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最終章
平和なハモネー「もうハモネーにダチュラは存在しないけれど」
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太陽がサンサンと降り注ぐ、とても良い天気の日。
舗装された街から少し離れ、新緑の芝生が敷き詰められた長閑な広場に彼らは集まっていた。
リアがピンクと白の水玉模様のレジャーシートを広げている。
その上にトリンが大量の弁当箱を置き始めた。
2人の女性がにこやかにピクニックの準備を始めている様子を、ルチルと彼が押す車椅子に座ったジェイドが眺めている。
「なあルチル。これ大丈夫なのか?」
「大丈夫です。許可は取りました」
彼らがピクニックを始めようとしている場所は、ブライトが埋葬されている墓地だった。
墓石近くに色鮮やかなレジャーシートと弁当を広げて、楽しそうにしているリアとトリンの様子は一見すると異常だった。
この広場は墓地の為、当然他にも墓がある。
こんな場所でピクニックをする者は存在せず、時折訪れる他の参拝者から白い目で見られた。
「さあ主任、準備ができました。お座りください」
リアが笑顔でルチルに言う。
ルチルが黙ってリアに従い、ピンク色のレジャーシートに腰掛けた。
「一体どういう状況なんだよ」
ジェイドが呆れて尋ねた。
ジェイドは食事に呼ばれただけであり、今の状況を分かっていない。
「主任との賭けに負けたので、主任のお願いを叶えているんです」
リアもレジャーシートに座った。
「ルチルの発案かよ! 意味が分かんねーよ」
「場所の発案は私ですよ。主任が皆で食事に行きたいって言うから、ブライトさんも一緒じゃなきゃダメかなって思って。この霊園でご飯はどうでしょうって提案したら、主任がここでの食事許可を取ってくれたわけです」
リアの言葉を聞いて、ジェイドは黙った。
少し表情が曇る。
「ジェイド先輩、今日はピクニックです。お天気もいいですし。食事を楽しみましょう」
トリンはそう言いながら、酒を入れたグラスをブライトの墓石の前に置いた。
そしてレジャーシートに戻り、弁当箱を広げ始める。
「ルチルさん。これ、私が作ったんです。食べてください」
トリンは弁当箱をルチルに差し出した。
中には多少歪ながらも、多くのおかずが入っていた。
ルチルはその中の一つを箸で取り、口に運ぶ。
租借し飲み込んだ後の自分を、じっと眺めていたトリンの様子に全く気付いていない。
そんなルチルの脇腹をリアが小突く。
リアは、ルチルの耳元で感想を言えと囁いた。
「あ、美味しいです。この卵焼き。ありがとうございます」
ルチルの言葉にトリンは赤くなる。
リアはガッツポーズをした。
「なあ、俺には?」
勝手に3人で盛り上がり始めている様子を黙って見ていたジェイドは、さすがに寂しくなってきた。
「ちゃんと用意してますよ。こちらをどうぞ~」
リアが開いたバスケットには、美しく並んだサンドイッチが敷き詰められていた。
それを口に運び、ジェイドが顔をほころばせる。
「うまい。これリアが作ったのか?」
「はい。昔から料理上手な母から教わっていたので、料理は得意なんですよ」
「リアさんのお母様は本当に料理が得意ですよね。私の料理も教わって作ったものなんです」
トリンがジェイドに自分の料理をすすめた。
「そっか、それなら安心して食えるな」
「いつも思ってますけど、ジェイド先輩の発言ってほとんど失礼ですよね」
ジェイドが笑いながらトリンの弁当箱から揚げ物を取り食べた。
「うん。もう少し練習が必要だな。ルチルは本当に優しいやつだな」
「やっぱり失礼ですね」
トリンががっくりと肩を落としている様子眺めながら、ジェイドは大笑いした。
「良ければこちらも食後にどうぞ」
ルチルがおもむろに自分の荷物から取り出したのは、真っ白なホールケーキだった。
たくさんのベリーでデコレーションされている。
「わあ! オシャレなケーキ。いただきます」
ルチルは食後だと言ったが、関係ないとばかりにリアが自分の分を切り分け一口食べてしまった。
リアは甘いものに目が無かった。
「おいしい! これどこのお店のですか?」
「僕が作りました」
「え、うそ」
まさかの発言にリアは危うくフォークを落としかける。
ルチルが作ったと聞いて、トリンもケーキを食べ始めた。
「お、おいしい。本当に、おいしいです」
トリンが感動して震える。
「おい! 俺にもくれ!」
ジェイドが大声を出す。
ジェイドは車椅子に座っている為、自分でケーキを取れない。
「主任って料理とかするんですか? しかもスイーツって。意外すぎる」
「あまりしません。ケーキは初めて作りました」
「初めてでこのクオリティですか!」
「おい! 俺にも!」
ジェイドの要望は無視されている。
「お二人が料理を作ってくださると言っていましたので、僕も挑戦してみました。ケーキは女性がお好きかと安易に考えてしまいましたが、お口に合って良かったです」
「これ売れるレベルですよ!」
「ルチルさん。やっぱり私と違って器用ですよね……。何でもできるんですね」
「俺にもケーキ!」
ジェイドの声は届いていない。
「しかし、料理は工程が多くて面倒ですね。分量だけでなく気温や湿度も計算する必要がありますし。正直、購入する方が楽です」
「いや、私そこまで考えてないですよ」
「主任は完璧主義ですもんね。パティシエじゃないんだから」
「おーい。俺のこと忘れてるだろ」
ようやくジェイドは存在に気づいてもらうことができ、ケーキをもらうことができた。
ケーキを口に運んだジェイドは、とても満足そうな表情で味わっていた。
「そういえばリアさん。賭けに勝った時に聞いてほしかったお願いとは何だったのでしょうか?」
一通り食事が終わった頃、ルチルが思い出したようにリアに尋ねた。
「え、聞きたいですか?」
「僕にできることなら、力になれるかと」
「あはは。賭けには負けたので、叶えてもらう義理は無いですよ。でも、腹ごなしにでも聞いてください。皆でルームシェアしましょうってお願いするつもりでした」
