少年ドラッグ

トトヒ

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母の手がかり

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朝練だけでなく、放課後練まで如月にしごかれる羽目になった。
正直辛い。
帰宅時間も夜遅くなってしまう。
まさか如月、監督の座を狙っているわけじゃないだろうな。
確かに顧問であり監督でもある土屋英嗣つちやひでつぐは、そこまでサッカーに精通してなさそうだ。
むしろ筋トレをこよなく愛する大男で、常に筋肉美について語っている。
若干うざいが、俺としてはそのくらいのスタンスでいてくれた方が楽な部活で良かったんだけどな。
でも、飯田はハードな練習にも弱音を吐かずに頑張っていた。
俺と代わってやれるなら代わってやりたい、とは実は思っていない。
奏ちゃんが言うように、サッカーの楽しさや部活での達成感を少し覚えてしまったんだと思う。
高校生になって、知らない自分の一面と出会ってしまった。

「薬人、晩飯できたぞ」

帰宅して風呂から上がった俺に、叔父さんが夕飯を用意してくれた。
部活で遅くなる俺を、いつも飯を用意して待っていてくれる。
今日の夕飯も、売れ残った野菜中心のおかず。
健康的だがヘルシーすぎて、育ち盛りの俺としてはもう少し肉多めにしてもらいたい。
スタミナが欲しい。
クラスの女子みたいにダイエットなんてしてないからな。
一部の裕福な生徒は、ドラッグを使って手軽にダイエットしているみたいだが。
そんなものに金を出すくらいなら、運動した方が良いと思う。

「今年もレギュラーで大会出場できそうか?」

叔父さんがビール缶を開けながら聞いてくる。
俺が運動部でまともに活動していること、そして全国大会で活躍したことをとても喜んでくれている。

「どうかな。サッカー得意な一年が入ってきちゃったし、同級生はレギュラーからはずされ始めてるし。俺も時間の問題かも」

「そんな後ろ向きでどうするんだ。お前ならできるさ。この俺が保証する」

叔父さんは俺の背中をバシッと叩いた。
俺の叔父、八重藤実人やえふじさだひとは今は亡き俺の祖父母から引き継いだ八百屋を一人で経営している。
そして、両親の代わりに俺を小学五年生から育ててくれている苦労人。
今年で四十五歳になる。
当時の記憶が全く無いが、俺の母親はデザイナーになりたいとう夢を諦めきれずに弟である叔父に俺を託し、海外に飛び立ったそうだ。
俺の父親はどうしたかというと、そもそも結婚していなかった。
不倫相手との間にできてしまった子供が俺。
父親がどこの誰かは分かっているけれど、非嫡出子というやつだ。
俺は認知されていない。
父親はなんと都内にある大学病院の院長という、俺のような凡人から見れば大物だ。
そいつの息子、つまり俺の腹違いの兄がここへ訪ねて来たことで発覚した衝撃的な事実。
それを知った二年前はうろたえる事しかできなかったが、そんな父親が今後俺を自分の息子だと認めるわけないだろうと今なら分かる。
医者だったらちゃんと避妊しろよ馬鹿が、と心の中で悪態をつくしか無力な俺にはできない。
こんな境遇のせいで、中学生の頃まで俺は荒れていた。
俺の家族構成を親伝いに聞いた同級生達が、面白半分にからかったりもした。
そいつらと喧嘩をして、教師からは目をつけられて、叔父さんを困らせた。
完璧な問題児だった。
けれど叔父さんは、俺が問題を起こして学校から呼び出されてもひたすら頭を下げ続けた。
俺を叱らなかった。
馬鹿な俺は叔父さんに対しても不満を抱いていたけれど、そんな毎日が続き俺も少しだけ成長した。
今は俺のようなお荷物を一人で抱えて不平不満を一切言わず、いつも明るい叔父さんを心の底から尊敬している。
俺は高校を卒業したら、進学はせずにこの八百屋を手伝おうと決めている。
だから、勉強はあまりやっていない。
俺の成績は進級できるギリギリだ。

