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四章
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「にしても良かったよな、水が使えるようになって一時はどうなる事かと」
「聞いた? なんでもあの七光り野郎が手伝ったらしい」
「あー、見た見た。最近色気づいたのか、綺麗と評判のご自慢の毛皮がオイルで汚れて傑作だったぜ」
「普段はあまり仕事に対してやる気なさそうなのに、珍しいよな」
食堂で、まるで作業のように。自分の口の中へと、食べ物を運び。そして上顎と下顎で挟み込み、細かく砕きながら。どうしても入って来る、周囲の会話。雑音のようでいて、耳を塞ぐ程でもなく。それでも、ただただ不快感があった。名は出されていないが、後方から聞こえてくる銀狼を話題のネタにした数人の談笑。
そっか。ガルシェ、頑張ったんだなって。今すぐでも褒めてあげたい気持ちと。お前らもそれで助かってるのだから、少しは感謝したらどうだって。立ち上がり。振り返ってから怒鳴ってやりたい葛藤。それをしてしまったら、こういった手合いは頭ごなしに正論をぶつけると。たちまちリンチにでもされかねないから。腕っぷしが別に強くもない僕は、ただ聞き流すしかないのだが。それでも、不快なものは不快だと。八つ当たり気味にフォークで目の前のハンバーグもどきを突き刺しては、抜いて、また意味もなく突き刺す。
この食堂では、人間が手ベていた物が少ないながらもあって。再現料理らしく、常にメニューにあるわけではないが。それでも、わりかし当たりの日が多かった。マヨネーズやオリーブオイル。醤油っぽい物などがあったりと。調味料が豊富だった。料理人のスキルの高さに感服する。全てをこの街で作ってるわけではなく、一部は他の街からの輸入品らしいが。
アドトパみたいな、人達が運んだ。胡椒や、砂糖といった。手に入りにくい物まで。多種多様な食材が並んでは、消えていく。安定供給には程遠い。コーヒーの豆も、別の街で作られてるらしい。ただ、完全に趣向品であるから。煙草と一緒で入手できる数と、値段はピンからキリであった。煙草は粗悪品の方が多く、紙煙草の中身を出してみれば。半分がどこでも取れる雑草だったなんて詐欺もあったとか。ゲートで麻薬といった物だけは、取り締まられてるから。あまり流通してはいないが、医療関係と。やはりルートはどこかしらにあるもので、裏通りの方では取引されてるといった噂を聞いた。
いろいろな人が集まる、この食堂では。誰しもが食べながら、他の人と会話をしていて。噂話には事欠かなかった。別に聞きたいわけではないが、食べに来ると。否が応でも、入って来るのだから。大声で話す者から、声を潜めて話す者まで。
「ついにフォードが落ちたらしい」
「うそだろ! 相棒が義勇兵として少し前に出発したんだぞ」
「難民が最寄りの村や街へ殺到してるらしい、この街にもその内入って来るだろうな」
「おい、部隊はどうなった! うそだと言ってくれ、なあ!」
「おちつけって」
きな臭い話まで。自分の事で精一杯で、それは今でも変わらないけれど。この街を一歩、外へと出れば。野生動物や、機械の化け物に襲われるんだなって。そんな現実が、街を覆う壁一つ隔てて存在してるのだと。思い出させてくれていた。食事の途中で急に立ち上がった男が、取り乱し。暴れようとしては、足を怪我しているのか容易く他の人に取り押さえられていた。
そう言った事は、多くはないが正直珍しい光景ではなかった。ここは、戦闘に参加する者が多く滞在しているのだから。死と隣り合わせで。数日前に見かけた男の顔が、そういえば最近見かけないなって。そう思ってると、実は亡くなっていたなんて事も。葬儀は別の場所で執り行われているのか、見た事はないが。
武装してる人が日増しに増えている気がする。ここも戦場になったりするのだろうか。
「そういえば、近々使節団が来るらしいぜ」
「このタイミングでかよ。あいつら、自分達は襲われないからって図に乗りやがって」
部外者で、ある意味世間を知らない僕でも聞いて理解できるものから、全くわからないものまで。ただ、楽しそうで。気分が明るくなるような会話が聞こえてくる事はなくて。そんな日ばかりが続くと、自分がそういった不幸に見舞われていなくても。わりとげんなりとしてくる。料理は美味しいんだけどな。レプリカントの人達の舌にはあまり受けなかったのか、余ってるマヨネーズを笑顔で野菜にかけて食べていると。マジかよ、って感じで怖い物を見るみたいな目で見られはしたけど。美味しいのに。僕がわりと、試作品の料理をどんどん食べるからか。会話は注文のやりとり以外でしたわけではないが。食堂の調理を担当している人から受ける対応は最初より改善されていた。やはり、自分が作った物を美味しそうに食べる人というものは。遣り甲斐も感じるもので。それは、作る側になった事もある僕にも共感できた。何も言わなくても、ガルシェが僕の作った料理を美味しそうに食べてくれると。内心嬉しいのだから。
勿論、再現料理だから。惜しいなって味だったり、明らかに調理方法間違ってるなってものもあるにはあるのだけど。人間の僕は、それでも試す価値があった。というより、肉食型の動物の人や、草食型の動物が元になってる人は。味の好みも偏るのか。レプリカントの人向けの料理は、肉がどーんとお皿に乗ってるか。野菜がどーんとお皿に乗ってるか両極端な事が多い。雑食型が好む料理は、僕でもわりといけるのだけど。争いを好まないのか、商人とか、職人といった裏方に徹する人の方が多かった。牛とか、鹿の顔をした人。でもここは、軍人の人が多く。専門がやはり、戦闘面に重きを置いてるからか。肉食型動物の顔をした人ばかりであった。たまに、草食動物の顔をして。肉を食べてたりするから、そんな光景に違和感をどうしても感じてしまうけれど。アルコールや、カフェインを取り込んでも中毒症状を起こさず大丈夫そうだから。内臓はわりと人に近いみたい。それでも、玉葱はダメなのか。今食べてるハンバーグもどきも、玉葱入ってないし。いずれ、これも克服して。人間みたいに食べられるようになりそうではあった。そう思うと、人間って毒耐性が高すぎるな。なんでも食べて来た歴史故か。
「難民が流れて来るんなら、今年は祭りも中止だろうか」
「西地区もめぼしいものは粗方取り尽くしたしな。さらに西へ行くか、それとも都市部へ……」
「今なら手薄だろうけど、それより人間を襲った方が手っ取り早いって。いっそあんな奴ら滅ぼ――」
「おいっ、めったな事を口にするな」
食堂の人達の会話を聞きながら、もっぱら僕の視線は彼らの口元ばかりを追っていた。熊の顔をした人が、骨付き肉を手で掴んで豪快に被り付いていたり。長毛種の猫の人が、自身の毛を汚さないようにか細かく切り分けた。これもまた肉を食べて。皆が纏まった集団で行動する中、市長さんではない狼の顔をした人も僕みたいに孤立した席で食事をしていた。皆が、肉へとその鋭い牙を突き立てて、噛みちぎるのを。口腔内で飲み込みやすいように、さらに小さく。そんなただの食事風景を、見て。僕の視線に気づいたらしい、狼の人がこちらを見る前に。慌てて自分のハンバーグもどきへと顔を戻して。市長さんから聞いた彼らの過去の出来事が、未だ心の中で消化できないでいた。
知識が増えれば、同じ物を見たとしても。それから得られる情報も、受ける印象も違ってくるのだなと。ただ、僕は同族愛めいたものは薄く。だからと、よくも人をとそれで反旗を翻すような者ではなかった。そうなんだと。とても他人事で。そういうふうに抱くのは。同じ人間と暮らした記憶がなくて。僕の記憶の大半が、ガルシェと暮らした日常しかないからだった。だから、どちらかというと。傷ついたレプリカントの人を見る度に、痛ましいと。僕まで悲しくなったりはするだけで。ただ、今まで身近に居た人々が。僕の存在を、どういうふうに見ていたんだろうなって。そう考えていた。
あの銀狼が、僕の事を非常食とでも思ってたとか。そんな可能性は限りなく低く、たぶんこの街で一番。人間の事を大切に扱ってくれていたと思う。といっても、今はもう。この学校跡地が僕が暮らす場所であって。このまま、飼い殺しになるのだろうか。市長さんは、わりと僕の扱いに関しては決めかねている気もした。やる事もないし、こうやって。食事をしながら意味もなく情報収集がてら、意識してゆっくりと食事をするのだから。本当は、さっさと胃の中に詰め込んで立ち去りたいのが本音で。四人掛けのテーブルを贅沢に人間の僕が一人で使用してるのも、あまり良くは思われていないのだろう。別に人払いをしてるわけではなく、誰も同伴しようなんて物好きがいないだけではあったが。
露骨に邪魔だと目線で訴えてくる者から。特に人間に対して悪感情は抱いていないようだけど、隣に座って食事をするのはちょっとね。そんな人まで。僕を視界に入れてする反応は違いはあっても、結局は離れた席を選ぶのに変わりはない。別に、誰かと一緒に食事をしたいというわけではない。寂しいと心の奥底には、そんな感情が確かにあっても。それ以上に、知らない人と食事をして気を遣う方が苦痛であろうし。人見知りがこんな所で発揮されていて。僕みたいに、孤立して食事をしてる事が多い。狼さんも、別に友達がいないというわけではないようで。時折声はかけられるのを見かけた。ただ、やはり群れるのは嫌なのか。積極的に関わろうとしていない。だから、僕と同じぼっちだねなんて。失礼過ぎる同族意識は持ってはいけないのだろう。自分から関わらないのと、関りを持たれないのとでは。意味合いが大きく違ってくるのだし。
遅延行動も、皿の上の物がなくなれば続けられなくなるのだから。ごちそうさまでした。タダ飯を食べさしてもらってる、調理場で忙しなく動いてる人達に対して。感謝の気持ちを心の中で抱きながら。トレーを掴んで、返却口へと持っていく。
何の情報が役に立つかもわからないけれど、こうして噂話とか、人の会話を聞いた程度の情報を集めて。意味があるのか。人間の話題をする度に、僕の事をチラチラと見るのは止めて欲しい。別に関係はないのだから。相手からすると、お前も同じ人間じゃんと言われてしまうのかもしれなかったが。僕はもう、この街に染まり過ぎているから。
夜はどんな創作料理か、再現料理が出てくるだろうか。楽しみといえば、現状の僕にはその程度しかなかったから。食堂の外へと出れば、入口の傍で壁にもたれかかっていた黒豹の姿。僕の食事が終わったからと、市長の部屋へと戻る短い道中を護衛してくれるらしい。一緒に食事は取らないのかと思うが、無防備になるからそれはしないとのこと。あくまでも業務中なのを貫く姿勢。だから、僕の食事中に外で待っているのは。何も食べずに、対面の椅子に座った黒豹の視線がずっとこちらを見つめているのだから。落ちつかないからで。ならばと、外で待ってくれるようにお願いしたのは僕だった。何かあれば、すぐに飛んできてくれるというのも。どこか要人めいた待遇に思えてしまうが、実際の所僕が何かしでかさないか。監視の意味合いが強い。風邪の一件いらい、そこまで彼と心の距離が縮まらない要因でもあった。上手く懐柔して、もう少しこの生活が楽にならないかなって思ったが。そう甘くはいかないらしい。その日一日僕がしてる事を箇条書きすれば、食って寝る。ただそれだけなのだが。ニート生活を強制されているのもなかなかに苦痛だ。これで娯楽でもあれば、まだ。面の皮厚く、過ごせるのだけれど。小難しい書類の山しか、あの部屋にはないし。喋り相手も、レリーベさんしか居ない。ちょっと話しかけても。はい、そうですね、考えておきますとか。そんなゲームで出てくるNPCみたいな反応しかしない。手強いなこの黒豹。もっと会話のスキルを磨いていれば、違った反応も望めたかもしれなかったが。僕だしな。
道中、特に会話もなく歩いていると。目の前から見知った顔が近づいて来て。向こうも、こちらに気づいたらしい。お互いの視線が合うと、にっこりと笑ってくれて。そんな反応をしてくれるのが久しぶりに感じる。
「あれ、ルルシャちゃん。久しぶり。珍しいね、こんなところで会うの」
駆け足で距離を詰めて、一歩前で止まると。自身の膝に手を置いて、屈んで視線を合わせてくれるのは。狼型のレプリカントであり、女性である。ルオネと言う、ガルシェの幼馴染で。僕の友達、と呼んでいいのかな。その人であった。丈の短い臍出しルックで、下は長ズボンを履いていたけれど。わりと露出が多めであった。露出が多いといっても、肌が晒されてるというわけではなく。覗いてるのは白い被毛であり、あえて見せてるそのお腹も。腹筋だって割れている。銀狼と同じアカデミー出身であるのだから、彼女も戦士であるのだから鍛えてるのは当然で。僕の存在しか目に入っていなかったのか、遅れて隣に立っている気配を消すのが上手い黒豹に気づいて。先輩も、お久しぶりですと。姿勢を正しながら挨拶していた。そうか、どこか余裕がある雰囲気から。何歳だろうなって思っていたけれど。やっぱり、銀白赤茶狼三人組よりも上なんだ。
あまり積極的に、外の任務を受けているようではないみたいだけど。かといって、学校勤務でもないらしいから。確かに、ルオネと会うのは珍しいと言えた。後、僕がここに住んでるのも。まだ噂が浸透してないのか、知らなかったらしい。
「……ガルシェがよく許可したわね」
「市長さんの独断だと思います」
あの灰狼の顔を思い浮かべながら、そんな事を言えば。あの人、ちょっと強引な所あるからねって。苦笑いしていた。ちょっと所じゃないと思う。悪口になりそうだから、黒豹が傍に居る状況で声には出さなかったが。僕の事を見下ろしている狼が、人がしている表情からどう思ってるか察したらしい。ルオネがアハハと困ったような乾いた笑いをさせていた。
「ルオネは、どうしてここに?」
「あー。そっか。ルルシャちゃん、人間だもんね。冬が、近いじゃない? だからちょっと二週間ぐらいお休みを申請しに、ね」
僕の質問に、どう答えたものかと。考える素振りをしながら、その返答はちょっと濁されたと感じた。人間。強調して口にしていたから。種族的なものであろうか。表面上は軽く近状を報告し合いながら。裏でそんな事を思う。僕はレプリカントではないから、彼ら特有の事にはとても疎い。聞かれて、少し困ったふうでもあったから。聞いちゃ不味かっただろうか。
こうして、普通に会話できている事に安堵をしていた。もし、あの市長さんの話を聞いた後で。親しいと思えた相手まで、態度を変えてしまったらと思うと。それだけがただ不安であったから。それでも前よりもぎこちなくなっていないだろうかとか。以前では感じなかった、余計な事を笑顔の裏で考えてしまうのだから。影響は少ないとは言い切れなかった。
水不足で大変だったと、愚痴って。おかげで水浴びもできなかったと言いながら、自身の毛皮を触るルオネ。そこで、話題は銀狼に移って。ろ過施設を手伝いに行ったのは知っていたけれど、そこで彼が何をしていたかまでは知らなかったから。他人の口から、銀狼の活躍を聞けるのは嬉しかった。正直意外だったけれど、それなりに機械にも強いらしい。そういえば、機械に襲われて倒したさい。解体作業をしていたけれど、その手際は早かったなと。もうだいぶ前になるなと感じた、その出会った当初の光景を振り返る。でも、大型施設であるろ過設備は。それだけ巨大だから、もっぱら力仕事に駆り出されていたらしいけれど。専門の整備班がちゃんといるらしい。それでも、点検作業をしていても壊れる時は突然であったのだった。
バイクぐらいの大きさをした。大型レンチを抱え、僕の頭ほどありそうなナットを閉めるガルシェの姿を空想して。さすがにそれは脚色が過剰な妄想か。
「じゃまたね。もし外出許可が出たら、また皆で食べに行こうね」
