少年ドラッグ

トトヒ

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隠したかった感情

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俺は隙を見て病院から抜け出した。
パジャマのまま外へ飛び出すと、肌寒かった。
けれど、怒りの炎が俺を温めてくれる。
立ち去る前に振り返ると、病院の入り口に大きく生野大学病院と書かれていた。
最悪だ。
病室には俺の靴と鞄がそのまま保管されていた。
馬鹿な大人どもめ。
定期も財布もあった。
おかげで俺はそのままバスと電車に乗って、高校へ向かうことができた。
乗客は俺の格好が珍しいようで、じろじろと見つめていたけど誰も何も言ってこない。
ちょっとおかしな奴とでも思われているのだろう。
正解だ。
俺はおかしいからな。

久しぶりに高校へ辿り着いた。
走って校門を駆け抜ける。
後ろから聞き慣れた複数人の声が俺の名前を呼ぶ。
またサッカー部が練習しているらしい。
ご苦労様だな。
俺はサッカーの練習をしに来たわけではない。
目的地は美術室だ。
土足のまま廊下を駆け抜けて、美術室の扉を勢いよく開いた。
時刻は放課後。
日の入りが早い季節。
窓から差し込む夕日が天野空を照らしている。
初めて会った時と似たような光景だな。

「おや、もう退院したのかい。言ってくれれば、退院祝いを用意しておいたのに」

夕焼けで天野の髪の毛が金色に輝く。
顔は逆光で見えない。
どうせ、整った笑顔なんだろう。

「あんただろ。俺の自殺場所を警察にチクったのは!」

「うん」

天野は軽く頷いた。
顔は真っ黒だ。

「どうしてだ! 何で最後に裏切ったんだよ。お前は、俺の死体を絵に描くって言ってたじゃないか」

「気が変わっちゃったんだもん。その件は謝るから機嫌直しておくれよ」

「馬鹿にしてんのか! 気が変わったって何だよ。やっぱり教師らくし、生徒が死ぬのを止めようとでも思ったのか。俺は叔父さんの為に生きるんじゃなくて、自分の為に死のうとしたのに。あんたが言ったとおり、誰かの為に生きることをやめたのに。どうしてだよ」

「そんな理由なわけないじゃないか。自分の為だよ。君の絵をシリーズにするって言ったけど、もう少し長編シリーズにしようって思いついちゃったんだよね。少年の君、青年の君、中年の君、老人の君ってね。でもこのペースだと、老衰する君は描けないからそこは考え中。それに僕、グロいの苦手だったんだよね」

天野が乙女のような声で笑った。
俺は呆気にとられて、何も言えないまま棒立ちしている。

「その表情いいね。描きたいから、そのまま動かないでね」

俺の脳内で何かがはじける音がした。
俺は作業机の上を乱暴に腕でなぎ払った。
美術道具が散らばる。
小さな箱が開いて、中から彫刻刀が飛び出して俺の足元に落ちた。
俺はそれを夢中で拾った。
あの日、俺の刃は母親に届かなかった。
今度こそ、俺の手で始末してやる。
俺は天野のもとへ走り、彫刻刀を突き刺した。
とても硬い感触があり、俺の手から彫刻刀が弾き飛ばされる。
俺はそのまま尻もちをついた。
見上げればそこには、天野とは似ても似つかない巨大な岩のような男が立っていた。
土屋だ。
硬い筋肉には、先の丸まった彫刻刀は歯が立たなかったようだ。
また俺の刃はどこにも届かなかった。