「ルームシェア? 何故ですか?」
ルチルが驚いた表情をして聞く。
「私、ずっと自分と母親の身の安全の為に生きてきました。その為には結婚だけじゃ解決しないし、支援団体はお金がかかるし。そこで、思いついたのが主任とトリンさんとジェイドさんとルームシェアすることです。本当は先輩とも一緒に暮らしたかったんですけどね。主任は頭脳明晰で危機管理能力に優れてますし、トリンさんとジェイドさんは潜力がめっちゃ高いし。皆でルームシェアすれば、もっと広くて管理局から近い家も借りられるし最高じゃないですか」
ルチルが呆気に取られている。
「でもリアさん。僕との賭けに、トリンさんとジェイドさんを巻き込むのは無理がありますよ」
「無理じゃないですよ。ジェイドさんは主任のお願いなら聞くでしょ。トリンさんは主任と結婚すれば必然的に同居するじゃないですか」
リアの発言を聞いて、トリンが悲鳴を上げる。
「リアさん! その話は――」
トリンが慌ててリアにしがみつく。
「トリンさんと僕が結婚するとは?」
ルチルは真顔で尋ねた。
「おい、ルチル。記憶吹っ飛んだか? まあ、無理も無いよな。管理局が吹っ飛んだんだから」
クリスドールが自爆し、管理局の建物は火の海に包まれた。
ルチルの指示で避難していた全従業員は巻き込まれずに済んだが、管理局は再建に時間がかかっている。
もちろん管理局は事後処理と国民への説明など対応に追われ、ルチルを筆頭に事務課は激務に追われていた。
当初、犯人が管理局に潜んでいたこと、ルチルの独断で討伐作戦を決行したことを告白しようとしていたルチルだったが、そうなればルチルへの非難と処罰は免れないだろうと考えた戦闘課全員に止められた。
戦闘課は全員口裏を合わせて、突如管理局にエネミーから襲撃があり、それに気づいた戦闘課が素早く集結したとでっち上げた。
管理局の炎上は、敵による自爆だが、幸い死傷者は二名だったと発表された。
あの純白の英雄クリスドールと、管理局の女性事務課社員だ。
2名の犠牲者は出たが、エネミーの元凶を倒し、エネミー討伐の終了が発表されると、ハモネーの国民は歓喜に沸いた。
急な襲撃にも拘わらず対応が早かった戦闘課、そして英雄の死を美談として連日メディアで取り上げられている。
エネミーとの闘いに勝利した日を記念日とすることも決まっている。
そんなお祭りムードを、真相を知っている戦闘課の他、ルチル、リアは複雑な気持ちで見ていることしかできなかった。
今日のピクニックは、連日の激務がやや終息しつつある休日に開かれた。
「よし、トリン。ルチルは記憶が飛んじまってるから、もう一回告れ」
「今ですか!」
「トリンさん。あの時は告白どころかプロポーズでしたよ。それに比べれば簡単ですよ」
リアの発言を聞き、ルチルは思い出した。
ダチュラから自分のことを守りながら、トリンが発言していた内容を。
「思い出しました。あれは何だったのでしょうか?」
ルチルのその発言に、トリン、ジェイド、リアは同時に溜息をついた。
普段は頭脳明晰で勘も鋭いルチルは、この手の話になると途端に鈍くなる。
トリンは意を決して、ルチルと向き合った。
「ルチルさん。ちゃんと言いますね。私、ルチルさんのことが好きです。私と付き合ってください! 結婚を前提として!」
トリンは頭を下げた。
リアは黄色い声を出す。
「よく言ったトリン! で? ルチルの答えは?」
ジェイドは車椅子から身を乗り出し、ルチルを見つめる。
「あの、トリンさん。吊り橋効果をご存知ですか?」
「はい?」
トリンは顔を上げる。
「簡単に説明すると、恐怖を一緒に体験した人に恋愛感情を抱きやすいという心理効果です。恐らくトリンさんは、エネミーと対峙している時の興奮を、近くにいた僕への恋愛感情だと誤認したのです」
「……」
「そういえば、まだお礼を言っていませんでしたね。あの時は、助けていただきありがとうございました」
頭を下げたルチルを、3人は黙って見つめた。
そしてリアがルチルの近くに移動し、ルチルの肩を乱暴にゆすり始めた。
「何詰まらないこと言ってるんですか! 乙女の勇気を訳の分からない心理学で片づけないでください! はっ倒しますよ!」
愛らしい顔のリアからは想像できないような剣幕を見て、さすがのルチルも顔を引きつらせる。
「いえ、しかし、そうとしか考えられないですし」
ルチルはリアに振り回されながらも、途切れ途切れに答えた。
「ルチルさん。私、かなり前からルチルさんの事好きなんですけど。やっぱり気づいてもらえてませんでしたよね?」
トリンが切なく笑いながらルチルに言った。
「かなり前とは? エネミーから僕を庇ってくれた時からではないのですか?」
「はい。ダチュラさ……あの人の昇進祝いで食事したことありましたよね。実はジェイド先輩が私とルチルさんを近づけようと開いたものだったんです。あの頃既にルチルさんが好きだって自覚して、ジェイド先輩に相談してたんですよ」
ルチルは目を丸くしてジェイドを見つめた。
ジェイドはニヤニヤして頷いた。
「もちろん、ブライトさんだって知ってましたからね。彼もトリンさんと主任が結ばれることを望んでいるはずです。さあ、彼を安心させてあげてくださいよ」
リアはブライトの墓石を指さした。
ルチルは絶句する。
「リアさん、そんな脅すようなことはしないでください」
トリンが慌てる。
「いえ、主任は脅すくらいじゃないと落とせないって先輩に言われました。それだけは合ってると思います。さあ、今こそ壁を壊す時ですよ!」
ルチルは項垂れた。
「悪いことを言いませんから、僕は止めておいた方がいいです。トリンさんのような素敵な女性は、僕にはもったいない」
素敵な女性と言われた喜びと、拒絶された悲しみにトリンは混乱する。
「なあ、ルチル。お前は自分に自信が無さすぎだ。トリンを女性として見れないなら仕方ない。けど、自分を卑下したり自信が無いことが理由なら俺だって怒るぞ。それに、トリンにも失礼だ。お前の事が好きだって言っているのに、そりゃ無いぜ」
