人を愛したら魔女と呼ばれていた

トトヒ

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第20章

ルチルの回顧録「最後の選択肢は彼の手に」

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ハモネーの郊外にある一般家庭にルチルは誕生した。
父親は警察官、母親は体育の教師であり二人とも潜力は比較的高くそれを活かした職業に就いていた。
ハモネーでは生まれてすぐに潜力の測定が行われ、ルチルの検査結果は絶望的なまでに低かった。
ルチルは物心つく頃には既に、両親が自分の潜力が低い事に酷く落胆していると気づいていた。
幸か不幸か、ルチルはハモネーという国での自分の立ち位置を幼少期に理解できる程賢かった。
現代のハモネーでは潜力が低いことは一つの個性として表向きは認識されていたものの、昔から慣習とされてきた能力差別が完全に消え去ることは無い。
多感な時期の学生生活は、ルチルにとって明るいものでは無かった。

少年期の学生はあからさまに、潜力の高低で差別をする。
いじめの対象になる人物は、決まって能力値が低い者にされる。
スクールカーストは、能力値が高い順に決まっているも同然だった。
同級生で同じように能力値が低い友人達を作ったルチルだったが、友人達はいじめの対象にされ次々と不登校になり学校を去って行く。
ルチル自身が標的にされることもあり、幼い心に一生消えない傷を負った。
それでもルチルは友と同じ道を辿らず、学校に残り続ける。
消えて行った友の分まで戦うことを誓ったのだった。
幼くしてルチルは警戒心が強くなり、目立たず、強者には逆らわないようにして学校生活を生き延びた。
その経験は、ルチルの性格の基盤となる。

ルチルは学校で大人しく目立たない人物だったが、勉強には手を抜かず成績は常にトップだった。
そしてルチルは心に秘めた野心により、この国で一番倍率が高い入社試験に挑む。
ルチルは自分ができる最大限の努力で、ハモネーの国家防衛管理局というエリートの地位を得ることになった。
ルチルの両親は息子の努力を称え、今まで潜力が低い点を嘆いていたことを反省したものの、歪みきったルチルの心には響かない。
ルチルは両親との関係を修復する努力はせず、家を出てから帰省することは無かった。

国家防衛管理局の事務課には同じく潜力が低い者が多く、ルチルにとっては今までの人生で一番心を落ち着かせることができる場であった。
能力値がこの国の中でトップクラスの集団である戦闘課と関わることもあるが、学生時代に比べれば何も懸念することは無かった。

エネミーパニックで戦闘課が何人も亡くなった時、ルチルの心は穏やかだった。
今まで自分を傷つけてきた能力上位者が叩き潰される。
嫌いなこの国が脅かされる。
ルチルの根底に眠る恨みの気持ちが少しだけ発散された瞬間だった。
しかしルチルは、そんな一時の感情に身を任せる程愚かではない。
エネミーパニックを放置すれば、いずれ自分にも危害が及ぶ可能性があることが分かっていた。
潜力がほとんど無い自分にできることは、国家防衛管理局の緩んだ危機感を改善すること。
戦闘課の強化育成にあると自覚していた。
管理局の誰もがパニックに陥っている中、ルチルは一人冷静な判断と行動をする。
戦闘課の死傷者と、生き残った数名に対して迅速に対応していく。
その功績が認められ、ルチルは若くして出世し戦闘課との戦略会議に参加するようになった。

当初は気性が荒い戦闘課と話し合いをすることは困難だったが、生き残った一人であるジェイドが何かと間を取り持ってくれるようになる。
さらにジェイドは、ルチルに直接戦闘訓練のアドバイスを仰ぐようになった。
ルチルにジェイドの心情は分からなかったが、自分の業務を円滑に進めるために便利な人材だと認識していた。
トリンが入社してきた時もルチルへの好意には全く気付かず、能力値がとても高い彼女をどのように戦闘に組み込むかばかり考えていた。
ルチルは他者からの好意というものに、とても鈍い男だった。
しかし、危険察知には人一倍敏感である。
それはダチュラに出会った時もそうだった。