「八重藤、落ち着け。天野先生、何があったか説明してもらえますか」

パジャマのまま学校へ駆け込んだ俺を、土屋が追って来たのか。

「僕は八重藤君を自宅に連れ込み、裸にしてベッドの上で寝てもらいました」

「はい? どういうことですか」

おい、何を言い出すんだ。
やめろよ。
土屋も困惑してるじゃないか。

「部活の時間を取ってしまったようで、すみません。おかげさまで、いい絵が描けました」

「何を言っているのか分かっていますか。それが本当なら、問題ですよ」

「何故でしょうか。芸術活動の一環ですよ。挿入どころか、愛撫すらしていません。あ、口にマカロンを突っ込みましたが、これは問題行為なのでしょうか?」

何を言っているんだマジで。
誰かこいつの口を塞げ。

「教師として、大人としてあなたの行為は問題です。報告させてもらいます」

土屋の声は、今まで聞いたことが無いくらい低い。
天野をしばらく睨みつけてから、土屋は俺の腕を取って立たせた。

「教師って詰まらない職業ですよね。きれいごとばかり教えるんですから。僕はもう辞めますから、どうぞご自由に」

「あんたを教師だなんて、思ったこと無いぞ」

土屋が俺の腕を掴んで美術室から出そうとしたが、俺は腕を振りほどいた。こいつには、まだ言いたいことがある。

「心外だな。僕はずっと教師のつもりだったよ。学校では教えてくれない真実を君に教えてあげたじゃないか。それに、君の叔父さんにとってはどうだろう。君の自殺を察知し、それを阻止した僕。退部しても君の気持ちに気づかなかった土屋先生。どっちに感謝すると思う? 君の愛する叔父さんが真実を知れば、きっと僕に土下座するだろうね」

「うるさい。だいたい、お前は俺が母親を殺していないことを知っていたんだな。日神新とつながっていたんだろ。そうでなければ、殺人犯を自宅に招いたりなんかしないもんな」

天野が笑った。
その声は高くなったり、低くなったりした。

「君が自分で言ったんじゃないか。母親を殺したって。それが物理的にでも精神的にでも、関係無い。君は母親を殺したんだよ。それが事実とは異なる、真実だ。それに、僕はパパから怖い人に近づいてはいけないと言われているから、指名手配犯とは直接つながっているわけじゃないよ。パパは昔のよしみで、何かと援助してあげているかもだけど」

天野がアイドルのようなウィンクをする。
やっぱりこいつは、他の大人と違う。
理想的で好都合な事実をはねのけ、俺にとっての真実をつきつけてくる。

「僕の観察では、君は母親を殺したことを後悔なんてしていない。その感情を支配しているのは恐怖だった。叔父さんにばれるかもしれないという恐怖。でもね、その恐怖という名の分厚い殻に閉じこもった、別の感情があると思っていたんだ。こじ開けようとずっと試みていたんだけど、今やっと分かったよ」

日は沈み、天野の顔があらわになる。
天野の目の瞳孔が開く。
唇が吊り上がる。
それはもう、整った顔ではなかった。

「君は、母親を殺せなくて悔しかったんだね。本当は自分の手で殺してあげたかったんでしょ。それが、君に許された最後の愛情表現だったんだ。殺人鬼に先を越された自分を恥じているんだね。それこそ、君が本当に隠したかった感情だ。やっと会えたね、君の魂と」

俺はその場で嘔吐した。
床にうずくまって嗚咽する。
体が勝手に反応して訳が分からない。

「その構図もいいね。やっぱり君をモデルに選んで良かったよ。コネを使ってまで、ここに来た甲斐があった」

俺の脇を恐ろしいまでの殺気が通った。
土屋が天野に殴りかかろうとする様子が、スローモーションで見える。
美術室の扉の向こうに、如月と飯田や他の仲間が見えた。

「監督、ダメだ!」

俺は咄嗟に土屋の腕を掴んで全体重をかけた。
そうでもしなければ、この大男を止められないから。

「八重藤はなせ! こいつは殴らないと直らない」

残念ながら天野は殴っても直らないだろう。
それに、問題はそこじゃない。

「サッカー部はどうなるんですか。如月の夢が、飯田の努力が台無しになる!」

教師が教師を殴ることは、この学校という世界ではあってはならないことだ。
今までの経験上、先に手を出したら負けになる。
顧問の不祥事はサッカー部に影響するだろう。
優勝どころか全国大会に出場すらできなくなる。
今さら、学校の部活動を気にするなんて俺はどうかしているのか。
さっきまで、俺は天野を刺し殺そうとしていたのに。

「君はやっぱり、社会のルールに縛られるタイプなんだね。そんな君が、母親を殺せるはずがなかったんだよ。残念ながら、君の望みは叶わない。君は罰を受けることができない、地獄に行けない。だって、君は何の罪も犯せていないのだから」

天野は笑顔で両手を広げた。
本当に、とんでもない変態美術教師に出会ってしまった。
呆れて笑えてきた。
だんだん足に力が入らなくなってくる。
体の節々が痛い。
自分が病みあがりだということを忘れていた。
馬鹿は体調管理もままならない。
俺は膝から崩れ落ちて、美術室の冷たい床へ倒れた。
最後の記憶は、油絵の具の不快な臭いだった。
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