ルチルが今までに直面したことがない新しい難問だった。
今まで使っていた頭脳だけでは解決できそうにない。
そしてマイナス思考のルチルは、今後のリスクばかり考えてしまう。
「結婚とは、親族をも巻き込むものです。僕は社会人になってから実家に帰ったことはありませんし、もう忘れられていると思います。次に両親に会う時は葬式だと決めていました。僕はこんな親不孝者でクズです! どうですか!」
ルチルは真剣だった。
けれど。
「どうですかって何のアピールだよ! ネガティブ大会でもやってんのか!」
「主任ってもしかして馬鹿なの?」
「ダメだ、真面目すぎて拗らせちまってる」
「生きにくい性格ですね。同情します」
ジェイドとリアからは散々な言われようだった。
ルチルは何が正解なのか分からなくなってきた。
頭がオーバーヒートしかける。
「ルチルさん。ご両親はご健在なんですよね。それなのに、もう会わないって決めて後悔しませんか? もう一度会いに行くべきですよ。それでもし、ご両親がルチルさんを傷つけるようなら私が許しませんし、もう会わなくても良いと思いますが」
トリンが必死に訴えた。
「今更会いに行く機会なんて」
「機会は彼女を紹介、もしくは婚約者を紹介でどうでしょうか?」
トリンの言葉にルチルが固まる。
ジェイドが口笛を吹いた。
「トリンさん。こんなに積極的になるなんて。育てた甲斐があります」
リアがハンカチを目元にあてた。
「実は、両親に会わないでいることが気がかりでした。今回のことで、死ぬかもしれないと思った時、両親の顔が過り後悔したんです。でも、今更顔を出す勇気が僕にはありませんでした」
俯いていたルチルが、真っすぐにトリンを見つめる。
「こんな動機で、トリンさんこそ後悔しませんか?」
トリンは力強く首を横に振った。
「こんな僕で宜しければ。一緒に、行ってもらえますか?」
ルチルが静かに言った。
トリンは頷いた。
「よっしゃ! 酒持ってこい!」
ジェイドが大声を上げた。
近くにいた参拝客が睨みつけてくる。
そんなものを無視して、嬉し泣きしているリアがお酒のボトルを取り出した。
「リアさん! ジェイドさんに飲ませないでください! 身体に悪いです」
ルチルが厳しく言い放つ。
「おいおい。さっきまでしょぼくれてたのに、そういう所だけ敏感に反応するなよ。こんな日は飲まずにいれないだろ!」
「ダメです」
「クソ真面目かよ。ちょっとだけだから!」
ダチュラとの闘いで、ジェイドは身体を無理に動かしてしまった。
本来なら、療養が必要だった期間に無理してリハビリし、そして過酷な戦闘をしてしまった。
管理局が炎上した後、ジェイドは再入院することになった。
医者からは、立てるようになっても戦闘課への復帰は難しいとまで言われている。
けれどジェイドは、医者よりもルチルを信じ、絶対に元に戻すと言ったルチルの言葉どおり治療を続けている。
だがしかし、本日はルチルの言う事を聞く気はないようだった。
「頼むよルチル先生。この祝いの日を、ブライトと乾杯させてくれよ」
ブライトという単語を聞き、ルチルの目から涙が溢れ始めた。
急に泣き始めたルチルを見て、ジェイドが慌てふためく。
「なんだよ! どうした!」
「ブライトさん。いい人でしたよね」
ルチルは涙声になり、眼鏡を取って袖で目を覆った。
「何で急に悲しみが襲ってきてんだよ」
「仕方ないですよ。主任はブライトさんの葬儀の時はいろいろ抱えていたから、ジェイドさんみたいに大泣きできませんでしたしね」
リアはジェイドをからかうように言った。
「俺のこと馬鹿にしてるか? お前俺に気があったんじゃねーの?」
「あれ、気づいてたんですか?」
「当たり前だ。俺はルチルと違ってモテモテの人生だったからな」
「でも、シカトし続けてきて酷い人ですね~」
「仕方ないだろ。恋愛どころじゃなかったんだよ。でも、もう遅いな。俺はこんなんだし」
ジェイドは自分の足を見つめる。
「お前はいい女だから、もっといい奴が見つかるよ」
「私がいい女だって、今更気づいたんですね。でも、恋愛とか関係無く私達の仲ですから、下の世話くらいしてあげますよ」
リアが悪戯っ子のように笑い、ジェイドが赤くなる。
「馬鹿野郎! そんなことさせられるか。ルチルにやってもらうからいい」
「それは業務外なのでお断りします」
ルチルが冷たく言い放った。
涙は止まっている。
「冷たいなお前」
「ジェイド先輩、食事中にやめてください」
「俺のせいじゃないだろ。リアが言い始めたんだぞ」
「あ、主任。後で正式に書類出しますけど、管理局の再建が落ち着いたら私退職しますね」
何気ないリアの言葉に、皆一瞬黙った。
「差支えなければ、理由を聞いても?」
ルチルが静かに尋ねる。
「私、やりたいことがあって、夢をもう一度追いかけようと思うんです」
リアは満面の笑顔で言った。
「そうですか。前向きな考えで安心しました。てっきり今回のことで、精神的に大きなダメージ負ってしまっていると思っていましたので」
ルチルは自分と同じように潜力が低い者の気持ちが分かっている。
リアが強者に対して恐怖心を抱いていることは感じ取っていた。
今回のような大規模な戦闘に巻き込まれ、その恐怖心がより強いものになってしまったのではないかとルチルは心配していた。
「何だかむしろショック療法と言うか、いろいろと吹っ切れちゃって。それに皆さんには悪いんですけど、私、ダチュラ先輩のこと完全に嫌いにはなれないんですよね」
リアが空を見上げた。
「は?」
ジェイドが目を見開いた。
「誤解しないでくださいね。もちろん許せませんよ。でも、あんな風に強くありたいと憧れちゃっている自分もいるんです。同じ女性として」
「リアさん。彼女を神格化するのは危険な思想だと思います」
ルチルの声は冷たい。
「そんなんじゃないです。例えハモネーが滅ぼされて私一人生き残っても、あの人のように復讐なんてできない。でも、あの人がただの私の先輩だった頃に、言ってくれたんです。思うままに生きてみたらって。あの言葉は嘘じゃなかったって信じてます。だから、遺言として私は受け取ったんです。ただそれだけのことです」
