、つっけんどんになってしまうのもしかたがないもので。僕の表情を見ていない狼の視線は、窓の外を見ているようであった。きっとそこには、訓練に勤しむ軍服を着た人達が居るのであろうが。その窓は透明度が低く、見通せないのに。
「息子が、私に面と向かって。何かを嫌だって言うのは。嫌そうな顔は散々されましたけれど。そもそも、実際に断られた事はないんですよ。ただそうしろと強く言えば、はいと返事するように。私がそう、しましたから」
あの子が、ねぇ。僕を再び見た灰狼の表情は、親のそれであった。普段は相手を皮肉った表情が多いのに。珍しい事もあるものだ。それだけ、ガルシェがした事が。彼にとっても例のない事であったのだろう。序列を重んじる彼らだからこそ、余計にその問題は際立っているのかもしれなかった。だとしたら、普通の人よりも。親で、この街の市長で、そして狼の本能で。ガルシェがこの人に逆らうのって、とっても勇気がいる行動だったんじゃないかなって。改めて思う。まったく、これまでの段取りが全部ぱーです。そう頭を振る灰狼。どうしてくれるんですかって、形だけ睨まれてしまう。
「ガルシェに、好きって。ちゃんと伝えました」
だから僕も。事後報告になってしまったが、親である彼にそう言っていた。そうすれば、睨むようだった目が。大きく開かれて、次いで自身の太腿をぱしんと叩くと。高笑いする市長さん。腹まで抱えだした。激怒するかと思われたけれど。この反応はいったい。こちらとしては結構大事な問題で、それなりに本人に言うのはかなり躊躇したし。銀狼の結婚を応援して欲しいとまで頼まれたこの人に、それを告げるのは。怖かったのだけれど。何も笑わなくてもいいのに。実際、実の親にこんな事を言うのはとても恥ずかしいのに。羞恥心が怒りへと変化していく。
「ぬけぬけと何を言いだすかと思えば。ハハッ、アハハッ。私を笑い殺す気ですか、貴方、ハ。ひひっ」
笑わないでくださいよって、肩を揺さぶるが。まるで取り合ってくれない。どうやらこの人のよくわからないツボに、またもや入ってしまったらしい。僕ってユーモアの天才であろうか。そんな事はない。ガカイドのように尻尾を引っ張って黙らせる手もあるが、さすがに上司相手には憚られるというものであろう。それでも、殴りたい気持ちが湧くのだから。それぐらい、いっそ清々しい程笑ってくれる。
「番にも聞かせてやりたかった。ああ、笑い過ぎてお腹が痛い。それを言って、私に殺されるとか思わないんですか。貴方は、まったく。時折正気を疑いたくなる。蛮勇なのもいいですが、もう少し考えて発言しないといつか痛い目を見ますよ」
それは、そうであろう。というより、もう見た。わりと。ただ黙っていられないのが性分なので、それはこれからも確約できない気がする。余計な事を言ってしまうし、それで自分すら傷ついてしまうどうしようもないのが。僕だった。昨日フォード出身者に囲まれた時、言葉を選んで刺激しないようにしたのも。頑張った方だった。心の中ではかなり馬鹿にしていたけれど。思った事をそのまま言っていたらレリーベさんが駆けつける前に、きっと袋叩きであったであろうな。巡回する人が増員されているのを知っているからこその、時間稼ぎだったのだが。自分では絶対に事態を収拾させられないし。他力本願という一番情けない手段だが、それ以外どうしようもなかったし。僕もガルシェみたいな身体だったなら、難癖付けてくる奴らをコテンパンにして。返り討ちにできたのだろうが。そんな身体つきの人間だったら、保護されるよりも留置所ルートだったろうか。ガルシェと出会った時に縄で拘束されて。
「それでも、怒らないんですね」
「怒っていますよ。貴方にも、そしてガルシェにも。せっかく中立派の人のご令嬢と番にさせて、私の派遣に取りこめたのに。それに、その子自身も器量がよく息子を任せても問題ない性格であると判断したのに。想い人が既に居るなら、最初からそう言ってください的なのをそれとなく言われましたし。最悪政敵になりうる口実を与えてしまった。これを怒らずして、どうするというのですか」
そう言うけれど、灰狼はお笑い番組でも見た時のように。また笑うのだった。僕の正気を疑う時があるっていうけれど、この人もわりとその正気は誰が保証するのだろうか。そんないらぬ心配をするぐらい。笑ってくれるのだった。怒られないのだから、僕としては良い事である筈なのだが。笑われている対象が僕も含まれていなければ。素直に思えるというのに。笑って済ませてくれているのだから、感謝するべきだろうか。
「今まであの子を見ても、こんな気持ちにはならなかった。ちゃんと私にどうしてか、理由を言えたのだから、成長を喜ぶべきか。それとも、逆らった事に叱るべきか。私のこれまでは、息子という存在から逃げ続けて来ましたけれど。ガルシェも、また、私から逃げていたのでしょうか」
物思いに耽る灰狼を置いて、僕はもう今日の仕事に取り掛かろうと。書類を広げたりして準備しては、自分専用になりつつあるパイプ椅子に座っていた。報告書をざっと目を通し、市長さんに優先して渡すべきものを仕分けしてる最中。昨日の一件が目に留まり、レリーベさんが書いたであろうそれを優先順位の低い方へと置く。僕が逡巡したのはほんの一瞬であった筈で。だというのに、目敏い市長さんは誤魔化せなかったのか。いつの間にこちらを見ていたのか、隣に立っていたその人が。ひょいと、一枚の紙を掴む。僕が、襲われた報告書を。
胸元のポッケに引っかけていたらしい、愛用の眼鏡を掛けて。ふむ。片手で顎を擦りながら読み進められてしまう。結局は遅いか早いかの違いでしかないのだが。今すぐ読まれて欲しくはなくて、せっかく分けたのに。
「……怪我は?」
「書いてある通り、彼らに大きな怪我はありません。取り押さえられた時に擦り剥いたりはしたかもしれませんが」
「私が聞いてるのは、貴方の方です」
キツい口調で言われてしまい、市長さんの方ではなく書類を見ていた僕は驚く。市民の起こした問題に関して聞かれているものと思っていたから、仕事モードに入っていた僕は。淡々と受け答えしてしまっていたのだけれど、どうやら灰狼はそうではなかったらしい。振り返った狼のマズルには皴が刻まれており、怒りを露わにしていて。これには、笑わないんだってそう思った。当事者であるのだけれど、まるで他人事のように。僕の反応があまりにも薄くて、やがて寄っていた皴も解けるけれど。見え辛いわけでもないのに、眉のそれだけはそのままであったのだった。市民権を持っていなくて、実際にこの街の住人だと胸を張って言えないのだから。僕の立場の危うさを自覚しているのだけれど。
「貴重な私の人材に手を出したこの者達は、今は留置所ですか。見せしめに首を吊るして表に飾ってしまおうか。在庫の縄は人数分あっただろうか」
ただ聞こえて来た不穏な言葉に、思わず僕は。その思考が描かれたまま現実になりうる前にと止めに入る。それをしてしまえる権力がある相手なのだと、思い出して焦ったのもあった。僕が慌てて立ち上がったさいに、床を擦った椅子がうるさい音をさせたから。市長さんは嫌そうにこちら側の耳を押さえていたけれど。
襲われたのは僕だけれど、彼らの存命を乞う。そこまでする必要はないと、実際に何もされていないし。ちょっと不快な気分にはなったが、それだけであった。あまりに、決断が早すぎる。
「私の街に、秩序を脅かす輩はいりません。保護してやった恩を仇で返すのなら、なおさら」
狼の手が。持っていた一枚の紙を、机にぶつけるようにして置く。ぱしっ、そんな軽く乾いた音がして。びくりと身を震わせる僕を見て、灰狼はとても冷たい瞳をしていた。このまま見過ごせば、本当にそんな血生臭い事が現実になりそうで。尚も食い下がる。それぐらい、僕は平和呆けしているとも言えた。この世界が、生易しく終わるようにできていない事を。罪を犯した者がどういった処罰を受けるか。てっきり、ただ檻の中で数日過ごすぐらいと。ただかってに思っていたのだから。自分の命ばかり、軽いと思っていたけれど。それは、彼らも。この人の前では同様で。僕がただ難癖付けられただけで、それで。ちょっかいをかけた人が死ぬなんて。僕が耐えられなかった。まるで僕のせいに感じてしまって。きっと、市長さんとしては自分の街で起こった事であるのだから。裏通りではなく表通りで起きた事件であるから、余計に重く受け止めているのもあったかもしれない。本当に、それだけ今まで治安が良かったから。スリとか、喧嘩とか、そんなもの見かけた事がなかった。それだけ、裏通りに汚い物を押し込めて必要悪として存在を許しているとも言えたが。
もしもここで僕が引いたら、あの取り囲んでいた人々全員が。とても重い罰を受けるのだと思うと、余計に身体を動かした。そんな簡単に誰かが死んで欲しくはなくて。それがたとえ、悪人であってもだ。今しかなかった。市長さんと直接話せて、そして襲われた当事者でもある僕が揃っている今しか。だから、冷ややかに見下ろす相手だろうと。これまでの親としての顔でも、上司としての顔でもなく、統治者としての顔をした相手に。それだけはやめてくださいと、そう乞うていた。きっと彼らも反省しているだろうって、空腹でイライラしているから。弱そうな人間である僕で憂さ晴らししたくなっただけだと。僕がレプリカントであったなら、あんな事件起きなかったであろうし。どうしてもこの街では異物であるから、目立ってしまう僕にも責任があるのであった。
「ああもう。わかりました、わかりましたから。その朝からうるさい口を閉じてください。まったく、どうして見ず知らずの相手にそうも必死になれるのですか。それも、貴方を襲おうとした相手を。被害者が加害者の減刑を望むなんて、聞いた事もありません」