ルチルが事務課の主任という地位に就いた頃、ダチュラが入社して来た。
上司からとてつもなく美人な女性だと聞かされており、実際に会った時はルチルもダチュラの完璧な容姿に驚いた。
容姿だけでなく、新人にも関わらず仕事が完璧だったことがさらにルチルを驚かせることになる。
一度業務を教えればダチュラは完璧に遂行し、ミス一つ犯さなかった。
他の者が見ればダチュラは才色兼備な女性だと映っただけだろうが、ルチルは不信感を抱いていた。
彼女の年齢と新人という立場に、行動が不相応だと感じていた。
そしてルチルの不信感が増大する原因になったのが、ランダ失踪事件である。

ランダはベテラン受付嬢であり、仕事もよくできる女だった。
しかし自己中心的な考えを持ち、他の女性社員をいびることがしばしばあった。
ダチュラは入社直後から課をまたいで注目され、ランダが彼女に嫉妬しないわけが無かった。
ダチュラは仕事も完璧な為、いびる口実も見つけることができない。
我慢の限界を迎えたランダは、ダチュラに対する嫌がらせをエスカレートさせていく。
直接ランダを注意すれば逆上しかねないと考えていたルチルは、できるかぎりランダとダチュラを引き離す努力をしていた。
それでもランダはダチュラに執拗に執着し、給湯室やロッカーでコソコソと悪だくみを働かせる。
ルチルも遂に見過ごせないと考えていた頃、ランダが突如無断欠席を続けるようになった。
連絡も取れず、しばらくその状態が続き家族が捜索願を出す事態へと発展する。
事務課の特に女性社員にはランダの被害者が多かった為、彼女の味方をする者は少なく、仕事が嫌になって旅行にでも行ったのでは無いか、男と逃げたのでは無いかとあらぬ噂が立った。
しかしルチルはランダという人物像を理解しており、突然仕事を放り出し消えるとは思えなかった。
何の確証も無いが、ルチルはダチュラの表情を観察し、彼女が関わっていることを察する。
嫌がらせを受けても、上司から褒められても、戦闘課から交際を申し込まれても、ダチュラの表情は上辺だけ繕われる。
感情がほとんど見えない。
ランダが失踪してもそのままの顔を貼り付けている。
同僚と話している時は先輩を心配するように装っているが、中身は空虚だった。
その得体の知れない存在に、ルチルは徐々に恐怖を覚える。

「ルチル主任、確認お願いします」

ダチュラから書類を手渡され、彼女の美しい漆黒の双眸を見つめた途端、果てしない闇に引きずり込まれる感覚に襲われた。
この女に関わってはいけない。
これは潜力とは別の次元で危険な存在だ。
その後しばらくルチルは目立たないように行動するように努め、ダチュラに目線を合わせないようにしていた。
しかしその行為があだとなり、ダチュラから呼び出されることになる。

ルチルは日頃からボイスレコーダーを持ち歩いている。
ハモネーではわりと新しく開発された機械であり、高価な物だったが必要な物ならば惜しみなく購入するのがルチルだった。
会議などを録音し、自宅で内容をまとめ直すなど業務に使うことを主な目的としている。
もう一つの目的はもちろん、人との会話で裏を取るためだった。
どんなに小さくともトラブルに巻き込まれることをルチルは嫌う。
言った言わないという些細なことが、大きな問題になることはよくあることだ。
何でも言質を取り、録音するのが危険を回避する上でも重要だとルチルは考えていた。
ダチュラに地下のバーへ連れていかれた時も、ボイスレコーダーを胸ポケットにしのばせていた。
そこでは明確な証言は得ることができなかったが、ダチュラの標的にされることを何とか回避でき安堵していた。