リアの首には、ダチュラがつけていたペンダントが光っていた。
ダチュラがゴーレムに化けた際、外れたものを拾っておいたのだった。
しばしの沈黙の後、トリンがリアを抱きしめた。
「あの人の事はともかく、私はリアさんの夢を応援しますからね。どんな夢ですか?」
「私、女優を目指していたことがあって。もう一度目指してみようと思います。随分遠回りしちゃいましたけど」
リアは照れ笑いをした。
「女優という職業は、人生経験豊富な方が良いと思います。それに、あのダチュラさんを出し抜いた演技力がありますからね。リアさんは大物女優になるでしょう」
ルチルは微笑を浮かべた。
「主任のお墨付きもらいました! でも、主任こそあの人のことをまださん付けで呼んじゃって、いいんですか?」
「リアさんの言葉で気が付きました。彼女は化物でも魔女でも無く、ただの人間だったのだと」
「どういう意味だ?」
「彼女は敵でしたが、自分がその立場にならないとも限らない。ハモネーを脅かす国が現れない保証などありませんからね。もしこの国が滅び、皆さんが殺され、僕一人生き残ったら、僕は彼女と同じ行動を取るかもしれません」
「私、ルチルさんにそんな辛い思いをしてほしくありません。だから、私がこの国を守ります!」
トリンはルチルの手を握った。
「その為に、俺も早く治さなくちゃな。本当にルチルは、何をしでかすか分からない奴だし」
ジェイドが腕組をした。
「と言いますと?」
ルチルには身に覚えが無く、腑に落ちない表情でジェイドに問いかける。
「あの女が化けた時、俺を庇っただろ。咄嗟だったとはいえ、無茶しやがって。寿命縮んだんだからな!」
ジェイドの語気は荒く、本気で怒っていた。
それに反し、ルチルは涼しい顔をしている。
「あれですか。ちゃんと考えた上での行動ですよ」
「は?」
「あの状況では、僕よりジェイドさんが生き残った方がエネミーを殲滅できる可能性が高いですからね。僕のように戦力にならない人間ができることをしたまでです。トリンさんに助けていただき、運が良かったですが」
「……今度やったらぶっ殺す!」
ジェイドは車椅子を両手で叩いた。
「今度ジェイドさんを庇ったら、ジェイドさんに殺されるということですか? それは矛盾している気がしますが」
真顔で答えるルチルを、トリンとリアが止める。
「主任、いい加減にしてくださいよ。おかしいんじゃないですか?」
「ルチルさん、ジェイド先輩の気持ちを分かってあげてくださいよ。ジェイド先輩は、本当にルチルさんのこと大好きなんですから」
青くなっているトリンとリアを交互に見た後、ルチルは笑い出した。
トリンとリア、そしてジェイドが唖然とする。
「すみません、冗談ですよ。今度は僕が庇わなくても良いように、無茶をせず療養してください、ジェイド」
ルチルは初めてジェイドを呼び捨てにした。
一瞬の間を挟み、ジェイドは突如前のめりになった。
「今、俺のことジェイドって呼んだか?」
「はい」
ジェイドは両手を上げた。
「遂に正式に親友になったぞ! 長い道のりだった!」
大喜びしているジェイドに反し、トリンはうずくまっていた。
「呼び捨てにされるのを、ジェイド先輩に先を越されました」
「いや、何を張り合ってるんですか」
落ち込むトリンにリアが呆れている。
「というわけで、お酒は没収です」
「何! 卑怯だぞルチル」
ジェイドは頭を抱えた。
ルチルはそれを見て、声を出して笑った。
彼がこんなにも楽しそうに笑うのは、幼少期以来のことだった。
自分が心から笑えている理由は、今共に食事を取っている仲間との出会いであり、彼らとの関係を深めたのは奇しくもダチュラだったとルチルは自覚していた。
複雑な気持ちでも、心の中で手を合わせダチュラの冥福を祈ることにした。
夕日が沈みかける頃、広げられた弁当箱はほとんど空になっていた。
そろそろ楽しいピクニックも終わりの時間を迎える。
「ルチルさんは明日からまた忙しいんですよね?」
弁当箱を片付けながら、トリンがルチルの身を案じる。
「そうですね。けれど、やっと前に進める仕事です。明日は潜力測定器の業者と1日中打ち合わせをすることになると思います。ダチュラさんの遺品の件で」
ダチュラとの戦闘の後、ルチルは数名の戦闘課と共にダチュラが自分に書いて渡した地図の場所を訪ねた。
一見何も無い廃工場だったが、ブライトからダチュラの住処について聞いていたルチルは、その場所を探し当て彼女の残した技術を見つけた。
昔から管理局と提携していた業者とその技術を分析し、使えるものにならないかと研究することにした。
「破棄しなかったんですね」
リアがレジャーシートを畳みながらポツリと呟く。
「迷いました。危険な技術ですし。けれど、第2第3のダチュラさんが現れないとは言えません。新しく攻めて来る国もあるかもしれません。それだけこの国は恨みを買っていますし、妬まれているはずですから。僕の目の黒いうちは、この国の平和を維持したいと思ってしまったんです」
自分の選択が正しかったのかという不安、今後待ち受ける恐怖を背中に乗せ、ルチルは夕闇を見つめる。
「おい、ネガティブなルチル。俺がいることを忘れるなよ」
ルチルが振り向くと、ジェイドはいつものような勝気な笑顔だった。
ジェイドは自分の身体が動かなくなろうとも、どこまでも前向きだった。
ルチルはそんな様子に呆れながらも、少し安心できた。
「ジェイド先輩。早く復帰しないと私が戦闘課エースの座を奪いますからね」
トリンがいつものように、よく通る大きな声で言う。
「いやいや、もうトリンさんが事実上のエースでしょ~」
リアがいつものように、おどけてみせた。
「言ったな、この野郎」
ジェイドが拳を握りしめる。
「ジェイド、本当に冗談じゃなくなるかもしれませんよ。技術革新で潜力強化マシーンが向上すれば、トリンさんは力を制限せず訓練できますからね」
ルチルが真面目に伝える。
ジェイドが膨れっ面になったのを見て、3人は笑った。
片づけが終わり、4人はブライトの墓石に手を合わせた。