ハエでも追い払うように、市長さんの手が振られる。僕から逃げるようにして、耳を押さえて自分の机へと向かう男に。本当かと、尚も言えば。いい加減にしろと怒鳴られてしまった。どうやら、市長さんの中で彼らが縛り首ルートは回避されたらしい。そう思うと、やっと安堵できた。というか、表に吊るすなんて。あまりにも殺伐としていないだろうか。街の人々は人間である僕を遠巻きにしながらもある程度受け入れていて。温和な人が多いと感じていたのに、罪人には途端に冷酷になれるのだな。とても末恐ろしいものだった。だとしたら、所長に連行されていた場合。僕も生きていなかったのだろうか。拷問が上手いと言っていたけれど。殺されていたかもしれない。それもうっかりの範疇でだ。あの時ガルシェがタイミングよく帰って来てくれて本当に良かった。
「やっぱり。街の人の鬱憤が溜まっているんでしょうか」
冷えてしまった残りの紅茶を啜る。市長さんに、それとなく街の現状について聞いてみる。食糧難に陥っているこの街で。どのような打開策が講じられるのか純粋な興味と、心配する気持ちと。人間である僕にわざわざ教える必要はないのだが。瞳を細めて、人に話すべきか、そうせざるべきか一考しているふうであった。ただ報告書には同じだけ目を通してしまっているのだから、だいたいの事は知っているのだけれど。この部屋以外での出来事。会議とかでされたそういった内容は知らないけれど。
「それも一つ、いえ、おおまかな要因であるとは言えますが。新しく入って来た連中が、街に馴染めないというのもあるのでしょうね。フォード以上に、ここは法律が厳しく。人間社会を踏襲していますから。その分、他の街よりも発展している自負はありますが。住む場所を移してすぐに、以前住んでいた暮らしを全部捨て去れる人はそれほど多くはありません。それは、立場もそうで。ここでは全てが最初からですから。彼らも、その括りの内の人達だったというだけですよ。貴方が気に病む必要もありません」
「……それでも。僕にも何か、できないでしょうか」
気に病むなと言われても、それではいそうですかとなれないのが僕だった。だから思わず出た言葉。お人好しで、お節介な性格がこんな所でも出てしまっていた。だというのに、市長さんは僕を見て鼻で笑ったのだった。
「貴方に? ここで働く以外に何ができると言うのですか、それをわざわざ私が言わないといけないほど。貴方は愚かであったのか、買い被りすぎましたかね」
ズキリと、胸が痛んだ。人情味に欠けたあんまりな言い方であったが、それでも。この人らしいといえば、らしかった。どこまでも正しく、公平に人間である僕を評価しているのであった。僕は、銀狼のように外で戦ったりも自分にとって一番怖い人にも立ち向かえたりもできやしない。サモエドの店長のように、自分から誰かを率いて人助けする行動力もない。どれだけ辛い事があっても挫けない裏通りで頑張り続ける、赤茶狼のようにも。自らの性別を憂いて何もしないだけで終わらない、そんな自分が嫌で飛び出した白狼のようにも。どこまでも中途半端で、無力で、それなのに誰かを心配する気持ちだけいっちょうまえな事を言う。灰狼が愚かと称するぐらいには。それが僕だったのだと、突きつけられる。何も解決していないのに、その場限りに。柴犬の子に無責任な事を言って、狐のおじさんに感謝される資格なんてない。黒豹にも、そして今、目の前にいる灰狼にも。迷惑をかけてばかりいるのに。それで、誰を助けられるというのだろうか。身に過ぎた気持ちばかり抱いては。ただ自滅するというのに。
「探索範囲を広げてはいますが、機械達が騒いだせいか。動物達が怯えて、例年よりも隠れるのが早い。それでも皆、努力しているんです。家族を食わせる為に。呑気に息子と痴話喧嘩している、貴方以上に」
「……もし、もしも。僕が都市部でまだ手を付けられていない物資とか持って帰れたら」
「どうやって行くのですか。道中で命を落とすのが関の山でしょうに。運よく辿り着けたとして、どうせ例の場所を想像しているのでしょうけれど。その場所に入れる保証すらない。入れたとして、食べ物がある確証もない。持ち帰る手立てもない。貴方には、動かせる人員も、道具も。そして自力もない。そんな事を考えている暇があるのなら、さっさとそこの席に戻り、せめて与えられた仕事を全うしなさい」
あまりにも取り付く島がない。そう感じるぐらいには、僕の幼い考えなんて真っ向から否定されて。ただただ、正論でもって。叩きのめされてしまっていた。僕とガルシェの事を痴話喧嘩と揶揄して、言われてしまって。皆が大変な時に何をやっているんだとも、そう聞こえた。実際に、自分達ばかりしか見えていないのだから。そう言われてしまうと、そうであると思って言い返せなくなってしまう。今までの僕であるのなら。それで挫けて、膝を折っていただろうか。そうですねと、俯いて。言い負かされて終わっていただろう。僕は誰にもなれない。ガルシェにも、ルオネにも、ガカイドにも。この街で出会った誰にも、なれやしない。どこまで行っても、僕は僕でしかなかった。だからこそ、僕にしかできない事があるとそう信じて。
これは交渉なんだと。まだ終わっていない。そう挫けかけた自分自身を奮い立たせる。大人数で取り囲まれた時、取引や交渉ではまだやりようがあると。そう自惚れた事を思ったのだから。何も力がなくても。それでも。そう言い続けたかった。立ち止まってしまっても、蹲りはしなかった。ガルシェの手を引いたのは、僕なのだから。僕が立ち止まっては、いけなかった。
「人員は、僕が、確保します」
「誰を? ガルシェは当然だめですよ。彼は私の息子以前に、貴重な戦力です。危険地域に送り出して、失うには、惜しい。貴方単身、それでも行くというのなら止めはしませんが。厄介払いにもなって丁度いい」
落ち着け。そう心の中で自分に必死に言い聞かせる。思考を止めては駄目だった。これまで得た情報を、知識を。総動員して、今持っているカードを。適切に切らないと、交渉にすらならない。余裕たっぷりに、こちらを見下ろして。椅子に座ったまま組んだ足を、組み替えてみせるこの街の市長さん相手に。僕程度の頭脳がどこまで通用するか。結局は馬鹿にされて終わるとしても。試さない理由がなかった。たった一つのジョーカーを、持っているのだから。それは、まだ誰の陣営にも所属していない、所属できなかった者で。限りなく、僕の手助けになってくれるかもしれない。そんな曖昧なものであったけれど。そして、この灰狼もまた、気にかけている相手で。
「ガカイドを、僕の護衛に雇います」
一度は考えた、護衛を雇って都市部へと向かう選択肢。ただそれは、誰を雇うか、そして金銭的な面でも実現不可能であった。だけれど、今の僕なら一人ぐらい雇う貯金があった。この学校で働いた、それが。引っ越し資金でもあった筈なのに。僕の提案に正気ですかと、市長さんが訝しんでいた。それは、そうであろう。人選としてはとても選ぶとは思わなかったであろうから、僕もできる事ならガルシェを頼りたかったけれど。それはできないのだった。彼はこの街に必要であり、そして期待された未来ある若者だ。こんなハイリスクな僕のわがままに付き合わす必要はなく。逆にガカイドは、失ってもいいのかとそう聞かれてしまうと悲しいけれど。それが街の下した評価であった。だけれど、その戦力は元エリートとして裏通りで眠ったままであり。表に出れないからこそ、もう忘れさられたかもしれないが。彼もまた、訓練兵の時にガルシェと肩を並べていた一人であるのだから。そして、この市長さんは。彼だけを生贄のように、息子を庇うようにして引き合いにだした事を憂いていたのだから。それを知っているのはこの街で、それぞれの視点で話を聞いた。僕という、人間。ただ一人であった。
「扉は、開く筈です。きっと機械達に僕は、大きく関わっているのでしょうから。それは、市長さんもよくご存じでしょう」
「何も覚えていないと、あえてあの時は見逃したのに。自分から言いますか」
「失っても惜しくはない人員。そして僕という存在。この二つがあれば、賭けてみる価値があるのではないでしょうか。どうせこのままでは、食糧難で立ちいかなくなる。せっかく受け入れた難民を追い出す前に、試してみるのはどうでしょうか。この冬を乗り越える事ができれば、難民もまた、来年の春から立ち上がる心の余力も湧くのでは。現状では、それも難しいと僕にも思えます」
「ガルシェには、相談したり。誰かに助言を貰ったのですか」
「いえ、ガルシェに言ったらまず間違いなく止めるでしょうから。言ってません」
ああもう。どうしてこうも厄介事ばかり持って来るのだと、市長さんが額に手を当てた。ただそこで書類と向き合っているままであれば、保護してやったのにと。それ以上の価値を、私に見せるのだと。この人にわざわざ言わなかったが、僕よりも賢い人であったから。既に考えているとも言えた。僕がこのまま、以前と同じように街で暮らし続けるのも限界であるのだと。フォードの街の人、全てを追い出すのは現実的ではない。どうにかして、皆が生き延びる道を探るだろう。一度受け入れた手前というのもあったが、この人がそう易々と誰かを見捨てるとも思えなかった。だからこそ、僕がこの街に居る内に。居られる内に、何かをしておきたかった。友達を助けたい。そして、ガルシェの居場所を。この街を守りたいと。
「……高い確率で、死にますよ。貴方。その者は、敵前逃亡しなかったといえど。何もできなかった、臆病者です」