最後にそう締めくくると、胸の位置あたりで軽く手を振りながら去っていくルオネ。それが叶うのなら、是非そうしたいのだけれども。あの市長が許すとは思えなかった。それでも、形だけは。はい、そう返事して。僕も手を振り返す。元気そうでよかった。ただ、それは見た目だけで。こちらに気を遣わせないように、振る舞ってる可能性はあったが。彼女は、そういう人だった。そう思い至った要因は、わざわざ休みを申請しに来たと聞いていたからで。理由を濁したのも、そうなのかなって。
「ルオネ、病気なのかな……」
もう見えなくなってから、ぽつりと呟いていた。別に、黒豹に対して言ったわけでない。白狼を心配する気持ちがそうさせた。やっぱり、同族愛はなくて、身近な友達の方がよっぽど。僕の関心が向いた。でも、返答があると思っていなかったのに。同じ方向を見つめていた黒豹が。僕がそうしたように、まるで独り言のようなトーンで。
「発情期のシーズンだからだろう、お節介なのもいいが。あまり詮索してやるな」
唖然と、隣を見れば。同じタイミングでこちらを見下ろした、黒豹の顔があって。なんて事のないように言うけれど、かなりとんでもない事を言っていた。狼種の雌は、秋の終わりと。春の始まりの二回、発情期があり。冬の間を妊娠期間とし、春に産まれるようにするのが一番理想的らしい。逆に雄は、決まった発情期を持たず。雌に誘発されてそうなるから。においに当てられなければそう影響はないと。雄をその気にさせるのは雌側だから、その分誘われた時の雄の衝動はとても強いらしい。だから、ガルシェの。理性の損失具合も大きかったのだろうか。禁欲を重ねて、過剰にそうさせたとも言えるが。ただ、誘発されたのは。同族の雌ではなく、なぜか人間の、男であったけれど。季節的に、雄もそうなるものだとかってに思っていたけれど。微妙に違うらしい。日常的に、性欲自体はあるみたいだけど。大人になる成長速度も早く、一度に数人孕む事も珍しくないから。人間と違い、子作りの期間は限られようと。繁殖方法は効率性で上回っていた。
なら、ある意味。あの銀狼が、スケベなだけだと勘違いしていたけれど。実際の所、誘っていたのは僕の方って事になるのだろうか。僕の発情臭に反応するのならと、仮定すれば。そんなつもりはないのに。どの種も、多少のズレはあれど。だいたい期間は似通っている為に、この時期。休みを申請しに来る者は多いらしい。だから、ルオネもその一人の内だと。かなり早い段階で、レリーベさんは察していたみたいだった。番を持たない女性は、不用意な男性との接触を避ける為に。家に籠るのが恒例行事と化していた。社会現象として。冬場の働き手が減るのも、問題視されてるらしい。個人差はあれど、風邪に似た倦怠感や気性が荒くなったりと。日常に影響をきたすのだから、働けと無理を強いる事もできないのだが。
だから、レプリカントの女性が重要な役職に就くのはあまり推薦されておらず。内職めいた仕事に就くのが一般的で。自ら銃を持って戦う道を選んだルオネみたいな人は、珍しい部類であった。性差で起こる生理現象。それで軽んじて扱われているというわけではなく、子供を産める女性は男性よりも大切に街で保護されているから。稼げる仕事ができないから、生活苦になるなんて事はなく、休みを申請すれば。十分な援助という生活的保護が約束されていた。一歩外へ出れば、命の危険と隣り合わせである世界で。逆に、腕っぷしといった実力主義な社会性であるから。男の方が、職にあぶれ食う物に困るケースが多いとか。世知辛いな。比較的裕福であろうガルシェと、烙印のせいで貧しい生活を強いられているガカイド。両方の住む世界を見て来た僕は、説明から受ける実感があった。裏通りという、偏った場所であるのも要因ではあるのだが。
あの、素直じゃないひねくれ者だけれど。優しい赤茶色の毛並みをさせた、狼も。どうにかならないものだろうか。どうにかできるかは、僕の立場からすると。微塵も何かできると、思えないけれど。それを決めるのはもっと別の立場の人で。友達を、救いたいとは思っても。その手段はなかった。
ちょっと、僕の配慮が足りなかったけれど。同じ狼であるガルシェが、説明不足なせいもあった。においどうこうは、言っていたけれど。ある意味、無自覚なセクハラだったろうか。悔やんでも、時間は戻りはしないが。うう、異種族の性事情ばかり詳しくなんてなりたくないのに。でも知っておかないと失礼な言動や態度をしてしまう恐れもあるのが、厄介な所だった。人間だからと、ルオネはあまり気にしたふうではなかったけれど。でなければ、その後でまた食事に行こうなんて言わないだろう。市長さんが、教育の過程で性教育も力を入れてるみたいな事言っていたし。僕も授業に参加するべきだろうか。本当に、知らないからと恥ずかしい思いをしてばかりだった。
ただ皆と混じって、人間が授業を受けると変な目で見られかねないから。そういった本があるのなら、一人で勉強しようか。学校だから、図書館とか、資料室とか。それに類する部屋がありそうな気がするし。レプリカントの生態とか、身体の仕組みとか。そんな本を直接ありますかって、レリーベさんに聞く勇気はなかったから。自分で探すしかない。もし、探してなかったら。虎の先生に最終手段で聞こうか。医者だから、詳しそうだ。これだけ、いろいろな動物の特徴を持った人がいるから。その種族毎に、細かく部類分けされていたら。かなり分厚い本になりそうだった。それと、歴史書とか。食人事件は、代々市長を継ぐ者に口伝でのみ語り継いでいると、現市長である。あの灰狼は言っていたのだから。資料としては残ってはないのであろうな。
部屋に戻った後で、勉強したいという建前で。黒豹にどうしたらいいか聞いてみたら。どうやら、一階ではなく別の階に。僕の目的に添う場所があるらしい。一般向けに解放されているが、外部への持ち出しは禁止しており。それは、本の複製がまだ写本しかできず。印刷技術が復活していない為、貴重であると。それも、市長さんが書いたであろう手書きの資料で。見たような気がする。僕でも、見てもいいですかと。市長さんへ確認をレリーベさんに取り次いでもらう。自分の部屋なのに、あの灰狼はなかなか帰ってこないから。直接聞ければ一番早いのだけど。ただ僕を疑ってる節がある彼に、そう易々と許可がおりるかは。あまり、望み薄かと思われたのだが。後日、黒豹の口から告げられた返答は。別に構わないと、そんなあっさりしたもので。肩透かしを食らう。自分で、己の行動を振り返ってみても。信用に足る行動はしていないのに不思議だった。単に、僕程度が見ても問題がないくらい。重要な物はないのかなって。どちらかと言うと、この市長さんの部屋に置きっぱなしの書類の方が。重要な機密文書とか混ざってそうな気がした。これも、僕を釣る餌なのだろうか。不躾に漁らなくて良かった。でも、レプリカント計画と書かれた。あのファイルを数ページだけ見た事実はあって。そのファイルは市長さんの手によってこの部屋ではない、どこかへと持っていかれたのだけれど。どれが、罠で、そうでないのか。それとも、元々そうではないのか。お互い、牽制してる気もした。あの日、僕をいたぶるのを心底楽しそうにしていた。そんな姿を見た後だと、性格はかなり悪そうだ。自分の事は棚に上げて、だが。
僕の食っちゃ寝生活に、自主的な勉強が追加された。黒豹に案内されて、初めて階段を上る。一階部分しかまだ探索した事がなかったから。廊下の様子はあまり違いがないといっても、心だけは新鮮な気がして。廊下の突き当り、他の教室だった部屋よりも広いスペースになっており。独特のかび臭さがあったけれど、本当に調べ物にだけ使われるのか。出迎えてくれたのは、紙でできた森だった。棚にめいいっぱい詰め込まれた、知識を形として残した蔵書。本棚と、申し訳程度の机。入口の傍には、ここを管理してるらしき。年老いたレプリカントの人が居て、レリーベさんが僕の代わりに話しをつけてくれると。特に何も言われず、入室できた。部屋一面に敷かれた、絨毯の踏み心地も悪くない。学校の敷地内から出られない自分にとって、行動範囲の拡張は自ずと心が躍る。
それも、軽く見回した感じでは。訪れる人自体が珍しいのか、他に利用している人が居らず。とても静かだった。入る際に、入退室を記録してるであろう。紙に、レリーベさんと僕の名前を記入した時。新しく刻まれた僕ら以外の名前がなく、前の日も訪れた形跡がなかったから。これなら、他人の目線に晒されたらストレスを感じてしまう僕でも。ある程度集中して読む事ができそうだった。隣で、さて何の本を探すんだとばかりに腕組みして見下ろして来る。世話係の黒豹は、含めない。管理してる人が几帳面なのか、棚毎に探しやすいように整理されているのが非常に助かる。難しそうな本を数冊手に取って、黒豹の視線が一瞬別の所へと逸れたタイミングで。本命である、レプリカントの生活模様が書かれてそうな本を紛れ込ます。エロ本を買う時に関係ない別の漫画とか買ってるみたいだな、なんか。そんな経験自体はないが。というか、エロ本というか。春画みたいな物があるのだろうか。そんな疑問はすぐに解決した。タイトルにそれっぽいのがあったから。もしも一人なら、好奇心のまま手に取ったかもしれないけれど。後ろには目を光らしている黒豹が居るから、その本の前を何食わぬ顔で通り過ぎるだけにとどめておいた。勉強したいと言って来たのに、いったい何のベンキョウをするつもりなんだと言われそうだ。生真面目な人であるし、さすがに怒られそうだった。
本が複数になれば、重さもそれなりで。運動不足の僕にはそれだけで、ちょっとしんどいと感じてしまうのだった。レリーベさんのダンベル、一つ借りるべきかな。一個しかない、ちょっと大きめの机に。どかりと、本達を置いて。手始めに、この街の成り立ちを書いてるらしいページを開く。ちょっとだけ読み進めて、まず驚かされたのは。モノクロだけれど風景写真があった事だった。これらの技術的な復興具合は、思ったよりも進んでいて。それは電気や水道が使えてるのだから、かなり技術水準は高いのだと思う。この街を囲う、鉄の壁ができる工程の途中経過や。過去の偉人だろうか。腰の曲がって杖をついた。仏頂面をした狼の人を、対してその表情を笑顔一色で染めた複数のレプリカントの人が囲んだ集合写真まで。そういえば、この街へ初めて来た頃よりも随分と。動物の表情を読み取れるようになったなと、写真を眺めながら思う。知性は人とそう変わらず、感情豊かで。表情もそれ相応に変わるのだから、まだわかりやすいのもあったが。後、耳や尻尾といった別の場所でも。彼らの感情を示す部位があって。唯一嬉しそうなにおいとか、悲しそうなにおいといった。彼ら特有のコミュニケーションの仕方だけはこれからもわかるようにはならないのだろうな。視力を失うと、それを補おうと人間の脳は働くらしく。視力を失う前よりも嗅覚や聴力といった部分が発達するなんて事があるらしいが。においを感じたいからと、自ら目を潰そうなんて発想には至らなかった。本を捲っていると、ページとページの間に動物の毛が挟まっていて。それを見て、くすりと静かに笑う。僕以外にも、勉強熱心な誰かが居たらしい。
ふと顔を上げると、僕の行動を何もせず見守ってるのかなって思っていた黒豹は。いつの間にか隣で、僕と同じように自分で取って来たであろう本を読んでいた。ただ、その分野は軍事書物らしく。僕が取って来た物よりも、さらに難解そうだったけれど。
ずっと退屈だったから、勉強があまり好きではないけれど。久しぶりに時間を有効活用できた気がした。後、知らない知識を詰め込む事で。僕の好奇心が一時的に満たされるのもあって。数は多くなかったが。読み進めて、別の本を探していると。小説とか。そのテーマが、自分が見て来た外の世界を面白おかしく脚色した内容とあっては。それが一番、時間を忘れて読みふけってしまった。機械達との遭遇、共に旅する仲間との不和、そしてラブロマンス。人間達との邂逅。見た事も、聞いた事もない。地球に存在する動植物とはちょっと違う。熊ぐらい大きな、人食い兎とか。どこまでが嘘で、本当かはわからないが。それに、本当にここが僕の記憶と同じ地球なのかも怪しい。似ているだけで、実際は違う星という線もある。それだと、言葉が通じる説明がつかないが。作者は最終的にこの街に骨を埋めたらしい。番との間に、子供が産まれたと最後にそう締めくくって終わっているから。もしかしたら、これを書いた人の子孫とどこかですれ違ってるかもしれないな。
やっぱり、人間はどこかで生きて。生活してるんだと。確信を得ていく。人伝に聞くより、こうして書物として残ってると。より実感が湧く。残念ながら、とある時期を境に。この街と人間達との交流は途絶えたきりであった。その理由は、想定通り記されてはいないけれど。僕は既に知っているのだから、記されていなくても問題はないのであった。
それと同時に、大きくレプリカントの人口が減少しており。産まれた子供に対して、大人の数が合わなかった。これは食糧不足で、子を優先した結果。飢え死にと同時期に街を襲った疫病が原因だとほのめかされていたが。実際の所、生き延びた後。人の味を覚えたレプリカントを、同じレプリカントが処理したからだと思われた。
歴史書を読み進めていくと、それからの教訓と。我々は知性ある人であって、飢えた獣ではない。と、そう誰かが書き足したのか。著者とは明らかに違う筆跡と、本に書かれてる文字よりも少し大きくあったから。それが、とても印象に残ったのだった。誰だろう。過去を想い、憂いている人であるのは確かだけれど。
彼らを知っていく中で。変わっていく印象、変わらないもの。色眼鏡では見たくなかった。僕の目で、見て。耳で、聞いて。判断したいと、心から思ってる。それだけは当初から変わらない。それでも、心の奥底には。自分よりも大きく、力の強い相手に対する。本能的な恐怖は残ったままで。これはもう、どうしようもない。それを覆える程の相手に対する、敬意を持って。優しさには、優しさで返したい。僕は、少なくとも。不幸ではないのだから。不幸だと、感じないように。させてくれていたのだから。
ネガティブな考えをさせがちだったけれど。それだけは胸を張って、言えた。自分の命を少々軽んじて、つい無謀にも立ち向かってしまう時だってあって。そんな時、必ず誰かが助けてくれて。はたまた、相手の気まぐれで。生き永らえて。
こうして、世話役を受け持ってくれている。今一番顔を合わす相手である、黒豹だって。悪い人ではないのだから。またガルシェが会いに来てくれるだろう、その。約束もしていない、いつかを楽しみにして。心の支えにしながら。自分の周りへと目を向けて。月日だけが流れて行く。
「よっ、ルル坊!」
誤算だったのは。あれからフォデライさんが、割と僕の話し相手になってくれる事だった。どうやら、あの柴犬の子であるシュリくんの一件以来。気に入られたらしい。ただ、ちょっと声が大きいから。呼ばれる度に、周囲の職員さんの視線とかを集めてしまうのだけれど。後、独特な呼び方。坊って程子供でもないと思うけれど、彼らとの身長差を考えると。そう感じるのだろうか。
食堂で会うと、わざわざ僕の座ってるテーブルに自分の食事を載せたトレーを持ってきて。断りもなく座るのだから。なかなかに、心臓に毛が生えてるタイプだった。四人掛けのテーブルだから、使い方としては。この狐の男は正しいのだけれど。僕が勢いに押されて、たじたじになっているのを見かねたのか。廊下で待機してる筈のレリーベさんまで席に座って。四人掛けのテーブルは、最初は僕しか使っていなかったのに。今では人間一人と、レプリカントの男二人。計三人が利用するようになっていた。空いた最後の席は、フォデライさんのバッグが置かれている。基本は夜勤らしく。会う時間帯はもっぱら夕食時であった。僕は食べたら後は寝るだけだけど、豪快に笑う狐はそのままゲートへと向かい。仕事をするらしい。僕が最初にこの街に訪れた時は、まだ夕方だったけれど。その時は日勤だったらしく。今はその時夜勤の人と交代してるとか。常に解放しているゲートの管理勤務は、そういった面で大変と言えた。
「朴念仁のレリーベはともかく。それで、我らが市長さんとは少しは打ち解けられたか?」