またここで食事を共にすることを約束し、帰途に就く。
彼らの休息は終わり、またそれぞれの闘いの日々に戻って行った。
舗装された街から少し離れ、新緑の芝生が敷き詰められた長閑な広場に彼らは集まっていた。
リアがピンクと白の水玉模様のレジャーシートを広げている。
その上にトリンが大量の弁当箱を置き始めた。
2人の女性がにこやかにピクニックの準備を始めている様子を、ルチルと彼が押す車椅子に座ったジェイドが眺めている。
「なあルチル。これ大丈夫なのか?」
「大丈夫です。許可は取りました」
彼らがピクニックを始めようとしている場所は、ブライトが埋葬されている墓地だった。
墓石近くに色鮮やかなレジャーシートと弁当を広げて、楽しそうにしているリアとトリンの様子は一見すると異常だった。
この広場は墓地の為、当然他にも墓がある。
こんな場所でピクニックをする者は存在せず、時折訪れる他の参拝者から白い目で見られた。
「さあ主任、準備ができました。お座りください」
リアが笑顔でルチルに言う。
ルチルが黙ってリアに従い、ピンク色のレジャーシートに腰掛けた。
「一体どういう状況なんだよ」
ジェイドが呆れて尋ねた。
ジェイドは食事に呼ばれただけであり、今の状況を分かっていない。
「主任との賭けに負けたので、主任のお願いを叶えているんです」
リアもレジャーシートに座った。
「ルチルの発案かよ! 意味が分かんねーよ」
「場所の発案は私ですよ。主任が皆で食事に行きたいって言うから、ブライトさんも一緒じゃなきゃダメかなって思って。この霊園でご飯はどうでしょうって提案したら、主任がここでの食事許可を取ってくれたわけです」
リアの言葉を聞いて、ジェイドは黙った。
少し表情が曇る。
「ジェイド先輩、今日はピクニックです。お天気もいいですし。食事を楽しみましょう」
トリンはそう言いながら、酒を入れたグラスをブライトの墓石の前に置いた。
そしてレジャーシートに戻り、弁当箱を広げ始める。
「ルチルさん。これ、私が作ったんです。食べてください」
トリンは弁当箱をルチルに差し出した。
中には多少歪ながらも、多くのおかずが入っていた。
ルチルはその中の一つを箸で取り、口に運ぶ。
租借し飲み込んだ後の自分を、じっと眺めていたトリンの様子に全く気付いていない。
そんなルチルの脇腹をリアが小突く。
リアは、ルチルの耳元で感想を言えと囁いた。
「あ、美味しいです。この卵焼き。ありがとうございます」
ルチルの言葉にトリンは赤くなる。
リアはガッツポーズをした。
「なあ、俺には?」
勝手に3人で盛り上がり始めている様子を黙って見ていたジェイドは、さすがに寂しくなってきた。
「ちゃんと用意してますよ。こちらをどうぞ~」
リアが開いたバスケットには、美しく並んだサンドイッチが敷き詰められていた。
それを口に運び、ジェイドが顔をほころばせる。
「うまい。これリアが作ったのか?」
「はい。昔から料理上手な母から教わっていたので、料理は得意なんですよ」
「リアさんのお母様は本当に料理が得意ですよね。私の料理も教わって作ったものなんです」
トリンがジェイドに自分の料理をすすめた。
「そっか、それなら安心して食えるな」
「いつも思ってますけど、ジェイド先輩の発言ってほとんど失礼ですよね」
ジェイドが笑いながらトリンの弁当箱から揚げ物を取り食べた。
「うん。もう少し練習が必要だな。ルチルは本当に優しいやつだな」
「やっぱり失礼ですね」
トリンががっくりと肩を落としている様子眺めながら、ジェイドは大笑いした。
「良ければこちらも食後にどうぞ」
ルチルがおもむろに自分の荷物から取り出したのは、真っ白なホールケーキだった。
たくさんのベリーでデコレーションされている。
「わあ! オシャレなケーキ。いただきます」
ルチルは食後だと言ったが、関係ないとばかりにリアが自分の分を切り分け一口食べてしまった。
リアは甘いものに目が無かった。
「おいしい! これどこのお店のですか?」
「僕が作りました」
「え、うそ」
まさかの発言にリアは危うくフォークを落としかける。
ルチルが作ったと聞いて、トリンもケーキを食べ始めた。
「お、おいしい。本当に、おいしいです」
トリンが感動して震える。
「おい! 俺にもくれ!」
ジェイドが大声を出す。
ジェイドは車椅子に座っている為、自分でケーキを取れない。
「主任って料理とかするんですか? しかもスイーツって。意外すぎる」
「あまりしません。ケーキは初めて作りました」
「初めてでこのクオリティですか!」
「おい! 俺にも!」
ジェイドの要望は無視されている。
「お二人が料理を作ってくださると言っていましたので、僕も挑戦してみました。ケーキは女性がお好きかと安易に考えてしまいましたが、お口に合って良かったです」
「これ売れるレベルですよ!」
「ルチルさん。やっぱり私と違って器用ですよね……。何でもできるんですね」
「俺にもケーキ!」
ジェイドの声は届いていない。
「しかし、料理は工程が多くて面倒ですね。分量だけでなく気温や湿度も計算する必要がありますし。正直、購入する方が楽です」
「いや、私そこまで考えてないですよ」
「主任は完璧主義ですもんね。パティシエじゃないんだから」
「おーい。俺のこと忘れてるだろ」
ようやくジェイドは存在に気づいてもらうことができ、ケーキをもらうことができた。
ケーキを口に運んだジェイドは、とても満足そうな表情で味わっていた。
「そういえばリアさん。賭けに勝った時に聞いてほしかったお願いとは何だったのでしょうか?」
一通り食事が終わった頃、ルチルが思い出したようにリアに尋ねた。
「え、聞きたいですか?」
「僕にできることなら、力になれるかと」
「あはは。賭けには負けたので、叶えてもらう義理は無いですよ。でも、腹ごなしにでも聞いてください。皆でルームシェアしましょうってお願いするつもりでした」
「ルームシェア? 何故ですか?」
ルチルが驚いた表情をして聞く。
