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56.始めようか
しおりを挟むここからはなるべく物音を立てないようにと、静かにベッドから下りようとしたのに、床に足が着いた途端、ガクンッと前につんのめりそうになった。
(うぉお……!?)
危ねぇっ。
ギリギリで堪えたけど、足に力が入んねぇ。
踏ん張りたくても、両足がすげーガクガク震える。何これ。生まれたての子牛か?
「アキ」
悠の声に、慌てて後ろを振り返りながら『シッ』と口元に人差し指を押し当てて黙らせた。
心配なのかこっちに腕を伸ばそうとしてくるけど、余計なお世話だ。
シッシッと手振りで断る。
俺の事を思うなら、お前は布団の上からなるべく動かないでくれ。
『大丈夫』と口パクで悠に伝えて、気合いだけで歩く。歩く。
ぐぅう……っ。相変わらず膝はカクカク笑ってるけど仕方ねぇ。
ここでやっぱ歩けないなんて言ったら、代わりに悠が出張ってきちまう。
「はぁ……はぁ……」
動くたびに乳首がブランケットに擦れて、気持ちがいい。歩くだけでも感じるって、意味が分かんねぇよちきしょう。
あーもうっ。
今すぐ引き返して、悠とくっつきてぇ!
粘膜同士、擦り合わせるようにキスしてぇ!
──て、また頭がピンクになりかけてんじゃん。
マジで純血種のフェロモンってやべーな。
なんてもん、頭からぶっかけてくれてんだ。
これが終わったら、換気だ換気!!
ガクガク、ノロノロした歩みでも、さすが6畳間。あっという間にドアまで辿り着いちまう。
部屋の電気を消してから、静かにドアノブを回すと、開いた隙間から外の様子を窺がう。
む……?
電気を消してるからシルエットしか見えねぇけど、何だあれ。
体格がヤバイんだけど。
隙間から見える位置だけでも、三人の筋肉マッチョが玄関先で談笑している。
留守だと思ってんだろうけど、それにしたって緊張感が無さすぎじゃねぇ?
……ほんと、何者なんだろ?
家のベルめっちゃ鳴らしてたし、強盗ってわけでもねーのか?
でも俺も姉ちゃんも、こんな筋肉マッチョに知り合いなんていないし。
考えられるのは親父の関係者くらいか。
──あのバカ親父、何やらかしたんだ?
通報する前に、話くらい聞くべきか?と迷っている間に、一人が靴のまま家に上がりこんできた。
はぁあああっ!?
いくらボロいアパートだからって、土足はねーだろ!!
あったま来た!
親父の関係者かもしれねーけど、そんなのは知ったこっちゃねぇ!
気付いたら、ドアをバタンと開けて部屋を飛び出していた。
足早に玄関に走り寄りながら、怒鳴りつける。
「おいっ、俺ん家に何の用だよっ。勝手に人の家に入ってくんじゃ……んギュッ!!」
走り寄る途中で足がもつれた。
そのまま玄関に続くフローリングの床に、ベチャリと顔から倒れ込む。
「~~~~…っ!!」
「おいおい。大丈夫かよ?」
悶絶する俺に、マッチョが心配するような声をかけてくれるが、全然大丈夫なんかじゃない。
むしろ消えてしまいてぇ!
(なんでこんな大事な場面で、すっ転ぶかな!!)
情けなさと鼻の痛みにふるふる震えたままの俺を、土足で上がり込んでいたマッチョの一人が、片手で軽々と助け起こしてくれた。
うぅう……カッコ悪ぃ。
不法侵入を咎めるつもりが、その相手に助け起こされるなんて、惨め過ぎんだろ。
足に力が入ってない事に気づかれたのか、腰をガッチリと支えてくれている。
これじゃあ、強気に出たくても出られねぇじゃん。俺、締まらなすぎ。
いや、でもこれだけはしっかり言っておくべきだ。鼻を押さえたまま、覚悟を決めて後ろのマッチョに言ってやる。
「靴……」
「靴?」
「土足……止めてもらえますか?」
とりあえず靴だけは脱いでくれ。
狭くて古いアパートだけど、一応綺麗には整えてるんだ。
恨みがましく靴を見た後に、ジト目でマッチョを見上げれば、おどけたようにマッチョが。
「あー、靴かぁ。ごめんなぁ、うっかりしてたわ。おーい、お前らも靴脱げってよ」
仲間に呼びかけるマッチョにつられて玄関を見ると、さっきは三人だけに見えたマッチョの陰に、もう一人同じようなガタイがいる事に気がついた。
みんなニヤニヤと、嫌な感じの笑みを浮かべてんのが、すげーキモい。
(……なんだ、コイツら)
眉を潜める俺の頬に、突然ド太いウインナーみたいな指がぺとりと触れてきた。
ギャアアアアッ!