ダチュラを戦略会議に参加させた後も、彼女を注意深く観察をしていたがこれといった問題は見つからない。
ルチルはダチュラを断罪するよりも、自分が敵だと認識されないように努めた。
仮にダチュラが一人の人間を殺しているならば、次はルチルがその被害者になりかねない。
ルチルは自分の身を守ることを優先していた。

ルチルがダチュラと関わることで、交友関係に変化が訪れる。
ルチルは人と関わることを避け、一人でいることが昔から多かった。
ジェイドからの誘いも上手くかわして来たが、ダチュラの昇進祝いという名目で遂に捕まり飲みに連れて行かれる。
一度参加してしまうと次も誘われ断りづらくなり、ルチルは困っていた。
その時のルチルはこの交友関係によって、後に自分が選択肢を変えることになるとは思ってもみなかったのだ。

ルチルが集まりに参加する以前から、ジェイドのみならずトリンからも直接トレーニング方法等のアドバイスを求められる事は多かった。
そしてブライトも同じ行動を取るようになる。
ブライトは性格が真面目な為、ジェイドとトリン2人の先輩の真似をしているだけだと思い、非効率では無いかとルチルは考え始めた。
ある日ダチュラが受付業務をしている頃、一人で戦闘課のトレーニングを視察していたルチルのもとに、ブライトが駆け寄り細かなアドバイスを求めてきた。

「ブライトさん。わざわざ僕に直接聞かなくても、全てジェイドさんに伝えてありますよ」

ルチルの言葉にブライトは苦笑いを浮かべる。
その表情からルチルは、年上の自分に対して気を使っているのだと思った。

「ジェイド先輩、説明するの下手くそなんです」

ルチルにとっては予想外の回答だった。
潜力にまつわるアドバイスは、ジェイドが適任だと思っていたからだ。

「でもジェイドさんは戦闘課のエースですし、潜力の使い方は僕より分かっているはずですが?」

「ダメですよ、あの人の説明全く分からないです。ジェイド先輩は感覚人間ですから。『ここをズバッとやってドカンとやるんだ』みたいな説明しかできないんですよ。というわけで、またアドバイスお願いします。ルチルさんのお陰で、この前の訓練では良い成績が出ました」

ブライトが輝く青い瞳をルチルに向ける。
その表情は嘘偽りなく、純粋にルチルの教えを乞おうとしていた。

「お前だけ抜け駆けするなよ! 俺にも教えてくれ」

ルチルとブライトの会話に割って入って来たのは別の戦闘課社員。

「俺も頼む」

「私もお願いできますか?」

「お前達ずるいぞ! 俺が先だ!」

ルチルは戦闘課に囲まれる。

「ちょっと待ってくださいよ! 僕が一番先にルチルさんにお願いしてたんですからね」

ブライトが戦闘課の集団に押しのけられそうになり慌てた。

「お前は散々アドバイス貰ったんだろ。先輩に譲れよ」

ブライトの先輩である大男につまみ出される。
ブライトは膨れっ面になった。

ルチルは全戦闘課を熟知しており、その場も適切な対応をする。

「ジェイドが言っていたのはそういう意味だったのか! やっと分かったぜ」

「分かりやすい! ありがとうございます」

ルチルのアドバイスを受けた社員は、次々とお礼の言葉を述べた。
一通りの対応が終わったルチルは、いつもと違う達成感を味わう。
心の奥底で温かいものを感じた。
この感情は最初、今まで自分を貶めてきた能力値が高い者達を服従させた快感なのかとルチルは考えたが、それとはどうも違うようだった。
その時のルチルは、この気持ちをはっきり理解できないでいた。