「私、ずっと自分と母親の身の安全の為に生きてきました。その為には結婚だけじゃ解決しないし、支援団体はお金がかかるし。そこで、思いついたのが主任とトリンさんとジェイドさんとルームシェアすることです。本当は先輩とも一緒に暮らしたかったんですけどね。主任は頭脳明晰で危機管理能力に優れてますし、トリンさんとジェイドさんは潜力がめっちゃ高いし。皆でルームシェアすれば、もっと広くて管理局から近い家も借りられるし最高じゃないですか」
ルチルが呆気に取られている。
「でもリアさん。僕との賭けに、トリンさんとジェイドさんを巻き込むのは無理がありますよ」
「無理じゃないですよ。ジェイドさんは主任のお願いなら聞くでしょ。トリンさんは主任と結婚すれば必然的に同居するじゃないですか」
リアの発言を聞いて、トリンが悲鳴を上げる。
「リアさん! その話は――」
トリンが慌ててリアにしがみつく。
「トリンさんと僕が結婚するとは?」
ルチルは真顔で尋ねた。
「おい、ルチル。記憶吹っ飛んだか? まあ、無理も無いよな。管理局が吹っ飛んだんだから」
クリスドールが自爆し、管理局の建物は火の海に包まれた。
ルチルの指示で避難していた全従業員は巻き込まれずに済んだが、管理局は再建に時間がかかっている。
もちろん管理局は事後処理と国民への説明など対応に追われ、ルチルを筆頭に事務課は激務に追われていた。
当初、犯人が管理局に潜んでいたこと、ルチルの独断で討伐作戦を決行したことを告白しようとしていたルチルだったが、そうなればルチルへの非難と処罰は免れないだろうと考えた戦闘課全員に止められた。
戦闘課は全員口裏を合わせて、突如管理局にエネミーから襲撃があり、それに気づいた戦闘課が素早く集結したとでっち上げた。
管理局の炎上は、敵による自爆だが、幸い死傷者は二名だったと発表された。
あの純白の英雄クリスドールと、管理局の女性事務課社員だ。
2名の犠牲者は出たが、エネミーの元凶を倒し、エネミー討伐の終了が発表されると、ハモネーの国民は歓喜に沸いた。
急な襲撃にも拘わらず対応が早かった戦闘課、そして英雄の死を美談として連日メディアで取り上げられている。
エネミーとの闘いに勝利した日を記念日とすることも決まっている。
そんなお祭りムードを、真相を知っている戦闘課の他、ルチル、リアは複雑な気持ちで見ていることしかできなかった。
今日のピクニックは、連日の激務がやや終息しつつある休日に開かれた。
「よし、トリン。ルチルは記憶が飛んじまってるから、もう一回告れ」
「今ですか!」
「トリンさん。あの時は告白どころかプロポーズでしたよ。それに比べれば簡単ですよ」
リアの発言を聞き、ルチルは思い出した。
ダチュラから自分のことを守りながら、トリンが発言していた内容を。
「思い出しました。あれは何だったのでしょうか?」
ルチルのその発言に、トリン、ジェイド、リアは同時に溜息をついた。
普段は頭脳明晰で勘も鋭いルチルは、この手の話になると途端に鈍くなる。
トリンは意を決して、ルチルと向き合った。
「ルチルさん。ちゃんと言いますね。私、ルチルさんのことが好きです。私と付き合ってください! 結婚を前提として!」
トリンは頭を下げた。
リアは黄色い声を出す。
「よく言ったトリン! で? ルチルの答えは?」
ジェイドは車椅子から身を乗り出し、ルチルを見つめる。
「あの、トリンさん。吊り橋効果をご存知ですか?」
「はい?」
トリンは顔を上げる。
「簡単に説明すると、恐怖を一緒に体験した人に恋愛感情を抱きやすいという心理効果です。恐らくトリンさんは、エネミーと対峙している時の興奮を、近くにいた僕への恋愛感情だと誤認したのです」
「……」
「そういえば、まだお礼を言っていませんでしたね。あの時は、助けていただきありがとうございました」
頭を下げたルチルを、3人は黙って見つめた。
そしてリアがルチルの近くに移動し、ルチルの肩を乱暴にゆすり始めた。
「何詰まらないこと言ってるんですか! 乙女の勇気を訳の分からない心理学で片づけないでください! はっ倒しますよ!」
愛らしい顔のリアからは想像できないような剣幕を見て、さすがのルチルも顔を引きつらせる。
「いえ、しかし、そうとしか考えられないですし」
ルチルはリアに振り回されながらも、途切れ途切れに答えた。
「ルチルさん。私、かなり前からルチルさんの事好きなんですけど。やっぱり気づいてもらえてませんでしたよね?」
トリンが切なく笑いながらルチルに言った。
「かなり前とは? エネミーから僕を庇ってくれた時からではないのですか?」
「はい。ダチュラさ……あの人の昇進祝いで食事したことありましたよね。実はジェイド先輩が私とルチルさんを近づけようと開いたものだったんです。あの頃既にルチルさんが好きだって自覚して、ジェイド先輩に相談してたんですよ」
ルチルは目を丸くしてジェイドを見つめた。
ジェイドはニヤニヤして頷いた。
「もちろん、ブライトさんだって知ってましたからね。彼もトリンさんと主任が結ばれることを望んでいるはずです。さあ、彼を安心させてあげてくださいよ」
リアはブライトの墓石を指さした。
ルチルは絶句する。
「リアさん、そんな脅すようなことはしないでください」
トリンが慌てる。
「いえ、主任は脅すくらいじゃないと落とせないって先輩に言われました。それだけは合ってると思います。さあ、今こそ壁を壊す時ですよ!」
ルチルは項垂れた。
「悪いことを言いませんから、僕は止めておいた方がいいです。トリンさんのような素敵な女性は、僕にはもったいない」
素敵な女性と言われた喜びと、拒絶された悲しみにトリンは混乱する。
「なあ、ルチル。お前は自分に自信が無さすぎだ。トリンを女性として見れないなら仕方ない。けど、自分を卑下したり自信が無いことが理由なら俺だって怒るぞ。それに、トリンにも失礼だ。お前の事が好きだって言っているのに、そりゃ無いぜ」
ルチルが今までに直面したことがない新しい難問だった。
今まで使っていた頭脳だけでは解決できそうにない。
そしてマイナス思考のルチルは、今後のリスクばかり考えてしまう。