本当に、ずけずけと何でもかんでも聞いて来る人だった。多少は躊躇するような話題だって、平気で。別にそれで陥れようとか、そういった悪意は感じられず。屈託のない笑顔をさせながら、僕がぜんぜん。というかそもそも会わないですと正直に言えば。そうかと、また大きく口を開けて。笑うのだから。裏表がないのだろうな。食べるか喋るか、どちらかにして欲しい。少し食べカスが飛んで。黒豹に注意されていた。悪い悪いと、その態度はぜんぜん悪びれてないけれど。注意した本人である、レリーベさんもそれで気分を害したようではなかったから。昔からこうなのであろう。二人共、付き合いは長そうだ。太く、大きい、まさに狐色の尻尾が椅子からはみ出してブンブン揺られているから。後ろを通る他の人が邪魔そうだと言いたげに通過するのが、対面の僕にはよく見えた。とうの狐さんは、全く気づいていない。
「あ、そうか。そういや、人間の使節団が近くまで来てて。街の外で会談してるんだったわ」
明日の天気でも言うぐらいのテンションで、狐が言うから。思わず聞き流しそうになってしまうけれど、この人。わりと重要な事をぽろぽろ零すので油断ならなかった。使節団どうこうは噂話で知っていたけれど。そうか、相手は人間だったのか。
「……着いて行きたかったか?」
急に一瞬黙ったと思うと、フォデライさんが真剣な顔をして。そう聞いて来た。この顔は、以前。シュリくんの事で、頭を下げた時と酷似していた。確信を突くように、急にドキリとするような事を聞くのだなと。平常心を装いながら、少し考える。即答できていないけど、急かさず。狐の男はこちらの答えを待っていた。眉を顰め、真剣な顔つきに変わると。狐の少し狼よりも細めなマズルが、切れ味を増したように。雰囲気を変えるから。まるで先程豪快に笑っていた人はよく似た別人かと思わせる。
「いえ、別に暮らすさいの必要最低限の物しか覚えてないので。人間だからと、無条件に会いたいかというと。そんなには。どんな人達なんだろうという、好奇心は確かにありますが」
それが、現状の僕が出せる。人間に対する見解だった。向こうだって、こちらを知ってるかはわからず。そして、僕の立場は凄く微妙であって。過去の事を鑑みると、人質にされているとか。そんな交渉材料として持って来たのかと、悪印象を抱かれる可能性だってあった。市長さんの事はあまり好いていないが、その仕事を邪魔したいとは思っていない。
僕の瞳を見つめて、嘘はないのだと。たぶん、においでも。感じたのか。真剣身を帯びていた雰囲気はたちまち四散して、いつもの笑顔の絶えない。そうか! と牙を光らせて笑う、狐がそこにいた。
「いや、なに。市長さんも、最初は連れて行く案があったみたいだが。この街で暮らしている、貴重なサンプルケースだとかなんだとか言ってたな。最終的に、ルル坊が変な事を言って会談がおじゃんになるのを恐れてか。お偉いさん達の会議では却下してたけどよ」
「喋りすぎだ、フォデライ」
「どうせ、遅かれ早かれ知るさ。レリーベ。それと、悪いが俺はルル坊の味方なんでな。人見知りのシュリ坊が触れられても嫌がらなかったどころか、自分から抱き着いてたんだ。信じる価値はあると、俺は思うぜ」
「お前……」
狐の言い分があまりにも意外だったのか。黒豹は珍しく、そのポーカーフェイスが崩れていた。それは、僕もだった。そこまで言ってくれるとは、思ってもみなかったのもあったけれど。言ってはなんだが、表面上はとても楽観的で。デリカシーのない人だってこれまでの印象からそう感じていたから。長い時間共にしたわけでもないから。黒豹の方が、一緒に居た時間は多いであろうに。異種族で、どこの馬の骨ともしれない僕相手に。不意打ち過ぎて、不覚にも感動してしまった。だから、ちょっとレリーベさんとフォデライさんが言い合いを始めてしまっても。それを止める事も、できないで。机の下で、誰も見えないように自身の手を強く握りしめるだけしか。
「別に俺も。彼の事を怪しい奴だとは、はなから思っていない。ただ、お前の言い方は聞きようによっては相手を傷つけると言っているんだ。知る必要のない事もある」
腕組みして、この中で唯一何も食べていない。愚直に護衛の姿勢を崩さない黒豹は、狐に対して窘めるみたいに言うのだった。こんどは、狐があれれと。そんな表情をさせて、驚いていて。ただ、その後。口元を手で隠しながら、笑いを堪えきれないといった感じで。机を叩くフォデライさんに。ますますレリーベさんの機嫌が降下していく。
「んだよレリーベ。お前、すぐ相手を威圧するから。ルル坊をいじめてやしないか、少し心配していたけど。相変わらず、弟分には弱いよな。昔から」
極めつけに、狐が揶揄うようにそう言ったものだから。黒豹がそっぽを向いてしまう。その様子を、微笑ましいけれど。どこかせつなそうに、狐が見ているのまでは。僕は黒豹の珍しい、とてもわかりやすい態度に夢中で気づかなかったのだけれど。
狐の介入で、ささやかながらも。僕の日常には楽しみが増えた。居るだけで場を明るくする人って、本当に居るんだな。僕みたいに、居ても居なくてもそう変わらない人間も居れば。黒豹は自主的に気配を消しがちであったが。元々の仕事は何をしていたのだろうか。小さい子とか面倒を見ていたわけではないのであろう。教育係、というわけでもなさそうだ。密偵とか、なんて。
当初はただ噂話とか暇だから情報取集がメインだったのに、今では。夜ご飯に彼らと一緒に食事をするのがメインになってるのだから。声の大きいフォデライさんのせいで、周りの人達の声がかき消されてしまうし。それに、鬱陶しいぐらいに。僕に話しかけてくるのだから。たぶん、レリーベさんとはまた違った世話焼きなのであろう。ガルシェと会えない寂しさを、紛らわしてくれるという意味では。とても助かっていた。どうしても一人になれば、彼の事ばかり考えては辛くなるのだから。年上の友達と言っていいのか、そんな人が増える事が嬉しかった。
だから。銀狼の家で暮らしている頃は。その家での事しか。今は、学校という。それも一部の施設にしか行かないから。それ以外で何が起きて、どうなってるかなんて。本当の意味で、僕は知らないままで。いくら知識を蓄えようと。活かす場所もなく。闇雲に時間だけが過ぎていくだけで。飼い殺しされるのが、ただ暗い夜道をあてもなく歩いてるようで。僕は、どうすればいいのだろうか。
今日は数日続いていた寒さが少し大人しくなり、肌寒く感じないぐらいには。暖かく思えた。世話係であるレリーベさんの姿は、市長さんの部屋にはなく。ただ、退屈そうにしている人間だけが。椅子に座って、時間がただ流れていくのに任せていた。ずっと見張られているのが嫌で、それを正直に言うと。用があれば部屋に呼びに来てくれと、そう交渉に成功した結果だった。図書室といっても、その本は有限で。そして僕が興味が引かれる物、読んで楽しめる物と選り好みすれば。膨大な数に対して、手に取れるのはほんの少しであって。毎日、朝から暗くなるまで。ずっと休憩を挟みつつ、文字とだけ仲良くしていれば。枯渇してしまうのは自然な流れで。だからと、もっと別の。違うジャンルまで読もうなんて気分でもなく。これが勉学に励む、切磋琢磨な学生であればまた違ったのだろうけれど。一人だし。就職とか、なりたいものもない。向上心が全くないというわけでもないが、わりと手を抜いていいなら別にいいかなって性分だった。結局、市長さんは僕をどうしたいのだろうか。月日だけが過ぎていくばかりで、どうしろと何も言われず。生活の保障だけはされているけれど。食堂のご飯は美味しい。あれが毎日食べられるなら。僕が作る必要はないし、ガルシェの家にも届けられないかな。
静かにしていると、かってに部屋の扉が開かれた。誰だろう。自室で待機してくれていたレリーベさんかなって。でも昼には早い。顔を向ければ、久しぶりに灰狼が立っていた。いつも通りのスーツ姿だったけれど、血のように赤い。深紅の繊維はどうなのだろか。ネクタイは黄色で、中に着ているシャツは白。黒い革靴。どれも持ち前のスタイルの良さで、綺麗に着こなしているから。まるでどこかの社交界や、モデルさんみたいだったけれど。第一印象は、派手だなって。その分、表情が疲れを滲ませていて。扉を開いた事で、僕と一時目線がぶつかったけれど。溜息と共に逸らされた。そういえば、フォデライさんが今日使節団との会談がある日だって言っていた気がする。本を読んでるばかりの日々だと、日付の感覚が麻痺しそうで。忘れていた。
どういった内容かまでは知らないが。あまり結果はよろしくなかったのだなと、その表情から窺えた。ネクタイを緩めながら、自分のいつも仕事してる椅子に座ったのを見届けて。それに、お疲れ様ですとか。声を掛けようとは思わないが。空気に徹する。正直疲れてますオーラ全開な相手を、わざわざ構うのもめんどくさいというのが本音だった。
苦しそうに、綺麗に留めていたボタンを外して。椅子に深く腰掛けて、天井を眺めてる白髪の混じった狼の横顔。これまで見た中で、一番覇気がないから。本当に疲れ切っているのだろうなというのはわかる。僕が居て邪魔なら、図書室にでもまた行こうかな。そんな事を考えていると。
「ガルシェに、会いたいですか」
いつの間にか、天井を見つめていた筈の。灰狼の顔が、僕の方に向いていた。ちょっと姿勢を正しながら、考えて。一応、頷いておく。いまさら、その質問をする意図はわからないが。あの時にすぐさま返事ができなかったけれど、僕は確かに。レプリカント。というより、身近な。数人を、確かに好きだった。たとえ動物の顔をしていようと、大切な友達で。それは変わらない。ガルシェが、好きだった。過去は過去だと、頭では割り切れている。今の彼らには関係ないと。でもなかった事にはできない。
「まったく。言いつけも守らず。学校に忍び込んで、困った息子だ……」
やはり。バレていたと、部屋に置きっぱなしである籠を見ながら思った。着替えを持ってきてくれたから、それを洗濯して着回せば服に困る事はなく。お風呂も入れるし、食堂でご飯も提供されてる今。生きる上で困った事は一つもない。
「貴方には、一応感謝してるんですよ。認められる為にポイントを稼げと言っても、のらりくらりと。強く言ったら言ったで、危険地帯に一人で行くなど。でも貴方が来てから、積極的に仕事にも取り組むようになって。最近ではろ過施設の修復に手を貸したりと。会議での評判も改善されています」
お父さんの言う事には逆らえないと。ガルシェは言っていたように思うが。結構、背いていたのだなと。番を得る為に、そう目的を持ってるようではあったけれど。彼と共に暮らしてる中で、実際の所それに関してはあまり意欲的ではなかったように思う。僕を使った装備の弁償をしろと言って、住まわせたのは。体のいい言い訳に過ぎず。それから一度も、金銭を催促された覚えはなかった。
「それだけなら、順調で。見逃せたのに。まさか、息子が人等に絆されるのは計算外でした。狼の気質上、間違いがあってはいけないと。必要以上に人との関わりを避けさせ。交友関係も絞って。だというのに……」
忌々しいとばかりに、狼の顔が睨んで来るけれど。僕が、彼に特別何かしたとは思えなかった。どちらかと言うと、されたのは僕の方で。ずっと守ってもらっていたから。
――傍に居てくれ。出て行かなくていい、このままがいいんだ。
今になって、もう一度。あの時の銀狼の言葉の意味を考えてみる。ただの酔っぱらいの、その時出たもので。特に意味はないと思っていたけれど。だって番を求めていたのはガルシェだったから。
「番を得られるように。まったく、あの事件さえなければ。私が口を出さずとも、既に息子には子供が居てもおかしくはなかったのに」
「それって。卒業試験の、ですよね」
市長さんが、知っているのかと。顔を歪めた。思い出すのも嫌なのだろか。これは、ガルシェから聞いたわけではなく。ガカイドから聞いたものであったけれど。同じ当事者であるから、さして間違ってはいないだろう。
「聞いていましたか。そう、そうです。あれがなければ。調べても手掛かりは出ませんでしたが、誰かが仕向けたものではないかと私は思っています。でなければ都合よく、息子が参加してる卒業試験に限って。あんな惨事が起きよう筈もないっ!」
だんだんと、熱が入っているのか。語気が強くなっていく。淡々と喋っていたのから、まるで誰かに怒鳴るかのように変わって。
「本当は、息子も責任を問われましたが。その時指揮していた、ガカイドに。全ての罪をかぶせる事で、息子が番を得る資格を剥奪させられる事だけは免れました。それでも、市長の息子のくせに何をしていたと評価はマイナスになってしまいましたが」
「そんなっ!」
思わず立ち上がっていた。何に怒りを抱いてるのか、それは言語化できなかったけれど。衝動的に、そうしていた。ガルシェが言っていた、親父が庇ったせいでと。それでガカイドが、ガカイドだけが。でも、だからと、ガルシェまで裁かれたら良かったなんては思わないけれど。僕は、今。市長さんに、銀狼の父である灰狼に。何を言いたかったのか。立ち上がった後で、言葉に詰まった。
僕のそんな姿を、灰狼は冷めた目で見ていた。他に手段はなかったのだろうか。だって、それで友達が。あの赤茶狼が、ああなったのに。裏通りでしか、生きられなく。
「何ですか。言いたい事があるなら言ってみなさい。人間で。部外者でしかない貴方に」
僕が一時の感情でそうしたからか。興奮していた筈の市長さんは、足を組みこんどは一転。ただ冷静にこちらを見ていた。底冷えするぐらい、鋭い視線に晒されて。か細く、言い返せるだけの材料もない。正論をぶつけられてしまえば、本当に部外者でしかない僕は。口出す権利も、責める権利もなかった。情けなくも、ガカイドだけ。そう言うけれど。何が言いたかったのだろうか。この人に。僕は。まるでつまらないものを見たとばかりに、僕を睨んでいた瞳が逸らされる。
「あれは。私の、大切な番が残した忘れ形見です。贔屓だってしますし。それで何と言われようと構いません。息子をただ愛してる、一人の親の、わがままです」
それで、七光りだと。言われる原因になろうとも。構わないと、そういう事だった。ガルシェは、そう言われるのが嫌であったみたいだけれど。母親は、銀狼が産まれるさいに死んでしまったようであるし。父親の気持ちがどこにあるか。そこだけが不思議だった。この親子関係が、どうしてこうなってしまったのか。ガルシェは、父親の事を嫌って。対して、父親の方は家に帰ってこないから。
「なら、もっと話し合ってあげた方が良かったんじゃないんですか」
愛してると、そう言うのなら。親の事を悪く言う、ガルシェの姿が嫌だった。彼の事を好いてはいても、それだけがひっかかっていた。ずっと。せっかくの、肉親であるのにだ。愛してると言うのなら、どうしてもっと歩み寄らないのだろうか。それは、親からであって。子からはどうしても限界がある筈で。ここまで拗れてしまったのは。きっと、市長さん側に原因があるのだと思った。幼少期から、放っておかれたなどと。放任主義だとしても、度が過ぎている。
僕の吐いた台詞が気に入らなかったのか、灰狼まで立ち上がると。身長差があるから、どうしても僕は見上げる事になってしまうけれど。ちょっと距離を縮められるだけで、その角度はよりきつく。ただ、その歩みは覚束ない。そして、手を伸ばせば触れてしまえるぐらい。振り抜けば、簡単に僕が吹き飛ぶぐらいの間合いに。
関係ない人に、家族の不和を。教育方針の事を言われでもしたら、誰だって顰蹙を買うだろう。かってな事を言うなと、怒鳴られてもしかたなかった。てっきりそうされるものだと思った。いっそ、殴られてしまうかもって。なのに、僕を見下ろす灰狼の耳が倒れてしまって。そんな姿に、困惑した。ネクタイを緩め、背広の前を開き。ズボンに押し込んでいたシャツが、一部外へとはみ出した姿は。悲壮感を漂わせた。
「わからないんです」
絞り出すようであった。もう一度、聞き返したくなるような。それは声量でもあったけれど、言ってる意味も。
「どう接すれば、いいか。わからないんです。なら教えてください。貴方なら。貴方なら、わかると言うんですか」
