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19.保健室
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「先生いるー?」
ノックをしてから保健室のドアを開けて中に声をかけると、机に座る養護教諭の幸子先生と目が合った。
「はいはい、いますよ。どうしました?」
座っていた椅子から立ち上がった幸子先生が、柔和な眼差しを向けながら、こちらに歩み寄って来てくれる。
「怪我かしら? それともどこか具合が悪い?」
首を傾げるようにして、俺の顔を覗き込んでくる。
幸子先生は40代の、ややぽっちゃりとした見た目の養護教諭だ。
性格も見た目通りの穏やかな人なので、生徒からも人気がある。
話し方もおっとりしているために、親しみやすい。
「先生ー、解熱剤ある? なんか熱っぽいし、少し頭痛もする」
「あー、確かに熱っぽい顔してるかもねぇ。中に入って少しだけ待てる? 今、体温計とお薬を用意するわね」
「ん…」
首元に軽く触れた後にそう言い残すと、幸子先生が戸棚の所にパタパタと駆け出した。
中から薬と体温計を取り出す幸子先生の動きを朦朧とした目で追っていたけど。
……駄目だ。だんだん平衡感覚が保てなくなってきた。
普通に立っているだけでも、身体がフラフラと頼りなく動き出してしまう。
(まじで限界……)
立ちながら待つのは無理だと悟った俺は、我慢出来ずに幸子先生に声をかけることにした。
「先生。俺…ちょっともう無理かも。ベッドで待っててもいい?」
「あ、気が付かなくてごめんなさいね。今お水を用意しているから、ベッドの上でそのまま休んでいて」
こくりと頷いてから、壁際に配置されているベッドに近づく。
仕切り用のカーテンは開けっ放しだったから、そのまま綺麗に整えられたベッドの上に腰を下ろした。
あー…頭が痛ぇ。
視界がチカチカと眩しく感じる。
少しでも楽になりたい一心で、ネクタイとブレザーを脱いでいく。
のろのろとした動きでブレザーを脱いでいたら、幸子先生がコップを片手に俺の傍にやって来た。
「はい、体温計。脇で測るタイプだからね」
「……ん」
受け取った体温計を脇に挟むと、一分程で機械音が鳴った。
脇から体温計を取り出して確認すると、37.6度。
普段の俺の平熱と比べると、少し高いと言えば高いけど、想像よりも全然低い。
体感的に39度くらいあるかと思っていたんだけどなぁ。
そのわりに、なんでこんなに倦怠感が酷いんだろ。
結果に納得出来なくて、睨むように体温計をジッと見つめていたら、目の前に幸子先生の手が出された。
あ、待っていたのね。すみません。どうぞ。
俺から体温計を受け取った幸子先生は、測定結果に頷きながら。
「あぁ、確かに熱があるわねぇ。季節の変わり目だから風邪かしら? 吐き気とかはどう?」
「吐き気よりも怠さと頭痛が凄いかも……」
「本当はこのまま帰った方がいいのかもしれないけど、見た感じ無理そうだものね。とりあえずこれを飲んで、しばらく様子を見ましょうか。解熱鎮痛剤だから、少しは効果があるかも」
薬を渡した幸子先生は、俺が飲んでいる姿を観察しつつ、適当に脱ぎ散らかしたブレザーを手早く畳むと、枕元の横にそっと置いてくれた。
「飲んだよ。先生、これありがとう」
「どういたしまして。じゃあ放課後になったら起こしてあげるから、それまではゆっくり眠っておきなさいね」
柔らかい笑みを浮かべた後、ベッドを仕切るカーテンを横から引っ張るようにして、周りを遮断してくれた。
そのまま自分の机に戻って行く足音が聞こえてくる。
一人残された静かなベッドの上で、シャツのボタンを3つ目まで外して首元を楽にすると、布団を捲って中に潜り込んだ。
「はぁ───………」
思わず安堵のため息が漏れる。
マジでしんどかったんだよ。
横たえた身体が、どんどんシーツに沈み込んでいくみたいだ……。
身体が熱をもっているせいか、サラサラのシーツが冷たくて気持ちいい。
シーンとした室内からは、幸子先生が何かを書きつける音と加湿器の動く音。
窓の向こう側からは、賑やかに体育の授業を受ける生徒達の喧騒が、薄っすらと聞こえてくるだけの空間。
俺はその音を聞きながら、あっという間に深い眠りに落ちていった───……
***
泥のように深く沈み込んだ意識の外。
ふと嗅ぎ慣れた匂いがふわりと香ってきたのを、微睡んだ意識の隅からそっと感じとっていた。
思わずその匂いに誘われるように息を吸い込むと、じんわりとした温かい気持ちが胸を締め付けてくる。
鼻腔に広がるその匂いに意識を集中させると、揺蕩うように柔らかな心地が、弛緩した身体全体にゆったりと広がっていく。
何だろう…すげー気分がいい。
もっと……。
もっと嗅ぎたい。
俺にその匂い……くれよ。
そう思って自分から匂いを放つものに顔を寄せた。胸いっぱいに息を吸い込む。
いい匂い。
──これは、なんだろ?
