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8.イケメンが俺を悩ませてきます
しおりを挟む──放課後の俺に対しての奇行
突然の名前呼びの許可
昨日は時間が迫っていたのもあって、詳しく聞けないまま資料室を後にしたけど、一日経った今でも意味が分からなすぎて頭を悩ませてくる。
別に下の名前で呼ぶななんて言われた憶えもないけど、そもそもが『純血α』である和南城を、名前呼びするなんてことが俺の頭にはなかったんだよな。
親しくさせてもらっているとは言え、なんとなく烏滸がましいと感じていた部分もあったし。
そもそも金持ちの世界がよく分かんねぇ。
けど、和南城の家は確か『財閥』とかいうやつじゃなかったっけ?
普通なら一緒に学べるどころか、同じ空間に存在することさえ難しかったと思うし。
そんな相手に名前呼びの許可をもらえたのは正直嬉しい。
あの和南城が、俺を友人としてしっかり受け入れてくれたんだとすれば、すげー光栄なことだとも思えるし。
──ただ、その許可がもっと前なら素直に受け入れられたのに、あんな事をされた後に急にというのが俺の中で引っかかってしまうだけで……。
「あぁああああ~~~」
通学途中の道端だというのに、今すぐこの場に蹲って頭を抱えて転げ回りてぇ!
この身悶えるような心のモヤモヤをどうにか発散したい!
悶える俺の心とは裏腹に、今日も晴れやかな青空が目に眩しすぎて泣けてくる。
◆◆◆
あの後慌ててバイトに駆けつけたおかげで、ギリギリ遅刻はしなかった。
これに関しては素直に和南城に感謝だ。
客足が常にあったお陰で、余計なことを考えなくて済んだし。
忙しく働いているうちに、和南城に抱きしめられた記憶もだいぶ薄れてきた気がする。
(まじでバイトに救われたよなぁ…。そのせいで頭も少し落ち着いてきたし……)
そうは言っても少しでも昨日の事を思い出すと、「わぁああああっ!」と意味もなく叫んで、ジッとしていられない気分にはなるんだけどさ……。
あの資料室での和南城との行為は、一度も交際経験の無い俺にとっては、とてつもなくセクシャルかつ、倒錯的な行為に感じられたんだよ。
だけどバイトが終わって家に帰った後、よくよく布団の中で放課後の記憶を思い返してみれば、和南城にされた行為は『軽くうなじを甘噛みされただけ』なんだよな。
たったそれだけの行為に、俺は呼吸を乱すほど勝手に盛り上がってしまったのだ。
──あの和南城相手に……。
「ぐっ、あぁああああああ!!!」
思い出すだけで死にたい死にたい死にたいっ!
信じられるか?あの和南城相手にだぜ!
大事な事なので二度言っちゃうよ俺。
しかもアイツ、普段は短いセンテンスしか喋らねぇくせに、ああいう時は腰に響くようなエロい声を出すって、どういうことだよ! あやうく勃起しかけたわ!!
くっそー…一体どんな顔してあんな声出してたんだよ……。
今思い返してもまじで信じらんねぇよ。
クララが反応しそうになったのも信じられねーけど、和南城のあのえっちな雰囲気もわけ分かんねっ!
考えれば考えるほど、和南城って男が分らなくなってきた。
通学路が近くなってきたせいか、人通りの増えた歩道の真ん中で、赤くなる頬を止める事が出来ないまま頭の中で悶絶する。
(あぁ、くそっ、死にたい……)
変態なのは和南城なんかじゃない。
『俺だ!』
童貞の俺はあれくらいの行為でも『えっちな行為』と認識してしまったみたいで、始めは抵抗していたにもかかわらず、結局途中からは同性だとかを全て吹っ飛ばした状態で気持ち良くなってしまったんだよ。
きっと一人ハァハァ盛り上がる俺に、和南城は引いたことだろう。
童貞は堪え性がない、とはよく言われるが本当に事実だったなんてな。
ははっ、自分が恥ずかしいぜ。中学時代ちょっとモテたからって、調子に乗っていた昨日までの自分を穴に埋めてやりてぇ。
ただの節操なしのクソ童貞なだけじゃねぇか……!!