別に強く言われたわけではなかった。何か直接されたわけでも。だというのに、まるで胸倉を掴まれたように感じたのは、間違いではなかったと思う。唖然と見上げるしかなかった。どうやら、触れてはいけない部分に。僕は触れてしまったのだと。遅まきながら気づいた。
「私は、ガルシェを。確かに愛しています。でも、それと同時に、殺したい程憎んでもいます」
耳を疑った。言っている意味が、まるで理解ができなかった。だって、それは相反するもので。普通なら同時に相手に抱く感情ではないと。そう思っていたから。
「己よりも大事な番を、奪った。息子を、どうして憎まずにいられると言うのですか。兄妹達が死産な中で。唯一あの子だけ。二人で望んで産まれたのに。だから愛して。息子のせいじゃないと頭ではわかっていても。一緒にいると、ふとした瞬間に殺してしまいそうで。怖かった。だから、遠ざけて。でも、一番憎いのは……」
手が震えていた。その震えてる手を、もう一つの手で押さえていた。何かを抑え込むかのようでいて、何かに怯えるようでいて。不意に、僕を見つめる瞳の端から。水滴が一つ、零れた。それは、後から後から。毛の流れに添って。床や、着ている服に落ちていった。立っている足が震え、その身体がぐらついたと思ったら。目の前の男は、両膝をついて。
目の前にある光景から目が逸らせないのに、まるで置いてけぼりになっていた。僕は今、何を見せられているのだろうか。何を、感じているのだろうか。無責任に踏み込んで、人の心に触れておきながら。答えを持ち合わせていなかった。簡単に、話し合えばいいと。そう言ってしまえてた数分前の自分は。とても愚かだったのだろう。
「逃げるように、仕事に打ち込んで。息子の事は他人に任せて。でも、夜中。寝入った間だけは、家に帰って。その寝顔を見て、頬を撫でた時。本当に愛おしいと思えるのに。起きてる時顔を合わせれば、その目が。番とよく似ていて。私は、その目が、一番だめだった」
「本当は、帰っていたんですか」
「気配に気づかない幼い内だけです。息子は、覚えていないでしょう。アカデミーに入る頃には、嫌でも顔を合わせるので。もう帰る事もなくなりましたけど。それでも、性根の腐ったような子に育たず。あの子なりに、立派になろうとしてくれていたから。本当は私に褒められたいと、その表れであったのも知っていて。それでも接触を避けた。市長としての権力で、教官等は最高の教育を命じ。家の設備も、住宅区では最優先で整え。それで良かった。順調に番を得て、幸せになってくれさいすれば。それで。でもあの事件のせいでそれも遠退いて。気づいたら。残っていたのは、お互いにはあまりにも深い溝で」
息子視点では、本当に僅かな部分しか聞けなかったけれど。こうして、親視点の話を聞きながら。途方に暮れていた。どうしたらいいとか。そんな事を言えるだけの。僕は偉い人でもなかった。実際に子供を育てた事もないのに。何を責めていたのだろうか、何を望んでいたのだろうか、この人に。ただ、ガルシェと仲良くしていて欲しいだけであったのに。
「ガカイドには、惨い事をしたとは思っています。ある意味息子を守るために、生贄にしたようなものだった。だから、罪滅ぼしになりもしないでしょうけれど。裏通りで私の息のかかった者に、それとなく仕事を与え。食い扶持にだけは困らないように、でなければとうに野垂れ死んでいたでしょう……」
「烙印は、消せないんですか」
項垂れていた狼の頭が持ち上がり、僕を見た。ただ、目線が合っても。まるで遠くを見つめてるようであって、それは僕を見ているとは言い難かった。
「厳しい、でしょうね。彼の頑張り次第でしょうけれど、その機会すら与える事が。私でも。事実、彼は事件の時、碌に指揮も取れなかったのですから。落ちた評価だけは正当であり、この街の法は曲げられない」
そうか。あの事件のせいで。あの赤茶色の毛並みをした男が、どうして彼だけが責められなきゃいけないのだと。そう思っていたけれど。結局、どうしようもない事だったのか。不当な評価で、そうなったのならまだ。矢面に立たされた部分は確かにあったのであろうけれど。銀狼まで、責任の追及が及ばないように。庇いはしたが。どちらにせよ、彼が烙印を押される結果だけは変えられなかったのかもしれない。
ふと、ぼんやりとした顔をして。部屋にある時計を市長さんが見た。その身体から生気が抜けていた。どこか、仮面が剥がれ落ちたようにも感じる。市長さんというより、ただの男に戻ったような。ああ、次の打ち合わせにいかないと。他人事のように、そう呟いていた。とても、疲れているのに。それでも、動かなければいけないとばかりにそう呟いて。でも、膝立ちで。震えが止まったのか、腕はだらりとさせたままで。いつまで経っても乱れた容姿を整えようとしなかった。時計の針だけが、進む。
「行かないんですか」
「そうですね、仕事をしないと。ですね。でも、なんだか、疲れてしまった」
僕に、いろいろぶちまけたからだろうか。関係ない相手だからこそ、今まで溜め込んでいたのを吐き出せたのだろうか。やつれた顔をさせた狼が、ただそこにいた。
こんな時どうすればいいのだろうか。どうしたら。ガルシェになら、きっと励ましの言葉とか言えただろうに。そこで、自らに疑問。励ましたいのだろうか。僕はこの人をあまり好いてはいなかったのに。ただ、助けたいと、そう思うようになったのか。銀の毛に指を通して、その隠れた地肌を触って、毛並みを撫でて。彼は、僕に撫でられるのを好んでいたから。だから同じように、手を空中に上げて。市長さんの顔の前まで近づけた段階まで来て、止まる。そして、灰狼は。僕の翳された手を見るだけで、何も言わないし、払いのけようともしなかった。それをしてしまって良いのかなって、失礼だとか迷いつつも。結局はその頭に、触れた。普段から身綺麗にしているようであったから、その毛皮はゴワついておらず。さしたる抵抗もなくふんわりと、人の手を受け止めてくれる。
「なにを、しているんですか……」
「ペットなので、飼い主を癒そうかと」
目を見張るようにして、少しだけ間があった後。くはっ。僕の言い分に、灰狼が思わず堪えきれないとばかりに。笑っていた。くつくつと声を漏らしながら、肩を揺らして。そんなに面白い事を言ったであろうか。最初、この部屋に来て言われた事を、少々皮肉って言った自覚はあるけれど。
「そういえば、そんな設定、でしたね」
設定。だったらしい。どうやら自分で言っておきながら、そんな事本人は忘れていたらしいが。目元を拭いながら、まだ笑ってるし。何かしらのタガが外れて、おかしくなってしまったんじゃないのだろうかと。心配になってくる。疲労で脳がやられてしまったりしたのだろうか。だとしたら可哀想だ。
「ところで、人間が、我々を何て言っているか知っていますか」
眉や目元は困ったふうであるのに、口元はまだ笑ってる。頬がひくついて、とても酷い顔をしていた。記憶がないし、ガルシェに連れられてから住みだして。それきり街から出た事がないのだから、知りよう筈もなかった。意外と人間の噂話だけはあまり耳に入ってこないのだから。それも、ずっと昔に関わりを断ったとなれば。毛を触りながら否定を口にする。
すると、灰狼は楽しそうに語り始めた。表情や、そこから窺える感情があまりに様変わりして。情緒不安定だなと。ちょっと芝居がかってるようにも感じる。それだけ、精神的に疲弊していたとも取れたが。
「ケダモノが服を着て歩いてる、だそうですよ。今回こそ、途絶えて久しい人間との貿易を再開させたいと思っていたんですが。以前と同じで。首輪を着けて自分達に尻尾を振るなら考えてやると鼻で笑われました」
それって。言い換えれば、ただの隷属化ではないのだろうか。膝立ちになってくれてるから、撫でやすい位置にある狼の頭を。咎められないからと無遠慮にわしゃわしゃする。自分でペットと自称しておきながら、やっている事は傍から見たら逆であろうと言われそうだった。肩が凝っているのだろうか、毛先を掻き分けて触れた肉の感触は首回りが特に硬いと感じた。机仕事が多いのだから、そうなるのは当然なのだろうけれど。
過去の出来事から生じた軋轢は、かなり根深いものなのだなと感じた。実際、自分達を捕食対象として見かねない。身体的ポテンシャルも上回る相手に、一度そういう前科があるとすれば。尚の事相手視点からすると、信じろという方が難しい案件なのかもしれなかった。
嗚呼、だからなのか。疑っている人間に対して。どうして僕を連れて来た初日。ペット呼ばわりをしたのか。それも計算の内だったのかな、事情を知っていればそれで何かしら反応を返すもよし。それと人間に対する、憂さ晴らしとか、八つ当たりみたいな部分もあったのだろうか。それ自体には、僕はあまりにも気にしてなかったけれど。とりあえず命が脅かされないのなら、呼び名などどうでもいいなって。理由は居候生活が長かったのもある。
なら、僕が先ほど言った台詞も。そしてやっている事も含めると。牙を向いてもいいと思うのだが。それは、しないのだな。首回りから、喉元へと指先を移動し。顎下にかけてをカリカリと掻いてみる。そうすると、ぐっと首が伸ばされ、僕が撫でやすいように少しだけマズルが近づけられた。とても協力的だった。ガルシェで磨いた撫でテクがこんな所で役に立つものなのだな。
「貴方に、ガルシェが固執している節がなければ。無理に引き離す必要もなかった。私の子でなければ。でも、血が。私は、私達は。託されたのだから」
「託された……?」
「使命、とも言えますね。血を、この血筋だけは絶えさせてはいけない」
「なら、愛人でも作ればいいんじゃないんですか」
僕の心ない言葉に灰狼の表情が、悲痛に歪んだ。それと。僕が、なぜ関係があるというのだろうか。それに、血を残す事にそれこそ固執しているのなら。貴方が、そうすればいいのではないのかという。そんな考えがあった。中世の王族とか貴族とかのお偉いさんには、側室とかそういったものが存在していて。どうして、そうもガルシェに拘るのだろうか。自分がすれば、一番手っ取り早いのに。愛情の欠片もない考え方だったけれど、目的を優先するならそうするべきだ。ただ、僕がそう言った時の市長さんの反応から。そうできない理由があったのだろうか。
「言ったでしょう。狼の気質上、それはできないんですよ。私達は動物の因子を強く受け継いでいる。だからこそ、一度番を持ったら。もう、それ以外とは無理なんですよ。番が死んだ時に。人によっては、後追い自殺する者も。それぐらい、狼というのは極端なんです」
そんなに。たった一人、それと決めた人と生涯を共にする。それは美談めいて聞こえるけど。それのせいで、ガルシェは交友関係まで親から制限されないといけなかったのだろうか。今思えば、幼馴染は全員狼型のレプリカントしかいなかったな。それも理由の一つだろうか。でもそれだけでは。僕の中でどうして、彼と引き離されたのかという。その疑問が晴れなかった。仲良くしているといえば、良き友達ではあったと思う。だいぶ、過保護ではあったけれど。固執してると言われてもピンとこなかった。トイレの個室で会った時も。久しぶりに一人になって、寂しさが爆発してるだけにも見えたから。一次的なものであると、断じていた。
「私の見立てでは、ガルシェは。貴方の事を。少なからずもう。だから手遅れになる前に、本能が番と断定する前に。別々にする必要があった」
耳に入って来る市長さんの言葉を、ちゃんと聞いていると思えたけれど。とても、空虚で、実感がなかった。だって、ガルシェは異性愛者で。番を、狼の女の人を求めていて。僕の事は保護者として、心配する気持ちの方が強くて。ちょっと母親に、子供が甘えるような顔も見せたりはするけど。それは僕が家事を一手に引き受けてるからであって。
好意は、一方的な筈だった。僕がただ、そんな彼を好きって気持ちがあって。でも、銀狼が僕に向けてるのは友情で。親心も混じった。人間なのに、隣に居るのを許してくれていて。
「……そんな、はずは」
好意は、一方的でなければならない。僕がただ、彼を好きなだけであって。でなければ、彼の目的を、夢を。邪魔してしまう。たとえ、親からそう言われてだとしても。そうやって今まで生きて来た人なのに。僕のせいで、その目的を変えてしまうのは。郷愁すら持ち合わせていない。断片的な記憶しかないような奴。何も持っていない、僕なんかのせいでだ。市長さんの言っている事を否定したいのに。ただ、それだと矛盾が一つ生じた。
――傍に居てくれ。出て行かなくていい、このままがいいんだ。
なんど、その意味を考えても。答えが不透明だったのに。他者からの指摘で、埋まらなかったパズル。足りなかったピースが、はまっていく感じが頭の中でした。あの銀狼が前へ進むのではなく、停滞を望んでいたとしたら。あの同棲生活を。僕にとって、淡く、甘く、浜辺でする砂遊びみたいに。簡単に押し寄せた波で崩れ去ってしまいそうな、そんな空間をだ。
「貴方が、今まで見て来た人間と一緒なら。さっさと消していたら、良かったんですけどねぇ……。もう、撫でないんですか?」
指摘されて、見上げると。あれだけ近かった灰狼の顔が、離れていた。彼の姿勢は変わっていないのにだ。僕の手だって毛皮から離れている。それで、脱力するように椅子に再び座っているのだと。気づいた。どうやら、力が抜けて座り込むままに。後ろに倒れかけて、元々あった椅子にお尻が着地したらしい。ぐるぐると、頭の中でガルシェの顔が浮かんでいた。胃が落ちつかない。前後不覚になりかけて、膝の上に重しが掛かる。見てみれば、目を閉じた市長さんが頭を僕の太腿に乗せていた。普段は眉をずっと寄せているから。こうしていると、本当に。毛の色以外はガルシェに似ている。だからこそ、しんどそうな姿に。つい、撫でたくなったのだが。これでは、まるで市長さんの方が強請ってるようであった。
閉じていた片目だけが開いて、僕を見上げてくるその瞳が。姿勢からは考えられない、有無を言わせぬものを感じて。頭頂部からにかけてを触る。僕が倒した耳が、ぴんと起き上がってはまた人の手によって倒されて。
「いいんですか、打ち合わせ」
「飼っているペットが、私を離してくれませんからしかたないんです」
「そうですか」
「そうですね」
市長さんが先程見た時計を、撫でながら盗み見れば。もう既に二十分以上は経過している。時間にルーズな人ではなさそうなのに。このままでいいのだろうか。相手方からしたら良くはないのであろう。この会話に意味があるのかは定かではなかった。撫で続けていると。灰狼の首に中途半端にぶら下がっていたネクタイが、滑り落ちるようにして床へと落ちて。中身なんて、実はないのかもしれない。会話をしているようで、意味なんてないのかもって。遅刻したのを、後で僕が怒られたりしないだろうか。引き留めていないし、むしろ業務へ戻れと推薦してる方で。
狼の頭が身じろぎして、その鼻先が僕のお腹に軽く触れる。服越しに呼吸が当たっているのを感じた。
「……なんだか、貴方からは懐かしいものを感じる。どうしてでしょうね」
「さぁ」
亡くなった奥さんに、においが似ていると言いたいのだろうか。人間で、男だから似る筈もないと思うのだが。そうやって、撫でながら。嗅がれていると。やがてその呼吸音が静かになってきて。彼の身体から、余分な力が抜けていくようで。目を瞑ってるけどそれにしては、反応が希薄になってきてると気づいた。これは。
「眠いんですか?」
ぱたりと、僕の言葉に。肉声ではなく、尻尾の動きでもって返事をされて。睡眠障害っぽいのに、どうしてこのタイミングで寝そうになってるのだろうか。取る行動一つ一つが予測できない人だった。その内、寝息だろうそれに変わってしまって。振り落とすという選択肢もあったのだが。さて、どうしようか。ただ、久しぶりに寝られたようにも感じられる。その寝顔は。あの時、机にうつ伏せで寝ていたのと同じで。意識を失った肉体というのは、不思議と重量が増すもので。僕の太腿に掛かる荷重もそれなりと言えた。それでも、自分よりも大きな体躯の男の頭となれば。長時間このままでは、足が痺れそうで。どうしよう、動けない。やはり。だからとこの街で一番の権力者の頭を、叩き落す勇気はなかった。権力に、屈したとも言える。物理的に。
