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29.それは俺の!
しおりを挟む女子の歓声が響く中、走り終えた悠は肩で息をつきながら額の汗を拭っている。
その仕草と表情が、ひどくセクシーに感じられて、思わずドキッとしてしまった。
普段が無表情な分、僅かに上気した顔がたまらなくエロく感じる。
(こうして見ると悠って、歩く猥褻物みたいな男だよな……)
青空との対比が、さらにエロさを増長しているみたいだ。
何となく見てはいけないものを見てしまった気分になって、慌てて目を逸らした。
(くっ、悠にドキっとしてる場合じゃないんだって。今日の俺の目的は、汗の染み込んだ私物をもらうことだってのに! )
集中! 集中しろ俺!
それでなくても今日は記録測定の為に、隣のクラスの男子だけじゃなく、女子も交えての合同体育なんだ。
うちのクラスの女子は控えめに見ているようだけど、他クラスの女子にとっては絶好の機会だとでも思っているのか、悠を取り囲もうとじりじりと近づいているのが見える。
普段は女子の圧が怖いから、こういう場合はなるべく悠の傍には近づかないようにしているんだけど、今日だけは別だ。
あ、あ、あ、あ~~!!
ちょっと待て、そこの女子!
その手に持っているタオルをどうするつもりだよっ。
腕で汗を拭っている悠と、自分のタオルを何度も見比べながら、ソワソワと近寄って行く女子の存在に気がついてしまった。
すげー可愛い子だけど……何してんだよ!!
駄目駄目!!
別な日ならいいけど、今日だけは絶対に駄目!
悠の汗を狙っているのはお前だけじゃねーんだよ。むしろ俺は昨日から狙っているんだぞっ。
そのタオルを使われたら、俺がもらえるフェロモンが無くなっちゃうじゃん。
───絶対に阻止してやる!!
「悠っ!」
わざと大きな声を上げて、悠に近づく女子の注意を引いてやった。
よしよし。みんな足を止めたな。
悪いけど、悠は俺がもらっていく!
「そんな所にいないで、さっさとタオルか何かで汗拭けよ。風邪ひくぞ」
「……あぁ、そうだな。ごめん、そこを通してもらえるか?」
立ち塞がりかけた女子の包囲網を抜けた悠に、しれっとした顔で俺も付いていく。
後ろで悔しそうにしている女子には悪いけど、今日の悠は誰にもやらねぇ!
俺のクララには、こいつが必要不可欠なんだ!!
「お前がそんなに汗かいてるなんて、珍しいな」
「さすがに暑いしな。汗くらい出るよ」
「そっか。……あ、俺のTシャツで汗拭く?」
シャツの裾をひっぱりながら悠に聞いてみる。
うまく行けば汗が手に入るかなと期待したんだけど、一瞬歩みを止めた悠に首を振られてしまった。
「…………いや、いい」
くそっ、遠慮しないで拭いてくれていいんだって!!
ほてほてと悠についてきたのはいいけど──
悠はどこにタオルを置いたんだ?
みんながいる場所からは、けっこう離れているぞ。
「なぁ、どこまで行くんだよ?」
「そこのベンチにタオルを置いてある」
悠が指差すベンチには、確かにタオルが置いてあった。
置いてあったけど。
はぁあっ!?
「ちょっとお前、なにやってんだよっ。無防備にこんな所にタオルなんか置くなって。盗んでくれって言ってるようなもんじゃん!」
「普通にみんな、適当に置いていたように見えたが違ったのか? むしろこんな離れたベンチにまで、盗みにくる奴の方が稀だと思うんだが?」
いるよっ。
今まさにそれを狙って、俺が盗みに来てんだよアホ!!
もっと危機感持てよ、危ねーなっ !