仄かに香る程度だから、匂いがはっきりしない。
でもすごく好きな香りだ。
爽やかで……。若葉のような……。
うん、なんか青林檎のような瑞々しい香りがする。
良い匂いのするソレは、俺の身体を包み込むように覆ってくる。
匂いに飢えていた俺は、ソレに向かって遠慮なく頭をスリリ、と押し付けた。
(あー…、あったけー…… )
落ち着く温かさが心地よくて、さらにソレにスリスリと頭を擦りつける。
押し付けた部分から、甘く香るように匂いが広がっていくせいで、さらに俺は満足した。
しばらくうっとりするその温もりに身を任せていたけど、突然開いたシャツの隙間から、首元を温かい熱が這ってきた。
「……ふ、っ」
なにこれ。擽ってぇ。
思わず笑うような、息をつくような、そんな音が口から漏れ出た。
耳のそばからは『ちゅっ、ちゅっ』と鳥が囀るような音がさっきから聞こえてくるけど……。
んん? なんの音だ、これ?
囀る音の合間に、時折柔らかく喰まれるような熱も感じるし。
でも別に嫌じゃねぇ。ただ不思議な感覚。
沈んだ意識の淵からその熱に身を任せていたら、今度はギシリとベッドが軋むような音が聞こえてきた。
今度は何だ?と思ったら、俺の身体を誰かが持ち上げているような浮遊感を味わう。
反動で力の入らない頭がカクンと後ろに仰け反り、隠れていた喉仏が露わになる。
首が支えられずに苦しい体勢を強いられても、 半覚醒みたいなこの状況では指一本さえ、自分の意思で動かすことが出来ずにいた。
そんな俺の喉に、また柔らかくて温かい熱が吸い付いてくる。
ほんと何なんだろこれ?
ははっ、ふふふふっ。擽ったいんだって。
身を捩りたくても捩られない俺には気づいていないのか、熱はそのまま首を滑るようにして、だんだんと上に上がっていく。
頬まで辿り着くと、また柔らかい熱が押し付けられた。
「───**……」
吐息混じりの声はひどく熱がこもったように頬を撫でていく。
そのまま優しく首を支えられると……項を吸われる感触。
「……ん…っ」
口から鼻にかかったような音が無意識に漏れた。
今度はそこを軽く噛まれるような感触。
そこからジン…ッと痺れるような甘さが首筋に拡がっていく。
(……あれ? なんかこれ……気持ちがいいかも)
噛まれた部分から、ずっとへばりつくように感じていた熱が、じんわりと外に流れ出していくみてぇ……。
その吸い出されるような気持ち良さに、うっとりする。
あんなに熱かった身体から、すーっと熱が引いていくみたいだ。
鉛のように重く感じた身体も、すげー軽くなっていく。
吸い出される感覚が気持ちよくて『もっと』と、ねだるように顔のそばにあった熱に、鼻を擦りつけた。
身体を締め付ける拘束が強まったかと思うと、先程よりも強く噛まれる気持ち良さに、思わずブルリと身体を震わせる。
周囲を漂う香りに、酷く甘い匂いが混じっていく───…
◆◆◆
目を開くと視界がオレンジ色に染まっていた。
なんかすげーいっぱい寝た気がする。
乱れた前髪を避けるように額を触ってみるけど…うん、熱も引いたっぽい。
良かった──とは思うけど。
部屋の中がやけに静かじゃねぇ? もしかして俺一人とか?