「スーツ、皴になりますよ」
一応忠告がてら言ってみたけど、それに反応を示して欲しい人は。もう尾すら振ってくれない。ただの独り言で終わった事に、つい。息が深く。髪を掻き上げながら、天井を向いた。重いな。やっぱり。
「聞いた? なんでもあの七光り野郎が手伝ったらしい」
「あー、見た見た。最近色気づいたのか、綺麗と評判のご自慢の毛皮がオイルで汚れて傑作だったぜ」
「普段はあまり仕事に対してやる気なさそうなのに、珍しいよな」
食堂で、まるで作業のように。自分の口の中へと、食べ物を運び。そして上顎と下顎で挟み込み、細かく砕きながら。どうしても入って来る、周囲の会話。雑音のようでいて、耳を塞ぐ程でもなく。それでも、ただただ不快感があった。名は出されていないが、後方から聞こえてくる銀狼を話題のネタにした数人の談笑。
そっか。ガルシェ、頑張ったんだなって。今すぐでも褒めてあげたい気持ちと。お前らもそれで助かってるのだから、少しは感謝したらどうだって。立ち上がり。振り返ってから怒鳴ってやりたい葛藤。それをしてしまったら、こういった手合いは頭ごなしに正論をぶつけると。たちまちリンチにでもされかねないから。腕っぷしが別に強くもない僕は、ただ聞き流すしかないのだが。それでも、不快なものは不快だと。八つ当たり気味にフォークで目の前のハンバーグもどきを突き刺しては、抜いて、また意味もなく突き刺す。
この食堂では、人間が手ベていた物が少ないながらもあって。再現料理らしく、常にメニューにあるわけではないが。それでも、わりかし当たりの日が多かった。マヨネーズやオリーブオイル。醤油っぽい物などがあったりと。調味料が豊富だった。料理人のスキルの高さに感服する。全てをこの街で作ってるわけではなく、一部は他の街からの輸入品らしいが。
アドトパみたいな、人達が運んだ。胡椒や、砂糖といった。手に入りにくい物まで。多種多様な食材が並んでは、消えていく。安定供給には程遠い。コーヒーの豆も、別の街で作られてるらしい。ただ、完全に趣向品であるから。煙草と一緒で入手できる数と、値段はピンからキリであった。煙草は粗悪品の方が多く、紙煙草の中身を出してみれば。半分がどこでも取れる雑草だったなんて詐欺もあったとか。ゲートで麻薬といった物だけは、取り締まられてるから。あまり流通してはいないが、医療関係と。やはりルートはどこかしらにあるもので、裏通りの方では取引されてるといった噂を聞いた。
いろいろな人が集まる、この食堂では。誰しもが食べながら、他の人と会話をしていて。噂話には事欠かなかった。別に聞きたいわけではないが、食べに来ると。否が応でも、入って来るのだから。大声で話す者から、声を潜めて話す者まで。
「ついにフォードが落ちたらしい」
「うそだろ! 相棒が義勇兵として少し前に出発したんだぞ」
「難民が最寄りの村や街へ殺到してるらしい、この街にもその内入って来るだろうな」
「おい、部隊はどうなった! うそだと言ってくれ、なあ!」
「おちつけって」
きな臭い話まで。自分の事で精一杯で、それは今でも変わらないけれど。この街を一歩、外へと出れば。野生動物や、機械の化け物に襲われるんだなって。そんな現実が、街を覆う壁一つ隔てて存在してるのだと。思い出させてくれていた。食事の途中で急に立ち上がった男が、取り乱し。暴れようとしては、足を怪我しているのか容易く他の人に取り押さえられていた。
そう言った事は、多くはないが正直珍しい光景ではなかった。ここは、戦闘に参加する者が多く滞在しているのだから。死と隣り合わせで。数日前に見かけた男の顔が、そういえば最近見かけないなって。そう思ってると、実は亡くなっていたなんて事も。葬儀は別の場所で執り行われているのか、見た事はないが。
武装してる人が日増しに増えている気がする。ここも戦場になったりするのだろうか。
「そういえば、近々使節団が来るらしいぜ」
「このタイミングでかよ。あいつら、自分達は襲われないからって図に乗りやがって」
部外者で、ある意味世間を知らない僕でも聞いて理解できるものから、全くわからないものまで。ただ、楽しそうで。気分が明るくなるような会話が聞こえてくる事はなくて。そんな日ばかりが続くと、自分がそういった不幸に見舞われていなくても。わりとげんなりとしてくる。料理は美味しいんだけどな。レプリカントの人達の舌にはあまり受けなかったのか、余ってるマヨネーズを笑顔で野菜にかけて食べていると。マジかよ、って感じで怖い物を見るみたいな目で見られはしたけど。美味しいのに。僕がわりと、試作品の料理をどんどん食べるからか。会話は注文のやりとり以外でしたわけではないが。食堂の調理を担当している人から受ける対応は最初より改善されていた。やはり、自分が作った物を美味しそうに食べる人というものは。遣り甲斐も感じるもので。それは、作る側になった事もある僕にも共感できた。何も言わなくても、ガルシェが僕の作った料理を美味しそうに食べてくれると。内心嬉しいのだから。
勿論、再現料理だから。惜しいなって味だったり、明らかに調理方法間違ってるなってものもあるにはあるのだけど。人間の僕は、それでも試す価値があった。というより、肉食型の動物の人や、草食型の動物が元になってる人は。味の好みも偏るのか。レプリカントの人向けの料理は、肉がどーんとお皿に乗ってるか。野菜がどーんとお皿に乗ってるか両極端な事が多い。雑食型が好む料理は、僕でもわりといけるのだけど。争いを好まないのか、商人とか、職人といった裏方に徹する人の方が多かった。牛とか、鹿の顔をした人。でもここは、軍人の人が多く。専門がやはり、戦闘面に重きを置いてるからか。肉食型動物の顔をした人ばかりであった。たまに、草食動物の顔をして。肉を食べてたりするから、そんな光景に違和感をどうしても感じてしまうけれど。アルコールや、カフェインを取り込んでも中毒症状を起こさず大丈夫そうだから。内臓はわりと人に近いみたい。それでも、玉葱はダメなのか。今食べてるハンバーグもどきも、玉葱入ってないし。いずれ、これも克服して。人間みたいに食べられるようになりそうではあった。そう思うと、人間って毒耐性が高すぎるな。なんでも食べて来た歴史故か。
「難民が流れて来るんなら、今年は祭りも中止だろうか」
「西地区もめぼしいものは粗方取り尽くしたしな。さらに西へ行くか、それとも都市部へ……」
「今なら手薄だろうけど、それより人間を襲った方が手っ取り早いって。いっそあんな奴ら滅ぼ――」
「おいっ、めったな事を口にするな」
食堂の人達の会話を聞きながら、もっぱら僕の視線は彼らの口元ばかりを追っていた。熊の顔をした人が、骨付き肉を手で掴んで豪快に被り付いていたり。長毛種の猫の人が、自身の毛を汚さないようにか細かく切り分けた。これもまた肉を食べて。皆が纏まった集団で行動する中、市長さんではない狼の顔をした人も僕みたいに孤立した席で食事をしていた。皆が、肉へとその鋭い牙を突き立てて、噛みちぎるのを。口腔内で飲み込みやすいように、さらに小さく。そんなただの食事風景を、見て。僕の視線に気づいたらしい、狼の人がこちらを見る前に。慌てて自分のハンバーグもどきへと顔を戻して。市長さんから聞いた彼らの過去の出来事が、未だ心の中で消化できないでいた。
知識が増えれば、同じ物を見たとしても。それから得られる情報も、受ける印象も違ってくるのだなと。ただ、僕は同族愛めいたものは薄く。だからと、よくも人をとそれで反旗を翻すような者ではなかった。そうなんだと。とても他人事で。そういうふうに抱くのは。同じ人間と暮らした記憶がなくて。僕の記憶の大半が、ガルシェと暮らした日常しかないからだった。だから、どちらかというと。傷ついたレプリカントの人を見る度に、痛ましいと。僕まで悲しくなったりはするだけで。ただ、今まで身近に居た人々が。僕の存在を、どういうふうに見ていたんだろうなって。そう考えていた。
あの銀狼が、僕の事を非常食とでも思ってたとか。そんな可能性は限りなく低く、たぶんこの街で一番。人間の事を大切に扱ってくれていたと思う。といっても、今はもう。この学校跡地が僕が暮らす場所であって。このまま、飼い殺しになるのだろうか。市長さんは、わりと僕の扱いに関しては決めかねている気もした。やる事もないし、こうやって。食事をしながら意味もなく情報収集がてら、意識してゆっくりと食事をするのだから。本当は、さっさと胃の中に詰め込んで立ち去りたいのが本音で。四人掛けのテーブルを贅沢に人間の僕が一人で使用してるのも、あまり良くは思われていないのだろう。別に人払いをしてるわけではなく、誰も同伴しようなんて物好きがいないだけではあったが。
露骨に邪魔だと目線で訴えてくる者から。特に人間に対して悪感情は抱いていないようだけど、隣に座って食事をするのはちょっとね。そんな人まで。僕を視界に入れてする反応は違いはあっても、結局は離れた席を選ぶのに変わりはない。別に、誰かと一緒に食事をしたいというわけではない。寂しいと心の奥底には、そんな感情が確かにあっても。それ以上に、知らない人と食事をして気を遣う方が苦痛であろうし。人見知りがこんな所で発揮されていて。僕みたいに、孤立して食事をしてる事が多い。狼さんも、別に友達がいないというわけではないようで。時折声はかけられるのを見かけた。ただ、やはり群れるのは嫌なのか。積極的に関わろうとしていない。だから、僕と同じぼっちだねなんて。失礼過ぎる同族意識は持ってはいけないのだろう。自分から関わらないのと、関りを持たれないのとでは。意味合いが大きく違ってくるのだし。
遅延行動も、皿の上の物がなくなれば続けられなくなるのだから。ごちそうさまでした。タダ飯を食べさしてもらってる、調理場で忙しなく動いてる人達に対して。感謝の気持ちを心の中で抱きながら。トレーを掴んで、返却口へと持っていく。
何の情報が役に立つかもわからないけれど、こうして噂話とか、人の会話を聞いた程度の情報を集めて。意味があるのか。人間の話題をする度に、僕の事をチラチラと見るのは止めて欲しい。別に関係はないのだから。相手からすると、お前も同じ人間じゃんと言われてしまうのかもしれなかったが。僕はもう、この街に染まり過ぎているから。
夜はどんな創作料理か、再現料理が出てくるだろうか。楽しみといえば、現状の僕にはその程度しかなかったから。食堂の外へと出れば、入口の傍で壁にもたれかかっていた黒豹の姿。僕の食事が終わったからと、市長の部屋へと戻る短い道中を護衛してくれるらしい。一緒に食事は取らないのかと思うが、無防備になるからそれはしないとのこと。あくまでも業務中なのを貫く姿勢。だから、僕の食事中に外で待っているのは。何も食べずに、対面の椅子に座った黒豹の視線がずっとこちらを見つめているのだから。落ちつかないからで。ならばと、外で待ってくれるようにお願いしたのは僕だった。何かあれば、すぐに飛んできてくれるというのも。どこか要人めいた待遇に思えてしまうが、実際の所僕が何かしでかさないか。監視の意味合いが強い。風邪の一件いらい、そこまで彼と心の距離が縮まらない要因でもあった。上手く懐柔して、もう少しこの生活が楽にならないかなって思ったが。そう甘くはいかないらしい。その日一日僕がしてる事を箇条書きすれば、食って寝る。ただそれだけなのだが。ニート生活を強制されているのもなかなかに苦痛だ。これで娯楽でもあれば、まだ。面の皮厚く、過ごせるのだけれど。小難しい書類の山しか、あの部屋にはないし。喋り相手も、レリーベさんしか居ない。ちょっと話しかけても。はい、そうですね、考えておきますとか。そんなゲームで出てくるNPCみたいな反応しかしない。手強いなこの黒豹。もっと会話のスキルを磨いていれば、違った反応も望めたかもしれなかったが。僕だしな。
道中、特に会話もなく歩いていると。目の前から見知った顔が近づいて来て。向こうも、こちらに気づいたらしい。お互いの視線が合うと、にっこりと笑ってくれて。そんな反応をしてくれるのが久しぶりに感じる。
「あれ、ルルシャちゃん。久しぶり。珍しいね、こんなところで会うの」
駆け足で距離を詰めて、一歩前で止まると。自身の膝に手を置いて、屈んで視線を合わせてくれるのは。狼型のレプリカントであり、女性である。ルオネと言う、ガルシェの幼馴染で。僕の友達、と呼んでいいのかな。その人であった。丈の短い臍出しルックで、下は長ズボンを履いていたけれど。わりと露出が多めであった。露出が多いといっても、肌が晒されてるというわけではなく。覗いてるのは白い被毛であり、あえて見せてるそのお腹も。腹筋だって割れている。銀狼と同じアカデミー出身であるのだから、彼女も戦士であるのだから鍛えてるのは当然で。僕の存在しか目に入っていなかったのか、遅れて隣に立っている気配を消すのが上手い黒豹に気づいて。先輩も、お久しぶりですと。姿勢を正しながら挨拶していた。そうか、どこか余裕がある雰囲気から。何歳だろうなって思っていたけれど。やっぱり、銀白赤茶狼三人組よりも上なんだ。
あまり積極的に、外の任務を受けているようではないみたいだけど。かといって、学校勤務でもないらしいから。確かに、ルオネと会うのは珍しいと言えた。後、僕がここに住んでるのも。まだ噂が浸透してないのか、知らなかったらしい。
「……ガルシェがよく許可したわね」
「市長さんの独断だと思います」
あの灰狼の顔を思い浮かべながら、そんな事を言えば。あの人、ちょっと強引な所あるからねって。苦笑いしていた。ちょっと所じゃないと思う。悪口になりそうだから、黒豹が傍に居る状況で声には出さなかったが。僕の事を見下ろしている狼が、人がしている表情からどう思ってるか察したらしい。ルオネがアハハと困ったような乾いた笑いをさせていた。
「ルオネは、どうしてここに?」
「あー。そっか。ルルシャちゃん、人間だもんね。冬が、近いじゃない? だからちょっと二週間ぐらいお休みを申請しに、ね」
僕の質問に、どう答えたものかと。考える素振りをしながら、その返答はちょっと濁されたと感じた。人間。強調して口にしていたから。種族的なものであろうか。表面上は軽く近状を報告し合いながら。裏でそんな事を思う。僕はレプリカントではないから、彼ら特有の事にはとても疎い。聞かれて、少し困ったふうでもあったから。聞いちゃ不味かっただろうか。
こうして、普通に会話できている事に安堵をしていた。もし、あの市長さんの話を聞いた後で。親しいと思えた相手まで、態度を変えてしまったらと思うと。それだけがただ不安であったから。それでも前よりもぎこちなくなっていないだろうかとか。以前では感じなかった、余計な事を笑顔の裏で考えてしまうのだから。影響は少ないとは言い切れなかった。
水不足で大変だったと、愚痴って。おかげで水浴びもできなかったと言いながら、自身の毛皮を触るルオネ。そこで、話題は銀狼に移って。ろ過施設を手伝いに行ったのは知っていたけれど、そこで彼が何をしていたかまでは知らなかったから。他人の口から、銀狼の活躍を聞けるのは嬉しかった。正直意外だったけれど、それなりに機械にも強いらしい。そういえば、機械に襲われて倒したさい。解体作業をしていたけれど、その手際は早かったなと。もうだいぶ前になるなと感じた、その出会った当初の光景を振り返る。でも、大型施設であるろ過設備は。それだけ巨大だから、もっぱら力仕事に駆り出されていたらしいけれど。専門の整備班がちゃんといるらしい。それでも、点検作業をしていても壊れる時は突然であったのだった。
バイクぐらいの大きさをした。大型レンチを抱え、僕の頭ほどありそうなナットを閉めるガルシェの姿を空想して。さすがにそれは脚色が過剰な妄想か。
「じゃまたね。もし外出許可が出たら、また皆で食べに行こうね」
最後にそう締めくくると、胸の位置あたりで軽く手を振りながら去っていくルオネ。それが叶うのなら、是非そうしたいのだけれども。あの市長が許すとは思えなかった。それでも、形だけは。はい、そう返事して。僕も手を振り返す。元気そうでよかった。ただ、それは見た目だけで。こちらに気を遣わせないように、振る舞ってる可能性はあったが。彼女は、そういう人だった。そう思い至った要因は、わざわざ休みを申請しに来たと聞いていたからで。理由を濁したのも、そうなのかなって。