「とにかく危険だから。次からはよしなさいね。お兄さんはちゃんと忠告しといたよ」
「よく分からないが、……なら、今度からはアキにタオルを預けておけばいいのか?」
そうだな。
うん、それは確かに素晴らしい提案だと思う。
俺が肉食女子からお前の代わりに、しっかりタオルを守ってやるよ。
俺がコクコクと首を振りながら頷くと、悠は少し困惑気味な顔をしながらも、手にとったタオルで汗を拭いていく。
ふんわりとした柔らかそうな紺色のタオルに、悠の汗が吸い取られていく。
思わずじーっと見つめてしまった。
(日常的に持ち歩くなら、本当はハンカチの方が良いんだけど、タオルも捨てがたいな……)
昨日調べた感じだと、汗にも微量のフェロモンが混じっているらしい。
普通のΩのように、フェロモンの匂いを感じとることは出来なくても、鼻腔の粘膜からならβ色の強い俺でもフェロモンが感じ取れると思うんだよな。
いっぱい汗を吸ったタオルなら、尚更効果も上がる気がする。
(あー、そのタオルめっちゃ欲しい!)
どうしたらその汗の染み込んだタオルを、俺のものに出来るんだろ。
やっぱりここは正直に『欲しい』と言ってみるべきか。
それとも隙をついて盗みだした後に、自分のタオルの中に包んで隠すか……。
盗みは良心が痛むが、いざとなったら強行策も辞さないつもりだ。
ねだるか盗むかでグルグルと迷う。
タオルを熱心に見つめる俺を、悠が不審そうに見てきた。
「アキ? このタオルがどうかしたのか?」
してる。
どうやったらそれを貰えるのかで、今めっちゃ悩んでいる。
ここはやっぱ、ストレートに言ってもいいんじゃないか?って気にもなってきたし。
「本当にどうしたんだ?」
悠の戸惑った声にハッとなる。
やばいやばい。あんまり見つめていても、逆効果だ。
渡したくないって思われても困るし。
「悪い、別になんでもねーよ」
「タオルが気になっていたようだが……」
「んっ、んんんっ!! 全然見てねーよ!」
「……………」
やべぇっ。全力で否定しすぎたせいで、逆に怪しく映ってしまったようだ。
悠の目が完全に疑いの眼差しになっているし。
慌てて目を逸らすしかない。
「本当になんでもないんだって! 俺のことは気にしないで、遠慮なく汗を拭けよ」
「そうか…?」
視線を外したつもりだったんだけど、横目で悠がタオルを持ち上げる動作に釣られて、目が吸い寄せられてしまった。
追いかける俺の視線の先で、悠と目が合う。
「……あ」
「──使うか?」
スッと目の前にタオルを差し出されて、思わず飛びついてしまう俺。
「マジでっ!? 使う使う!」
やった!
悠の方から使ってもいいって許可が出た。
これで洗濯をしてから返すって理由をつけて、家に持ち帰れる!
悠のタオルまでもうちょっとって所で、冷静な声が上からかかった。
「アキもタオルを持っているようだけど…それは使わないのか?」
悠の声にそろそろと顔を持ち上げてみれば、色素の薄い瞳がこちらをジッと観察するように見つめている。
え……、何これ引っ掛け?
俺、見事に引っかかっちゃったの?
(ど、どどどどどうしようっ、言い訳なんて考えてねーんだけどっ)
焦っても、まったく役に立ちそうな言い訳が浮かんでこねぇ!
確かに自分のタオルがあるのに、人が使ったタオルを使いたがるなんて不審すぎる。
もしもジャイ○ンなら『お前のものは俺のもの』って言えたんだろうけど、俺はジャイ○ンじゃねぇし!
………せめて!
せめてこのタオルを使う前だったらっ!
『悠の高そうなタオルいいな。俺のタオルと一日交換しない?』くらい言えたのに!
こんな使い古したタオル、お坊ちゃん相手に交換してくれなんて、俺からは言えねぇよ!
何も言えずにダラダラと汗をかく俺。
どうしていいのか分からず視線を彷徨かせる俺の身体に、その時ものすごい勢いで何かがぶつかってきた。
「ぐふぉおっ!!!」
突然のタックルに完全に油断していた。そのまま倒れ込みそうになる所を、悠の身体に受け止められる。
(あ、危ねぇ……!!)
誰だよ一体!!!