ザワッとするような悪寒が全身に走る。
思わず反射で指を叩き落としてしてから、ハッとした。
腹にマッチョの腕が回っていて、逃げられねぇ。
(やべぇ…。マズったな)
じわっと額に汗が浮いてくる。
このままだと、逆上したマッチョに殴られるかもしれねぇ。
恐る恐る後ろを確認にすると、叩かれた手をジーッと見ていたマッチョが、俺の視線に気づいてニヤッと笑いかけてくる。
怖……ッッ!!
「大人しいかと思ってたけど、結構気が強ぇんじゃん。いいねいいね! こりゃ、楽しめそう」
「……は?」
何だコイツ。頭がおかしいのか?
「おっ? 前髪で隠れてよく見えなかったけど、顔も勝ち気って感じで良いじゃねぇの。うん、合格」
合格って何だよ、気持ち悪ぃ。
てか人の前髪、勝手に上げてんじゃねーよ!
「触んなっ。つーかおたくら誰だよ? うちの親父の関係者か何かだったら……!」
「はぁ? 親父って誰だよ? おまえら知ってる?」
「いーや。知らねぇなぁ」
聞かれた別マッチョが、にやにやしながら否定してくる。
親父の関係者じゃねーってことは……やっぱコイツら強盗目的か?
ヒヤリと心臓が冷えた。
姉ちゃんが居なかったのは幸いだったけど、悠が巻き込まれたら最悪だ。
(せめて悠だけは守ってやんねーと……)
いざとなったら自分の身を犠牲にしてでも──と思うけど、この筋肉マッチョ相手にどこまで太刀打ち出来るか。
この先の展開を想像して、背中に嫌な汗が伝う。
「あ、怯えた顔してるのも可愛いなぁ♡ 心配する必要はねぇよ。俺等ゲイ専門デリバリーヘルスから派遣されてきた、ただの竿役だし。アンタはただ気持ちよく、喘いでくれればいいんだって」
知らねぇって答えてきた奴とは別の筋肉マッチョが、気さくな感じで話しかけてきたけど。
……は? ゲイ専門?
なにそれ。予想外すぎて頭が追いつかねぇ。
何でそんな奴らがウチに来てんの?
「ヘルスって何だそれ。んなもん頼んでねーよ。別の家と間違えてんじゃないスか?」
はぁと安堵のため息をこぼす。とりあえず強盗じゃなくて助かった。
派遣先が間違いだって気づいたんなら、このまますぐに帰ってくれるだろ。
(……ったく。にしてもヘルスって何だそれ。どう見ても未成年だろうが。んなん頼むかよっ!)
しかもゲイ専用!? オェエエエッ!
男は悠だけで十分だっての。
思わず脱力する俺の耳元に、筋肉マッチョの笑いを含んだ声が届く。
「ハハハッ。安心してるとこ悪いんだが、間違いなんかじゃねーよ。 ここ、三由さん家だろ?」
ん? どういう事?
間違いじゃねぇって、何なんだよ?
マジでデリなんか、頼んでねーんだけど。
よく分かんねーけど、何か悪意のようなものを感じる。
誰の悪戯か知らねーけど、なんつー嫌がらせを考えつくんだよ!
ただいくら仕事で来たとは言え、未成年って分かれば手出しは出来ねぇはず。
淫行条例ありがとう! 万歳!