その後も頻繁にジェイドに誘われ、固定されたメンバーで食事に行く。
最初は煩わしいと思っていたルチルだったが、徐々に嫌では無くなっている自分に気づく。
心は今までに無く穏やかで、エネミーによる攻撃や、ダチュラなどの心配事も薄れて行く。
しかしそんなある日、クリスドールとダチュラが闇夜に消えて行く姿を見つめている時、再びルチルの危険察知能力が働き始めた。
世間が英雄ブームで賑わう中、ルチルはクリスドールすら信用していなかった。
ダチュラと同様得体の知れない存在だと認識し、そんな者に頼り切りになっている管理局も国民にも嫌気がさしていた。
そんなクリスドールとダチュラにつながりがあることを知り、ルチルは嫌な予感に襲われる。
そしてその予感が的中するかのように、翌日から運命の歯車が回り始めた。

ジェイドが負傷したと連絡を受けても、ルチルはいつものように冷静な対応をした。
しかし、エネミーパニックの頃とは違い、心が乱れる。
ジェイドが作戦を無視したことへの苛立ちとは少し違い、ルチルは気持ちの整理を完璧にはつけられないでいた。
仕事を終えジェイドの病室に顔を出すと、ジェイドが口を利ける状態だと確認し、いつものメンバーを視界にとらえ、安堵と共に理由無き怒りがこみ上げた。
珍しく感情的にジェイドを叱責し、帰宅後ルチルはすぐに反省した。
翌日にはジェイドに謝罪し、リハビリプランを伝える。
ジェイドの回復に全力でサポートしようと決めた。
エネミーパニックの時にも同じようなことがあったが、その時の気持ちとは違う。
業務では無く、ルチル自身心の底からジェイドの回復を願っていた。
この時やっと、ルチルはジェイドや他のメンバーを自分が仲間だと認識していることに気づく。
それは学生時代、いじめに耐えられず消えて行った友人達へ抱いていた感情以来のものだった。

仲間意識を自覚したルチルは、より周囲へのアンテナを張り巡らせる。
ブライトがダチュラを尾行していることに、ルチルが気づかないはずがなかった。
ブライトはダチュラに惚れていた為動向が気になるのは仕方がないかもしれないが、このまま放置するのは危険だと判断し、ブライトに忠告する。
ブライトはランダやルチルと違い、潜力に長けている為その時はそこまで心配をしていなかった。
しかしある日、ブライトに呼び出されとんでもない推理を披露されることになる。

「ダチュラさん、もしかしたらエネミーと関係があるかもしれません」

ブライトの発言にルチルは一瞬驚いたが、話を聞くうちにあながち有り得ない話でも無いと感じていく。
むしろ、当初から抱いていたダチュラとクリスドールへの不信感に妙に納得する点があった。
自ら問い詰める事を打診したブライトを止め、ルチルはその夜一人で今後の対策を考えた。
しかしブライトの話だけでは情報が少なすぎ、証拠も何も無い。
事がことだけに、迅速かつ慎重に進めなければならない。
ルチルは今まで生きてきた中で、一番の難問にぶつかっていた。
そして対策がまとまらないまま、翌日にブライトの遺体が発見される。

ブライトの遺体は人通りが多い公園で見つかった。
頭部の損傷が激しいが、衣服は整えられ静かに横たわっていたという。
身分証明書から国家防衛管理局の社員だと判明し、すぐ事務課に連絡が入った。
知らせを聞いたルチルは膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえ、これから自分がすべき事を考える為に集中する。
犯人はダチュラで間違い無いとルチルは確信した。
ランダのような潜力が低い女を始末するのと、ブライトを殺すのとでは難易度が異なる。
ルチルはかつてない程の恐怖心に襲われた。

ルチルは平静を装い、ブライトの葬儀を終わらす。
ブライトの死を悲しんでいる暇も偲ぶ暇もルチルには無かった。
葬儀の後はリアとトリンをダチュラから引き離し、その日のうちに行動に移した。
ダチュラにかつて連れて行かれた地下のバーに、今度はルチルから誘うことになる。
いつも通りボイスレコーダーを起動させ、今度こそダチュラから真相を語らせることにした。
少なくとも2人の人間を殺し、テロを企てているならばもっと大勢を亡き者にしているダチュラと対面するのは気を失う程の緊張感があった。
しかしルチルにできることは、これしか無かった。