怒りに任せて後ろを振り返ろうとしたところで、自分の腰にしっかりと腕が巻き付いていることに気がついた。
この腕……。
「三由ぃい~~~~」
「やっぱお前かよ、橘っ!! 突然タックルかますな、アホッ 転ぶ所だったぞっ!」
グリンッと振り向いた先に居たのは、思った通りの橘だった。
人を突き飛ばそうとしたくせに、逆に恨めしそうな顔で俺を見ながら、背中にへばり付いている。
うわっ。回した腕でギューギュー腹を締め付けてくんなっ、
苦しいって!
「くっそ暑いのに、くっ付くいてくんなよ。ウゼェッ」
「三由ひでぇよ~ 俺が暑い中頑張って走ったのに、まったくこっちを見てくれなかったじゃん!」
「はぁっ? 何いってんだよお前」
子供の運動会を見に来た親じゃねーぞ、俺は。
それよりも、頭をグリグリと俺の肩に押し付けてくんの止めてくれる?
全然可愛くないからな、それ。
うんざりしながら後ろの橘を引き剥がそうとして、
……うっ?! なんだこの匂いッ!!
「うわっ、お前すげー汗臭ぇっ!! ヤバいってこの臭い。 しかも汗でベッタベタじゃねーか!! キモッ」
巻き付いた腕を触った途端、ヌルヌルした。
その上ものすごく酸っぱい、汗の臭いもしている。
え? その汗ばんだ身体で、さっき俺の肩をグリグリしてたの?
嘘だろっ。
今すぐこの汚れたTシャツを脱ぎ捨ててぇ……!!
「ひでぇ、三由! そういうのはスメハラって言うんだぞ!」
「アホかっ。スメハラしてんのはお前の方だろうが! とりあえず臭いし暑いから、離れろって!」
「じゃあさ、首に巻いているタオルを貸してくれよぉ。俺、今日タオル持ってくんの忘れたんだよ」
「はぁっ?」
忘れたからって普通、人が使ったタオルを貸してくれなんて言うか?
どこまで厚かましいんだよお前。
タオルを貸すのは嫌だが、俺のTシャツで汗を拭かれるのも嫌だ。
何この、どっちも最悪な二択。
くそっ、仕方ない。
「ほら、こ───」
『これ使えよ』と、首に下げているタオルを橘に渡す前に、横からスッとそれを引き抜かれる。
(───え…?)
代わりに頭にパサっと触れる、柔らかい感触。
グリーン系の優しい香りが、ふわりと俺を覆うように漂った。
──これって……。
「オレのタオルを使いたかったんだろう? アキのタオルと交換でいいならそのタオル、あげるよ」
声がした方向を見上げると、悠が俺のタオルを手に持っている。
じゃあ頭に乗っているこの感触はやっぱり……。
(うわっ、うわっ、うわぁあっ。マジか、やった! 手に入れたじゃん、俺の救世主アイテム!)
頭からタオルを外して手に取ってみると、間違いなくさっきまで悠が使っていた紺色のタオルだった。
マジで悠のだ!
(すげー! すげー、柔らかいっ 何だこの手触り!?)
俺のタオルと交換してもらうのが、申し訳ないくらいの良質なタオルだった。
金持ちはタオルからして全然違う。
顔に当てると肌触りの良さに感動した。
うわぁ、うわぁああっ!
しかも何だこの良い匂い!
後ろにいる橘とは全然違うじゃねーか。
イケメンは汗までイケメンだった。
悠の汗の匂いに混じる、グリーン系のコロンの香りに、一気にテンションが湧きたった。
……うわぁ、うわぁあっ!
思わずクンクンと夢中になって匂いを嗅いでいたら、後ろから橘の引いたような声。
「え…っ、何やってんの、三由……。男のタオルの匂いなんか嗅ぐなよ。きもっ」
(俺のタオルを使おうとしていた奴がそれを言うんじゃねーよ)
コイツは…と、思わず白けた目で橘を見てしまったけど、まぁ許してやろうじゃないか。
お前のおかげかは分からないけど、悠が突然タオルをくれる気になったんだし。
「うるせーな。そう言うけどこのタオル、肌触りがマジでいいぞ? あと、すげーいい匂いもする!」
「えっ!マジで? ちょっと俺にも使わせてくれよ」
アホッ 何でお前に使わせてやらなきゃいけないんだよ。
やっと手に入れた貴重なアイテムなんだぞ。
お前のクッサイ顔なんかに使ったら、腐るじゃねーか!