「結婚とは、親族をも巻き込むものです。僕は社会人になってから実家に帰ったことはありませんし、もう忘れられていると思います。次に両親に会う時は葬式だと決めていました。僕はこんな親不孝者でクズです! どうですか!」
ルチルは真剣だった。
けれど。
「どうですかって何のアピールだよ! ネガティブ大会でもやってんのか!」
「主任ってもしかして馬鹿なの?」
「ダメだ、真面目すぎて拗らせちまってる」
「生きにくい性格ですね。同情します」
ジェイドとリアからは散々な言われようだった。
ルチルは何が正解なのか分からなくなってきた。
頭がオーバーヒートしかける。
「ルチルさん。ご両親はご健在なんですよね。それなのに、もう会わないって決めて後悔しませんか? もう一度会いに行くべきですよ。それでもし、ご両親がルチルさんを傷つけるようなら私が許しませんし、もう会わなくても良いと思いますが」
トリンが必死に訴えた。
「今更会いに行く機会なんて」
「機会は彼女を紹介、もしくは婚約者を紹介でどうでしょうか?」
トリンの言葉にルチルが固まる。
ジェイドが口笛を吹いた。
「トリンさん。こんなに積極的になるなんて。育てた甲斐があります」
リアがハンカチを目元にあてた。
「実は、両親に会わないでいることが気がかりでした。今回のことで、死ぬかもしれないと思った時、両親の顔が過り後悔したんです。でも、今更顔を出す勇気が僕にはありませんでした」
俯いていたルチルが、真っすぐにトリンを見つめる。
「こんな動機で、トリンさんこそ後悔しませんか?」
トリンは力強く首を横に振った。
「こんな僕で宜しければ。一緒に、行ってもらえますか?」
ルチルが静かに言った。
トリンは頷いた。
「よっしゃ! 酒持ってこい!」
ジェイドが大声を上げた。
近くにいた参拝客が睨みつけてくる。
そんなものを無視して、嬉し泣きしているリアがお酒のボトルを取り出した。
「リアさん! ジェイドさんに飲ませないでください! 身体に悪いです」
ルチルが厳しく言い放つ。
「おいおい。さっきまでしょぼくれてたのに、そういう所だけ敏感に反応するなよ。こんな日は飲まずにいれないだろ!」
「ダメです」
「クソ真面目かよ。ちょっとだけだから!」
ダチュラとの闘いで、ジェイドは身体を無理に動かしてしまった。
本来なら、療養が必要だった期間に無理してリハビリし、そして過酷な戦闘をしてしまった。
管理局が炎上した後、ジェイドは再入院することになった。
医者からは、立てるようになっても戦闘課への復帰は難しいとまで言われている。
けれどジェイドは、医者よりもルチルを信じ、絶対に元に戻すと言ったルチルの言葉どおり治療を続けている。
だがしかし、本日はルチルの言う事を聞く気はないようだった。
「頼むよルチル先生。この祝いの日を、ブライトと乾杯させてくれよ」
ブライトという単語を聞き、ルチルの目から涙が溢れ始めた。
急に泣き始めたルチルを見て、ジェイドが慌てふためく。
「なんだよ! どうした!」
「ブライトさん。いい人でしたよね」
ルチルは涙声になり、眼鏡を取って袖で目を覆った。
「何で急に悲しみが襲ってきてんだよ」
「仕方ないですよ。主任はブライトさんの葬儀の時はいろいろ抱えていたから、ジェイドさんみたいに大泣きできませんでしたしね」
リアはジェイドをからかうように言った。
「俺のこと馬鹿にしてるか? お前俺に気があったんじゃねーの?」
「あれ、気づいてたんですか?」
「当たり前だ。俺はルチルと違ってモテモテの人生だったからな」
「でも、シカトし続けてきて酷い人ですね~」
「仕方ないだろ。恋愛どころじゃなかったんだよ。でも、もう遅いな。俺はこんなんだし」
ジェイドは自分の足を見つめる。
「お前はいい女だから、もっといい奴が見つかるよ」
「私がいい女だって、今更気づいたんですね。でも、恋愛とか関係無く私達の仲ですから、下の世話くらいしてあげますよ」
リアが悪戯っ子のように笑い、ジェイドが赤くなる。
「馬鹿野郎! そんなことさせられるか。ルチルにやってもらうからいい」
「それは業務外なのでお断りします」
ルチルが冷たく言い放った。
涙は止まっている。
「冷たいなお前」
「ジェイド先輩、食事中にやめてください」
「俺のせいじゃないだろ。リアが言い始めたんだぞ」
「あ、主任。後で正式に書類出しますけど、管理局の再建が落ち着いたら私退職しますね」
何気ないリアの言葉に、皆一瞬黙った。
「差支えなければ、理由を聞いても?」
ルチルが静かに尋ねる。
「私、やりたいことがあって、夢をもう一度追いかけようと思うんです」
リアは満面の笑顔で言った。
「そうですか。前向きな考えで安心しました。てっきり今回のことで、精神的に大きなダメージ負ってしまっていると思っていましたので」
ルチルは自分と同じように潜力が低い者の気持ちが分かっている。
リアが強者に対して恐怖心を抱いていることは感じ取っていた。
今回のような大規模な戦闘に巻き込まれ、その恐怖心がより強いものになってしまったのではないかとルチルは心配していた。
「何だかむしろショック療法と言うか、いろいろと吹っ切れちゃって。それに皆さんには悪いんですけど、私、ダチュラ先輩のこと完全に嫌いにはなれないんですよね」
リアが空を見上げた。
「は?」
ジェイドが目を見開いた。
「誤解しないでくださいね。もちろん許せませんよ。でも、あんな風に強くありたいと憧れちゃっている自分もいるんです。同じ女性として」
「リアさん。彼女を神格化するのは危険な思想だと思います」
ルチルの声は冷たい。
「そんなんじゃないです。例えハモネーが滅ぼされて私一人生き残っても、あの人のように復讐なんてできない。でも、あの人がただの私の先輩だった頃に、言ってくれたんです。思うままに生きてみたらって。あの言葉は嘘じゃなかったって信じてます。だから、遺言として私は受け取ったんです。ただそれだけのことです」
リアの首には、ダチュラがつけていたペンダントが光っていた。
ダチュラがゴーレムに化けた際、外れたものを拾っておいたのだった。
しばしの沈黙の後、トリンがリアを抱きしめた。