「でも、もしも。成功したら。ガカイドの、あの烙印を帳消しとまでにはいかなくても。皆と同じ、スタートラインに。立つ機会を与える事にもなりませんか。市長さんは、そこを気にしてもいましたよね」
「愚かな人間のくせに、痛い所を突きますね」
鬱陶しいとばかりに、額に手を当てた指の隙間から。狼の鋭い視線がこちらに突き刺さる。それに怖気づく事もなく、一歩も引かずに。ただ惜しいのが、僕の手札はこれで全部で。その出した手札も、ガカイド本人にまるで相談もしていないのであったのだから。損失しても問題ない人員を送り、あわよくばを期待する。そんな部分に、この人の最終的には心に訴えかけるしかないのだから。交渉としてはあまりにお粗末であっただろうか。はったりと勢いと、最後は。だから、結論は当然。
「たりませんね。それで彼が貴方を連れて行く事はできるかもしれません。ただ持ち帰る手段がレプリカント一人と、ひ弱な人間が背負うだけで、この街の人達をどれだけ救えるというのか。たりません、あまりに浅はかで、お話しにもならない」
ああ、やっぱり。それはある意味、当然であったのだけれど。落胆に肩を落とす。僕程度の考えでどうにかなる程、事態は甘くなかったのだった。無能な働き者がどれだけ頑張っても、ただ場を引っ掻き回すだけで。言われた事すら満足にできないのに。他人を救おうなどと片腹痛いと。馬鹿にされて終わらなかっただけ、最後まで話を聞いてくれてただけ。マシと言えたけれど。僕が何かしたからと、大きく事態が変わるようなものでもなくて。どこまでも、ただ大きな流れに添って身を押し流されるがままで。そうあるべきで、あるしかないのだと思い知らされる。だから、ただし。そう続ける市長さんの言葉を聞き洩らしそうになっていた。自身の額を手で覆うのを止め、その手が机の上に置かれて。僕を真っすぐ見つめるのも。
「今のままでは貴方の考えなど到底、実現不可能でしょう。だから、私からもう一人。レリーベを出しましょう。そして、移動と運搬手段も。徒歩で運べる量などたかがしれいてるのだから」
自分で提案しておきながら、前向きに検討されて。打開案まで示され、そして市長さん自ら手配してくれるなど夢にも思わなかったのだから。だから、何を呆けているのですかと。また頬を摘ままれてしまっても、夢ではないのかと思った。そうではないと、痛みが否定していたけれど。それすら現実か、疑ってしまう。
ましてやレリーベさんなんて、市長さんにとってきっと失ってよい手駒ではなくて。この博打に動員されるには、当てはまらないというのに。
「痕跡を見つけたのはレリーベです。隠密偵察、威力偵察任務どちらにも長けており、そしてあそこの地理にも明るい。辿り着く確率はぐっと上がる。貴方たちが死ぬ事態に陥ろうとも。見捨てて一人で帰ってこられるだけの判断も下せる。それだけです」
「市長さん!」
感激して、頬を抓られながら。そう呼ぶと、嫌そうにそっぽを向かれてしまう。あまり近づくな、ガルシェ臭いと。そこまで言われてしまえば、浮ついてしまった心も少し落ち着いたけれど。それでも、まさか。僕の言葉でここまで動いてくれるなんて思ってもみなかったから。二人して荷馬車でも押して往復して。一回目で二人して死ぬか、数回目で死ぬか。それとも辿り着く前に、それとも辿り着いても何もなくて。
「その前に、肝心なガカイドの説得という課題が残っていますよ。いつ扉を開けてあの腰抜けが登場するのか、少々期待していたのに。それがないとなると。どうせ貴方の事ですから、本人にもまだ。話を通していないのでしょう。まったく、普通は事前に根回しをしておくものです。こういうのは。それが果たされない限り、このお話しもした意味すらない。わかっています? そこのところ」
ガカイドに言っていないのも、やっぱりお見通しであった。それでも、それでもだ。ありがとうと、頬を抓るのを止めた市長さんの手を握る。これで僕が命を落とす可能性があったとしても。もしも、本当にもしも、それだけこの人の信頼を勝ち得たのだとしたら。これまでした事が無駄ではなかったと、そう思えるのなら。この街に漸く、僕が役に立てるのなら。そう思うと、どうしても抑えきれなかった。
僕にとってはハイリスクハイリターン。市長さんにとってはノーリスクハイリターンな話であって欲しかったのに。そこまでされて何もありませんでしたならまだいい方で、レリーベさんも用意されるであろう運搬手段すら失ってしまっては。もしかしなくても、彼の立場が危ぶまれてしまいかねないのではって。そんな懸念もあったのに。
「子供は子供らしく、愚かなまま勘ぐらず大人の好意に素直に喜んでいなさい。本当に、手のかかる。まったく、本当に……。もしも全てが成功すれば、烙印は消せるでしょうね。番を得る権利は、また別ですが。それは保証します」
そこまで子供ではないのだけれど。自分の実年齢も覚えていないし、彼らからしたら小さい背丈の人間など。そう見えてもしかたがないのかもしれなかったが。額を軽く人差し指で押されながら、ちょっと爪が当たって痛いけれど。その見せた優しさに、甘えていいんだと。そう言われているようで。実際にそう言っているのであろうし。
赤茶狼の事を。腰抜けとそう言う市長さんを見返してたやりたいと、僕はそう思った。だって本当に腰抜けなら、あの時。僕を庇って先に逃したりしない。尾が内股に隠れようとしていても、虚勢を張りファイティングポーズなど取りはしないであろう。ガルシェが。信頼してそれで死んだら。自分の見る目がなかったと、そう思うさって。僕に、言ったのだから。信じてくれて、今があるのなら。誰かの次に繋がるのなら、今度は僕が信じるばんだった。賭け金は自分の命一つ。オッズとしては安いかもしれないけれど。それでガカイドが賭けに乗るかもまだわからない。ただ、テーブルに市長さんを着かせる事には成功したのだから。
仕事をつつがなく終えて、帰り道をそのまま裏通りへと足を向ける。こうして、ちゃんと訪れるのは随分と昔に感じられて。二度だけ、この薄暗い路地を通ったのだった。そうして、ちょっと開けた道に出れば。ピンク色とか目にきついと感じるネオンサインの灯りが、切れかかっているのか明滅していて。以前の記憶と照らし合わせると、とても寂れていた。人通りが多いところではないが、それでもそれなりにガラの悪い人が歩いてたり、たむろしていたのに。道の端で身体を捨て値で売る人も見かけなかった。どこへ行ったのだろうか。皆引きこもってしまったのだろうか。
それでも、その手のお店の幾つかからは、苦しそうなうめき声や艷やかな喘ぎ声がそれとなく響いてくるのだから。思わず耳を塞ぎたくなる。このような場所で、そんな事をすれば逆に目立ってしまうのだろうが。だから聞こえてくるそんなのが、全ての店が閉まっているわけではないと伝えていた。客引きだろうか、一人だけ露出の多い服を着た動物の顔をした。男性、であろうか。胸が平たいし、声を聞かなければ細身の身体は人間からするとちょっと見分けがつかない。ああ、でも。やけにぴっちりしたズボンのせいで、何かを押し込んだかのように膨らんでいる股間部分を見れば。一目瞭然か。わざわざそこを見ないとわからないというのが、悪い気もしたが。ペットの片足を持ち上げたり、後ろから尻尾を持ち上げるような事は決して試みないので許してもらいたい。
娼婦よりも、男娼の方が妊娠の心配もなく価格も手頃で一般的らしいから。そうやって実際に立っている人が居て、目が合うとちょっと気まずい。日当たりも悪く湿気が多いからか、カビ臭いし。あまり嗅いでいたいとは思わないのも。いろいろと混ざるこちら側に長居はしたくないものだった。でも、用がある相手はこの区に住んでるのだから。行かないと何も始まらないから、しょうがないといえるのだけれど。じっとこちらを見てくる相手の前を素通りしようとする。目立たないように気をつけても、容姿が人間であるのだから異種族というだけで。必要以上に目立つのだが。
僕になんて声を掛ける物好きなんていやしない、だから大丈夫。そんな根拠のない気持ちで、もう一度目が合うのは避けたくて。わざとお店の方とは逆側を意味もなく見つめていたのに。
「ねぇ、お兄さんっ」
声の高い、少年っぽさを残した。まだ声変わりの途中だろうか、そんな印象を受けるもの。やっぱり男の人だったんだって、先程の自分の考察が間違いでなかったと安堵しながらも、声を掛けられて振り返りたくない僕は。いそいそと早足になろうとする。ただその相手が見逃してくれるかは別で。再度呼びかけられても無視しようとしたのに、こちらを追い抜いて。目の前を通せんぼするかのように立ち塞がる相手。こうして、すぐ近くでよくよく見て取れた容姿は。灰色の毛に、虎柄とはちょっと違う黒い縞模様がある。顔つきは猫科のそれで、アメリカンショートヘアー呼ばれるものに酷似していた。目に入る顔つきの幼さと、それなのにどこか色っぽい仕草がアンバランスに感じてしまって。背丈があまり変わらないのは最後に気づいた。どこかで会った気がするけれど、思い出せない。住宅区の、広場に居た子の中に。居た気がするけれど。柴犬のシュリくん以外、あまり印象に残っておらず。皆動物の顔をしているなぐらいで。
「ね、こんなところうろついてるんならさ。俺達のソウイウ事に興味あるんだろ。お兄さん見るからに初めてっぽいし。良かったらうちの店で童貞でも、処女でも、それとも両方かな。俺で捨ててかない? 両方なら別料金だけど。初めてだからサービスするよ」
