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41.体育祭に向けて①
しおりを挟む食堂に着くとほとんどの席が埋まっていたけど、遅くなったせいで券売機自体は誰も並んでいない。
「アキは何が食べたい?」
「んー…、じゃあカレー」
「そんなものでいいのか? この間のオムライスは?」
「それはまた今度な。今日は時間もそんなに無いし、カレーでいいよ」
「分かった。ならすぐに買ってくる」
俺にそう言い残すと、悠が券売機に向かって早足で歩いていく。
今日の悠はしっかりとお金も持ってきているようだし、この間と違って背中に自信を感じる。
子供の成長は早いって言うけど、ほんとにあっと言う間に一人前になってしまったよ。
感慨深く悠の背中を見送っている俺のシャツを、橘がくいくいと引っ張ってくる。
「どうした橘? お前もさっさと食券を買いに行かねーと、このまま置いてくぞ?」
「すぐに買いに行くって。それより何なの今のやり取り!? 和南城が奢ってくれんの? いつの間にそんなに仲良くなってたの!」
何でお前こそ、そんなにビックリしてんの?
奢りって言っても、前回は俺が悠に奢ったし。
これくらいで仲が良いなんて言われたら、トイレでちんこを擦りつけ合った俺達はどうなんだよ?
「仲っていうか……まぁいいじゃん。それよりさっさと買ってこないと、本当に俺ら行っちゃうぞ? ほら、悠は買い終わったみたいだし」
「うわわっ、すぐに買いに行くって! だから置いて行くなよっ」
橘が念を押しながら券売機に走っていく。
そんなに置いて行かれたくなかったのかよ。
子供じゃねーんだからさぁ。と思いながらも、ついつい笑ってしまう。
戻ってきた悠が一人で笑っている俺に気づいて、不思議そうに見つめてくる。
「何を笑っているんだ?」
「あぁ、何でもねーよ。食券ありがとうな、悠」
悠の差し出す食券を受け取りながら笑いかけると、悠も優しく微笑んできた。
うわっ。醸し出す雰囲気がやけに甘い。
えーと……。
どうしたもんかな、これ……。
困った。
悠が俺への好意を隠そうともしない。
あのアホの橘でさえ薄々おかしいと思い始めているんだから、周りにはきっとダダ漏れなんだと思う。
これがαの本気というものなら、もっと控えてくれと言いたい。
このままだと色々と困ったことになりそう。
「なぁ悠、あのさ……」
「ん?」
口を開こうとしたタイミングで邪魔が入った。
「悪い悪い! 買ってきた!」
能天気な顔で戻ってきた橘に、思わず舌打ちしたくなる。
なんでコイツってこんなにタイミングが悪いんだよ。
口を閉じる俺に、悠が声をかけてくる。
「どうしたアキ?」
「いや、また後で話すよ。それよりご飯受け取ってこようぜ」
何か気が削がれた。
別に今すぐ言わなくてもいいだろうし。
配膳から料理を受け取ると、ちょうど長テーブルの端に3人で座れる席を見つけたので、そこに座ることにした。
俺の向かいに橘、横には悠が座った。
「いただきます」と言ってからスプーンを手に取ろうとしたら、何故かトレーの上から俺のスプーンだけが消えている。
(あれ? さっきまでは確かにここにあったよな)
どこかに落としたのか?と机の下まで覗いてみたけど、やっぱりない。
面倒くさいけどスプーンをもらいに行くか、と諦めながら顔を上げた所で、悠に名前を呼ばれた。
もしかしてスプーンが見つかったのか?
期待のまま横を向いた俺だったけど、そのまま硬直することになる。
目の前には、カレーを乗せたスプーンが差し出されていた。
(あの…もしやその手に持っているスプーンは、俺のではないですか?)
聞きたい。ものすごく聞きたい。
スプーンから悠に視線を向けると、なぜかニコッと微笑まれた。
そのまま形の良い唇が言葉を紡ぐ。
「口開けて」
……………………はい?
想像を越える悠の行動に、思考まで止まる。
動かなくなった俺に悠は少し考える素振りを見せた後、優しく俺の顎に指をかけると、そのままスプーンを口の中に入れてくるという暴挙に及んだ。
口の中に溢れかえるスパイスの香りと、向かいに座る橘の「ブフォッ」と味噌汁を吹き出す音で何とか我に帰る。
思考を停止させてる場合じゃねぇよ!
何してくれてんだ、コイツ……!!
まさかの悠のあーんに『勘弁してくれ!』と頭を抱えたくなった。
その前に口の中のカレーを消化しないと、文句も言えねぇ。
おのれ、悠め……っ!
全力でいくとは宣言されたけれど、本当に周りを気にせずとんでもない真似をしてくれるっ
(くそ……っ、負けてたまるか!)
口の中のカレーは消えたな。よし!
気を取り直して今度こそ、と悠を振り向けば、またもや目の前にスプーンが現れている。
「あーん」
悠の眩しいほどの笑みに、視界がシパシパしてくる。
何でこんなに嬉しそうなの?
「……あ、自分で食べれるので結構です…」
文句を言う気力を削がれるくらいの笑みに、悠の手からスプーンを奪い返すだけに留めた。
もう、悠を気にしたら負けな気がする。
ぐったりしながら取り返したスプーンでカレーを掬っていると、隣からまた悠の呼ぶ声。
今度は何だとうんざりしながら横を見れば、箸で挟まれた唐揚げが目の前にあった。
「アキ、ほら」
………もしやこれは俺が食べるまで、ずっと続くんでしょうか?