「ルオネ、病気なのかな……」
もう見えなくなってから、ぽつりと呟いていた。別に、黒豹に対して言ったわけでない。白狼を心配する気持ちがそうさせた。やっぱり、同族愛はなくて、身近な友達の方がよっぽど。僕の関心が向いた。でも、返答があると思っていなかったのに。同じ方向を見つめていた黒豹が。僕がそうしたように、まるで独り言のようなトーンで。
「発情期のシーズンだからだろう、お節介なのもいいが。あまり詮索してやるな」
唖然と、隣を見れば。同じタイミングでこちらを見下ろした、黒豹の顔があって。なんて事のないように言うけれど、かなりとんでもない事を言っていた。狼種の雌は、秋の終わりと。春の始まりの二回、発情期があり。冬の間を妊娠期間とし、春に産まれるようにするのが一番理想的らしい。逆に雄は、決まった発情期を持たず。雌に誘発されてそうなるから。においに当てられなければそう影響はないと。雄をその気にさせるのは雌側だから、その分誘われた時の雄の衝動はとても強いらしい。だから、ガルシェの。理性の損失具合も大きかったのだろうか。禁欲を重ねて、過剰にそうさせたとも言えるが。ただ、誘発されたのは。同族の雌ではなく、なぜか人間の、男であったけれど。季節的に、雄もそうなるものだとかってに思っていたけれど。微妙に違うらしい。日常的に、性欲自体はあるみたいだけど。大人になる成長速度も早く、一度に数人孕む事も珍しくないから。人間と違い、子作りの期間は限られようと。繁殖方法は効率性で上回っていた。
なら、ある意味。あの銀狼が、スケベなだけだと勘違いしていたけれど。実際の所、誘っていたのは僕の方って事になるのだろうか。僕の発情臭に反応するのならと、仮定すれば。そんなつもりはないのに。どの種も、多少のズレはあれど。だいたい期間は似通っている為に、この時期。休みを申請しに来る者は多いらしい。だから、ルオネもその一人の内だと。かなり早い段階で、レリーベさんは察していたみたいだった。番を持たない女性は、不用意な男性との接触を避ける為に。家に籠るのが恒例行事と化していた。社会現象として。冬場の働き手が減るのも、問題視されてるらしい。個人差はあれど、風邪に似た倦怠感や気性が荒くなったりと。日常に影響をきたすのだから、働けと無理を強いる事もできないのだが。
だから、レプリカントの女性が重要な役職に就くのはあまり推薦されておらず。内職めいた仕事に就くのが一般的で。自ら銃を持って戦う道を選んだルオネみたいな人は、珍しい部類であった。性差で起こる生理現象。それで軽んじて扱われているというわけではなく、子供を産める女性は男性よりも大切に街で保護されているから。稼げる仕事ができないから、生活苦になるなんて事はなく、休みを申請すれば。十分な援助という生活的保護が約束されていた。一歩外へ出れば、命の危険と隣り合わせである世界で。逆に、腕っぷしといった実力主義な社会性であるから。男の方が、職にあぶれ食う物に困るケースが多いとか。世知辛いな。比較的裕福であろうガルシェと、烙印のせいで貧しい生活を強いられているガカイド。両方の住む世界を見て来た僕は、説明から受ける実感があった。裏通りという、偏った場所であるのも要因ではあるのだが。
あの、素直じゃないひねくれ者だけれど。優しい赤茶色の毛並みをさせた、狼も。どうにかならないものだろうか。どうにかできるかは、僕の立場からすると。微塵も何かできると、思えないけれど。それを決めるのはもっと別の立場の人で。友達を、救いたいとは思っても。その手段はなかった。
ちょっと、僕の配慮が足りなかったけれど。同じ狼であるガルシェが、説明不足なせいもあった。においどうこうは、言っていたけれど。ある意味、無自覚なセクハラだったろうか。悔やんでも、時間は戻りはしないが。うう、異種族の性事情ばかり詳しくなんてなりたくないのに。でも知っておかないと失礼な言動や態度をしてしまう恐れもあるのが、厄介な所だった。人間だからと、ルオネはあまり気にしたふうではなかったけれど。でなければ、その後でまた食事に行こうなんて言わないだろう。市長さんが、教育の過程で性教育も力を入れてるみたいな事言っていたし。僕も授業に参加するべきだろうか。本当に、知らないからと恥ずかしい思いをしてばかりだった。
ただ皆と混じって、人間が授業を受けると変な目で見られかねないから。そういった本があるのなら、一人で勉強しようか。学校だから、図書館とか、資料室とか。それに類する部屋がありそうな気がするし。レプリカントの生態とか、身体の仕組みとか。そんな本を直接ありますかって、レリーベさんに聞く勇気はなかったから。自分で探すしかない。もし、探してなかったら。虎の先生に最終手段で聞こうか。医者だから、詳しそうだ。これだけ、いろいろな動物の特徴を持った人がいるから。その種族毎に、細かく部類分けされていたら。かなり分厚い本になりそうだった。それと、歴史書とか。食人事件は、代々市長を継ぐ者に口伝でのみ語り継いでいると、現市長である。あの灰狼は言っていたのだから。資料としては残ってはないのであろうな。
部屋に戻った後で、勉強したいという建前で。黒豹にどうしたらいいか聞いてみたら。どうやら、一階ではなく別の階に。僕の目的に添う場所があるらしい。一般向けに解放されているが、外部への持ち出しは禁止しており。それは、本の複製がまだ写本しかできず。印刷技術が復活していない為、貴重であると。それも、市長さんが書いたであろう手書きの資料で。見たような気がする。僕でも、見てもいいですかと。市長さんへ確認をレリーベさんに取り次いでもらう。自分の部屋なのに、あの灰狼はなかなか帰ってこないから。直接聞ければ一番早いのだけど。ただ僕を疑ってる節がある彼に、そう易々と許可がおりるかは。あまり、望み薄かと思われたのだが。後日、黒豹の口から告げられた返答は。別に構わないと、そんなあっさりしたもので。肩透かしを食らう。自分で、己の行動を振り返ってみても。信用に足る行動はしていないのに不思議だった。単に、僕程度が見ても問題がないくらい。重要な物はないのかなって。どちらかと言うと、この市長さんの部屋に置きっぱなしの書類の方が。重要な機密文書とか混ざってそうな気がした。これも、僕を釣る餌なのだろうか。不躾に漁らなくて良かった。でも、レプリカント計画と書かれた。あのファイルを数ページだけ見た事実はあって。そのファイルは市長さんの手によってこの部屋ではない、どこかへと持っていかれたのだけれど。どれが、罠で、そうでないのか。それとも、元々そうではないのか。お互い、牽制してる気もした。あの日、僕をいたぶるのを心底楽しそうにしていた。そんな姿を見た後だと、性格はかなり悪そうだ。自分の事は棚に上げて、だが。
僕の食っちゃ寝生活に、自主的な勉強が追加された。黒豹に案内されて、初めて階段を上る。一階部分しかまだ探索した事がなかったから。廊下の様子はあまり違いがないといっても、心だけは新鮮な気がして。廊下の突き当り、他の教室だった部屋よりも広いスペースになっており。独特のかび臭さがあったけれど、本当に調べ物にだけ使われるのか。出迎えてくれたのは、紙でできた森だった。棚にめいいっぱい詰め込まれた、知識を形として残した蔵書。本棚と、申し訳程度の机。入口の傍には、ここを管理してるらしき。年老いたレプリカントの人が居て、レリーベさんが僕の代わりに話しをつけてくれると。特に何も言われず、入室できた。部屋一面に敷かれた、絨毯の踏み心地も悪くない。学校の敷地内から出られない自分にとって、行動範囲の拡張は自ずと心が躍る。
それも、軽く見回した感じでは。訪れる人自体が珍しいのか、他に利用している人が居らず。とても静かだった。入る際に、入退室を記録してるであろう。紙に、レリーベさんと僕の名前を記入した時。新しく刻まれた僕ら以外の名前がなく、前の日も訪れた形跡がなかったから。これなら、他人の目線に晒されたらストレスを感じてしまう僕でも。ある程度集中して読む事ができそうだった。隣で、さて何の本を探すんだとばかりに腕組みして見下ろして来る。世話係の黒豹は、含めない。管理してる人が几帳面なのか、棚毎に探しやすいように整理されているのが非常に助かる。難しそうな本を数冊手に取って、黒豹の視線が一瞬別の所へと逸れたタイミングで。本命である、レプリカントの生活模様が書かれてそうな本を紛れ込ます。エロ本を買う時に関係ない別の漫画とか買ってるみたいだな、なんか。そんな経験自体はないが。というか、エロ本というか。春画みたいな物があるのだろうか。そんな疑問はすぐに解決した。タイトルにそれっぽいのがあったから。もしも一人なら、好奇心のまま手に取ったかもしれないけれど。後ろには目を光らしている黒豹が居るから、その本の前を何食わぬ顔で通り過ぎるだけにとどめておいた。勉強したいと言って来たのに、いったい何のベンキョウをするつもりなんだと言われそうだ。生真面目な人であるし、さすがに怒られそうだった。
本が複数になれば、重さもそれなりで。運動不足の僕にはそれだけで、ちょっとしんどいと感じてしまうのだった。レリーベさんのダンベル、一つ借りるべきかな。一個しかない、ちょっと大きめの机に。どかりと、本達を置いて。手始めに、この街の成り立ちを書いてるらしいページを開く。ちょっとだけ読み進めて、まず驚かされたのは。モノクロだけれど風景写真があった事だった。これらの技術的な復興具合は、思ったよりも進んでいて。それは電気や水道が使えてるのだから、かなり技術水準は高いのだと思う。この街を囲う、鉄の壁ができる工程の途中経過や。過去の偉人だろうか。腰の曲がって杖をついた。仏頂面をした狼の人を、対してその表情を笑顔一色で染めた複数のレプリカントの人が囲んだ集合写真まで。そういえば、この街へ初めて来た頃よりも随分と。動物の表情を読み取れるようになったなと、写真を眺めながら思う。知性は人とそう変わらず、感情豊かで。表情もそれ相応に変わるのだから、まだわかりやすいのもあったが。後、耳や尻尾といった別の場所でも。彼らの感情を示す部位があって。唯一嬉しそうなにおいとか、悲しそうなにおいといった。彼ら特有のコミュニケーションの仕方だけはこれからもわかるようにはならないのだろうな。視力を失うと、それを補おうと人間の脳は働くらしく。視力を失う前よりも嗅覚や聴力といった部分が発達するなんて事があるらしいが。においを感じたいからと、自ら目を潰そうなんて発想には至らなかった。本を捲っていると、ページとページの間に動物の毛が挟まっていて。それを見て、くすりと静かに笑う。僕以外にも、勉強熱心な誰かが居たらしい。
ふと顔を上げると、僕の行動を何もせず見守ってるのかなって思っていた黒豹は。いつの間にか隣で、僕と同じように自分で取って来たであろう本を読んでいた。ただ、その分野は軍事書物らしく。僕が取って来た物よりも、さらに難解そうだったけれど。
ずっと退屈だったから、勉強があまり好きではないけれど。久しぶりに時間を有効活用できた気がした。後、知らない知識を詰め込む事で。僕の好奇心が一時的に満たされるのもあって。数は多くなかったが。読み進めて、別の本を探していると。小説とか。そのテーマが、自分が見て来た外の世界を面白おかしく脚色した内容とあっては。それが一番、時間を忘れて読みふけってしまった。機械達との遭遇、共に旅する仲間との不和、そしてラブロマンス。人間達との邂逅。見た事も、聞いた事もない。地球に存在する動植物とはちょっと違う。熊ぐらい大きな、人食い兎とか。どこまでが嘘で、本当かはわからないが。それに、本当にここが僕の記憶と同じ地球なのかも怪しい。似ているだけで、実際は違う星という線もある。それだと、言葉が通じる説明がつかないが。作者は最終的にこの街に骨を埋めたらしい。番との間に、子供が産まれたと最後にそう締めくくって終わっているから。もしかしたら、これを書いた人の子孫とどこかですれ違ってるかもしれないな。
やっぱり、人間はどこかで生きて。生活してるんだと。確信を得ていく。人伝に聞くより、こうして書物として残ってると。より実感が湧く。残念ながら、とある時期を境に。この街と人間達との交流は途絶えたきりであった。その理由は、想定通り記されてはいないけれど。僕は既に知っているのだから、記されていなくても問題はないのであった。
それと同時に、大きくレプリカントの人口が減少しており。産まれた子供に対して、大人の数が合わなかった。これは食糧不足で、子を優先した結果。飢え死にと同時期に街を襲った疫病が原因だとほのめかされていたが。実際の所、生き延びた後。人の味を覚えたレプリカントを、同じレプリカントが処理したからだと思われた。
歴史書を読み進めていくと、それからの教訓と。我々は知性ある人であって、飢えた獣ではない。と、そう誰かが書き足したのか。著者とは明らかに違う筆跡と、本に書かれてる文字よりも少し大きくあったから。それが、とても印象に残ったのだった。誰だろう。過去を想い、憂いている人であるのは確かだけれど。
彼らを知っていく中で。変わっていく印象、変わらないもの。色眼鏡では見たくなかった。僕の目で、見て。耳で、聞いて。判断したいと、心から思ってる。それだけは当初から変わらない。それでも、心の奥底には。自分よりも大きく、力の強い相手に対する。本能的な恐怖は残ったままで。これはもう、どうしようもない。それを覆える程の相手に対する、敬意を持って。優しさには、優しさで返したい。僕は、少なくとも。不幸ではないのだから。不幸だと、感じないように。させてくれていたのだから。
ネガティブな考えをさせがちだったけれど。それだけは胸を張って、言えた。自分の命を少々軽んじて、つい無謀にも立ち向かってしまう時だってあって。そんな時、必ず誰かが助けてくれて。はたまた、相手の気まぐれで。生き永らえて。
こうして、世話役を受け持ってくれている。今一番顔を合わす相手である、黒豹だって。悪い人ではないのだから。またガルシェが会いに来てくれるだろう、その。約束もしていない、いつかを楽しみにして。心の支えにしながら。自分の周りへと目を向けて。月日だけが流れて行く。
「よっ、ルル坊!」
誤算だったのは。あれからフォデライさんが、割と僕の話し相手になってくれる事だった。どうやら、あの柴犬の子であるシュリくんの一件以来。気に入られたらしい。ただ、ちょっと声が大きいから。呼ばれる度に、周囲の職員さんの視線とかを集めてしまうのだけれど。後、独特な呼び方。坊って程子供でもないと思うけれど、彼らとの身長差を考えると。そう感じるのだろうか。
食堂で会うと、わざわざ僕の座ってるテーブルに自分の食事を載せたトレーを持ってきて。断りもなく座るのだから。なかなかに、心臓に毛が生えてるタイプだった。四人掛けのテーブルだから、使い方としては。この狐の男は正しいのだけれど。僕が勢いに押されて、たじたじになっているのを見かねたのか。廊下で待機してる筈のレリーベさんまで席に座って。四人掛けのテーブルは、最初は僕しか使っていなかったのに。今では人間一人と、レプリカントの男二人。計三人が利用するようになっていた。空いた最後の席は、フォデライさんのバッグが置かれている。基本は夜勤らしく。会う時間帯はもっぱら夕食時であった。僕は食べたら後は寝るだけだけど、豪快に笑う狐はそのままゲートへと向かい。仕事をするらしい。僕が最初にこの街に訪れた時は、まだ夕方だったけれど。その時は日勤だったらしく。今はその時夜勤の人と交代してるとか。常に解放しているゲートの管理勤務は、そういった面で大変と言えた。
「朴念仁のレリーベはともかく。それで、我らが市長さんとは少しは打ち解けられたか?」