「それは心が痛んだことでしょう。ルチル主任がそんな提案をしなければ、彼は死なずに済んだのだから」

真実は多少違う。
しかし、ルチルはブライトをもっと強く引き留めるべきだと後悔した。
胸が押しつぶされそうになるのを耐え、いつものポーカーフェイスで話を続ける。
その甲斐があり、ダチュラにルチルの提案を信じてもらい言質を取ることにも成功した。
早くその場から逃げ帰りたいと思っていたルチルだが、一つだけどうしても確かめたいことがあった。
余計なことだと思いながらも、ブライトの死体の処理についてダチュラに尋ねる。
何故あんなにも目立つ場所に放置したのか理解できなかったからだ。
返ってきたダチュラの答えは、ルチルには全く理解できない。
自分とは違う世界に住んでいると感じ、その店を後にした。

ルチルは店を出ると最大限の脚力で自宅まで逃げ帰った。
嫌な汗が大量に吹き出す。
自宅に駆け込み、扉の鍵を閉めてから崩れ落ちる。
幼き日からルチルの頭は鮮明だった。
何かに迷ったり混乱することは無かった。
しかしその日、ルチルの頭は遂に許容範囲を超える。
質素な部屋の片隅で、震えながら嗚咽して夜を明かした。

習慣とは恐ろしいもので前日の恐怖体験にも関わらず、数分の狂いもなくルチルは起床した。
ルチルはそんな自分に呆れる。
いつものように出社し、ダチュラと顔を合わせても表情を崩さないようにした。
自分の決断を先延ばしにする為に業務に追われる数日を過ごしたが、優秀な為すぐに仕事に余裕が生まれる。

ダチュラとの会話は、完全な嘘というわけでもなかった。
ルチルがダチュラとの約束を守れば、自分一人は見逃してもらえる。
ブライトは殺され、ジェイドも重傷を負わされている。
詳しくは聞けなかったが、クリスドールはダチュラに仕立て上げられた英雄だとルチルは考えていた。
狙いはハモネーの国民に安心感を与え、油断しきったところを一気に攻める作戦だと想定していた。
平和ぼけしたこの国と、戦力を削がれた国家防衛管理局では、ダチュラと対峙するには完全に不利である。
ルチルはダチュラとの密会時点では、どちらを裏切るか選択できる状況を作っていた。
今までのルチルなら、リスクがより少ない方を選択していた。
ダチュラに話した通り、ルチルは自分の国が嫌いで亡命を夢見たこともある。
帰宅しながら思い悩んでいたルチルは、気付くとジェイドが入院している病院に辿り着いていた。
一人唖然としながらも、ルチルは生まれて初めて本能に選択肢を委ねることにしたのだった。

ジェイドの病室に入ると、リアとトリンもそこにいた。
ベッドのそばで椅子に腰掛けている。
2人とも頬に涙の後が残っていた。

「よお、ルチル。リハビリだろ? 悪いけど俺、顔面崩壊してるからちょっと待ってくれ」

ジェイドは腕で目元を覆っていた。
恐らく3人で、ブライトを想い泣いていたのだろうとルチルは思った。
そしてこれから残酷な真実を告げなければならないかと思うと気が滅入る。
それでも時間が無い為、ルチルは冷静に努めようと深呼吸をした。