「嫌に決まってんだろ。その代わりに、イケメン様の匂いのお裾分けくらいならしてやろう」
「何だよそれ。いらねー……」
「ふふん、お前はバカだな。このタオルなんて、女子が絶対欲しがるに決まってんだろ」
「マジかよ! それ嗅いだら『どんな匂いだった?』って後で女子に質問とかされちゃう?」
ヘラっとだらしない顔になった橘に、俺は重々しく頷いてやる。
そうだぞ橘。
イケメンは、汗の匂いからして違う事をその鼻で理解するがいい。
あ、嗅ぐのはいいけどタオルに顔を触れさせたら殴るから。
「どうだ? いい匂いだろう」
まだ後ろにへばりついたままの橘に、フフンと得意気に匂いを嗅がせてみるけど、あれ?
首を傾げるだけなのかよ?
なんで感動しないの?
俺なんて、最初嗅いだ時はすげー興奮したのに。
「特に何も匂いなんてしないけど? なぁなぁケチらないで、もうちょっと近づけてさせてくれよぉ」
「無理。駄目。そこが限界」
それ以上近づいたら、お前の鼻がタオルにくっ付くだろーが。
「お前さ、汗が臭いだけじゃなく鼻も悪いのかよ。こんなに良い匂いしてんのに、何で分かんねーの?」
「えぇ~…、三由の鼻が良すぎなだけじゃね? 俺には分かんねーよ」
お手上げと言わんばかりに、横で静かに俺達のやり取りを見ている悠に、話しかけている。
「何か三由が、いい匂い、いい匂いって言ってるけど、和南城って香水かなんかつけてんの?」
「つけてない」
にべもない悠の返答に、目を丸くする。
えぇっ?
でもこの香り、この間の柔軟剤とは違って、たまに悠から香ってるぞ?
だからコロンか何かだと思ってたんだけど。
……どゆこと?
「つけてないってよ、三由」
「えぇ…。嘘だろ? すげーいい匂いがしてんだけど」
もう一度匂いを嗅ぐ。
うん、やっぱ良い匂いだよな……。
「はははっ、何だよ三由。αの匂いでも嗅ぎ取ってんじゃねーの?」
「はぁ?」
橘が冗談交じりに、笑いながらそんな事を言ってきたけど、ほんと何言ってんだよお前。
フェロモンの匂いなんて、俺が感じとれるわけねーじゃん。
───え? 感じとってないよね?
俺、ほぼβだって幸子先生も言っていたし。
急に不安になってきたんだけど。
押し黙っていると、突然後ろにいた橘の重みが消えた。
驚いて振り返ると、俺と橘の間に悠が身体を割り込ませるようにして、抱きつく橘の腕を引き離している。
えっ!? どうしたんだよ……!
ビックリして悠を見ると、少し苛ついたような声音で、
「オレの匂いなんて、別にどうでもいいだろう。いつまでも人のタオルで遊んでいないで、いいかげん離れたらどうだ? 人前で抱きつくなんて見苦しいと思わないのか?」
俺から引き離された橘に向けて、冷たく言い放っている。
えっと…見苦しいのは確かだろうけど……。
ちょっと悠さん、マジでどうしたの?
それとも「匂いがー」ってしつこく言ったから、怒ったとか?
「──あとアキも。……女子の為にそのタオルが欲しいと言う理由なら、返してくれ」
ジロっとこちらを睨んでくる、悠の視線も冷たい。
う……すみません。
あれは言葉の綾みたいなものです。
あの場では何も言われなかったから、ちょっと調子に乗っちゃっただけです、すみません。
「こ、これは俺専用だから……」
う、嘘じゃないし。
取り上げられてはたまらないので、サッと後ろにタオルを隠した。
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