自分の痴態を思い返しているうちに、学校に向かう足取りがどんどん重くなってきている。
だからって学校をサボろうとは思ってねぇけど。
1日でも学校をサボると、よけいに会いにくくなってしまうのが分かっているし。
メチャクチャ気が重くても、今日だけは何とか乗り切らねぇと、絶対気まずいまま終わってしまう。
──それにしても……。
(何で和南城はあんなに俺の匂いに固執してたんだろ…?)
Ωの匂いとも違うって言いながら、しつこく匂いを嗅いでいたよな。
俺はβだから、特に匂いなんてしないはずなのに。
なのに何故か俺の汗の匂いを嗅いでから、和南城のご乱心が始まった……と思う。
「汗をかいてるから離せ!」と必死で言っているのに、鼻の擦りつけを止めてくれなかったくらいだし。
(…男の汗の臭いなんて、ただただバッチィだけだと思うんだけどな。もしや和南城は汗の臭いに興奮する質なんだろうか?)
人の性癖だからとやかく言うつもりはないが、そうだったとしたら立派な変態だと思う。
汗の匂いなんて臭いだけだと思うし。
これが最悪、女子の汗の匂いというならギリいけるかもだけど、野郎の汗の臭いは俺的には完全にアウトだ。
ムリ。
ダメ。
嗅ぎたくない。
考えるのも嫌だ。
ブルブル首を振って嫌な思考を止める。
『汗臭い匂いが落ち着く』という、唯一の欠点を持って生まれてきたとしたら、まさに和南城は悲しい宿命を背負って生まれてきたんだろう。
……なんという業の深さ。
あんなにイケメンなのに、なんて残念な存在なんだろうな。
心から同情するよ。
いや、それともアイツにも普通の人間らしい欠点があったという事で、逆に親近感を覚えるべき所なんだろうか?
昨日の行為を思い返しながら、俺はそっと和南城が触れてきた首元に手を伸ばした。
あの綺麗な顔面がここに押し付けられたのかと思うと、じわりと頬が熱くなってくる。
和南城には同性の友人以上の感情は感じていないけれど、それとこれとは別だ。
恥ずかしいものは恥ずかしいし!
(和南城が夢中になるくらいだし、もしや俺の汗の臭いってそんなに良い匂いなんだろうか?)
それとも臭ければ臭いほど、芳しく感じる性癖の持ち主だったりするとか?
うわ…、それなら本格的に残念すぎる。
βがΩのように出せる匂いなんて、ワキガくらいのものなんじゃねぇの。
(う……。ワキガかぁ……)
そういえばワキガも、人間が出せるフェロモンの一種みたいな事を聞いたことがあったな。
あの通説は本当なんだろうか?
そこで俺の上がっていた体温が一気に急降下した。
最悪な想像が脳裏を掠める。
(え…? 待って。もしかして俺……ワキガとかじゃない、よな)
その思いつきが衝撃的すぎて、脇から汗がタラリと流れる。怖い考えに1人動揺して、ゴクリと唾を飲み込んでしまった。
もしもワキガだったら俺的に大問題である。
それを好んで嗅がれるのも嫌だし!
ワキガ臭を好ましいと感じる相手は少ないだろうが、大部分にとっては立派なスメハラ案件だ。
(嘘だろ。今まで俺、臭いなんて言われた事ないけど。でももしかしたら、みんな言えずに遠慮していたのかも?)
慌てて自分の匂いをスンスン嗅いでみるけど、自分だとよく分かんねぇ。
軽度のワキガは自分でも匂いを感じとれるみたいだけど、重度だと鼻が慣れすぎて感知出来ないと聞いた気がするし。
(え? やっぱ俺ガチもん……?)