こちらの返答なんて待つ必要もないとばかりに、僕が勢いに押されてるのを悟ると。動物の顔をした男が、矢継ぎ早にそう捲し立ててくる。
ずいって遠慮なく、相手の鼻先が首筋に埋まり。深呼吸しては。こちらをその気にさせようとしているのか、いつの間にか僕のお尻に這わされる手付きは。どこか、いやらしい。
「お兄さん、とっても強い雄のマーキングされてるけど。その感じだと、実は満足できてないか、あまりに奥手で手を出されなくて欲求不満なんだろ? じゃなきゃこんなところ今時来ないよね。ね、良いでしょ。来るお客さん減ってて。俺、ノルマ達成できてないからまた飯抜かれちまう。助けると思ってさ」
本職の人って。においでそこまでわかるのって、あからさまに狼狽えてしまう。ただ僕の反応を見ては、誘導尋問のように仕草とかで正解かどうか探っては。どっちとも取れる事を言っているだけなのだと。冷静になりつつある頭が、そう状況を俯瞰して。明るく振る舞っているけれどしたたかな、その瞳は。声の幼さに反して、とても大人びていた。冷静にそう気づけたのも、遠慮なく這い回るこの子の手が。情欲を煽られるでもなく、正直気持ち悪いなって感じていたからだ。僕、別に男なら誰でも良いわけではないし。現状友達以上恋人未満のガルシェ相手に。男の僕が使い方があってるのかは定かではないけれど、操を立てているつもりもないのだが。それでも、彼以外と。この子が言う、ソウイウ事をする気にはならなかった。ファーストキス、銀狼ではなく黒豹に奪われたし。薬を飲ます為の人口呼吸とかの括りだからノーカウントにしてもいい気はしたのだが。後、勢いでそのまま連れ込むつもりだったのか。手を引いても、僕が歩きだそうとしないし。特にこれといって反応がなくなったからか。どうやら自分の色仕掛も、話術も、効いていないと感じたらしく。ここで、大人びて見えた顔に焦りの色が浮かんだ。実際はただガルシェの事を、考えていただけなのだけれど。
ご飯もまともに食べられていないらしいし、僕はちょろそうな金蔓にでも見えていたのだろうな。彼からすると、見た目的に歳が近いから簡単に丸め込めるとも思っていたのかもしれない。
「大丈夫だよ、緊張するのは誰だって最初だけさ。それに、俺、まだ背は小さいけどコレはそれなりにデカい自信があるし。絶対お兄さんがまた来たくなるような、蕩けるほどの甘い一夜提供するからさ。なんなら番のフリだって――ッ」
なんだか急に、しまったって顔して。どこか怯えた雰囲気を目の前の子はさせていた。なぜだろうか。別に僕、何も言ってないのに。コレって言いながら自身の股間を揉んで、視線を誘導したり。甘い一夜って単語の時、抱きつくようにして。耳元で囁くように誘うのも、なんだか必死だなって。僕が絶対この子の手を取るわけもないから。ちょっと同情心と、呆れが半々になったぐらいで。そうだ。恋人のフリって、この子がそう口にした瞬間。ちょっとイラッとしたのだった。ガルシェに、お見合い相手がいる状態でそんな真似をさせられたのを。もう別に怒ってはいないけれど、根には持っているのだから。それを突如として思い出させられた。それでか。そう納得する。
だから、相手が鼻をしきりに動かして。無表情な僕の体臭を嗅ぐ仕草をする度に、怯えが増しているのが。でも、その様子は年相応に思えて。この時に初めて、目の前の子が可愛いかもって感情が少しだけ湧いた。性的には当然見られないけれど。
動物は第六感が優れていて、それは危険を感じていち早く逃げる為であるのだけれど。どうやら目の前の子もまた、意図せず僕の地雷を踏み抜いたのを勘づいたらしい。ただ、それで引き下がる気はないのか。まだ手を離そうとはしておらず、お店へとどうにか誘導しようとしているみたいであった。ベッドに入ってしまえばこっちのものってやつだろうか。嫌な相手でも対応するようで、プロ意識が高い。
行きたくないので、断るのだけれど。僕自身が彼にとってのお給料みたいなものであろうから。逃がす気はないらしい。腰が引けているのに。レプリカントの人に怖がられた事ってあんまりないから、ちょっとだけ面白いけれど。こうやって遊んでもいられない。本来の目的を忘れてはいないのだから。二人して、道のど真ん中で押し問答していると。足音が近づいていて。ついに増援かなと。お店のオーナーか彼の同僚の登場で、形勢は向こうに傾くのかなって警戒した。後ろから肩を叩かれる。視界の端に大きくて無骨な男性の手。赤茶色の毛を纏っていて、爪が削れて少しギザギザしていた。
「悪いな、こいつは俺様と待ち合わせしてんだ。お前はお呼びじゃねーよ」
「なっ、お前! ガカイドっ。営業妨害だぞ」
「さんを付けろ、さんを。年上を少しは敬え」
僕を挟んで、目の前の男の子と。後ろに居る男性が言い合いを始めてしまって。できれば、それをするのならどうぞ僕が退いた後でして欲しいのだけれど。会話の内容から、どうやら援軍の正体は僕側であったらしい。喉を逸らして、空を見るように見上げると。後頭部に男の胸板が当たって。意地悪に笑う、狼の顔が目に入った。家に行くつもりだったのに。向こうが先に僕を見つけたらしい。仕事帰りなのであろう。今日は、上衣と下衣が一体型の作業着。所謂ツナギと呼ばれる服を着ていた。僅かに、汗臭い。汗を掻かないレプリカントなのにこれであるのだから、今日は重労働だったのであろうか。
「あんまりうるさいと、俺様がお前を買ってやろうか? そのご自慢のテクとやら、是非教えてくれよ」
「い、いやだ! 皆、お前とヤると滅茶苦茶ねちっこくて腹上死するとか、ガカイド菌が移るとか言うんだぞ。俺はまだ死にたくないっ」
「おい、なんだその噂。さすがに俺様も怒るぞ。後言ってた奴の名前、全員教えろ」
あんなにしつこかった客引きの男の子が散々に喚いて、赤茶狼の怒りゲージを上昇させるだけさせたら。それで店の中に逃げていった。背後で、あんにゃろぉって。ドスの利いた声がする。裏通りを歩くのに、この男は虫除けとして丁度いいかもしれないなって。そんな失礼な事を思った。
背後から、肩を掴まれたままであったから。振り向く事ができない。いい加減離してくれないものだろうか。助けてくれたのだろうけれど。それにしてはいやにタイミングが良いなって。後、まるで一部始終聞いていたかのようなその語り口調に違和感があった。
「助けてくれたのはお礼を言うべきなんだろうけれど。……いつから見てたの」
「お、さすがルルシャさん。初めてだからサービスするよってところからかな」
ほぼほぼ全部じゃないか。どうやら、仕事の帰り道。声が聞こえて。娯楽に飢えた狼は野次馬根性で聞き耳を立てていたようであったのだった。それで両方とも聞き覚えのある声で、それも。片方はこの場所に来るような用事もない奴だったから。面白いものが見れると。物陰からずっと覗いていたらしい。ただ、僕が怒ったにおいを漂わせた段階で。慌てて出て来たとか。
悪人ではないが、すぐ面白さを優先する悪癖があるのが玉に瑕であろうか。思わず溜息を吐いてしまう。真面目な心持で、ここへとやって来たのに。なんだか馬鹿らしくなってしまった。それで余分な肩の力が抜けたとも、前向きに捉えられたが。
「んで、俺様に何か用か? 本当に、欲を発散しに来たんじゃないんだろ。ルルシャ」
「うん。ガカイドに相談と、お願いがあって」
「あー、ガルシェの事か。またあいつなんかお前にやらかしたのか? もういい加減見捨てて、俺様で妥協しない? ちょうどそこに素材の良いベッドが置いてある店あるし」
なんかかってに話しが飛躍し始めた。肩に置かれた手が、ぐにぐにと揉むように動く。別に肩こりが酷いわけではなかったけれど、事務仕事と家事をこなすこの身は。思った以上にそのマッサージにうっとりとしてしまう。あ、気持ちいい。こんどガルシェにも頼もうかな。頼られると嬉しそうにするし。手加減しているであろうガカイドでちょっと、まだ力が強いなって思うぐらいだから。彼にはもっと手加減してもらう必要があったが。鎖骨がなくなってしまいかねない。
身体を解されながら、気づいたらそういう事をする専用みたいな。俗に言うラブホテルっぽい入口まで運ばれていて、急いで足を踏ん張りブレーキを掛ける。危ない。大人のマッサージはいらない。抵抗を始めた人間に対し、少し残念そうな顔をするも。次の瞬間には冗談だと。ガカイドがケラケラと笑う。あまり、ふざけられると疲れるから止めて欲しいのだが。そんな事をしに来たわけじゃないのに。
改めて向き合った彼に、銀狼は関係ないよ。そう伝えた途端。揶揄うようであった雰囲気が四散して、ガカイドが真面目な顔に変わる。
「ガルシェじゃないとしたら。本当に、俺様が目的か」
飄々としているけれど、やはり頭の回転は速いらしい。僕がこんなところまで来て、ガルシェの事ではないとしたら。つまるところ、それ以外にないとも言えたが。立ち話もなんだしと、そのまま着いて来いよって。肩から手が離れて、道を先導するガカイド。そう歩かなくても見えて来たのは物置小屋みたいな、一件の小さな家。割れた窓をガムテープで補強していた。とてもくたびれた印象を与える。隙間風が酷そうな、そんな彼の家。家、と言っていいのか。本当に住むのに必要最低限のそれだった。何もないけど上がれよって、家主に促されて。靴を脱いで、床を踏みしめると。ギィって軋んだ。その内、床が抜けそうだった。家自体は三坪ぐらいしかないのかな。ちょっと長方形で。玄関から入ったらそれで終わり。奥に敷布団が敷かれていて、部屋の隅にタライとか食器とかが邪魔にならないように重ねて置かれていた。天井を見上げれば、両壁からロープを幾つも垂らし。肉や仕事着を干している。派手な柄のパンツも。生地はどうやら乾いているみたい。畳むと場所を取るので干したままらしい。