本当に、ずけずけと何でもかんでも聞いて来る人だった。多少は躊躇するような話題だって、平気で。別にそれで陥れようとか、そういった悪意は感じられず。屈託のない笑顔をさせながら、僕がぜんぜん。というかそもそも会わないですと正直に言えば。そうかと、また大きく口を開けて。笑うのだから。裏表がないのだろうな。食べるか喋るか、どちらかにして欲しい。少し食べカスが飛んで。黒豹に注意されていた。悪い悪いと、その態度はぜんぜん悪びれてないけれど。注意した本人である、レリーベさんもそれで気分を害したようではなかったから。昔からこうなのであろう。二人共、付き合いは長そうだ。太く、大きい、まさに狐色の尻尾が椅子からはみ出してブンブン揺られているから。後ろを通る他の人が邪魔そうだと言いたげに通過するのが、対面の僕にはよく見えた。とうの狐さんは、全く気づいていない。
「あ、そうか。そういや、人間の使節団が近くまで来てて。街の外で会談してるんだったわ」
明日の天気でも言うぐらいのテンションで、狐が言うから。思わず聞き流しそうになってしまうけれど、この人。わりと重要な事をぽろぽろ零すので油断ならなかった。使節団どうこうは噂話で知っていたけれど。そうか、相手は人間だったのか。
「……着いて行きたかったか?」
急に一瞬黙ったと思うと、フォデライさんが真剣な顔をして。そう聞いて来た。この顔は、以前。シュリくんの事で、頭を下げた時と酷似していた。確信を突くように、急にドキリとするような事を聞くのだなと。平常心を装いながら、少し考える。即答できていないけど、急かさず。狐の男はこちらの答えを待っていた。眉を顰め、真剣な顔つきに変わると。狐の少し狼よりも細めなマズルが、切れ味を増したように。雰囲気を変えるから。まるで先程豪快に笑っていた人はよく似た別人かと思わせる。
「いえ、別に暮らすさいの必要最低限の物しか覚えてないので。人間だからと、無条件に会いたいかというと。そんなには。どんな人達なんだろうという、好奇心は確かにありますが」
それが、現状の僕が出せる。人間に対する見解だった。向こうだって、こちらを知ってるかはわからず。そして、僕の立場は凄く微妙であって。過去の事を鑑みると、人質にされているとか。そんな交渉材料として持って来たのかと、悪印象を抱かれる可能性だってあった。市長さんの事はあまり好いていないが、その仕事を邪魔したいとは思っていない。
僕の瞳を見つめて、嘘はないのだと。たぶん、においでも。感じたのか。真剣身を帯びていた雰囲気はたちまち四散して、いつもの笑顔の絶えない。そうか! と牙を光らせて笑う、狐がそこにいた。
「いや、なに。市長さんも、最初は連れて行く案があったみたいだが。この街で暮らしている、貴重なサンプルケースだとかなんだとか言ってたな。最終的に、ルル坊が変な事を言って会談がおじゃんになるのを恐れてか。お偉いさん達の会議では却下してたけどよ」
「喋りすぎだ、フォデライ」
「どうせ、遅かれ早かれ知るさ。レリーベ。それと、悪いが俺はルル坊の味方なんでな。人見知りのシュリ坊が触れられても嫌がらなかったどころか、自分から抱き着いてたんだ。信じる価値はあると、俺は思うぜ」
「お前……」
狐の言い分があまりにも意外だったのか。黒豹は珍しく、そのポーカーフェイスが崩れていた。それは、僕もだった。そこまで言ってくれるとは、思ってもみなかったのもあったけれど。言ってはなんだが、表面上はとても楽観的で。デリカシーのない人だってこれまでの印象からそう感じていたから。長い時間共にしたわけでもないから。黒豹の方が、一緒に居た時間は多いであろうに。異種族で、どこの馬の骨ともしれない僕相手に。不意打ち過ぎて、不覚にも感動してしまった。だから、ちょっとレリーベさんとフォデライさんが言い合いを始めてしまっても。それを止める事も、できないで。机の下で、誰も見えないように自身の手を強く握りしめるだけしか。
「別に俺も。彼の事を怪しい奴だとは、はなから思っていない。ただ、お前の言い方は聞きようによっては相手を傷つけると言っているんだ。知る必要のない事もある」
腕組みして、この中で唯一何も食べていない。愚直に護衛の姿勢を崩さない黒豹は、狐に対して窘めるみたいに言うのだった。こんどは、狐があれれと。そんな表情をさせて、驚いていて。ただ、その後。口元を手で隠しながら、笑いを堪えきれないといった感じで。机を叩くフォデライさんに。ますますレリーベさんの機嫌が降下していく。
「んだよレリーベ。お前、すぐ相手を威圧するから。ルル坊をいじめてやしないか、少し心配していたけど。相変わらず、弟分には弱いよな。昔から」
極めつけに、狐が揶揄うようにそう言ったものだから。黒豹がそっぽを向いてしまう。その様子を、微笑ましいけれど。どこかせつなそうに、狐が見ているのまでは。僕は黒豹の珍しい、とてもわかりやすい態度に夢中で気づかなかったのだけれど。
狐の介入で、ささやかながらも。僕の日常には楽しみが増えた。居るだけで場を明るくする人って、本当に居るんだな。僕みたいに、居ても居なくてもそう変わらない人間も居れば。黒豹は自主的に気配を消しがちであったが。元々の仕事は何をしていたのだろうか。小さい子とか面倒を見ていたわけではないのであろう。教育係、というわけでもなさそうだ。密偵とか、なんて。
当初はただ噂話とか暇だから情報取集がメインだったのに、今では。夜ご飯に彼らと一緒に食事をするのがメインになってるのだから。声の大きいフォデライさんのせいで、周りの人達の声がかき消されてしまうし。それに、鬱陶しいぐらいに。僕に話しかけてくるのだから。たぶん、レリーベさんとはまた違った世話焼きなのであろう。ガルシェと会えない寂しさを、紛らわしてくれるという意味では。とても助かっていた。どうしても一人になれば、彼の事ばかり考えては辛くなるのだから。年上の友達と言っていいのか、そんな人が増える事が嬉しかった。
だから。銀狼の家で暮らしている頃は。その家での事しか。今は、学校という。それも一部の施設にしか行かないから。それ以外で何が起きて、どうなってるかなんて。本当の意味で、僕は知らないままで。いくら知識を蓄えようと。活かす場所もなく。闇雲に時間だけが過ぎていくだけで。飼い殺しされるのが、ただ暗い夜道をあてもなく歩いてるようで。僕は、どうすればいいのだろうか。
今日は数日続いていた寒さが少し大人しくなり、肌寒く感じないぐらいには。暖かく思えた。世話係であるレリーベさんの姿は、市長さんの部屋にはなく。ただ、退屈そうにしている人間だけが。椅子に座って、時間がただ流れていくのに任せていた。ずっと見張られているのが嫌で、それを正直に言うと。用があれば部屋に呼びに来てくれと、そう交渉に成功した結果だった。図書室といっても、その本は有限で。そして僕が興味が引かれる物、読んで楽しめる物と選り好みすれば。膨大な数に対して、手に取れるのはほんの少しであって。毎日、朝から暗くなるまで。ずっと休憩を挟みつつ、文字とだけ仲良くしていれば。枯渇してしまうのは自然な流れで。だからと、もっと別の。違うジャンルまで読もうなんて気分でもなく。これが勉学に励む、切磋琢磨な学生であればまた違ったのだろうけれど。一人だし。就職とか、なりたいものもない。向上心が全くないというわけでもないが、わりと手を抜いていいなら別にいいかなって性分だった。結局、市長さんは僕をどうしたいのだろうか。月日だけが過ぎていくばかりで、どうしろと何も言われず。生活の保障だけはされているけれど。食堂のご飯は美味しい。あれが毎日食べられるなら。僕が作る必要はないし、ガルシェの家にも届けられないかな。
静かにしていると、かってに部屋の扉が開かれた。誰だろう。自室で待機してくれていたレリーベさんかなって。でも昼には早い。顔を向ければ、久しぶりに灰狼が立っていた。いつも通りのスーツ姿だったけれど、血のように赤い。深紅の繊維はどうなのだろか。ネクタイは黄色で、中に着ているシャツは白。黒い革靴。どれも持ち前のスタイルの良さで、綺麗に着こなしているから。まるでどこかの社交界や、モデルさんみたいだったけれど。第一印象は、派手だなって。その分、表情が疲れを滲ませていて。扉を開いた事で、僕と一時目線がぶつかったけれど。溜息と共に逸らされた。そういえば、フォデライさんが今日使節団との会談がある日だって言っていた気がする。本を読んでるばかりの日々だと、日付の感覚が麻痺しそうで。忘れていた。
どういった内容かまでは知らないが。あまり結果はよろしくなかったのだなと、その表情から窺えた。ネクタイを緩めながら、自分のいつも仕事してる椅子に座ったのを見届けて。それに、お疲れ様ですとか。声を掛けようとは思わないが。空気に徹する。正直疲れてますオーラ全開な相手を、わざわざ構うのもめんどくさいというのが本音だった。
苦しそうに、綺麗に留めていたボタンを外して。椅子に深く腰掛けて、天井を眺めてる白髪の混じった狼の横顔。これまで見た中で、一番覇気がないから。本当に疲れ切っているのだろうなというのはわかる。僕が居て邪魔なら、図書室にでもまた行こうかな。そんな事を考えていると。
「ガルシェに、会いたいですか」
いつの間にか、天井を見つめていた筈の。灰狼の顔が、僕の方に向いていた。ちょっと姿勢を正しながら、考えて。一応、頷いておく。いまさら、その質問をする意図はわからないが。あの時にすぐさま返事ができなかったけれど、僕は確かに。レプリカント。というより、身近な。数人を、確かに好きだった。たとえ動物の顔をしていようと、大切な友達で。それは変わらない。ガルシェが、好きだった。過去は過去だと、頭では割り切れている。今の彼らには関係ないと。でもなかった事にはできない。
「まったく。言いつけも守らず。学校に忍び込んで、困った息子だ……」
やはり。バレていたと、部屋に置きっぱなしである籠を見ながら思った。着替えを持ってきてくれたから、それを洗濯して着回せば服に困る事はなく。お風呂も入れるし、食堂でご飯も提供されてる今。生きる上で困った事は一つもない。
「貴方には、一応感謝してるんですよ。認められる為にポイントを稼げと言っても、のらりくらりと。強く言ったら言ったで、危険地帯に一人で行くなど。でも貴方が来てから、積極的に仕事にも取り組むようになって。最近ではろ過施設の修復に手を貸したりと。会議での評判も改善されています」
お父さんの言う事には逆らえないと。ガルシェは言っていたように思うが。結構、背いていたのだなと。番を得る為に、そう目的を持ってるようではあったけれど。彼と共に暮らしてる中で、実際の所それに関してはあまり意欲的ではなかったように思う。僕を使った装備の弁償をしろと言って、住まわせたのは。体のいい言い訳に過ぎず。それから一度も、金銭を催促された覚えはなかった。
「それだけなら、順調で。見逃せたのに。まさか、息子が人等に絆されるのは計算外でした。狼の気質上、間違いがあってはいけないと。必要以上に人との関わりを避けさせ。交友関係も絞って。だというのに……」
忌々しいとばかりに、狼の顔が睨んで来るけれど。僕が、彼に特別何かしたとは思えなかった。どちらかと言うと、されたのは僕の方で。ずっと守ってもらっていたから。
――傍に居てくれ。出て行かなくていい、このままがいいんだ。
今になって、もう一度。あの時の銀狼の言葉の意味を考えてみる。ただの酔っぱらいの、その時出たもので。特に意味はないと思っていたけれど。だって番を求めていたのはガルシェだったから。
「番を得られるように。まったく、あの事件さえなければ。私が口を出さずとも、既に息子には子供が居てもおかしくはなかったのに」
「それって。卒業試験の、ですよね」
市長さんが、知っているのかと。顔を歪めた。思い出すのも嫌なのだろか。これは、ガルシェから聞いたわけではなく。ガカイドから聞いたものであったけれど。同じ当事者であるから、さして間違ってはいないだろう。
「聞いていましたか。そう、そうです。あれがなければ。調べても手掛かりは出ませんでしたが、誰かが仕向けたものではないかと私は思っています。でなければ都合よく、息子が参加してる卒業試験に限って。あんな惨事が起きよう筈もないっ!」
だんだんと、熱が入っているのか。語気が強くなっていく。淡々と喋っていたのから、まるで誰かに怒鳴るかのように変わって。
「本当は、息子も責任を問われましたが。その時指揮していた、ガカイドに。全ての罪をかぶせる事で、息子が番を得る資格を剥奪させられる事だけは免れました。それでも、市長の息子のくせに何をしていたと評価はマイナスになってしまいましたが」
「そんなっ!」
思わず立ち上がっていた。何に怒りを抱いてるのか、それは言語化できなかったけれど。衝動的に、そうしていた。ガルシェが言っていた、親父が庇ったせいでと。それでガカイドが、ガカイドだけが。でも、だからと、ガルシェまで裁かれたら良かったなんては思わないけれど。僕は、今。市長さんに、銀狼の父である灰狼に。何を言いたかったのか。立ち上がった後で、言葉に詰まった。
僕のそんな姿を、灰狼は冷めた目で見ていた。他に手段はなかったのだろうか。だって、それで友達が。あの赤茶狼が、ああなったのに。裏通りでしか、生きられなく。
「何ですか。言いたい事があるなら言ってみなさい。人間で。部外者でしかない貴方に」
僕が一時の感情でそうしたからか。興奮していた筈の市長さんは、足を組みこんどは一転。ただ冷静にこちらを見ていた。底冷えするぐらい、鋭い視線に晒されて。か細く、言い返せるだけの材料もない。正論をぶつけられてしまえば、本当に部外者でしかない僕は。口出す権利も、責める権利もなかった。情けなくも、ガカイドだけ。そう言うけれど。何が言いたかったのだろうか。この人に。僕は。まるでつまらないものを見たとばかりに、僕を睨んでいた瞳が逸らされる。
「あれは。私の、大切な番が残した忘れ形見です。贔屓だってしますし。それで何と言われようと構いません。息子をただ愛してる、一人の親の、わがままです」
それで、七光りだと。言われる原因になろうとも。構わないと、そういう事だった。ガルシェは、そう言われるのが嫌であったみたいだけれど。母親は、銀狼が産まれるさいに死んでしまったようであるし。父親の気持ちがどこにあるか。そこだけが不思議だった。この親子関係が、どうしてこうなってしまったのか。ガルシェは、父親の事を嫌って。対して、父親の方は家に帰ってこないから。
「なら、もっと話し合ってあげた方が良かったんじゃないんですか」
愛してると、そう言うのなら。親の事を悪く言う、ガルシェの姿が嫌だった。彼の事を好いてはいても、それだけがひっかかっていた。ずっと。せっかくの、肉親であるのにだ。愛してると言うのなら、どうしてもっと歩み寄らないのだろうか。それは、親からであって。子からはどうしても限界がある筈で。ここまで拗れてしまったのは。きっと、市長さん側に原因があるのだと思った。幼少期から、放っておかれたなどと。放任主義だとしても、度が過ぎている。
僕の吐いた台詞が気に入らなかったのか、灰狼まで立ち上がると。身長差があるから、どうしても僕は見上げる事になってしまうけれど。ちょっと距離を縮められるだけで、その角度はよりきつく。ただ、その歩みは覚束ない。そして、手を伸ばせば触れてしまえるぐらい。振り抜けば、簡単に僕が吹き飛ぶぐらいの間合いに。
関係ない人に、家族の不和を。教育方針の事を言われでもしたら、誰だって顰蹙を買うだろう。かってな事を言うなと、怒鳴られてもしかたなかった。てっきりそうされるものだと思った。いっそ、殴られてしまうかもって。なのに、僕を見下ろす灰狼の耳が倒れてしまって。そんな姿に、困惑した。ネクタイを緩め、背広の前を開き。ズボンに押し込んでいたシャツが、一部外へとはみ出した姿は。悲壮感を漂わせた。
「わからないんです」
絞り出すようであった。もう一度、聞き返したくなるような。それは声量でもあったけれど、言ってる意味も。
「どう接すれば、いいか。わからないんです。なら教えてください。貴方なら。貴方なら、わかると言うんですか」