「すみません。リハビリではありません。ブライトさんを殺害した犯人についてなのですが――」

そこまで言いかけるとジェイドが顔を上げ、鋭い眼光でルチル射貫く。
目が赤く腫れていた。

「見つかったのか! どこのどいつだ! 俺がぶっ殺してやる!」

ジェイドが無理やり起き上がるのを、トリンが慌てて押さえた。

「痕跡が無くて犯人特定に時間がかかると聞いてましたけど、警察から連絡があったんですか?」

リアが涙声でルチルに訪ねた。
ダチュラに懐いていた彼女の瞳は潤んでいる。

「警察は犯人に辿り着かないと思います。今のところ、犯人を知っているのは僕だけです」

「え……何で……」

リアが絶句する。

「ルチル、まさかお前が見つけたのか? こんな所来る前に通報しろよ」

ジェイドの顔が歪む。

「警察では対応でき無いと思い、戦闘課の皆さんに協力してほしいのです」

「そうか……ブライトをやるくらいだからな。一体そいつは?」

「……ダチュラさんです」

「は?」

ジェイドの反応はルチルの予想通りだった。
トリンでさえ顔が引きつっている。

「そしてダチュラさんは、この国にテロ行為を行っている黒幕でした。彼女は警察の手には余る存在です。彼女が次の手を打つ前に何か対策を――」

ルチルは発言の途中に、リアに思いっきり頬を叩かれた。

「主任! 何言ってんですか! 慣れない冗談言わないで!」

リアが金切り声を上げる。

「ルチル! たとえお前でもぶん殴るぞ!」

ジェイドも怒鳴り声を上げた。
ルチルは頬をさすりながらも、当然の反応だと受け止め冷静でいた。
2人の頭が冷えるのを待とうかと考えたが、それまで黙っていたトリンが口を開く。

「ルチルさんは、そんな冗談を言う人じゃないですよね? 私は聞きたいです。ルチルさんの話を」

トリンは口を真一文字に結び、ルチルを見つめる。
トリンは話の内容よりも、ルチルという人間を信じていた。
そして、その場にいた誰もがルチルがそんな質の悪い冗談を言うわけがないと頭では理解している。
リアは何か反論しようとしていたが、言葉が上手く出てこない。

「すみません。急を要する事態なので、話を続けさせてもらいます。質問は後ほど聞きますので、まずはこれを聞いてください」

ルチルの口調はこのような場面でも、業務的であった。
ルチルはボイスレコーダーを取り出し、録音していた音声を再生させる。
口で説明をするよりも、今までの流れを聞いてもらった方が早く、そして確実だと考えたからだ。
最初に流れてきたのは、生前のブライトの声。
ブライトがダチュラを尾行し、組み立てた推理をルチルに話した場面だった。
ここにいる者は全員、ブライトがダチュラに惚れていたことを知っている。
そのブライトが、ダチュラがテロ犯ではないかと話している。
一同は表情を消し、懐かしいブライトの声を聞いていた。
そして次は、ルチルとダチュラが密会している場面の音声が流れる。
そして、ダチュラは決定的な告白をした。

『ええ、ブライトを殺したわ。そして、死体を捨てたの』

その音声を聞いた瞬間、ジェイドの瞳孔が散瞳するのをルチルは見ていた。
録音を聞き終わり、病室は沈黙に包まれる。
最初に口火を切ったのはリアだった。

「主任……お願いです。冗談だと言ってください」

血色の良いリアの頬は今や蒼白だった。

「すみません。冗談なら良かったのですが……」

ルチルの発言を聞いた瞬間、リアは冷たい床へ崩れ落ちた。
トリンがゆっくりと近づき、リアを抱きしめる。

「リアさん、ごめんなさい。私、ルチルさんを信じますね」

トリンがリアを強く抱きしめ、リアがそれに答えるようにトリンの背中に腕を回した。
それは、同意を意味していた。

「ルチル、悪い。馬鹿な俺には、ほとんど理解できなかった。これからどうすべきかも分からない。だから……」

ジェイドが嗚咽する。

「俺達を見捨てないでくれ。頼むから、助けてくれ」

ジェイドは両眼から溢れる涙を隠そうともせず、ルチルに片手を伸ばした。
ルチルは迷わなかった。
差し出されたジェイドの手を取る。

「今更、何を仰っているんですか」

病院に辿り着いた時点で、ルチルは決めていたのだ。
この国の為ではなく、自分を必要としてくれた彼らの為に戦おうと。
ジェイドがルチルの手を痛いくらい強く握り返してきた。
決して離さないという意思が感じられる。
ルチルは一筋の涙を流した。
ルチルが人前で泣いたのは、生まれて初めてのことだった。