「あー、しまった。何も出せる物がないな。わりぃ。ちゃんとした来客なんて初めてだから。お前が来るとわかってたら茶請けぐらい買ったんだが。後、座布団とかそういうのもないぞ。床冷たいし、布団か。それとも俺様の膝上に座るか?」
ガカイドなりに持て成そうとしてくれてるらしい。僕が座る場所を息を吹きかけて埃を飛ばしたり、何かないかと小さな棚を漁ったり。改めて僕が家にやってきたと思うと、なんか意識しているのか。鼻の頭を指先で掻いたり。目を合わせたと思ったらすぐ逸らされて落ち着きがない。自分も座って。床の冷たさにびっくりしたらしい。布団か、赤茶狼の膝という二択を迫られたけれど。普通にガカイドの対面に座る。ぽんぽんと、期待に満ちた目をして膝を叩いていたけれど。絶対に座らない。変色した、元は白かったと思われる黄ばんだ万年床らしきそれも。汗臭い男の生温かい膝も。
「……その、お構いなく」
そう言うのでせいいっぱいだった。時折見せる、この男の僕に対する露骨に示される好意に心当たりがなさ過ぎて。ちょっと戸惑う。それに、気を許すとすぐ悪戯してくるし。いろいろと助けられたのは僕の方であったから、僕が彼の事を友達として好いているのは事実であるが。いつも言っている事が冗談なのか本気なのか、掴みどころがないのもあって。胡散臭いというのが僕の彼に対する印象だった。お互いに正座して、向き合うと。足をもじもじとさせて。尻尾が緊張にか床の上を擦り、せっかく飛ばした埃をくっつけていた。僕はただ、落ち着いてどう本題を切り出したものかと。男の様子を見ながら、タイミングを計っているだけなのだが。プレイボーイを装っているわりに、僕と二人っきりになった途端。どうしてそんな初心な反応をするのだろうか。
「ガカイド」
「お、おうっ! 家事は全部やるぞ!」
名を呼べば、急にそう叫ばれた。話の繋がりがなく驚いた顔をすれば。己が思わず口走った内容を顧みて、あわあわと手を右往左往させる変な男の姿。首を傾げて、僕が彼を訪ねた理由。それをもしかして勘違いされているのではと。そういえば、事ある毎に。一緒に住むどうこう言っていた気がする。全部冗談だと聞き流していたけれど。ガルシェの家を追い出されて、頼るところがなければそれも手かな。なんて、考えもしたが。その時に自分が、その選択を選ぶとは思えなくて。あまり迷惑をかけたくないというのもあったし。
どうやら、僕がこの家に居候させて欲しいと。頼みに来たと思っているらしい。それなら、この男の反応も合点がいく。頼み事はそうなのだが。そんなに軽くないし、もっと彼が考えている以上に重要なのだが。
「違うよ」
タイミングを見たかったが、このままでは埒が明かないので。いきなり本題に入らしてもらう。相手がちゃんと聞いているのか、聞いていないのかは置いておいてだ。だから。僕が都市部へと行きたい事。そしてその護衛にガカイドを指名したい事。今日はそのお願いにやって来たと、そう告げる。僕が言葉を紡げば紡ぐほど。先程までの浮足立つ狼は消えて。それはだんだんと、表情を険しく。人を歓迎していた赤茶狼の態度は、みるみる変わって。
「出てけっ!」
空気を震わせるようにして、怒鳴られてしまった。興奮に息を荒げ、正座していたのに。片膝をついて、姿勢を低くしたそれは。今にもこちらに飛び掛かる前段階にも思えた。
「ガカイド、話しを」
話を聞いて欲しくて、こちらは努めて冷静に。彼の名をもう一度呼ぶ。それに対しては狼の唸り声を返されてしまったけれど。鋭い牙を剥き出しにして。裏通りで林檎を差し出した、彼の神経を逆撫でてしまったあの時でも。ここまでの怒りを発露しなかったのに。
「てめぇ、ふっざけんなよっ! もう一度言ってみろよ。その瞬間、咬み殺すぞ」
まるで四つ足の獣のように、狭い室内で。僕の前を右へ、左へ、低い姿勢のまま移動しては。こちらの喉仏を見つめてくる。刺すような殺気に、つい首筋を触りたくなったが。微動だにしない。今動いたら、たぶん刺激して。本当に咬み殺される恐れがあった。それぐらい、今の彼の瞳は。血走っていて。とても恐ろしかった。腰の上でゆらりと揺らぐ、赤茶色をした尾が。まるで彼の激情を表すようで。埃で所々汚れ、どす黒い炎のように錯覚する。ここまで彼が激昂するのは想定外だった。僕の見通しが甘いとも言えたが。まだ、僕の言葉なら聞いてくれると。どこかで自惚れていたのだろうか。相手の好意を過信した結果か。それで、今。死にそうな場面に直面しているのだから。とんだお笑い種だ。もし本当に咬み殺されたらそのまま灰狼は嘲ってくれるだろうか。銀狼はただ悲しむのだろうか。ここで終わる気は毛頭ないが。それも目と鼻の先に。僕の死が顕現しているのだから。笑い話にもならない。いつ、その牙が突き立てられて。頸動脈を裂かれるか。それは次の瞬間か。まだ数秒猶予があるのか。過呼吸みたいに、ひゅー、ひゅーって。ガカイドが口呼吸する。口の端から涎が垂れて、床をぽたぽたと唾液で汚していた。頭に血が上り過ぎて、意識が酩酊しているのか。身体がふらついていた。視界が狭まり。恐らく、もう僕の喉しか見えていないのかもしれない。獲物の、喉しか。これと比べてしまうと。市長さんの交渉はとても、生易しかったのだなと思う。あの人は厳しいけれど。感情のまま、何かをする前に。一歩冷静に立ち返る人であるからというのもあるのであろうが。わりと怒らせる事を言った自覚もあるが。だが、彼は違う。ガカイドは。今。僕に触れられたくない心の部分に。土足で踏み入られて、怒っているのだから。
彼が一番気にしている部分。触れられたくない部分。俺様と、自分でそう言って。強くあろうとするが故に。過去を掘り返されるのを嫌う。一番弱かった自分の、その時を。
「わかっているのかよ。俺様は、何もできなかったんだ。何もっ! 仲間が、友が、目の前で殺されてるのに。銃の引き金すら引けなかったんだ。そんな腰抜けに、何を依頼するって。もう一度言ってみろよ、なぁ、ルルシャ!」
「君は、腰抜けなんかじゃないよ」
「まだ言うかっ――」
急にガカイドの顔が近いなって感じて、そして上下に綺麗に並んだ歯と。その間にある舌と。真ん中にある暗く食道へと続く穴。それを見届けたら。間延びした意識の中。ああ、大口を開けて飛び掛かってるんだと遅れて気づいたのだった。天井が見えた。続いて後頭部と背中に痛み。そして胸の上の重さ。狼の頭が僕の首にあって。牙が食い込んでいた。それを確認できるのだから、まだ生きてるんだって。安堵した。それでもゴリって、牙が強く当たり。首の筋や血管の近くを圧迫する。少し力を入れて、そのまま彼が後ろに頭を引けば。剃刀のように、牙が僕の頸動脈を切断するのだろうか。相手に命を握られた状況に思わず悲鳴上げそうであった。危険な状況に陥ろうともだいたいは誰かが助けてくれる事が多かったのに。今の僕には時間稼ぎもする意味はなく、誰も助けに都合よく現れたりしないであろう。この時間、ガルシェはまだ街の外だ。ここに来る事も言っていない。保険に銀狼を連れてくれば良かったと遅まきながら思う。ただ一対一でないと、話が拗れる可能性があり。避けたいのも事実だった。僕が街の外に出るの、ガルシェは絶対怒るだろうし。孤立無援なのだから、自分でどうにかして打開するしかない。のだが。そも、首が圧迫されていて声も出ないのだから。どうしよう。後は彼の意思一つで、終わる。終わってしまう。始まろうとしたものが、始まる前に。
食い込む歯が薄い柔肌を貫通し始めたのを感じる。ぷつりと、とても呆気なく。それで唸り続けていた、怒りに染まっていた筈の一匹の狼が、ハッとしたように。目を見開くのがよく見えた。食い込んでいた牙が外されると、唾液に血液が混じった糸が繋がっていたけれど。長い舌が自身の汚れた唇と一緒に綺麗に舐めとり、ガカイドの瞳孔が大きくなる。
「……ハハッ、マジで美味えじゃん」
僅かに血に染まった相手の口元。陥没した穴から滲み出るように垂れているのか、出血量はそこまででもないが。じくじくと傷んだ。そのまだ凝固していない真紅の色を舐め取り、味の感想を信じられないとばかりに零しているガカイド。そうして僕も、そんな彼を見上げながら内心動揺して。そして、自分の心のつっかえが一つ。消えて楽になるように感じた。
良かった、まだ。生きてた。自分の生を。生物として皆。赤い血が流れているのだから、傷つけばそれが漏れ出すのは当然で。当然だからこそ。
「何、笑ってるんだよ。気持ちわりぃ……。状況わかってんのかよ」
嗚呼、そうか。僕は今笑ってるのか。死にかけてとても怖い思いをしたのに。それでも、咄嗟のところで踏みとどまってくれた相手の言葉で。自分の事なのに気づかないなんて。こうやって押し倒すようにして、彼が伸し掛かってくるのは三度目であった。一度目も二度目も、ただのおふざけの範疇であった違いはあれど。最初にされたのは咬む真似であって、今されたのは本当に喰い殺す意思が牙に宿っていたのにだ。生きている。
「市長さんに、成功したら烙印を消してくれるようにお願いしたよ」
「嘘だっ、そう簡単に消えるもんじゃねぇ。だってこれは、俺様の……」
喋る度に痛みが追従するが、構わず告げると。罪の証であると。眼前の男が悲痛に叫ぶ。ずっとここに縛り付けられた、裏通りでしか生きられなかった。生きる事を許されなかった相手の。これまでが、否定していた。僕の言葉を。だから狼の鼻がひくりと動くのを見て。心を落ち着けながら服をたくし上げて地肌を無防備に晒す。彼らにはこれが一番伝わるだろうから。それが肉食動物が、まず食べ始める柔らかいお腹だとわかっていながら。