パニクる俺に突然、後ろから衝撃が襲いかかった。
「三由じゃん、はよーっ!」
橘の明るい声と共に、ドンと体当たりされたせいで身体がよろめく。寸での所でスルリと首に巻きついてきた腕のおかげで倒れずにすんだけどな。
いや、だからって感謝はしねぇよ。お前のせいで倒れかけたんだし。
橘の登場でまわりを見回してみれば、いつの間にか正門まで辿り着いていたみたいだ。
「今日も快晴で気持ちいいよな!」
青空に負けないくらいの爽やかな笑顔を橘に向けられるけど、こっちはそれどころじゃねーんだって!
「お…おう……」
自分の匂いに神経質になっている今の俺にとっては、橘との近すぎるこの距離感はあまり好ましくない。
引きつった顔で橘から少しでも距離を取ろうと、肩に乗っている腕をさり気なく外そうと試みる。
「あれ? 三由なんか顔…変じゃね? 具合でも悪いの?」
小首を傾げて俺を覗き込んでくる橘。
おい、顔が変ってなんだよ。つか、近ぇよ!
和南城クラスとは比べ物にならねーけど、俺だってバイト先のおばちゃん達から「イケメン」認定されてるんだぞ。
橘のソバカス顔を見ながらムッとしてしまったが…いや、橘なら丁度いいか。
気心の知れた相手だし。コイツなら率直な意見を言ってくれるかもしれねぇ。
俺は意を決すると、真っ直ぐ橘を見つめ返した。
見つめられた橘は、喉をゴキュっと鳴らして俺を見てくる。
「やだなにそのキリっとしたイケメン顔。俺告白でもされちゃう? だったらせめて場所くらい選ぼうよ三由」
ポッと頬を染めて、笑えない冗談を言ってくる橘は無視だ。
お前のそのノリ、まじで面倒いんだって。
「なぁ橘、はっきり言えよ? …俺って臭い?」
誤魔化されたくなかったから、はっきりストレートに聞いた。
俺に聞かれた橘は目を丸くしているけど、ここはしっかり答えてもらわねーと。
「は?」
「俺、ワキガだったりする?」
「えぇ?」
「どうなんだよ? 本当のことを正直に言ってくれよ」
心臓をバクバクさせながら、覚悟を決めてそう聞いた俺に対して、橘は困惑した顔で慌てて首を横に振ってきた。
「三由を臭いと思った事なんてねーよ! いつも洗濯物の良い香りさせてるし。うん、俺は三由の匂い大好きだぞ!」
そう言って改めて俺の制服の辺りを軽く嗅ぎながら、「うん、やっぱ今日もいい匂いするし」と笑いかけてくる。
橘の『大好き』は別にいらねーけど、その言葉にやっと肩の力を抜くことが出来た。どうやら臭くはないらしい。
色々心配してしたけど、マジで良かった!
「で、どうしたんだよ? 誰かに臭いって言われたのか?」
心配気に尋ねてくる橘に首を振る。
「別に。ちょっとそうなんじゃねーかと思っただけ。違うならいいんだ」
心底安堵した俺は、橘に気持ち体重をかけてみた。くっついても大丈夫ってなんて安心感!
そんな俺に嬉しそうに笑ってくる橘と共に、校舎の中に足を踏み入れた。
ふぅ。結局なんで和南城が俺の匂いに固執していたのかは、さっぱり分からず仕舞いに終わってしまったけど、だからと言って顔を合わせづらいなんて言ってられないもんな。
今日は羽鳥先輩と会わせてやるって、俺が和南城に言い出したんだし。
ちゃんと食堂に和南城を連れて行ってやらなきゃいけねぇ。
昨日の俺の痴態を思い返すと色々死にたくなるから、なるべく考えないようにする。
うん、気合があればいけるいける!
それに和南城は俺の大事な友人だし。
俺がいつまでも気まずそうにしていたら、せっかく名前呼びを許してくれたあいつにも申し訳なくなる。
俺は和南城との出来事を忘れる為にも、腹筋にしっかり力を入れてから教室に向かった。
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