別に強く言われたわけではなかった。何か直接されたわけでも。だというのに、まるで胸倉を掴まれたように感じたのは、間違いではなかったと思う。唖然と見上げるしかなかった。どうやら、触れてはいけない部分に。僕は触れてしまったのだと。遅まきながら気づいた。
「私は、ガルシェを。確かに愛しています。でも、それと同時に、殺したい程憎んでもいます」
耳を疑った。言っている意味が、まるで理解ができなかった。だって、それは相反するもので。普通なら同時に相手に抱く感情ではないと。そう思っていたから。
「己よりも大事な番を、奪った。息子を、どうして憎まずにいられると言うのですか。兄妹達が死産な中で。唯一あの子だけ。二人で望んで産まれたのに。だから愛して。息子のせいじゃないと頭ではわかっていても。一緒にいると、ふとした瞬間に殺してしまいそうで。怖かった。だから、遠ざけて。でも、一番憎いのは……」
手が震えていた。その震えてる手を、もう一つの手で押さえていた。何かを抑え込むかのようでいて、何かに怯えるようでいて。不意に、僕を見つめる瞳の端から。水滴が一つ、零れた。それは、後から後から。毛の流れに添って。床や、着ている服に落ちていった。立っている足が震え、その身体がぐらついたと思ったら。目の前の男は、両膝をついて。
目の前にある光景から目が逸らせないのに、まるで置いてけぼりになっていた。僕は今、何を見せられているのだろうか。何を、感じているのだろうか。無責任に踏み込んで、人の心に触れておきながら。答えを持ち合わせていなかった。簡単に、話し合えばいいと。そう言ってしまえてた数分前の自分は。とても愚かだったのだろう。
「逃げるように、仕事に打ち込んで。息子の事は他人に任せて。でも、夜中。寝入った間だけは、家に帰って。その寝顔を見て、頬を撫でた時。本当に愛おしいと思えるのに。起きてる時顔を合わせれば、その目が。番とよく似ていて。私は、その目が、一番だめだった」
「本当は、帰っていたんですか」
「気配に気づかない幼い内だけです。息子は、覚えていないでしょう。アカデミーに入る頃には、嫌でも顔を合わせるので。もう帰る事もなくなりましたけど。それでも、性根の腐ったような子に育たず。あの子なりに、立派になろうとしてくれていたから。本当は私に褒められたいと、その表れであったのも知っていて。それでも接触を避けた。市長としての権力で、教官等は最高の教育を命じ。家の設備も、住宅区では最優先で整え。それで良かった。順調に番を得て、幸せになってくれさいすれば。それで。でもあの事件のせいでそれも遠退いて。気づいたら。残っていたのは、お互いにはあまりにも深い溝で」
息子視点では、本当に僅かな部分しか聞けなかったけれど。こうして、親視点の話を聞きながら。途方に暮れていた。どうしたらいいとか。そんな事を言えるだけの。僕は偉い人でもなかった。実際に子供を育てた事もないのに。何を責めていたのだろうか、何を望んでいたのだろうか、この人に。ただ、ガルシェと仲良くしていて欲しいだけであったのに。
「ガカイドには、惨い事をしたとは思っています。ある意味息子を守るために、生贄にしたようなものだった。だから、罪滅ぼしになりもしないでしょうけれど。裏通りで私の息のかかった者に、それとなく仕事を与え。食い扶持にだけは困らないように、でなければとうに野垂れ死んでいたでしょう……」
「烙印は、消せないんですか」
項垂れていた狼の頭が持ち上がり、僕を見た。ただ、目線が合っても。まるで遠くを見つめてるようであって、それは僕を見ているとは言い難かった。
「厳しい、でしょうね。彼の頑張り次第でしょうけれど、その機会すら与える事が。私でも。事実、彼は事件の時、碌に指揮も取れなかったのですから。落ちた評価だけは正当であり、この街の法は曲げられない」
そうか。あの事件のせいで。あの赤茶色の毛並みをした男が、どうして彼だけが責められなきゃいけないのだと。そう思っていたけれど。結局、どうしようもない事だったのか。不当な評価で、そうなったのならまだ。矢面に立たされた部分は確かにあったのであろうけれど。銀狼まで、責任の追及が及ばないように。庇いはしたが。どちらにせよ、彼が烙印を押される結果だけは変えられなかったのかもしれない。
ふと、ぼんやりとした顔をして。部屋にある時計を市長さんが見た。その身体から生気が抜けていた。どこか、仮面が剥がれ落ちたようにも感じる。市長さんというより、ただの男に戻ったような。ああ、次の打ち合わせにいかないと。他人事のように、そう呟いていた。とても、疲れているのに。それでも、動かなければいけないとばかりにそう呟いて。でも、膝立ちで。震えが止まったのか、腕はだらりとさせたままで。いつまで経っても乱れた容姿を整えようとしなかった。時計の針だけが、進む。
「行かないんですか」
「そうですね、仕事をしないと。ですね。でも、なんだか、疲れてしまった」
僕に、いろいろぶちまけたからだろうか。関係ない相手だからこそ、今まで溜め込んでいたのを吐き出せたのだろうか。やつれた顔をさせた狼が、ただそこにいた。
こんな時どうすればいいのだろうか。どうしたら。ガルシェになら、きっと励ましの言葉とか言えただろうに。そこで、自らに疑問。励ましたいのだろうか。僕はこの人をあまり好いてはいなかったのに。ただ、助けたいと、そう思うようになったのか。銀の毛に指を通して、その隠れた地肌を触って、毛並みを撫でて。彼は、僕に撫でられるのを好んでいたから。だから同じように、手を空中に上げて。市長さんの顔の前まで近づけた段階まで来て、止まる。そして、灰狼は。僕の翳された手を見るだけで、何も言わないし、払いのけようともしなかった。それをしてしまって良いのかなって、失礼だとか迷いつつも。結局はその頭に、触れた。普段から身綺麗にしているようであったから、その毛皮はゴワついておらず。さしたる抵抗もなくふんわりと、人の手を受け止めてくれる。
「なにを、しているんですか……」
「ペットなので、飼い主を癒そうかと」
目を見張るようにして、少しだけ間があった後。くはっ。僕の言い分に、灰狼が思わず堪えきれないとばかりに。笑っていた。くつくつと声を漏らしながら、肩を揺らして。そんなに面白い事を言ったであろうか。最初、この部屋に来て言われた事を、少々皮肉って言った自覚はあるけれど。
「そういえば、そんな設定、でしたね」
設定。だったらしい。どうやら自分で言っておきながら、そんな事本人は忘れていたらしいが。目元を拭いながら、まだ笑ってるし。何かしらのタガが外れて、おかしくなってしまったんじゃないのだろうかと。心配になってくる。疲労で脳がやられてしまったりしたのだろうか。だとしたら可哀想だ。
「ところで、人間が、我々を何て言っているか知っていますか」
眉や目元は困ったふうであるのに、口元はまだ笑ってる。頬がひくついて、とても酷い顔をしていた。記憶がないし、ガルシェに連れられてから住みだして。それきり街から出た事がないのだから、知りよう筈もなかった。意外と人間の噂話だけはあまり耳に入ってこないのだから。それも、ずっと昔に関わりを断ったとなれば。毛を触りながら否定を口にする。
すると、灰狼は楽しそうに語り始めた。表情や、そこから窺える感情があまりに様変わりして。情緒不安定だなと。ちょっと芝居がかってるようにも感じる。それだけ、精神的に疲弊していたとも取れたが。
「ケダモノが服を着て歩いてる、だそうですよ。今回こそ、途絶えて久しい人間との貿易を再開させたいと思っていたんですが。以前と同じで。首輪を着けて自分達に尻尾を振るなら考えてやると鼻で笑われました」
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なら、僕が先ほど言った台詞も。そしてやっている事も含めると。牙を向いてもいいと思うのだが。それは、しないのだな。首回りから、喉元へと指先を移動し。顎下にかけてをカリカリと掻いてみる。そうすると、ぐっと首が伸ばされ、僕が撫でやすいように少しだけマズルが近づけられた。とても協力的だった。ガルシェで磨いた撫でテクがこんな所で役に立つものなのだな。
「貴方に、ガルシェが固執している節がなければ。無理に引き離す必要もなかった。私の子でなければ。でも、血が。私は、私達は。託されたのだから」
「託された……?」
「使命、とも言えますね。血を、この血筋だけは絶えさせてはいけない」
「なら、愛人でも作ればいいんじゃないんですか」
僕の心ない言葉に灰狼の表情が、悲痛に歪んだ。それと。僕が、なぜ関係があるというのだろうか。それに、血を残す事にそれこそ固執しているのなら。貴方が、そうすればいいのではないのかという。そんな考えがあった。中世の王族とか貴族とかのお偉いさんには、側室とかそういったものが存在していて。どうして、そうもガルシェに拘るのだろうか。自分がすれば、一番手っ取り早いのに。愛情の欠片もない考え方だったけれど、目的を優先するならそうするべきだ。ただ、僕がそう言った時の市長さんの反応から。そうできない理由があったのだろうか。
「言ったでしょう。狼の気質上、それはできないんですよ。私達は動物の因子を強く受け継いでいる。だからこそ、一度番を持ったら。もう、それ以外とは無理なんですよ。番が死んだ時に。人によっては、後追い自殺する者も。それぐらい、狼というのは極端なんです」
そんなに。たった一人、それと決めた人と生涯を共にする。それは美談めいて聞こえるけど。それのせいで、ガルシェは交友関係まで親から制限されないといけなかったのだろうか。今思えば、幼馴染は全員狼型のレプリカントしかいなかったな。それも理由の一つだろうか。でもそれだけでは。僕の中でどうして、彼と引き離されたのかという。その疑問が晴れなかった。仲良くしているといえば、良き友達ではあったと思う。だいぶ、過保護ではあったけれど。固執してると言われてもピンとこなかった。トイレの個室で会った時も。久しぶりに一人になって、寂しさが爆発してるだけにも見えたから。一次的なものであると、断じていた。
「私の見立てでは、ガルシェは。貴方の事を。少なからずもう。だから手遅れになる前に、本能が番と断定する前に。別々にする必要があった」
耳に入って来る市長さんの言葉を、ちゃんと聞いていると思えたけれど。とても、空虚で、実感がなかった。だって、ガルシェは異性愛者で。番を、狼の女の人を求めていて。僕の事は保護者として、心配する気持ちの方が強くて。ちょっと母親に、子供が甘えるような顔も見せたりはするけど。それは僕が家事を一手に引き受けてるからであって。
好意は、一方的な筈だった。僕がただ、そんな彼を好きって気持ちがあって。でも、銀狼が僕に向けてるのは友情で。親心も混じった。人間なのに、隣に居るのを許してくれていて。
「……そんな、はずは」
好意は、一方的でなければならない。僕がただ、彼を好きなだけであって。でなければ、彼の目的を、夢を。邪魔してしまう。たとえ、親からそう言われてだとしても。そうやって今まで生きて来た人なのに。僕のせいで、その目的を変えてしまうのは。郷愁すら持ち合わせていない。断片的な記憶しかないような奴。何も持っていない、僕なんかのせいでだ。市長さんの言っている事を否定したいのに。ただ、それだと矛盾が一つ生じた。
――傍に居てくれ。出て行かなくていい、このままがいいんだ。
なんど、その意味を考えても。答えが不透明だったのに。他者からの指摘で、埋まらなかったパズル。足りなかったピースが、はまっていく感じが頭の中でした。あの銀狼が前へ進むのではなく、停滞を望んでいたとしたら。あの同棲生活を。僕にとって、淡く、甘く、浜辺でする砂遊びみたいに。簡単に押し寄せた波で崩れ去ってしまいそうな、そんな空間をだ。
「貴方が、今まで見て来た人間と一緒なら。さっさと消していたら、良かったんですけどねぇ……。もう、撫でないんですか?」
指摘されて、見上げると。あれだけ近かった灰狼の顔が、離れていた。彼の姿勢は変わっていないのにだ。僕の手だって毛皮から離れている。それで、脱力するように椅子に再び座っているのだと。気づいた。どうやら、力が抜けて座り込むままに。後ろに倒れかけて、元々あった椅子にお尻が着地したらしい。ぐるぐると、頭の中でガルシェの顔が浮かんでいた。胃が落ちつかない。前後不覚になりかけて、膝の上に重しが掛かる。見てみれば、目を閉じた市長さんが頭を僕の太腿に乗せていた。普段は眉をずっと寄せているから。こうしていると、本当に。毛の色以外はガルシェに似ている。だからこそ、しんどそうな姿に。つい、撫でたくなったのだが。これでは、まるで市長さんの方が強請ってるようであった。
閉じていた片目だけが開いて、僕を見上げてくるその瞳が。姿勢からは考えられない、有無を言わせぬものを感じて。頭頂部からにかけてを触る。僕が倒した耳が、ぴんと起き上がってはまた人の手によって倒されて。
「いいんですか、打ち合わせ」
「飼っているペットが、私を離してくれませんからしかたないんです」
「そうですか」
「そうですね」
市長さんが先程見た時計を、撫でながら盗み見れば。もう既に二十分以上は経過している。時間にルーズな人ではなさそうなのに。このままでいいのだろうか。相手方からしたら良くはないのであろう。この会話に意味があるのかは定かではなかった。撫で続けていると。灰狼の首に中途半端にぶら下がっていたネクタイが、滑り落ちるようにして床へと落ちて。中身なんて、実はないのかもしれない。会話をしているようで、意味なんてないのかもって。遅刻したのを、後で僕が怒られたりしないだろうか。引き留めていないし、むしろ業務へ戻れと推薦してる方で。
狼の頭が身じろぎして、その鼻先が僕のお腹に軽く触れる。服越しに呼吸が当たっているのを感じた。
「……なんだか、貴方からは懐かしいものを感じる。どうしてでしょうね」
「さぁ」
亡くなった奥さんに、においが似ていると言いたいのだろうか。人間で、男だから似る筈もないと思うのだが。そうやって、撫でながら。嗅がれていると。やがてその呼吸音が静かになってきて。彼の身体から、余分な力が抜けていくようで。目を瞑ってるけどそれにしては、反応が希薄になってきてると気づいた。これは。
「眠いんですか?」
ぱたりと、僕の言葉に。肉声ではなく、尻尾の動きでもって返事をされて。睡眠障害っぽいのに、どうしてこのタイミングで寝そうになってるのだろうか。取る行動一つ一つが予測できない人だった。その内、寝息だろうそれに変わってしまって。振り落とすという選択肢もあったのだが。さて、どうしようか。ただ、久しぶりに寝られたようにも感じられる。その寝顔は。あの時、机にうつ伏せで寝ていたのと同じで。意識を失った肉体というのは、不思議と重量が増すもので。僕の太腿に掛かる荷重もそれなりと言えた。それでも、自分よりも大きな体躯の男の頭となれば。長時間このままでは、足が痺れそうで。どうしよう、動けない。やはり。だからとこの街で一番の権力者の頭を、叩き落す勇気はなかった。権力に、屈したとも言える。物理的に。
「スーツ、皴になりますよ」
一応忠告がてら言ってみたけど、それに反応を示して欲しい人は。もう尾すら振ってくれない。ただの独り言で終わった事に、つい。息が深く。髪を掻き上げながら、天井を向いた。重いな。やっぱり。
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幼いころからお互いを知っている二人がゆっくりと、両想いになる話。
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完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
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唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
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