「嘘、ついてるにおい。する?」
ぴとりと、湿った鼻が吸い付くようで。続いて空気が流れる動きで擽ったさを感じた。脇腹や、臍、胸。そうやって嘘だ、嘘だと言いながら。なんども嗅がれる。
「お、俺様は。臆病者って呼ばれて、馬鹿にされてるんだぞ」
「それは過去の話で、聞いただけでしか知らないけれど。僕が実際に見てきたのは。怖い相手にも助けようと庇ってくれた君だよ」
嗅ぐのを終ぞ止めてしまった相手は。僕のたくし上げた服を握りしめて。顔をお腹に埋める。そうされると表情が見えないし、彼が喋ると口元の毛が擽ってきてつい身を捩るが。自分よりも体格がいい相手が乗っかってるのだから、あまり意味はなかった。手をそのまま、ガカイドの頭部に持っていけば。毛質の硬い感触が受け止める。指を通そうとすると、ひっかかって。撫でづらい。
意識して、語り掛ける口調を穏やかにしながら。相手の不安を解いていく。暴漢から逃がす為に、勇気ある行動をした。この街でガルシェに次ぐ、僕の中のもう一人のヒーローに。だからずっと、僕も彼を助けたかった。助けたいのに、その手段も、力もなかった。
「俺様が指揮してたチーム、壊滅したんだぞ。そんな相手に命、預けんのかよ。今まさに、殺されかけて」
「僕の命で何かが良くなるのなら、安いもんだよ」
これは本当に、心からの本音。自分の命を軽んじるわけではないが。それで、誰かが助かるのなら。ガルシェの居場所を守れるのなら。僕に迷いはなかった。それでガカイドもこの薄暗い場所から救い出せるのなら。この街を。そうやって、たいそうな事を思っても、結局僕って。自分一人じゃなにもできないのだけれど。
僕のお腹の上で乾いた笑い声をさせ。頭、マジでどっかネジ。外れてるんじゃねーのって。赤茶狼が嗤う。とても獣臭く、汗臭い、男の後頭部を撫でながら。これ、帰ったらガルシェに怒られるなって。手を洗っても落ちなさそう。
だから、そうだな。僕は改めて自分を俯瞰して。言う言葉を、言うべき言葉を考えて。そうやって。
「だから、ガカイド。僕って一人じゃ何もできないからさ。だからさ。どうか僕を。助けてよ。あの場所まで、連れて行って」
力を、貸して。
顔を隠した男に。また嗤われてしまう。握られた服がさらに皺を大きくする。ガカイドが一つ深呼吸して。僕の上で四つん這いになって、お腹に顔を埋めているのだから。彼の垂れ下がった尾が、ゆらりと揺れたのが見えた。何かを振り払うように。正直、これで駄目なら諦めるしかなく。せっかく取りつけた約束もご破産になるのだけれど。
「プランは。あんだろ、聞かせろよ」
未だ、面を上げない男の声は。先程よりもしっかりしたものだった。
「もう一人、市長さんがレリーベさんを同行させてくれるって。移動と運搬手段も、手配してくれる。鍵は僕。行く場所の扉が開く保証はないけれど、僕はあの都市部から来たから。そこから出てこられたのなら、入る事もできるかもしれないって。そんな計画。プランなんてだいそれたものでもないよ」
僕の話を聞いて。また、深く息を吸うものだから。呼吸が擽ってくる。
「なんであいつが。出てくんだよ。意味わかってんのかよ……」
「行く場所の地理に明るくて、補助してくれるって。いくらなんでも僕とガカイド二人じゃ無理だろうって言われた」
成功率が上がるのなら、こちらとしては願ってもなかった。本当に行ったところで、使える物資があるのかもわからないのに。出たとこ勝負なのが申し訳なかった。
「なんで、市長が。そこまで動くんだよ」
「僕が可愛いから、とか」
ちょっとふざけて言ってみるけれど、これにはガカイドは無言を貫いていて。言われた内容を熟考しているようであった。僕としては面白いと思って、場を和まそうとしたのに。無視しないで欲しい。
でも本当に。こんな不確かなものをよく許してくれたものだった。あの灰狼が何を考えて。実際のところ、僕の説得でしょうがないなってそのまま許してくれたとは思えなくて。上辺だけのことをそのまま真に受けるべきではない。優しい人ではあるけれど、僕に腹の内を全部見せる気もないだろうし。頼れる人ではあるが、信頼はできない。僕を排除してしまいたい可能性だって、まだ残っているのだから。
お腹の上で身動ぎした後、漸く男が顔を上げた。眉を下げてこちらを見つめる瞳は揺れていて。どこか悲しそうな。
「……俺様の、ためか」
「というより、街のため、かな。食糧難を改善しない限り皆、お腹がぺこぺこで冬が越せないし」
動物とか、飢えると共食いとかするって聞くけれど。まさかレプリカントの人もしない、よね。中身は人間と変わらぬのだからないと思いたいけれど、食人という前例があるから。否定しきれない。だから、そんな悲しい事が起こる前に。何とかしたかった。ガルシェがどうしたいか悩んでいる際中なのに。街に混乱が起これば一気に瓦解して、せっかく得られる筈の資格すら有耶無耶になる恐れだってあった。邪魔したい奴らが居るらしいし、何もかも上手く行くと楽観視はできない。市民の不満がいつ爆発するとも限らないのに、できる事があるのなら。それが僕に良くしてくれた人達への恩返しに、ガルシェの為になるなら。だからガカイドの為とは言えなかった。君を利用しているとすら思っているのだから。
「市長の許可。同行にレリーベさん。成功すれば俺様の烙印を消してくれるとまできた。ここまでお膳立てされて。こんなの、断る選択肢。最初から用意されてないじゃんか。何がお願いだ、何が助けてだよ。ほんっと、俺様。やっぱりお前嫌いだわ……」
追加で馬鹿じゃねーのって、言われてしまうけれど。嫌いとか。そこまで言われるとちょっとムッとする。かといって、今ならその突き出てる両耳を引っ張ったりできるけれど。それをする気は不思議と起きなくて。
身を起こした彼。同じように僕も押し倒されていた身体を直して。座る。咬まれた首筋を手で触れば、首は依然と痛むのだから。小さく陥没した場所を指先で探ると、凝固しだしてヘドロのようになった血が指先に付着した。
僕がそうやって触っていると、申し訳なさそうにしている男が。じっと、自分が咬んだ部位を瞳が確かめるようにしていて。特に気にしていないふうな僕に、戸惑いすら見せていた。
「その、悪かった。お前を本気で殺しかけた」
「生きてるから、いいよ」
わりと、ガルシェによく甘噛みとして歯型を付けられ。興奮に力加減を誤り、血が出た事も少なくなかったから。慣れが生じていた。痕が残らなければ別にそう騒ぎ立てる必要もないと、達観していた。治るし。多少は痛いのを我慢する日々が続くが、それだけだ。怒る相手を更に煽った代償。ようは自業自得ともいえた。だからこそ、ガカイドを責める気になれなかったのだ。ただそれは、僕の視点であって。加害者になってしまった方は、罪の意識に駆られるのであろう。己の指先、というより爪を触っている仕草に。もしかしたら、最初に僕の頬を爪で裂いたあの時の事を思い出してるやもしれない。それこそ、痕になってないから蒸し返す気もないのだが。出血量だけで言えば、確かにガルシェにされたそれらより、ガカイドにされたこの計二回分が多いといえたが。
指先に付着した血糊を親指と人差し指を擦り合わせて遊ぶ。自分の血で遊ぶのもどうかと思うが。自分の体内に流れてるものが、こうして流れ出て。一定以上出てしまえば、死に至るそれが。物珍しいというのもあった。しげしげと自分の血を眺める僕が、奇妙に映るのか。眼前の赤茶狼は顔を顰めていた。
「なんだよ、やっぱり気持ち悪いな。お前」
「ああ、ごめん。血って赤いんだなって。そう思って」
自分でも色白だと感じる肌から、こんなにも赤々とした液体が出てくるのだなと。改めて、ちょっと面白いなと。好奇心が強いのは前からだけれど。今はそれが、自分自身に向いていた。記憶喪失な人間に。確かに。僕もガカイドが自分の血で遊んでいたら、気持ち悪いと思うし。客観視して、この行動はよくないと。止めたが。
「そりゃ、生き物の血って。俺も含め皆赤いんだろ。海には青い血をした、変なのもいるって聞くけどよ。ああ、そういえば。機械がレプリカントの姿に擬態した奴らは白い血なんだっけか」
彼の言葉を聞きながら。物思いに耽る。青い血って、カブトガニっていうカニみたいな甲殻を持った生き物だったけ。地表はこうも様変わりしてしまったけれど、海はあまり変化していないのだろうか。いつか見てみたい気もした。学校にあった地図も、あまりに遠くの方は記されていなかったし。白い血。この街に初めて来た当初。ゲート前で検知器に引っ掛かり、正体を暴かれ。即射殺。というか破壊された、外見だけ彼らと同じ姿をしたロボットが一体。僕はその一部始終を見ていた。街に紛れ込もうと、たまに居るって。
どうして、機械は彼らを襲うのだろうか。今考えるべきはそこではないけれど。本当に不思議だった。この前この街まで来たらしい、僕は会ってはいないけれど。人間の使節団は襲われないって、噂話で知っているし。どうして、彼らだけ。執拗に。
仕切り直しとばかりに、お互いが座り直して。ガカイドが僕の名を呼ぶ。
「その依頼。俺様。受ける事にした」
「いいの?」
死ぬかもしれない。成功するかも定かではない。そんな依頼に。彼を加担させようとしているのに、自分から話を持ち掛けておいて。そう聞き返していた。そうすれば、いまさら僕がそう聞くものだから。ぷっ、そう軽く吹き出すように笑われてしまった。
僕に対して怒り狂い、殺害しようとまでした。狼の恐ろしい顔は消えて、今は晴れやかに笑う狼の表情。どこか、決意を固めた。男のそれだった。