目の前には美味しそうな匂いがする唐揚げが、俺に向かって差し出されている。
どうせさっきも一度あーんされているしな。
ここで拒んでも結果は同じ気がしてきた。
ちょうどカレーだけじゃ、物足りねぇと思っていたところだ。
くれると言うなら素直に貰えばいいんじゃねぇ、という誘惑に駆られる。
うん。断るのも悪いし、やっぱ遠慮なくもらっておこう!
口を開いてカプッと唐揚げに齧り付くと、肉汁が口の中に溢れてきて幸せな気分になる。
んんんっ、にんにくが効いてて美味ぁ!
味わいながら食べていたら、食堂がザワッと騒がしくなったのに気がついた。
何だ?と思って顔を上げると、食堂にいる生徒達がこっちを見ている。
(──え? 何か、視線すごくね? もしかしてさっきから見られてた?)
さっきは思考が停止していたせいで、ざわつく音にも気がつかなかったけど、こんなに注目を浴びている中でコイツはあーんをしてきたのか?
肝が座りすぎってもんじゃねーだろ。
いや、よく考えたら悠だもんな。
視線を集めないわけがないじゃん。
俺こそ肉に惑わされていたとは言え、不注意すぎだろ。
最悪だ……。
悠と一緒にいるようになってから、人の視線にどんどん鈍感になっている気がする。
カァッと頬が熱くなってくる一方で、忘れてはいけないことも思い出してしまった。
(あ……、食堂といえば羽鳥先輩がいるんじゃねーのか!)
色々あってすっかり忘れていた。
慌てて羽鳥先輩が座っているテーブルに目を向けると、ちょうど親衛隊に守られるように席を立つ、羽鳥先輩の後ろ姿だけがかろうじて見える。
(ギ…ギリギリ見られていない? これはどっちだ?)
上がっていた熱が一気に引いていく。
肉に釣られてうっかり口を開けてしまったけど、もしもまだ羽鳥先輩が悠の事を諦めきれていなかったとしたら、さっきのあーんはあまりに悪手すぎる。
考えると頭が痛くなってきた。
悠にはしっかり、食堂でのあーんは控えるように言っておかねばなるまい。
「おい、悠っ」
「どうした? まだ欲しいのなら、ほら 」
「違う違う違うっ」
悠は全く気にする素振りも見せずに、俺に唐揚げを寄越そうとしてくる。
……お前、良い奴だな。
俺が食べたいって言ったら、もしかして全部くれるんじゃねーの?
悠を見ていたら、1人で慌てているのが馬鹿らしくなってきた。
はぁ、と溜息を吐きながらカレーを食べようとして、あれ?と向かいの橘を見る。
いやに大人しすぎねぇ?
いつも賑やかな奴が静かすぎると逆に心配になる。
気になって視線を向けると、コップの水を全てテーブルの上に溢したまま、こっちを呆然とした目で見ている橘と目が合った。
「橘っ、橘っ! おい、めっちゃ水こぼしてるッ! 何やってんのお前っ」
俺が慌ててテーブルの上に置いてある布巾を手渡すと、橘がようやく気づいたかのように手元のグラスを見て、「うわっ!」と叫んでいる。
慌てて俺から布巾を受け取った。
「おいおい大丈夫かよ? ズボンにまで水が垂れてねぇ?」
「いや、いやいや大丈夫…!ちょっとかかったけど、平気平気っ」
「そうか? 気をつけろよ」
「あ、うん。…いや待って! おかしいからっ。なんで何事もなかったように、また食べようとしてんの三由!」
「え? 早く食べないと昼休み終わるぞ」
「分かってるって! そうじゃなくて、今の何なの!」
「何が?」
「もしかして俺、幻でも見てたっ? 和南城が三由にあーんしてたように見えたんだけどっ」
「したな。それがどうかしたか?」
「やっぱ幻じゃなかったんだ、アレッ!!」
橘の追求を、とぼけたまま躱そうとしていたのに、悠め!
最後の最後で余計な一言を挟んできやがったな、と思わず隣の悠を睨む。
普段俺と橘の会話には、極力入ってこようとしないくせに、こういう時だけ何で参加してくんだよ!
(あーもう、なんか面倒くさくなってきた。もう勝手にしてくれ!)
「なななななんでいきなりそんなこと…っ!」
「さぁな。悠は俺の彼氏希望らしいから、そのせいじゃね。コイツの言う事はあんま気にする必要ねーよ」
「カ…ッ!? ……痛ぇっっ!!」
大きな声で『彼氏』と言いそうになった橘の脛を、机の下から思いっきり蹴ってやる。
声がでけーんだよ、あほっ
「三由、ひでぇ…。俺、今日はサッカーが出来ないかも……」
「サッカー部のエースになるんだろ? そのくらいで泣き言なんか言ってんなよ」
この話はお終いとばかりに流したつもりだったのに、「少し違うな」と悠がまたもや余計な口を挟んできた。
いや、もうその話は終わっただろ。
いつまで引っ張る気だ、と横からじとりと睨んでいるのに、悠はまだ話そうとしている。
「えーと…和南城。何が違うの?」
「彼氏というより、夫になりたいと言う方が正しいな」
「……はぁあああああっ!?」
「落ち着け橘。マジで悠の言う事はあんま気にすんな。それよりさっさと飯食えよ」
「なぁ、三由っ。俺、二人にからかわれてんの? どっち? 本当っ?」
「……さぁな」
俺はもはや無の境地だ。
悠の事は気にしたら負けだと、さっき理解した。
詰め寄ってくる橘を適当にはぐらかしながら、俺は目の前のカレーを食べることだけに集中した。
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