カーテンの外の気配に耳を澄ませてみるけど、やはりしーんとした室内からは、加湿器の音だけしか聞こえてこない。
(……幸子先生はどこ行ったんだ?)
放課後に起こしてくれるって言ってたと思うんだけどな。
窓の外にはしっかり夕日が見えている。
かなり長い時間、ここで寝かせてもらっていたんじゃないだろうか。
「んー、いま何時だ?」
腕時計を確認してみると、16時45分だった。
うわ、もう夕方じゃんか。
とりあえず起き上がろうと布団から身体を起こしてみるけど。
うん?
あれ? 身体めっちゃ楽じゃねぇ…?
寝てる間に、しっかり薬が効いたのかな?
おかげで頭痛も熱もすっかり良くなっている。
これなら家に帰るのも全然余裕かも。
ベッドから身体を起こすと、緩めていたシャツのボタンをはめ直した。
ブレザーと一緒に置かれていたネクタイを手に取ると、慣れた手つきでネクタイを結んで身支度を整えていく。
うん、さっきと違ってちゃんと動けるな。
体調マジで回復したんじゃねぇの?
自分の回復力に安心しながらブレザーを羽織ろうとして、ベッド下に置いた靴の傍に、見覚えのある鞄が置いてある事に気がついた。
(……あれ? あれって俺の鞄だよな)
誰かが俺の代わりに、教室から鞄を持ってきてくれたのか?
わざわざこんなことをしてくれるなんて橘か……渡辺?
ベッドから下りて鞄を確認しようとしたその時、保健室のドアが開く音が聞こえてきた。
そのままパタパタとこちらに近づいてくる足音。
見ている前で仕切っていたカーテンがシャアッと勢いよく開けられると、慌てたような幸子先生の顔が飛び込んできた。
「あっ、起きてた。ごめんなさいね、起きた時に誰もいなくて不安だったでしょう? 突然職員会議が入ったものだから、起こすタイミングがすっかり遅くなってしまったわ」
「いや…俺はゆっくり寝かせてもらえたから助かったけど。あ、体調もすっかり治ったみたいです」
「そう? 確かに顔色は普通に戻っているわね。良かった。でも起こすって言ったのに、本当にごめんなさいね」
俺の顔を見ながら申し訳なさそうに幸子先生が謝ってくる。
別に気にしなくてもいいのに。
あ、そうだ。
「先生それよりさ、この鞄って誰が持ってきたのか分かる? 起きたら床に置いてあったんだけど」
俺が鞄を指差しても先生は首を傾げるだけだ。
「私が居た時にはなかったわねぇ。でも担任の先生にはここで休んでいることを伝えてあるから、親切なクラスメイトの誰かが、ここに運んでくれたのかもしれないわね」
「そっか…。じゃあ明日にでも誰が持ってきてくれたのか、聞いてみることにするよ」
ブレザーを羽織って帰る身支度をしながら幸子先生にお礼を言う。
「じゃあ俺帰るね。先生、お世話になりました」
「はい。気をつけて帰るのよ。お大事にね」
保健室の前で頭を下げてから廊下に出る。
部活動以外の生徒はもう校内には残っていないのか、歩く廊下は静かだ。
俺の足音だけが響いている。
普段この時間まで学校に残っていないせいか、昼間の学校と比べてなんだか不思議な光景に見えた。
オレンジ色に染まる静かな廊下を、1人歩きながら溜息をつく。
なんか色々疲れた一日だったな。
食堂では悠に振り回されるわ、羽鳥先輩はえげつない性格の美人だったりで散々だったし。
やっぱ美形と美女は、遠くから眺めるくらいで丁度いいのかも。
羽鳥先輩を釣るためのフェロモンに、何故か俺まで巻き込まれちゃったし。
そう、あのフェロモン──…
トイレでの出来事は、出来れば思い出したくもない記憶だ。
今考えると、俺……めちゃめちゃトイレ内で喘いでいたんじゃねぇ?