「次は優勝だな」

叔父さんは酔いが回って顔が赤くなっている。
つまみにピーマンと人参の炒め物を箸でつまんで、上手そうに食べた。
叔父さんがよく作るそのおかずは、俺も好きだ。

「優勝は無理だよ。強豪校はどこもドラッグを使ってるから。今回は奇跡だと思う」

「まったく、最近はどいつもこいつもドラッグだ。スポーツっていうのは本来、熱い友情と努力で成り立つものなんだぞ」

叔父さんは溜息をついた。

「ネオドラのせいで、オリンピックも他の世界大会も詰まらなくなっちまったな。俺がガキの頃は、ドーピングなんてしたらとんでもない問題になったのに。今や死語だもんな」

ネオ・ドラッグ条約、通称ネオドラとは人間やその他の動植物に対して積極的に薬物を使い、個体の性能を上げることを推進する国際条約だ。
叔父さんが子供の頃、ドラッグは人体に害を与え中毒性が高い危険な物という認識だったそうだ。
それが三十年くらい前に、各国で選別されたドラッグは次々と認可されていった。
人間には個体差がある為、ドラッグを使って能力を向上し円滑に生活を送ることを目的としている。
ドラッグの中には副作用が強く、中毒性が高いものもあるそうだが、国が一括管理することで俺達一般人のもとにはおりてこない。
かつて存在したという脱法ドラッグや医療用麻薬の問題を一掃した、画期的な法案らしい。
オリンピックといった世界大会でもドラッグの使用が認められている。
選手個人の能力も重要だが、それよりも国単位でより強力なドラッグを開発する競争の舞台として使われている。
俺が生まれた時には、既にドラッグを使用することは珍しいことではなかったから、能力を上げる為に技術を使うことに何の違和感も無い。
けれど叔父さんやその前の世代だと、まだ抵抗がある人もいるみたいだ。
叔父さんはスポーツ観戦が趣味だけど、昔みたいにドラッグ無しで実力だけの勝負を観戦したいと常日頃から嘆いている。
そんなに良いものなのだろうか。
環境や技術や文化、そして身体の作りが違う国の人間同士で勝負してもハンデがあるから、むしろ不公平だと俺は思う。
叔父さんの八百屋も昔は無農薬野菜を扱っていたみたいだけど、現代では流行らないから仕方なくドラッグ野菜を売り始めたらしい。
オーガニックというものがブームだった時代があるらしいが、俺には信じられない。
そんなものを買うのは、今や老人ばかりだ。

「何が、安心安全健やかなるドラッグライフだ。ふざけたスローガン掲げて。俺の楽しみを奪いやがった」

叔父さんが項垂れている。嘘でもいいから、優勝してみせるとでも言えば良かったかな。

「まあまあ叔父さん。うちの部活は貧乏でドラッグなんか支給されないけど、それでもベストエイトに入れたわけだし、ドラッグだけが全てじゃないってことだよ」

「よく言った薬人!」

叔父は目を輝かせ、俺の肩を力強く掴んだ。
上手くいったみたいだ。

「ドーピングって言葉があった頃もな、薬を使った選手が全員一位になったわけじゃないんだ。人間にはドラッグなんて必要無い、底力があるんだ。お前も頑張って練習すれば、必ず優勝できるさ」

部活でも家でも熱気がすごい。熱血している人間をクールダウンさせるドラッグを与えてやりたい。

「お前さ、昔のことってやっぱり何も思い出さないのか?」

俺が食器の後片付けをしていると、酔っぱらって卓袱台に身を預けている叔父さんが呟いた。
昔のこと、俺が叔父さんに連れられてこの家にやって来る前の記憶のことだ。

「うん。どうして?」

「今日な、お前の母さんの知り合いだっていう人が訪ねて来たんだよ」

俺は食器を流し台に置いた。
何食わない顔で頷く。
興味のないふりをした。

「姉さんの住んでいる場所を聞かれたけど、俺が知りたいくらいだよって言ってやったよ」

叔父さんは自嘲気味に笑った。
普段叔父さんは、俺に母親の話をしない。
きっと俺を気使っているからだ。
昔は俺から叔父さんによく尋ねたのだが、ニューヨークにいるだとかパリにいるだとか、あやふやな返答を繰り返された。
時々母親から連絡が来て、俺が元気か聞いてくるとも言っていた。
けれど、さすがにこの年になると嫌でも勘付く。
俺は母親に捨てられたんだ。
どう考えたっておかしい。
連絡が来るなら、どうして俺と話そうとしてくれないのか。

「そっか。その人、残念そうだった?」

「そうだな。後、お前のことも知ってたぞ。息子さんも、母親と会っていないのかって聞かれた」

「それで?」

鼓動が早くなるのを感じる。
俺のことを知っている母親の知人ということは、俺が母親と暮らしていた頃を知っている人物だ。
俺には何故かその頃の記憶が無い。
母親の顔は、叔父さんから見せてもらった写真でしか知らない。
生まれてから小学四年生くらいまでの記憶が、ぽっかりと抜け落ちてしまっている。
自分がどんな風に暮らしていたのか興味があるのは当然だろ。

「正直に答えたよ。本人は何も覚えてないし、小学生の頃から会っていない。とても苦労している甥っ子なんですよって」

「別に苦労なんてしてないよ」

「お前とも話してみたいって言ってたけど、どうする?」

叔父さんは立ち上がり、戸棚から小さなカードを取り出した。
俺は引き寄せられるように叔父さんに近づき、それを受け取った。
小花の模様が散らされた名刺だった。

「新宿でスナックを経営してるんだってさ。ちょっと派手な女の人だったよ」

母親と俺を知っている女性。
少し怖い気持ちだけど、聞きたいことは山程ある。
叔父さんが黙っていることに気づいて、俺は名刺から視線をはずし顔を上げた。
叔父さんは何だか険しい表情をしている。

「やっぱり、気になるよな。その名刺はやるから、決心がついたら好きに使え」

俺は黙って頷いた。
止まっていた時間が動き出すような、不安と興奮が入り混じった気持ちになった。
その日の夜は眠れず、翌朝の朝練に遅刻してしまった。
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