「確かにウチは三由だけど、俺高校生なんで変な事すると捕まるのはアンタらですよ。今回はお互い誰かの嫌がらせに巻き込まれただけだと思って目を瞑るんで、このまま大人しく帰ってもらえますか?」
不法侵入は咎めないって言ってんのに、奴らのニヤニヤ笑いがさらに深まって、不気味すぎる。
「あー、なるほど。そうくる? いやぁ、悪いね。通報は困るけど、もう金は受け取っちゃってんのよ。まぁ君が黙っててくれればそれで済む話だからさー」
「そうそう。あ、心配しなくてもちゃんと靴は脱ぐし。ほら、これでいいだろ? あ~、高校生を犯すってめちゃくちゃ興奮する! もちろん処女だよな?」
ゲラゲラ笑いながら、帰るどころか玄関にたむろしていたマッチョ達まで、家に上がり込もうとしている。
ほんと、なんなんだよコイツら!
男に処女もクソもあるかよ。気持ち悪ぃ。
「頼んでねーって言ってんじゃん。何かする気なら、マジで警察呼ぶからな!」
「あーあー、キャンキャンうるせぇガキだな。ほら、近所迷惑だろ? ちょっと黙ろうなぁ」
グローブのような分厚い手が口元を覆ってくる。
うーうー唸りながら身体を捻るも、腰に回った腕のせいで逃げられねぇ。
(くそ……っ。でも悠がいて困ったけど助かった。多分今頃警察に連絡してくれてるはず)
だから大丈夫。
てか、もうそれに縋るしかねぇ。
ギリッと歯噛みする俺の目の前に、いつのまにか別の短髪マッチョが立っていた。
どっちも厚みのある巨体のせいで、前後を塞がれると圧迫感がすげぇんだけど。
ニタニタ笑う顔を睨みつけていたら、目の前の短髪が俺の身体に巻き付いていたブランケットに手を伸ばす。
そのまま無理やり身体から剥ぎ取られた。
(……あっ、嘘だろ!? 俺の悠コレクション……っ!!)
どうするつもりだと目で追ったら、笑いながら玄関にいる別のマッチョに向かって投げ飛ばしやがった。
コイツ等、なんてことを……っ!!
マジで許せねぇ!!!
俺の宝物を返しやがれ!
「薄い身体つきしてんなぁ。俺たち全員相手にしたら、あっという間にぶっ壊れちゃうんじゃねーの?」
身体を押さえつける後ろのマッチョが、俺の腹を無遠慮に撫で上げてきた。
(お前の筋肉ダルマと一緒にすんじゃねーよ! 俺は標準体型だッ!!)
怒りで目の前が真っ赤に染まる。
くそっ、くそっ、くそっ。
(汚ねぇ手で触んな、気持ち悪ぃ……っ!)
マジで吐きそう。
コイツの手がすげー嫌だ。
触られてる部分、全部嫌だ。虫酸が走る。
くそ! 離しやがれ!
キモイ、キモイ、キモイ!!
「おいっ、暴れんなよ。殴られてーのかっ?」
突然ジタバタと藻掻き始めた俺に向かって、マッチョがドスの効いた声で恫喝してきたけど、んなもん構うもんか。
こっちは腹を撫でられてから、全身の悪寒が止まんねぇんだよ!!
暴れる俺をさらに大人しくさせようとしてか、口元を覆っていた手を外すと、ド太い腕が俺の首元を締め上げにかかる。
密着感がさらに高まったせいで嫌悪感がやばい。
込み上げてくる吐き気に堪えきれずに、目の前の腕を噛みちぎるような勢いで口を大きく開けた時、
「いい加減にしろよ、お前ら。一体何時まで遊んでんだ。さっさとそのガキ犯さねーと、依頼主にどやされんぞ」
筋肉4人組とは雰囲気からして違う、一目でヤバい職業の人間って分かるような男が、ドアの隙間からのそっと現れた。
俺をチラリと見た後に「忘れもんだ」と、横にいるもう一人のマッチョに小型のビデオカメラを渡している。
「さぁ、とっとと始めようか」
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