外に聞こえていたらどうしよ。
…………うん。
やっぱあれはなかった事として、このまま闇に葬り去ろう。
そう、あんな事実は無かったんだって。
無し無し。あんな記憶は俺の中には存在しない。しない。
心の中でそう決めると、振り切るように足早に昇降口に向かった。
───その夜。
クララが暴走しすぎたせいで精子が空になっていた俺は、ヒリヒリする亀頭の痛みに悶えながら、布団の中で一人涙をこぼしていた。
ノックをしてから保健室のドアを開けて中に声をかけると、机に座る養護教諭の幸子先生と目が合った。
「はいはい、いますよ。どうしました?」
座っていた椅子から立ち上がった幸子先生が、柔和な眼差しを向けながら、こちらに歩み寄って来てくれる。
「怪我かしら? それともどこか具合が悪い?」
首を傾げるようにして、俺の顔を覗き込んでくる。
幸子先生は40代の、ややぽっちゃりとした見た目の養護教諭だ。
性格も見た目通りの穏やかな人なので、生徒からも人気がある。
話し方もおっとりしているために、親しみやすい。
「先生ー、解熱剤ある? なんか熱っぽいし、少し頭痛もする」
「あー、確かに熱っぽい顔してるかもねぇ。中に入って少しだけ待てる? 今、体温計とお薬を用意するわね」
「ん…」
首元に軽く触れた後にそう言い残すと、幸子先生が戸棚の所にパタパタと駆け出した。
中から薬と体温計を取り出す幸子先生の動きを朦朧とした目で追っていたけど。
……駄目だ。だんだん平衡感覚が保てなくなってきた。
普通に立っているだけでも、身体がフラフラと頼りなく動き出してしまう。
(まじで限界……)
立ちながら待つのは無理だと悟った俺は、我慢出来ずに幸子先生に声をかけることにした。
「先生。俺…ちょっともう無理かも。ベッドで待っててもいい?」
「あ、気が付かなくてごめんなさいね。今お水を用意しているから、ベッドの上でそのまま休んでいて」
こくりと頷いてから、壁際に配置されているベッドに近づく。
仕切り用のカーテンは開けっ放しだったから、そのまま綺麗に整えられたベッドの上に腰を下ろした。
あー…頭が痛ぇ。
視界がチカチカと眩しく感じる。
少しでも楽になりたい一心で、ネクタイとブレザーを脱いでいく。
のろのろとした動きでブレザーを脱いでいたら、幸子先生がコップを片手に俺の傍にやって来た。
「はい、体温計。脇で測るタイプだからね」
「……ん」
受け取った体温計を脇に挟むと、一分程で機械音が鳴った。
脇から体温計を取り出して確認すると、37.6度。
普段の俺の平熱と比べると、少し高いと言えば高いけど、想像よりも全然低い。
体感的に39度くらいあるかと思っていたんだけどなぁ。
そのわりに、なんでこんなに倦怠感が酷いんだろ。
結果に納得出来なくて、睨むように体温計をジッと見つめていたら、目の前に幸子先生の手が出された。
あ、待っていたのね。すみません。どうぞ。
俺から体温計を受け取った幸子先生は、測定結果に頷きながら。
「あぁ、確かに熱があるわねぇ。季節の変わり目だから風邪かしら? 吐き気とかはどう?」
「吐き気よりも怠さと頭痛が凄いかも……」
「本当はこのまま帰った方がいいのかもしれないけど、見た感じ無理そうだものね。とりあえずこれを飲んで、しばらく様子を見ましょうか。解熱鎮痛剤だから、少しは効果があるかも」
薬を渡した幸子先生は、俺が飲んでいる姿を観察しつつ、適当に脱ぎ散らかしたブレザーを手早く畳むと、枕元の横にそっと置いてくれた。
「飲んだよ。先生、これありがとう」
「どういたしまして。じゃあ放課後になったら起こしてあげるから、それまではゆっくり眠っておきなさいね」
柔らかい笑みを浮かべた後、ベッドを仕切るカーテンを横から引っ張るようにして、周りを遮断してくれた。
そのまま自分の机に戻って行く足音が聞こえてくる。
一人残された静かなベッドの上で、シャツのボタンを3つ目まで外して首元を楽にすると、布団を捲って中に潜り込んだ。
「はぁ───………」
思わず安堵のため息が漏れる。
マジでしんどかったんだよ。
横たえた身体が、どんどんシーツに沈み込んでいくみたいだ……。
身体が熱をもっているせいか、サラサラのシーツが冷たくて気持ちいい。
シーンとした室内からは、幸子先生が何かを書きつける音と加湿器の動く音。
窓の向こう側からは、賑やかに体育の授業を受ける生徒達の喧騒が、薄っすらと聞こえてくるだけの空間。
俺はその音を聞きながら、あっという間に深い眠りに落ちていった───……
***
泥のように深く沈み込んだ意識の外。
ふと嗅ぎ慣れた匂いがふわりと香ってきたのを、微睡んだ意識の隅からそっと感じとっていた。
思わずその匂いに誘われるように息を吸い込むと、じんわりとした温かい気持ちが胸を締め付けてくる。
鼻腔に広がるその匂いに意識を集中させると、揺蕩うように柔らかな心地が、弛緩した身体全体にゆったりと広がっていく。
何だろう…すげー気分がいい。
もっと……。
もっと嗅ぎたい。
俺にその匂い……くれよ。
そう思って自分から匂いを放つものに顔を寄せた。胸いっぱいに息を吸い込む。
いい匂い。
──これは、なんだろ?