「ところで、過保護なあいつにはちゃんと許可は取ってるんだろうな」
僕に対して過保護な相手なんて、この街では一人しかいなくて。脳裏に銀狼の顔が過り。言葉を濁す。そんな人間の態度に、困ったふうに。というより呆れられた。
「しらねーぞ、俺様あいつとだけは喧嘩したくないし。ちゃんと二人で話し合えよ」
「内緒にして、こっそり街を出るのは……」
「隠し事にだけは昔から鋭いからな、あいつ。無理だろ」
ですよね。わかりきった事を改めて言われるけれど。やはり、ガルシェに隠し通せるとは僕も思ってはいなかった。絶対反対されるとわかりきってるからなおさら。でも避けては通れない。こうして、ガカイドが行くと言ってくれたのだから。次に説得するのは決まっていて。今、目の前に居る相手は。一緒に説得してくれる気はないみたいだし。正直一番気が重い。彼が僕の身を案じて止めようと、そうするのが予想できるから。それと、首のこの傷をどう隠そうか。僕は自業自得と納得しているけれど。自身の所有物を傷つけられたと判断した銀狼が、どう感じるかは別だった。今この身には、それをした相手のにおいが色濃く残っているのだろうし。一目で、というより一嗅ぎでバレてしまう。しらねーしらねーと、他人事のようにしているガカイドは。もう俺は関係ないという体で居るけれど。そこまで怒らないと思いたい。帰ったら証拠隠滅にと、晩ご飯の支度の前にお風呂に入ろう。入念に石鹸で洗えば犯人のにおいは消せるだろうか。
帰りが僕よりも遅いガルシェにバレないように、できるだけ策を講じよう。怒られるのは僕だけで十分だ。髪を切ってしまったのを少し後悔する。伸ばしっぱなしなら、多少は隠れて見えにくいのに。こうなるとわかりようがないから、しかたないけれど。においは消せても、傷跡はどうしようもない。困ったな本当に。
こうして、ガカイドの家で考え続けても。時間だけが経過して、いくら僕よりも帰りが遅いといってもそれは夜中ではないのだから。うかうかしていると、お風呂に先に入る時間すらなくなってしまうと。僕は慌ただしく、物置小屋みたいな彼の家から退散する事にした。入口に、説得頑張れよって。半笑いしながら、手を振る赤茶狼を残して。
裏通りから住宅区へと向かい、入り組んだ路地を。家までの道のりを走って踏破し、着替えを用意しては。急いで服を脱ぎ。洗濯籠に入れ、そのままお風呂場に直行する。冷水を出して、手早く小さい布に石鹸で泡立てると。普段よりも入念に、自身の身体をそれで擦った。首筋の固まった血だけは剥がさないように慎重に。毎回、全身に浴びるのは躊躇して。決心がいるのだけれど、今はそうも言ってられないと。迷いを捨てて、カランを捻れば。冷たい水が頭の上からシャワーノズルによって細かい粒子となり、降り注いでくる。ちょっと悲鳴を思わず上げるけれど。耐える。軽く泡を流したら、念の為にもう一度。同じ工程を繰り返して。僕は彼ら程嗅覚が鋭くないから、やりすぎ。という事はない筈だ。
そうして、お風呂場から脱衣所に出てくる頃には。疲弊してげっそりした人間がびしょ濡れな為に、余計みすぼらしい姿をしていただろうか。こうして、改めて見ると。自分の鍛えられていない身体は貧相で。見栄えしないなって。水気を大きな布で拭き取りながら。そんな感想を。服に腕を通し、脱衣所から部屋へと続く扉を開いて。まだこの家の主は帰宅していないか様子を窺う。ベッドもキッチンも一緒くたの間取りは。簡単に見渡せ。隠れようがないあの大きな身体をした狼がいないと、一瞬で判断して。そういえば、こうして扉から顔だけ出してると。以前ガルシェが拭く物を取ってくれと、台所に立つ僕に申し訳なさそうにしていた姿を思い出して。頬に熱が溜まる前に、同じ姿勢を止めた。
あのお風呂場での一件いらい。彼とはそういった、性的な接触はなかった。ペット扱いしている時は、そう命令する事も。そして、恋人ごっこをする時も。別に求めてはこなかった。一人でお風呂に入る時、えらく長く入ってるから。恐らく、自身の身体を洗う前にシているのは簡単に想像できたが。
もしかしたら、徐々にではあるが。ガルシェもまた、そうやって。僕に頼るのを止めたのかもしれなかった。発情期ではないのだから。僕をそういう対象と本能が勘違いしていると言っていたし。本番だけはお互い口にはしないし、させないけれど。手淫とかそういう事しかしていない、いまさら求められるのもおかしな話で。だけど、心のどこかでちょっとだけ寂しい気もした。性的に頼られるのも、変だが。これも独り立ちと言えるのかな。最初がきっと、僕達、近すぎたんだ。本当の意味で、恋人になれもしないのに。男の僕が。
徐々に、一人の男として。正常に戻りつつあるのかもしれなかった。彼なりに、前に進みだしたとしたら。良い兆候だ。良い、筈だ。後は、一緒に暮らしている僕が消えれば完璧だろうけれど。まだそれはしない。僕は待つと決めたから。ガルシェは、僕が出て行くのは嫌って。そう意思表示してくれているのだから。ギリギリまでは、彼の隣で見届けたいと思っていた。この街、フォードの難民が僕がこのまま平穏に暮らすのを許さないとしても。ガルシェが、狼の女性と結婚する道を選ぶその時まで。お父さんに、もう少し待って欲しいと。お見合いは断ったのだから。断ってくれたからこそ、彼がデートなんてしたりする姿を見て。僕が精神的に圧迫されないから、待てるとも言えた。もう一度、お互い。自分達を見つめ合う必要があるのかもしれなかった。なんど考えても、ガルシェの事が好きなのは変わりないけれど。ガルシェは、どうなのだろう。僕の事が大事で、傍に居て欲しいと。そう好意を示して、でもそれは恋愛の好きとはちょっと違っていて。僕の好きと、彼の好きは違うと悟ったから。
軽率に出て行こうとしたのに、結局こうして傍に居る。それも、ギリギリまで待つと言いながら。命をこの街に、彼の居場所を守る為に使おうとしているのだから。僕の行動は突飛で、ちぐはぐで。でもいつだって、彼の為にどうにかしたいと。そういったもので。市長さんに愚か者と言われるのも納得だ。好きな相手にはどこまでも愚かになれるのが、人だった。人間は愚かな生き物なのだから。平和を望みながら争いを捨て去れないのも、また。人間だった。
僕が何もしないという選択肢だってあった。でもそれで、食料不足が慢性化してしまい。この街の様子がこれ以上崩れてしまうのが恐ろしい。僕程度が何かしたからと、何も変わらないかもしれないけれど。失う方がずっと。せっかく市長さんが僕の提案を、突っぱねる事なく。背中を押してくれたのだから。ガカイドも、ついて来てくれると言ってくれたのだから。助けになりたいと思いながら、また誰かに頼る自分が情けないと。そう、いつも自分を悲観する考えもまたあったのだった。
これまでの事を反芻していた僕は。前に進む。そうしたかった。不変なんて己がそうであって欲しいと信じたいだけで、そうはならないのが現実だ。ならば悩み、苦しみながらもがむしゃらに進むしかない。僕が晩ご飯の支度をする前に、玄関の扉が開かれて。ただいまと、そう言う銀狼。ああ、もう彼が帰宅するそんな時間だったのか。本当は料理と一緒にいつも通り出迎えたかったけれど。お風呂にも入っていたし、しょうがない。ちょうど、ガルシェと話し合いたかったのだと。隠し事はなしだもんね、僕達。これからする事を。だから。僕のいつもと違う雰囲気を敏感に感じ取ったらしい。ブーツを脱ぎ、着ていた革ジャンをハンガーラックに掛けながら、どうしたと。訝しみながら、肩幅の広い男が近寄って来る。
あのね。ゆっくりと、打ち明ける。僕がこれからどうしたいかを。どうするかを。だから銀狼が。
「ダメだ」
怒気を含んで見下ろして来るのも、織り込み済みで。市長さんに既に許可は貰っており、そして同行する相手。ガカイドを選んだのも。ガルシェは連れて行けない。ついて来て欲しいけれど、それは僕のわがままだ。
「ルルシャがそんな事をする必要はないだろう。そんな、成功する保証もないのに。どうして親父がそれを許すんだ。くそっ」
後頭部を掻き毟りながら、狼の口から舌打ちが聞こえた。あまりに乱暴なその手付きに、銀色の毛が舞う。このまま、何もせずに居られたらそれが一番だけれど。それも。情勢が厳しく、難しい問題であった。この街に一人しかいない、人間の僕は。どうしても悪目立ちしてしまう。差別意識の強いフォードの難民を、刺激してしまう。火種が歩いているとも言えた。
市長として、レプリカントの人達を纏め上げる者だとしても。どちらを優先するか、しなきゃいけないかは。市長さんは、まず間違いなくそうするであろう。厄介払いになると、あれは皮肉で出たわけではなく。本心であると思う。僕という厄介事を、いっそなくせたら。ここまで協力的なのだけは、不信感を煽るが。僕にとって願ってもないのだから。
「……難民に何かされたのか」
ちらりと、狼の目が僕の首筋を見て。その目つきが鋭さを増す。それで、ガカイドのにおいは誤魔化せたんだなと。顔には出さないようにしたが、内心安堵した。ガルシェは、僕が言いだしたら聞かないとこれまでの付き合いからわかっているのか。激高するでもなく、静かに。でも怒りは隠さず、聞いてくれていた。その見上げる程の体躯が、ゆっくりと視線の高さを下げてくれる。片膝をついて、そして。大きな手が僕の二の腕を掴んだ。目線を合わせるようにして。