「あの人の事はともかく、私はリアさんの夢を応援しますからね。どんな夢ですか?」
「私、女優を目指していたことがあって。もう一度目指してみようと思います。随分遠回りしちゃいましたけど」
リアは照れ笑いをした。
「女優という職業は、人生経験豊富な方が良いと思います。それに、あのダチュラさんを出し抜いた演技力がありますからね。リアさんは大物女優になるでしょう」
ルチルは微笑を浮かべた。
「主任のお墨付きもらいました! でも、主任こそあの人のことをまださん付けで呼んじゃって、いいんですか?」
「リアさんの言葉で気が付きました。彼女は化物でも魔女でも無く、ただの人間だったのだと」
「どういう意味だ?」
「彼女は敵でしたが、自分がその立場にならないとも限らない。ハモネーを脅かす国が現れない保証などありませんからね。もしこの国が滅び、皆さんが殺され、僕一人生き残ったら、僕は彼女と同じ行動を取るかもしれません」
「私、ルチルさんにそんな辛い思いをしてほしくありません。だから、私がこの国を守ります!」
トリンはルチルの手を握った。
「その為に、俺も早く治さなくちゃな。本当にルチルは、何をしでかすか分からない奴だし」
ジェイドが腕組をした。
「と言いますと?」
ルチルには身に覚えが無く、腑に落ちない表情でジェイドに問いかける。
「あの女が化けた時、俺を庇っただろ。咄嗟だったとはいえ、無茶しやがって。寿命縮んだんだからな!」
ジェイドの語気は荒く、本気で怒っていた。
それに反し、ルチルは涼しい顔をしている。
「あれですか。ちゃんと考えた上での行動ですよ」
「は?」
「あの状況では、僕よりジェイドさんが生き残った方がエネミーを殲滅できる可能性が高いですからね。僕のように戦力にならない人間ができることをしたまでです。トリンさんに助けていただき、運が良かったですが」
「……今度やったらぶっ殺す!」
ジェイドは車椅子を両手で叩いた。
「今度ジェイドさんを庇ったら、ジェイドさんに殺されるということですか? それは矛盾している気がしますが」
真顔で答えるルチルを、トリンとリアが止める。
「主任、いい加減にしてくださいよ。おかしいんじゃないですか?」
「ルチルさん、ジェイド先輩の気持ちを分かってあげてくださいよ。ジェイド先輩は、本当にルチルさんのこと大好きなんですから」
青くなっているトリンとリアを交互に見た後、ルチルは笑い出した。
トリンとリア、そしてジェイドが唖然とする。
「すみません、冗談ですよ。今度は僕が庇わなくても良いように、無茶をせず療養してください、ジェイド」
ルチルは初めてジェイドを呼び捨てにした。
一瞬の間を挟み、ジェイドは突如前のめりになった。
「今、俺のことジェイドって呼んだか?」
「はい」
ジェイドは両手を上げた。
「遂に正式に親友になったぞ! 長い道のりだった!」
大喜びしているジェイドに反し、トリンはうずくまっていた。
「呼び捨てにされるのを、ジェイド先輩に先を越されました」
「いや、何を張り合ってるんですか」
落ち込むトリンにリアが呆れている。
「というわけで、お酒は没収です」
「何! 卑怯だぞルチル」
ジェイドは頭を抱えた。
ルチルはそれを見て、声を出して笑った。
彼がこんなにも楽しそうに笑うのは、幼少期以来のことだった。
自分が心から笑えている理由は、今共に食事を取っている仲間との出会いであり、彼らとの関係を深めたのは奇しくもダチュラだったとルチルは自覚していた。
複雑な気持ちでも、心の中で手を合わせダチュラの冥福を祈ることにした。
夕日が沈みかける頃、広げられた弁当箱はほとんど空になっていた。
そろそろ楽しいピクニックも終わりの時間を迎える。
「ルチルさんは明日からまた忙しいんですよね?」
弁当箱を片付けながら、トリンがルチルの身を案じる。
「そうですね。けれど、やっと前に進める仕事です。明日は潜力測定器の業者と1日中打ち合わせをすることになると思います。ダチュラさんの遺品の件で」
ダチュラとの戦闘の後、ルチルは数名の戦闘課と共にダチュラが自分に書いて渡した地図の場所を訪ねた。
一見何も無い廃工場だったが、ブライトからダチュラの住処について聞いていたルチルは、その場所を探し当て彼女の残した技術を見つけた。
昔から管理局と提携していた業者とその技術を分析し、使えるものにならないかと研究することにした。
「破棄しなかったんですね」
リアがレジャーシートを畳みながらポツリと呟く。
「迷いました。危険な技術ですし。けれど、第2第3のダチュラさんが現れないとは言えません。新しく攻めて来る国もあるかもしれません。それだけこの国は恨みを買っていますし、妬まれているはずですから。僕の目の黒いうちは、この国の平和を維持したいと思ってしまったんです」
自分の選択が正しかったのかという不安、今後待ち受ける恐怖を背中に乗せ、ルチルは夕闇を見つめる。
「おい、ネガティブなルチル。俺がいることを忘れるなよ」
ルチルが振り向くと、ジェイドはいつものような勝気な笑顔だった。
ジェイドは自分の身体が動かなくなろうとも、どこまでも前向きだった。
ルチルはそんな様子に呆れながらも、少し安心できた。
「ジェイド先輩。早く復帰しないと私が戦闘課エースの座を奪いますからね」
トリンがいつものように、よく通る大きな声で言う。
「いやいや、もうトリンさんが事実上のエースでしょ~」
リアがいつものように、おどけてみせた。
「言ったな、この野郎」
ジェイドが拳を握りしめる。
「ジェイド、本当に冗談じゃなくなるかもしれませんよ。技術革新で潜力強化マシーンが向上すれば、トリンさんは力を制限せず訓練できますからね」
ルチルが真面目に伝える。
ジェイドが膨れっ面になったのを見て、3人は笑った。
片づけが終わり、4人はブライトの墓石に手を合わせた。
またここで食事を共にすることを約束し、帰途に就く。
彼らの休息は終わり、またそれぞれの闘いの日々に戻って行った。
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