翌日、ジェイドが入院する病室に全戦闘課が集められた。
ジェイドの病室は広めの個室だったが、30人余りの戦闘課が集結するには狭い。
戦闘課もこの異常な招集に戸惑っていた。

「皆さん、お忙しい中お呼び立てして申し訳ございません。勝手ではありますが、皆さんにお願いしたいことがあります」

「この期に及んで堅苦しいぞ、ルチル!」

そう言うジェイドは、自分の両瞼にキンキンに冷えた銀のスプーンを当てていた。
目の腫れが引かずに悩んでいたジェイドに、ルチルが教えた方法だった。
戦闘課を集める前に行うべきものを、ジェイドは今現在も続行している。
若干滑稽な有り様だが、ルチルは緊張が解けいつものように流暢に話し始めた。

ルチルの立てた作戦は、ダチュラが手の内を見せてから実行するというもの。
ダチュラに関して分かっているのは、テロ犯でありブライトを殺したということだけだった。
下手に今断罪しようとしても、狡猾なダチュラが黙ってやられるわけは無い。
取り逃して新たな策を練られるより、今分かっている情報を最大限活用することに決めた。
次の警報で全戦闘課を地方に送るということは、都市部が手薄になるということ。
つまり、ダチュラは遂に都市部を攻めるとルチルは気づいていた。
しかしどの程度の規模なのか、クリスドールがどう動くかなど全く分からない。
今まで賭け事などしたことが無いルチルだったが、今回ばかりは最大の賭けに出ることになった。

あまり詳しいことを戦闘課に話せば、途中でダチュラにばれる可能性がある。
犯人についての詳細を省き、次にエネミーが出現した時は自分の作戦に従ってほしいとルチルは伝えた。
説明不足な上に無謀な提案に納得してもらうのは一筋縄では行かないと思っていたルチルは、戦闘課のエースであるジェイドがまとめてくれると期待していた。
しかし……

「分かりました。ルチルさんの命令に従います」

ルチルの予想に反して、戦闘課から何の反論も無かった。
勝算が低く、文字通り命を懸ける無謀な作戦に何の異議も無いことにルチルは驚く。

「皆さん、本当に宜しいのですか? 自らの提案とは言え、これはあまりにも……」

「我々は、ルチルさんを信頼していますから」

それはルチルにとって思いがけない言葉だった。
いつも作戦会議では反対意見が飛び交い、自分の立てた作戦を戦闘課が受け入れがたいのだと思っていた。
それを何とかジェイドに取り持ってもらえているだけだと考えていた。
しかし、戦闘課はルチルの作戦に対し不満があったわけでなく、ただ白熱していたに過ぎなかったのだ。

「だいたい、ルチルさんの作戦を守ってなかったのはコイツだけっすよ」

一人の戦闘課が、目元にスプーンを当て続けているジェイドを指さす。

「うるせーな。俺だって反省してんだよ」

バツが悪そうにジェイドは呟く。
その様子を見て、ルチルは思わず吹き出してしまった。

「え! 今笑った? ルチルが?」

ジェイドは見逃さず、すかさずツッコミを入れる。

「し、失礼しました。このような状況で、不謹慎でした」

真面目に反省するルチルを見て、ジェイドはにやつく。

「よし、お前ら! 鉄仮面が笑ったぞ! 勝利は俺たちの手にある!」

どういう理屈なのかルチルには分からなかったが、ジェイドの掛け声に戦闘課一同が同意した。
あまりの煩さに、看護師がすっ飛んでくる。
ここが病室だということを全員忘れていた。

ルチルの真面目で直向きに仕事をこなしていた様子を、ジェイドやトリンそしてブライトだけが知っていたわけでは無かった。
ルチルは自分の知らぬ間に、周りからの信頼を得ていたのだった。
こうして一致団結していた彼らは、運命の日を迎え撃つことになる。
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