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それは、君の為だよ。こうして顔を突き合わせて、言うのは気恥ずかしいし。僕のかってな思い上がりめいたものであるのだから。それに、僕自身が行ってみたいという気持ちが確かにあって。そこに真実があると、信じて。自身の出生も。知ったからと、これからどうするというわけでもないし。もう知る必要もあまりないのだけれど。
それに彼には受け持った仕事があるのだから、それをほっぽりだして四六時中。僕に付きっきりとはいかないであろう。それに、良い事ばかりではなかったけれど。それだけではないよ。優しい人はちゃんと居たから、今までここに居られたのだから。ガルシェが、この居場所をくれたんだよ。してくれた側であるガルシェにはぴんとこない話しかもしれなかった。それがどれだけ嬉しかったか。僕がそれでどれだけ救われていたか。人間が一人、獣の顔をした者達に囲まれながらでも、頑張ってこれたのに。
確かに恩返ししたいという気持ちもあったけれど、僕って。結局は、自分の為に、ガルシェの為にしたいだけだから。そんな高潔な考えとは言えないのだった。エゴイストと揶揄されてもおかしくはなく。正直に話す僕に対して、ちゃんと耳を傾けてくれる銀狼。もっと、強く。反対されると思っていたのに。そこだけ意外だった。
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「だいぶ禿げちゃったね、ここ。あまり強く掻いたらよくないよ」
撫でながら、くすくすと控えめに。暗い雰囲気を払拭しようと穏やかに笑うけれど、銀狼が乗ってくる事はなかった。ガルシェの円形脱毛症を覆い隠し。ふと思う。もしも僕が死んだら、もっとひどくなってくれるのだろうか。これは。そうだとしたらちょっとだけ嬉しく思う僕は、やはり悪い人間だ。ストレスにそうなってしまったのだから。お父さんに逆らうのも、きっとしんどかったに違いない。僕の知らない所で、派閥の違う人から。嫌味だって言われたりしてるのだろうか。仕事してる姿はあまり見た事ないし、これだけ一緒に居るのに。彼の知らない部分はまだまだ多い。一気にいろいろ降りかかっているのだろうか。僕がこの街に、この家に来た事で。彼が抱える物が増えてしまって。負担だっていろいろあっただろう。僕の知らない所で、そして見える所で。彼は僕の事を庇ってくれたりもしていて。それは、時として立場とか自分を顧みなかったり。十分守ってくれていた。この街で辛い事が多かっただろうと言ったけれど。ガルシェだって僕のせいで、辛い場面は多かっただろうに。自分だけが悲劇のヒロインにはなれもしない。誰だって何かを背負って、抱えてる。そんな中であってもずっと大事にしてくれて、本当に嬉しかったのだ。
情勢が動いて、街の雰囲気が変わり。ここが分岐点になるのだと思う。そう感じていた。傍観者だけで居られるのならそうしたい。けれど、ある程度この街に貢献すれば。市民権を得られる可能性も考えてはいた。そういう打算だって当然あるのだった。それは二の次で、ガルシェの番を得られる資格。そのチャンスが脅かされないのが一番であったのだけれど。何事もなく、この街が平和であれば。それはきっと叶う。でも、街自体がなくならないとしても、騒動が起きれば。危惧して、その不安が実際に形になる兆しが。人間に対して、現れているのだから。溜まる不満。
こうやって、撫でながら。俯いた狼の頭を眺めて。結局、ガルシェが頷いてくれる事も。肯定に返事してくれる事もしてくれなかった。でも、それ以上ダメだと言うのもしなかったのだった。何か言いたそうにしながらも、堪えてくれていた。優柔不断に感じる時もあるけれど、やっぱり優しいよね。彼は。内心では嫌がりながらも、僕の意思を尊重してくれるんだなって。
本当は、自分の布団もあるから。極力一人寝をして、僕のにおいがないと寝られないと言う彼から。僕という存在から卒業させてあげたいのだけれど、リハビリとも言える。これでは、もしもガルシェが狼の女の人と一緒になる道を選んだ時。弊害が残ったまま別れる事になるのだから。だからこそ、徐々に別々で寝たいのに。
食事の用意をしようとすると。珍しく彼が僕を手で制した。別に僕は疲れてるわけでもなく、そのような素振りはしてないのにだ。だから、困惑する。無言で台所に立った男の広い背に。疑問の籠った目線を注いでも、淡々と始まる。殆ど僕専用と化していたキッチンスペース。いつまでもその姿を眺めているわけにもいかないから、大人しく待つ以外にないのだが。
ガルシェがどうしてそうしたのかなって、意図を考えている間にできあがった料理。何の変哲もない、ジャガイモを蒸してただ塩を振りかけた物と。六本足トカゲモドキの肉の切り身。それと触感がぼそぼそするパン。市場が品薄になり、需要と供給の割合が崩れた今。稼ぎが他と比例して多い部類であるガルシェと、そして僕も市長さんからそれなりな額を貰っていて。二人合わせた食費を持ってしても、以前よりも食卓の質が向上するどころか。維持するのがやっとだった。いくらお金があっても買う物がない。元々安価で供給や備蓄が安定している食べ物がメインになるのは当然と言えた。これぐらいなら自分でできると、そう判断したのだろうか。二人して、無言のまま同じ食事を囲み。食器が触れあう音と、僅かな咀嚼音。特に美味しいとか、そういった感想を考えるのも億劫だった。正直に言えば。だってこれ、昨日と全く同じメニューだったのだから。
「……まずいな」
大好きな肉を噛み砕いて、そう呟く銀狼。独特の臭みが僅かにあるこの肉は、考え事をしながらガルシェが焼いたからか表面が焦げていて。舌の上に乗せると、炭化した部分が苦みとして味蕾を刺激し。そこに普段はあまり気にならない臭みが追加で押し寄せる。というか、気候が寒くなりつつあるのと並行して。このお肉の臭みが強くなっているような。旬が過ぎたのだろうか。焦がしただけではなく、肉自体も柔らかさを損ねている気がする。
無言で食事を続けている僕に、狼の視線が一瞬向いたのを感じた。たぶん、味を気にしているのだろう。珍しく作ってくれたのに失敗したから。メインの肉がこれでは、ガルシェにとってジャガイモもパンも。食い応えがなく、パサついてあまり好きではないだろうなって。そんな事を考えていたから。あまり味自体は何も気にしていなかった。栄養補給だと割り切れば、同じメニューでも食べれてしまうものだ。僕達ではどうしようもない要因でこうなってしまってるのだから、文句を言うつもりもなく。機械的に顎を動かしていたのだった。作ってくれたのに失礼な気もしたが、許可を貰った作戦の事と。ガルシェの事ばかりを考えてしまうのだから。そんな余裕もないと言えた。
重苦しい雰囲気の食事を終えると。今日は僕から一緒に寝ようよって、そう言った。自分の布団がやっと手に入って浮かれてる姿を見ていた銀狼からすると。突然そんな事を言う人間に対して。きっと思う所はあるのだろう。彼から一緒に寝たいと言われる事はあっても。僕からはこれが初めてだった。
家事全般は僕が受け持っており、突然奪われてしまって。なんだか寂しくなってしまったというのが本音なのもある。まるでもう僕は必要ないと。別にガルシェはそう思ってはないとしても。そうかってに被害妄想を抱いてしまって。僕がある程度どうしたいか、どうしようとしているか。銀狼は薄々気づいているようだから。僕のにおいがないとよく眠れないといったり、そういった部分を改善したいと。だから家事を僕に依存している今、少しでも自立しようと。そう彼なりに考えて行動に移したのかもしれなかった。いざそんな姿を見ると、褒めて然るべきであるのに。そう仕向けたのに。それを望んだ僕が、寂しくて。彼の温もりを求めてしまうのだから。
僕からそう言ったのに、嬉しそうにしない銀狼。それでも自分のベッドの隣を開けてくれて。後生の別れとなるとか、今から考えてもしかたがないのに。この街から一歩出たら、わりと本当に簡単に人が死ぬ世界なのだから。きっと、僕よりもずっとたくさん外を見て来た彼であるからこそ。誰かの死を目の当たりにしてきたからこそ。僕があの廃墟となった都市に行く事に、難色を示すのだろう。楽観できないのは頭では理解しているのだけれど。
気軽に大丈夫とも言えない。気休めにもなりはしない。ただ、彼の毛皮を撫でる事しかできなかった。二人して同じ布団に入って。おやすみって言っても。いつもすぐ寝てしまう、寝つきの良い銀狼は。今日だけは、僕が眠るその瞬間まで。暗がりでも光をよく反射するそれが。二つ。ずっとこちらを見ていたのは気づいていた。
市長さんに説得ができたと報告したら。用意ができしだい。出発するのだから。数日は猶予があったとしても。態度が、どこまでも。ガルシェは居候である人間を引き留めたいと伝わって来ていた。それがよけいに、僕が頑張ろうって気持ちに熱がくべられる。この人の役に立ちたいって。僕だってガルシェを守りたい。またごめんねって、言う事になるのだろうか。いつも彼に対して何かする度に、謝ってばかりで。全部上手くいくといいな。ガカイドも。僕も。死んでしまったらそれすら言えないんだなって。彼と一緒の布団に寝転びながら。思った。
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その後嗅覚を取り戻したディランは番の正体に歓喜し、公衆の面前で結婚を申し込むが冷たく拒まれる。ルビーが求婚を断ったのには理由があって……。
愛されることが怖い臆病なヒロインと、彼女のためならすべてを捨てる一途でだだ甘なヒーローの恋物語。
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