仄かに香る程度だから、匂いがはっきりしない。
でもすごく好きな香りだ。
爽やかで……。若葉のような……。
うん、なんか青林檎のような瑞々しい香りがする。
良い匂いのするソレは、俺の身体を包み込むように覆ってくる。
匂いに飢えていた俺は、ソレに向かって遠慮なく頭をスリリ、と押し付けた。
(あー…、あったけー…… )
落ち着く温かさが心地よくて、さらにソレにスリスリと頭を擦りつける。
押し付けた部分から、甘く香るように匂いが広がっていくせいで、さらに俺は満足した。
しばらくうっとりするその温もりに身を任せていたけど、突然開いたシャツの隙間から、首元を温かい熱が這ってきた。
「……ふ、っ」
なにこれ。擽ってぇ。
思わず笑うような、息をつくような、そんな音が口から漏れ出た。
耳のそばからは『ちゅっ、ちゅっ』と鳥が囀るような音がさっきから聞こえてくるけど……。
んん? なんの音だ、これ?
囀る音の合間に、時折柔らかく喰まれるような熱も感じるし。
でも別に嫌じゃねぇ。ただ不思議な感覚。
沈んだ意識の淵からその熱に身を任せていたら、今度はギシリとベッドが軋むような音が聞こえてきた。
今度は何だ?と思ったら、俺の身体を誰かが持ち上げているような浮遊感を味わう。
反動で力の入らない頭がカクンと後ろに仰け反り、隠れていた喉仏が露わになる。
首が支えられずに苦しい体勢を強いられても、 半覚醒みたいなこの状況では指一本さえ、自分の意思で動かすことが出来ずにいた。
そんな俺の喉に、また柔らかくて温かい熱が吸い付いてくる。
ほんと何なんだろこれ?
ははっ、ふふふふっ。擽ったいんだって。
身を捩りたくても捩られない俺には気づいていないのか、熱はそのまま首を滑るようにして、だんだんと上に上がっていく。
頬まで辿り着くと、また柔らかい熱が押し付けられた。
「───**……」
吐息混じりの声はひどく熱がこもったように頬を撫でていく。
そのまま優しく首を支えられると……項を吸われる感触。
「……ん…っ」
口から鼻にかかったような音が無意識に漏れた。
今度はそこを軽く噛まれるような感触。
そこからジン…ッと痺れるような甘さが首筋に拡がっていく。
(……あれ? なんかこれ……気持ちがいいかも)
噛まれた部分から、ずっとへばりつくように感じていた熱が、じんわりと外に流れ出していくみてぇ……。
その吸い出されるような気持ち良さに、うっとりする。
あんなに熱かった身体から、すーっと熱が引いていくみたいだ。
鉛のように重く感じた身体も、すげー軽くなっていく。
吸い出される感覚が気持ちよくて『もっと』と、ねだるように顔のそばにあった熱に、鼻を擦りつけた。
身体を締め付ける拘束が強まったかと思うと、先程よりも強く噛まれる気持ち良さに、思わずブルリと身体を震わせる。
周囲を漂う香りに、酷く甘い匂いが混じっていく───…
◆◆◆
目を開くと視界がオレンジ色に染まっていた。
なんかすげーいっぱい寝た気がする。
乱れた前髪を避けるように額を触ってみるけど…うん、熱も引いたっぽい。
良かった──とは思うけど。
部屋の中がやけに静かじゃねぇ? もしかして俺一人とか?
カーテンの外の気配に耳を澄ませてみるけど、やはりしーんとした室内からは、加湿器の音だけしか聞こえてこない。
(……幸子先生はどこ行ったんだ?)
放課後に起こしてくれるって言ってたと思うんだけどな。
窓の外にはしっかり夕日が見えている。
かなり長い時間、ここで寝かせてもらっていたんじゃないだろうか。
「んー、いま何時だ?」
腕時計を確認してみると、16時45分だった。
うわ、もう夕方じゃんか。
とりあえず起き上がろうと布団から身体を起こしてみるけど。
うん?
あれ? 身体めっちゃ楽じゃねぇ…?
寝てる間に、しっかり薬が効いたのかな?
おかげで頭痛も熱もすっかり良くなっている。
これなら家に帰るのも全然余裕かも。
ベッドから身体を起こすと、緩めていたシャツのボタンをはめ直した。
ブレザーと一緒に置かれていたネクタイを手に取ると、慣れた手つきでネクタイを結んで身支度を整えていく。
うん、さっきと違ってちゃんと動けるな。
体調マジで回復したんじゃねぇの?
自分の回復力に安心しながらブレザーを羽織ろうとして、ベッド下に置いた靴の傍に、見覚えのある鞄が置いてある事に気がついた。
(……あれ? あれって俺の鞄だよな)
誰かが俺の代わりに、教室から鞄を持ってきてくれたのか?
わざわざこんなことをしてくれるなんて橘か……渡辺?
ベッドから下りて鞄を確認しようとしたその時、保健室のドアが開く音が聞こえてきた。
そのままパタパタとこちらに近づいてくる足音。
見ている前で仕切っていたカーテンがシャアッと勢いよく開けられると、慌てたような幸子先生の顔が飛び込んできた。
「あっ、起きてた。ごめんなさいね、起きた時に誰もいなくて不安だったでしょう? 突然職員会議が入ったものだから、起こすタイミングがすっかり遅くなってしまったわ」
「いや…俺はゆっくり寝かせてもらえたから助かったけど。あ、体調もすっかり治ったみたいです」
「そう? 確かに顔色は普通に戻っているわね。良かった。でも起こすって言ったのに、本当にごめんなさいね」
俺の顔を見ながら申し訳なさそうに幸子先生が謝ってくる。
別に気にしなくてもいいのに。
あ、そうだ。
「先生それよりさ、この鞄って誰が持ってきたのか分かる? 起きたら床に置いてあったんだけど」
俺が鞄を指差しても先生は首を傾げるだけだ。
「私が居た時にはなかったわねぇ。でも担任の先生にはここで休んでいることを伝えてあるから、親切なクラスメイトの誰かが、ここに運んでくれたのかもしれないわね」
「そっか…。じゃあ明日にでも誰が持ってきてくれたのか、聞いてみることにするよ」
ブレザーを羽織って帰る身支度をしながら幸子先生にお礼を言う。
「じゃあ俺帰るね。先生、お世話になりました」
「はい。気をつけて帰るのよ。お大事にね」
保健室の前で頭を下げてから廊下に出る。
部活動以外の生徒はもう校内には残っていないのか、歩く廊下は静かだ。
俺の足音だけが響いている。
普段この時間まで学校に残っていないせいか、昼間の学校と比べてなんだか不思議な光景に見えた。
オレンジ色に染まる静かな廊下を、1人歩きながら溜息をつく。
なんか色々疲れた一日だったな。
食堂では悠に振り回されるわ、羽鳥先輩はえげつない性格の美人だったりで散々だったし。
やっぱ美形と美女は、遠くから眺めるくらいで丁度いいのかも。
羽鳥先輩を釣るためのフェロモンに、何故か俺まで巻き込まれちゃったし。
そう、あのフェロモン──…
トイレでの出来事は、出来れば思い出したくもない記憶だ。
今考えると、俺……めちゃめちゃトイレ内で喘いでいたんじゃねぇ?
外に聞こえていたらどうしよ。
…………うん。
やっぱあれはなかった事として、このまま闇に葬り去ろう。
そう、あんな事実は無かったんだって。
無し無し。あんな記憶は俺の中には存在しない。しない。
心の中でそう決めると、振り切るように足早に昇降口に向かった。
───その夜。
クララが暴走しすぎたせいで精子が空になっていた俺は、ヒリヒリする亀頭の痛みに悶えながら、布団の中で一人涙をこぼしていた。
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オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
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